井戸知事ら日伯有志出席して披露式
【東京支社】移民の四割を送り出した神戸移住センターが再整備され、三日、「海外移住と文化の交流センター」(神戸市中央区)として生まれ変わり、そのお披露目が行われた。神戸市では、一九二八年に設置された神戸移住センターの建物を「国内に現存する唯一の移住関連施設」だとして、兵庫県、日伯協会、経済界とともに同建物の保存運動を行い、国土交通省の支援を受け整備工事を行っていた。このほど整備工事が終了し、お披露目の日を迎えた。
移住資料展示室も常設 寄付者氏名の刻字プレートも
この日のお披露目では、最初に記念式典が行われ、式典に招待されたブラジル日本都道府県人会連合会(県連)、ブラジル日本文化福祉協会(文協)、ブラジル兵庫県人会など在ブラジル団体の関係者ら移住関係者百五十人が出席した。席上、井戸敏三兵庫県知事、植中進神戸市会議長とともにブラジル側を代表し園田昭憲県連副会長が「移民二百年のスタートの年に開館したことは大変意義深い」と祝辞を述べた。
県連はブラジル国内で同建物整備のために寄付金六万七千レアルを集め海外日系人会館協力委員会に贈っていたが、式典で海外日系人会館協力委員会、西村正委員長(日伯協会理事長)がブラジル側と日本側で集められた合計一千万円の寄付金目録を矢田立郎神戸市長に贈った。
「海外移住と文化の交流センター」に生まれ変わった旧神戸移住センターは、建物はそのままに内外がきれいに清掃整備され、出席者たちは一様に「きれいになった」と喜んでいた。一階の入り口奥には県連が贈った二百六十キロを超える大きな紫水晶が飾られ、日本からの出席者はその見事さに感嘆の声を上げていた。
館内の移住関係資料展示室では、昭和初期の神戸の街並みを、地図・写真・絵葉書で再現してあるほか、移住者が渡航時に持参した荷物や、移住先国で使用した道具類の実物展示、また移民たちが出発前に寝泊まりした室内も再現展示されており、懐かしそうに見入る人もいた。
二階には整備のために寄付した人の名前を刻んだプレートが貼られ、出席者たちは、プレートに刻まれた自分の名前を確認していた。会館には新しくエレベータが取り付けられ、昇降が楽になり、お年寄りでも楽に見学できるようになった。これから神戸移住センターは、移住資料の展示や国際交流の殿堂として活用され、第二の人生を過ごすことになる。
海外移住と文化交流センター歴史
昭和三年(一九二八年)国立移民収容所として開設(後の神戸移住センターの誕生)
昭和七年(一九三二年)神戸移住教養所と改称
昭和十六年(一九四一年)神戸移住教養所を戦時閉鎖
※戦時中は短期高等海員養成所などとしても使用された。
昭和二十七年(一九五二年)神戸移住斡旋所と改称して再開
昭和三十九年(一九六四年)神戸移住センターと改称
昭和四十六年(一九七一年)神戸移住センター閉鎖、土地・建物を神戸市が買い取る。
昭和四十七年(一九七二年)神戸市立高等看護学院開校
一部は神戸市医師会准看護婦学校として利用
昭和五十八年(一九八三年)神戸市立高等看護学院閉鎖
平成六年(一九九四年)神戸市医師会准看護婦学校が西区に移転し、建物閉鎖
平成七年(一九九五年)阪神・淡路大震災、神戸海洋気象台が一部使用
平成十一年(一九九九年)NPO法人「芸術と計画会議(C.A.P.)」が暫定利用を開始
平成十四年(二〇〇二年)本館一階に神戸移住資料室を開設し、常時開館する。
NPO法人「関西ブラジル人コミュニティCBK」が利用開始
平成二十年(二〇〇八年)日本人のブラジル移住百周年、神戸市長による保存・再整備工事の着工宣言の後、改修工事のために一時閉館
平成二十一年(二〇〇九年)海外移住と文化の交流センター 開館
写真:祝辞を述べる園田氏(神戸市提供)
写真:移住資料展示室の見学者(神戸市提供)
