ニッケイ新聞 2009年3月24日付け 滋賀県人会(山田康夫会長)の二〇〇九年度定期総会が二十二日午前に聖市の会館で開かれた。総会後は今年も、滋賀県から来伯中の県サッカー中学選抜チーム一行の歓迎会が開かれ、親睦を深めた。昨年は三月に県選抜少年サッカーチーム、六月に海上自衛隊練習艦隊の県出身者、七月には母県の教育使節団などを迎えた同会。九月には同県日野町とエンブー市の姉妹提携二十五周年、移民百周年を祝うため、同町から副町長らが来伯したほか、十月には会員・有志により県人会創立五十周年式典を開催した。収支は収入約十三万八千レアル、支出約十三万レアルで、約七千八百レアルを繰越し。今年度予算は約七万二千八百レアルで、いずれも承認された。総会後、正午から県選抜少年サッカーチーム(十四歳以下)の歓迎会が開かれた。今年は十四歳の選手十七人、指導者二人の十九人が来伯。二十三日から行なわれるアルモニア学園主催の日伯ユースサッカー選手権「第十四回JALカップ」に参加するほか、三十日までの滞在中、ブラジルでのトレーニング、試合観戦などを経験する。同大会ではコリンチャンスやサンパウロなど四チームと対戦する予定。キャプテンの森祐介さんは、「ブラジルはサッカーの先進国だけど、負けに来たわけじゃないので、勝ちに行きたい。いろいろ学んでテクニックを磨きたい」と話す。団長代行の石田明生さん(大津市立北大路中学サッカー部顧問)は、「去年は一点も取れなかったので、今年は勝ち負けではなく点数を取りに行きたい」と抱負を語るとともに、「能力の高いブラジルの選手に技術がどれだけ通じるか、子供たちに意識してほしい」と期待を表わした。母県からの少年サッカーチーム来伯は二〇〇一年から始まり、今回で八回目。同県人会では毎回、総会とあわせて歓迎会を開いている。山田会長は、「子供たちにとっても外国を知るのはいい事。将来の交流にもいいと思う」と話す。歓迎会では食事を囲んで親睦を深めたほか、選手一人一人が自己紹介をし、それぞれ手品やリフティングなどの余興を披露。最後は全員で君が代を歌って和気藹々とした雰囲気のうちに終了した。
Dia: 20 de março de 2009
足裏には身体の臓器や部位のツボが集中している。刺激して痛いところは、その臓器や部位が弱っているところ。毎週金曜日、聖市内のある県人会館の一室で、二人の女性が足裏マッサージを無料で奉仕している。腕は確かで、膝が悪く杖が無ければ歩行困難な人がマッサージを受けて帰るときは杖を忘れるほどで、「杖忘れ足裏マッサージ」とも言われている。噂を聞いて回を重ねるごとに希望者が増えている。 聖市リベルダーデ区の宮城県人会会館二階(ファグンデス街一五二番)で足裏ツボ・マッサージを施術してくれる。 マッサージはベッドを使用せず、患者と対面で椅子に座り、二人は膝の上にタオルを広げ患者はそこに素足を乗せる。 使用するのはツボを刺激する小さな金型の器具と指だけ。しかし、足臭が凄い人もいて、消臭用の香水や治療後足につけてマッサージする乳液など全て二人の負担。見かねた患者からの薦めで、最近は会場に寸志箱が置かれるようにななった。 来場者は圧倒的に高齢の女性が多く、ツボを刺激され良い気分で二人に嫁の悪口をこぼすし、身体も精神もリラックス、晴れ晴れとして家路につく。 谷口、鈴木の二人は「足ツボマッサージは何回も通って効果が出る」と薦める。
子どもたちに樹を植える楽しみを 『京都ブラジル友好の森』造成 ベレン日本の有志、地元の児童と共同で「世界の子供たちに木を植える楽しみを体験させたい」―。 今月十一日、パラー州ベレン近郊のサンタ・バーバラで「京都ブラジル友好の森」創生の植林活動が行なわれ、日本からの有志二十二人と地元小学生ら約二百二十人が集まり、その大切さを共感しあった。 樹木40種類、1300本を植樹 教育に生かしたい森と人間の共生 同プロジェクトは、中国やボルネオなどアジア諸国で植林活動を実践する「NGO緑の協力隊・関西澤井隊」代表である澤井敏郎さん(七七、京都府出身)が、移民百周年と同隊創立十周年を記念して提唱。今回、ブラジルの在来種四十種類約千三百本を植え、「森づくり」を実践していく。 澤井さんは、「砂漠緑化の父」と言われた故・遠山正瑛氏(三年前に九十七歳で死去)らとともに中国での砂漠緑化運動を推進。九九年に同隊を創設し、中国・内モンゴルの砂漠地帯をはじめ、北ボルネオの熱帯雨林地帯での植林を通じて、自然林が激減している現状を目の当たりにしてきたという。 「砂漠地帯と言っても、不毛の砂漠ではなく、かつては緑の大地だったのです。砂漠が地下水の蒸発を防いでいることは一般にはあまり知られていません。また、熱帯雨林でも一回伐採すれば回復するのに相当な時間がかかります。大切なのは人間が木を植え、少しでも自然に手を貸すことなのです」と澤井さんは、植林の重要性を強調する。 十一日午前、サンタ・バーバラの育苗センター内の一ヘクタールの土地で行なわれた記念植樹には、日本から参加した同隊の有志と地元の三つの小学校から合わせて約二百二十人が参加。イペー、パリカ、ビローラなど在来種四十種三千本の植樹予定のところ、この日は約千三百本を植えたという。 また、地元NGOメンバーが子供たちへの環境教育の一環として、植樹の合間に「森の劇」を披露。森の妖精に扮したボランティアたちが、種を蒔いて緑を増やすことの大切さを身をもって表現した。 「京都ブラジル友好の森」が成育するまで、澤井さんは数年ごとにブラジルを訪問する考えを示しており、今後の苗木の管理は、地元のASFLORA(アマゾン森林友の会」が実施していく。 同隊の工藤香代子副代表は、「今回一緒に木を植えた子供たちが、森を大切にするという思いを持って生きてほしい」との願いを込めた。 また、隊員の池上禎一さん(六九、京都府出身)は、「(地元NGOグループの)劇を見て、森と人間との共生が子供の教育につながると実感した」と話していた。 澤井さんは、「植林を通じて、その国の文化を知り、世界の子供たちに木を植える楽しみを体験してもらうことができれば」と、今後も植樹活動を続けていく考えだ。 同隊は十一日の植樹以外に、マナウス、ベレン、リオ、イグアスーなどの観光視察も行ない、十六日夜帰国した。
ニッケイ新聞 2009年3月20日付け 戦前戦後を通し、数多くの移民が渡伯前の思い出深いひと時を過ごした神戸市の旧神戸移住センター。同施設を「神戸市立『海外移住と文化の交流センター』」として改修・整備する事業が進められており、同事業の協力委員会(委員長=西村正日伯協会会長)はブラジルの日系人に募金への協力を呼びかけており、ポ語サイト(www. kobe.org.br)も立ち上げている。トップページには大口寄付者が写真入りで掲載され、協力団体と問い合わせ先、銀行振込による寄付のやり方などが詳細に説明されている。詳しくは同サイトまで。個人一口五十レアル(法人会員は一口百レアル)から寄付を受け付けている。寄付者の氏名は落成後の建物内に記銘される。寄付をした人は、振込み後に氏名を電話またはファックス、メールで各団体まで知らせてほしいと呼びかけている。 【県連口座】BANCO DO BRASIL,Banco Nr.:001, Agencia:1196-7, Conta Corrente :27.458-5, CNPJ:46.568.895/0001-66, Nome da Conta :KENREN –...
ニッケイ新聞 2009年3月20日付け 県連が主催する第三十二回ふるさと巡りが九月十六日から六日間、二十一日まで開催されるにあたり、参加者を募集している。今回はアマゾン入植八十周年を記念して企画され、式典参加を中心に十六日にトメ・アスー、十八日にベレン、二十日にマナウスを訪問する。これ以外にマナウスでは、ネグロ川とソリモエンス川が合流し大アマゾン川となる合流地点への観光もある。旅行代金は、二人部屋が約三千四十レアル、一人部屋が三千七百五十八レアルだが、飛行機の便によって値段が変わることがある。残席僅少。問い合わせ申し込みはグローバル・サービス(11・3572・8990)まで。
ニッケイ新聞 2009年3月20日付け 「あの炊き込みご飯を作ったのは保科さんだと聞いてきました。あの味は、三重県ではないですか。私が作るのと同じ味がします」会館の裏方で、第一次入植者の保科静江さんを取材していると、一行の多川富美子さん(72、三重)が息せき切ってやってきて、驚いた様子でそう尋ねた。交流会の昼食では、サンタクルース日伯農村協会婦人部の美味しい手料理がふるまわれ、みなが舌鼓をうっていた時だ。すると保科さんは、最初きょとんとした様子だったが、「ああ、私の母が三重県です。あの味は母から教わって、娘に伝えたものです」と答えた。合点がいった多川さんは感激した面持ちで、「郷土の味がしっかり伝わっている」といって、固く保科さんの手を握った。多川さんのふるさと巡り参加回数は二番目、二十六回を数える。こんな出会いがあるから続くのだろう。保科さんは家族と共に二歳半で渡伯、十五歳で同植民地に入植した。ここで結婚し、子供を育てた。その間、サンタクルース植民地の主作物も変遷した。戦後はバナナ栽培が盛んになったが、毎年三月ごろに水害に見舞われたことから、今ではココ椰子やアイピン(マンジョッカ)などに変わってきている。初入植から数年間に三十家族が入ったが、今も残っているのは十四~十五家族だという。同農村協会には七十会員がいるが、中心になって活動しているのは十家族ぐらいだという。保科さんは「みんな、子供を最高学府にやったのが誇り。子供たちは活躍している。苦労はしたけど、今は幸せです」と胸を張る。もう一人の第一次入植者の渡辺一喜さんは、最初に仏式法要をしたイタグアイの文化クラブの会長でもある。そちらは二年遅れた一九四〇年に開発が始まった。渡辺さんによれば、勝ち負けのゴタゴタを避けてサンパウロから、リオの町中で商売をやっていて立ち退き命令を受けた人なども集まり、戦中戦後合わせて百家族ぐらいが入植した。現在イタグアイには三百五十日系家族が住んでいるが一世は十人ほどしかおらず、三百人はデカセギにいっている。文化クラブの活動はゲートボールのみになってしまい、同会館はブラジル人に貸している。二〇〇〇年には第十八回全伯GB親善大会を開催した。州唯一の公式野球場を有する(『リオ州百年史』二百九頁)が、一行が訪れた時カンポは草ぼうぼうで、栄枯盛衰の理をおもわせる光景だった。一九四〇年頃、近隣のピラネーマにも日本人が三十家族入ったという。『リオ州百年史』には、「一九九〇年代初頭までブラジル一番のオクラ生産地となった」とある。この三つの植民地が一塊を形成する。交流会の最後に、恒例の「ふるさと」を全員で合唱、地元の人と抱き合って別れを惜しむ姿も見られた。一行はバスに戻り、一路、リオ市街へ向かった。第十九回からずっと参加しているという有馬照江さん(82、長野)は「ふるさと巡りは普通の観光旅行とは違って、とても興味深いものが見られる」と語り、熱心に地元の人と交流していた。参加者の新川一男さん(74、広島)も、「独裁政権当時のヴァルガス大統領が、コチアに頼んで日本人に野菜を作らせたという話には感動した。コロニアの秘話だよ」と感慨深げに感想をのべた。(つづく、深沢正雪記者)写真=保科静江さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2009rensai-fukasawa2.html
第一回東北・北海道祭り(内田マルコス実行委員長)が、同ブロックの青年部主催により十五日午前十一時から聖市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催された。会場は一時期、席に座れないほどの超満員となり、盛況を博した。 同イベントは、「ブロックの会員だけで楽しむのでなく、もっと開かれた祭りにしたい」と青年部が主体となり、五、六年ほど前から温めていた考えを実践。東北・北海道ブロック各県人会の郷土食と郷土芸能が披露された。 会場には各県の郷土品が展示されたほか、長さ四、五メートルほどある鯉のぼりも飾られ、祭りの雰囲気を盛り上げていた。 午前十一時半の時点でほぼ会場は満員となり、舞台上では正午から山形県人会の舞踊「灘の酒つくり」、「花笠音頭」を皮切りに、津軽三味線(青森)、新相馬節(秋田)、白虎隊(福島)、よさこい・ソーラン(北海道)、民謡(岩手、宮城)といった各種伝統芸能が披露。会場外では、夏の蒸し暑さが増す中、青年部と婦人部が協力し、大汗をかきながらの郷土料理づくりに懸命の様子だった。 会場を訪れた六十代の日本人男性(北海道出身)は、「(郷土食の)器が小さく、これなら他の料理もたくさん食べることができる」と感心していた。 郷土名物の「玉こんにゃく」を販売していた山形県人会の婦人部からは「毎年この時期は運動会をやってきましたが、特に昨年は連休が重なったこともあり、参加者が少なかったです。このような(ミニ郷土食)形式でのイベントの方が、たくさんの方にも来てもらうことができ、面白いです」との率直な意見が聞かれた。 また、岩手県人会の千田曠暁会長は「はじめはどうなるかと心配でしたが、若い人たちは行動力がありますね。ブロック内だけで集まるより、かえってこうした方が親睦が深まりそうですね」と満足した表情を浮かべ、若者たちの動きを見守っていた。
