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はじめに 2006/04/12 ブラジル日本都道府県人会連合会の結成とその歩み ブラジル日本都道府県人会連合会(以下県連)が結成されて今年で40年になりますが、その発足時の経緯や活動について忘れられていることもあり、ここにこれまでの歩みを振り返ってみたいと思います。
1965年、南米7ヵ国に在住する日系人の南米日系人大会が開催された際、日本海外移住家族会連合会の正副会長であった田中龍夫、田原春次両国会議員が日本から参加。その席上、サンパウロ市で結成されていた満蒙懇談会の代表者から、海外引き揚げ者給付金の交付の要請があった。
海外引き揚げ給付金とは、日本政府が戦後、外地の日本占領地区からポツダム宣言によって、強制的に総ての私財を置き去りにして日本に引き揚げた者に対して補償を意味するのが海外引き揚げ給付金の交付であった。
しかし、この給付金の支給期限は既に10年を経過して時効になっていた。終戦後はやばやと、外地に移住した移住者たちに、日本国内でそんな恩典が行われていたことは全く知らなかったのである。田中会長は帰国後、厚生省を訪ね、外地移住者の実情を伝え、予算復活の申請を行った。しかし、当時は政府に申請するにしても、明確な申請機関が存在していなかった。そのため海外日本人の権益を擁護する機関として日本との最も密接な関係にある、各県人会の連合体を組織し、これに当たらせることが一番妥当であるとの結論が出された。
そこで、日本海外移住家族連合会は理事をブラジルに派遣し、県人会連合会の結成への指導を行わせることにしたが実現に至らなかった。報告を受けた田中会長は、外務大臣に側面協力を要請した。
1966年3月、外務大臣から鶴我七蔵サンパウロ総領事に対し、県人会連合会(以下県連)結成への積極的援助の要請の通達が伝達された。鶴我総領事は、急遽、当時文協会長であった宮坂国人氏と文協評議員会長の中尾熊喜氏に諮ったが、両氏はすでに在留邦人の核となる文化協会があるのに、別に県人会連合会を新たに結成することは、屋上屋を重ねるものとして湾曲にこれを辞退した。
その後、間もなく訪日した宮坂文協会長が、田中会長から、 「サンパウロの文化協会は、文化面を中心とする会活動であるが、県人会連合会は、在留邦人の権益を擁護するための機関である。従って両者はそれぞれの性格、使命、目的を異にするものである」 との説明を受け、ここで宮坂会長も了解点に達し、双方の合意を見たのである。
宮坂会長は帰国後、中尾評議員会長らと図り、県人会連合会結成への計画案を練り、1966年4月12日、文協会議室に33の県人会の代表が参集、宮坂文協会長が議長となり、提案趣旨の説明を行い、ブラジル日本都道府県人会連合会がスタートした。
席上、初代会長に中尾熊喜氏(熊本)、副会長上野米蔵(福岡)、小笠原喜一(宮城)とする各役員が選出され、顧問として田付景一大使、鶴我七蔵サンパウロ総領事、宮坂国人文協会長、鈴木猷吉事業団支部長が就任した。
この日の創立総会の席上で、中尾新会長は第一回移民の「笠戸丸」生存者の日本派遣を提案し、その旅費の半額は県人会連合会が負担し、あとの半額を日本政府の補助を要請すると発言し、会場の熱烈な賛同の支持を得た。しかし、日本政府の補助金も手続きの関係で間に合わぬままに、中尾会長はポケットマネーで、1968年2月、笠戸丸組生存者9名の訪日団に、高齢者のために付添者7名が里帰りの途についた。
そして日本政府は、「笠戸丸」訪日団の滞在中の4月、この生存者9名に勲六等瑞宝章を贈って多年の労を労った。その後、日本政府は移民60周年を慶祝して、「笠戸丸」生存者87名および笠戸丸以前のブラジル渡航者19名など全員に、それぞれ勲六等瑞宝章が授与されることになった。(鈴木貞次郎、香山六郎氏夫妻は勲章を辞退)
中尾会長はその後5ヵ年に渡り、移住渡伯年次順に次々に訪日団を派遣したが、6年目に日本政府の半額補助、7年目から日本政府の全額補助を得るまでに、実に83名を中尾会長個人の負担で、訪日里帰りさせたことは日系コロニア賞賛の的となった。
中尾会長の没後、第二代上野米蔵(福岡)、第三代和田周一郎(奈良)、第四代藤井卓治(岡山)、第五代高野芳久(山梨)、第六代羽田宗義(愛知)、第七代中西忠勇(石川)、第八代網野弥太郎(山梨)、第九代西谷博(鳥取)と続き、2002年3月の総会で第十代目の会長として中沢宏一(宮城)が就任した。
これまでの足跡とも言える主なる事業は次のものがある。
○初期移民の日本派遣(2002年まで第35次団)
○「笠戸丸から60年」刊行事業(1968年)
○明治100年祭参加、みどりの使節団の派遣(1968年)
○海外引揚者給付金の調査並びに交付委託
○海外引揚者特別国庫償還金の交付委託
○旧金鵄勲章年金の交付委託及び支那事変における金鵄勲章受章者に総理大臣からの銀杯贈与の斡旋
○移住者子弟の技術研修生の選考派遣選出斡旋
○制度化された日本海外技術研修生の講習及び派遣 ○開拓者先没者慰霊碑の建立、管理、慰霊祭の執行
○移住事業団(現JICA) 直轄移住地、連邦・州政府直轄移住地の実態調査
○日本海上自衛隊練習艦隊の歓迎会開催への協力
○日本都道府県観光展への協力
○尋ね人調査、遺産相続、恩給、厚生年金、炭鉱労働年金の調査及び交付委託
○各都道府県知事、衆参両議員団、県議会議員団、各県の友の会慰問団、青年団、学生 視察団、各種調査団、姉妹州県・姉妹都市使節団の歓迎と斡旋
○社会福祉事業のための芸能使節団、慰問興業、演奏会への協力
○日本海外技術研修生OB会の結成並びに指導と援助
○留学生、海外技術研修生の日本語試験実施
○移民のふるさと巡り(これまで16回-2003年1月現在)
○南米諸国の協会、団体との交流 ○日本郷土食・郷土芸能まつりの開催(これまで5回)
○海外在住者選挙権登録への協力
○21世紀リーダー養成塾開催
○シンポジウム開催
○他日系団体との交流事業
○外国人再登録更新への協力
○移民上陸記念碑の建立(サントス市)
○移民乗船記念碑建立協力(神戸市)
などであるが、時代の推移と一世から二世、三世、そして四世へと日系コミュニティも変化をとげており、今後は2008年に迎えるブラジル日本人移民100年祭とブラジル日系人のルーツを探る日系人全体を網羅した調査、また100年を記念し日系人のよりどころとなるセンター施設の建設も視野に入れた運動を繰り広げることが、県連の役目ではないかと考える
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