06/03/2026

Dia: 9 de novembro de 2009

一層の絆深める努力を 【宮崎発・吉永拓哉福岡支局長】宮崎県、宮崎市、宮崎ブラジル親善協会の共催による『ブラジル宮崎県人会創立六十周年記念行事』が十月二十五日、宮崎市の宮崎観光ホテルで行なわれた。この行事は、今年八月二十三日にサンパウロ市で開かれた同県人会創立六十周年記念式典に出席した母県の慶祝団の帰国報告を兼ねたもので、八十人以上の関係者が集まった。また、ブラジルから黒木慧同県人会会長夫妻、吉加江ネルソン同六十周年記念祭典実行委員長夫妻、高橋久子同県人会婦人部長の五氏が来賓として招かれた。 「ポ語で語り合える県人会に」 この日は、東国原英夫宮崎県知事が公務のため欠席し、高山幹男同県県民政策部長が挨拶。 「ブラジルでは宮崎県人の温かさと熱い志を感じた」と報告し、「六十周年を契機として県人会との絆を一層深めるよう努力したい」と述べた。 続いて会場では、宮崎放送が九月に放映したドキュメンタリー番組『ブラジルの大地で~宮崎県人会60年の絆~』の上映会が行なわれた。 同番組は慶祝団に同行した宮崎放送が、ブラジルで暮らす宮崎県人たちの暮らしぶりを紹介したもの。八月二十三日の記念式典の模様も報じられ、県民たちに「移住六十年の歴史」を広くPRしたドキュメンタリーとなった。 最後に壇上では宮崎ブラジル親善協会の徳永哲也理事と黒木会長、吉加江委員長両氏との対談が行なわれた。 徳永理事の「県人会の今後は?」との問いに、両氏は「日系子弟たちの県人会離れが問題。これを解決するためにはポルトガル語で語り合える県人会に方向転換していく必要がある。次期県人会長には、思い切って若い人にバトンタッチをすることも考えている」と答えた。 記念行事終了後には、訪日した黒木会長ら五氏の歓迎昼食会が盛大に催された。 はじめに南米を語る会の早川烈代表が、五氏に対して「ゆっくりと宮崎の空気を吸っていただき、故郷の風景を楽しんでほしい」と長旅の労をねぎらった。 黒木会長は挨拶で、「東国原知事のざっくばらんな姿がブラジル日系社会にとても好印象を与えた」と、六十周年記念式典の思い出を振り返るとともに改めて母県へ感謝の意を表した。 中村幸一同県議会議長の乾杯音頭に続き、和太鼓グループ『天響』による迫力のある演奏を楽しんだ。 宮崎在住の日系二世・野崎ローザさん(四六)は、黒木会長らを歓迎するため、『天響』を会場に招いた。 「サンパウロの六十周年式典に出席できなかったのはとても残念。だから今日の和太鼓演奏は、私たちからのプレゼントです」と話した。 慶祝団に同行して同六十周年記念式典を取材した宮崎日日新聞社の奈須貴芳報道部記者(三二)は、「ブラジルに行ったのは初めてだった。宮崎県人が逞しく活躍されている姿に感動した。もう少し取材期間が長ければ、もっとよかったのですが」。 一方で会場の人たちに囲まれていた高橋婦人部長は、「このような立派な会を開いてもらい恐縮しています。故郷の温かさを感じます」と嬉しそうだった。...
(財)未来の東北博覧会記念国際交流基金(高橋俊一理事長)はこのほど、宮城県人ブラジル移住百周年記念誌『ブラジル移住・宮城県人の百年 赤い大地を拓く』を発刊した。 約一年かけて資料収集、執筆、編集活動を経て発刊された記念誌は、巻頭のグラビアをはじめ、序章「移住前史Ⅰ・Ⅱ」、第一章「ブラジル移住百年の歴史」、第二章「宮城県人百年の歩み」、第三章「海外移住を推進した機関・団体」、第四章「仙台七夕のブラジル移住」、第五章「日系人の出稼ぎ問題」、第六章「ブラジル親善訪問団の足取り」、資料編と大きく八項目に分かれ、五百三十ページにも及ぶ。 特に、移住前史では、一八〇三年に日本人として初めてブラジルの土を踏んだ石巻の漂流船「若宮丸」の船員四人と、一九〇六年に日伯貿易の先駆けとして聖市内に設立された『藤崎商会』についても触れている。 また、第二章では、県人移住者の動静として、第一回笠戸丸移民に八人の県人がいたことをはじめ、アマゾン移民や各地在住県人の現地ルポも記載されている。 (財)宮城県国際交流協会理事長も兼任する高橋理事長は発刊に際して、昨年がブラジル日本人移民百周年の節目の年で、移住者の歴史と偉業を讃えるためにさまざまな記念行事や交流事業が実施されたことについて言及。各方面の協力を得て宮城県人の足跡がまとめられたことに対して感謝の意を示し、「この史料が次世代の百年の日伯交流の礎となりますことを祈念します」と綴っている。 中沢宏一宮城県人会長は、「今後の日伯関係は文化交流だけでなく、高度な技術と経済力を持つ日本と資源大国ブラジルとの相互協力の進展も期待されます」とし、「この記念誌によってブラジル移民を理解していただき、一層交流が盛んになることをお祈り申し上げます」との挨拶文を贈っている。 記念誌に関する問い合わせは、宮城県人会事務局(電話11・3209・3265)まで。 写真:『赤い大地を拓く』の表紙 2009年11月7日付
ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)で七日と二十一日の両日、恒例の『青葉祭り』が同会館(聖市リベルダーデ区ファグンデス街一五二番)で開催される。第一土曜日の七日には天ぷらうどん、第三土曜日の二十一日には郷土料理のはらこ飯、きな粉餅、ずんだ餅、秋刀魚定食、イカポッポ焼き、ソースイカ入り焼きそばなどが県人会婦人部により振舞われる。 当日は武道医術の森山雅和師範が小児ぜんそくの患者を対象に脊髄矯正治療と、指圧・灸による健康相談を無料で実施する。また高橋幸衛家紋研究者による日本家紋の展示即売、岡崎幸雄氏が作ったこけしの販売、農協婦人部連合会(ADESC)の手作り製品とカッポン・ボニート地方直送の有機野菜の販売が行なわれる。 さらに会場では、無農薬無化学肥料販売企画として、聖州南西有機野菜協会連合会が扱う「詰め合わせ有機野菜セット」が販売されるなど、盛り沢山の内容だ。 案内に来社した鈴木運蔵同会副会長、河野雅郎青葉祭り協会協力委員は「多くの人の来場を」と呼びかけている。入場は無料。開催時間は七日が午前七時から午後一時、二十一日が午前七時から午後五時まで。問い合わせは、同県人会(電話11・3209・3265)まで。 写真:案内に来社した鈴木副会長(右)、河野協力委員 2009年11月6日付
二年に一度、沖縄県名護市(島袋吉和市長)に派遣されている同市子弟研修生の二〇〇八年度生が半年間の研修を終えて帰国。十月二十二日、ブラジル名護市親睦会の末吉業幸会長と来社、研修報告を行なった。 例年は一人ずつ派遣される研修生だが、ブラジル日本移民百周年記念だった〇八年は、同市に特別予算が組み込まれ、城間聖羌(まりみ)カリーナさん(二六、三世)と比嘉ベニテス・タシアナさん(二四、四世)の二人が参加。 研修は、当初の三か月間、名桜大学で午前中週四回、日本語を学習。同大学では、英語やポルトガル語のスピーチコンテストを手伝ったりもした。また、午後や後半の三か月間は、個人研修とし、それぞれ三味線、空手、琉球舞踊の郷土芸能等を学んだ。 二月には、同市主催の『家庭料理フェア』にマンジョッカ芋のボーロを出品し、市民との交流の場にも積極的に参加。帰国前には、島袋市長をはじめ関係者ら二十人に、感謝の気持ちを込めて、野菜サラダとフェイジョアーダ、ブラジル風に味付けしたご飯を振る舞い、喜ばれたという。 〇八年九月から〇九年三月まで研修した城間さんは、サンパウロ市出身の薬剤師。週に一度、病院の養護施設で介護実習を行なった。 シーツやオムツの交換、食事の補助等を実施し、時にはわがままな入居者から叩かれることもあったという。「大変だったけど、毎日新しい体験ができた。お年寄りが方言で話しているのが面白かった」と、実習を振り返っていた。 帰国後の変化については、「日常の挨拶でブラジル人にも会釈してしまう」と話し、「日本人っぽくなりました」と、笑顔で語っていた。今後は、十二歳から習っている琉球舞踊を通して、先祖、沖縄の文化を広く伝えていきたいとしている。 大学院で経営学を学んでいる比嘉さんは、カンポグランデ市出身。〇八年十一月から〇九年四月の研修では、週に一度、幼稚園で保育助手を経験。 五歳の子どもたちと一緒に太鼓の練習をしたり、サッカー等の球技をして遊んだ。実習中、悪ふざけをしている子を注意すると、言うことを素直に聞いてくれるので、「日本の子どもは躾が行き届いていて、とても行儀が良い」印象を受けたという。 「四世ということで、今まで遠くに感じていた日本が、帰国後は身近な存在になった」と語り、「ウチナンチューの血が流れていると感じるようになった」そうで、「これからは、感謝の気持ちを忘れずに生きていきたい」と、話していた。 写真:比嘉さん、末吉会長、城間さん(左から) 2009年11月6日付
兵庫県人会(尾西貞夫会長)恒例の会員親睦ピクニックが十月十一日に実施され、今年は「世界救世協グァラピランガ聖地」に尾西会長、県人役員、留学生・研修生OBら会員五十五人が参加した。 この日は快晴で、参加者のほとんどは同地を初めて訪問。一行は手入れの行き届いた施設に目を見張り、青空に映えたグァラピランガ湖を望むなど都会の喧騒を忘れて一日を楽しんだ。 日本庭園内の池には大小の錦鯉が泳ぎ、整備された食堂では会員同士が再会を喜びながらの昼食となった。 その後のビンゴ大会では、参加者からの寄付で集まった賞品が好評だった。また、今年もカンピーナス在住で百一歳の後藤留吉氏から寄贈された柿酢と梅酒が参加者全員に配られ、後藤氏への感謝が示された。 全員で記念撮影の後、来年の再会を約束し、一行は午後五時過ぎに同地を後にした。