ニッケイ新聞 2009年2月11日付け アルツハイマーや認知症などの予防医学に力を入れ、入園者に限らず、地域住民や日系コムニダーデ一般に福祉の輪を広げる――。昨年五十周年を迎えた日系老人ホーム「憩の園」が、そんな新しい方針を掲げた活動を開始した。運営団体である救済会の事務所で四日に記者会見を行い、大きな転換点であることを強調。昨年完成した宮腰千葉太講堂を有効に活用して、月々の活動費支援をしてくれる地域協力員組織を再編成するきっかけにしたいとの抱負が説明された。 昨年の伯国社会における六十歳以上の人口は八%のみだが、二〇五〇年には三〇%近くなるという統計グラフを見せながら、本田泉理事は「高齢化社会ではいくら施設を増設しても足りない。これからは施設に入らなくて済むような予防医学が重要になる。五十周年で建設した宮腰講堂は、そのための拠点として活用する」と説明した。続けて、「まずは日系企業や団体に、憩の園を気軽に見に来て欲しい」と呼びかけた。憩の園には約八十八人が入園しているが、うち約七十人が要介護。残りが自立者だ。特に要介護者向け施設は常に満員。吉安園子理事によれば「毎年四百人から五百人の入居希望者が相談にくるが、まったく応えられない状態」という。施設改築を繰り返すたびに特養施設を増設して職員も増やし、福祉施設の理想ともいえる園生一人に一職員の体制を築いてきた。園生の平均年齢は八十六歳。職員の一人は「他のブラジルの施設では一週間に一人、入寮者が亡くなるところもあるが、憩の園は長期入園者が多いので空きが少ない」と説明した。施設運営費の半額以上は寄付や慈善バザーなどのイベント収入でまかなっており、固定収入である入居者の寮費は三八%、協力員の会費は一五%に過ぎない。今後の安定運営を考えた時、固定収入である協力員の会費収入を増やすことが最大の悲願だ。この協力員は八六年頃が最も多く、八千二百四十四人を数えた。その後、協力員の高齢化、デカセギなどにより激減、九八年には二千三百四十一人、昨年には一千人を切る状態になっている。支援の目標額に関し、吉岡黎明会長は「月々最低給分の支援をしてくれる協力員二百六十三人の企業・個人を求めている」という。一最低給分を十五人で割れば月々三十一レアル、二十三人で割れば二十レアルとなり、そのような形に取りまとめてもらい、支援を受けることも可能。本田理事は「運営費を援助するという発想でなく、予防医学を実行するための投資として支援して欲しい」と強調する。吉安理事は「宮腰講堂を使って、昨年来られた日野原重明先生の『新老人の会』と連動した活動を展開していきたい」と語り、伝統ある福祉施設が始めた新しい考え方に理解を求めた。訪問希望者は憩の園事務所(11・3208・7248、3209・0215)まで連絡を。
Dia: 11 de fevereiro de 2009
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け ブラジル北海道協会(木下利雄会長)は十五日午前十時(第二次招集)から同会館(ジョアキン・タボラ街605)で二〇〇九年度定期総会を開く。主な議題は〇八年度事業・会計報告および〇九年度事業計画・予算案審議、役員改選など。総会終了後、親睦昼食会を催す。問合わせは同会(11・5084・6422)まで。
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け 沖縄県人会(与儀昭雄会長)は十五日午前十時半(第二次招集)から同会館(トマス・デ・リマ街72)で二〇〇九年度定期総会を開く。主な議題は〇八年度事業・収支報告および〇九年度事業計画・予算案審議、役員改選など。問合わせは同会(11・3106・8823)まで。
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け ブラジル広島文化センター(大西博巳会長)は十五日午前十時(第二次招集)から同会館(タマンダレー街800)で二〇〇九年度定期総会を開く。主な議題は〇八年度事業・会計報告および〇九年度事業計画・予算案審議、役員改選など。総会終了後、新年会を催す。問合わせは同会(11・3207・5476)まで。
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け 福島、茨城、福井、和歌山、島根、熊本の各県人会は〇九年度定期総会で役員改選を行い、新役員を選出した。各会新役員の氏名は次の通り。▼【福島】会長=小島友四郎、副会長=(第一)大竹輝和、(第二)遠藤勝久、(第三)秋元たかお、(第四)木村カチア▼【茨城】会長=小林操、副会長(第一)黒沢儀人、(第二)鈴木康夫▼【福井】会長=志田茂夫、副会長=石津黎子、西川修治、佐々木則一、会計=川崎省三、野中エリザ、書記=柴田イナシオ、西村純子▼【島根】会長=古田川英雄、副会長=浜野稔、福間エジソン、池田好史、会計監査=宮村径行、馬庭得夫、福島パウロ▼【和歌山】木原好規会長以下、全役員留任▼【熊本】小山田祥雄会長以下、全役員留任
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け 二百年以上前に製作されたと思われる三線(沖縄三味線)がこのほど、沖縄県人会の調査により見つかった。初期の沖縄県人移民がブラジルに持参したもの。県人会資料の記述から琉球王朝時代の作と見られ、本物なら貴重な発見だ。現在は他の県人子孫が保管するこの三線。夜毎、ひとりでに音色を奏でたとも伝えられている。 きっかけは昨年十一月、「写真で見る県人移民百年史」編纂のため宮城あきら委員長、大城栄子委員たちが昔の資料をあたっていた時、県人会発行の会報「協和」五十四号(一九六六年五月)に一つの文章を発見したことに始まる。協和婦人会第三代会長を務めた故新城スエ子さんが、「霊魂は生き通し」と題した文章の中で自宅にある「不思議な三線」について書いた一文だ。そこには、県人移民の親川徳太郎氏(故人)の家に代々伝わり、同氏が渡伯時に持参したその三線が、琉球王国時代の名音楽家、知念績高(一七六一~一八二八年)の愛用したものであると記されていた。文章にはまた、移住後の生活の中で親川氏が三線を他人に譲ったところ、ある夜袋の中でひとりでに鳴り出し、再び親川氏のもとへ戻ったこと。別の友人に譲ると同じ事が起き、再び手元へ戻った逸話などがつづられている。スエ子さんの夫は、野村流古典音楽保存会ブラジル支部の初代会長を務めた故新城清助氏。三線は親川氏の死後、夫妻が夫人のマカトさんから譲り受けた。「今も三味線箱の中に静かに保管されてあります」という一文から、宮城さんらは調査を開始。親川氏が一九一八年に移住したことや、聖市在住の二男、秀夫さん(83)が保管していることが分かった。三線の棹は八重山クルチ(黒木)で、白い年輪の模様(ウジラミー)が入っている。知念績高が生きた時代から見て、二百~二百五十年ほど前のものと見られるという。宮城さんや県人会関係者、三線師範で製作も手がける知花眞勲さんらも秀夫さん宅を訪れ、存在を確認した。知花さんは、三線を取り出した際、箱の上に置いて両手を合わせたという。宮城さんは「漆を塗っていないように見え、クルチ自体の色彩に息を飲む思いがした」と振り返る。材質や光沢、加工などの点を見た結果、専門家の鑑定を受ける条件を備えていると判断したという。今月五日には、県人会館で古典音楽関係者向けの鑑賞会が開かれ、新城家からも四男パウロ氏のヨシコ夫人が出席した。底光りする棹に一人一人が感心した様子を見せ、その日演奏した関係者は皆、神妙な面持ちで音色を確かめていた。与儀昭雄県人会長は、「持参した家族や、これまで関わってきた人たちにとって重要な三線だったでしょう。それだけでも大切なものだと思う」と話した。県人会では三月一日に開く「三線の日」芸能祭で一般向けに披露するほか、今後はブラジル国内に残る歴史的な三線の所在確認を進めていく考えだ。百年から百五十年程度の三線は現時点で七、八丁あることがわかっているという。
2009年2月28日(土) 県人会館 一次召集 10時00分 二次召集 10時30分 議題 2008年度事業報告 2008年度決算報告 2009年度予算審議 2009年度事業計画審議 役員改選 そのほか 終了後新年会 会費r$10,00
2009年2月15日 難波会館 一次召集 13時30分 二次召集 14時00分 議題 2008年度事業及び会計報告 2009年度事業計画 他
