《喜びの先人の供養と楽しかった旅》
五月二十四日、朝日を浴びたホテルで食事後、午前八時十五分にコルコバードへと向かう。バスでは急増ガイドの多田団長が、一日の日程について説明。二十分程でコズメ・ベーリョ地区にある駅に到着した。
一行は、真っ赤な車体に白線の入った二両編成(一両三十九人乗り)の登山電車で、コルコバードの丘を目指す。キリスト像の足下へはエレベーターで昇る組と百二十六段ある階段を進む組に分かれた。
雲一つない澄み渡る青空にそびえ立つキリスト像。その眼下、南方向には、これから訪問するサン・ジョアン・バチスタ墓地が広がって見えた。
午前十一時、目的地のサン・ジョアン・バチスタ墓地に向かった。世界的にボサノヴァの創始者として知られるアントニオ・カルロス・ジョビン、サンバ歌手やハリウッド女優として活躍したカルメン・ミランダなど多くの有名人が眠る場所だ。
一九〇六年五月十九日、日本移民の導入に尽力しながらも、笠戸丸の入港を見ることなく、ブラジルの土となった杉村公使は、陸軍の礼砲とともに同地に葬られた。国賓級の扱いを受けた公使の死は、『日本の大臣』という見出しで地元紙にも大きく取り上げられた。
墓地の入り口から正面へ進むと、さまざまな形の墓郡が道に沿って建ち並んでいる。突き当りを右折し、さらに左へ歩を進めると、十メートルほどの所に黒御影石でできた杉村公使の墓、後壁を見ることができる。
墓石がきれいに磨かれたところで、多田団長がサンパウロから持参した線香立てと花立てを設置。「昨年の除幕式に間に合わなくてね」と感慨深げに菊の花を献花した。会員らは、千田会長の後に続き焼香。
千田会長は、「杉村公使の命日である五月十九日近くに、こうして県人会で参拝できたことに喜びを感じます」と挨拶。参加者らは、公使の顔写真が彫られた墓碑とともに記念撮影。先人の供養と旅行の全日程を終えた安堵感からか、自然と笑みがこぼれていた。
午後三時、昼食の席で千田会長は、「天候に恵まれて良い旅行だった」と振り返り、岩手山に象徴される県人の器の大きさと、ブラジル国土の広大さを重ね合わせて、「杉村公使の移民導入に対する思いが原点、日系社会のルーツ」と話していた。
一行は、午後七時すぎに帰聖。「楽しく旅行できたことを嬉しく思います」と、千田会長が今回のツアーを締めくくった。(おわり、中村瞳記者)
写真:焼香をする会員ら、一九〇六年五月二十二日付の『トリブナ・デ・ペトロポリス紙』(安見清さん提供)
