06/03/2026

Mês: março 2009

足裏には身体の臓器や部位のツボが集中している。刺激して痛いところは、その臓器や部位が弱っているところ。毎週金曜日、聖市内のある県人会館の一室で、二人の女性が足裏マッサージを無料で奉仕している。腕は確かで、膝が悪く杖が無ければ歩行困難な人がマッサージを受けて帰るときは杖を忘れるほどで、「杖忘れ足裏マッサージ」とも言われている。噂を聞いて回を重ねるごとに希望者が増えている。 聖市リベルダーデ区の宮城県人会会館二階(ファグンデス街一五二番)で足裏ツボ・マッサージを施術してくれる。 マッサージはベッドを使用せず、患者と対面で椅子に座り、二人は膝の上にタオルを広げ患者はそこに素足を乗せる。 使用するのはツボを刺激する小さな金型の器具と指だけ。しかし、足臭が凄い人もいて、消臭用の香水や治療後足につけてマッサージする乳液など全て二人の負担。見かねた患者からの薦めで、最近は会場に寸志箱が置かれるようにななった。 来場者は圧倒的に高齢の女性が多く、ツボを刺激され良い気分で二人に嫁の悪口をこぼすし、身体も精神もリラックス、晴れ晴れとして家路につく。 谷口、鈴木の二人は「足ツボマッサージは何回も通って効果が出る」と薦める。
子どもたちに樹を植える楽しみを 『京都ブラジル友好の森』造成 ベレン日本の有志、地元の児童と共同で「世界の子供たちに木を植える楽しみを体験させたい」―。 今月十一日、パラー州ベレン近郊のサンタ・バーバラで「京都ブラジル友好の森」創生の植林活動が行なわれ、日本からの有志二十二人と地元小学生ら約二百二十人が集まり、その大切さを共感しあった。 樹木40種類、1300本を植樹 教育に生かしたい森と人間の共生 同プロジェクトは、中国やボルネオなどアジア諸国で植林活動を実践する「NGO緑の協力隊・関西澤井隊」代表である澤井敏郎さん(七七、京都府出身)が、移民百周年と同隊創立十周年を記念して提唱。今回、ブラジルの在来種四十種類約千三百本を植え、「森づくり」を実践していく。 澤井さんは、「砂漠緑化の父」と言われた故・遠山正瑛氏(三年前に九十七歳で死去)らとともに中国での砂漠緑化運動を推進。九九年に同隊を創設し、中国・内モンゴルの砂漠地帯をはじめ、北ボルネオの熱帯雨林地帯での植林を通じて、自然林が激減している現状を目の当たりにしてきたという。 「砂漠地帯と言っても、不毛の砂漠ではなく、かつては緑の大地だったのです。砂漠が地下水の蒸発を防いでいることは一般にはあまり知られていません。また、熱帯雨林でも一回伐採すれば回復するのに相当な時間がかかります。大切なのは人間が木を植え、少しでも自然に手を貸すことなのです」と澤井さんは、植林の重要性を強調する。 十一日午前、サンタ・バーバラの育苗センター内の一ヘクタールの土地で行なわれた記念植樹には、日本から参加した同隊の有志と地元の三つの小学校から合わせて約二百二十人が参加。イペー、パリカ、ビローラなど在来種四十種三千本の植樹予定のところ、この日は約千三百本を植えたという。 また、地元NGOメンバーが子供たちへの環境教育の一環として、植樹の合間に「森の劇」を披露。森の妖精に扮したボランティアたちが、種を蒔いて緑を増やすことの大切さを身をもって表現した。 「京都ブラジル友好の森」が成育するまで、澤井さんは数年ごとにブラジルを訪問する考えを示しており、今後の苗木の管理は、地元のASFLORA(アマゾン森林友の会」が実施していく。 同隊の工藤香代子副代表は、「今回一緒に木を植えた子供たちが、森を大切にするという思いを持って生きてほしい」との願いを込めた。 また、隊員の池上禎一さん(六九、京都府出身)は、「(地元NGOグループの)劇を見て、森と人間との共生が子供の教育につながると実感した」と話していた。 澤井さんは、「植林を通じて、その国の文化を知り、世界の子供たちに木を植える楽しみを体験してもらうことができれば」と、今後も植樹活動を続けていく考えだ。 同隊は十一日の植樹以外に、マナウス、ベレン、リオ、イグアスーなどの観光視察も行ない、十六日夜帰国した。
ニッケイ新聞 2009年3月20日付け 戦前戦後を通し、数多くの移民が渡伯前の思い出深いひと時を過ごした神戸市の旧神戸移住センター。同施設を「神戸市立『海外移住と文化の交流センター』」として改修・整備する事業が進められており、同事業の協力委員会(委員長=西村正日伯協会会長)はブラジルの日系人に募金への協力を呼びかけており、ポ語サイト(www. kobe.org.br)も立ち上げている。トップページには大口寄付者が写真入りで掲載され、協力団体と問い合わせ先、銀行振込による寄付のやり方などが詳細に説明されている。詳しくは同サイトまで。個人一口五十レアル(法人会員は一口百レアル)から寄付を受け付けている。寄付者の氏名は落成後の建物内に記銘される。寄付をした人は、振込み後に氏名を電話またはファックス、メールで各団体まで知らせてほしいと呼びかけている。 【県連口座】BANCO DO BRASIL,Banco Nr.:001, Agencia:1196-7, Conta Corrente :27.458-5, CNPJ:46.568.895/0001-66, Nome da Conta :KENREN –...
ニッケイ新聞 2009年3月20日付け 県連が主催する第三十二回ふるさと巡りが九月十六日から六日間、二十一日まで開催されるにあたり、参加者を募集している。今回はアマゾン入植八十周年を記念して企画され、式典参加を中心に十六日にトメ・アスー、十八日にベレン、二十日にマナウスを訪問する。これ以外にマナウスでは、ネグロ川とソリモエンス川が合流し大アマゾン川となる合流地点への観光もある。旅行代金は、二人部屋が約三千四十レアル、一人部屋が三千七百五十八レアルだが、飛行機の便によって値段が変わることがある。残席僅少。問い合わせ申し込みはグローバル・サービス(11・3572・8990)まで。
ニッケイ新聞 2009年3月20日付け 「あの炊き込みご飯を作ったのは保科さんだと聞いてきました。あの味は、三重県ではないですか。私が作るのと同じ味がします」会館の裏方で、第一次入植者の保科静江さんを取材していると、一行の多川富美子さん(72、三重)が息せき切ってやってきて、驚いた様子でそう尋ねた。交流会の昼食では、サンタクルース日伯農村協会婦人部の美味しい手料理がふるまわれ、みなが舌鼓をうっていた時だ。すると保科さんは、最初きょとんとした様子だったが、「ああ、私の母が三重県です。あの味は母から教わって、娘に伝えたものです」と答えた。合点がいった多川さんは感激した面持ちで、「郷土の味がしっかり伝わっている」といって、固く保科さんの手を握った。多川さんのふるさと巡り参加回数は二番目、二十六回を数える。こんな出会いがあるから続くのだろう。保科さんは家族と共に二歳半で渡伯、十五歳で同植民地に入植した。ここで結婚し、子供を育てた。その間、サンタクルース植民地の主作物も変遷した。戦後はバナナ栽培が盛んになったが、毎年三月ごろに水害に見舞われたことから、今ではココ椰子やアイピン(マンジョッカ)などに変わってきている。初入植から数年間に三十家族が入ったが、今も残っているのは十四~十五家族だという。同農村協会には七十会員がいるが、中心になって活動しているのは十家族ぐらいだという。保科さんは「みんな、子供を最高学府にやったのが誇り。子供たちは活躍している。苦労はしたけど、今は幸せです」と胸を張る。もう一人の第一次入植者の渡辺一喜さんは、最初に仏式法要をしたイタグアイの文化クラブの会長でもある。そちらは二年遅れた一九四〇年に開発が始まった。渡辺さんによれば、勝ち負けのゴタゴタを避けてサンパウロから、リオの町中で商売をやっていて立ち退き命令を受けた人なども集まり、戦中戦後合わせて百家族ぐらいが入植した。現在イタグアイには三百五十日系家族が住んでいるが一世は十人ほどしかおらず、三百人はデカセギにいっている。文化クラブの活動はゲートボールのみになってしまい、同会館はブラジル人に貸している。二〇〇〇年には第十八回全伯GB親善大会を開催した。州唯一の公式野球場を有する(『リオ州百年史』二百九頁)が、一行が訪れた時カンポは草ぼうぼうで、栄枯盛衰の理をおもわせる光景だった。一九四〇年頃、近隣のピラネーマにも日本人が三十家族入ったという。『リオ州百年史』には、「一九九〇年代初頭までブラジル一番のオクラ生産地となった」とある。この三つの植民地が一塊を形成する。交流会の最後に、恒例の「ふるさと」を全員で合唱、地元の人と抱き合って別れを惜しむ姿も見られた。一行はバスに戻り、一路、リオ市街へ向かった。第十九回からずっと参加しているという有馬照江さん(82、長野)は「ふるさと巡りは普通の観光旅行とは違って、とても興味深いものが見られる」と語り、熱心に地元の人と交流していた。参加者の新川一男さん(74、広島)も、「独裁政権当時のヴァルガス大統領が、コチアに頼んで日本人に野菜を作らせたという話には感動した。コロニアの秘話だよ」と感慨深げに感想をのべた。(つづく、深沢正雪記者)写真=保科静江さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2009rensai-fukasawa2.html
第一回東北・北海道祭り(内田マルコス実行委員長)が、同ブロックの青年部主催により十五日午前十一時から聖市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催された。会場は一時期、席に座れないほどの超満員となり、盛況を博した。 同イベントは、「ブロックの会員だけで楽しむのでなく、もっと開かれた祭りにしたい」と青年部が主体となり、五、六年ほど前から温めていた考えを実践。東北・北海道ブロック各県人会の郷土食と郷土芸能が披露された。 会場には各県の郷土品が展示されたほか、長さ四、五メートルほどある鯉のぼりも飾られ、祭りの雰囲気を盛り上げていた。 午前十一時半の時点でほぼ会場は満員となり、舞台上では正午から山形県人会の舞踊「灘の酒つくり」、「花笠音頭」を皮切りに、津軽三味線(青森)、新相馬節(秋田)、白虎隊(福島)、よさこい・ソーラン(北海道)、民謡(岩手、宮城)といった各種伝統芸能が披露。会場外では、夏の蒸し暑さが増す中、青年部と婦人部が協力し、大汗をかきながらの郷土料理づくりに懸命の様子だった。 会場を訪れた六十代の日本人男性(北海道出身)は、「(郷土食の)器が小さく、これなら他の料理もたくさん食べることができる」と感心していた。 郷土名物の「玉こんにゃく」を販売していた山形県人会の婦人部からは「毎年この時期は運動会をやってきましたが、特に昨年は連休が重なったこともあり、参加者が少なかったです。このような(ミニ郷土食)形式でのイベントの方が、たくさんの方にも来てもらうことができ、面白いです」との率直な意見が聞かれた。 また、岩手県人会の千田曠暁会長は「はじめはどうなるかと心配でしたが、若い人たちは行動力がありますね。ブロック内だけで集まるより、かえってこうした方が親睦が深まりそうですね」と満足した表情を浮かべ、若者たちの動きを見守っていた。
ニッケイ新聞 2009年3月19日付け 大阪なにわ会(下平尾哲男会長)は二十九日午前九時から同会館(ドミンゴ・デ・モライス街1581)で第六十二回慈善バザーを催す。午後五時頃まで。年に三回開かれる恒例の同バザー。同会では売上げから年末助け合いに協力するほか、九六年から年に一度、希望の家福祉協会に車椅子二台を寄付している。今回も婦人部による手芸品や協賛業者の各種商品を販売。食堂では寿司、なにわうどん、天ぷら、お汁粉、おはぎなどの料理を販売する。同会婦人部から久保美恵子部長、役員の松原信子さん、桑原妙子さんが案内に訪れ、来場を呼びかけた。問合わせは同会(11・5549・7226)まで。
ニッケイ新聞 2009年3月19日付け ブラジル京都会(杉山エレーナ会長)は二十九日午前十時(第二次招集)から、二〇〇九年度定期総会をレストラン「ニュー美松」(ガルボン・ブエノ街475)で開く。主な議題は〇八年度事業および会計報告、〇九年度事業計画および予算案の審議、役員改選など。終了後、懇親昼食会を催す。詳細は電話11・5011・7245(杉山)または3209・5905(大野)まで。
ニッケイ新聞 2009年3月19日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(与儀昭雄会長)は二十六日午後四時から栃木県人会館(Rua Capitao Cavalcante,56,Vila Mariana)で二〇〇九年度定期総会を開く。主な議題は〇八年の事業および会計報告、〇九年度事業計画・予算案の審議、監事補選出など。
ニッケイ新聞 2009年3月19日付け 鳥取県人会の郷土芸能「しゃんしゃん傘踊り」のグループがブラジリア日系団体の招待を受け、二月十五日に同地で開かれた日本舞踊イベント「日本舞踊民舞」に参加した。ブラジリアから招待を受けたのは、同グループのみ。交流を記念して、聖市のカルモ公園で育てられた桜の苗の植樹も行なわれた。 同イベントはブラジリア老人会(高橋実会長)、ブラジリア日伯文化協会(松永竜雄会長)、直轄区日系協会(Nikkey-DF、梅田寛ヴァルデマール会長)が共催。傘踊りグループがポッソス・デ・カルダスの日本週間に出演した際にブラジリアの関係者と知り合ったことがきっかけで、今回の招待が実現したという。聖市からは同グループの五十人のほか、本橋幹久県人会長、加藤恵久前会長などが同地を訪問した。一行は十四日に衛星都市タグアチンガに到着後、市内の公園に桜の苗二本を植樹した。この苗はカルモ公園桜植樹委員長などを務めた西谷博・県人会元会長が育てたものだ。同日夜にはタグアチンガ日伯文化協会の会館で交流会が開かれ、傘踊りも披露するなどして親睦を深めた。十五日、本番の「日本舞踊民舞」はキリスト教系社会団体LBVの講堂で開催。全部で三十一の演目のうち、地元日系団体の芸能関係者が十の出し物、傘踊りグループの一行が残り二十一の演目に出演した。傘踊りのほか、日本舞踊やカウボーイダンスなども披露。最後は会場全体で百周年記念曲「海を渡って百周年」を踊り、盛況のうちに閉幕した。本橋幹久県人会長は訪問を振り返り、「たいへん喜ばれ、大成功だった。会としてもブラジリアの人たちとの良き交流ができ、とてもよかった」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年3月19日付け サンタクルース日伯農村協会では昨年九月二十七日、約二百五十人が集まって創立七十周年が祝われた。オザスコ生まれの宮田聖二会長(70、二世)は「昔ここにおった人もサンパウロなどから駆けつけてくれた。とても盛大だったよ。今は記念誌を作ろうと調べているところ」という。『リオ州日本移民百年史』(〇八年、同編纂委員会、二百八頁)には、州最古の植民地は三二年に創立したカショエイラ植民地とあるので、ここは二番目のようだ。第一次入植者の保科静江さん(86、茨城)は、大統領が野菜の出来具合を視察にきた一九三九年九月二十三日を創立記念日としたことから、この日に式典を行ったと説明する。三八年にエスタード・ノーボ(新国家体制)という独裁政権が成立した。当時、大統領といえば絶対的権力者だ。ところが保科さんは、視察に来た大統領を間近にみたが、「普通のおじさんのようでした。全然怖くなかったですよ」と思い出す。一次入植者が到着した日をもって創立記念日とすることが多いが、旧都リオゆえに特別だ。その到着日は実は六月二十三日だった。当時、十五歳だった保科さんは「サンジョアンの前日でしょ。花火がバンバン上がってたのを憶えてます。モジにいた時は、黒人なんて見たことなかったけど、ここは黒人ばっかりでびっくりした。でもよくしてくれましたよ」と微笑む。「トマトだって細長いのしかなかったし、このヘンじゃ、みんな食べ方も知らなかった」。文字通り一からの出発だった。渡辺一喜さんは、第二次大戦開始後も「汽車でリオまで一日に何千箱ものトマトを出荷したよ。それでサンタクルース種のトマトが生まれた」という。保科家も一晩で二百五十箱のトマトを出荷したこともあったという。「サンタクルース種は一喜さんの父、一(はじめ)さんが作り、後に全伯の日系農家に広まった」と証言するように、ここはかつてトマトで有名だった。『ブラジル日本移民八十年史』(同編纂委員会、一九九一年)には、「一九四〇年、コチア組合はリオ州サンタクルース植民地に入植した十数家族の組合員にこの種子を送り、集団的に栽培・出荷させたところ、リオ市場で品質が良好という声価を得て、市場の仲買人にトマト・サンタクルースと呼ばれるようになり、それが今日に引き継がれて『サンタクルース種』となった。そのあと現在に至るまで、各地の熱心な生産者、産業組合、種子業者らが、このサンタクルースから選抜抜種しているものが多く、有名なものだけで二十数品種に及ぶ」(二百九十八頁)との記述がある。保科さんは「ヴァルガス大統領のおかげで、戦争中もサンタクルースの日本人には、暴力とかまったくなかった」という。「唯一の迫害らしい迫害といえば、戦争中に日本語の本を取り上げられて焼かれたこと。それだけ」と振り返る。公の場で日語をしゃべっただけで連行された聖市とは大違いだ。『リオ州百年史』によれば、当時イタグアイの警察は「『万が一危害を加える者が居たらすぐに連絡しなさい、徹底して逮捕するから。だから、安心してたくさん野菜を作って、ブラジルのために食を供給したまえ』と、敵性国人である日本人にたいして、本末転倒とも言える待遇を与えていた」(二百十七頁)との体験談が書かれている。大統領肝いり植民地ゆえに、戦争中の待遇も他とはまったく違うものだったようだ。(つづく、深沢正雪記者)写真=左側の2人目から順に渡辺三吉さん、保科静江さん、渡辺一喜さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2009rensai-fukasawa2.html
ニッケイ新聞 2009年3月18日付け 岐阜県人会(山田彦次会長)は二十二日午前十時半から同会館(ブエノ・デ・アンドラーデ街446)で恒例のヤキソバ会を開く。ヤキソバは十レアル。午後二時ごろまで開催する予定。問合わせは同会(11・3209・8073)まで。
ニッケイ新聞 2009年3月18日付け すがすがしい朝の空気の中、聖州との境にあるリオ州イタグアイ市のレストランで朝食をとった時、聖市在住の浜口洋さん(64、三重)は「渡伯して最初の二十年間リオに住んでいました。ここは私のふるさとです」とテレブラス勤務時代を感慨深げに振り返った。第三十一回県連ふるさと巡りの一行は前日、六日夜十一時半に聖市リベルダーデ広場を出発していた。今回はリオ・デ・ジャネイロの四日系団体とモジ市のイタペチ植民地の計五カ所をまわる旅だ。普段はそれほど交流がひんぱんではないが、首都だったこともあり、リオは日本移民とゆかりの深い場所だ。今回の旅はそれを確認する良い機会となった。☆    ☆「こんなちっちゃい頃から知ってるわ。十五年ぶりに逢ったら、こんな立派な坊さんになって!」。一行の遠藤良子さん(85、二世)は、最初に仏式法要を行ったイタグアイにある本門佛立宗の法昌寺の責任者、吉川淳省導師(31、二世)を見て、感激した面持ちで駆け寄った。吉川導師はブッフェ・コロニアル創立者の長男として聖市で育った。九年間も訪日修行し、三年前に日本人の妻・恭子さんを連れて帰伯、一年前からここを任されている。「この寺はリオで一番古い寺。今年創立五十周年を迎えます」という。最初に大内修事務局長があいさつし、朗々と読経が響く中、一行は順々に焼香した。長友契蔵団長は与儀昭雄県連会長のメッセージを代読。吉川導師は法話の中で、「創立五十周年のテーマは〃根〃です。移民が苦労して根を張った結果、私たち二世やブラジル人にも日本の文化や信仰が伝わった。さらに次世代にどのように回向や供養の大切さを伝えるかが課題です」とのべた。☆   ☆その後、ふるさと巡り一行はすぐ近くだが、リオ市に所在するサンタクルース日伯農村協会へ移動し、昼食会を兼ねた地元日系人との交流会に参加した。「ゼッツリオ・バルガス大統領がコチアの下元健吉に、日本人を入植させてリオに新鮮な野菜を供給して欲しいと依頼し、一九三八年にこの植民地が生まれました」。第一回入植者の渡辺一喜さん(84、熊本)は、一行を前にそう歴史を語りはじめた。リオが首都だった一九三七年、大統領の意を受けたフェルナンド・コスタ農相がコチア産組に申し込み、下元らが直々に下見に訪れ、土地の肥沃さに目をつけ、トマト生産の可能性を見いだした。翌三八年、要請に応えて、モジやスザノで野菜作りをしていた組合員をさっそく送り込んだ。当時、聖市近郊の野菜は供給過剰気味になっており、条件の良い土地に移りたいという農家も多かった。渡辺さんは「六月に入植した。まだブレジョン(沼地)で、歩いたら膝までぬかるむようなところ。なんとか乾かしてトマト作った。電気もない、水もない、あるのはマラリアだけでした」。生き証人の重みのある言葉に、一行は静かに聞き入った。州政府も浚渫工事で水位を下げる作業を進めていたが、入植当時はまったく間に合わなかった。数年の間に合計三十家族が入植した。翌三九年九月に大統領は植民地を視察にきた。「よくこれだけ立派な野菜作ってくれたと大変喜んで、戦争中でもここの日本人には、とてもよくしてくれた」と振り返る。渡辺家は第一次入植者としてモジからリオに移転してきたが、実はその前、パラー州のアカラ植民地(トメ・アスー)に住んでいた。だから一喜さんの弟、三吉さん(73、二世)はそこで生まれたという。人数こそ少ないが、コロニアに根を張った伝統ある植民地だ。(つづく、深沢正雪記者)写真=イタグアイ市の法昌寺で焼香するふるさと巡り一行 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2009rensai-fukasawa2.html
ニッケイ新聞 2009年3月17日付け 佐賀県人会(吉村幸之会長)は四月五日午前十一時から同会館(パンジア・カロージェラス街108)で恒例の「ヤキソバとビンゴの会」を開く。婦人部が腕をふるうヤキソバは、毎回三百食ほどが売れるという。ビンゴでは各種の商品を用意している。案内に来社した吉村会長、長谷克枝事務局長は、「皆さんお誘い合わせの上、ぜひお出かけください」と呼びかけた。ビンゴ券のついたヤキソバ券は一枚十レアル。当日はその他に春巻、ボーロなども販売される予定。午後四時ごろまで。問合わせは同会(11・3208・7254)。
ニッケイ新聞 2009年3月14日付け   琉球舞踊の玉城流扇寿会斉藤悟道場(斉藤悟代表)による琉球芸能公演「絆~心を結ぶ踊り(KIZUNA:CORACOES UNIDOS PELA DANCA)」が二十二日午後四時から、文協大講堂(サンジョアキン街381)で行なわれる。沖縄の歴史を創作舞踊で表現する二時間半の舞台だ。同道場と沖縄県人会が主催。斉藤代表ほか同道場門弟、レキオス芸能同好会エイサー太鼓、玉城流小太郎会大嶺初枝琉舞道場、日本舞踊の花柳寿美富浩さんと門弟、琉球民謡保存会の米須正教師、歌手の具志恵さんなど約六十人が出演する。舞台は琉球王朝首里城建設のシーンで幕開け。以後二部構成で王朝の歴史から明治時代の沖縄県設置、戦後の占領と本土復帰、そして現代にいたる沖縄の歴史を、創作舞踊と歌で描いていく。「若手のホープである斉藤さんの公演。すぐに委員長を引き受けました」という呉屋春美実行委員長は、「あっという間の二時間半だと思います。全部の場面を見逃さないでほしい」と呼びかける。三世の斉藤さんは〇五年に県費留学生として沖縄県立芸術大学で舞踊を学び、帰国後サンパウロで道場を開設。〇七年には県人会館でおさらい会を開き満員の好評を博した。県人会での芸能公演などに参加・協力する傍ら、今年に入ってからはイビラプエラ日本館でも公演するなど活動の場を広げている。今回の会場はさらに大きな文協大講堂。舞台監修から楽屋裏、出演まで一人数役をこなす斉藤さんは、「二年前のおさらい会から大きなイベントをやりたいと思っていました」と話し、「楽しい舞台にしたい」と意気込みを語った。公演チケットは前売り二十レアル、当日二十五レアル。リベルダーデの沖縄県人会(3106・8823)、県連(3277・8569)、レストラン喜怒哀楽(3207・8569)、HAIKAI(ガルボン・ブエノ街224)、ビラ・カロンのHIKARU Bar & Restaurante(2225・1466)で取り扱っている。(局番11)問合わせは電話11・9273・2357(呉屋)、7337・5273(上原)まで。
三重県人会は、去る二月十五日に定期総会を開き、会長の徳力啓三氏が「若い人に良い形でのバトンタッチをしたい」との思いから任期(二年)半ばで辞任を表明。同二十八日の役員会で改めて承認され、後任には第一副会長だった日系三世の前田ネルソン氏が新会長に就任した。 一年で会長を辞任したことについて徳力氏は、「(昨年一月に)会長就任要請の声がかかった時、二世会長から一世に戻るのは良くないと辞退したが、前会長の身体的問題や県知事が来伯することなどもあり引き受けた。私が一番目標にしてきたのは後継者への早い時期でのバトンタッチで、二年の任期の後に交替したのでは、後継者のやる気を損なうと感じた」と説明した。 同県人会では、定期総会前の同じ二月十五日に臨時総会も開き、一部定款を改正。これまで二十九人必要だった役員シャッパを十三人に減らしたほか、県人関係者および県人子弟以外の一般会員の入会を認める「協賛会員」制度導入などの承認を得たという。 昨年八月、母県から野呂昭彦県知事をはじめとする慶祝団を迎えて行なった県人会創立六十五周年式典で、会員の協力を得ながら一世会長として手腕を振るった徳力氏。「(式典時は)今まで県人会に来ていなかった人たちも、たくさん出席していただいた。この一年間、心置きなく会長職を務めることができた。思い残すことはない」と、さっぱりとした口ぶりで話し、新体制への期待感を示していた。
素晴しく充実した一年間 鹿児島研修生思い出いっぱい胸に帰国 二OO八年度鹿児島研修生として一年間、ブラジルの企業で研修生活を送ってきた研修生四人が、研修生活を終え、六日帰国(うち一人は四月三日)した。 帰国に先立って挨拶に来社した下松八重ひとみ、有島弥生、上甫木久美子、宇住庵真弓さんはそれぞれ研修生活を振り返って次のように感想を述べていた。 ピラール・ド・スール日本語学校教師として務めていた宇住庵さん(広島大学卒業)は「最初は日本とブラジルの生徒たちの授業態度が異なるのに違和感を感じた。日本では授業中の生徒はきちんと、受けるのにブラジルでは、友達同士でお喋りしたり、席を急に立ったりと、落ち着かない。しかし、指導していくうちに、生徒たちも指示に従うようになり、闊達で素直だと思うようになった」と述べた。 日系レストランで働いた上甫木さん(東京外国語大学ポルトガル語科卒業)は「言葉で苦労した。日本料理店だが経営は日本人ではなく、日系ブラジル人。客へのサービスもブラジルが多く、接客に戸惑うことが多かった」。 邦字紙社長秘書を務めた有島さん(鹿児島志學館大学卒業)は「いろいろと日系コロニアの社会のことを知ることが出来た。ありすぎるくらい。旅行もしました」。 同じく邦字紙の社会部記者として活躍した下松八重(歯科専門学校卒業)さんも「日本移民百周年記念の取材に参加出来、また、皇太子殿下のすぐお側近くで取材の機会が持て感激。いろいろと、コロニアの人と大勢、お逢い出来て、楽しい記者生活でした」と充実した研修だった様子。 四人とも異口同音に「ブラジルは素晴らしい。またぜひ来たい」と帰国が名残惜しそうだった。
ニッケイ新聞 2009年3月13日付け 建設中の福祉センターの募金活動を本格的に行っているサンパウロ日伯援護協会(森口イナシオ会長)のもとに、温かい寄付が少しずつ届けられている。十一日午前十時に援協本部で寄付金贈呈式が行われ、老ク連など九団体・個人から計三万レアル以上が手渡された。 今回の寄付は、老人クラブ連合会から二万レ、サンパウロ自閉症療育学級「青空学級」(PIPA)から千レ、コチア青年連絡協議会から二千レ、ビラ・カロン沖縄県人会、同婦人会、同かりゆし老人クラブから計五千レ、永山レストランから二千レ、坂東博之さんから千レ、杓田美代子さんから二百レの合計六団体、三個人。受け取った森口会長は、金融危機で特に企業からの募金が集まらない厳しい状況に触れつつ、「言葉や気持ちが誠にありがたい。コロニアがしっかりした基盤で繋がっていると実感し、家族のような温かさを感じる」と感謝を示した。今月七日の青葉福祉祭りで屋上の食処を担当したPIPAは、売上金全額を寄付。生徒の佐伯ひろしくんと保護者の佐伯春美さん、矢野和美さん、サンドラ・ルシアさんが出席した。「いつもお世話になっているので、ちょっとでも恩返しできたら」と話す矢野さん。福祉祭りでは天ぷらや餃子、焼き鳥、おにぎり、飲物を販売し、生徒らが野菜を切るなど手伝って寄付に貢献したという。老ク連からは五十嵐司、内海博、小坂誠副会長が出席。このたびの寄付は、老ク連がとりまとめている団体保険プラザッキの積み立て金から捻出した。五十嵐副会長は「非常に重要なことなので、お手伝いしなきゃいかんと寄付を決めた。大変な時代にセンター建設の決断をしたことは大変立派」と励ましの言葉を贈った。コチア青年連絡協議会は、新留静会長と永山八郎相談役が出席した。「以前からお世話になっており、心ばかりだがお役に立てれば嬉しい。立派に完成して頂きたい」と新留会長。援協理事でもある永山相談役は、息子らが経営する永山レストラン、坂東博之さん、杓田美代子さんから預かった寄付も一緒に手渡した。ビラ・カロン沖縄県人会からは知花ルイ会長、与那嶺イヴァナ会長補佐、伊波保老人クラブ会長、上原武夫同副会長、長浜清美婦人会長が訪れた。知花会長は「今後もコロニアの中心団体として活躍して欲しい。寄付できて嬉しい」と述べた。坂和三郎副会長は感謝の言葉とともに、「より素晴らしい地域福祉活動をしていきたい。がんばりますのでどうぞよろしくお願いします」と抱負を述べていた。
ニッケイ新聞 2009年3月13日付け ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)は十四日午前十時から同会館(ファグンデス街152)で「二〇〇九年度ブラジル七夕祭り祈願祭」を行なう。同会の発表によれば、今年は主に次の行事を予定している。1)日本移民アマゾン入植八十周年への参加協力、2)第四回サンセバスチョン祭りなどへの参加協力、3)ポルトガル語によるブラジル七夕祭りの小誌作成、4)第三十一回サンパウロ仙台七夕祭りの主催、5)各地の七夕祭り開催指導・協力、6)第二回ブラジル七夕サミット開催。