06/03/2026

Ano: 2009

ニッケイ新聞 2009年9月25日付け 九州から沖縄までの八県人会が合同開催する「第8回九州ブロック芸能祭」が27日午前九時から、「我らは九州の家族」をテーマに熊本県人会館(Rua Guimaraes Passos, 142, Vila Mariana)で開催される。入場無料。プログラムは54演目あり、熊本、沖縄、佐賀、大分、長崎、福岡、宮崎、鹿児島の各県が出演する。各県持ち回りで毎年開催しており、今回は熊本が担当する。熊本県は琴演奏「さくら変奏曲」などを披露、沖縄県は琉球國祭り太鼓や琉球舞踊など、佐賀県は12人で健康体操を行う。大分県は「荒城の月」を合唱し、長崎県は長唄「元禄花見踊り」や詩吟、福岡県は団舞「博多ドンタク」や舞踊を踊る。宮崎県は舞踊「日南路音頭」やカラオケを披露、鹿児島県は舞踊「夕鶴の舞」や「支那の夜」などを踊る。熊本県人会の赤木数成書記は「出演者は、みなさんを楽しませようと、各県の特徴を生かした芸能で盛り上げます。是非いらしてください」と来場を呼びかけた。問い合わせは熊本県人会(電話=11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月24日付け 【マナウス発=松田正生記者】トメアスー、ベレンに続き、20日午前、アマゾナス州マナウス市の西部アマゾン日伯協会で日本人アマゾン移住80周年式典(委員長=錦戸健西部アマゾン日伯協会会長)が開かれた。戦前のジュート栽培に代表される農業貢献と戦中の苦難、戦後の各移住地の困難と発展を経て現在の繁栄を築いてきたアマゾン日系社会。当日は国内外の各地から約500人が集い、先人を偲び、さらなる躍進へ思いを新たにした。 式典当日は聖市からの慶祝団を含み、マナウスなど各地から約500人が参集。日伯国会議員連盟の井上信治衆議、今村忠雄・日本海外協会会長、島内憲大使、柴﨑二郎マナウス総領事など日本側関係者、ブラジル側からは州知事代理のマリレーネ・コレア・アマゾナス州立大学学長などが来賓として訪れた。日本の十一都道府県、神戸日伯協会や海外日系人協会からも祝電が寄せられた。日伯両国歌斉唱に続いてあいさつに立った錦戸実行委員長は、「不屈の大和魂によって開拓に挑んだ日本移民は、ジュート栽培によってアマゾンの経済復興に多大な貢献をし、勤勉で誠実な日本人の拓魂を示した」と先人の功績を称えた。さらに戦中のビラ・アマゾニアの没収とその後の苦労、戦後のアマゾン移住の歴史、そして自由貿易港設置後の日本企業進出に触れ、「先輩の実績と日本政府の支援、ブラジル政府の日系人への信用が3脚となってゆるぎない日系社会がアマゾン、ブラジル全国に存在している」と述べ、「現在の礎を築いた先輩の志を継いで日伯友好の絆を強めることが私たちの使命」と結んだ。島内大使が皇太子さまの祝辞を、井上議員が麻生太郎日伯国会議員連盟会長の祝辞を代読。続いて海老井悦子福岡県副知事が麻生渡知事(全国知事会会長)の祝辞を代読した。麻生知事は先駆移住者へ敬意を表すとともに、現地日系社会を「日伯、アマゾンとそれぞれの出身地との理解と友好にとってかけがえのない存在」と位置づけ、「日系人の誇りと伝統を若い世代に伝えてほしい」とメッセージを送った。コレア学長は、政治経済、文化や現在の日伯関係に対する日本移民、日系社会の功績を称え、「困難を克服してブラジル、アマゾニア州のため貢献した日本人の献身と業績に感謝する」と述べた。その後は、州知事として道路整備など日本人移住地の発展に尽力した故ジルベルト・メストリーニョ上議を祭典委員会が顕彰。名誉委員長の島内大使から代理に記念プレートが授与された。続いて祭典委員会から80歳以上の高齢者11人を表彰。外務大臣表彰も行われ、アサヒ自治会(橋本博美会長)、エ・サーレス自治会(宮本倫克会長)がそれぞれ表彰状を受け取った。式典終了後は参加者が集まって記念撮影。その後市内の開拓先没者慰霊碑へ移動し、参加者らが献花した。「自分たちも苦労したけど、古い人たちはもっと苦労したと思います」と話すのは、ベラ・ビスタから訪れた野地忠雄さん(69)。故メストリーニョ知事が同地を視察後、道路を整備した思い出を語り、同氏が顕彰を受けたことを喜ぶ。高拓生7期生として渡伯、式典で高齢者表彰を受けた東海林善之進さん(94、宮城)は、「ジュートがあったから、私たちは今こうしていられる。気の毒なのは、早く亡くなった友人たち。一度も訪日できない人もたくさんいましたから」と話した。
【マナウス発・上岡弥生記者】マナウスのアマゾン日本移民八十周年記念祭典は、午前中の式典に引き続き、祝賀会が午後七時から、ポンタ・ネグラ区のダイヤモンド・コンベンション・センターで開かれた。 紅白で彩られた会場には、地元マナウスの日本企業関係者や西部アマゾン日伯協会会員、サンパウロからの慶祝団など四百人あまりが出席し、八十周年を祝いつつ親しく歓談した。 錦戸健祭典実行委員長に引き続き、井上信治衆議、生田勇治・汎アマゾニア日伯協会会長、サンパウロからの慶祝団代表で与儀昭雄県連会長が挨拶。「昨年は移民百周年、今年はアマゾン八十周年を迎えたブラジル日系社会。今後、北と南で団結し、一緒に頑張りましょう」という与儀会長の力強い言葉に、会場からは大きな拍手が沸いた。 その後、来賓らによる鏡開きがあり、出席者らはグラスを片手に大きな声で、「乾杯」、「サウーデ」と祝杯をあげた。 食事の席では、午前中の記念式典スライドショーに加えて、マウエス、ヴィラ・アマゾニア、戦後移民のインタビューなどを含む記録DVDが上映され、手を止めて見入る人の姿が数多く見られた。 地質の悪いベラ・ビスタ移住地で苦労したという寺野タミさん(七八、熊本県出身)は移住当初を振り返り、「とにかく苦労した。自分でもよう頑張ったと思うわ」と感慨深そうに話していた。 昨年の百周年に引き続き再来伯を果たし、今回は麻生太郎・日伯議員連盟代表の代理を務めた井上衆議は、「それぞれの式典ともによかった」とし、十年後の九十周年における再訪問にも期待を寄せていた。 写真:鏡割り後、祝杯をあげる出席者ら
沖縄県人会(与儀昭雄会長)は十二日、同県人会会館でブラジルにある貴重な三線についての第三回目の話し合いを行ない、二百年以上前の物と見られる三線七丁と、譜面が書かれている百年以上前の工工四(クンクンシー)教本を公開した。会員や琉球古典音楽関係者など三十八人が参加し、一つ一つの三線について、その歴史を紐解きながら手に取るなどして丹念に見入っていた。 家宝の品々に尊厳の思い 専門鑑定と登録の必要性訴え 笠戸丸移民、宮城伊八氏が所持し愛用してきた三線は、「海を渡った百年の三線」として日本全国で報道され、人間国宝昭喜名朝一師が弾奏しながら紹介したという。持参した息子の宮城清進さんは、「決して他人の手に渡してはならぬ」と、言われて育ったというエピソードを披露。 和宇慶朝幸家の家宝とされてきた三線は、平仲知念型と見られ、母県の沖縄にも残存せず文化財に指定する必要があるとされる名器。朝幸氏の孫息女、大城敏子さんによると、朝幸氏は、死別の前日に弟子の大城盛忠師範を呼んで、三線曲のテープを聞かせ、その正誤について問い、正答した同師範にこの三線を譲り渡したのだとか。 琉球王朝第二尚氏王統第三氏尚眞王に祖系を持つ親川家に伝わる三線は、八重山クルチ(黒木)のウジラミー(渦状)模様。知念績高愛用といわれ、「夜ひとりでに鳴る三線」としての逸話も有名だが、ブラジルに持参した徳太郎氏弟、徳昌氏の孫マルコス・デニス親子は、この逸話を祖母から直接聞いているという。 一九二六年にマニラ丸で着伯した瀬名波衆伍氏が持参した三線は祖父から受け継いだもの。衆伍氏は、戦後の「勝ち・負け」抗争の中で、沖縄戦災救援のためにリンス・アリアンサ地区で、同郷者らと共に少女歌舞団を組織。この三線は公演活動の際に大いに活躍したとされている。 具志堅永昌氏が一九二八年のもんてびでお丸で持参したのは、小学校教師の祖父虎太郎氏が愛用した三線で、前述の少女歌舞団公演の活躍も光った。永昌氏逝去後、妻のウシさんは、「この二百年になる三線は『めおと三線』でオトコはあんたが、オンナは妹に預けて家宝として守って」と、長男嫁の具志堅嬉久さんに譲ったといわれている。 野村流音楽協会ブラジル支部第五代支部長、宮平源善氏愛用の三線は一九三〇年にらぷらた丸にて持参された。長男のジョゼーさんは、「どんなにお金に困ることがあろうとも、決して売ってはいけない」と譲り受け、家宝として保管している。 「心」の部分に「写―西平開鏡」「佐久本盛信-作」と記録されているのは、銘苅清昌氏が沖縄を探し歩いて入手した三線。カーザ・ベルデで三線製作にも携わっていた清昌氏が、一九七八年帰郷した際、「良い三線を」と、一戸の家屋敷を売り払って買い求めた逸品。 沖縄県浦添市の内間安久氏の妻カメさんが、父の形見にと、長男安林氏に預けた工工四は、内間家の仏壇で大事に保管されてきた。 この工工四は、現在の野村流音楽協会や同古典音楽保存会の歌曲配列と異なっているため、非常に研究価値のあるものとされ、史料館展示用にと同県人会に譲渡されている。 西原篤一在那覇ブラジル名誉領事は、「ブラジルでは簡単に買い替えなどできない。先人が家宝として大事に保管してきたのがわかる」と述べ、「このような素晴らしい三線があることを誇りにしてほしい。楽しいとき、苦しいとき、三線と共に人生を過ごしてもらえれば」と、来場者に呼びかけた。 『写真で見る沖縄県人移民史』の編集委員長を務める宮城あきら氏は、「十か月の調査でこれだけ多くの貴重な三線が出てくるとは」と驚いたことを明かし、「素人判断ではなく、鑑定士を呼んできちんと見てもらうべき」と、強調していた。 先祖伝来の三線を初めて手にした親川デニスさんは、「対面できて嬉しい」と、感激の表情を浮かべながら弾奏。感動に包まれた会場では、大きな拍手が起り、中には記念撮影をする人も見られた。 同会では、今後も研究を継続し、母県にいる九人の専門鑑定士を呼び寄せ、全伯に赴いて鑑定や登録作業をしていくこと等が話し合われ、満場一致で承認されていた。 写真:先祖伝来の三線と感動の対面を果たした親川さん 写真:逸品揃いの三線を手に取る参加者ら
ニッケイ新聞 2009年9月23日付け 【ベレン発=松田正生記者】パラー州都ベレンでアマゾン移民80周年式典が18日に行われた折り、祭典委員会では役職経験者に限らず長年日系社会へ貢献してきた人物、歌手の宮沢和史さんなど日本側関係者、計94人を委員会表彰として顕彰した。受賞者の一人、矢野勝大さん(かつお、77、福岡)はサンタレン文協の創設発起人として尽力し、会長も務めた。夫人の千津江さん(75)とともに、アレンケールの第1回呼び寄せ移民として家族で渡伯。「お金はないし、マラリアになるし、たいへんでした」と千津江さんは振り返る。サンタレンに出てから営んだ電気店は3人の息子が経営にあたるが、「今も日に一度は店に出る」という。表彰を受け矢野さんは、「うれしい。光栄の至りです」と話した。記念の日本語作文コンクールは「移住に関すること」をテーマに募集され、子供から成人の4カテゴリーで最優秀賞、優秀賞が選ばれた。子供の部カテゴリーCの最優秀賞「汎アマゾニア日伯協会賞」を受賞したライゼ・マヤラ・デ・リマ・サライーバさん(15、トメアスー日本語学校)は、「イミグランテ」と題してトメアスーでの日本人の功績を書いた。日本語の勉強を始めたのは2006年。現在は能力試験4級に挑戦中というライゼさん。「とても嬉しい。感激しました」と受賞を喜ぶ。州知事から表彰を受けた山田純一郎さん(84、静岡)はY・YAMADA社長で、パラー日系商工会議所前会頭。息子のフェルナンドさん(副社長および商議所会頭)とともに受賞した。家族で1932年に渡伯した山田さん。「何もいただくと思っていないところに(表彰を)いただけて嬉しい」と感想を語り、講道館4段だった父・義雄さんとコンデ・コマとの関わり、父親が34年に始めて開けた売店のこと、戦争中のトメアスーへの強制収容などの思い出を振り返った。第1回トメアスー移民で、この日パラー州農業連盟から表彰を受けた大橋敏男さん(92、静岡)は、「同じようにあの頃苦労した人たちがいます。長生きしたから今回の表彰を受けることができた」と話す。「あの頃南拓(南米拓殖会社)にはアマゾンの経験者はいなかった。何もかも新しくやったんですよ」とトメアスー開拓の時代を振り返り、大橋さんは「今の日系人はこんな大きな所で式典ができる。州の発展のために農業をやったのは日本人。だから州政府も認めているのだと思います」と話した。
大阪サンパウロ姉妹都市提携四十周年を記念した成世昌平民謡・歌謡コンサート(北川彰久実行委員長)が五日、文協記念大講堂で行なわれた。千百人が来場し、時折故郷の歌を口ずさみながら、七時間に及んだステージを楽しんだ。 開会式には、大部一秋在サンパウロ総領事夫妻も来賓として訪れ、大阪市公式代表団の岡田茂男会長、木下吉信顧問、ブラジル移民の思いを歌にした『みかえり富士』の作詞家で、大阪市民交流団のもず唱平団長などが出席した。 第一部で、南は沖縄から北は北海道まで十七の民謡曲メドレーを披露した成世さんは、「四十七曲も歌ったら疲れてしまうので抽出した」と笑いを誘いながらも、「故郷の歌を届けたい」と、来場者のリクエストに応えるファンサービス。聴衆の心を一気に引き付けていた。 第二部では、もず団長が「日本の歌を考える」と題し、特別講演。「歌は心の架け橋、歌に国境はない」と話し、二〇〇六年に来伯した際に、「一世の祖父が富士山は世界中で一番美しい山だとよく言っていた」という話を耳にしたことを明かしていた。 そのときの体験から、「日本を離れる際に振り返り、振り返り、富士の姿を焼き付けていた移民の心を歌にしたい」と、『みかえり富士』を作詞。「この歌を出せないようなら日本の音楽業界は駄目だ」と、日本音楽著作権協会会長の船村徹氏が曲をつけ、世に出すことができたという。 第三部では、成世さんが『船村徹メドレー』や『みかえり富士』を披露。ポルトガル語でも歌われた『みかえり富士』に大きな拍手が送られていた。第四部は、日本からの市民交流団も参加しての日伯交流紅白歌合戦が行なわれ、接戦の末、僅差で紅組が勝利。出場者に歓声がとぶなど最後まで盛り上がったステージとなった。 写真:リクエストに応えて熱唱する成世さん
福岡県人会(南アゴスチーニョ俊男会長)は十四日、聖市内のレストランでアマゾン日本人移民八十周年を記念した福岡県慶祝団(海老井悦子団長)の歓迎会を行なった。団員ら六人と集まった同県人会関係者三十四人は、郷里の話に花を咲かせるなどし和やかな時間を過ごした。 同日着聖した一行は、午後三時からブラジル日本移民史料館を見学。同県人会からは案内役として、松尾治名誉会長、鶴我博文理事、鶴我圭子同夫人が参加した。 慶祝団の顧問を務める井本邦彦同県県議会副議長は、「自分の感覚で移民の歴史を認識したい」と、ガイドに頼らず一つ一つの資料に足を止めた。「カーニバルの国程度の知識だった。県人の方が随分とブラジルに貢献している。嬉しく思います」と移民史に触れ、感激の表情を浮かべていた。 歓迎会の席で同県副知事の海老井団長は、「移民の皆さんがここに至るまでに抱いた思いを感じることができた」と史料館見学の感想を述べ、昨年から実施している子弟招聘制度などを通して、「グローバルな時代に対応できる県人会と、県の絆を更に深めていきたい」と、あいさつ。 同県から参加者に対して漆塗りの夫婦箸も贈呈され、南会長は、「母県から慶祝に来ているのはうちだけ。ブラジルのことを気にかけてくれているのがわかる。本当に嬉しい限り」と喜び、「良い旅にしましょう」と、一行の安全を祈念していた。 写真:歓迎会でスピーチする笑顔の海老井団長と、南会長
物産、ラーメン共に完売御礼 物産展の継続を示唆する木下会長 北海道協会(木下利雄会長)は十二、十三の両日、同協会会館で『第二回北海道物産展』を行なった。北海道移民九十年、同協会創立七十周年記念事業の一環でもある同展は、二〇〇四年に続き二回目の開催。前回は寄付に頼った食材も、今回は品数を増やして母道から直接買い付けた。ブラジルでは入手困難な品も並び、訪れた九百人は北の大地の味覚を満喫していた。 初日、午前十時の開場時刻には、産地直送の特産品を買い求めようと、二百人が列を成し、協会側が急遽二十人ずつの入場制限をするほど。数の子、ほたて、たらばがに等の魚介類に加えて、「白い恋人」、「マルセイバターサンド」といった銘菓も昼過ぎには完売し、「予想以上の手応え」と、関係者らは顔をほころばせていた。 二日目は、協会婦人部「はまなす会」による『第十四回ラーメン祭り』も同時開催。二日前から漬込んだチャーシューに、コーン、海苔、ねぎなどをトッピングしたしょうゆラーメンは、一時間足らずで満席となるほどの人気ぶり。 父親が北海道出身の瀬戸千恵子さん(六四、二世)は、「初めて食べたラーメンはとても美味しかった。これからも続けてほしい」。友人の秋末朝子さん(六一、二世)は、「目当てだった北海ちらしも美味しい」と、持ち帰り用の袋を抱えて大満足の様子だった。 調理場は、ちらし寿司、あんみつ、いちご大福の追加注文に大忙し。午前七時から四度の炊飯をこなした水野誠子同会会長は、「仕込みは昨日から。回を重ねるごとに手際も良くなってきて、今年も完売、成功です」と充実した表情を見せていた。 同協会青年部「ひぐま会」によるヨサコイソーランが披露されると、来場者で賑わう会場の熱気も一段と高まった。用意した品の多くが午後二時には売り切れ、高橋昭副会長は、「うちは独立採算制だから、利益はそれぞれの会に入る。だから婦人部も青年部も一生懸命」と、活気の源について笑顔で語っていた。 五年前の初回物産展では品数が手薄だったため、今回は要望に応えて品数を増やし、赤字覚悟で直輸入に踏み切ったという木下会長は、「税関を通るとどうしても高値になってしまう」としつつも、「ニーズがあるなら続けたい」と、盛況に応じて来年以降の継続開催を示唆していた。 写真:目当ての品を買い求める来場者
ニッケイ新聞 2009年9月22日付け 「アクションなくして結果なし」。五月に新体制となった在伯埼玉県人会(飯島秀昭会長)のテーマだ。新飯島体制の下、まず始めに企画されたのは母県の祭りに参加するもので、「ブラジルを身近にしたい」、さらに「県人会のモチベーションが上がれば」と飯島会長は意気込む。同県人会は、所沢航空記念公園(埼玉県所沢市)で十月二十四、二十五両日開催される「所沢市民フェスティバル」(同実行委員会主催)に参加することを決定。また、伊佐沼公園(川越市)で十月三十一日、十一月一日両日開催される「09川越産業博覧会」(川越市主催)に参加することも決定した。同県人会事務所で三日、飯島会長、尾崎眞次副会長夫妻、植(つげ)教子婦人部長、吉原正之会計、根本信元・元会長夫妻らが記者会見を開き、参加に至る経緯と新体制の抱負を発表した。両会場では、JICAや伯国大使館が提供するパネルやパンフレット、映像を使った観光や経済の紹介。ブラジルの文化などを日本語で紹介する雑誌も提供する予定。さらに、伯国航空機メーカーのエンブラエル社が伯国紹介のパンフレットを二千部提供する。市民フェスティバルでは、サッカー元日本代表の岩本輝雄氏、エクアドル元プロ選手の中川賀之氏の二人を講師に迎え、県内青少年サッカーチーム所属選抜選手や一般募集した計二百人に対して、少年サッカー教室を開催する。博覧会では業者によるシュラスコ、パステイスや飲み物などが振舞われる。昨年、同県人会創立五十周年・県人移住九十周年式典に母県から参加した、同県議会議員で構成する日伯友好議員連盟の竹並万吉会長との縁がきっかけで、参加することが決まった。ブラジルからの訪問団は実行委員長の飯島会長と準備委員長の尾崎副会長。日本側は飯島会長の知人の日系ブラジル人や、友人らが手伝いを申し出ている。現在、同県人会は飯島会長や尾崎副会長らを中心に同事務所で月に二回会合を開いているが、会館がないこともあり、青年部は大きな行事しか参加しない。だが、飯島会長は「今までの県人会を培ってきた先人のお陰で礎があるからこそ、今行動できる」と述べ、「日本祭での活躍を見て、県人会としてもっと何か良いものが作れるのではないか」と感じたという。「ある金は使う。何もしないと何も動かない。今回、県人会の〃良い商品〃を作り、それで楽しい時間が過ごせたら」とし、「石を投げてみて、どれだけの波紋が立つか分からないが、小さな足跡でも良いからやってみたい」と語った。同県人会では同県出身者や縁のあるもの、また趣旨に賛同してくれる人を募集している。問い合わせは同県人会(電話=11・3253・8554、住所=Av. Brigadeiro Luiz Antonio, 2367, conj. 508, Bela Vista)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月22日付け 【ベレン発=松田正生記者】パラー州都ベレンで十八日夕方、日本人アマゾン移住八十周年記念式典(生田勇治祭典委員長、須藤忠志実行委員長)が開催され、六百人以上が出席した。十六日のトメアスーに続くベレン式典には、日伯国会議員連盟を代表して井上信治衆議院議員も出席して麻生太郎議連会長のメッセージを披露。第一回トメアスー移民の大橋利雄さん(92)、山田元さん(82)や各日系団体の功労者、親日家ブラジル人など多くの人が表彰を受けた。 会場となったコンベンションセンター「HANGAR」には、汎アマゾニア日伯協会の加盟十八団体から関係者が参集。日本からは井上議員や福岡県の海老井悦子副知事、井本邦彦県議会副議長、今村忠雄・日本海外協会会長、聖市からは県連ふるさと巡り一行約二百人をはじめ文協、援協の代表者も出席した。式典に先立ち、午後三時から表彰式が行われ、祭典委員会表彰(九十四人)、日伯功労賞(五人)、パラー州農業者連盟表彰(三人)、日本国外務大臣表彰(四人)の順に受賞者が表彰を受けた。北伯日本語普及センター(山瀬楢雄理事長、十七校)が八十周年を記念して実施した日本語作文コンクールの表彰式も行われた。午後四時半からの記念式典には、アナ・ジュリア・カレパ州知事、島内憲大使、名井良三ベレン総領事、ベレン市のドゥシオマール・コスタ市長、山田フェルナンド・パラー日系商工会議所会頭、飯星ワルテル下議ら連邦議員が来賓として出席した。生田祭典委員長はあいさつで、ペルーからアンデスを越えて来た「ペルー下り」の日本人、一九一五年にベレンへ来たブラジル柔術生みの親コンデ・コマ(前田光世)などの移住前史から、二九年に始まったトメアスー移民の苦闘と成功、五世が誕生する現在に至る北伯日系社会の歩みを振り返り、「先人のおかげで盛大な式典ができる」と感謝を表した。さらに日本移民を受け入れたパラー州と長年の日本政府の支援への感謝とともに、「これからも二つの民族の絆を強めるため、日本の文化をパラー、ブラジルに、ブラジルの文化を日本へ広めていきたい」と述べた。井上議員が麻生日伯議連会長の祝辞を代読。麻生会長は、日本移民と日系人が「誠実さと忍耐力で確固たる地位を築き、高い評価を得ていることを誇りに思う」と敬意を表した。トメアスーの式典に続き、島内大使から皇太子さまの祝辞が紹介された。席上、州政府が八十周年を記念して各分野での功労者へ記念メダルを贈呈する政令を定めたことが報告され、島内大使、山田元さん、Y・YAMADAの山田純一郎社長、山田フェルナンド副社長、生田祭典委員長、格闘家の町田リョートさんら十三人に知事から手渡された。最後にあいさつに立ったカレパ知事は、日本移民が「子を育て、孫までパラーに住み、地域発展に貢献している」と述べ、同州に国内三番目、約三万人の日系社会があることを誇りに思うと話した。また「日本は伝統を守りながら技術と共存する手本を世界に示している。パラー州も日本に見習い、環境に配慮した持続可能な開発を目指している」と述べ、経済面での協力関係継続にも期待を表した。知事は「道のりは楽ではなかったが、努力と忍耐で障害を越え、今日の地位を築いた」と日本移民・日系人をたたえ、州への貢献に「ムイント・オブリガード」と感謝の言葉を送った。パラー州歌を歌い、六時半過ぎに式典は終了。鏡割りに続いて祝賀アトラクションが行われ、花柳流金龍会の舞踊や筝曲演奏などが披露された。
ニッケイ新聞 2009年9月22日付け イチョウのように逞しく―。日系人が多く通った「コレジオ・パウリスターノ」の卒業生らが中心となり、被爆2世のイチョウ苗3本を19日、同校跡地に建つ私立大学FMU(Rua Tagua 150)に植樹した。幹事役の平崎靖之さん(63、広島)は、「イチョウは太古の昔からあり、生命力が強い。リベルダーデ発展の思いも込めた」と嬉しそうな表情を見せた。コレジオ・パウリスターノはリベルダーデ区タグア街(現在のFMU)にあり、日系人子弟が多く通っていた私立校。七〇年に最後の卒業生を送り出した。卒業生で、ブラジル被爆者平和協会の斎藤綏子理事(62、広島)は、「日系だけでなく、エジプトやドイツなどポルトガル語のままならない移民の子供が多くいました」と懐かしそうに振り返る。平崎さんが知人のアデリコ・マチオーリ陸軍少将と話しているうちに、お互い同校出身であることが分かった。知りあいに呼びかけ、昨年十月にあった初の同窓会には九人が参加。旧交を温めるなかで、「来年集まる時には、何か意義のあることを」と、胎内被爆者である平崎さんが被爆イチョウを〃古巣〃に植樹することを発案。FMUに打診し、実現した。今回植樹したイチョウは、宮城県人会の中沢宏一会長(65、アチバイア在住)が育てていたものを寄付した。「十五年ほど前、広島に里帰りした知人の女性がブラジルに持ち帰った被爆イチョウの銀杏をもらい育てた」(中沢会長)という。十九日午前、FMUには十人の卒業生のほか、日系唯一のサンパウロ州議で、祖父母が広島出身の西本エリオ氏(46)、広島県人会の大西博巳会長、長崎県人会の大河正夫副会長(58)、FMU関係者が集まった。南米大神宮の逢坂和男宮司が神事を執り行い、三本の苗をタグア街に面した入り口の庭に植樹した。FMUの環境教育担当クリス・アラウジョさん(37)は、「このような機会を嬉しく思う。心の中にイチョウのような強さと耐える力を持つことを生徒たちに伝えたい」と感謝の言葉を述べていた。
ニッケイ新聞 2009年9月18日付け 【トメアスー発=松田正生記者】アマゾン移民の古里、これからも――。トメアスー文化農業振興協会で十六日、日本人アマゾン移住八十周年記念式典(実行委員長=海谷英雄同文協会長)が行われた。マラリアの悲劇、戦中には敵性国民として扱われ、そして戦後のピメンタ景気―。激動の歴史をたどってきた同地の節目を祝う式典に州内、国内外から約六百人(主催者発表)が出席。皇太子さまも祝辞を寄せられ、移住者に敬意を表した。当日は八十年の歩みを見つめてきた二人の第一回移民が出席して表彰を受けた。 好天に恵まれた式典当日、午前八時過ぎから会館前の道路で記念パレードが催された。海谷実行委員長、武田キヨミ副市長らが日伯国旗、パラー州、トメアスー市旗を掲揚。続いて同市にあるトメアスー・ニッケイ学校、ファビオ・ルス学校、イピチンガ学校の生徒がパレードし、トメアスー、アマゾンでの日本移民・日系人の貢献を称えた。十時過ぎに始まった式典には、オダイール・コレイア州副知事、飯星ワルテル、ウィリアン・ウー両下議、地元選出のゼナウド・コウチーニョ下議、カルロス・ヴィニシウス市長、生田勇治・汎アマゾニア日協会会長、島内憲駐伯大使、名井良三ベレン総領事、芳賀克彦JICAブラジル所長など日伯両国の来賓が出席。日本からは、福岡県の海老井悦子副知事、井本邦彦副議長ら五人、今村忠雄日本海外協会会長などが来伯した。また、サンパウロからは、十人近い県人会長が県連ふるさとめぐりなどで式典に参加。与儀昭雄県連会長、菊地義治援協副会長らも出席した。一九二九年九月二十二日にアカラ植民地(現トメアスー)に到着した四十二家族百八十九人によって切り開かれたアマゾン移住の歴史。開拓初期はマラリアなどの風土病に苦しみ、戦中は敵性国人とされたアマゾン地域の日本人が強制隔離されるなど苦難の道のりが続いた。海谷実行委員長はあいさつで「一時は七割が脱耕した過酷な状況の中でも残留者は夢を忘れなかった」と先人の苦労を偲び、「戦後のピメンタの成功で文化的な生活を営む余裕が生まれ、さらに戦後移住者の入植により、名実ともに北伯一の日系社会になった」と振り返った。同地は現在、熱帯果樹栽培やジュース加工のほか、農業と林業の混合により持続的な開発を目指す「森林農業」に取り組んでいることから、海谷委員長は「アマゾンの自然と調和した農業をいかに効果的に進めていくかが我々の課題」と締めくくった。出席した来賓もそれぞれ祝辞。ヴィニシウス市長は「日本人はトメアスーの友人」と述べ、州副知事は同地が州発展に果たした役割を称え、日本とのさらなる関係進展に期待を表した。皇太子さまからの祝辞は島内大使が代読した。皇太子さまは「移住者の苦労を偲び、心から敬意を表する。アマゾン移住者の地道な努力が今日の日系人への信頼、評価につながっている」と現在の発展を称え、「これからも日伯の友好の架け橋として活躍することを願います」とのお言葉を寄せられた。この日はまた、トメアスーへの移住事業を担った南米拓殖株式会社の創立に尽力した鐘淵紡績社長武藤山治氏の孫、武藤治太氏(71、大阪、ダイワボウホールディングス株式会社相談役)も出席した。「当時国会議員だった祖父は、後に来るつもりで、土地も買っていたようです」という。仕事の関係で今回が四度目の来伯という治太氏。「地球の反対側でよくやれたと思う。八十年以上前にまいた一粒の種がこれだけになり、祖父も生きていたら喜ぶでしょう」と話した。式典後は会館入り口に設置された記念モニュメントを除幕。鏡割り、乾杯後に祝賀昼食会が行われた。会館の敷地ではトメアスーの農業を紹介する物産展も開かれ、賑わいを見せた。午後からの芸能祭には滞在中の歌手宮沢和史さんと大城クラウディアさんが出演し、「島歌」を熱唱。婦人らによる演芸が披露されたほか、八十周年を記念して作られた歌「海を越えて~アマゾン移民八十年賛歌」も歌われた。 第一回移民山田元、加藤昌子さんを表彰 この日は、第一回移民で健在な山田元さん(82、広島)、加藤昌子さん(80、秋田)と、七月七日に亡くなった横山禮子さん(娘のアナさんが代理)はじめ、十四人の功労者に実行委員会から感謝状を授与。またパラー州農業水産連盟から、山田さんら三人に、州の農業発展への貢献を称えた記念プレートが贈られた。外務大臣表彰式も行われ、トメアスー文協と海谷会長が受賞した。生後三カ月で移住した加藤さんは「何もできないのに表彰していただき、ありがたい」と喜んだ。二歳で移住、農協理事長を務めるなど同移住地とともに生きてきた山田さんは、「皆さんの支えがあって生きさせてもらった」と感謝し、「日本語はできるだけ続け、一歩でも前進するように努力してほしい」と次世代に期待を表した。
ニッケイ新聞 2009年9月18日付け ブラジル石川県人会(小堀勇会長)は、南米地域青少年育成協力事業「二十一世紀石川少年の翼」で母県から訪れた派遣団六人の送別会を八月二十六日午後、同県人会館で開催した。一行を温かく送り出そうと、県人会員や同交流事業OBなど五十三人が集まった。同交流事業参加者は、速見帆並さん(高一)、東明璃さん(高一)、山岸聖奈さん(高三)、山崎祐輔さん(高一)の四人。団長は石川県観光交流局国際交流課・交流協力グループリーダーの良澤和俊さんで、国際交流員の原口リリアンさんが引率した。一行は八月二十日から二十七日の滞伯期間中、アマゾン移住八十周年を記念し、アマゾナス州マナウス市のマナウス石川県人会を交流訪問。ホームステイを体験、工業団地や動物園、劇場、港を見学したほか、アマゾン川合流地点にも向かった。「ピラルクがおいしかった」と満喫した様子。聖州では、移民の入港したサントス市を訪問。サントス厚生ホームで高齢者を慰問した。最終日前日、四人は一週間の疲れも見せず、元気に会場に姿を現わした。小堀会長は「心ゆくまで歓談し、楽しい時間を過ごしましょう」とあいさつ。竹下康義さんの乾杯の音頭で、和やかに夕食会が始まった。二年半ぶりの再会に喜んでいたのは山岸さんと同交流事業で〇七年一月に石川県を訪問した清丸多美さん(18)。山岸さんの家にホームステイしていた清丸さん、「とても温かく迎えてもらいました」と思い返す。二人は、再会時に互いの顔が分からなかったと笑い合った。交流生四人が「涙そうそう」と「上を向いて歩こう」を歌った後、それぞれ研修の感想を発表した。山崎さんは「アマゾン川の合流地点が特に印象に残った」、速見さんは「聖市にビルが多いことが意外だった、東京のよう」、東さんは「伯国の人は日本の人に比べても温かい気がした」と笑顔で語った。両親がアイルトン・セナの大ファンで「セイナ」と名付けられたという山岸さんは「また絶対伯国に戻ってきます!」と宣言。良澤さんは、「子供たちの一生の思い出になったと思います。ぜひ石川県にも訪れて下さい」と感謝を述べた。記念撮影が行われ、九時半頃閉会した。
ニッケイ新聞 2009年9月17日付け 青葉健康生活協会(中沢宏一会長)は青葉祭りと並行し、十九日午後三時から午後五時までブラジル宮城県人会館(ファグンデス街152)で、有機農産物生産に関する講演会を開催する。宮城県人会後援、有機農業研究会(APAN)、農協婦人部連合会(ADESC)、カッポン・ボニート有機生産者協会の協賛。テーマは「有機農産物生産について」「有機農産物生産者と消費者の提携」。講師には、宮坂四郎(聖州立カンピーナス試験場農業技師)、長井邦夫(農業技師)、宮田隆行(有機野菜栽培者、カッポン・ボニート有機生産者協会代表)の各氏を招く。案内に訪れた中沢会長、鈴木運蔵青葉健康生活協会副会長、長井さん、ADESCの内海千代美会長、草島加代子さんは、「生産者と消費者が一緒になって理解を高めていければ」と来場を呼びかけている。問い合わせは、青葉健康生活協会(電話=11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月17日付け 【トメアスー発】ついにアマゾン日本人移住八十周年祭典がスタート――! 一九二九年九月二十二日、初めて日本人移民が踏んだアマゾンの地、トメアスー移住地で十五日夜、前夜祭が行われ、約四百人が参加した。同日午後には同地本願寺で、松峯慈晄・浄土真宗南米総長の導師による慰霊法要、十六日には記念式典もあった。これを皮切りに、ベレン(十八日)、マナウス(二十日)、パリンチンス(二十二日)でも関連事業が行われる。 トメアスー文協会館であった前夜祭には、ウィリアン・ウー、地元選出のゼナウド・コウチーニョ両連邦下議、トメアスー二世の飯田・タケダ・キヨミ副市長ら来賓も出席した。日本から駆けつけた歌手の宮沢和史、アルゼンチン二世の大城クラウジアさんの歌声に約四百人が聞き惚れた。パラグアイ・イグアス移住地の太鼓グループ『鼓太郎』から十一人が参加し、太鼓演奏ほか、さんさ踊りや、荒馬踊りなど民族芸能を披露した。リッファなども行われた。十六日午前にあったトメアスー記念式典、ベレン、マナウス、パリンチンス各式典の模様は、後日詳報する。
ニッケイ新聞 2009年9月16日付け アマゾン日本人移民八十周年記念式典に出席するため、福岡県から海老井悦子県副知事、井本邦彦福岡県議会副議長、福島明彦国際交流センター事務局長らの慶祝団五人が十四日、来伯した。一行は同日午後三時から、ブラジル福岡県人会の松尾治名誉会長と共に文協のブラジル日本移民資料館を訪れた。栗原猛・同史料館運営委員長による移民の戦前、戦後の生活や勝ち負け抗争などの説明に、熱心に聞き入っていた海老井副知事は、「開拓の過程には、日本人らしい強さを感じる。アマゾンで頑張れたのも日本人だったからなのでは」と印象を語っていた。同日夜は、リベルダーデ区のレストランでブラジル福岡県人会(南アゴスチーニョ会長)による歓迎会が行われ、会員ら約四十人が集まった。海老井副知事は、「グローバル化の中で、県人会との交流を深めていきたい。世代交代しながらも絆を強めていければ。来年の福岡県人会創立八十周年記念を盛大に祝う足がかりにしたい」と述べた。井本副議長は、「同県人会員が苦労して日伯の絆を作ってきたのが分かった。伯国で同県人会が活発に活動していることが嬉しい、県にもそのことを報告したい」と話した。
ニッケイ新聞 2009年9月15日付け 大阪・サンパウロ姉妹都市提携四十周年を記念し、大阪市音楽親善大使の歌手・成世昌平さんと作詞家・もず唱平さんらが出演する記念歌謡イベント(北川彰久実行委員長)が五日文協大講堂で開催された。約千百人が会場を埋め、一日音楽に酔いしれた。開会式で大部一秋在聖総領事は「『みかえり富士』は心揺さぶられる移民の歌、伯国でも発表され嬉しい」と述べ「成世さんに直接お会いでき光栄」と話していた。大阪市の木下吉信市議は「同じ血が流れている皆さんと交流を深めていきたい。大阪を忘れないで下さい、五十周年も盛大に祝いましょう」とあいさつ。作詞家のもず唱平さんは「歌は心の架け橋と信じている。成世さんが歌う曲を日本からの土産として聞いて下さい」と伝えた。「みかえり富士」を作った作曲家・船村徹さんからのビデオメッセージも上映された。第一部、成世さんは着物姿で登場。「大阪市から贈られた愛の鐘と共にやってきました。夢が叶い、皆さんの前で歌えて嬉しい」とあいさつし、ショーが開幕。滋賀の淡海節から大阪の淀川三十石船舟唄やソーラン節まで十七曲の民謡に加え、会場からのリクエスト曲が歌われた。しげさ節や磯節、黒田節、外山節など多くのリクエストが飛び出し、会場はおおいに盛り上がった。第二部はもずさんが講演し、日本の歌「赤とんぼ」の歌詞の背景を考えた。単に日本の風景を歌っているだけでなく、子守子の生活や絹産業など当時の風習を伝えているという。会場は、もずさんの情趣豊かな語りから故郷の様子に思いを馳せた。第三部は、歌謡成世昌平ショー。伯国初披露の移民の歌「みかえり富士」に始まり、ヒット曲「はぐれコキリコ」や「昭和の家族」などが披露されていった。「貝殻恋唄」では成世さんはステージから客席に下り、観客の握手に応えながら熱唱した。船村徹作品メドレーでは「別れの一本杉」や「王将」、「矢切の渡し」も披露された。「ひえつき節―ノスタルジア椎葉」の前には、民謡「稗つき節」の作詞者で、移住してスザノで亡くなった酒井繁一氏の息子の未亡人・酒井文子さん(68、山口)も紹介された。最後は、会場と一緒に再度「みかえり富士」を歌い締め括った。第四部は日伯交流紅白歌合戦で白熱、接戦の末に紅組が優勝した。「愛のままで」を歌った伯国から参加した石井彩子さん、日本からの参加で「みかえり富士」を披露した金子靖男さん(70、東京)が大阪市長賞に輝いた。審査にあたったもずさんは「皆さん本当に上手でこんなに難しい審査も珍しい、本当に困りました」と感想をもらした。金子さんは「去年の移民百周年を記念しこの曲を選んだ。地球の反対から来て歌った甲斐がありました」と嬉しそうに語っていた。来場者から好評をいただいたと顔をほころばす北川実行委員長。「成世さんのショーを会場に届けられた、すばらしい交流会になった」と話していた。サントス港も見学に行き、移民の情景を思い浮かべながら歌いきったという成世さん。公演を終え「ステージはお客さんがつくるもの。よく聞いて下さって嬉しい、皆さんが心で感じてくれているのが分かった」と笑顔で語り、「また伯国で歌いたい」と話していた。「みかえり富士」を作詞したもずさんは、前来伯時に移民と交流を持ったことが作詞のきっかけだったと話す。「日本の人も日系人がこれほど日本に思いを馳せていることを知るべき」と話し、「伯国社会では多文化共生が成立しているように見える。日本の将来にも良い手本になるのでは」と語っていた。会場の福本緑さん(68)は「紅が勝った!」と抱き合って喜んでいた。「はぐれコキリコ」のCDを日本で買って来たという上里ジョルジさん(69)は「成世さんの曲を生で聞け嬉しい」と感激する。石井千鶴子さん(62、北海道)も「はぐれコキリコ」が好きでテープを持っているという。幼少期に渡伯した石井さんは、「『みかえり富士』を聞いたら涙がでてきました」としみじみ語っていた。当日はブラジル日本アマチュア歌謡連盟(INB)北川好美会長、サンパウロ・大阪姉妹都市委員会高木ラウル委員長、岡田茂男大阪・サンパウロ姉妹都市協会副会長、ピラチニンガ文化体育協会の重田エルゾ会長らも出席した。
琉球民謡保存会ブラジル支部(仲村善正支部長)は十三日午後二時から、沖縄県人会会館(聖市リベルダーデ区トーマス・デ・リマ街七二番)で「第十九回琉球民謡紅白歌合戦」を行なう。 当日は、十代の若者十五人を含む男女二十四組が出演、自慢の喉を披露する。最優秀男女は、沖縄県で行なわれる「新春民謡紅白歌合戦」(琉球放送主催)にブラジル代表として出場する。 その他、琉球舞踊やちびっこ民謡ショーなどのアトラクションもあり、案内に来社した仲村支部長と米須正実行委員長は、「今年は若い人も多いし、賑やかにやりたい。誘い合わせてぜひ」と多数の来場を呼びかけている。 写真:案内に来社した米須実行委員長と仲村支部長(左から)
資料集め、活用が今後の課題 ブラジル沖縄県人会(与儀昭雄会長)は五日午前十一時すぎから、沖縄文化センター(ジアデーマ市)敷地内で建設を進めていた移民資料館の落成式を行った。与儀会長をはじめとする県人会役員、会員および関係者のほか、資料館建設費を集めるために母県で奔走した西原篤一沖縄ブラジル協会会長、ジルソン・メネゼス同市副市長ら約二百人が参席、念願だった資料館の落成を祝った。与儀会長によると、来年いっぱいで資料などを揃え、「ウチナーンチュの心」を吹き込み、その後、資料館としてオープンする予定。 国頭村・金武町記念碑も除幕 西原篤一沖縄 ブラジル協会会長も出席 落成式ではまず、南米大神宮の逢坂和男宮司による竣工清祓い式が執り行われ、宮司による祝詞奏上(のりとそうじょう)、与儀昭雄会長、宮城滋元会長、山城勇元会長、西原篤一氏、花城清賢ジョルジ氏、伊差川実元会長、宮城調智前会長、神谷牛太郎聖市議、メネゼス副市長ほかによる玉串奉天が粛々と行われた後、資料館入り口でテープカットが行われた。 続いて、同館入り口正面の記念碑に据えられた、笠戸丸でブラジルへ渡った第一回沖縄移民の氏名を刻んだ記念プレートの除幕、同県国頭村(くにがみそん)から寄贈された「万国津梁(ばんこくしんりょう)の民」記念碑および、同じく金武(きん)町から寄贈を受けた県人移住百周年記念石碑の除幕を行った。 与儀会長はあいさつで、「百周年の行事はすべて終わったが、この資料館建設という事業が残っていた」とし、県や市町村、多くの県民、そして在伯県系人らの協力のおかげで、県人移民百周年を記念する最大の事業を成し遂げることができたと謝意を表し、「笠戸丸でやって来た三百二十五人に始まった我々、ブラジルのウチナーンチュの歴史を、三世、四世、五世のために残さなければならない。入れ物は出来たので、これからはウチナーンチュの心を、ここに入れていかなければならない」と述べた。 続いてあいさつに立った松堂忠顕落成式実行委員長、崎間達雄資料館建設委員長、宮城調智前会長、山城勇元会長らはそれぞれ、資料を収め、それらをどう活用するかが大事であり、これからが本当に大変な作業になると述べ、資料収集および資料館運営に対しての協力を呼びかけた。 同資料館建設にあたって県、市町村、一般企業からの寄付集めに奔走した西原篤一沖縄ブラジル協会会長もはるばる落成式に駆けつけ、「ふるさとが学べる資料館にしていただきたい。おめでとう」と祝辞を述べた。 また同氏は現在、県内四十一市町村に対して「我が村の自慢DVD」を制作するよう働きかけていることを明らかにした。これは、沖縄各地に息づいている伝統文化、太鼓や歌、踊りなどの民俗芸能や空手などを収め、ブラジルの人に沖縄を知ってもらうために同資料館で視聴できるようにするのが目的だという。その活動資金はすべて西原氏の持ち出しというが、「ブラジルの人は本当に良くしてくれるから。倍返ししないとね」と嬉しそうに語った。 写真:第一回沖縄移民の名が刻まれたプレートの除幕 写真:金武(きん)町から寄贈された記念碑の除幕
ニッケイ新聞 2009年9月12日付け 沖縄県人ブラジル移民百周年の記念事業として聖州ジアデマ市の沖縄文化センターで建設が進められてきた移民資料館の建物が完成し、五日、約二百人が出席して落成式が挙行された。母県からは沖縄ブラジル協会長を務める西原篤一氏(在那覇ブラジル名誉領事)が来伯。あわせて昨年の百周年式典で金武町から寄贈された記念石碑、国頭村の寄贈による夫婦像「万国津梁の民」碑の除幕式も行なわれた。先駆者の歩みを伝え、県系社会の心の拠り所となる同資料館。県人会、センターでは来年中の開館を目指して資料集め、整理を進めていく予定で、現在関係者に資料提供を呼びかけている。 県人移民百周年の記念事業としては最大のものとなる「沖縄移民資料館」。母県から二千万円、市町村、民間から一千万円ずつの支援を受け建設が進められてきた。当日の空は厚い雲に覆われながらも、雨に降られることなく落成式を開始。午前十一時過ぎから入口前で南米大神宮の逢坂和男宮司により清め祓い式が執り行なわれ、与儀昭雄会長はじめ県人会、文化センターの歴代理事長や関係者、西原氏、ジアデマ市のジルソン・メネゼス副市長らが玉串を捧げた。建物のテープカットを行なった後はセンター入口に移動し、「万国津梁の民」碑と、「いざ行かん我らの家は五大州」と刻まれた金武町の記念石碑を除幕。滞りなく一連の行事を終了した。▽   ▽平屋建ての資料館には今後、展示室や図書室、資料保管室のほか、慰霊室や県人移民のルーツをたどれる家系図室などが設置される計画。映像コーナーなども整備し、歴史の保存とともに伝統文化普及の場として位置付けられている。建物の前には沖縄県旗のデザインをイメージさせる円形の空間が設けられ、中央に笠戸丸県人移民三百二十五人の名と、沖縄と移住先国の地図を刻んだプレートが設置された。記念碑除幕後、建物の前で来賓、関係者があいさつ。昨年の式典に出席した翁長雄志那覇市長からのメッセージも紹介された。与儀会長は「沖縄、ブラジルの皆さんの協力で落成の日を迎えることができた」と感謝を表わし、「これから色々な資料を集めてウチナーンチュの歴史をここに入れ、次の世代へ残していきたい」と決意を語った。式典実行委員長の松堂忠顕委員長は「これから人材を選び、中身の充実に努めてほしい」とあいさつ。山城勇元評議員会長は「先人が築いた絆と結束に、常に感謝の気持ちを持たなければ」とし、「これからは我々の肩にかかっている」と述べ、さらなる協力を呼びかけた。 団結の象徴 三十年以上にわたる分離状態を経て、現在統合を進めている県人会と文化センター。団結の象徴とも言える同センターに、県系社会の歩みを将来へ伝える資料館が落成した。学生寮建設事業として始まった同センター。県人会のミラカツ支部長を四十年務め、文化センター理事としても尽力した長田栄治さん(91)は「ここが当初の夢だった子弟の教育の場になり、世界の文化センターになってくれれば」と語る。同センターの創設者、花城清安氏の息子で、自身理事長として尽力した花城清賢ジョルジさん(79)は、「皆の協力で立派なものができた。父も喜んでいると思います」と笑顔を見せ、「これから大事なのが資料集め。県人の歴史を子孫に残し、いつでも思い出せる場所になってほしい」と期待を表わした。終了後は運動場で昼食会が開かれ、花城さんの発声で乾杯。舞踊なども披露され、午後二時ごろまで和やかなひと時を過ごした。