《初の公使館跡も訪問》
『移民の原点、ブラジル日系社会のルーツを知る―』。岩手県人会(千田曠曉会長)は五月二十二日から三日間、ブラジルへの移民導入を唱えた杉村濬(すぎむら・ふかし)駐伯三代目日本公使の公使館跡見学と公使の墓碑参拝ツアーを行なった。【中村瞳記者】
《恒例の岩手県人会ツアー 旧公館建物は不動産屋が売出し中》
多田孝則マウロ副会長を団長とする県人会関係者と記者一行三十一人は、五月二十二日午後十時五十分、リオ・デ・ジャネイロ州に向けて聖市を出発。
バスの中で千田会長は、「楽しく、仲良く、お互い友達になりましょう。幅広い交流ができるようになれば」と親睦を深める旅行であることを強調した。その顔からは、墓碑改修事業や五十周年記念での慶祝団受け入れ等、緊張感の連続だった昨年の労をねぎらうような穏やかな表情が見て取れた。
途中で休憩を取り、五月二十三日午前五時五十分にリオ入り。アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港で、鹿田明義リオ州日伯文化体育連盟理事長の出迎えを受けた。
朝食を済ませた一行は、日本公使館跡のあるペトロポリス市へと向かう。途中、キタンジンニャに立ち寄り、百本の桜の木が植えられている湖の周りを散策。肌寒い感覚が高地に来ていることを示していた。
午前十時、ペトロポリスで一行を出迎えたのは、同市在住の安見清さん(六九、茨城県出身)。
『リオデジャネイロ州日本移民百年史』編纂の際、「移民の父」と評される杉村公使の足跡を掲載する声が上がり、郷土史を研究している安見さんに白羽の矢が立った。
「外務省も知らないと言う。本当に大変だった」と、当時を振り返り、杉村公使が日本に送ったとされる絵葉書と、市立図書館に保管されていた文書等を頼りに、二年の歳月を費やして公使館跡地を探し出した。
海抜八百四十メートルのペトロポリスは、帝政時代の保養地で多くの国が公使館を設置しており、日本も一九一八年のリオ移転まで同地に開いていた。
案内された公使館跡は、細長い塔を持つ白いルーテル教会の横に建っていた。杉村公使が絵葉書に記した『白ク細ク高キ建物ハ隣家の独逸寺院ナリ』と一致する場所だった。
黄と白を基調とした建物は、広い食堂に、台所、浴室、便所、寝室などの部屋数も豊富で、一行からは感嘆の声が上がる。中には木のぬくもりを感じさせる大きな机に、「ここで執務していたんだな」と、故人に改めて思いを寄せる人たちもいた。
不動産屋によると、「一年半前から売りに出されているが、買い手はついていない」という状況の公使館跡。「何とか文化財として残していけないだろうか」。安見さんの言葉に頷く一同。移民の原点を目の当たりにして、熱い思いが込み上げてきた一行だった。(つづく)
写真:杉村公使の絵葉書(安見さん提供)、公使館跡前で笑顔の一行
