07/03/2026

Dia: 23 de setembro de 2009

【マナウス発・上岡弥生記者】マナウスのアマゾン日本移民八十周年記念祭典は、午前中の式典に引き続き、祝賀会が午後七時から、ポンタ・ネグラ区のダイヤモンド・コンベンション・センターで開かれた。 紅白で彩られた会場には、地元マナウスの日本企業関係者や西部アマゾン日伯協会会員、サンパウロからの慶祝団など四百人あまりが出席し、八十周年を祝いつつ親しく歓談した。 錦戸健祭典実行委員長に引き続き、井上信治衆議、生田勇治・汎アマゾニア日伯協会会長、サンパウロからの慶祝団代表で与儀昭雄県連会長が挨拶。「昨年は移民百周年、今年はアマゾン八十周年を迎えたブラジル日系社会。今後、北と南で団結し、一緒に頑張りましょう」という与儀会長の力強い言葉に、会場からは大きな拍手が沸いた。 その後、来賓らによる鏡開きがあり、出席者らはグラスを片手に大きな声で、「乾杯」、「サウーデ」と祝杯をあげた。 食事の席では、午前中の記念式典スライドショーに加えて、マウエス、ヴィラ・アマゾニア、戦後移民のインタビューなどを含む記録DVDが上映され、手を止めて見入る人の姿が数多く見られた。 地質の悪いベラ・ビスタ移住地で苦労したという寺野タミさん(七八、熊本県出身)は移住当初を振り返り、「とにかく苦労した。自分でもよう頑張ったと思うわ」と感慨深そうに話していた。 昨年の百周年に引き続き再来伯を果たし、今回は麻生太郎・日伯議員連盟代表の代理を務めた井上衆議は、「それぞれの式典ともによかった」とし、十年後の九十周年における再訪問にも期待を寄せていた。 写真:鏡割り後、祝杯をあげる出席者ら
沖縄県人会(与儀昭雄会長)は十二日、同県人会会館でブラジルにある貴重な三線についての第三回目の話し合いを行ない、二百年以上前の物と見られる三線七丁と、譜面が書かれている百年以上前の工工四(クンクンシー)教本を公開した。会員や琉球古典音楽関係者など三十八人が参加し、一つ一つの三線について、その歴史を紐解きながら手に取るなどして丹念に見入っていた。 家宝の品々に尊厳の思い 専門鑑定と登録の必要性訴え 笠戸丸移民、宮城伊八氏が所持し愛用してきた三線は、「海を渡った百年の三線」として日本全国で報道され、人間国宝昭喜名朝一師が弾奏しながら紹介したという。持参した息子の宮城清進さんは、「決して他人の手に渡してはならぬ」と、言われて育ったというエピソードを披露。 和宇慶朝幸家の家宝とされてきた三線は、平仲知念型と見られ、母県の沖縄にも残存せず文化財に指定する必要があるとされる名器。朝幸氏の孫息女、大城敏子さんによると、朝幸氏は、死別の前日に弟子の大城盛忠師範を呼んで、三線曲のテープを聞かせ、その正誤について問い、正答した同師範にこの三線を譲り渡したのだとか。 琉球王朝第二尚氏王統第三氏尚眞王に祖系を持つ親川家に伝わる三線は、八重山クルチ(黒木)のウジラミー(渦状)模様。知念績高愛用といわれ、「夜ひとりでに鳴る三線」としての逸話も有名だが、ブラジルに持参した徳太郎氏弟、徳昌氏の孫マルコス・デニス親子は、この逸話を祖母から直接聞いているという。 一九二六年にマニラ丸で着伯した瀬名波衆伍氏が持参した三線は祖父から受け継いだもの。衆伍氏は、戦後の「勝ち・負け」抗争の中で、沖縄戦災救援のためにリンス・アリアンサ地区で、同郷者らと共に少女歌舞団を組織。この三線は公演活動の際に大いに活躍したとされている。 具志堅永昌氏が一九二八年のもんてびでお丸で持参したのは、小学校教師の祖父虎太郎氏が愛用した三線で、前述の少女歌舞団公演の活躍も光った。永昌氏逝去後、妻のウシさんは、「この二百年になる三線は『めおと三線』でオトコはあんたが、オンナは妹に預けて家宝として守って」と、長男嫁の具志堅嬉久さんに譲ったといわれている。 野村流音楽協会ブラジル支部第五代支部長、宮平源善氏愛用の三線は一九三〇年にらぷらた丸にて持参された。長男のジョゼーさんは、「どんなにお金に困ることがあろうとも、決して売ってはいけない」と譲り受け、家宝として保管している。 「心」の部分に「写―西平開鏡」「佐久本盛信-作」と記録されているのは、銘苅清昌氏が沖縄を探し歩いて入手した三線。カーザ・ベルデで三線製作にも携わっていた清昌氏が、一九七八年帰郷した際、「良い三線を」と、一戸の家屋敷を売り払って買い求めた逸品。 沖縄県浦添市の内間安久氏の妻カメさんが、父の形見にと、長男安林氏に預けた工工四は、内間家の仏壇で大事に保管されてきた。 この工工四は、現在の野村流音楽協会や同古典音楽保存会の歌曲配列と異なっているため、非常に研究価値のあるものとされ、史料館展示用にと同県人会に譲渡されている。 西原篤一在那覇ブラジル名誉領事は、「ブラジルでは簡単に買い替えなどできない。先人が家宝として大事に保管してきたのがわかる」と述べ、「このような素晴らしい三線があることを誇りにしてほしい。楽しいとき、苦しいとき、三線と共に人生を過ごしてもらえれば」と、来場者に呼びかけた。 『写真で見る沖縄県人移民史』の編集委員長を務める宮城あきら氏は、「十か月の調査でこれだけ多くの貴重な三線が出てくるとは」と驚いたことを明かし、「素人判断ではなく、鑑定士を呼んできちんと見てもらうべき」と、強調していた。 先祖伝来の三線を初めて手にした親川デニスさんは、「対面できて嬉しい」と、感激の表情を浮かべながら弾奏。感動に包まれた会場では、大きな拍手が起り、中には記念撮影をする人も見られた。 同会では、今後も研究を継続し、母県にいる九人の専門鑑定士を呼び寄せ、全伯に赴いて鑑定や登録作業をしていくこと等が話し合われ、満場一致で承認されていた。 写真:先祖伝来の三線と感動の対面を果たした親川さん 写真:逸品揃いの三線を手に取る参加者ら
ニッケイ新聞 2009年9月23日付け 【ベレン発=松田正生記者】パラー州都ベレンでアマゾン移民80周年式典が18日に行われた折り、祭典委員会では役職経験者に限らず長年日系社会へ貢献してきた人物、歌手の宮沢和史さんなど日本側関係者、計94人を委員会表彰として顕彰した。受賞者の一人、矢野勝大さん(かつお、77、福岡)はサンタレン文協の創設発起人として尽力し、会長も務めた。夫人の千津江さん(75)とともに、アレンケールの第1回呼び寄せ移民として家族で渡伯。「お金はないし、マラリアになるし、たいへんでした」と千津江さんは振り返る。サンタレンに出てから営んだ電気店は3人の息子が経営にあたるが、「今も日に一度は店に出る」という。表彰を受け矢野さんは、「うれしい。光栄の至りです」と話した。記念の日本語作文コンクールは「移住に関すること」をテーマに募集され、子供から成人の4カテゴリーで最優秀賞、優秀賞が選ばれた。子供の部カテゴリーCの最優秀賞「汎アマゾニア日伯協会賞」を受賞したライゼ・マヤラ・デ・リマ・サライーバさん(15、トメアスー日本語学校)は、「イミグランテ」と題してトメアスーでの日本人の功績を書いた。日本語の勉強を始めたのは2006年。現在は能力試験4級に挑戦中というライゼさん。「とても嬉しい。感激しました」と受賞を喜ぶ。州知事から表彰を受けた山田純一郎さん(84、静岡)はY・YAMADA社長で、パラー日系商工会議所前会頭。息子のフェルナンドさん(副社長および商議所会頭)とともに受賞した。家族で1932年に渡伯した山田さん。「何もいただくと思っていないところに(表彰を)いただけて嬉しい」と感想を語り、講道館4段だった父・義雄さんとコンデ・コマとの関わり、父親が34年に始めて開けた売店のこと、戦争中のトメアスーへの強制収容などの思い出を振り返った。第1回トメアスー移民で、この日パラー州農業連盟から表彰を受けた大橋敏男さん(92、静岡)は、「同じようにあの頃苦労した人たちがいます。長生きしたから今回の表彰を受けることができた」と話す。「あの頃南拓(南米拓殖会社)にはアマゾンの経験者はいなかった。何もかも新しくやったんですよ」とトメアスー開拓の時代を振り返り、大橋さんは「今の日系人はこんな大きな所で式典ができる。州の発展のために農業をやったのは日本人。だから州政府も認めているのだと思います」と話した。