07/03/2026

Mês: julho 2009

ニッケイ新聞 2009年7月31日付け 母県へ〃里帰り〃する鳥取県人会の傘踊りグループ。県人・県系人だけでなく、愛好者には他県の人も多い。鳥取県と縁の深いミランドポリス第二アリアンサでも行われているが、本橋幹久会長によれば、それ以外の場所では地元日本人会が中心になって行っているとか。ちなみに今回の訪日団メンバーのうち、本人、配偶者など鳥取と縁のある人は五人。リハビリ中のため訪日を見合わせた西谷博元会長から鳥取市長あてのメッセージと、記念品のハッピを持参する。祭りの本番では、傘にブラジル国旗を表わす黄色と緑のテープを飾って踊るという。 ◎ 十九日まで開催された日本祭で無料マッサージを行った武術空手積心館。同館の森山雅和師範の報告によると、三日間の期間中、六歳から八十九歳まで千百八十七人がマッサージを受けたそうだ。同師範の指導を受ける生徒ら十五人とともに、パビリオン内の高齢者広場の一角で行い、常に行列ができており休む間も無く手を動かしていた。読者にもお世話になった人がいるのでは。 ◎ 姉妹都市提携四十周年を迎えるにあたり大阪市から聖市に贈られる予定の「みおつくしの鐘」が、今月二十七日に完成した。中日新聞によれば、手掛けたのは富山県高岡市の銅器製造会社「老子(おいご)製作所」の専務元井秀治さん(54)。元井さんは、大阪市役所にあるみおつくしの鐘を手掛けた七代目老子次右衛門の孫。「祖父がつくった鐘のレプリカを手掛けられるのは縁。有名な鐘のレプリカをつくらせてもらえて嬉しい」と話しているそう。
ニッケイ新聞 2009年7月31日付け 鳥取県の郷土芸能としてコロニアでも有名な鳥取県人会の「しゃんしゃん傘踊り」グループが、八月三日、母県の鳥取市から招待を受けて訪日する。十一人の訪日メンバーは八日に同市で開催される「第四十五回鳥取しゃんしゃん祭り」に参加するほか、竹内功同市長、平井伸治知事などとの交流行事も予定している。ブラジルで傘踊りが始まって今年で二十七年、母県の祭りに参加するのは初めての事だ。県人会で二十四日開かれた結団式には、長年普及に努めてきた西谷博元会長も出席し、感極まって声を詰まらせた。 ブラジルでの傘踊りは一九八二年、来伯した母県からの研修員が披露し、踊りに使う傘を県人会に寄贈していったことを機会に始まった。西谷さん夫妻が中心となって会員、知人らに呼びかけ。五人ほどだったメンバーは、聖市の県人会、モジ、カンピーナス、マリンガ、第二アリアンサ(ミランドポリス)など各地へ広がり、現在では県人会だけで毎週約八十人が参加する。「育ての親」として普及に尽力してきた西谷さんによれば、はじめは傘がなく、箒の柄で練習していたという。「最初はうまく行かなくてね。県に手紙を書いて、テープを送ってもらって練習しましたよ」、今年九十歳になる西谷さんは振り返る。踊りに必要な傘がないため、知り合いの職人に頼んだり、本橋幹久現会長が訪日の際に部品を持ち帰るなどしてブラジルで作ろうとしたが、上手くいかなかったという。その後、県と鳥取市から二百五十本ずつ、さらに加藤恵久会長の時代に二百本の寄贈を受けるなど、これまでに母県側から八百本近くの傘が送られた。聖市に限らず、ブラジリアなど遠方での日本文化イベントにも度々出演。昨年六月に皇太子さまご臨席のもとサンボードロモで開かれた百周年式典にも参加し、母県から参加した平井知事、竹内市長ら八人とともに二百三十人で踊りを披露した。その折りに竹内市長から招待を受け、このたびの訪日が決まった。訪日団一行は来月八日の祭りで、二千八百人による一斉踊りに「ブラジル鳥取県人会傘踊り連」として出演する。同グループの後には、これまでに来伯した人や、鳥取のブラジル関係団体など縁の人たちが続いて踊るという。滞在中には知事、鳥取市長・議長などを表敬するほか、県・市・議会や民間との交流行事も予定されている。結団式は毎週金曜の練習日にあわせ、二十四日正午過ぎから鳥取交流センターで行われ、西谷さん、加藤前会長、本橋会長ら現役員、訪日団員を含む傘踊りグループメンバーなど約六十人が出席した。西谷さんは今年二月に体調を崩し、この日は車椅子での出席だったが、元気そうな姿で出席者を安心させた。現在リハビリ中のため、今回は名誉団長として訪日を見送った。本橋会長が団長として訪日する。本橋会長はあいさつで、一九五二年に鳥取市で起きた鳥取大火への義捐金集めをきっかけに始まった県人会の歴史を説明。その鳥取市からの招待で訪日することに喜びを表わすとともに、「西谷夫妻を中心に皆さんの大きな協力を得て、傘踊りの知名度が上がった」と感謝した。続いてマイクを握った西谷さんは「嬉しくて、言葉にならない」と声を詰まらせながら、訪日メンバーに「普段練習している踊りを思う存分踊ってきてほしい。将来に渡ってこうした交流が続くことを願っています」と言葉を送った。メンバーを代表して京野マリ良枝さんが「西谷先生の気持ちを持って日本でがんばってきます」とあいさつ。「いってらっしゃい」という言葉とともに、一同から大きな拍手が送られた。名誉団長として訪日、祭りに参加する西谷さんの夫人、千津子さん(84)は、「市長から招かれ、皆うれしく思っています。一所懸命に踊ってきます」と話していた。
ブラジル琉球舞踊協会(城間和枝会長)主催の第五回芸能祭が、八月二日正午から聖市リベルダーデ区の沖縄県人会館(トマス・デ・リマ街七二番)で開催される。 同芸能祭は二、三年に一回開かれ、その目的は琉舞協会を構成する四つの流派の親睦を図ることと、沖縄の伝統芸能をブラジルの次世代に継承・保存することにあるという。 当日は、玉城流玉扇会、玉城流小太郎会、てだの会、太圭(たか)流華の会、琉球国祭り太鼓、レキオス同好会エイサー太鼓の六団体の三歳から八十八歳までの踊り手総勢五百人が出場し、五十におよぶ演目を披露。遠方からはカンポグランデ、アララクアラ、サントス、S・J・リオプレットなどからも参加する。 特に、四十四番目の演目に予定されている「与那国旅情」は各道場の師匠ら約二十人が総出で舞踊劇を行なうという。 二十七日、城間会長、知花千恵子実行委員長、具志堅シゲ子副実行委員長、栄野川ミヨ子琉舞協会副会長、同監査役の古我知ゆり子氏とともに同行した沖縄県人会書記担当の島袋安雄氏は、「琉球舞踊は協会の各先生方の奉仕の精神の上に成り立っており、若い人たちへの伝統文化の継承とともに、我々にとって日常生活の糧となり、潤いを与えてくれるものです。当日は沖縄ソバも販売しておりますので、ぜひお越しください」と広く一般の来場を呼びかけている。 入場料(=協力券)は二十レアル(当日購入も可)。詳細についての問い合わせは、同県人会事務局(電話11・3106・8823)まで。
導入に尽力した西谷元会長も感無量 「西谷(博)さんが居なければ、傘踊りの活動はやってこれなかった」―。鳥取県(平井伸治県知事)からの招待を受けて、八月八日の「第四十五回鳥取しゃんしゃん祭り」に参加することを目的に、二十四日正午から同県人会館で傘踊り派遣メンバー十一人の結団式が行なわれ、本橋幹久県人会長はあいさつの中で、西谷夫妻のこれまでの貢献を賞賛した。一行は、八月三日から十日間の日程で訪日し、「ブラジル鳥取県人会傘踊り連」として、日本の二千八百人のメンバーに交じって「一斉踊り」に初参加する。 移民100周年が契機 平井知事が肝入りで実現 「鳥取しゃんしゃん傘踊り」は一九八二年、母県の農業研修青年派遣団が来伯して初披露。その後、西谷元会長夫妻の尽力などにより鳥取県から総数約八百本にのぼる専用の傘が寄贈され、同夫妻が中心となり踊りの指導を行なってきた。 その結果、現在毎週金曜日に鳥取県人会館で実施されている練習には毎回、六十人から八十人のメンバーが集まり、その活動はサンパウロのみならず、モジダスクルーゼス、カンピーナス、第二アリアンサ、アラサツーバやマリンガなどに拡大。各地で開かれるイベントにも招待されるなど、今や日系社会で欠かせない団体となっている。 今回の招待のきっかけは、昨年六月にサンパウロで行なわれた移民百周年記念式典のアトラクションに、ブラジル側メンバーに母県から平井県知事、竹内功鳥取市長ら八人が加わって皇太子殿下の前で傘踊りを披露したこと。その際、県側から「来年(〇九年)の鳥取しゃんしゃん祭りにぜひ出席してほしい」との要請を受けたという。 派遣団には西谷夫妻、本橋会長をはじめとする十二人のメンバーが選ばれたが、西谷さん自身は今年二月に体調を崩して現在はリハビリ中のため、残念ながら今回は訪日参加を断念することになった。 結団式には、西谷夫妻、加藤恵久前会長、本橋会長、山添源二氏と末永正氏の両副会長のほか、傘踊りメンバーたち約六十人が出席した。 あいさつに立った本橋会長は、母県とブラジルの関係について、五二年の鳥取の大火発生時に伯側県人関係者が中心に当時で百数十万円の義捐金を寄付したことに始まると説明。傘踊り創設の経緯とメンバーの活動を振り返り、「傘を集めるのに苦労したが、西谷さんが居なければ傘踊りの活動はやってこれなかった」と述べ、夫妻の貢献を褒め称えた。 車椅子姿で出席した西谷さんは、「嬉しくて言葉にならない」と感極まりながら、「鳥取と『交流』という縁で日本に行くことができるのはとても有難いこと。いつまでもこういう交流が続くことを願っている」と述べ、母県への感謝の意を表した。 メンバーを代表して京野マリ副団長があいさつ。「西谷先生が育てた傘踊りグループの努力に恥じないよう、一生懸命頑張ってきたい」と意気込みを示し、訪日団は残ったメンバーから「いってらっしゃい」との激励の言葉を贈られた。 派遣団一行は、八月三日にサンパウロを発ち、同六日には大正天皇が皇太子時代に鳥取県をご訪問されるために建てられたという「仁風閣(じんぷうかく)」で鳥取市長と市議会議長を表敬訪問。八日午後六時半から始まる「しゃんしゃん一斉踊り」に参加するほか、市内視察などを行ない、見聞を広める。 なお、一行は西谷元会長から鳥取市長宛てのメッセージを持参するとともに鳥取県人会特製ハッピ十着を同市に寄贈するという。
ニッケイ新聞 2009年7月30日付け 「糖尿病向け焼き饅頭はじめます」―。「青葉祭り」(青葉健康生活協会主催、中沢宏一代表)で今月から、カロリー控えめの手作り焼き饅頭を販売する。鈴木運蔵宮城県人会副会長、吉泉美和農協婦人部連合会(ADESC)副会長、饅頭を作る鳥原寿子さんが二十八日、案内に来社した。「砂糖を使わず天然甘味料で作るんです。お饅頭が食べたくても食べられないっていう人がたくさんいるから」。鳥原さんは、糖尿病の母が甘い物を食べられないのを気の毒に思い、その母が亡くなる二十年前まで作っていた。「天然甘味料も改良されて、その頃よりも美味しい。これなら喜んでもらえる」と販売に踏み切ることになった。はじめは予約注文制で、八月一日の「青葉福祉祭り」で予約を受け付け、十五日「青葉祭り」で販売となる。屋上食処では一日が天ぷらうどん、十五日はイカポッポ焼き、秋刀魚定食、はらこ飯、ずんだ餅が並ぶ。地下では通常のADESC食品、有機野菜販売、武道医術など。会場=宮城県人会館(ファグンデス街152)。午前七時から午後五時まで。
ニッケイ新聞 2009年7月30日付け ブラジル琉球舞踊協会(城間和枝会長)は八月二日正午から聖市の沖縄県人会館(トマス・デ・リマ街72)で「第五回芸能祭」を開催する。三歳から八十八歳まで総勢五百人余が出演。玉城流玉扇会、玉城流小太郎会、玉城流てだの会、太圭流華の会による舞踊のほか、琉球國祭り太鼓、レキオス芸能同好会エイサー太鼓による太鼓演奏など約五十演目が披露される。中でも有名な歴史舞踊劇である「与那国旅情」は本場の醍醐味が分かると城間会長は薦める。各流派の親睦や沖縄文化の継承を目的とした同祭。来社した城間会長、知花千恵子実行委員長、具志堅シゲ子第一副会長、栄野川ミヨ子第二副会長、古我知ゆり子監査役、島袋安雄県人会書記ら一行は、「舞踊は世代によって踊れるものが変ってくる。できるだけ多くの舞台を作り、機会を逃さずに披露し見てもらえるようにしています」と話す。稽古に参加する子供たちも、自然と沖縄の方言が身についているという。知花実行委員長は「皆多くの人に見てもらいたいと張り切っています。ぜひ会場に足を運んで下さい」と来場を呼びかけた。協力券は二十レアル。当日券あり。問い合わせは沖縄県人会(11・3106・8823)まで。
ニッケイ新聞 2009年7月30日付け 原爆投下から六十四年目を迎える今年、レジストロで灯篭流しが行なわれる。被爆者の鎮魂とブラジルで平和の尊さを訴えることが目的。広島で平和祈念式典が行なわれる八月六日午前八時十五分にあわせ、ブラジル時間五日午後八時十五分にリベイラ川に流される。サンパウロや地元レジストロの関係者ら約五十人が参加する。ブラジル広島県人会(大西博巳会長)、ブラジル被爆者平和協会(森田隆会長)、リベイラ沿岸日系団体連合会(FENIVAR、山村敏明会長)、レジストロ日伯文化協会(滝内功会長)の四団体共催。コーディネーター役を務める平崎靖之さん(63、広島県人会理事)は、「私自身が胎内被爆者。原爆の悲惨さを知らせ、平和の大切さを伝えるイベントにしたい」と話し、来年からも継続的に行なっていく考えを示した。
ニッケイ新聞 2009年7月29日付け ブラジル熊本県文化交流協会(小山田祥雄会長)は、八月二日午前九時から同会館(ビラ・マリアーナ区ギマランエス・パッソス街142)で「第三十九回熊本芸能祭」を開催する。入場無料。カラオケ、民謡、長唄、端唄、琴演奏、尺八演奏、ダンス、舞踊、寸劇など六十の演目を披露。「内容は当日まで秘密」という寸劇は、各グループがアイデアを凝らす。ロンドリーナ市からも十一人が出演する予定だ。婦人部により餅や饅頭、汁粉などが用意されるほか、昼食時には熊本県の名所や、二〇一一年四月に開通予定の九州新幹線建設の様子がスライドで紹介される。このほか、会員からの寄付で集まった商品を用意してのくじ引きも行われる予定。案内に来社した小山田会長と書記の赤木数成さんは、「二世、三世の交流を図り、次の世代が日本の芸能を無くしてしまわないように伝えていくことを目的としています」と説明し、「ぜひ見に来てください」と呼びかけた。問い合わせは同会(11・5084・1338)まで。
治療に生かしたい異文化体験 滋賀医科大学から教授らが来伯 日系ブラジル人女性の妊娠・出産・育児などの支援を滋賀県内で行ない、異文化理解を目的に国立大学法人・滋賀医科大学の畑下博世教授と植村直子助手の二人が、二十一日から一週間滞伯。二十二日、山田康夫滋賀県人会長の案内で来社した。 同大学の医学部看護学科で地域生活看護学講座を担当する畑下教授らは、滋賀県内で日系女性の支援を行なう中で、日本文化の価値判断だけでは看護に違いがあると実感しており、「一度ブラジルに来て、自分の五感でブラジル文化に触れてみたかった」と初来伯のきっかけを語る。 畑下教授によると、看護は「その人の生活に合わせて考えることが必要」で、日本人女性が出産時などの痛みを我慢することを美徳とする傾向にある一方で、日系ブラジル人は痛みに対する概念が違うという。 現在、滋賀県内には約一万四千人の日系ブラジル人が在住し、特に二十代から三十代が多いという。畑下教授らは、授業の無い土、日曜日に病院などに出向いて日系ブラジル人女性の相談を通訳を通じて受けたりしているが、「異文化の人に対して、今後どうケアーしていくかを考えたい」と話す。 一週間の滞在日程では、サンパウロを中心に産婦人科医との意見交換や日伯友好病院の視察などを行ない、出産後一か月以内の乳児を持つ日系家族へのインタビューも実施する。 帰国後は、滋賀県国際交流協会の資金援助を得て、主に日系ブラジル人を対象にした日ポ両語の看護マニュアル作りも行なっていく考えだ。
恒例の芸能祭 熊本県人会 県の名所、九州新幹線DVD放映も 熊本県人会(小山田祥雄会長)は八月二日午前九時から、同県人会会館(聖市ビラ・マリアナ区ギマランエス・パッソス街一四二番)で第三十九回芸能祭を行う。 のど自慢、うで自慢の会員出演で華やかな舞台が繰り広げられるほか、恒例のように役員出演の寸劇、浪曲名人の中川芳月氏のショー、また、パラナ州ロンドリーナ支部会員の舞踊と多彩なプログラムが披露され、一日を楽しませてくれる。 二十三日、小山田会長、赤木役員が案内に来社、「幕間には母県から贈られてきた新幹線建設や県下の名所風物を記録したDVDの放映などもある。兎に角、芸達者な県人の多い熊本、多数の来場を待っています」と呼びかけていた。
ニッケイ新聞 2009年7月25日付け 大阪なにわ会(下平尾哲男会長)は八月二日午前九時から同会館(ドミンゴ・デ・モライス街1581)で恒例の「第六十三回慈善バザー」を開催する。会場では婦人部が手芸品を出品するほか、協賛業者が出店。食堂ではお寿司、なにわうどん、天ぷら、おしるこ、おはぎなどが用意される。同バザーは年に三回行われ、同会婦人部(久保美恵子部長)では一九九六年から毎年バザーの売上金を使い、希望の家に車椅子二台を寄付している。今年は、五月にすでに寄付したそうだ。案内に来社した久保部長、会計の桑原妙子さんは「皆様のご来場をお待ちしております」と呼びかけた。
ニッケイ新聞 2009年7月25日付け リベルダーデ地区治安協議会(CONSEG)の会議が二十一日夜、東洋文化会館で開かれ、新規役員(〇九―一一年)の発足式が行われた。六年間会長を務めた福井ニルトン氏が内規により交代となり、新会長に小川彰夫氏(インスティトゥートICARO代表)が就任した。 式には小川新会長、福井前会長、リベルダーデ文化福祉協会(ACAL)の池崎博文会長はじめ、リベルダーデにある第一警察署のリカルド・コンドウ署長補佐代理など警察関係者、サンパウロ商業協会代表、文協、県連、援協など日系団体代表、各県人会長十数人ら、合計百五十人が列席した。福井前会長の挨拶で発足式が開会。ブラジル国歌斉唱に続き、福井前会長がCONSEGのマークを模ったピンを小川新会長の胸につけ、固い握手をして引き継いだ。続いて新役員が紹介され、小川新会長は一人一人にピンを胸につけてまわり、全員で輪になり、右手を前に突き出しリベルダーデ区の治安を守ることを宣言した。小川新会長、来賓の挨拶に続き、ウィリアン・ウー連邦下議代理の関谷ロベルトさんから福井前会長に記念プレートが贈られた。来賓一同による鏡開き、木多喜八郎文協会長の発声で乾杯した後、カクテルへ。新旧会長の周りには大勢の人が集まり、リベルダーデの治安や将来について活発に話し合う姿がみられ、午後十一時頃、散会となった。ニッケイ新聞の取材に対し小川会長は「リベルダーデには県人会館をはじめ、多くの日系団体があるが、治安が良くなればもっと活発な活動ができるだろう。老後も安心して住めるような雰囲気になれば」と述べ、「住民の代表として取り組むが、みなさんも警察の悪口を言うだけではなく、良い所を見つけ、一緒になって取り組んでもらいたい」と語った。心残りはリベルダーデ広場への交番設置という福井前会長は「広場周辺が聖市の文化遺産に登録されてから、交番を設置するのが難しくなった。今年は大阪市との姉妹都市四十周年なので、これを機に再挑戦したい」と任期を振り返ると共に、副会長として襟を正していた。◎新役員は次の通り。会長=小川彰夫、副会長=福井ニルトン、コミュニティ問題・社会局長=セルバ・マーラ・シケイラ・フェレイラ、第一書記=フルヤ・ミノル、第二書記=マルコス・デ・アギアール・トファロ、倫理教育顧問=池崎博文、藤本徹也、遠藤マリオ。(敬称略) ※ 治安対策協議会(CONSEG)は一九八五年、当時のフランコ・モントル聖州知事が設置した機関。同機関は全伯にあり、各地区の住民と警察を繋ぐ役割を果たす。同会では、地域の警察と協力して治安や生活環境改善に取り組んでいる。聖州内では現在、約八百の協議会が活動をしており、リベルダーデ区では毎月一度、同地区の商店主や警察関係者らが集まり、治安や防犯問題について会合を開いている。
ニッケイ新聞 2009年7月25日付け ブラジル福島県人会(小島友四郎会長)は、二〇〇七年十月の創立七十周年記念式典の際に、知事や県議会議長から慶祝訪問を受けた答礼として、十月に県庁訪問を計画。現在、参加者を募集している。小島会長、大竹輝和副会長が二十二日に来社して説明を行った。対象は、県人や県人子弟。毎年短期研修生十人、留学生二人を送っているほか、六十人いる青年部が活発な同県人会。次世代育成に力を入れているが、「やっぱり母県とのつながり、人と人とのつながりを続けていかないと何にもならない」と小島会長。昨年の移民百周年では先亡者慰霊祭を行い母県からメッセージを受けた。「今年は私たちがお礼をする番」と話し、「ちょうど福島の十月は紅葉の季節。みなさん予定を合わせて一緒に行きましょう」と呼びかけている。八月十五日まで募集。参加は実費で、現地での団体行動は一日程度。申込み、問い合わせは県人会(11・3208・8499/礎我部)まで。
大阪なにわ会(下平尾哲男会長)は八月二日午前九時から、同会会館(聖ビラ・マリアナ区ドミンゴ・デ・モライス街一五八一番)で第六十三回慈善バザーを行う。 婦人会(久保美恵子部長)会員の精魂込めた手芸品はじめ味の美味ななにわうどん、寿司、てんぷら、お汁粉、おはぎ、その他、多彩なメニューを用意して待っているそう。 また、協賛業社による内外の衣類、食料品、装飾品、日用日など豊富な商品が取り揃えている。 二十一日、久保部長、桑原妙子会計が案内に来社、「豊富な商品のあるバザーで知られています。ぜひ家族連れで来場して、楽しんで下さい。純益は福祉施設に毎年、車椅子を購入して寄贈しています。今年は早めに購入し、希望の家に二台寄贈しました」と語り、来場を呼びかけていた。
記念誌『赤い大地を拓く』 宮城県人会、県人の百年を刊行 宮城県人会(中沢宏一会長)が、宮城県国際交流協会や同県海外移住家族会と、一年半がかりで編集した記念誌『赤い大地を拓く―ブラジル移住・宮城県人の一〇〇年』が、このほど刊行された。 農業移民の苦闘やサンパウロ仙台七夕祭りの隆盛、記録が残る同県出身者の消息、移住者名簿なども掲載。六章から成る移民史は、森幸一USP教授が概観した。 記念誌はB五判、五百三十頁、二千円。問い合わせは同県人会事務局(電話11・3209
フェスチバル・ド・ジャポン恒例となったミス日系コンテストが十八日午後六時から、同フェスチバル会場の特設ステージで開催され、北はパラー州から南は南大河州まで、十州から集まった二十一人の日系女性たちが参加。法被、ビキニ、ドレスによる審査を経て、水平ロマーニ・ラリッサさん(一九)が見事、ミス日系ブラジル二〇〇九の栄冠に輝いた。 聖州ピラシカーバ出身の三世で現在は学生というラリッサさんは、本紙取材に対し「日本にはまだ行ったことはないが、祖父母が生まれ、自分のルーツでもある国なのでぜひ行ってみたい」と話し、日本語は話せないとしながらも最後は「ありがとう」と笑顔で答えた。 第一プリンセーザにはパラナ州クリチーバの山岸エフチング・ツアニさん(一八、三世)が、第二プリンセーザにはマット・グロッソ州クイアバの西谷レジーナさん(二〇、三世)が、そしてミス・シンパチアにはパラナ州ロンドリーナの岩井リダオン・ビビアン・アユミさん(一七)がそれぞれ選ばれた。
ニッケイ新聞 2009年7月23日付け 宮城県人会(中沢宏一会長)は二十四日午後六時から同会館(ファグンデス街152)で、十一、十二両日開催された第三十一回サンパウロ仙台七夕祭りの七夕飾り、文芸入賞者の授賞式を行う。 主な受賞者は次の通り。(敬称略) 【七夕飾り】▽一般の部。一位=モッカ日本人会婦人部、二位=GRACIELA HIDEMI SATO、三位=青葉婦人部。▽学校の部。一位=ESCOLA JAPONES DE PQ EDU CHAVES、二位=MOGI NICONICO GAKO、三位=BIRITIBA NIHONGO GAKO。 【俳句】特選=杉本絃一、菊田島椿(日本)、小島愛子。【短歌】一位=香山和栄、二位=栃沢千秋、三位=尾山峯雄。 問い合わせは同県人会(電話=11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年7月22日付け 第一回アマゾン移民の山田元さん(82、広島)の講演会『トメアスーに生きる』が、二十日夜、聖市リベルダーデ区の文協貴賓室であった。立ち見が出るほどの盛況ぶりを見せ、約二百人が貴重な初期アマゾンの開拓の証言に耳を傾けた。今年のアマゾン日本人入植八十周年を記念し、広島県人会(大西博巳会長)とニッケイ新聞社(高木ラウル社長)が共催した。ベレン総領事館、文協、援協、県連、サンパウロ人文科学研究所、ブラジル・ニッポン移住者協会、コチア青年連絡協議会、ブラジルを知る会の後援、レアル銀行の協賛。 山田さんは第一回南拓移民として、二歳のとき、両親の義一、スエノ、姉三江さん(7)の四人でトメアスー(旧アカラー)移住地に入植。第一回アマゾン移民として今でも現地に住みつづける、たった二人のうちの一人だ。講演前、山田一家が主人公として描かれた『アマゾンの歌~日本人の記録』(角田房子著)のドラマ映画の一部が上映され、来場者らは真剣な眼差しで見入った。続いて、高木社長、木多喜八郎文協会長が開会のあいさつ。清水オリジオ・レアル銀行取締役は、「私は移民の子。父は二三年、山田さんと同じ広島から来た。映画を見て苦労がひしひしと伝わって胸が熱くなった」と感極まった様子。「遠くから来てくれて、ありがとうと言いたい」と感謝の言葉を送った。大きな拍手を浴びて山田さんが壇上へ。「非常に光栄で身に余る思い」。深く頭を下げる姿に再度、拍手が沸き起こった。トメアスーの古い写真を見ながら堀江剛史・本紙記者が質問し、山田さんが答えるという形式で講演が始まった。渡伯前の家族写真を見て「こうして母に抱かれて来ました」とはにかみ、「とにかく働き詰めだった母の背中にくくりつけられて育ったから、母の体に沿って自然と足が曲がってしまった」。幼少の頃の記憶はないが、山田さんの体が開拓移民の苦労を物語る。「家族全員が罹り、生きているのが不思議」と移住地を襲ったマラリア禍にも触れた。当時の特効薬キニーネの多量摂取による〃赤ションベン〃(黒熱病)で、「三、四〇年代半ばは、バタバタ死んだ」との証言に会場は静まり返った。十三歳でジャングルに入り、精米のために建てた水車小屋で十年過ごした。当時、妻豊江さんが身ごもった長男、次男を取り上げたエピソードでは、「へその緒を処理して、トマ・バーニョさせて…まあ何とか格好つけました」と会場を笑わせた。七、八〇年代には、トメアスー農協理事長、市議も一期務めた。ピメンタブームに沸く移住地の様子も語った。その記憶力とその律儀で真面目な喋り口調に来場者は、小一時間じっくりと耳を傾けた。講演後、大西会長と高木社長から記念プラッカが贈られた。与儀昭雄県連会長の発声で、トメアスー農協提供のグラヴィオーラで作ったバチーダで乾杯、「ブラジルを知る会」(清水裕美代表)手作り料理のカクテルパーティーが開かれた。真剣な表情で聞いていた村本清美さん(51)は、「苦労されたのにそんな様子を全く見せない。本当に貴重な話を聞かせてもらえた」と感慨深げ。戦後移民の益田照夫さん(67)は、「金の苦労はしたけど、山田さんのような生死の苦労はしてない。そんなの苦労と言えないね」と苦笑い。ブラジル日本交流協会生で山田さん出身の広島で育った日系三世、古賀アンドレアさん(22)は、「移民だった祖母が山田さんと同じ広島出身。胸が熱くなった」と語った。講演を終えた山田さんは、来場者の笑顔の輪に包まれながら、「移民して八十年、感無量の一言に尽きます。父母が苦労した歴史は継承して欲しい」と穏やかな表情で語った。
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け ブラジルを代表する日系イベント「第十二回日本祭(フェスティバル・ド・ジャポン)」が十七日から十九日まで三日間、聖市のイミグランテス会場で開催された。ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長、加藤恵久実行委員長)が主催。各県人会自慢の郷土食をはじめ、舞台では郷土芸能や太鼓、ミス・フェスティバルなど多彩なプログラム、パビリオン内では期間中、企業ブースや日本文化ワークショップなどが来場者を楽しませた。天候にも恵まれ、主催者によるとのべ十七万人が来場。会場内はどこへ行っても人で溢れかえり、ブラジル社会に改めて〃ニッポン〃を披露する場となったようだ。 二日目正午に始まった開会式にはジルベルト・カサビ市長、大部一秋在聖総領事、飯星ワルテル連邦議員、西本エリオ聖州議、羽藤ジョージ聖市議ほか、日系団体代表など来賓二十人が列席した。与儀会長は挨拶の中で、「各県人会やスポンサー、ボランティアのおかげで開催できます。テーマは環境。個人個人が少しのことに注意すれば良い世界になると思う。シンボルとしてこの祭りが役立てば」と語り、開幕を宣言した。カサビ市長らの挨拶に続き、舞台上で鏡開きが行われ、千坂平通JICA聖支所長の音頭で乾杯した。メインステージでは歌手のジョー平田さんや、日本から来た中平マリコさんらのショー、各県の郷土芸能や太鼓などで盛り上がった。リベイロン・ピーレス健康体操グループによるYOSAKOIソーラン、皿踊りでは派手な衣装とリズム感ある音楽と踊りで観衆を圧倒し、健康体操では観客が一緒に参加する姿も見られた。パビリオン内の入口近くには、岩や緑の木々で作られた日本庭園。お茶会が開かれ、日本文化を体験する人や記念撮影を楽しむ人の姿もあった。コチア青年連絡協議会と農協婦人部連合会、弓場農場のブースが並ぶ一角は、お目当ての野菜や果物、手作りジャム、漬物等の加工品、花などを買い求める人たちで終日混雑した。中には三時間も同農場の場所を探しようやく辿り着いた人もいた。弓場農場はトラック一台で約四千点の食品を持参した。声を張り上げて販売していた同農場創設者弓場勇氏の孫、らおりさん(三世)は、「今日は弓場の卵油を飲んできました。これで元気に頑張れます」と笑顔。特設ステージでは期間中通じて太鼓や踊りなどが披露され、来場者の注目を集めていた。中でも日本からきた古武道「神刀流」の演舞では型の他、試し切りも行われ、多くの観衆が魅了された。神刀流四段の黒田雅彦(53、静岡)さんは「ブラジル人は日本人と違い、体全体で拍手を送ってくれて嬉しかった」と感想を語った。二日目には一時雨がぱらついたものの、その後天候が回復。最終日は急激に冷え込んだが、雨に降られることはなく、会場は終日超満員の来場者で賑わった。着任してから初めての日本祭りを訪れた大部総領事は、「想像もしていなかった」と盛況ぶりに驚いた様子。「日本文化、日系人がブラジル社会に溶け込み、受け入れられていることがよく分かった。日本人として嬉しく思う」と語った。開催期間中、忙しそうに会場内を動き回っていた加藤実行委員長は、「日系社会は今や三世、四世の時代。彼らは非日系人を連れてくるので、日本文化を伝える場になった。スタッフも優秀でスムーズに進みました」と話していた。 写真=日本祭の会場の様子