07/03/2026

Dia: 19 de julho de 2009

ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 十九日まで聖市イミグランテス展示場で開催される「第十二回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」で、サンパウロのセブラエ(小・零細企業サービス機関)が「ビジネスと機会の見本市」を実施する。会場は同展示場内の講堂(Auditorio)。期間中の講演(ポ語)は次の通り=ミルトン・フミオ・バンドウ「企業家主義~あなたにふさわしいビジネスへの道」(十八日午後三時)、ミルトン・フミオ・バンドウ「正しく始めよう~計画と分析」(十九日午後五時)、ジョアン・アブダラ・ネット「フランチャイズ~ビジネスの選択肢」(十八日午後五時、十九日午後三時)、「デカセギ起業プロジェクトの事例」(十八、十九日午後一時)。
ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 旧神戸移住センターを改修・再整備して六月三日に開館した「神戸市立海外移住と文化の交流センター」への伯国側の募金活動に感謝するため、海外日系人会館協力委員会・西村正委員長(財団法人日伯協会理事長)が来伯し、十日午後二時からブラジル日本文化福祉協会貴賓室で報告を行った。募金運動を仲介したブラジル川崎重工の澁谷吉雄代表取締役社長、沢里嘉男副社長ほか、協力団体から木多喜八郎文協会長、与儀昭雄県連会長、上原幸啓百周年協会理事長、松尾治同執行委員長、尾西貞夫兵庫県人会長、文協の地方理事など約三十人が出席。西村委員長から、文協、県連、百周年記念協会、兵庫県人会へ感謝状が手渡された。旧移住センター再整備への募金は、昨年一月に来伯した西村委員長らが二千万円を目標にコロニアへ呼びかけていたもの。六月の開館までに計約千七百六十人、百十九団体から寄せられ、ブラジルからの寄付総額は三十万七千レアルに上ったことが報告された。西村委員長は、「みなさんの協力で募金目標を達成し、無事に開館できました」と各日系団体に感謝を表し、「日系の方々の熱い思いがやっとつながった」と会場と喜びを共有した。その後、委員長が移住者からの手紙を読み上げ、同センターへの思いを伝えた。あわせて同センターを紹介するDVD、NHK神戸がセンター開設を取り上げたニュースなども上映された。当時の同センターを日本の最後の宿として過ごしたという上原理事長は、「新たに開館したセンターには、ひとしお愛着と思い入れが強い」と話し、七十年前の自身の思い出を語った。また、「同センターを文協の日本の活動拠点とすることも将来視野に入れるべきではないか」と述べ、「移民の入口・出口として、同センターと文協が協力していければ」と強調した。
ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 盗難に遭って長らく行方不明になっていた、岸信介元首相が北伯野球連盟に寄贈した優勝旗が、数奇な運命を辿ってようやく元の場所に戻っていたことが、ニッケイ新聞の調べで分かった。この優勝旗が発見されたのは昨年の暮れ頃、なんと聖州沿岸部サンビセンテ市の骨董市のフェイラだった。見るに見かねた戦後移住者の手で買いとられ、岐阜県人会に委託され、ブラジル野球連盟を通して、この度、奇しくもアマゾン移住八十周年を祝っている北伯に返還された。 実は、いつ岸元首相がこの優勝旗を北伯野球連盟に寄贈し、いつ盗難に遭ったのかすら分かっていない。というのも、北伯球連では「盗まれた」という話が知られていなかったからだ。つまり優勝旗は二旗存在する。聖市から送られたものは、七月十日に届いたばかり。この優勝旗を預かっていた岐阜県人会の山田彦次会長は、「サンビセンテの骨董市で売られているのをたまたま見つけた戦後移民が、『どうしてこんな大事なものが』と見るに見かねて買いあげ、うちに善処を依頼してきたんですよ」と説明する。「ブラジル野球連盟の大塚ジョルジ会長の代理が二週間前に取りにきたので渡したはいいが、その後、礼状どころか、なんの音沙汰もなかったんで、我々もどう発見者に報告したものかと弱っていたところでした」という。現パラー野球・ソフトボール連盟会長(旧北伯野球連盟)の影山アントニーノ会長は、本紙の下小薗昭仁通信員の質問に答え、「一世の野球関係の先輩や巷のうわさ話でも、優勝旗が盗まれた話は聞いてなかったです。送られてきた優勝旗を現在あるものと比較しても、最初はその違いを判読して説いてくれる人もなくて困りましたが、今は戻ってきた優勝旗が本物であると分かるので、だんだん喜びが膨らんできました」という。現在、サンタイザベル文化協会に保管されている二旗を比較すると明らかに異なる。今まで使用されてきた優勝旗は「北伯青年野球、元内閣総理大臣贈岸信介」とだけ記されているが、発見されたものは「北伯青年野球選手権大会、元日本国内閣総理大臣贈岸信介」とある。違いは素人目にも歴然としており、今までのものは墨での手書きでありコピー、今回発見されたものは錦糸の刺繍が施されており、見るからに本物のようだ。地元関係者によれば「盗まれた時点で、当時の野球連盟の役員が慌ててコピーを作成したようだが、残念ながら、文献もなく当時の関係者もほとんど鬼籍に入られていて、真相はつかめません」という。今後どのように活用するかという問いに対し、景山会長は「理事会に諮って最終的には決めますが、私としては現役に復帰させ、今まで果たせなかった優勝チームの感激を味わわせたい。二~三世層の時代になったパラーの野球界に新たな力を与えてほしいと思っています」と語った。そして「数奇な運命を経て戻って来るようご手配くださった方々には心から感謝しています。また、長い年月をどういう風に過ごしたのか知りたくなりました」と感謝の言葉をのべた。すぐに感謝状を発見者と県人会に贈るという。ブラジル野球連盟の沢里オリビオ副会長によれば、きちんとした優勝旗は「日本でないと作れない。安く見積もっても七千ドルから一万ドルはする。まして、元総理の、となれば、幾らするか分からない」とする。「事実、球連にも総理大臣寄贈の優勝旗はない。大変貴重なもの」とその価値の高さを強調した。