8日サンパウロ・ジョッキークラブで サンパウロ・ジョッキークラブ恒例の「ジャパン・カップ」レースが八日、サンパウロ市内のシダーデ・ジャルジン競馬場で行われる。同交換レースは、一九九五年の日伯修好百周年を記念してサンパウロ新聞社の仲介でサンパウロ・ジョッキークラブと日本中央競馬会(JRA)が継続事業として実現した。以後毎年行われており、今年は十五回目となる。同ジョッキークラブでは、毎年、同レース開催当日を「ジャパンデー」と銘打って各レース名を日系社会に関連したタイトルがつけられている。また、会場では、日本文化紹介も行われ、同ジョッキークラブでは、日本人や日系人の来場を呼びかけている。入場料は無料。 出走は午後5時20分 同レースが毎年八月に行われているのは、JRAが日本から騎手を派遣するのに都合がつけやすいということで決まった。一方、日本では毎年十一月に東京・府中競馬場で「ブラジル・カップ」を開催している。 第一回から第三回まではJRA本部から派遣された役員、一流騎手が来伯し花を添えた。その後、人的交流は途絶えていたが、一昨年にはJRAニューヨーク事務所から所長が来伯し、双方の交流深化を再確認している。 同ジョッキークラブでは四年前から競馬場の活性化の一環として同レースのてこ入れを行っており、同ジョッキークラブと本紙の話し合いで同レース開催日を「ジャパンデー」と位置づけ日本文化紹介の場として開放してきた。 一昨年はブラジル日本移民百周年のプレイベント、昨年は移民百周年事業として展開し、来賓席で裏千家ブラジル支部の点前が披露されたり、日本酒の鏡割り、MOAインターナショナルの協力で「日本の四季」写真展などが行われた。 今年は例年通り、会場では福岡県人会が所有する鯉幟約三十匹がコース内を泳ぎ、レースの合間にレキオス芸能同好会の琉球太鼓、鳥取県人会の「しゃんしゃん傘踊り」、「一心」グループのよさこいソーランが披露される。 また、来賓席では池ノ坊ラテンアメリカ橘支部が生け花で会場を飾り、MOAインターナショナル・ド・ブラジルが昨年同様「日本の四季」写真展を行う。 メインレースの「ジャパン・カップ」の出走時間は午後五時二十分だが、その前後に日系コロニア主要団体や大部一秋サンパウロ総領事の名前をつけたレースが予定されている(レース名、出走時間は別表通り)。 同ジョッキークラブでは「『ジャパン・カップ』はブラジルで定着し、『ジャパンデー』もサンパウロの人たちに知られるようになりました。今年も日系コロニアの皆さんとともに有意義な一日を楽しんでいただければと思いますので、一人でも多くの方に参加していただくよう、お誘い併せの上、ご来場下さい」と呼びかけている。 写真:昨年、会場で人気を博した琉球太鼓。今年も出場する。
Dia: 7 de agosto de 2009
ニッケイ新聞 2009年8月7日付け 毎年十一月の『灯ろう流し』で有名な聖州レジストロ市で五日夜、広島の被爆者の冥福を祈る灯ろう流しが行なわれた。広島の原爆投下時間(六日午前八時十五分)に合わせて一分間黙祷、サンパウロや地元日系団体関係者ら約百人が平和への誓いを新たにした。日系唯一の聖州議員で父方の祖父母が広島出身の西本エリオ氏も参加した。ブラジル広島県人会、ブラジル被爆者平和協会、リベイラ沿岸日系団体連合会(FENIVAR)、レジストロ日伯文化協会の共催。発起人の平崎靖之さん(63)は、「ブラジルに平和を伝える行事として来年も実施できれば」と笑顔を見せていた。 ブラジルで同様の行事は初めて。胎内被爆した平崎さんが「十歳で移住して半世紀。ブラジルに平和の大切さを伝えることができないか」と発起人となり、理事を務めるブラジル広島県人会や地元日系団体関係者に呼びかけ、実現した。全国系テレビ局も取材に訪れた。サンパウロから参加した一行二十五人はレジストロに午後六時に到着。山村敏明FENIVAR会長の案内で同地文協内にある各施設を見学。レジストロ本願寺であった追悼法要で読経の響くなか、参加者らが焼香を行なった。導師の住職石田広海さん(80、広島)は、法話のなかで「中学の同級生の半数が被爆で亡くなった。被爆の悲惨さ、平和を念ずることが供養になる」と語った。続いて、在外被爆者の権利を訴えるブラジル被爆者平和協会の森田隆会長(85)はあいさつで「被爆の体験は生涯忘れることができない。核と人間は両立しない」と表情を引締めていた。鳥居や移民資料館のある川岸に集まった参加者らは、リベイラ上流から流された百基の灯ろうを見詰め、手を合わせる人もいた。ブラジル広島県人会の大西博巳会長(64)は、「平和の大事さをブラジルの次世代に伝えることも県人会の役目」とし、ポルトガル語で書かれた原爆の悲惨さを伝えるパンフレットを地元日系関係者に手渡していた。平崎さんは、「来年からはブラジル人や地元の学校へ参加を呼びかけ、恒例行事にしていきたい」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年8月7日付け 熊本県人会(小山田祥雄会長)は、二日午前九時から同県人会館で「第三十九回熊本芸能祭」を開催した。約百二十人が集まり賑わいをみせた。芸能祭は、小山田会長の「日本文化を後継していくことは大切。今日は楽しい一日にしましょう」との挨拶で開幕。「ボケない音頭」で一同輪になって踊った後、計約六十演目が披露された。ロンドリーナから参加し三十八回目の出演を果たした中川芳月さんは、同県人会初代会長・中尾熊喜氏の人生を綴った自作の浪曲を披露。会場から大きな拍手が沸き起こった。中川さんは、「今回は少し変った浪曲にした。皆に喜んでもらえて嬉しい」と話していた。今年はカラオケのほか舞踊が多かったことが好評で、特に若手の田中みずえさんによる「誰か故郷を想わざる」、「野崎小唄」は観客の目を引いた。また、男性の舞踊は珍しい、と門脇純冶さんの「北国の春」や「柔」の演技が注目を浴びた。昨年はロンドリーナからの参加は一人だけだったが、今年は婦人部からの参加も多く十人が出演した。団体舞踊など参加者全員の演技を終え、三時過ぎには帰りのバスで出発するスケジュールだった。会員の寄付により集まった賞品六十個を前にしてのくじ引き大会も盛り上がりをみせ、午後四時半過ぎ芸能祭は幕を閉じた。荒木信秋さん(83、熊本)は、「初めて会のイベントに参加した」と話し、楽しんだ様子だった。小山田会長は、浪曲の後継者がいないことを心配しながらも、「去年よりも賑わった。若者が参加してくれ嬉しい」と満足げに話していた。さらに、「来年は四十周年にあたるのでさらに盛り上げていきたい」と力を込めた。
