07/03/2026

Dia: 12 de setembro de 2009

ニッケイ新聞 2009年9月12日付け 沖縄県人ブラジル移民百周年の記念事業として聖州ジアデマ市の沖縄文化センターで建設が進められてきた移民資料館の建物が完成し、五日、約二百人が出席して落成式が挙行された。母県からは沖縄ブラジル協会長を務める西原篤一氏(在那覇ブラジル名誉領事)が来伯。あわせて昨年の百周年式典で金武町から寄贈された記念石碑、国頭村の寄贈による夫婦像「万国津梁の民」碑の除幕式も行なわれた。先駆者の歩みを伝え、県系社会の心の拠り所となる同資料館。県人会、センターでは来年中の開館を目指して資料集め、整理を進めていく予定で、現在関係者に資料提供を呼びかけている。 県人移民百周年の記念事業としては最大のものとなる「沖縄移民資料館」。母県から二千万円、市町村、民間から一千万円ずつの支援を受け建設が進められてきた。当日の空は厚い雲に覆われながらも、雨に降られることなく落成式を開始。午前十一時過ぎから入口前で南米大神宮の逢坂和男宮司により清め祓い式が執り行なわれ、与儀昭雄会長はじめ県人会、文化センターの歴代理事長や関係者、西原氏、ジアデマ市のジルソン・メネゼス副市長らが玉串を捧げた。建物のテープカットを行なった後はセンター入口に移動し、「万国津梁の民」碑と、「いざ行かん我らの家は五大州」と刻まれた金武町の記念石碑を除幕。滞りなく一連の行事を終了した。▽   ▽平屋建ての資料館には今後、展示室や図書室、資料保管室のほか、慰霊室や県人移民のルーツをたどれる家系図室などが設置される計画。映像コーナーなども整備し、歴史の保存とともに伝統文化普及の場として位置付けられている。建物の前には沖縄県旗のデザインをイメージさせる円形の空間が設けられ、中央に笠戸丸県人移民三百二十五人の名と、沖縄と移住先国の地図を刻んだプレートが設置された。記念碑除幕後、建物の前で来賓、関係者があいさつ。昨年の式典に出席した翁長雄志那覇市長からのメッセージも紹介された。与儀会長は「沖縄、ブラジルの皆さんの協力で落成の日を迎えることができた」と感謝を表わし、「これから色々な資料を集めてウチナーンチュの歴史をここに入れ、次の世代へ残していきたい」と決意を語った。式典実行委員長の松堂忠顕委員長は「これから人材を選び、中身の充実に努めてほしい」とあいさつ。山城勇元評議員会長は「先人が築いた絆と結束に、常に感謝の気持ちを持たなければ」とし、「これからは我々の肩にかかっている」と述べ、さらなる協力を呼びかけた。 団結の象徴 三十年以上にわたる分離状態を経て、現在統合を進めている県人会と文化センター。団結の象徴とも言える同センターに、県系社会の歩みを将来へ伝える資料館が落成した。学生寮建設事業として始まった同センター。県人会のミラカツ支部長を四十年務め、文化センター理事としても尽力した長田栄治さん(91)は「ここが当初の夢だった子弟の教育の場になり、世界の文化センターになってくれれば」と語る。同センターの創設者、花城清安氏の息子で、自身理事長として尽力した花城清賢ジョルジさん(79)は、「皆の協力で立派なものができた。父も喜んでいると思います」と笑顔を見せ、「これから大事なのが資料集め。県人の歴史を子孫に残し、いつでも思い出せる場所になってほしい」と期待を表わした。終了後は運動場で昼食会が開かれ、花城さんの発声で乾杯。舞踊なども披露され、午後二時ごろまで和やかなひと時を過ごした。
ニッケイ新聞 2009年9月12日付け 琉球民謡保存会ブラジル支部(仲村善正支部長)は十三日午後二時から沖縄県人会館大サロン(リベルダーデ区トマス・デ・リマ街72)で「第十九回紅白歌合戦」を開催する。入場無料。二十四組四十八人が出場。大会の中で、紅組白組から一人ずつRBC(琉球放送)の「新春民謡紅白歌合戦」への参加者も選抜される。歌の合間には七歳からの子供たちが参加する舞踊などのアトラクションも披露。会場では沖縄そばやサーターアンダーギー(揚げドーナツ)が販売される。毎年紅組が勝つことが多いそう。来社した仲村支部長と米須正大会実行委員長は、「今年こそは、と白組も力を入れて練習してきました。ぜひ応援に来て下さい」と呼びかけた。問い合わせは、仲村支部長(電話=11・4991・6761)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月11日付け ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は、宮崎県人の移住の歴史をまとめた「宮崎県南米移住史」(〇三年、宮崎県南米移住史刊行委員会発行)のポルトガル語翻訳版「HISTORIA DA EMIGRACAO JAPONESA PARA AS AMERICAS」を発行し、八月二十五日、リベルダーデの東洋文化会館で出版記念祝賀会を開催した。翻訳版は地名などを加筆、修正し約二年の歳月を経て完成した。黒木会長は開会の挨拶の中で、六十周年式典が盛大に開催されたことを説明し、マナウス市やイツペーバ市に工場がある自動車メーカー、ホンダロック(本社=宮崎市佐土原町)やトッパン・プレス印刷出版(奥山啓次代表取締役)など、関係者に謝意を表した。続いて吉加江ネルソン名誉会長が翻訳の経緯を説明、協力してくれた関係者に謝意を述べた。さらに、「口から出す言葉は消える。本に書いた言葉は残る」と述べ、「より多くの宮崎県人の子弟達にも読んで欲しい」と挨拶をした。同書は、宮崎ブラジル親善協会の徳永哲也理事(72、福岡)が十一回来伯し一人で取材、執筆したもので、日本人の海外移住の歴史から宮崎県の南米移住までを紹介。史料・年表編ではコチア青年や花嫁移住者、県費留学生など緻密な調査に基づいた詳細なデータが掲載されている。徳永さんは、一九七四年、県人会二十五周年の時にMRT宮崎放送の記者として来伯し、トメアスーなどで活躍する県人や留学生OBに焦点を当てた番組を製作したのがブラジル、そして日系社会との出会いだった。その時、移民に対して興味と関心を持ち、来伯のたびに移民関係の史料を収集した。定年した九八年に同協会の事務局長に就任してからは、宮崎を訪れる留学生たちの世話も行ってきた。そのような経緯から執筆するようになったという。徳永さんは「協力いただいたみなさんに感謝する。今日は、当時お世話をした留学生の顔を見られて嬉しいです」と語った。同書の翻訳版はITCOM PACTOR社でコンサルタント業務を手掛けるエリアス・アンツーネス氏(71、ロンドリーナ市在住)により翻訳された。同氏は六二年から二年間、大阪外語大学と東京大学で国費留学生として学び、六八年から二年間在日ブラジル大使館に勤務した。今回の刊行は、同氏と親交の深い吉加江名誉会長から誘われたことで決定した。エリアス氏は「地名や人名の翻訳に苦労した。日本に対する恩返しです」と感想を語った。同書の販売、または配付方法は未定。詳しくは同県人会(電話=11・3208・4689)まで。