新潟県人会(柿嶋昭三会長)は文化教養教室として『舞踊講習会』を毎月第二と第四土曜日午後一時から、同県人会会館(聖市アクリマソン区パンジア・カロジェラス街一五三番)で行う。 県人以外の方の入会も受け付けており、舞踊愛好者、初心者の方多数の参加を呼びかけている。 申し込みは同事務局(電話11・3209・5116)の益本ルイザさん。
Dia: 11 de abril de 2009
「若い人たちに、今後も末永く引き継いでもらいたい」―。沖縄県のエイサー太鼓の動きを取り入れた琉球国祭り太鼓(浦崎直秀会主)の創立十周年記念公演「島に戻(むどぅ)てぃ」が、五日午後一時から延々五時間にわたって聖市サンタナ区のアニェンビー・コンベンション・センターで開催され、会場はほぼ満員となる約二千五百人が詰めかけた。 午後一時からの開会式には、与儀昭雄沖縄県人会長、浦崎会主、実行委員長の上原テーリオ氏のほか、ウィリアム・ウー連邦下議、飯星ワルテル同下議、神谷牛太郎市議、羽藤ジョージ市議ら来賓も駆け付けた。 舞台上では、祝いの舞「かぎやで風」を皮切りに、上原実行委員長を含めた十六人の初代メンバーたちも出演した「遊び庭」が披露。エイサー太鼓のみならず、座しながら太鼓を叩く「光史(みつふみ)太鼓」や、吟剣詩舞風の舞いのほか、琉球歌謡バンド「トントンミー」のショーと合わせたエイサー太鼓、よさこい・ソーラン踊りなど、二部構成で実施された。 この日、ブラジルの各支部のみならず、ボリビア、ペルー、アルゼンチン、メキシコなど中南米各国からのメンバーら総勢五百人の門下生たちが出演し、所狭しと舞台上を跳ね回った。 圧巻は、出演者総出で演じた弥勒菩薩を崇める意味があるという「ミルクムナリ」。舞台上だけでなく、会場の通路にも太鼓やパーランクー(小太鼓)を手にした若者たちで溢れ、踊り手と会場が一体となった。 上原実行委員長は、「たくさんの方々の協力を受け、これだけの人たちに集まってもらって涙が出るほど嬉しい。初期のメンバーとも一か月前から練習し、舞台をつとめることができた。琉球国祭り太鼓の流れを、今後も若い人たちに末長く引き継いでもらいたい」と話していた。 舞台の締めくくり「カチャーシー」の後で門下生たち全員と記念写真におさまっていた浦崎会主は、十六人から始まったメンバーが今やブラジルや中南米各地に五百人におよぶ門下生が増えた十年間の歩みを振り返り、関係者への感謝の意を示した上で、十周年記念公演について「悪い気はしないね」と言葉少なながらも充実した表情を見せていた。
和歌山県人会では、日本祭りが始まった当初は、「小鯛寿司」を郷土食として出店していたが、「材料が集まりにくい」ことが原因で「お好み焼き」に変更。 お好み焼きの作り方は、NHKの料理番組を見て覚えたとか。そこから試行錯誤し、日本産の小エビ、山芋を入れて焼き方にもこだわり、自分たちで紅ショウガや特製ソースも作るなど、味にこだわりがある。 「会員が集まってワイワイ楽しんでもらえれば、それで良いんですわ」という木原会長だが、売上、人気ともに年々上昇中。
和歌山県人会(木原好規会長)の会員慰労会が、三月二十九日正午から聖市アクリマソン区にある同県人会館で行なわれ、約七十人が出席した。 慰労会では、日本祭りなどの出店でコロニアでも人気の「関西風お好み焼き」と「ちぎり餅」が振る舞われ、出席した人たちも満足した表情を見せていた。 木原会長によると同慰労会は、毎年イタニャエンへのピクニックを実施した後に会員への感謝の意味を込めて実施している。また、日本祭りでお好み焼きの具となるキャベツ切りをしている婦人部たちの中で、「お好み焼きをほとんど食べたことが無い人がいる」ことから、日頃の地道な活動を労うことが目的だという。 この日は木原会長自ら、お好み焼きの粉を練っての生地づくりを行ない、婦人部、会員たちが一体となって料理に励んだ。 木原会長は「今日はお休みのところ参加下さり、今まで仕事ばかりしてきた人たちにお好み焼きを食べていただきたいと思います。一枚、二枚と言わずにどうぞたくさん食べて、持って帰ってください」と、勧めていた。
県連(与儀昭雄会長)の第四十三回定期総会が、二十六日午後四時から聖市ビラ・マリアーナ区の栃木県人会館で行なわれた。 先没者への黙祷のあと、あいさつに立った与儀会長は昨年一年の多忙な移民百周年を振り返るとともに、世界的な経済危機の中での第十二回日本祭りを心配しながらも「皆さんと一緒に乗り越え、頑張っていきたい」との意気込みを示した。 〇八年度事業報告に続き、〇八年度会計報告では、第十一回日本祭り、昨年十一月開催のオルトフルト・フェスタの会計を含めた総収入が百九十八万四千二百三十二・六九レアル、総支出が百九十二万四千六百六十八・三九レアルで、五万九千五百六十四・三〇レアルが次年度繰越になることが発表、承認された。 〇九年事業計画案では、従来の行事のほか、六月二十一日に初めての県人会対抗マレット・ゴルフが実施されることが決定。〇九年度一般会計の予算案は、前年度(十万三千二百レアル)より増額の十三万四千九百五十レアルで承認された。 監査役の選挙では、補充監査が繰りあがって正監査となり、補充監査三人の無記名投票選挙の結果、新しく三人が決定した。〇九年、一〇年監査役は次の通り(敬称略)。 正監査=尾西貞夫(兵庫)、豊田瑠美(愛知)、原島義弘(千葉)。補充監査=大西博己(広島)、南アゴスチーニョ俊男(福岡)、有北ジョルジ(奈良)。 今年の第十二回日本祭りのテーマは「環境」に決定。与儀会長は「経済的に厳しいが、これまでのスポンサーが断っているところは無い」とし、「できる限り早く物事を決めていきたい」と話していた。 なお、定款改正については、現在内容の最終チェックが行なわれており、改めて臨時総会が開かれ、審議される。
ニッケイ新聞 2009年4月10日付け ブラジル岩手県人会(千田曠曉会長)は今年もリオ・デ・ジャネイロ観光を兼ねた「杉村濬公使の墓参旅行」を五月十五日から十七日まで行うにあたり、参加者を募集している。杉村公使は岩手県出身で日本移民の導入に貢献、駐伯三代目日本公使として活躍し、一九〇六年にリオで死去した。岩手県人会が中心となって昨年、会創立五十周年と日本移民百周年の記念事業としてリオ市の同公使墓碑を改修落成した。旅行では墓参のほかポン・デ・アスーカルやコルコバードを見学。また今年初めて、同公使の公邸跡を訪ねる予定だ。十五日午後十一時にリベルダーデを出発、十七日午後八時頃に帰聖予定。ホテル、バス、見学費用込みで一人三百二十レアル。満員になり次第受付け締切り。申し込みは同会事務局(11・3207・2383)まで。
ニッケイ新聞 2009年4月10日付け 沖縄の伝統芸能として盛んなエイサー太鼓団体「琉球國祭り太鼓」(浦崎直秀代表)が発足十周年を祝い、五日、聖市のアニェンビー国際会議場で記念公演「島に戻(むどぅ)てい」を開いた。ブラジル、中南米各国から五百人が出演。二千五百人収容の会場はほぼ埋まり、割れんばかりの拍手が送られた。一九九〇年代初め、十六人だったメンバーは今、全伯各地に六百人。舞台で生徒、家族から祝福を受け、浦崎代表は目頭を押さえた。沖縄でお盆に祖先の霊を迎える踊りとして伝わってきたエイサー太鼓。ブラジルでは九一年に母県を訪問した県系子弟らを中心に始まり、当時座って叩く「光史太鼓」の道場を開いていた浦崎さんが指導者に。九八年七月に母県のブラジル支部として活動を始め、今年十一年目を迎える。十六人から始まったブラジルのエイサー太鼓。現在は国内各地に約六百人の生徒を数えるほどに成長した。大太鼓と片手で持つ締め太鼓、一糸乱れぬ踊りが一体となったパフォーマンスは、日系、沖縄系のイベントでもすっかりおなじみだ。記念公演には聖市を中心にブラジリア、カンポ・グランデ、クリチーバ、ロンドリーナなど国内各地、またメキシコ、ペルー、ボリビア、アルゼンチンなど中南米各国からも駆けつけ、約五百人が出演した。二千五百人収容の会場はほぼ満員の盛況。ひ孫が出演しているという百五歳の上地マツさんや、今年百一歳の花城淑子さんなど高齢者も最前列で舞台を見守った。開会式には与儀昭雄県人会長はじめ、ウィリアン・ウー、飯星ワルテル両連議、聖市議、協賛のレアル銀行などから多数の来賓も訪れ、ウー連議、サンパウロ市議会から浦崎代表に記念プレートが贈られた。琉球舞踊協会の踊り手による古典音楽「かぎやで風」にあわせた太鼓演奏で幕開け。その後も踊り手と太鼓の共演、伝統的なエイサーのほか、沖縄民謡や「島唄」「かりゆしの夜」など現代の曲にあわせ太鼓と踊りが一体となった演目が舞台を彩った。前半、後半の終わりには客席の間に子供たちが並んで演奏し、来場者からは一段と大きな拍手。「光史太鼓」メンバーの若者たちによる演奏や、カンピーナスの獅子舞、県系バンド「トントンミー」の友情出演もあり、盛り上がった。フィナーレに先立って生徒や家族から浦崎夫妻に記念品、花束が贈られ、浦崎さんが目頭を押さえる場面も。五時間におよんだ公演はカチャーシーで盛況のうちに終了した。浦崎代表は現在七十九歳。五七年にボリビアへ移住、六一年からサンパウロに移り現在まで沖縄芝居や太鼓など郷土文化の伝承に携わってきた。満員の会場で、「沖縄の太鼓がよくここまで広がってくれた」と喜びながら、「後の人が忘れないよう大きくしていきたい」とやる気を見せていた。 ■祭り太鼓10周年=最初は「小禄バンド」から=家族3代のメンバーも 琉球國祭り太鼓の先駆けとなったのは、九一年に母県を訪問した小禄村(現那覇市)出身者の子弟たち。初めて本場のエイサーに触れ、浦崎代表を指導者に聖市ビラ・カロンで始まった。名前は「小禄バンド」。初代メンバーは十六人で、当時はビデオなどを見ながら練習していたという。同グループが活動を休止後、エイサーは九四年からビラ・カロンの日語校「おきなわ学園」に引き継がれ、現在に至っている。祭り太鼓十周年の記念公演では、現在のメンバーに混ざって十数年ぶりに太鼓を叩き、会場から大きな拍手が送られた。記念公演実行委員長の上原テーリオさん(41)もその一人。太鼓を叩くのは九一年以来という上原さんによれば、公演に備え一カ月前から練習してきたという。「生徒や先生の見ている前で練習しましたよ。アニェンビーのような大きなところでやるからには『がんばろう』って」。汗だくになりながら「最高です」と笑顔を浮かべる。同じく初代メンバーで、子供、そして今は孫が祭り太鼓をやっているという照屋敏光さん(59)は、「沖縄で見て、ブラジルでもできるんじゃないかと始めた。今まで続いて良かった。これからもブラジルで続いていくといいですね」と話していた。
