07/03/2026

Mês: agosto 2009

ニッケイ新聞 2009年8月22日付け ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は県人移住九十五周年と県人会創立六十周年の記念式典を、二十三日午前十時から北海道協会会館(ジョアキン・タボラ街605)で行う。式典に先立ち午前九時半から先没者慰霊法要が営まれる。母県からは、元お笑いタレントの東国原英夫知事や、県議会議長、慶祝団などが来伯。式典後は祝賀昼食会、芸能祭が行われる。問い合わせは同県人会(電話=11・3208・4689)まで。 東国原知事が=日語センター訪問=24日 ブラジル日本語センター(谷広海理事長)は、東国原英夫宮崎県知事が二十四日午後一時半に同センターを訪問するにあたり、歓迎会を開く。日本語学校の生徒や教師たちが参加し、知事への記念品贈呈や記念撮影が行われる予定。丹羽義和事務局長は、「短い時間の来訪ですが、できる範囲で歓迎したいと思っています。ご関心がある方は日本語学校の生徒さん、先生方と一緒に歓迎しましょう。知事も喜ばれると思います」と一般の参加を呼びかけている。問い合わせは、同センター(電話=11・5579・6513)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月21日付け ビラ・カロン沖縄県人会(知花ルイ会長)主催の「おきなわ祭り」(上江田エドアルド実行委員長)が十五日、聖市東部の同支部会館前運動場で開催された。七回目の今年は約三万人が訪れ、県人移民百周年を祝った昨年にも劣らない賑わいを見せた。同祭りは来年から、二日間にわたって開催されることが決まっている。 聖市の公式行事に定められている同祭りは、今年も設備、音響などを市やサンパウロ・ツリズモなどが援助。会場には沖縄の郷土料理など、各支部を中心に約六十の屋台が並び、終日混雑する盛況を見せた。名物のヤギ汁(ヒージャー汁)を販売したサンマテウス婦人会(安里勝子会長)は、前日から十頭分の肉を用意。県系ばかりでなく、興味深そうに質問する非日系ブラジル人の姿も見られた。「食べたことがないから敬遠するけど、味見して『おいしい』って言う人もいますよ」と話すのは、同支部の高嶺ケイ子さん。カウンターで接客に大忙しの様子だ。地元カロン婦人会(長浜清美会長)による沖縄そばも人気の品。今年は約七百杯を用意した。トリガラと豚骨から取る出汁は、二日前から準備してきたという。昨年の祭りでは、沖縄県人ブラジル移民百周年記念の祝賀パレードが支部会館前の道路で行われたこともあり、一日で三万人以上が訪れた。今年も午後から次々と来場者が増え、夕方ごろにはまっすぐ歩けないほどの賑わい。後援の聖市やサンパウロ・ツリズモなどからの依頼もあり、来年からは土・日の二日間開催することが決まっている。「天気に恵まれ、昨年と同じくらいの人が来てくれた」と喜ぶ知花会長は、「婦人会や関係者の皆さんのおかげ」と語り、さらに「来場者が沖縄の文化に触れ、皆で楽しめることを子孫として誇りに思う」と話す。会場中央の特設舞台では正午過ぎから、沖縄の芸能を中心に約三十の演目が次々と披露された。ラジオ体操、合同演奏で開幕。その後も民謡、舞踊、古武道、歌のほか、エイサー太鼓、空手など百人以上の規模で繰広げられる迫力ある演目に、来場者たちから大きな拍手が送られていた。祭りの原点、盆踊りも二回行われ、炭坑節などの曲が流れる中、日系非日系を問わず踊りの輪が二重三重に広がった。当日はウィリアン・ウー連邦下議や西本エリオ聖州議なども来場。午後七時ごろから行われた式典には飯星ワルテル下議や後援のレアル銀行から清水オリジオ取締役、神谷牛太郎、羽藤ジョージ両市議、サンパウロ・ツリズモ理事など多数の来賓が訪れた。上江田実行委員長は役員、関係者、そして来場者に大きな感謝を表わし、「ぜひ来年も来てほしい」と呼びかけた。式典後も祭りは続き、午後十一時ごろ、全員参加のカチャーシーで閉幕した。▽   ▽沖縄県人会の中で最大の会員数を有するビラ・カロン県人会。「おきなわ祭り」は二〇〇三年、知花良治支部長の時代に「夏祭り盆踊り大会」として始まった。「当時はあちこちで盆踊り大会をやっていて、私たちでもやろうと始めました」と振り返るのは、第一回目の実行委員長を務めた高安宏治さん(元支部長)。一年目の入場者は八千人ほど。カロン地区に沖縄系が多いこともあって二年目から「おきなわ祭り」と改称したが、入場者は一万五千人ほどだったという。「若い人たちが一生懸命やってくれて、もう私たちの出る幕はないくらいですよ」と笑う高安さん。「すっかりゾナ・レスチの祭りとして、板につきました」と嬉しそうな表情を浮かべた。
ニッケイ新聞 2009年8月21日付け ブラジル岩手県人会(千田曠曉会長)は、創立百三十周年記念海外交流事業でパラグアイ訪問の後、来伯した岩手県立盛岡農業高等学校一行の歓迎会を十二日昼過ぎから同県人会館で催した。約三十人が参加した。同事業には二、三年生の橘拓真さん、川又健人さん、上野健人さん、佐藤遥さん、吉田吏樹さん、槻舘知香さん、藤原栄美さんの七人が参加し、引率の藤本正彦教諭、外川直美教諭、同市役所の吉田直美職員が同行した。今回の海外交流事業は同校初の試み。パラグアイではアスンシオン市やピラポ移住地を回り日本学校、農業高校を訪問。ピラポ岩手県人会を訪れ、県人宅でホームステイも体験した。ブラジル訪問中はイグアスの滝を訪れたほか、セアザや文協の移民史料館なども見学した。千田会長は「交流できて嬉しい。伯国の良さを日本でも伝えて欲しい」とあいさつし、一行を歓迎した。槻舘さんはピラポ岩手県人会を訪問した際のことを振り返り、「外国だけど、親戚の家を訪問したような温かい雰囲気を感じた。日系社会には安心感を覚える」と笑顔で話していた。酪農に興味がある動物科学科の上野さんは、肉牛が中心のピラポで酪農家を訪問したそうだ。「規模の大きさにびっくりした。日本じゃ真似できない」と感激した様子だった。この日は同校卒業生でブラジル在住の菊地透さん(66、岩手県水沢市)も訪れた。卒業後すぐに渡伯しトマト作りや牧畜に携わってきた菊地さんは、「直接海外に行き、自分の目で見ることは良い経験」と話す。自身の経験から、伯国の農業は日本のそれと全く違うと言い、「伯国農業に学べるところは大いにある。伯国でも、もう少しじっくりみてもらいたかった」と少し残念そうでもあった。国語を教える外川教諭は、さんさ踊りを指導していることから引率に。「海外の日系社会と交流を持つことは生徒にとって良い機会。刺激になったのでは」と話していた。懇親会の後、生徒らから太鼓演奏に合わせたさんさ踊りが披露された。応援団長を務める上野さんが先頭に立ち、伯国の日系人へエールが送られた。「先輩たちへ送ります」と校歌も斉唱された。菊地義治名誉会長から「岩手県人は海外へ出るほど能力を発揮する。世界にはばたいて下さい」と言葉が贈られ、歓迎会は終了した。
ニッケイ新聞 2009年8月20日付け 【既報関連】先月の中国・北九州集中豪雨で被害を受けた母県への義捐金を呼びかけている山口県人会に、着々とコロニアからの善意が届いている。同県人会では災害発生後、一日に緊急役員会を開催して義捐金の呼びかけを決定。先月のフェスティバル・ド・ジャポンで販売した郷土食の利益を第一回目として送ることを決めた。平中信行会長は、「青年部や婦人部など、協力してくれた人たちが賛同してくれた。尊いお金です」と話す。会長によれば、その後も県人会には二十人近くから義捐金が寄せられているという。同会では今月三十日まで義捐金を呼びかけている。詳細は電話(11・3208・6074、担当小林)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月20日付け 国立大学法人滋賀医科大学・医学部看護学科・地域生活看護学講座の畑下博世教授と植村直子助教が七月二十一日から二十八日にかけて来伯した。畑下教授らは、同大学で四年間日系ブラジル人女性の健康問題をテーマに研究を進める。妊娠、出産、育児のサポートの充実を目指す。今回は、伯国の文化を知ることを目的に来伯。滞在中は日伯友好病院やサンパウロ大学看護学部などを訪問した。自身米国に二年間滞在し、異文化の中で住みづらさを体験したという畑下教授は、「異文化の中で言葉などの困難を伴いながら妊娠、出産、育児を行うのは大変。その苦労を少しでも軽減させていきたい」と話す。滋賀県では日系ブラジル人のサポートシステムが構築されていなく、通訳者がいるクリニックはあるものの数が少なく孤立していると懸念する。もっと行政サービスの活用を広めていきたいという。植村助教は、「精神的なケアも含めた異文化看護がどのようにあるべきか示していきたい」と力を込める。今年、日ポ両語で看護マニュアルの作成も予定している。畑下教授は、「日系人たちがどういう苦労を経て、今日のシステムを作り上げたのかに気が付いた。そこには住み易さがある」とブラジル訪問の感想を語った。植村助教も、「日系人のこの土地で築いてきた歴史、強い意志を感じた」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年8月19日付け 在ブラジル青森県人会(玉城道子会長、会員約二百人)は今年創立五十五周年を迎えるにあたり、老朽化が進む会館の補修事業を進めている。総工費三十三万一千レアルのうち、県と県人会負担分を除いた十二万一千レを県側とコロニアの募金活動によって賄う考えだ。来社した玉城会長は、「建設から三十年が経ち、雨漏りがひどい。あちこちに問題が出てきている」と窮状を訴えている。同会館は会創立二十五周年を記念し、一九八〇年に完成した。ブラジルやアルゼンチン、パラグアイに住む県人らの集いの場として活用され、現在は学生宿舎としても利用されている。数年前から、雨漏りや天井の塗装が剥がれ落ちるなど老朽化が目立ってきたことから、今年一月の総会で創立五十五周年記念事業として、補修工事を行なうことを決定した。総工費三十三万一千レアルのうち、県が十万レ、県人会が十一万レの負担が決定、残りの十二万一千レを日本・コロニア両サイドで募金する。すでに母県では、日伯協会、海外移住家族会、国際交流協会などが中心となり、「会館補修事業を支援する会」(塩越隆雄代表)が発足、地元新聞などを通じて、募金活動を展開している。改修工事は九月から開始、年内中の完成を目指す。配管、雨漏り補修、会員に高齢者が多いことから、車椅子などでも上がれるよう玄関入り口にスロープも取り付ける。来社した玉城会長、近澤マリーナ副会長、渋川幸子広報部長らは、「青森にゆかりのある人、趣旨をご理解頂ける方にご支援頂ければ」と呼びかけている。ブラジル側での募金は一口二十レアル。振込み先の銀行は、「ASSOCIACAO DE AOMORO KENJIN do BRASIL」ブラジル銀行 agencia 3324-3 c/c 458821-5まで。詳しくは青森県人会(11・3207・1599)まで。
ニッケイ新聞 2009年8月18日付け サンパウロ日伯援護協会(森口イナシオ会長)の五十周年記念式典と記念事業「社会福祉センター」落成式が終戦記念日の十五日午前十時、リベルダーデ区ファグンデス街の地上六階建て〃新居〃で盛大に挙行された。大部一秋総領事夫妻をはじめ、ウィリアン・ウー下議や聖州議、市議ら、各日系団体の代表者、会員ら約四百人が駆けつけて祝福。関係者一同、日系社会の大黒柱としてさらなる努力と発展を誓った。 五十年前に「机一脚と電話一台」(森口会長談)で始まった援協は、現在は日伯友好病院をはじめ州内八カ所に福祉施設を持ち、会員一万三千人以上に成長した。「先駆者に感謝を込めてこの落成を祝いたい」。菊地義治副会長の開会の辞で落成式が幕開け。来場者が見守る中、森口会長、大部総領事、ウー下議、西本エリオ州議、木多喜八郎文協会長、与儀昭雄県連会長らがテープカット、記念プレートを除幕した。挨拶に立った森口会長は「この建物は和井元会長時代から引き継いだ私たちの夢。援協を支える全ての人々の団結の象徴」と位置付けると拍手が沸き起こった。アレシオ神父の祝福が続いた。一同はそのまま地上階を一周して建物を見学、最上階での記念式典に移動した。約四百平米の多目的ホールには席に座りきれず立ち見客は百人以上。来賓が紹介され壇上へ上がり、国家斉唱後、一分間の黙祷を捧げ先亡者の冥福を祈った。五十年前の移民援護事業にはじまった援協は、診療所、奥地巡回診療、精神障害者の社会復帰、日伯友好病院、自閉症児教育など、コロニアの要望に応えて事業を広げてきた。森口会長は日ポ両語で成り立ちを説明した後、「多くの方が援協の働きの大事さを信じ協力してきてくれた」と感謝。「愛の灯火を手で包み消えないようにする―この精神のもと、これからも活動し続けることを誓う」と力強く宣言した。神内良一名誉会長の祝電の紹介、来賓の祝辞後、文協、県連、日伯文化連盟、商工会議所の四団体から記念プレートが森口会長に贈られた。このほか功労者表彰が行われ、二十六年間役員としてリーダーシップを執ってきた尾西貞夫副会長ら現役員、元役員、中沢源一郎元会長ら物故役員、長年の会員や元職員ら、地区委員功労者、特別功労者・団体に感謝状と記念品が贈られた。原沢和夫元会長は「援協の仕事に参画できたことは大きな喜びで誇り」と受賞者を代表して謝辞を述べた。式典後は景気よく鏡割りと、さらなる成功を祈って乾杯。地上階に移動して行われた祝賀パーティーでは、日本の歌手井上祐見、中平マリ子さんの歌声も祝賀の日に花を添えた。 福祉センター年内始動=役員らも思い新たに 昨年三月に定礎式、七月に建設着工して以来、さまざまな困難を克服し、暖かい支援を得て落成式にまで漕ぎつけた援協。社会福祉センターは年内に始動する。役員に抱負を聞いた。「みんなで日系社会を良くしようっていう気持ちが大事。苦労した先輩移民が『ブラジルに来て良かった』って思えるようにしたい」と菊地副会長。職員・役員として今年四十年の山下忠男専任理事は「あと十五年位したらボランティア役員は成り立たない。いかにスムーズに後世に引き継ぐかが課題」。二十六年役員を務める尾西副会長は、「資金不足に一番苦労してきた。期待は大きく嬉しいが、それに添えるよう堅実な運営を心がけたい」。森口会長は、「時代により日系社会の事情が変わってきている。今までの精神は変わらないが、さらに広い一般市民のために尽くしていきたい」と語った。 森口会長に名誉市民権=「援協が受けたもの」 援協創立五十周年記念式典の中で、森口イナシオ会長(74、サントス出身)のサンパウロ名誉市民権授与式が行われ、同日に落成式を迎えた援協社会福祉センターは二重の喜びに溢れた。羽藤ジョージ聖市議の推薦で、同センター建設を通した福祉活動強化への貢献を評価された森口会長は、一九八二年から援協の活動に携わり、〇七年から会長、同センター建設委員長としても尽力してきた。羽藤市議は、「医療と福祉活動はとても重要。これからも日系社会を支えて活躍して欲しい」と言葉を送り名誉市民権を手渡した。森口会長は、「はじめめは断るつもりだった」と明かしつつ、「これは、間違いなく援協が受けたもの」と話し、会場は大きな拍手に包まれた。
十五日午前九時から、宮城県人会館で開催される青葉祭りで、第十七回世界子ども図画コンテスト・ブラジル応募作品三百五十点の選考会が開かれ、入選作品が同サロンで展示される。昨年の同コンテストには世界六十七国、一地域から五万一千九百十八点の応募があり、ブラジルから百三十三点が出展、二点が銀賞、同賞に入賞した。 六日、案に来社した中沢宏一宮城県人会長と、同コンテスト応募の窓口となっているADESC(農協婦人連合会)の内海千代美会長、飯田正子、上芝原初美両副会長は「青葉祭り会場での買い物とともに、子供達の素晴らしい作品も鑑賞してもらいたい」と多くの来場を呼びかけている。
「移住者の熱意に打たれ来伯を決意」 【宮崎発・吉永拓哉福岡支局長】国民から人気が高い東国原英夫宮崎県知事が、このほど各報道機関に向けて、今月二十三日に聖市で行なわれる『ブラジル宮崎県人会創立六十周年記念式典』に出席することを正式表明した。現職の宮崎県知事による訪伯は、九四年の故松形祐堯(まつかた・すけたか)知事以来、十五年ぶりとなる。本紙では、東国原知事にいち早く訪伯へ向けての抱負を語ってもらおうと、六日、宮崎県庁を訪れた。 22日に着聖、3日間の滞在 宮崎県人会創立60周年式典に出席 同県庁にある文化文教・国際課国際企画担当者の話によると、宮崎県からの訪問団は知事を含め四十人ほどだという。 十年前の創立五十周年の際には百七十人、五十五周年では七十六人と、訪問団への参加者は不況とともに減少している。 しかし、前回、前々回の訪問団では母県の出納長が団長だったが、今回の六十周年記念式典は、国内で人気が高いタレント出身の東国原知事が団長として出席する。 本紙記者が同県庁へ訪れたこの日、庁舎の中は東国原ファンの観光客で賑わっていた。また、東国原知事のマスコット入りポスター、看板がいたるところで目に飛び込んだ。 知事室へ通されると、眼鏡をちょこんと目の下にかけた東国原知事が、ノーネクタイにワイシャツ姿で現れ、「どうぞ、どうぞ」と腰を屈めながら席を勧めた。 東国原知事の話では、過去に二度、テレビ番組の収録でブラジルへ行ったという。 その際、サンパウロ、リオ、ブラジリアの三都市を回り、モルンビースタジアム、シュラスカリア、リオのカーニバルなどをレポートし、ダイナミックなブラジル文化に圧倒された。 「ブラジルはとても活力がある国だった」と振り返る東国原知事。 今回の訪伯について、衆議院の解散に伴う総選挙前で多忙な中、なぜ同県人会周年式典に出席しようと決断したのか。 東国原知事は「じつは一昨年、ブラジルから宮崎県人の移住者が県庁にお越しになり、私を六十周年式典に招いたんです。その移住者の熱意に心打たれて、これは絶対にブラジルへ行かなければと思いました」。 また知事は、ブラジルのエネルギー産業、航空機産業などにも注目しており「ブラジルはブリックスの一国としてすごい存在感がある」と訪伯に期待を寄せる。 知事の日程は二十二日にブラジル到着。同日、宮崎県出身のJICAボランティア活動現場視察、日本移民開拓先没者慰霊碑参拝、同県人会役員との意見交換と歓迎夕食会。二十三日、同六十周年記念式典、県費留学生ОBらとの意見交換、サンパウロ日本国総領事との意見交換。二十四日、ホンダロック・サンパウロ工場視察、イツペーバ市長表敬、ブラジル日本語センターなど視察、同日帰国。 東国原知事は、本紙から宮崎県人に向けて「県人を受け入れてくれたブラジルに感謝するとともに、訪伯の折は宮崎県人とのふれあいを大切にしたい。皆さんのご苦労や情熱を知り、エネルギーをいただきたい」とメッセージを送った。 なお、宮崎県訪問団の主な団員は、中村幸一県議会議長、津村重光宮崎市長、住吉昭信宮崎大学学長、浦野勝雅(株)ホンダロック代表取締役社長、徳永哲也宮崎ブラジル親善協会理事。...
在伯群馬県人文化協会では、留学生会主催の第二回留学・研修生集会兼フェスタ・ジュニーナが六月二十八日に、パウリーニャのシッチオ・ミヤに於いて約七十人の参加者のもと開催された。 この集会は、例年行われる恒例の事業として、エス・ボルシスタを中心に、会員との親睦を図る事を目的とした行事で、今回は、子供達も含めた冬の休日を思いっきり楽しむ事が出来た。 当日は、晴天に恵まれた日曜日で、八時半に県人会館前を大型観光バスで出発し、アニャングェーラ街道をまっしぐらに走り、途中でビニェードのサービスエリアで一息入れ、再びカンピーナスへ向かって走り、パウリーニア郊外にある宮氏のシッチオに十時半に到着した。この地区は、現在都市化が進んで居り、コンドミーニオ・フェッシャード、住宅用ロッチアメントや、一般住宅も多数建設中で活況を呈している。 一行をこの地区の人達が手を振って歓迎してくれる中、旧知の人も何人か居り、お互いに旧交を温めながら、会場に入った。主催者の皆さんが、前以ってフェスタの為の飾り付けや、ゲーム用具、カラオケセット、ビリャード、仕出し屋台セット等、至れり尽くせりの準備をしてくれていた。今回は、邦字紙の記者も同行し、日本の地方紙にも掲載する予定との事で、大変な盛り上がりを見せていた。また、五月に行われた留学、研修生選考に合格した人達も家族と共に参加し、一層の華やかさを添えた。 約五時間半にわたり思い思いに楽しんだ後、各ゲームの優勝者に景品を渡し、まだ続けていたい思いに駆られながらも帰還の時間になり、帰りのバスの中でパウリーニアの街の説明を聴きながら一巡し、市役所近くの街路名に、長い間支部長を勤めて来られた、今は亡きシュウヘイ・ミヤさんの名が付いていると聞き、大変感動し、如何に宮さんがこの地の有力者で、功労があったかを窺い知る事が出来た。 帰路は、バンデイランテス街道を走り、夕刻六時少し廻ったところで当会館前に無事到着した。主催者、並びに、参加された皆さん大変お疲れ様でした。
山口県人会(平中信行会長)は、九州北部豪雨による山口県内の被災者への義援金を募っている。 山口県では、七月二十一日からの豪雨により、土砂崩れや河川決壊などの被害が相次ぎ、これまでに十七人が死亡、全壊家屋は三十三軒に上っている。 要田武副会長は、「困った時はお互い様なので、少しでも力になりたい」と協力を募っている。 義捐金は、同県人会または銀行振込(レアル銀行1551-8002940-6)で八月三十一日まで受け付け。なお、振込明細に氏名を明記して、事務局まで送付または連絡してほしいとのこと。 詳細は県人会事務局(電話11・3208・6074、FAX3272・0580、担当=小林さん)まで。 写真:「ぜひ協力を」という要田副会長と平中会長(左から)
沖縄県人会ビラ・カロン支部(知花ルイ支部長)主催の第七回おきなわ祭りが、十五日正午から午後十時まで聖市マンチェスター区のハロルド・ダルトロ広場で開催される。 毎年恒例のおきなわ祭りには、約二万五千人の 来場が見込まれており、琉球国祭り太鼓、レキオス芸能同好会のエイサー太鼓(計約五百人)をはじめ、芸能集団「トントンミー」、マウリシオ・ミヤ氏の歌謡ショーや盆踊りなども披露される。 また、周辺地域の協力を得て六十のバザリスタが出店。郷土食の足てぃびち、ヒージャー(山羊)汁、沖縄ソバなども販売。さらに、会場では血圧などをはかる無料の健康診断も行なわれる。 四日、案内に来社した知花支部長、上江田エドアルド実行委員長、新崎マリオ相談役は、「おきなわ祭りは毎年規模が大きくなっており、今年は約三十社の企業の協賛と百社の協力、数多くのボランティアたちの力により開催されます。ぜひ、お越しください」と来場を呼びかけている。 なお、入場者は一キロ分の基礎食料品の持参が必要。食料品は希望の家をはじめ、地元福祉二団体の計三団体に寄付される。 写真:案内に来社した知花支部長、上江田実行委員長、新崎相談役(左から)
ニッケイ新聞 2009年8月12日付け 鳥取熟年大学は十九日午後一時からブラジル鳥取交流センター(ドナ・セザリア・ファグンデス街323)で八月の例会を開く。今月は佐々木陽明・浄土宗日伯寺開教総監が講師を務める。参加費七レアル。一般の参加を歓迎している。
ニッケイ新聞 2009年8月8日付け ビラ・カロン沖縄県人会(知花ルイ会長)は十五日正午から午後十時まで、「第七回おきなわ祭り」を同支部会館前の市営サッカー場(Praca Haroldo Daltro,s/n, Vila Nova Manchester、最寄駅はカロン駅)で行う。一昨年から聖市の行事カレンダーに組み込まれた同祭。昨年百周年には約三万人が集まり盛大に行われた。今年も来場者二万五千人を見込む。四日来社した知花会長と上江田エドアルド実行委員長、新崎マリオさんによれば、エイサー太鼓や琉球舞踊、民謡など二十グループ、約千人が舞台を飾るほか、食コーナーでは沖縄そばやヒージャー汁(ヤギ汁)など郷土料理を販売する。祭りの最後十分間は、花火が打ち上げられる。「これからはコロニアやブラジル社会へ福祉活動をしないと」(知花会長)と、今年は健康スペースを設けて無料でコレステロールや血圧などの一般検査を行う。「祭りを通して沖縄文化・芸能を一日楽しんで欲しい」と三人は来場を呼びかけた。入場無料だが、一キロの保存可能な食料持参を呼びかけている。後日、福祉協会希望の家と地元福祉二団体に寄贈される。問い合わせは同支部(11・2296・1120)。
ニッケイ新聞 2009年8月8日付け 陸・海・空、三軍の日系将官が一堂に会して、七月三十日午後七時から聖市の広島文化センターで「第二回日系著名人講演会」が開催された。日系最高位の小松パウロ・カズノリ陸軍中将、三谷エドゥアルド・シゲル海軍予備大佐、谷アントニオ・タクオ空軍大佐が講演。用意された二百三十席は全て埋まり、立ち見も含め約二百五十人が、普段聞く機会のない貴重な話に耳を傾けた。同講演会はブラジル広島県人会(大西博巳会長)、ブラジル日系協会(京野吉男会長)、ACAL(リベルダーデ文化福祉協会、池崎博文会長)、汎アメリカン・ブラジル日系人協会(矢野敬崇会長)の四団体が共催。広島県人会の平崎靖之理事がコーディネーターを務めた。サンパウロ南東二十二部隊のセルジオ・ルイス・スタンカンチ陸軍中佐、在聖総領事館の脇谷和忠副領事、遠藤マリオ・日系協会副会長(予備空軍大佐)、聖南地区百周年協会の折田茂郎会長なども訪れた。講演は大型スクリーンに写真や動画を映しながら行われた。トップバッターの三谷海軍予備大佐は、階級章や海軍学校について説明したほか、所有する軍艦やリオの海軍基地について紹介。続いて谷空軍大佐は、軍用機の種類や所有台数、ミサイルの説明とともに、南極での支援活動の様子や、アマゾン地域での公共工事などについても紹介した。最後に演壇に上がった小松陸軍中将は、軍が関与した線路や道路、空港などのインフラ整備について紹介し、さらに、災害時における、給水や医療などの活動について説明した。来場者は終始、日系将官から語られる話に耳を傾け、興味深げにメモをとる人もいた。講演終了後、主催者らから三氏に記念品が贈られ閉会した。フリージャーナリストの外山脩さん(67、静岡)は「日系将官に、日本の軍人魂、武士道など精神的なものが受け継がれているか確認したかったから」と訪れた理由を述べ、「企画としては優れていたが、日系人相手に説明するなら、もう一つ欲しかった」と語った。海軍が一番好きだという松村滋樹さん(67、鹿児島)は「若い人に向けての講演会だったが、企業ではなく、軍隊の偉い人と会える機会が少ないので、有意義だった」と話していた。講演後、会場では参加者と講演者が気さくに会話をし、記念写真を撮る場面も見られた。制服から背広に着替えた小松中将は、くつろいだ様子で「日系人はいろいろな困難にぶつかっても、負けずに頑張っている。こういうイベントが出来たのも、友人、家族、兄弟のおかげ。感謝している」とニッケイ新聞の取材に答えた。二度目の講演会を無事終えた大西会長。「日系の心を三世、四世の若者に伝えたい。(三氏のような)立派な人が増えてくれれば」と話す。平崎理事は「このような会をこれからも広島県人会が中心となって開き、日系社会を盛り上げていきたい」と意気込みを語った。
ニッケイ新聞 2009年8月8日付け 【神戸新聞】皇太子さまは七日、大阪空港経由で兵庫県入りし、ブラジルなどへの移住の歴史を伝える神戸市中央区の「市立海外移住と文化の交流センター」を視察された。同センターは一九二八年に建設。南米を目指す移民が船出前に滞在し、七一年までに約二十五万人が旅立った。国内で唯一現存する移住関連施設で、六月に博物館としてオープンした。皇太子さまは展示写真などを熱心に見て回った後、在日日系ブラジル人向けのポルトガル語教室を視察。「しっかり勉強してくださいね」と語りかけ、歌を披露した子どもたちに「オブリガード(ありがとう)」とポルトガル語で感謝を伝えた。皇太子さまは八日午前、西宮市の甲子園球場で全国高校野球選手権大会の開会式に出席。開幕戦を観戦した後、同市の武庫川女子大を視察し、帰京する予定。
8日サンパウロ・ジョッキークラブで サンパウロ・ジョッキークラブ恒例の「ジャパン・カップ」レースが八日、サンパウロ市内のシダーデ・ジャルジン競馬場で行われる。同交換レースは、一九九五年の日伯修好百周年を記念してサンパウロ新聞社の仲介でサンパウロ・ジョッキークラブと日本中央競馬会(JRA)が継続事業として実現した。以後毎年行われており、今年は十五回目となる。同ジョッキークラブでは、毎年、同レース開催当日を「ジャパンデー」と銘打って各レース名を日系社会に関連したタイトルがつけられている。また、会場では、日本文化紹介も行われ、同ジョッキークラブでは、日本人や日系人の来場を呼びかけている。入場料は無料。 出走は午後5時20分 同レースが毎年八月に行われているのは、JRAが日本から騎手を派遣するのに都合がつけやすいということで決まった。一方、日本では毎年十一月に東京・府中競馬場で「ブラジル・カップ」を開催している。 第一回から第三回まではJRA本部から派遣された役員、一流騎手が来伯し花を添えた。その後、人的交流は途絶えていたが、一昨年にはJRAニューヨーク事務所から所長が来伯し、双方の交流深化を再確認している。 同ジョッキークラブでは四年前から競馬場の活性化の一環として同レースのてこ入れを行っており、同ジョッキークラブと本紙の話し合いで同レース開催日を「ジャパンデー」と位置づけ日本文化紹介の場として開放してきた。 一昨年はブラジル日本移民百周年のプレイベント、昨年は移民百周年事業として展開し、来賓席で裏千家ブラジル支部の点前が披露されたり、日本酒の鏡割り、MOAインターナショナルの協力で「日本の四季」写真展などが行われた。 今年は例年通り、会場では福岡県人会が所有する鯉幟約三十匹がコース内を泳ぎ、レースの合間にレキオス芸能同好会の琉球太鼓、鳥取県人会の「しゃんしゃん傘踊り」、「一心」グループのよさこいソーランが披露される。 また、来賓席では池ノ坊ラテンアメリカ橘支部が生け花で会場を飾り、MOAインターナショナル・ド・ブラジルが昨年同様「日本の四季」写真展を行う。 メインレースの「ジャパン・カップ」の出走時間は午後五時二十分だが、その前後に日系コロニア主要団体や大部一秋サンパウロ総領事の名前をつけたレースが予定されている(レース名、出走時間は別表通り)。 同ジョッキークラブでは「『ジャパン・カップ』はブラジルで定着し、『ジャパンデー』もサンパウロの人たちに知られるようになりました。今年も日系コロニアの皆さんとともに有意義な一日を楽しんでいただければと思いますので、一人でも多くの方に参加していただくよう、お誘い併せの上、ご来場下さい」と呼びかけている。 写真:昨年、会場で人気を博した琉球太鼓。今年も出場する。
ニッケイ新聞 2009年8月7日付け 毎年十一月の『灯ろう流し』で有名な聖州レジストロ市で五日夜、広島の被爆者の冥福を祈る灯ろう流しが行なわれた。広島の原爆投下時間(六日午前八時十五分)に合わせて一分間黙祷、サンパウロや地元日系団体関係者ら約百人が平和への誓いを新たにした。日系唯一の聖州議員で父方の祖父母が広島出身の西本エリオ氏も参加した。ブラジル広島県人会、ブラジル被爆者平和協会、リベイラ沿岸日系団体連合会(FENIVAR)、レジストロ日伯文化協会の共催。発起人の平崎靖之さん(63)は、「ブラジルに平和を伝える行事として来年も実施できれば」と笑顔を見せていた。 ブラジルで同様の行事は初めて。胎内被爆した平崎さんが「十歳で移住して半世紀。ブラジルに平和の大切さを伝えることができないか」と発起人となり、理事を務めるブラジル広島県人会や地元日系団体関係者に呼びかけ、実現した。全国系テレビ局も取材に訪れた。サンパウロから参加した一行二十五人はレジストロに午後六時に到着。山村敏明FENIVAR会長の案内で同地文協内にある各施設を見学。レジストロ本願寺であった追悼法要で読経の響くなか、参加者らが焼香を行なった。導師の住職石田広海さん(80、広島)は、法話のなかで「中学の同級生の半数が被爆で亡くなった。被爆の悲惨さ、平和を念ずることが供養になる」と語った。続いて、在外被爆者の権利を訴えるブラジル被爆者平和協会の森田隆会長(85)はあいさつで「被爆の体験は生涯忘れることができない。核と人間は両立しない」と表情を引締めていた。鳥居や移民資料館のある川岸に集まった参加者らは、リベイラ上流から流された百基の灯ろうを見詰め、手を合わせる人もいた。ブラジル広島県人会の大西博巳会長(64)は、「平和の大事さをブラジルの次世代に伝えることも県人会の役目」とし、ポルトガル語で書かれた原爆の悲惨さを伝えるパンフレットを地元日系関係者に手渡していた。平崎さんは、「来年からはブラジル人や地元の学校へ参加を呼びかけ、恒例行事にしていきたい」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年8月7日付け 熊本県人会(小山田祥雄会長)は、二日午前九時から同県人会館で「第三十九回熊本芸能祭」を開催した。約百二十人が集まり賑わいをみせた。芸能祭は、小山田会長の「日本文化を後継していくことは大切。今日は楽しい一日にしましょう」との挨拶で開幕。「ボケない音頭」で一同輪になって踊った後、計約六十演目が披露された。ロンドリーナから参加し三十八回目の出演を果たした中川芳月さんは、同県人会初代会長・中尾熊喜氏の人生を綴った自作の浪曲を披露。会場から大きな拍手が沸き起こった。中川さんは、「今回は少し変った浪曲にした。皆に喜んでもらえて嬉しい」と話していた。今年はカラオケのほか舞踊が多かったことが好評で、特に若手の田中みずえさんによる「誰か故郷を想わざる」、「野崎小唄」は観客の目を引いた。また、男性の舞踊は珍しい、と門脇純冶さんの「北国の春」や「柔」の演技が注目を浴びた。昨年はロンドリーナからの参加は一人だけだったが、今年は婦人部からの参加も多く十人が出演した。団体舞踊など参加者全員の演技を終え、三時過ぎには帰りのバスで出発するスケジュールだった。会員の寄付により集まった賞品六十個を前にしてのくじ引き大会も盛り上がりをみせ、午後四時半過ぎ芸能祭は幕を閉じた。荒木信秋さん(83、熊本)は、「初めて会のイベントに参加した」と話し、楽しんだ様子だった。小山田会長は、浪曲の後継者がいないことを心配しながらも、「去年よりも賑わった。若者が参加してくれ嬉しい」と満足げに話していた。さらに、「来年は四十周年にあたるのでさらに盛り上げていきたい」と力を込めた。
ニッケイ新聞 2009年8月6日付け 昨年九月下旬にパウリスタ線・パンタナールを旅した県連主催「第三十回ふるさと巡り」のDVDが完成し、グローバル・サービス旅行社(SERVICE GLOBAL-ガルボン・ブエノ街37番7階、電話11・3572・8990)で配布している。予約者は連絡のこと。制作は畑勝喜さん(GSC・VIDEO)。約一時間。