07/03/2026

Dia: 18 de setembro de 2009

ニッケイ新聞 2009年9月18日付け 【トメアスー発=松田正生記者】アマゾン移民の古里、これからも――。トメアスー文化農業振興協会で十六日、日本人アマゾン移住八十周年記念式典(実行委員長=海谷英雄同文協会長)が行われた。マラリアの悲劇、戦中には敵性国民として扱われ、そして戦後のピメンタ景気―。激動の歴史をたどってきた同地の節目を祝う式典に州内、国内外から約六百人(主催者発表)が出席。皇太子さまも祝辞を寄せられ、移住者に敬意を表した。当日は八十年の歩みを見つめてきた二人の第一回移民が出席して表彰を受けた。 好天に恵まれた式典当日、午前八時過ぎから会館前の道路で記念パレードが催された。海谷実行委員長、武田キヨミ副市長らが日伯国旗、パラー州、トメアスー市旗を掲揚。続いて同市にあるトメアスー・ニッケイ学校、ファビオ・ルス学校、イピチンガ学校の生徒がパレードし、トメアスー、アマゾンでの日本移民・日系人の貢献を称えた。十時過ぎに始まった式典には、オダイール・コレイア州副知事、飯星ワルテル、ウィリアン・ウー両下議、地元選出のゼナウド・コウチーニョ下議、カルロス・ヴィニシウス市長、生田勇治・汎アマゾニア日協会会長、島内憲駐伯大使、名井良三ベレン総領事、芳賀克彦JICAブラジル所長など日伯両国の来賓が出席。日本からは、福岡県の海老井悦子副知事、井本邦彦副議長ら五人、今村忠雄日本海外協会会長などが来伯した。また、サンパウロからは、十人近い県人会長が県連ふるさとめぐりなどで式典に参加。与儀昭雄県連会長、菊地義治援協副会長らも出席した。一九二九年九月二十二日にアカラ植民地(現トメアスー)に到着した四十二家族百八十九人によって切り開かれたアマゾン移住の歴史。開拓初期はマラリアなどの風土病に苦しみ、戦中は敵性国人とされたアマゾン地域の日本人が強制隔離されるなど苦難の道のりが続いた。海谷実行委員長はあいさつで「一時は七割が脱耕した過酷な状況の中でも残留者は夢を忘れなかった」と先人の苦労を偲び、「戦後のピメンタの成功で文化的な生活を営む余裕が生まれ、さらに戦後移住者の入植により、名実ともに北伯一の日系社会になった」と振り返った。同地は現在、熱帯果樹栽培やジュース加工のほか、農業と林業の混合により持続的な開発を目指す「森林農業」に取り組んでいることから、海谷委員長は「アマゾンの自然と調和した農業をいかに効果的に進めていくかが我々の課題」と締めくくった。出席した来賓もそれぞれ祝辞。ヴィニシウス市長は「日本人はトメアスーの友人」と述べ、州副知事は同地が州発展に果たした役割を称え、日本とのさらなる関係進展に期待を表した。皇太子さまからの祝辞は島内大使が代読した。皇太子さまは「移住者の苦労を偲び、心から敬意を表する。アマゾン移住者の地道な努力が今日の日系人への信頼、評価につながっている」と現在の発展を称え、「これからも日伯の友好の架け橋として活躍することを願います」とのお言葉を寄せられた。この日はまた、トメアスーへの移住事業を担った南米拓殖株式会社の創立に尽力した鐘淵紡績社長武藤山治氏の孫、武藤治太氏(71、大阪、ダイワボウホールディングス株式会社相談役)も出席した。「当時国会議員だった祖父は、後に来るつもりで、土地も買っていたようです」という。仕事の関係で今回が四度目の来伯という治太氏。「地球の反対側でよくやれたと思う。八十年以上前にまいた一粒の種がこれだけになり、祖父も生きていたら喜ぶでしょう」と話した。式典後は会館入り口に設置された記念モニュメントを除幕。鏡割り、乾杯後に祝賀昼食会が行われた。会館の敷地ではトメアスーの農業を紹介する物産展も開かれ、賑わいを見せた。午後からの芸能祭には滞在中の歌手宮沢和史さんと大城クラウディアさんが出演し、「島歌」を熱唱。婦人らによる演芸が披露されたほか、八十周年を記念して作られた歌「海を越えて~アマゾン移民八十年賛歌」も歌われた。 第一回移民山田元、加藤昌子さんを表彰 この日は、第一回移民で健在な山田元さん(82、広島)、加藤昌子さん(80、秋田)と、七月七日に亡くなった横山禮子さん(娘のアナさんが代理)はじめ、十四人の功労者に実行委員会から感謝状を授与。またパラー州農業水産連盟から、山田さんら三人に、州の農業発展への貢献を称えた記念プレートが贈られた。外務大臣表彰式も行われ、トメアスー文協と海谷会長が受賞した。生後三カ月で移住した加藤さんは「何もできないのに表彰していただき、ありがたい」と喜んだ。二歳で移住、農協理事長を務めるなど同移住地とともに生きてきた山田さんは、「皆さんの支えがあって生きさせてもらった」と感謝し、「日本語はできるだけ続け、一歩でも前進するように努力してほしい」と次世代に期待を表した。
ニッケイ新聞 2009年9月18日付け ブラジル石川県人会(小堀勇会長)は、南米地域青少年育成協力事業「二十一世紀石川少年の翼」で母県から訪れた派遣団六人の送別会を八月二十六日午後、同県人会館で開催した。一行を温かく送り出そうと、県人会員や同交流事業OBなど五十三人が集まった。同交流事業参加者は、速見帆並さん(高一)、東明璃さん(高一)、山岸聖奈さん(高三)、山崎祐輔さん(高一)の四人。団長は石川県観光交流局国際交流課・交流協力グループリーダーの良澤和俊さんで、国際交流員の原口リリアンさんが引率した。一行は八月二十日から二十七日の滞伯期間中、アマゾン移住八十周年を記念し、アマゾナス州マナウス市のマナウス石川県人会を交流訪問。ホームステイを体験、工業団地や動物園、劇場、港を見学したほか、アマゾン川合流地点にも向かった。「ピラルクがおいしかった」と満喫した様子。聖州では、移民の入港したサントス市を訪問。サントス厚生ホームで高齢者を慰問した。最終日前日、四人は一週間の疲れも見せず、元気に会場に姿を現わした。小堀会長は「心ゆくまで歓談し、楽しい時間を過ごしましょう」とあいさつ。竹下康義さんの乾杯の音頭で、和やかに夕食会が始まった。二年半ぶりの再会に喜んでいたのは山岸さんと同交流事業で〇七年一月に石川県を訪問した清丸多美さん(18)。山岸さんの家にホームステイしていた清丸さん、「とても温かく迎えてもらいました」と思い返す。二人は、再会時に互いの顔が分からなかったと笑い合った。交流生四人が「涙そうそう」と「上を向いて歩こう」を歌った後、それぞれ研修の感想を発表した。山崎さんは「アマゾン川の合流地点が特に印象に残った」、速見さんは「聖市にビルが多いことが意外だった、東京のよう」、東さんは「伯国の人は日本の人に比べても温かい気がした」と笑顔で語った。両親がアイルトン・セナの大ファンで「セイナ」と名付けられたという山岸さんは「また絶対伯国に戻ってきます!」と宣言。良澤さんは、「子供たちの一生の思い出になったと思います。ぜひ石川県にも訪れて下さい」と感謝を述べた。記念撮影が行われ、九時半頃閉会した。