06/03/2026

Dia: 30 de outubro de 2009

地元コロニアとの交流少ない旅に 式典途中退席、ツアー趣旨や如何に? 九月十八日、ベレン八十周年式典日は快晴。午前中は、前日に引き続きベレン市内の観光だ。マンガルダス・ガルサス・エコロジー公園、鉱物資源博物館、パス劇場を訪問。三号車では、花土淳子さん(七二、岡山県)が誕生日ということでパラベンスを合唱し、和やかな一日のスタートを切った。 ゴム景気の折、パリとミラノの劇場をモデルに、一八六九年から十年をかけて建設されたというパス劇場。三種の高級木材を使用した床や、種々の輸入資材、当時の階級差などについて、係員が詳しく説明してくれる。 マナウスのアマゾナス劇場よりも古くて収容人数も多く、贅の限りを尽くした当時の建造物は、一見の価値あり。観覧席にも入れてもらい、天井絵などをカメラに収めることができた。 午後三時からの式典は、前日の前夜祭と同じ会場で行なわれた。ただ三号車は、六人が式典に参加せず自由行動を取ることになった。前日、山田団長が「出たくなければ出なくてもいい」と呼びかけたからだった。 「式典は長引くのが常。形式張っておもしろくないのはわかっているから、無理強いはしない」という趣旨の発言で、これを聞いた参加者らは、「県連の人がそう言うのだから」となってしまった。 式典は結果的に長引き、予定時間を大幅にオーバーしたものの、それが予測できたからといって、慶祝ツアーの趣旨や団長としての立場を考えると、軽率な発言だと思わざるを得なかった。 観光地のエスタソン・ダス・ドッカスに向かうため、式典から途中退席したのも残念だった。出席者の五分の二にあたる人数がすっぽりといなくなったものだから、会場は閑散となってしまった。 式典後は、日本舞踊や箏曲演奏などのアトラクションも用意されており、隣の文化週間会場では、日本から来た舞踊劇団・曼珠沙華(まんじゅしゃか)や歌手の宮沢和史氏のステージも盛り上がったし、地元の人と話すチャンスもあった。 上杉美樹サンドラさん(四一、二世)は、ベレン近郊のイガラペー・アスーの初の日系郡長。父親の嘉幸さん(七〇、静岡県)は東京農大拓植科卒。同期九人とトメアスー入りし、同地に十四年間踏みとどまり、胡椒栽培などに従事した。 アマゾンにジュートをもたらした尾山良太氏の子息、万馬氏の未亡人である尾山片岡エミさん(八〇、二世)は、父親が笠戸丸移民。母親は高知県出身で、坂本龍馬の従兄妹だとか。 また、『群馬の森』を管理している、岡島博さん(六七、群馬県)など、地元民らしい人に声を掛けると、いろいろな話を聞くことができた。従来のふるさと巡りのように、「移住地を回って慰霊しつつ、現地の人と交流する」ことができない分、貴重な時間だった。 常連参加者らは、「ふるさと巡りの何がいいって、思いっきり日本語ワールドで旅をして、昼は観光、夜は地元の人との交流ってね。今回は慶祝だから主旨が違うと分かっていても、ちょっと寂しいね」と話していた。(つづく・上岡弥生記者) 写真:地元コロニアの上杉さん、尾山さん、岡島さんたち(右から) 写真:係員からパス劇場の説明を聞く
ニッケイ新聞 2009年10月30日付け 9月16日、トメアスー入植80周年式典当日の朝、第一回移民が到着した桟橋へ出かけた。ホテルから5分ほどの距離。ちょうど一隻の船が停まり、野菜や海老などの食品を下ろしていた。すぐそばには、かつて使用していたと思われる桟橋も。川の先は今も鬱蒼とした森が広がり、移民が到着した80年前と変わっていないようだ。式典は文協で開かれるため、会場の関係で、ふるさと巡り一行からは与儀団長、県人会長と菊地援協副会長、大原毅文協評議員会長などが別行動で代表出席。やはりスーツにネクタイ姿、北伯ではさすがに暑そうだ。8時過ぎ、それ以外の一行は、文協前の通りで行われた記念パレードを見学後、トメアスー農協や果樹栽培の現場などを見学に出かけた。会館の入り口で日本海外協会の今村忠雄会長が文協関係者と話をしていた。今村会長の手には一枚の額。トメアスー移住地を造成した南米拓殖株式会社の株券だそう。出資者の鈴木五市氏の家族から譲り受け保管していたが、80周年を機にトメアスーへ寄贈するため東京から持参したとか。「めったにないもの」と海谷会長らも喜ぶ。会場に入ると一人の男性を紹介された。8月に日系初のアマゾニア連邦農牧大学学長に就任した沼沢末雄さん(57)だった。同学長の一家は戦前にトメアスーへ入植。自身が育った50年代はまさに胡椒景気の黄金時代だった。巣立った生まれ故郷の節目の日。父・谷蔵さんに教わったことは――と尋ねると沼沢学長は、「規律を守り、素直であること、それと献身。それを守って学長になれた。子供たちにもそう教えています」と話した。式典が終わり昼食会の時間になると、代表団は一行と合流。15日の夕方に出発した第2陣の姿も見え、ようやく全員がそろったようだ。80周年記念の俳句コンクールで特選に選ばれた三宅昭子さん(66、秋田)が、ポルト・アレグレ在住の和田好司さん(69、兵庫)、恵子さん夫妻と話している。和田さんと三宅さんは62年のあるぜんちな丸の同船者だ。一行で7人、トメアスーには11人の同船者がいるという。和田さんが同船者の近況をたどった「40年目のビデオレター」の取材で訪れて以来7年ぶり。この間に亡くなった人もあるが、「元気な姿が見られてうれしい」とお互いの再会を喜ぶ。会館の前ではミナス州カルモ・ド・パラナイーバでカフェ栽培に従事する下坂匡さん(72、福島)夫妻と、パラー州パラゴミナスでマホガニー植林などを手がける岡島博さん(67、群馬)、トメアスー文協元会長の穎川幸雄さん(74、熊本)が談笑する。「僕の胡椒栽培は下坂さんのカフェが模範」と話す岡島さん。「あんちゃん」と呼ぶ下坂さんとは30年以上の付き合いだ。03年に下坂農園を訪れたという穎川さんも「時間があれば家に連れて行きたい」と話す。189人の日本人から始まったトメアスー移住地。市制施行から50年が過ぎ、今では人口5万人の町へと育った。式典では、クアトロ・ボッカスで約40年間雑貨店を経営するジョゼ・サルストリアーノさん(73)も、文協行事へ協力してきた貢献により感謝状を受けた。父親の代から変遷を見つめてきたサルストリアーノさんは、「昔この辺りは全部森とピメンタ畑だったけど、今ではビラからカピタルになった」と歳月を振り返った。午後3時過ぎ、一行のバスが出発する時間が来た。会場を出ようとしたところで、地元の久保田忍さん(75、宮崎)と話した。68年に第2トメアスーへ入植、今は息子が農業を継いでいるが、自分でもピメンタを栽培する。「トメアスーはいい所ですよ。自由だし、友達も多い。ここにきたら苦労なんかふっとぶよ」と話す久保田さん。「良かった。こうして色んな行事をするのはいいこと」と式典を振り返り、笑顔を浮かべた。(続く、松田正生記者) 写真=式典当日の朝、トメアスー文協前で記念撮影するトメアスー文協関係者と地元来賓、ウー連議、サンパウからの慶祝団。(左端は柴田アゴスチーニョ空軍少将) この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2009rensai-matsuda1.html