07/03/2026

Dia: 9 de junho de 2009

井戸知事ら日伯有志出席して披露式 【東京支社】移民の四割を送り出した神戸移住センターが再整備され、三日、「海外移住と文化の交流センター」(神戸市中央区)として生まれ変わり、そのお披露目が行われた。神戸市では、一九二八年に設置された神戸移住センターの建物を「国内に現存する唯一の移住関連施設」だとして、兵庫県、日伯協会、経済界とともに同建物の保存運動を行い、国土交通省の支援を受け整備工事を行っていた。このほど整備工事が終了し、お披露目の日を迎えた。 移住資料展示室も常設 寄付者氏名の刻字プレートも この日のお披露目では、最初に記念式典が行われ、式典に招待されたブラジル日本都道府県人会連合会(県連)、ブラジル日本文化福祉協会(文協)、ブラジル兵庫県人会など在ブラジル団体の関係者ら移住関係者百五十人が出席した。席上、井戸敏三兵庫県知事、植中進神戸市会議長とともにブラジル側を代表し園田昭憲県連副会長が「移民二百年のスタートの年に開館したことは大変意義深い」と祝辞を述べた。 県連はブラジル国内で同建物整備のために寄付金六万七千レアルを集め海外日系人会館協力委員会に贈っていたが、式典で海外日系人会館協力委員会、西村正委員長(日伯協会理事長)がブラジル側と日本側で集められた合計一千万円の寄付金目録を矢田立郎神戸市長に贈った。 「海外移住と文化の交流センター」に生まれ変わった旧神戸移住センターは、建物はそのままに内外がきれいに清掃整備され、出席者たちは一様に「きれいになった」と喜んでいた。一階の入り口奥には県連が贈った二百六十キロを超える大きな紫水晶が飾られ、日本からの出席者はその見事さに感嘆の声を上げていた。 館内の移住関係資料展示室では、昭和初期の神戸の街並みを、地図・写真・絵葉書で再現してあるほか、移住者が渡航時に持参した荷物や、移住先国で使用した道具類の実物展示、また移民たちが出発前に寝泊まりした室内も再現展示されており、懐かしそうに見入る人もいた。 二階には整備のために寄付した人の名前を刻んだプレートが貼られ、出席者たちは、プレートに刻まれた自分の名前を確認していた。会館には新しくエレベータが取り付けられ、昇降が楽になり、お年寄りでも楽に見学できるようになった。これから神戸移住センターは、移住資料の展示や国際交流の殿堂として活用され、第二の人生を過ごすことになる。 海外移住と文化交流センター歴史 昭和三年(一九二八年)国立移民収容所として開設(後の神戸移住センターの誕生) 昭和七年(一九三二年)神戸移住教養所と改称 昭和十六年(一九四一年)神戸移住教養所を戦時閉鎖 ※戦時中は短期高等海員養成所などとしても使用された。 昭和二十七年(一九五二年)神戸移住斡旋所と改称して再開 昭和三十九年(一九六四年)神戸移住センターと改称 昭和四十六年(一九七一年)神戸移住センター閉鎖、土地・建物を神戸市が買い取る。 昭和四十七年(一九七二年)神戸市立高等看護学院開校...
北海道祭り名物の焼きニシン。昨年売れ残った教訓からか、今年は百尾少ない四百尾を仕入れた。予想を超える人気ぶりで、前売り券を買いながら食べられなかった人もいたよう。海老、イカ、タコなどが入った北海チラシは、昨年より百個多い三百三十個を完売した。かつて、産卵のために北海道に押し寄せたニシンは別名、春告魚(はるつげうお)ともいうが、サンパウロの寒い冬はまだ続きそうだ。
【神戸新聞】「旧神戸移住センター」(神戸市中央区山本通3)を改築した「神戸市立海外移住と文化の交流センター」の開設記念式典があった三日、移住者らが駆け付け、ブラジルなど中南米に船出したころを懐かしんだ。  「当時のつらかったことを思い出す」  同区熊内町一の井上克さん(89)は涙を流しながら、センター玄関の円柱を触った。七十七年前、期待に胸をふくらませてやって来た時も、「立派な建物だなあ」と触った円柱だ。  岡山県出身で、一九三二(昭和七)年、姉の家族ら六人が移住することになり、「ブラジルに行ってみたい」と決意。十三歳だった。センターに約一週間滞在し、移民船で五十六日かけてブラジルに渡った。しかし、たどり着いたのは荒れ地。義兄は移住のための借金を抱えており、生活は困窮の極みだった。「毎日泣きながら、かまぼこを作って売り歩いた」と振り返る。  その後、綿の栽培で成功。一九四六年ごろからは雑貨店を営んでいたが、一九五六年、「母が元気なうちにもう一度会いたい」と帰国した。貿易の仕事をしようと神戸に移り住み、建築会社を営んだ。  懐かしそうにセンターを見学した井上さん。「一人でも多くの人が訪れ、移住者たちの流した涙や汗、苦労を知ってほしい」と話した。  また、サンパウロから駆け付けたブラジル兵庫県人会の尾西貞夫会長(66)は「センターが、日本にいるブラジル人の交流の場になればうれしい」と期待を寄せた。(河尻 悟)
熊本県人会(小山田祥雄会長)は十四日午前十時から、同県人会会館(聖市ビラ・マリアナ区ギマランエス・パッソス通り一四二番)で先亡者追悼供養を仏式で行なう。 参加者は、位牌を持参して出席のこと。 また、同県人会では八月二日午前九時から、熊本県人会芸能祭を行なう。 「日ごろの腕前を披露する機会」と、各支部からの出演を呼びかけている。 申込みは、同県人会事務局(電話11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月9日付け ブラジル北海道協会(木下利雄会長)主催の「第十四回北海道まつり」が、五月三十一日午前十一時から北海道交流センターで盛大に開催された。当日は一階大ホールに机と百八十席分の椅子が並べられ、来場者はニシンの他、焼きイカやハマナス会(婦人部)が作る北海ちらしなど北海道の味に舌鼓。その他、手巻き寿司やいちご大福、あんみつ、ヤクルト林檎、どら焼きなどが販売された。約六百人(主催者発表)が訪れ、家族連れも多く大変な賑わいをみせていた。祭りの名物は北海道から取り寄せた「焼きニシン」。炭火焼きの香ばしいにおいが会場に立ち込める。十一時の開始直後から長い列が出来、午後一時過ぎの完売の時点まで客足が途絶える事はなかった。四百尾のニシンは北海道協会の「おやじ会」(壮年部)と「ひぐま会」(青年部)の面々が煙に燻されながら、一尾三百グラムのニシンを炭火を使い、焦げ目がつくまで丁寧に焼く姿がみられた。ニシンを食べた有村ノリアキさん(45、三世)は「川魚とは違う味で、大きくて美味しかった」と感想を語った。マスクをしながら煙と奮戦していた北野春男さん(40、四世)は「卵も入っているし、中まで火を通すのが難しい」と話す。自らも会場の中を足早に動き回っていた木下会長は「焼きニシンは八~九年前から始めた。率先して若い人に焼かせているが、回を重ねる毎に焼き方も上手になっている」と語った。会場ではビンゴ大会やYOSAKOIソーランも披露され盛り上がりをみせた。祭りの進行を務めたひぐま会会長の藤田高史エリオさん(29、二世)は「北海道の文化を大きくし、残していきたい一心で準備してきました。思いは二世も三世も四世も一緒」と語った。木下会長は「今年も大勢の人が来てくれた。若い人が百人位手伝ってくれて成功できた。ありがたい」と語った。同会にとって今年は北海道人移住九十周年、協会創立七十周年、会館落成十周年の節目。八月三十日の記念式典に向け弾みのついた格好で祭りを締めくくった。