06/03/2026

Dia: 23 de outubro de 2009

ニッケイ新聞 2009年10月23日付け 沖縄県人会と沖縄文化センター共催の「第4回こども祭り」(呉屋春美実行委員長)が、「子供の日」の12日午前9時からジアデマ市の同センターで開催され、約1千人が来場した。子どもを対象とした日系イベントが数少ない中、縁日でなじみの輪投げや金魚すくい、射的や日本食、また舞台での演舞やワークショップなど、幼児から楽しめる盛りだくさんの内容に、子どもたちは時間を忘れて熱中した。初めて文化センターの広い敷地を会場に選んだ。県人会支部の100人以上の若者がボランティアとして祭りを支え、当日は抜群のチームワークを発揮した。希望者が後を絶たず大人気だったのは、書道やマンガ(似顔絵)のワークショップ。また、大人には沖縄系イベントならではの「ヤギ汁」「沖縄そば」が好評だったようだ。無事に同祭を終えた呉屋実行委員長は、「若いボランティアや皆さんの協力が素晴らしかった」と感謝。「子どもは県人会の将来を担う大切な存在。活躍してくれる子を育てたい」とさらなる県人会の発展に期待を込め、「成功ですね。ずっと続けていきたい」と笑顔で語った。
ニッケイ新聞 2009年10月23日付け コロニアからの浄財も呼びかけて100周年記念事業として改修、今年6月にオープンしたばかりの「神戸市立海外移住と文化の交流センター」(旧神戸移住センター)で20日から、開設を記念した特別写真展「ブラジルに根づく〃NIPPON〃」(神戸市、日伯協会主催)が始まった。ニッケイ新聞やサンパウロ新聞などが提供した約100点の写真が飾られ、現在のコロニアの人々や祭り、食文化などを伝える。12月20日まで。「ブラジルに根をおろし、あらゆる分野で活躍する日系のみなさん。この間にブラジルに伝え育てたものに日本文化があります。そこには、いまの私たちが忘れてしまったものがあります」―。ポスターではこのように紹介され、ズットラ街道の4車線を跨ぐようにしてそびえ立つモジ・ダス・クルーゼスの大鳥居の写真が印象的だ。写真展は祭り、食など四つのテーマからなる。七夕祭りや生け花、茶道、盆踊り、阿波踊り、太鼓など、非日系人も一緒になって楽しんでいる日系社会ではおなじみの風景が、写真を通して伝えられている。また、昨年同センターから海を渡ってブラジルに届けられた「友情の灯」の様子や、100周年でリオのカーニバルに登場した「笠戸丸」の写真も展示されている。同展開催にあたっては、ニッケイ新聞も今年4月に刊行した写真集「百年目の肖像」から多数提供するなどの協力をしている。21日付け神戸新聞によれば、神戸大文学部に通う23歳の日系ブラジル人三世の女性は、「小さいころから見てきた光景ばかり」と懐かしみ、「移民の歴史を知っている日本人は少なく、写真展をきっかけに知ってほしい」と話した。午前10時~午後5時。入場無料。月曜休館(祝日の場合は翌日)。住所は兵庫県神戸市中央区山本通3。
ニッケイ新聞 2009年10月23日付け ブラジル岩手県人会(千田曠暁会長)は、昨年6月に開催された「ブラジル県人会創立50周年記念式典」に出席した達増拓也岩手県知事、渡辺幸貫県議会議長を始めとする慶祝団への答礼訪問を9月4日から28日の日程で行った。訪問団は千田会長夫妻ら7人。一行は県知事や盛岡市長、関係市町や新聞社、地元テレビ局などを訪問し、ブラジルの現状の紹介や同県人会のアピールを行った。江刺市の文化財や宮沢賢治記念館などの名所旧跡なども視察。また、ブラジルに県特産品や文化を紹介するという今後の県人会活動を見据え、流通や物産関係者と打ち合わせを行った。創立50周年記念式典にも参加し、来伯4回を数える岩手県民謡協会主催の「歓迎の夕べ」では、100人が歓迎。千田会長自らマイクを握り、自慢の喉を披露。訪問団の一人、工藤五三郎さん(83)は、故郷滝沢村へも5年振りに訪問。村役場の全職員が講堂に集まり、里帰りを祝ったという。千田会長は、「各地での思わぬ歓迎会が嬉しかった」と古里の温かさに触れ、「これからも、普段から母県と繋がりを保っていきたい。来年はパラグアイピラポ県人移住50周年があるので、ブラジルにも寄ってもらいたい」とさらなる交流を期待した。
快晴の祝賀式典に200人が出席 一九九八年のブラジル日本移民九十年を記念してサントス市ボケロン海岸沿いに建てられた、『日本移民ブラジル上陸記念碑』の移転祝賀式典が十八日午前十一時四十五分から、同市のジョゼ・メニーノ海岸にあるエミサリオ・スブマリーノ公園で行なわれた。当日は、前日までの雷雨が何事もなかったかのように晴れ渡り、サンパウロからバス等利用して駆けつけた人や地元市民など二百人余りが詰め掛け、新設置の銅像披露に立ち会った。 景観の良い憩の場に 日本人会で文化祭りも 同記念碑の移転事業は、「専用道路を通る自転車の往来が激しく、見る場所も狭く立地条件が良くない」等の声を受けた同市から、県連に話が持ちかけられたことに始まる。 今年一月には、県連の与儀昭雄会長、移民百周年記念協会の松尾治執行委員長などが候補地を視察。同市や同日本人会と協議を重ね、連携協力して今回実現の運びとなった。 移転された同公園には、昨年六月にご来伯された皇太子殿下の記念碑や大竹富江氏が製作した移民百周年記念モニュメントがあり、大型バスを何台も停めることのできる駐車場も完備。休日には、スケートボード専用広場や子どもが遊べるプレイランド等に家族連れが集まり、憩いの場となっている。 式典には、ジョアン・パウロ・タバレス・パパ同市市長、中井貞夫同市市議、土井紀文サントス日本人会会長、上新(かみ・あらた)元同会会長、坂本アウグスト進県連副会長らが出席。 ジョアン市長は、移転に尽力し、列席した関係者らを一人一人紹介し、協力活動に対する謝辞を述べ、「日本移民の記念碑を景観の良いこの場所に設置できてとても良かった」と挨拶した。 続いて行なわれた桜の記念植樹に臨んだ上・元サントス日本人会会長は、「ありがとうございます」と、スコップを持った手を突き上げ、喜びを爆発させていた。 式後のアトラクションでは、鳥取県人会しゃんしゃん傘踊りの「きなんせ節」、沖縄県人会エイサー太鼓の「琉球國祭り太鼓」等にビーチからも見物人が集まり、誰からともなく自然と手拍子が起こる盛り上がりを見せていた。 訪れた人たちは、午後から、『第二回サントス日本文化祭り』の開かれているサントス日本人会に場所を移して、同会が出店する焼きそば、自慢の天ぷらや寿司等に舌鼓を打ちながら、歌謡、武道、日本舞踊といった日本芸能の舞台を観賞、祝福ムードに包まれた和やかな一日を過ごしていた。 写真:記念植樹に笑顔の上(かみ)元会長(中央) 写真:式典で謝辞を述べるジョアン市長 2009年10月23日付
バルサでグアマー川越え てんやわんやのトメアスー視察 午前四時半、ふるさと巡りの一行を乗せたバスは、ベレンから八十キロ走ったイニャンガピーで停止した。薄暗い中、グアマー川をバルサ(車両運搬用筏)で渡るため、一旦バスから下りる。 ベレン―トメアスー間は一九六〇年の道路工事まで、二百七十キロの水路を船で十五時間かけて往来していた。今はこの一か所だけ、バルサを使う。対岸のブジャルーまでは約半時間、随分便利になった。 ただ、乗船までがやたら時間を食う。バックで車両を乗せるのが面倒で、バスなどの大型車は、斜面差でボディをこすらないよう、整理係がタイヤに添え木して誘導しなければならない。 ふるさと巡りの面々は、「ここは時間がゆっくりだから」、「昔は桟橋も地道だったんだよ」とさして気にならない様子。隣のスタンドで、朝のカフェを一服している人もいる。 バルサがいっぱいになったところで出発。一般客は車両と車両の隙間に入り込み、一行も乗り込んだ。既に太陽が昇り、時計は六時を指している。七台の大型車と十台の普通車を乗せたバルサは、静かに岸を離れ、対岸へ。 少しずつ熱くなってきた。日中の平均気温は三十五~三十九度だという。ブジャルーに着くと、さっそくバスに乗り込み、トメアスーに向かう。もう一眠りの人もいれば、車窓の風景を楽しんでいる人もいる。 トメアスーのドゥ・ノルテ・ホテルで朝食をとる。出発以来、全員での食事は初めてだ。バス毎に時間差を設けているのだが、「二百人」という大変さは、今後も旅行中つきまとう。 席がない、皿がない、パンがないとあって、てんやわんや。「街に一つ」の民宿系ホテルで、そこにバス四台が押し寄せたわけだから、想像に難くない。長蛇の列となったトイレは、ホテル側が宿泊部屋を開放してくれて緩和されたが、どうやら客のいる部屋らしく、壁にはスーツがかかっていた。 腹ごしらえをすると、出発だ。トメアスーの八十周年式典日ではあるが、ふるさと巡りの一行は、全員が会場に入れないということで、同地の視察をした。 十五分でトメアスー農協(CAMTA)に着いた。日系の組合で、創立六十年。五〇年代は黒コショウがメインだったが、六〇年代後半から果物へ転向。現在は、十三種類の冷凍果物をジュース加工している。 主力のアサイーは、年間四万トン分を生産。主に国内市場用だが、二〇〇〇年に入ってからは、日本と米国にそれぞれ、三百トン、五百トンずつ輸出しているという。 時間の都合上、工場内を見学できなかったのだが、外で絞りたてのアサイージュースを頂く。サンパウロなどでは味わえない、濃いドロッとしたフレッシュな味だ。 鉄分が濃いため若干生臭く、喉越しもいいとは言えないため、初めて飲んだ人は、「ダメ」とギブアップ。または、なんとも言えない表情で砂糖をしこたま入れていた。 川縁に自然生育するアサイーは、果実は濃い紫色で直径二センチほど。種が大きく、ジュース一杯分に相当量を要する。「なんて贅沢」、二杯目をグイッと飲み干し、バスに駆け込む。 トメアスーの町は、主要道路から一本外れると未舗装も多い。子どもたちは自転車で、幼子を抱えた若い母親は、赤土の上をゆっくりと歩いている。日本移民が初めて来た八十年前も、こうして赤土を踏みしめたのだろう。 (つづく・上岡弥生記者)...
県連(与儀昭雄会長)とASEBEX(留学生・研修生OB会)共催の第三回弁論大会が、十八日午後一時から聖市リベルダーデ区の広島県人会館で開催され、会場には約百人が詰めかけた。 大会には二十四人の応募中、十五歳から二十七歳までの二十一人が参加し、「私のまわりの日本文化」をテーマに自分たちの意見をアピール。その結果、サンパウロ大学で日本語を教授する非日系のペドロ・マルケスさんが優勝を果たした。 大会でははじめに、県連元副会長で宮崎県人会名誉会長の長友契蔵氏が挨拶。開催について各方面の関係者への感謝の意を示した上で、自分の考えを人に伝えることの大切さを強調。「発表者の中からブラジルの大統領になるような人物が出ることを望む」と激励し、期待を込めた。 引き続き、JICA派遣シニアボランティアの幸脇一英氏が「継続と世界」の大切さを述べ、「関心を広げて違う文化の人々と出会ってほしい」との祝辞を贈った。 審査委員長である杉本俊和氏は採点基準として、(1)弁論内容(2)日本語表現力(3)音声表現力の三点を説明。その中でも内容を重視するとし、「点数だけでなく、審査員の合議で一番から五番までの入賞者を決める」と述べた。 発表は三部に分かれ、それぞれの間に剣舞、長唄などのアトラクションも実施。一番の大貫純さんを皮切りに二十一人の若者たちが、アニメ、和太鼓、よさこい・ソーランや祭りのほか、日本食などといった身近な日本文化への参加について自分たちの考えを披露した。 中には、音楽活動と自分のルーツを併せた内容や、尊敬語と謙譲語の違いなどについて触れる高度な発表もあり、来場した人々を感心させていた。 入賞者(上位五位)は次の通り(敬称略)。 優勝=ペドロ・マルケス。二位=小田崎アレサンドラ。三位=安楽あゆみ。四位=矢倉定一。五位=滝浪仁。審査員特別賞=生田康三。 写真:優勝したマルケスさん(左から3人目)と上位入賞者たち 2009年10月23日付
いざ行かん、傘寿迎えたアマゾンへ―。県連主催「第三十二回移民のふるさと巡り」は、日本人移住八十周年を迎えたベレン、トメアスー、マナウスを回る慶祝ツアーだった。そのため、八県人会長を含む二百十一人が参加、都市間の移動は飛行機だが、現地ではバス五台を連ねて移動という、「県連始まって以来」の大型ツアーとなった。(上岡弥生記者) <思い巡らせトメアスー目指す 過去最多の211人、6割は初参加> 九月十五日、一行はサンパウロからベレン国際空港に到着した。人数が多い分、飛行機も三便。午前中に到着した第一便は、その足でトメアスーに向かい、午後十一時着の第二便は二時間後に着く第三便を空港で待つ。 その間、参加者名簿を繰ってみる。聞いた名前もちらほらあるが、たいていは知らない。いつも常連が多いふるさと巡りだが、旅行会社のセルビッソ・グローバルによると、今回は六割が初参加だそう。 県連からは、青森、栃木、滋賀、鳥取、島根、福岡、長崎、鹿児島、沖縄の八県人会会長が同行。滋賀県の山田康夫会長が総団長、沖縄県の与儀昭雄県連会長が慶祝団の団長ということだった。 さて、二時間をどう過ごすか思慮していた所、ポルト・アレグレから初参加の和田好司・恵子さん夫妻に拾われた。夫妻は空港のレストランで、カルデラーダというマナウス伝統料理の魚スープを注文し、わざわざ呼びに来てくれたのだった。 一九六一年五月着のあるぜんちな丸同船者のホームページ、『私たちの四十年!』の管理人として広く知られる好司さん(六九、兵庫県)は、同船者の足跡めぐりがライフワーク。 当時、ベレンで下船し、モエマとトメアスーに入植した三十二人に思いを馳せ、その中にはトメアスー八十周年式典実行委員長の海谷英雄さんもいるといい、再会を楽しみにしている様子。 ビール片手に、ジャンブーという薬草の入った酸味があるスープをつついていると、同じくあるぜんちな丸同船者の麻生悌三さん(七一、静岡県)夫妻が合流した。 東京農大拓殖科二期生の麻生さんは一九六〇年、海外飛遊を夢見て渡伯。サンタレンでジュート麻の集買に従事したという。 コーヒー豆の麻袋に使うジュートは、下半身は水中、上半身は灼熱の太陽に焼かれるという刈り取り作業が重労働。足掛け三年アマゾン地方にいた麻生さんだが、「陸の孤島」と呼ばれたトメアスーを訪れるのは、実に四十八年ぶりだとか。 ベレンから約二百キロ、途中、川渡しを利用するものの陸路で五時間というトメアスーは、「滅多に行ける所じゃないから」と訪問を楽しみにしている人が多く、今回の旅のハイライトとなっているようだ。 アマゾン地方における日本移民最初の入植地であり、この所、苦闘続きの開拓初期を綴った連載が邦字紙に掲載されていることからも、「実際に自分の目で見てみたい」という人が多かった。 八十年前の翌日、十六日は、日本からの四十三家族と単身者九人の百八十九人を乗せた「まにら丸」が、ベレンに寄港した日。トメアスーの八十周年記念式典はその日に合わせ、ふるさと巡りの一行は、それに駆けつける算段だ。 百五十人を乗せた第三グループの航空便は、日付が変わった午前二時前、ベレンに到着。現地参加組とも無事合流し、バス四台に分乗して、いざトメアスーへ。 十分なリクライニングも、足置きもトイレもないバスでの「車中泊」だが、初日のせいか、みな元気。道路の舗装は「良い」とは言えず、寝ながらの移動は期待できそうにないが、ともかく出発だ。  (つづく) 写真:総勢200人が参加した80周年慶祝ふるさと巡り(写真はマナウス式典)...
岩手県人会(千田曠曉会長)では、二〇〇八年六月の創立五十周年記念式典の際に同県知事や県議会議長から慶祝訪問を受けた答礼として、同会会員七人が去る九月四日から同二十八日にかけて母県を訪問した。 一行は県庁や各市町村の関係機関を答礼訪問したほか、花巻市、山田町で開催された秋祭りにも参加。千田会長は「子供の頃に(秋祭りに)行ったきりだったので、五十数年ぶりに参加できた」と語った。 表敬先では、ブラジルの現状と同会の活動内容も紹介。岩手の文化、特産物、観光を南米に紹介する上で、県や市町村と協力しあいながら同会で可能な限り支援する旨を伝えた。 千田会長はまた、今年八月にパラグアイで研修を行なった盛岡農業高校の生徒七人がブラジルを訪れた際に、同会が歓迎会を開催したことにも触れ、「岩手県の関係者が南米を訪問することは、県人会との交流を深める良い機会です。今後も様々な形で県に貢献していきたい」と母県への愛情をのぞかせた。 写真:達増拓也県知事(右から2番目)ら関係各所を訪問 2009年10月22日付