07/03/2026

Dia: 22 de julho de 2009

ニッケイ新聞 2009年7月23日付け 宮城県人会(中沢宏一会長)は二十四日午後六時から同会館(ファグンデス街152)で、十一、十二両日開催された第三十一回サンパウロ仙台七夕祭りの七夕飾り、文芸入賞者の授賞式を行う。 主な受賞者は次の通り。(敬称略) 【七夕飾り】▽一般の部。一位=モッカ日本人会婦人部、二位=GRACIELA HIDEMI SATO、三位=青葉婦人部。▽学校の部。一位=ESCOLA JAPONES DE PQ EDU CHAVES、二位=MOGI NICONICO GAKO、三位=BIRITIBA NIHONGO GAKO。 【俳句】特選=杉本絃一、菊田島椿(日本)、小島愛子。【短歌】一位=香山和栄、二位=栃沢千秋、三位=尾山峯雄。 問い合わせは同県人会(電話=11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年7月22日付け 第一回アマゾン移民の山田元さん(82、広島)の講演会『トメアスーに生きる』が、二十日夜、聖市リベルダーデ区の文協貴賓室であった。立ち見が出るほどの盛況ぶりを見せ、約二百人が貴重な初期アマゾンの開拓の証言に耳を傾けた。今年のアマゾン日本人入植八十周年を記念し、広島県人会(大西博巳会長)とニッケイ新聞社(高木ラウル社長)が共催した。ベレン総領事館、文協、援協、県連、サンパウロ人文科学研究所、ブラジル・ニッポン移住者協会、コチア青年連絡協議会、ブラジルを知る会の後援、レアル銀行の協賛。 山田さんは第一回南拓移民として、二歳のとき、両親の義一、スエノ、姉三江さん(7)の四人でトメアスー(旧アカラー)移住地に入植。第一回アマゾン移民として今でも現地に住みつづける、たった二人のうちの一人だ。講演前、山田一家が主人公として描かれた『アマゾンの歌~日本人の記録』(角田房子著)のドラマ映画の一部が上映され、来場者らは真剣な眼差しで見入った。続いて、高木社長、木多喜八郎文協会長が開会のあいさつ。清水オリジオ・レアル銀行取締役は、「私は移民の子。父は二三年、山田さんと同じ広島から来た。映画を見て苦労がひしひしと伝わって胸が熱くなった」と感極まった様子。「遠くから来てくれて、ありがとうと言いたい」と感謝の言葉を送った。大きな拍手を浴びて山田さんが壇上へ。「非常に光栄で身に余る思い」。深く頭を下げる姿に再度、拍手が沸き起こった。トメアスーの古い写真を見ながら堀江剛史・本紙記者が質問し、山田さんが答えるという形式で講演が始まった。渡伯前の家族写真を見て「こうして母に抱かれて来ました」とはにかみ、「とにかく働き詰めだった母の背中にくくりつけられて育ったから、母の体に沿って自然と足が曲がってしまった」。幼少の頃の記憶はないが、山田さんの体が開拓移民の苦労を物語る。「家族全員が罹り、生きているのが不思議」と移住地を襲ったマラリア禍にも触れた。当時の特効薬キニーネの多量摂取による〃赤ションベン〃(黒熱病)で、「三、四〇年代半ばは、バタバタ死んだ」との証言に会場は静まり返った。十三歳でジャングルに入り、精米のために建てた水車小屋で十年過ごした。当時、妻豊江さんが身ごもった長男、次男を取り上げたエピソードでは、「へその緒を処理して、トマ・バーニョさせて…まあ何とか格好つけました」と会場を笑わせた。七、八〇年代には、トメアスー農協理事長、市議も一期務めた。ピメンタブームに沸く移住地の様子も語った。その記憶力とその律儀で真面目な喋り口調に来場者は、小一時間じっくりと耳を傾けた。講演後、大西会長と高木社長から記念プラッカが贈られた。与儀昭雄県連会長の発声で、トメアスー農協提供のグラヴィオーラで作ったバチーダで乾杯、「ブラジルを知る会」(清水裕美代表)手作り料理のカクテルパーティーが開かれた。真剣な表情で聞いていた村本清美さん(51)は、「苦労されたのにそんな様子を全く見せない。本当に貴重な話を聞かせてもらえた」と感慨深げ。戦後移民の益田照夫さん(67)は、「金の苦労はしたけど、山田さんのような生死の苦労はしてない。そんなの苦労と言えないね」と苦笑い。ブラジル日本交流協会生で山田さん出身の広島で育った日系三世、古賀アンドレアさん(22)は、「移民だった祖母が山田さんと同じ広島出身。胸が熱くなった」と語った。講演を終えた山田さんは、来場者の笑顔の輪に包まれながら、「移民して八十年、感無量の一言に尽きます。父母が苦労した歴史は継承して欲しい」と穏やかな表情で語った。
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け ブラジルを代表する日系イベント「第十二回日本祭(フェスティバル・ド・ジャポン)」が十七日から十九日まで三日間、聖市のイミグランテス会場で開催された。ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長、加藤恵久実行委員長)が主催。各県人会自慢の郷土食をはじめ、舞台では郷土芸能や太鼓、ミス・フェスティバルなど多彩なプログラム、パビリオン内では期間中、企業ブースや日本文化ワークショップなどが来場者を楽しませた。天候にも恵まれ、主催者によるとのべ十七万人が来場。会場内はどこへ行っても人で溢れかえり、ブラジル社会に改めて〃ニッポン〃を披露する場となったようだ。 二日目正午に始まった開会式にはジルベルト・カサビ市長、大部一秋在聖総領事、飯星ワルテル連邦議員、西本エリオ聖州議、羽藤ジョージ聖市議ほか、日系団体代表など来賓二十人が列席した。与儀会長は挨拶の中で、「各県人会やスポンサー、ボランティアのおかげで開催できます。テーマは環境。個人個人が少しのことに注意すれば良い世界になると思う。シンボルとしてこの祭りが役立てば」と語り、開幕を宣言した。カサビ市長らの挨拶に続き、舞台上で鏡開きが行われ、千坂平通JICA聖支所長の音頭で乾杯した。メインステージでは歌手のジョー平田さんや、日本から来た中平マリコさんらのショー、各県の郷土芸能や太鼓などで盛り上がった。リベイロン・ピーレス健康体操グループによるYOSAKOIソーラン、皿踊りでは派手な衣装とリズム感ある音楽と踊りで観衆を圧倒し、健康体操では観客が一緒に参加する姿も見られた。パビリオン内の入口近くには、岩や緑の木々で作られた日本庭園。お茶会が開かれ、日本文化を体験する人や記念撮影を楽しむ人の姿もあった。コチア青年連絡協議会と農協婦人部連合会、弓場農場のブースが並ぶ一角は、お目当ての野菜や果物、手作りジャム、漬物等の加工品、花などを買い求める人たちで終日混雑した。中には三時間も同農場の場所を探しようやく辿り着いた人もいた。弓場農場はトラック一台で約四千点の食品を持参した。声を張り上げて販売していた同農場創設者弓場勇氏の孫、らおりさん(三世)は、「今日は弓場の卵油を飲んできました。これで元気に頑張れます」と笑顔。特設ステージでは期間中通じて太鼓や踊りなどが披露され、来場者の注目を集めていた。中でも日本からきた古武道「神刀流」の演舞では型の他、試し切りも行われ、多くの観衆が魅了された。神刀流四段の黒田雅彦(53、静岡)さんは「ブラジル人は日本人と違い、体全体で拍手を送ってくれて嬉しかった」と感想を語った。二日目には一時雨がぱらついたものの、その後天候が回復。最終日は急激に冷え込んだが、雨に降られることはなく、会場は終日超満員の来場者で賑わった。着任してから初めての日本祭りを訪れた大部総領事は、「想像もしていなかった」と盛況ぶりに驚いた様子。「日本文化、日系人がブラジル社会に溶け込み、受け入れられていることがよく分かった。日本人として嬉しく思う」と語った。開催期間中、忙しそうに会場内を動き回っていた加藤実行委員長は、「日系社会は今や三世、四世の時代。彼らは非日系人を連れてくるので、日本文化を伝える場になった。スタッフも優秀でスムーズに進みました」と話していた。 写真=日本祭の会場の様子