「弱小だけど何かが変えられるかも」 今年から、「アクションなくして結果無し」をテーマに掲げた埼玉県人会(飯島秀昭会長)は、活動の第一弾として、埼玉県所沢市で十月に行なわれる『所沢フェスティバル』に同県人会ブースを設置、同時に少年サッカー教室を開くなどし、母県に対する広報活動を行なう。同県人会は、三日午後六時から、同県人会事務局で月例会を実施。集まった七人の会員らは、「見ての通り弱小だけど、ここから何かが変えられるかも」と、三時間にわたり熱のこもった討議をしていた。 地元でサッカー教室 日伯友好議員連盟と連携深め 今回の企画は、埼玉県県議会議員六十五人で構成されている日伯友好議員連盟と同県人会の間で、「もう少し親密な関係を築く手立てはないか」と、討議したことがきっかけになり立ち上がった。飯島会長や尾崎眞次副会長が訪日時に県庁や市と三回にわたり協議し、実現の運びになったという。 月例会では、はじめに尾崎副会長が企画の概要を説明。ブラジル大使館と国際協力機構(JICA)横浜の全面協力で、ブラジル紹介のパネル設置や紹介ビデオの放映を行なう。また、コーヒー、果物ジュース、パステルなどの販売や特製パンフレットの配布もする。 さらに何といっても今回の目玉は少年サッカー教室で、元日本代表の岩本輝雄氏、エクアドル元プロの中川賀之氏を講師に迎えて同県内の小学五、六年生二百名を対象に開く。「ブラジルといえばサッカーという軽い気持ちで親しみをもってもらえれば」と、発案に至ったことなどが話された。 飯島会長は、「これからの県人会は母県に頼るばかりでなく、こちらからアクションを起こし、対等の立場で向き合えるような関係を築いていかなければ」と語り、「たとえ失敗に終っても次の世代へ繋げるきっかけにはなる」と、思いを込めていた。 根本信元前会長は、「将来的に県人会という枠組みが残る可能性は薄い。これをきっかけに他県の交流も活発になれば、日系社会の後世に絆を残せるのでは」と、強調していた。 柘植(つげ)教子婦人部長も、「このままの県人会ではもたないし、伸びていかない。石を投げてみるのも良いかも」と、笑みを浮かべていた。 同会ではこの他、準備委員長の尾崎副会長の訪日が承認され、同月行なわれる川越産業博覧会への出展も内定していることなどが報告された。また、母県への広報活動は来年以降も継続し、会員一人一人を実行委員として派遣することについても話し合われていた。 写真:「アクションなくして結果無し」と、力強く語る飯島会長
Dia: 8 de setembro de 2009
熊本市で公認観光案内ボランティアを行なっている吉村徹夫さんが、八月二十七日から初来伯し、約一週間の日程で滞在した。 吉村さんによると、昨年は熊本城築城四百年の節目の年を迎え、一般市民からの浄財十二億円を含む約四十五億円の費用をかけて、「本丸」を復元。「昨年一年間は、日本国内でも熊本への観光客が一番多かった」(吉村さん)という。 熊本市の観光ボランティアは現在、約七十人。吉村さんは、本職のNTT熊本に勤務する傍ら、休日などを利用して市の観光活性化を目的に奉仕活動を続けている。 職場の同僚で、同じく初来伯の高橋克典さんが、訪伯四十五回目という大ベテランの田所清克京都外国語大学教授の甥に当たることから、「一緒にブラジルに来ることができた」と語る吉村さん。「『こんにちは』ぐらいのポルトガル語は覚えて帰りたいです。熊本市の素晴らしさを今後も伝えていきたいと思っていますので、ブラジルからもぜひ、来ていただきたい」と呼びかけていた。 写真:田所教授(左)の案内で来社した吉村さん(右)と高橋さん
ブラジル北海道協会(木下利雄会長)では十三日午前十一時から午後三時まで、同協会婦人部「はまなす会」(水野誠子会長)による『ラーメンまつり』を開催する。 五百食用意するラーメンはしょうゆ味で、一杯十三レアル。ほかにもタコ、イカ、エビなどの海の幸が豊富な北海ちらし(十三レアル)や、いちご大福、あんみつなども販売する。 また十二、十三の両日午前十時からは『第二回北海道物産展』が催される。北海道から直送のカニ、たらこ、ホッケ、シシャモ、ワカメ、昆布など、普段は入手が難しい品の数々が販売される。 会場はいずれも北海道協会会館(聖市ビラ・マリアナ区ジョアキン・タボラ街六〇五番)。ラーメンの前売り券購入および問合せは同協会(電話11・5084・6422)まで。
沖縄県人会(与儀昭雄会長)はこのほど、協和婦人会(普天間俊子会長)の四十二年の活動を振り返る記念誌「協和婦人部のあゆみ」を発刊。その祝賀会が八月三十一日午後三時から同県人会館で行なわれ、婦人部関係者をはじめ、編集委員長の山城勇氏らが出席した。 一九六六年、現在の県人会の前身である「在伯沖縄協会」の企画・文化担当理事だった故・宮城松成氏の提案に基づき、婦人の生活向上を主な目的として創立された協和婦人会。各イベントでの食事づくり、各種演芸会参加やピクニックなどの活動も行ない、行事などで売上げた利益の一部を福祉団体や県人会に寄付するなど貢献してきた。 編集委員の宮城あきら氏によると、二〇〇六年には創立四十周年記念式典が開催され、同記念誌はその年に発刊される予定だった。しかし、移民百周年事業など多忙な状況が続き、編集委員会で各種資料を集めながらも、中断せざるを得ない状態が続いてきたという。 今年三月頃から改めて編集作業が行なわれ、七月に終了。八月にようやく出版にこぎつけた。 記念誌は、巻頭の「会員のあいことば」、「協和婦人会の会歌」をはじめ、創立四十周年記念式典や創立当初の活動など約四十ページ分におよぶ写真が使用。第一部の創立四十周年記念式典、第二部の「縁の下の力となって―協和婦人会のあゆみ」と大きく二部構成になっており、そのほかに文芸欄、追悼集や年表による婦人部の活動も記載されている。 特に第二部は、第二十七号まで続いたという同婦人部機関紙の「会報」の内容を抜粋しており、当時の記録が浮き彫りにされている。 普天間会長は祝賀会の席上、「編集委員の皆さんのお陰で立派な記念誌ができました。婦人会を作ってきたすべての先輩方と会員の人たちに感謝しております」とあいさつした。 山城編集委員長は、「最初に集めた資料の整理がつかないままに、移民百周年関連事業となったため、資料がこんがらがって仕事が困難となり責任を感じていたが、何とかできあがって良かった」と安堵の表情を見せていた。 写真:発刊された「協和婦人会のあゆみ」の表紙 写真:祝賀会で杯を掲げる婦人部の皆さん
