06/03/2026

Dia: 26 de novembro de 2009

ブラジル北海道協会青年部ひぐま会(藤田エリオ会長)主催の『第18回北海道もち祭り』が、29日午前11時から午後3時まで、同協会会館(聖市ビラ・マリアーナ区ジョアキン・タボラ街605番)で行われる。 今年も毎年恒例となっている持ち帰り用の白餅を用意しているほか、会場では雑煮、汁粉など様々な味付けのもち料理も取り揃えている。白餅は500グラムで8レアルとなっている。 また、アトラクションでは、1980、90、2000年代のJポップなどを歌う『バンダ・デアイ』のショーや、よさこいソーラングループ『イッシン』のショーが披露される。 藤田会長は、「家族連れ、友だち同士、老若男女、誰もが楽しめるイベントです。カレンダーの 月 日にマークを付けることを忘れないでください」と来場を呼び掛けている。 問い合わせは、同協会事務局のウスイさん(電話11・5084・6422)まで。 写真:29日に開催される、もち祭りのポスター 2009年11月25日付
更なる日伯友好親善への貢献を 在伯長野県人会(北沢重喜会長)の創立50周年記念式典が、22日午前 時から聖市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催され、サンパウロをはじめ、アルゼンチン、南マット・グロッソ、アリアンサ、リオ、アチバイア、レジストロなど遠方支部会員を含めた約400人が参加した。母県から村井仁県知事、望月雄内県議会議長ら11人の慶祝訪問団も来伯して出席し、半世紀の節目の年を祝った。 長野県人会は、1930年頃に前身の「信友会」から始まり、県人会として正式に発足したのは59年11月。文協会長などを歴任した宮坂国人氏が初代会長として就任した。 この日の記念式典では、先没者への黙祷、軍警軍楽隊による日伯両国歌斉唱、県歌「信濃の国」斉唱に続いて、北沢会長が挨拶。母県からの慶祝団の式典出席と先人の努力により現在の県人会活動が行えることに感謝の意を示し、近年の国際的な経済状況の悪化の中、「長野県人会は今までの母県のご恩義に報いるべく思いを同じくし、互いに無駄を省き、協力していきたい」と述べた。 村井県知事は祝辞の中で、日本移民が文化、風土の異なる地で苦労しながらも今日の発展を遂げたことに敬意を表した上で、伯国航空機メーカーのエンブラエルについて言及。日本航空が、今年2月から国内線として同社航空機を導入していることに触れ、近い将来、同機が信州の空を飛ぶことを期待するとともに、BRICsの一員としてのブラジルの経済発展を評価。「長野県人の誇りを胸に、ブラジルの発展、日伯の友好親善のために更なるご貢献をいただきたい」との願いを込めた。 引き続き、望月県議会議長、小坂樫男市長会会長(伊那市長)、藤原忠彦町村会会長(南佐久川上村長)、大部一秋在サンパウロ総領事、西本エリオ聖州議員、羽藤ジョージ聖市議、山下譲二文協副会長がそれぞれ祝辞を述べた。 祝電披露に続き、松村昌和氏(88)、菅沼久人氏(83)、上原久司氏(83)、北沢会長(79)、畑俊雄氏(77)、新井均氏(74)6人とアチバイア支部(寺田三千男支部長)に功労者表彰として賞状と記念品が授与。また、松村氏をはじめとする4人とアチバイア支部への県人会特別表彰と、高齢者179人への高齢者表彰(80歳以上)も行われ、畑氏(サンパウロ)、上原氏(グァタパラ)、松村氏(レジストロ)がそれぞれ謝辞を述べた。 また、聖市議会から県側と長野県人会に対して記念プレートが手渡され、97年度技術研修生の代田睦美さんが、母県に対する感謝の言葉を贈った。 創立40周年の際に、「長野県童謡唱歌を歌う会」から贈られた「ブラジルの大地に生きて」を合唱、矢崎逸郎副会長による万歳三唱により、式典は閉会した。 記念のケーキカット、石井賢治元会長による乾杯の音頭により祝賀会となり、午後からは記念アトラクションとして、日本舞踊や洋舞・ダンス、能楽のほか、県人会青年部による「松本ぼんぼん」も披露。飛び入り参加も続出し、踊りの輪が広がった。締めくくりはサンバショーが行われ、県人会員も一緒になって楽しんだ。 南マットグロッソ州ノーバ・アンドラジーナ在住の代田正二さん(84)は50年の節目の年について、「これからも県とのつながりを、さらに良くしていきたいです」と、意気込みを示していた。 工業移民として長らくサンベルナルド・ド・カンポに住み、定年退職後に聖市ビラ・マリアーナ区に転住したという熊井中治さん(69)は、邦子夫人(65)とともに出席。「25周年の時以来、式典には来ていませんでしたが、今回は会場が近くて良かった」と楽しんだ様子。 アルゼンチン長野県人会の会長代理としてブエノス・アイレスから出席した木田威彦(たけひこ)さん(66)は、グァタパラ移住地に住む親戚の上原久司さんと会えたことを喜ぶ。「私の母親と上原さんの亡くなった奥さんが従姉妹同士で、個人的に会いたいと思っていましたが、念願がかないました」と充実した表情を見せていた。 写真:創立50周年式典で挨拶する北沢会長 2009年11月24日付
研修生枠の増員を要請 長野県人会館で懇談会 21日 長野県人会(北沢重喜会長)創立50周年記念式典を前日に控えた21日午前10時から、聖市リベルダーデ区にある同県人会館で村井仁県知事、望月雄内県議会議長をはじめとする母県からの慶祝団一行との歓迎懇談会が行われ、県人会員ら約50人が出席した。 懇談会では、北沢会長、村井県知事らの挨拶に引き続き、母県への要望事項や今後の県人会のあり方など、率直な意見交換が行われた。 リオ支部長の鹿田明義氏は(1)県での研修生枠の増加(2)長野県名物「そば打ち」講習会のブラジルでの実施(3)サッカー研修など県からブラジルへの若い人材の派遣、の3点を要望した。 また、県人会員側から現在の会館が土曜日、日曜日が閉まって使用できない現状が説明され、「今後の会館づくりへの知恵を貸していただきたい」との意見も出された。 さらに、矢崎逸郎副会長は、県人会活性化を目的にした若い人々の交流と相互の情報交換の必要性を強調。「県側でのホームステイで結構ですので、県人子弟を積極的に受け入れてほしい」と陳情した。 引き続き、歴代県費留学生・技術研修生OBたちが自己紹介と、県で世話になったことへの謝辞をそれぞれが述べ、現在、年間1人だけにとどまっている技術研修生枠の増員を希望した。 これらの意見について村井県知事は、日本がデフレ宣言を行い、県として経済的に苦しい状況であることを説明。反対にブラジル経済が明るい兆しにあることを示した上で、県人会に対して自助努力の方向性を示唆した。 写真:長野県人会員との懇談会で挨拶する村井県知事(奥側中央) 2009年11月24日付
和歌山県・仁坂吉伸県知事主催の観光意見交換会が、7日午後7時から聖市内ホテルで開かれ、日系旅行社関係者ら約30人が出席した。同会は、和歌山県人会連合会(木原好規会長)創立 周年記念式典出席のため来伯した仁坂県知事が、和歌山の観光資源を広く知ってもらうことを目的に開催したもの。 意見交換会では、仁坂県知事が 分にわたって和歌山の魅力をプロジェクタを用いて視覚的に紹介。「京都、奈良にお越しの際に、ぜひ和歌山にも足を運んでいただきたい」と呼びかけた。 説明によると、和歌山県へのアクセスは大阪から電車で1時間、関西空港から車で約30分で行くことができる。 日本全国で空港から2番目に近い「白浜温泉」をはじめ、04年に世界遺産に登録された「高野山・熊野古道」など巡礼の旅も魅力で、現在各種シンポジウムや世界遺産をめぐる活動も実施されているという。 串本の珊瑚(さんご)礁、白浜アドベンチャー・ワールドのパンダなどにも人気があるほか、「ヒット商品」(仁坂県知事)である林業、ホエール(鯨)ウオッチングや藍染作業など300種以上ある体験ツアー「ほんまもん体験」には、これまでに約30万人が参加している。 また、「果物王国」として、みかん、柿、梅、八朔(はっさく)の生産量はすべて全国1位を誇る。さらに、アオマグロの水揚げやクエの養殖も行っているほか、梅干の漬け汁を利用した「梅鶏」や「梅たまご」、高菜で巻いた「めはり寿司」なども名物料理として扱っている。 仁坂県知事は締めくくりとして、「ブラジルの日系の方々が訪日される時に、ぜひ和歌山のことを勧めていただき、旅行プランに加えていただきたい」と述べ、日系旅行関係者にアピールしていた。 写真:和歌山の魅力をアピールした仁坂県知事 2009年11月20日付
男性優勝は77杯の森田さん 女性部門中村さんが2連覇 岩手県人会(千田曠曉会長)は15日午前11時から、同県人会会館で『第3回わんこそば食べ放題』を行った。雷雨などの悪天候で客足が心配される中、150人が来場。すっかり定着した岩手名物を味わっていた。 「いわてまつり」の幟(のぼり)が飾られた会場に足を踏み入れると、手馴れた手つきでそばを茹で上げる婦人部や、人気の餃子を忙しく焼いている会員らの姿が。ざるに盛られたわんこそば、餃子、薬味や漬物を添えたセットメニューが調理場から次から次へと運ばれていた。 司会の千田会長は、ホームビデオ片手に郷土料理の紹介。映像は、NHK盛岡支局放送の番組内で紹介されるとあって、マイクとカメラの二役に自然と力が入ってしまう様子だった。 食堂で目を引いたのが、非日系人客の多さ。家族や友人と連れ立って、そばという純日本食に見事な箸捌きで舌鼓を打ち、会話を楽しんでいた。同会館の太鼓グループに所属して6年になるリカイン・ハッサン・アランさん(22)は、「そば、おいしい」と、嬉しそうに箸を進めていた。 午後1時からは、ステージ上に設置された特設会場で、3分間で何杯食べられるかを競う、『わんこそば大会』も実施された。競技開始に先立ち千田会長が、岩手県盛岡市で開催されている「全日本わんこそば選手権」の歴代優勝記録を公表。 10分間で399杯を食べた 代女性の記録が紹介されると、場内からはどよめきが起こった。その様子を見た千田会長は、「ゆっくり食べてもいいんじゃないですか」と語り、参加者らを笑わせていた。 8人が参加した男性部門は、森田泰人さん(31、2世)が、用意された77杯を完食しての優勝。「つぎ手の人が積極的に麺を入れてくるので、息ができなかった」と、苦笑しながらも連携力での勝利について喜びを語っていた。 女性部門で苦戦を強いられたのは前回大会の覇者、中村瞳さん(29、鹿児島県出身)。 杯をたいらげ優勝したものの、手持ちの椀に溜まったつゆを切る動作にもたつき、僅か3杯差での連覇達成となった。 2分間で行われた子ども部門を制したのは、井上公裕さん(13、新潟県出身)。父親の仕事の都合で1月に帰国する公裕さんは、「良い思い出ができた」と、28杯の記録に満足の表情を見せていた。 千田会長は、「ブラジルで郷土の紹介をしている様子を見て、今後の交流促進につながれば」と、日本で放送されることについて期待を込めながらも、競技者が客から遠かったことや、つぎ手が前に立ち、顔が隠れてしまったこと等を反省点に挙げ、「次は改善して」と、早くも次回開催に目を向けていた。 写真:熱戦が繰り広げられた男性部門 2009年11月20日付
アリアンサ移住地創設80周年記念家族写真集「写真アリアンサ2008―サンパウロ州奥地のある日系移住地と日系家族の肖像」(アリアンサ日伯文化体育協会発行=山崎静明会長、143ページ、日ポ両語、40レアル)が、このほど完成した。 1924年に長野県の信濃海外協会が中心となって建設された第一アリアンサ移住地を始まりとし、26年に長野・鳥取県による第二アリアンサ移住地、1927年に長野・富山県による第三アリアンサ移住地、35年には第一アリアンサ内に弓場共同体が創設され、入植当時には全体で1千家族が住んでいたとされる。 同文協は創設80周年を記念して、編纂委員会を発足。日本語版とポルトガル語版、日系人家族写真集から成る記念史を企画し編集作業を進めている中で、別に同写真集が発刊されることとなった。 現地に住む150家族の写真と名前、出身地が記録されているほか、移住地の歴史、産業などがまとめられている。 「移ろいやすい人の世にあって、本写真集が将来、移住地の過去の姿を偲ぶよすがとなれば幸いである」と編集後記に記されている。 購入希望者は山崎会長(18・3708・1228)まで。
JICA中部と三重県は今年度から始まった「現職教員特別参加制度(青年海外協力隊及び日系社会青年ボランティア)」の事前調査と、同県が推し進める「多文化共生、帰国子女受け入れ」、さらに「同県への日本語教師の受け入れ」調査のため、関係者が昨月12日から20日まで滞伯した。 一行は現職教員が派遣されている学校や州立校などを見学し、聖州教育局と協議をした。 滞在期間中の17日、JICA中部・市民参加協力課の矢部優慈郎課長、JICAブラジル事務所サンパウロ支所の東万梨花ボランティア調査員、三重県生活・文化部国際室の楠木優室長、同県教育委員会事務局・小中学校教育室の黒川一秀指導主事、さらに聖州教育局の日野寛幸さんらが説明のため、本紙を訪れた。 同県には現在、約5万3千人の外国人が登録され、そのうち2万人以上がブラジル人。鈴鹿市や四日市市など7市町村では特に外国人登録者が多く、生徒の5割以上が外国人という小学校も多い。 黒川主事によれば「外国人がクラスに半分もいれば、授業は先生一人ではできない」と現状をこぼす。 「日本の状況は悲惨。親が工場で働いている家庭では、(将来子どもが工場で働くなら)勉強しなくていい」と考えているという。 黒川主事は「子ども達は、会話が出来るからといって学力がついたとは限らない。学力と会話の日本語は全く違う」と続け、将来の夢への実現に結び付けるには、学習言語の獲得が必要、と力を込める。 初期の日本語や生活習慣を教える国際教室や、プレ・スクールは各市町村が独自に取り組んでいる。 しかし、昨年からの経済不況で帰国した家族も含め、月謝の高いブラジル学校から公立校に転校してくる子ども達もおり、彼らの動きは把握されていないのが現状だ。 また、楠木室長によると同県ではポ語でホームページを立ち上げたり、雇用の情報やフォークリフトや起業の手続きなど実用的な内容をアドバイスしたり、新型インフルエンザの情報などを流したりしているという。 一方、同県と姉妹都市提携をしているサンパウロ州も日系子弟の問題には協力姿勢を見せる。 日野さんは「我々ブラジル人の子弟を預かってもらっている。是非力になりたい。日語しか話せない子どもなど、日伯双方で問題を解決するため、お互いにどのような学習をしているか、情報交換しながら作戦を考えていきたい」と意気込みを見せた。 楠木室長は「やらざるを得ない。国を待っていたら後手後手になってしまう」と語り、矢部課長は「この制度を利用すれば語学も学ぶことができ、是非ポ語を覚えて帰って欲しい。教員自らも学ぶ機会」と話した。