東国原知事 県出身者を訪ねる 谷広海氏、黒木巳知治氏を激励 滞伯中の東国原英夫宮崎県知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市市長夫妻は二十四日午後、同県出身の谷広海氏が理事長を務めるブラジル日本語センターを訪問した。 近隣の日伯保育学園(OEN=中原啓子園長)、のびる学園(志村マルガレット園長)、たんぽぽ学園(串間薫シルビア園長)の園児や生徒ら約六十人と、約四十人の日本語教師らが駆けつけ、知事一行を笑顔で出迎えた。 谷理事長の案内で施設内を一巡した一行は、センターの事業内容や伯国の日本語教育事情について説明を受け、掲示の生徒作品などを興味深そうに見て回った。 その後、講堂に場所を移し、知事は日本語学校の生徒や教師を前に、「日本語は世界でも美しい言語のうちの一つ。この調子でぜひ日本語を勉強し、日伯の架け橋となってもらいたい」と挨拶した。 得意の話術で場内を沸かせた知事は、記念撮影の要望が絶えず、あちこちで引っ張りだことなっていた。そのためか、約半時間という短時間の訪問ではあったが、「元気なセンター」と印象を語り、「ブラジルは人が温かくダイナミック。今後、成長する国だと思った」とコメントしセンターを後にした。 東国原知事のブラジルにおける最終スケジュールとなったKTYエンジニアリング社訪問。 日本語センターを後にした東国原知事一行は午後二時二十分、同社に到着した。 社長で宮崎県日向市出身の黒木巳知治さんが出迎え、まず同社多目的ホールで黒木社長による会社概要説明が行われ、社員四百人でブラジル石油公団のペトロ・ブラスや紙パルプのセニブラ社等、国内大手企業にプラント設計図を供給しているブラジル有数のエンジニアリング企業であることが紹介された。 続いて東国原知事の挨拶が行われ、その後黒木社長の実兄である黒木彗県人会長からも同社についての補足説明が行われた。 口頭による会社説明の後、設計の現場を見学した知事はビルの五階から十二階までにびっしりと設置された設計用のコンピューター機器に「今やドラフターで線を画いたりせず、全てコンピューターで設計図を作成してしまうんですね」と驚きを隠さなかった。 (写真=子どもたちの歓迎を受け、記念撮影に応じる知事一行/黒木社長から(右端)設計の現場を説明をされる東国原知事(右から二番目)) 2009年8月25日付
Dia: 25 de agosto de 2009
宮崎県人会創立六十周年式典に出席した東国原英夫知事。「二十七時間かかったが、県人の方に『当時は船で四十日も五十日もかかった』と聞き、言葉を飲み込んだ」とあいさつで笑わせた。祝賀会の途中、しばし姿を消したので、長旅の体を休めているのかなと思っていたが、氏のブログ(ネット上の日記)「そのまんま日記」を見ると、その際に更新していたよう。県人会の歓待に「感謝、感激、恐縮」との感想も。 ◎ 式典の前日二十二日、宮崎県人会で記者会見を行なった東国原知事。共同通信・名波正晴記者の質問に、「任期はあと一年半弱ある。今は県政にまい進し、地方から国を変えるとの志を新たにしている。(来年の参院選出馬も)ありません」と述べ、国政への転身をあらためて否定した。知事は自民党から衆院選への出馬を要請され、条件を提示した経緯がある。会見の司会を務めた谷広海理事は、「え? もう一度言って下さい」と聞き直し、母県での活躍を再確認。
約500人がお国訛りで佳き日を祝う ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は二十三日、聖市ビラ・マリアナ区の北海道協会会館において県人移住九十五周年および県人会創立六十周年記念式典を開催した。東国原英夫知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長、住吉昭信宮崎大学学長、徳永哲也宮崎ブラジル親善協会理事らをはじめとする母県からの慶祝団三十一人のほか、大部一秋在聖総領事夫妻、ウイリアム・ウー連邦下議、神谷牛太郎、羽藤ジョージ両聖市議、与儀昭雄県連会長、木多喜八郎文協会長、森口イナシオ援協会長らの来賓、県人会会員および関係者ら約五百人が参席した。 高齢者63人の表彰も 式典に先立って午前九時半から、神式による物故者慰霊祭が執り行われ、南米大神宮の逢坂和男宮司が祝詞(のりと)を読み上げると、東国原知事、中村議長、津村市長、住吉学長、大部総領事夫妻、黒木会長ほか来賓および県人会関係者らが、参席者を代表して玉串を奉納した。 同十時から始まった式典では、日伯両国国歌斉唱の後、黒木会長があいさつに立ち、一九一四年、川南町出身の甲斐長蔵氏に始まった県人移住者はその後、戦前戦後を合わせて三千百六人におよび、現在その子孫は一万四千人に達するとし、「今から六十年前、二十四人の先輩たちが集まり『宮崎弁で語ろうや』ということで県人会が始まった」と振り返った。 さらに、在伯県人の高齢化が進んでいることなどから県人会活動も厳しさを増しているとしたうえで、「現在まで県人会が日伯交流に培ってきた事業を省みるとき、将来へ向けてそのともし火を消してはならない。宮崎にルーツを持つ者の子孫が、このブラジルの大地に宮崎の血を忘れず、日伯交流に努め、ブラジル発展に寄与することが、ひいては母県の恩義に報いることになる」と述べた。 東国原知事は祝辞で、「懇親会などの場で『てげてげ』『よだきい』などの宮崎弁が飛び交い、宮崎の言葉がブラジルで息づいているということに感動を覚えた。皆さんと同じ、ルーツは宮崎にあるんだなと感銘させていただいた」とし、「三世、四世ともなると日本あるいは宮崎県とのつながりが希薄化していくと聞いた。これを県人会の方々は憂いており、文化、風習、言語を若い世代に残していきたいと強く願われている。県としても県費留学生や農業研修事業などを通し、県と同県人会の絆が深まるようにこれらの事業を継続していかなければいけないと強く思った」と述べた。 式典では、県知事からの表彰として県事業特別功労者(故人二人)、県事業功労者(二十四人)、県事業功労団体(三団体)、高齢者表彰(六十三人)、また県人会からの表彰として県人会発展特別功労者(九人)、同発展功労者(七人)への表彰式が行われたほか、宮崎県農業協同組合中央会から県人会への寄付金贈呈、県訪問団から日系福祉三団体(やすらぎホーム、憩の園、こどものその)への金一封贈呈などが行われた。 また、宮崎大学とサンパウロ大学農学部が学術協定で合意し、宮崎大学は今後、南米との交流を活発に行っていくことが発表された。 (写真=式典には東国原知事をはじめ多くの来賓が参席した/知事から高齢者表彰を受けるお年寄り) 2009年8月25日付
ニッケイ新聞 2009年8月25日付け 宮崎県人会(黒木慧会長)は二十三日、北海道協会会館で同県人会創立六十周年並びに、同県人移住九十五周年の記念式典(吉加江ネルソン実行委員長)を行った。全伯から会員が駆けつけ出席者は約六百五十人にのぼった。母県からは元お笑いタレントの東国原英夫県知事、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長、住吉昭信宮崎大学学長など三十二人からなる慶祝団が駆けつけ式典に花を添えた。県人物故者慰霊法要や祝賀会が行われ、留学生OBと県知事が触れ合う姿も見られた。 式典には大部一秋在聖総領事、ジルベルト・カサビ聖市長代理の神谷牛太郎市議、ウィリアン・ウー連議、与儀昭雄県連会長など多数の来賓が出席した。高橋久子県人会副会長の開会の挨拶で式典が始まり、日伯両国歌を斉唱した。黒木会長は挨拶の中で、「六十年前、二十四人の先輩達が集まって、宮崎弁で語ろう、ということで始まったのが県人会」と述べ、「会では高齢化が進み、若者が日本へ出稼ぎに行くなど、(県人会は)厳しい状況だが、これからも母県との繋がりを強めていきたい」と挨拶した。続いて、日伯両国から祝辞が披露された。大きな拍手で迎えられた東国原県知事は、前日に移民史料館を訪問したことに触れ、「先人の苦労を目の当たりにし、改めて尊敬、感謝する。ブラジルと宮崎との絆を県費留学生などで強くしていきたい。六十周年がお互いの橋渡しとなれるよう祈念したい」と祝辞を贈った。ブラジル側からは、与儀会長が「県人会の将来を考えると、留学生は大切。日伯交流が盛んになるよう県連も努力していきたい」と述べた。祝電披露の後、県人会から株式会社ホンダロックの浦野勝雄代表取締役社長ら母県側功労者七団体へ感謝状が贈られた。県知事から県事業特別功労者や県事業功労団体などへ記念表彰に続き、高齢者表彰受賞者六十三人に対しては、当日参加した十七人の一人一人に、知事から賞状と記念品が手渡された。受賞者を代表して井上正夫さん(83、児湯郡出身)は「知事より高齢者に対して、ざっくばらんな姿で愛情溢れる言葉をいただき、県民の一人として幸せ」と謝辞を述べた。また、県費留学生・技術研修員謝辞として桐野リカルドさん(25、二世、国立都城工業高等専門学校で研修)は、「宮崎弁、日本文化など、学校では学べないものを習った。祖父母の故郷が分かり、勉強だけでなく人生経験を積み大切な時間を過ごした」と謝意を表した。県人会から県知事及び訪問団一行へ、県知事から県人会へそれぞれ記念品が贈呈された。また、訪問団から日系福祉三団体へ金一封が贈呈された。続いて、宮崎大学(住吉学長)とサンパウロ総合大学農学部(城田リカルド教授)との学術交流協定が結ばれた。祝賀会が午後一時から行われ、六十周年を記念したケーキを津村弘子宮崎市長夫人、吉加江紀子・式典実行委員長夫人がケーキカット。来賓一同による鏡割りに続き、中村議長の乾杯で祝賀会は始まった。東国原知事は自ら各テーブルに出向き挨拶、参加者らはサインや記念撮影を求めたりと、常に知事の周りには人だかりができていた。その後、舞踊やカラオケ、サンバショーなどが行われ、午後五時、盛会のうちに閉会した。
