県連、仏教連合会主導の移民百一年仏式慰霊法要が、十八日午前十時半から聖市イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑前で厳修され、肌寒さを感じながらも晴天に恵まれた気候の中、県連(与儀昭雄会長)をはじめとする各県人会、日系団体関係者ら約百十人が出席した。 曹洞宗佛心寺の采川道昭導師によって進行された法要では、追悼の辞として与儀会長が仏連をはじめとする関係者への感謝の言葉を述べた。さらに、一九〇八年の笠戸丸移民から始まった日本移民の歴史を振り返り、「現在の若い世代がブラジルの各分野で活躍しているのも、先人が苦労の末に築いてきた道のりがあったからこそ」とし、改めて先人への感謝の意を示した。 引き続き、大部一秋聖総領事は「このような厳粛な法要に参加できたことに感謝します。大先輩方が遺した御遺徳を謹んでお祈り申し上げ、『恩』の志を捧げたいと思います」と追悼の辞を述べた。 采川導師の読経が続く中、出席者全員が焼香を行なった。采川導師は読経後のあいさつで、「移民された先人がこの地で励み、根を下ろしたことで今の我々の繁栄がある。この感謝の気持ちを忘れず、子々孫々に伝えることで先人への恩に報いることができる」と諭した。 サンパウロから約三百キロ離れたグァタパラ移住地から参加した川上淳グァタパラ農事文化協会会長は、「移民の原点である移住地の長として、このような法要に参加することは義務だと思っている。今後も法要は続けていかなければならないが、参加者が年々減り、寂しくなるばかり」と、その重要性を強調しながらも、先細りを懸念する。 今回で二回目の参加で友人と一緒に来たという村瀬正子さん(八一、滋賀県出身)は、「うちは両親も兄も夫も亡くなり、今日は家族の分まで御参りしてきました。こういう法要は良いですね」と、しみじみ語っていた。 この日は、県連をはじめ、文協、援協、百周年協会関係者らも出席し、三十四の県人会が過去帳を持参していた。 写真:開拓先没者慰霊碑前で厳修された仏式法要
Dia: 23 de junho de 2009
《喜びの先人の供養と楽しかった旅》 五月二十四日、朝日を浴びたホテルで食事後、午前八時十五分にコルコバードへと向かう。バスでは急増ガイドの多田団長が、一日の日程について説明。二十分程でコズメ・ベーリョ地区にある駅に到着した。 一行は、真っ赤な車体に白線の入った二両編成(一両三十九人乗り)の登山電車で、コルコバードの丘を目指す。キリスト像の足下へはエレベーターで昇る組と百二十六段ある階段を進む組に分かれた。 雲一つない澄み渡る青空にそびえ立つキリスト像。その眼下、南方向には、これから訪問するサン・ジョアン・バチスタ墓地が広がって見えた。 午前十一時、目的地のサン・ジョアン・バチスタ墓地に向かった。世界的にボサノヴァの創始者として知られるアントニオ・カルロス・ジョビン、サンバ歌手やハリウッド女優として活躍したカルメン・ミランダなど多くの有名人が眠る場所だ。 一九〇六年五月十九日、日本移民の導入に尽力しながらも、笠戸丸の入港を見ることなく、ブラジルの土となった杉村公使は、陸軍の礼砲とともに同地に葬られた。国賓級の扱いを受けた公使の死は、『日本の大臣』という見出しで地元紙にも大きく取り上げられた。 墓地の入り口から正面へ進むと、さまざまな形の墓郡が道に沿って建ち並んでいる。突き当りを右折し、さらに左へ歩を進めると、十メートルほどの所に黒御影石でできた杉村公使の墓、後壁を見ることができる。 墓石がきれいに磨かれたところで、多田団長がサンパウロから持参した線香立てと花立てを設置。「昨年の除幕式に間に合わなくてね」と感慨深げに菊の花を献花した。会員らは、千田会長の後に続き焼香。 千田会長は、「杉村公使の命日である五月十九日近くに、こうして県人会で参拝できたことに喜びを感じます」と挨拶。参加者らは、公使の顔写真が彫られた墓碑とともに記念撮影。先人の供養と旅行の全日程を終えた安堵感からか、自然と笑みがこぼれていた。 午後三時、昼食の席で千田会長は、「天候に恵まれて良い旅行だった」と振り返り、岩手山に象徴される県人の器の大きさと、ブラジル国土の広大さを重ね合わせて、「杉村公使の移民導入に対する思いが原点、日系社会のルーツ」と話していた。 一行は、午後七時すぎに帰聖。「楽しく旅行できたことを嬉しく思います」と、千田会長が今回のツアーを締めくくった。(おわり、中村瞳記者) 写真:焼香をする会員ら、一九〇六年五月二十二日付の『トリブナ・デ・ペトロポリス紙』(安見清さん提供)
ニッケイ新聞 2009年6月23日付け 福岡県と福岡県人会(南アゴスチンニョ俊男会長)が現在、一風変わった取り組みを実施している。県系の子弟が母県を訪れ、日本とその文化を肌で体験するものだ。主な条件は「福岡県人会員の子弟」「十一歳の子ども」であることで、日本語能力は問わない。二回目の今年は、十人の〃留学生〃たちが日本へ向け出発する。同事業は海外福岡県人会子弟招へい事業実行委員会(財団法人福岡国際交流センター内)が主催しているもので、ブラジルでは福岡県人会が窓口となっている。引率者三人を含む一行十三人は七月十一日にブラジルを出発。二週間の日本滞在中、母県でホームステイをしながら福岡市内観光、新幹線体験、太宰府見学、アジア太平洋子ども会議など、盛りだくさんの日程で日本文化や日本語を体験する。県費留学生がなかなか集まらない中、子どもを対象とし、日本語能力を問わないというのは珍しい取り組み。昨年参加した子ども達の作文には「両親と離れて色々なことをしてみたことで、自信がついた」や、「たくさん勉強して県費留学生になり日本にまた行きたい」といった感想もあるなど、評判は上々だ。図らずも、こういった制度の下では子ども達の将来の選択肢が広がり、日本や母県への愛着が生まれることも考えられる。自身が九州大学への留学経験をもつ南会長は、かねてから県費留学生が訪日前に「母県や県人会のために力を尽くす」と言っても、帰伯すると実際はなかなか期待通りにいかないことを憂いていた。そのような経緯から、敢えて子ども達にターゲットを絞ったという。会長は「日伯を繋げる人材に成長し、県人会を継続していく為にも大切」と、事業の意義を強調した。福岡県から海外に移住した人、およびその子孫等で組織する「海外福岡県人会」は世界九カ国に二十一団体設置されている。ブラジル国内ではサンパウロ、トメアスー、ベレン、マナウスの四カ所にある。
ニッケイ新聞 2009年6月23日付け 十九日に聖市内で行われたブラジル日本商工会議所(田中信会頭)の定例昼食会で、日伯友好百周年基金の最後の助成式が行われ、余剰金の約十万レアルがサンパウロ日伯援護協会が現在建設している福祉医療センター構想に渡された。この基金を運営してきたのは日系主五団体(文協、援協、県連、商議所、アリアンサ)から構成される日伯友好交流促進協会で、助成額総額は創立以来、計二百六十三万レアルとなり、本年末を基金解散期日として清算手続きに入ることが報告された。 日伯修好百周年は、一八九五年にパリで調印された日伯通商航海条約により両国の国交が樹立されたことを記念し、一九九五年に紀宮清子内親王をお迎えして盛大に祝われた。これらの諸行事の費用として、日系主要五団体が募金活動をした結果、余剰金が約八十五万レアル残った。これを基金に日伯友好交流協会が設立され、両国の友好促進に寄与するプロジェクトに支援してきた。〇二年までに二十三件、計八十五万レアルを運用益から支援。その後、昨年の百周年記念事業に十一件、百二十五万六千レアルの助成をしてきた。書類の不備などで振込みがまだ行われていない中期プロジェクト二件(移民史料館及び移民百年史)の計四十二万レアルも近く実行可能見込みとなり、清算関係費用等を差し引いて、基金の余剰額が今回、援協に助成されることになった。同促進協会の田中代表委員長は「大きい額ではありませんが、これが企業や個人からの協力の呼び水となることも期待しています」と覚書を授与すると、援協の森口イナシオ会長は「このような助成を頂き心から感謝します」と礼をのべた。同福祉医療センターが完成すれば、最新の医療機器を備え、人間ドックによる定期健康診断などを日本語で行えるようになり、コロニアだけでなく駐在員にとっても便利な信頼のおける医療サービスが受けられるようになると期待されている。 ◎ ◎ 昼食会の三分間スピーチでは、在聖総領事館から「近々行われる衆院総選挙に在外投票を」と呼びかけ、また救済会の相田祐弘第一副会長から会員増キャンペーンや物品の寄付などの協力が呼びかけられた。代表者交替では商船三井の廣瀬隆氏の代わりに寺元清隆氏が、タカタ・ペトリ社の長瀬周治氏の代わりに大竹茂氏(元在伯大使館公使)が着任し、それぞれあいさつをした。また、パイロットペン・ド・ブラジルには佐野典久氏が着任した。当日は伯日議連の飯星ワルテル会長(下議)、ウイリアン・ウー同副会長がそれぞれの議員活動の成果と現状を語った。中でも飯星会長は、十六日に下院講堂で行われた新幹線セミナーには七十人もの市長や市議が参加するなど、成功裏に終わったと報告した。その一方、ウー副会長は「高速鉄道に関し、韓国やフランスも強力なロビー活動を展開している」と注意を促した。
