ニッケイ新聞 2009年9月12日付け 琉球民謡保存会ブラジル支部(仲村善正支部長)は十三日午後二時から沖縄県人会館大サロン(リベルダーデ区トマス・デ・リマ街72)で「第十九回紅白歌合戦」を開催する。入場無料。二十四組四十八人が出場。大会の中で、紅組白組から一人ずつRBC(琉球放送)の「新春民謡紅白歌合戦」への参加者も選抜される。歌の合間には七歳からの子供たちが参加する舞踊などのアトラクションも披露。会場では沖縄そばやサーターアンダーギー(揚げドーナツ)が販売される。毎年紅組が勝つことが多いそう。来社した仲村支部長と米須正大会実行委員長は、「今年こそは、と白組も力を入れて練習してきました。ぜひ応援に来て下さい」と呼びかけた。問い合わせは、仲村支部長(電話=11・4991・6761)まで。
Ano: 2009
ニッケイ新聞 2009年9月11日付け ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は、宮崎県人の移住の歴史をまとめた「宮崎県南米移住史」(〇三年、宮崎県南米移住史刊行委員会発行)のポルトガル語翻訳版「HISTORIA DA EMIGRACAO JAPONESA PARA AS AMERICAS」を発行し、八月二十五日、リベルダーデの東洋文化会館で出版記念祝賀会を開催した。翻訳版は地名などを加筆、修正し約二年の歳月を経て完成した。黒木会長は開会の挨拶の中で、六十周年式典が盛大に開催されたことを説明し、マナウス市やイツペーバ市に工場がある自動車メーカー、ホンダロック(本社=宮崎市佐土原町)やトッパン・プレス印刷出版(奥山啓次代表取締役)など、関係者に謝意を表した。続いて吉加江ネルソン名誉会長が翻訳の経緯を説明、協力してくれた関係者に謝意を述べた。さらに、「口から出す言葉は消える。本に書いた言葉は残る」と述べ、「より多くの宮崎県人の子弟達にも読んで欲しい」と挨拶をした。同書は、宮崎ブラジル親善協会の徳永哲也理事(72、福岡)が十一回来伯し一人で取材、執筆したもので、日本人の海外移住の歴史から宮崎県の南米移住までを紹介。史料・年表編ではコチア青年や花嫁移住者、県費留学生など緻密な調査に基づいた詳細なデータが掲載されている。徳永さんは、一九七四年、県人会二十五周年の時にMRT宮崎放送の記者として来伯し、トメアスーなどで活躍する県人や留学生OBに焦点を当てた番組を製作したのがブラジル、そして日系社会との出会いだった。その時、移民に対して興味と関心を持ち、来伯のたびに移民関係の史料を収集した。定年した九八年に同協会の事務局長に就任してからは、宮崎を訪れる留学生たちの世話も行ってきた。そのような経緯から執筆するようになったという。徳永さんは「協力いただいたみなさんに感謝する。今日は、当時お世話をした留学生の顔を見られて嬉しいです」と語った。同書の翻訳版はITCOM PACTOR社でコンサルタント業務を手掛けるエリアス・アンツーネス氏(71、ロンドリーナ市在住)により翻訳された。同氏は六二年から二年間、大阪外語大学と東京大学で国費留学生として学び、六八年から二年間在日ブラジル大使館に勤務した。今回の刊行は、同氏と親交の深い吉加江名誉会長から誘われたことで決定した。エリアス氏は「地名や人名の翻訳に苦労した。日本に対する恩返しです」と感想を語った。同書の販売、または配付方法は未定。詳しくは同県人会(電話=11・3208・4689)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月10日付け リベリダーデ・フェスティバル(ACAL=リベルダーデ文化福祉協会主催)は五、六、七の三日間に渡り開催され、舞台では様々なアトラクションが披露された。週末の東洋市の人手も重なり賑わいを見せた。六日の午前中には歌手の成世昌平さん(大阪音楽親善大使)も出演。同日は終日雨だったが、午後からは小降りになり客足も伸びた。ステージ前には、傘をさした観客が集まり雨の中賑わいをみせた。七日午後には、大阪市職員が法被を着て同市の観光パンフレット、うちわ、クリアファイルを配布。盛況のうちに終了した。大阪橋に設置された屋台では、大阪名物のお好み焼きやソース焼きそば、バッテラ寿司のほか、天ぷら、餃子、春巻き、手巻きなどを販売。大阪府に住んだ経験があるという堀栞さん(73、京都)は「お好み焼きが大好き」と喜ぶ。日本に行った経験がないという富田マリオさん(79)は、「両市が似ているというなら、大阪市にも一度行って見たいね」後藤節子さん(66、茨城)は、「両市の交流が続き二世、三世にも日本文化が伝われば」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年9月10日付け 大阪市とサンパウロ市の姉妹都市提携四十周年を記念して、四日午後、サンパウロ市役所で記念式典が行なわれた。「不惑」を迎えた両市の友好関係を祝い、大阪市から聖市へ、友情の証として「みおつくしの鐘」(愛の鐘)が贈られた。姉妹提携の象徴「大阪橋」のあるリベルダーデの広場では、五日から七日まで記念フェスティバルも開催され、関係者一同さらなる交流へ誓いを新たにした。 節目の式典にあたり、大阪からは、大阪・サンパウロ姉妹都市協会の岡田茂男副会長、木下吉信大阪市会議員、橋本寛樹・同市政策企画室都市外交担当部長、市民交流団(もず唱平団長)ら二十一人の使節団が来伯。市役所での記念式典にはアルダ・マルコ・アントーニオ副市長、アルフレッド・コタイチ・ネット国際局局長、飯星ワルテル下議、小林雅彦在聖首席領事、池崎博文ACAL(リベルダーデ文化援護協会)会長、木多喜八郎文協会長など約六十五人が出席した。木下議員は「学問、スポーツなど文化面だけに留まらず経済面でも共に発展していこう」と話し、「永遠の友情の証として鐘を受け取って欲しい。両都市の友情がさらに強固なものになることを期待する」と力を込めた。岡田副会長は、「男は四十にして顔をつくるというように、四十年というのは一つの節目。四十周年を迎え、成熟した関係を築けたのでは」と話し、「聖市の爽やかな風で愛の鐘を鳴らして下さい」とあいさつした。アルダ副市長は「聖市は歴史の短い街、歴史の長い大阪市に多くを学びたい」と話し、「大阪市が姉妹都市であることは我々にとって非常に光栄である。今後も、共にさらなる発展を目指したい」と述べた。式典の中で、副市長から岡田副会長へ聖市の旗を贈呈。岡田副会長からは、親書と記念プレートが贈られた。大阪から贈られた「みおつくしの鐘」は、富山県高岡市の「老子(おいご)製作所」により製作されたもの。洋風の鐘型で口径四一・五、高さ四〇センチ、重さ四十五キロ。大阪市章と「愛」の文字がデザインされている。式典で鐘が披露され、副市長により鳴らされた。会場では大阪市写真展も開かれ、鮮やかなパネルが会場を飾った。鐘の設置場所は現在、市や関係者により検討されている。▽ ▽五日午前十時から行なわれた「リベルダーデ・フェステイバル」開会式には、大阪市使節団、聖市のアルフレッド国際局長ほか、サンパウロ・大阪姉妹都市委員会の高木ラウル委員長、大部一秋在聖総領事、千坂平通JICA聖支所長、池崎ACAL会長、飯星、ウィリアン・ウー両下議らが出席。席上、「みおつくしの鐘」が披露された。高木委員長は、「皆の協力により四十周年を祝うことが出来た」と喜び、「フェスティバルも三日間おおいに楽しんでいただきたい」とあいさつ。大部総領事は「両都市の交流が、日伯の益々の友好につながれば」と期待を込めた。橋本部長は「聖市の子供たちに健やかに育って欲しいとの願いを込め、鐘を贈呈した」と説明し「今回は一般市民レベルでも交流を図れることに期待している。五十周年に向け、新たな一歩を踏み出そう」と述べた。池崎会長は「永遠の愛を示す鐘を受け取ることは、我々のリベルダーデ区にとって大変名誉なことである」と語った。アルフレッド局長は、「鐘を鳴らし、伯国の子供たちの健やかな成長を祈ろう」と述べた。鐘の披露で出席者が順に鐘を鳴らしていくと、広場に明るい音が響き渡った。その後、鏡割りが続いた。隆盛太鼓による力強い太鼓演奏や、河内男節に合わせた日伯音楽交流協会(ANBIM)の舞踊も披露された。
福岡県福岡市を拠点に活動を行なっている画家の小嶋勇氏(七〇)による美術展が、十一日から二十日までの十日間にわたって聖市ベラ・ビスタ区にあるデコ画廊(フランセーゼズ街一五三番)で開催される。 小嶋氏は、一九七〇年代に約六年間サンパウロに在住した経験があり、これまでにもサンパウロやリオなどで展覧会を開いている。 昨年の移民百周年には、神奈川県横浜市でブラジルの日系画家五人を含めた十五人による美術展も実施。サンパウロでの展覧会開催は三年ぶりで、小嶋氏自身は今年三月まで福岡県内の西日本短期大学造園科で、環境デザインについて教壇に立っていた。 今回のテーマは「EARTH(地球)」。「人工的に造られたものは時間とともに風化するが、その中の音、空気、風といった自然のものは残るということを絵を通じて伝えたい」と説明する小嶋氏。ブラジルの緑黄色や赤土をイメージした作品を出展する。 期間中の開場時間は、午前十時から午後七時まで。なお、十日午後七時から同画廊で開会式が行なわれる。 詳細についての問い合わせは、デコ画廊(電話11・3289・7067)まで。 写真:案内に来社した小嶋夫妻
東京都友会は十八日から二十日まで、ポッソス・デ・カルダスへの二泊三日バス旅行を行う。 費用=四百四十レアル。旅程は十八日=午後六時リベルダーデ広場発。午後十時=ホテル着。十九日=市内観光、及び自由行動。夜は親睦会。二十日=市内の温泉に入浴。昼食後ホテル発、午後六時ごろリベルダーデ広場着。 申し込み、詳細・問い合わせは東京都友会(電3254・3540)まで。
サンパウロ・大阪姉妹都市40周年記念にプレゼント リベルダーデ広場でお披露目 大阪・サンパウロ姉妹都市提携四十周年を記念した『リベルダーデ・フェスティバル』が、五日から七日までリベルダーデ広場で行なわれた。サンパウロ国際交流協会、大阪・サンパウロ姉妹都市協会、リベルダーデ文化福祉協会(ACAL)の共催。 五日の開会式には、大阪市公式代表団の岡田茂男団長、木下吉信顧問、橋本寛樹同市政策企画室都市外交担当部長が参加し、大部一秋在聖総領事夫妻、飯星ワルテル、ウィリアム・ウー両下院議員、アルフレッド・コタイチ・ネット聖市国際局長も来賓として出席した。 大部総領事は祝辞の中で、「大阪とサンパウロはよく似た大都会。長い間この提携に尽力された人たちの努力に敬意を表し、今後もこのような日伯関係が続いていくことを願っています」と、あいさつした。 式ではこの後、四日に大阪市から聖市へ贈呈された「みおつくしの鐘」についての説明が行なわれた。同鐘は、大阪の母親たちが子どもたちの健やかな成長を願い、昭和三十年に同市に寄付され毎年「成人の日」に鳴らされているというもので、今回聖市に贈られたのは、語呂合わせで四十一・五(よいこ)センチのレプリカ。 岡田団長は、「母親が子どもに健全に育って欲しいと思う気持ちは万国共通」と話していた。出席者らは、交替で鐘を鳴らし、子どもたちへの願いを込めていた。 三日間のフェスティバルでは隆盛太鼓の演奏、『河内男節』に合わせて踊るグループ「アンビン」や新生リベルダーデ音頭なども披露された。お好み焼きや焼きそばといった大阪名物の出店も相次ぐ中、同市職員による観光パンフレットやうちわの配布も実施され、終日賑わいを見せていた。 写真:子どもたちの健やかな成長を願って寄贈された「みをつくしの鐘」 写真:賑わいを見せるリベルダーデ広場
県人会独自で移民百周年を祝った沖縄県人会。国内外から三千人が参集した式典から一年が経ち、先日、記念事業として建設が進められてきた移民資料館が落成した。 同会では祝祭典に終わらず、写真集や記念史ポ語版の出版など、歴史を伝える事業も進める。中でも最大のものがこの資料館だろう。 笠戸丸移民の約四割を占めた沖縄県人。歯科医の金城山戸氏を始め、ブラジル社会進出の先駆者となった人物も多い。 「今集められるものを」と話す関係者。これから本格的に資料集めを行なうというが、一方で、世代が移るにつれ資料保管の意識が薄れていく現実もあり、苦労もあるようだ。 来年は第二回移民船「旅順丸」の渡伯から一世紀。県人移民百年を祝う所もあるだろう。それぞれの県人会レベルで歴史を残す気運が生まれてくればと思う。 (ま)
ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 鹿児島大学(吉田浩己学長)の国際戦略本部はブラジルにおける鹿児島大学同窓会を立ち上げるため、OB、OG、留学生、JICA研修生など、鹿児島大学の教育環境に触れた人々の情報を集めている。連絡先は同大OB会の松村滋樹さん(電話=11・4057・1328、Eメール=shigekimatsu42@yahoo.co.jp)、または鹿児島県人会の平井事務局長(電話=11・3862・2540、Eメール=kagoshimabr@gmail.com)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 北海道協会(木下利雄会長)は「第十四回ラーメン祭り」を十三日午前十一時から、同協会(Joaquim Tavora 605 Vila Mariana)で開く。毎年、五百食を売り切る人気のラーメンは鶏がら、豚骨でスープをしっかり取ったしょう油味。レストランを経営する木下会長が味付けを担当、チャーシューやナルトも自家製だ。ラーメン(十三レ)のほか、タコやイカ、エビをふんだんに盛り付けた「北海ちらし」(十三レ)、いちご大福(七レ)やみつ豆(三レ)も楽しめる。収益は、婦人部「はまなす会」(水野誠子会長、会員四十五)の運営費に充てられる。木下、水野両会長、柳生エレーナ、上原よしさんが三日来社、「美味しいラーメンを是非食べに来てください」と呼びかけている。なお、当日券が午前中に売り切れることが予想されるため、事前に前売り券の購入を呼びかけている。詳しくは北海道協会(11・5084・6422)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 新鮮な北海道の幸はいかがですか―。北海道協会(木下利雄会長)は「北海道物産展」を十二、十三の両日午前十時から、同協会(Rua Joaquim Tavora, 605, Vila Mariana)で開く。カニ、筋子、タラコ、明太子、ホッケ、シシャモ、昆布、ワカメ、生ホタテなど全てを北海道から取り寄せた。札幌の地酒「千歳鶴」も販売する。物産展の開催は、道人移住八十五周年、協会創立六十五年を記念して実施された〇四年に続き、二回目。日高昆布、煮豆、ラーメンなどを販売、約千人が訪れ、大盛況を見せたが、「もっと北海道らしい食材が欲しい」という来場者の声に応えて実現した。案内のため、三日来社した木下会長、婦人部「はまなす会」の水野誠子会長は、「どうぞ北海道の海の幸をお楽しみください」と来場を呼びかけている。なお、十三日は同協会で「第十四回ラーメン祭り」も開催されており、自慢のラーメン、北海ちらし、いちご大福が楽しめる。物産展に関する問合せは北海道協会(11・5084・6422)まで。
ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 鳥取熟年大学は十六日午後一時から鳥取交流センター(セザリア・ファルンデス街323)で九月の例会を開く。今月は、老ク連で勤務するJICAシニアボランティアの与古田徳蔵さんが講師を務める。余興も予定。参加費七レアル。一般の参加を歓迎している。
ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 移民五十周年式典に出席されるために一九五八年六月にご来伯された三笠宮殿下ご夫妻。その歓迎のために組織された連絡会がもとになり、一九五九年にリンスで総会が行われ、ノロエステ連合日伯文化協会が発足して今年で五十周年を迎えた。半世紀の節目を祝うために六日、アラサツーバ文協大講堂に三十支部から六百人以上が集まり、次世代への期待をのべ、〃移民のふるさと〃は新たなる躍進を誓った。 六日午前九時、ノロエステ本願寺と南米本願寺により、記念追悼法要が執り行われ、読経が響く中、厳かに焼香し、先人の遺徳を思い起こしながら全員が手を合わせた。五八年、三笠宮殿下ご夫妻はリンスをご訪問され、大変熱烈な歓迎を受けた。皇室初のご来伯にして、ノロエステにとって唯一の機会だった。これを機に日本人会が連絡を強め、地域として活動を盛り上げていくために連合が発足したのが翌五九年五月十七日、リンス市の青年会館だった。移民五十周年記念で実施された実態調査によれば、同地方全体では六千八百八十二家族、四万八千三百七十一人を数える大集団地だ。その後、本部を現在のアラサツーバに移転し、鉄道沿線四百余キロを四地区(各会長1A=佐藤風太郎、1B=佐道善郎、2=長谷川峰夫、3=本間重男)に分け、総会、農事研修会、盆踊りなどを毎年行っている。 午前十時からの記念式典では、最初に先亡者に一分間の追悼を捧げ、白石一資会長(74、二世)は「若い人に役をやってもらい、移民二百年に向けて頑張って欲しい」と挨拶し、アラサツーバ市のアパレシード・セリオ・ダ・シルバ市長は「日系団体の活躍は顕著、大変な価値のある連合会であり、市を代表して祝福したい」と慶祝の言葉をのべた。大部一秋在聖総領事は夫人同伴で参加し、「この地で法要に参加でき、感激している」とのべ、木多喜八郎文協会長の祝辞に続いて、飯星ワルテル伯日議連会長は「上塚周平をシンボルとするこの地も六世の時代を迎えようとしている。日系人の誇りを持って日伯の架け橋になり、がんばっていきたい」と語った。非日系のジョルジ・マルリ連邦下議も「カフェランジアで医師をしていた祖父の代から日系人との付き合いがある。カラオケ、運動会など一度も日系団体からの出席の誘いを断ったことがない」とし更なる協力を誓った。式典の後、飯星議連会長から、同地の功労者九十八人に議連名の感謝状が贈られ、さらに同連合から七十八人にも日ポ両語で書かれた感謝状が渡された。婦人会(宮田美智子会長)が腕を振るった記念昼食会をはさんで、午後は三十支部から約七十もの余興が披露され、和やかに一日を過ごし、午後八時に閉会式が行われ、夕食を食べて解散した。白石会長はニッケイ新聞の取材に答え、「アラサツーバには現在約二千家族の日系人がおり、うち八百家族が会員になっている。ノロエステ全体ならまだ四千家族いる。次代のリーダー育成が緊急の課題」と今後の抱負をのべた。日語モデル校の学務部長などを務めた森垣正利さん(86、兵庫県)は「感謝状を渡すのは励みになっていい」と誉めると同時に、「もっと日本語教育に力をいれて欲しい」と要望した。〇四年まで十八年間も連合会長を務めた五十嵐二郎さん(79、二世)は、「三十年前までは一世ばっかりでガンガンやられ、怖かったが良い勉強になった。あれから連合も大きく変わった。時代の流れでポ語が増えるのはしかたないが、日語教育もたゆまず続けて欲しい」との期待を語った。
ニッケイ新聞 2009年9月9日付け 在伯群馬県人文化協会会館(サンジョアキン街526)で行われている群馬県カラオケ愛好会が会員を募集している。同愛好会は発足して約一年。第二、四金曜日の正午から午後四時まで、岩倉興志雄講師を迎え、練習をしている。誰でも参加することができ、会費は一回につき十レアル。自分が歌うテープやCDを持参する。同県人会では現在、空手、太鼓、日本語教室など様々な講座を設け活発に活動をしている。世話人の萩原建暁さんは「自分の歌を楽しく歌ってください」と呼びかけた。問い合わせは同県人会・萩原(電話=11・3341・8085)まで。
「弱小だけど何かが変えられるかも」 今年から、「アクションなくして結果無し」をテーマに掲げた埼玉県人会(飯島秀昭会長)は、活動の第一弾として、埼玉県所沢市で十月に行なわれる『所沢フェスティバル』に同県人会ブースを設置、同時に少年サッカー教室を開くなどし、母県に対する広報活動を行なう。同県人会は、三日午後六時から、同県人会事務局で月例会を実施。集まった七人の会員らは、「見ての通り弱小だけど、ここから何かが変えられるかも」と、三時間にわたり熱のこもった討議をしていた。 地元でサッカー教室 日伯友好議員連盟と連携深め 今回の企画は、埼玉県県議会議員六十五人で構成されている日伯友好議員連盟と同県人会の間で、「もう少し親密な関係を築く手立てはないか」と、討議したことがきっかけになり立ち上がった。飯島会長や尾崎眞次副会長が訪日時に県庁や市と三回にわたり協議し、実現の運びになったという。 月例会では、はじめに尾崎副会長が企画の概要を説明。ブラジル大使館と国際協力機構(JICA)横浜の全面協力で、ブラジル紹介のパネル設置や紹介ビデオの放映を行なう。また、コーヒー、果物ジュース、パステルなどの販売や特製パンフレットの配布もする。 さらに何といっても今回の目玉は少年サッカー教室で、元日本代表の岩本輝雄氏、エクアドル元プロの中川賀之氏を講師に迎えて同県内の小学五、六年生二百名を対象に開く。「ブラジルといえばサッカーという軽い気持ちで親しみをもってもらえれば」と、発案に至ったことなどが話された。 飯島会長は、「これからの県人会は母県に頼るばかりでなく、こちらからアクションを起こし、対等の立場で向き合えるような関係を築いていかなければ」と語り、「たとえ失敗に終っても次の世代へ繋げるきっかけにはなる」と、思いを込めていた。 根本信元前会長は、「将来的に県人会という枠組みが残る可能性は薄い。これをきっかけに他県の交流も活発になれば、日系社会の後世に絆を残せるのでは」と、強調していた。 柘植(つげ)教子婦人部長も、「このままの県人会ではもたないし、伸びていかない。石を投げてみるのも良いかも」と、笑みを浮かべていた。 同会ではこの他、準備委員長の尾崎副会長の訪日が承認され、同月行なわれる川越産業博覧会への出展も内定していることなどが報告された。また、母県への広報活動は来年以降も継続し、会員一人一人を実行委員として派遣することについても話し合われていた。 写真:「アクションなくして結果無し」と、力強く語る飯島会長
熊本市で公認観光案内ボランティアを行なっている吉村徹夫さんが、八月二十七日から初来伯し、約一週間の日程で滞在した。 吉村さんによると、昨年は熊本城築城四百年の節目の年を迎え、一般市民からの浄財十二億円を含む約四十五億円の費用をかけて、「本丸」を復元。「昨年一年間は、日本国内でも熊本への観光客が一番多かった」(吉村さん)という。 熊本市の観光ボランティアは現在、約七十人。吉村さんは、本職のNTT熊本に勤務する傍ら、休日などを利用して市の観光活性化を目的に奉仕活動を続けている。 職場の同僚で、同じく初来伯の高橋克典さんが、訪伯四十五回目という大ベテランの田所清克京都外国語大学教授の甥に当たることから、「一緒にブラジルに来ることができた」と語る吉村さん。「『こんにちは』ぐらいのポルトガル語は覚えて帰りたいです。熊本市の素晴らしさを今後も伝えていきたいと思っていますので、ブラジルからもぜひ、来ていただきたい」と呼びかけていた。 写真:田所教授(左)の案内で来社した吉村さん(右)と高橋さん
ブラジル北海道協会(木下利雄会長)では十三日午前十一時から午後三時まで、同協会婦人部「はまなす会」(水野誠子会長)による『ラーメンまつり』を開催する。 五百食用意するラーメンはしょうゆ味で、一杯十三レアル。ほかにもタコ、イカ、エビなどの海の幸が豊富な北海ちらし(十三レアル)や、いちご大福、あんみつなども販売する。 また十二、十三の両日午前十時からは『第二回北海道物産展』が催される。北海道から直送のカニ、たらこ、ホッケ、シシャモ、ワカメ、昆布など、普段は入手が難しい品の数々が販売される。 会場はいずれも北海道協会会館(聖市ビラ・マリアナ区ジョアキン・タボラ街六〇五番)。ラーメンの前売り券購入および問合せは同協会(電話11・5084・6422)まで。
沖縄県人会(与儀昭雄会長)はこのほど、協和婦人会(普天間俊子会長)の四十二年の活動を振り返る記念誌「協和婦人部のあゆみ」を発刊。その祝賀会が八月三十一日午後三時から同県人会館で行なわれ、婦人部関係者をはじめ、編集委員長の山城勇氏らが出席した。 一九六六年、現在の県人会の前身である「在伯沖縄協会」の企画・文化担当理事だった故・宮城松成氏の提案に基づき、婦人の生活向上を主な目的として創立された協和婦人会。各イベントでの食事づくり、各種演芸会参加やピクニックなどの活動も行ない、行事などで売上げた利益の一部を福祉団体や県人会に寄付するなど貢献してきた。 編集委員の宮城あきら氏によると、二〇〇六年には創立四十周年記念式典が開催され、同記念誌はその年に発刊される予定だった。しかし、移民百周年事業など多忙な状況が続き、編集委員会で各種資料を集めながらも、中断せざるを得ない状態が続いてきたという。 今年三月頃から改めて編集作業が行なわれ、七月に終了。八月にようやく出版にこぎつけた。 記念誌は、巻頭の「会員のあいことば」、「協和婦人会の会歌」をはじめ、創立四十周年記念式典や創立当初の活動など約四十ページ分におよぶ写真が使用。第一部の創立四十周年記念式典、第二部の「縁の下の力となって―協和婦人会のあゆみ」と大きく二部構成になっており、そのほかに文芸欄、追悼集や年表による婦人部の活動も記載されている。 特に第二部は、第二十七号まで続いたという同婦人部機関紙の「会報」の内容を抜粋しており、当時の記録が浮き彫りにされている。 普天間会長は祝賀会の席上、「編集委員の皆さんのお陰で立派な記念誌ができました。婦人会を作ってきたすべての先輩方と会員の人たちに感謝しております」とあいさつした。 山城編集委員長は、「最初に集めた資料の整理がつかないままに、移民百周年関連事業となったため、資料がこんがらがって仕事が困難となり責任を感じていたが、何とかできあがって良かった」と安堵の表情を見せていた。 写真:発刊された「協和婦人会のあゆみ」の表紙 写真:祝賀会で杯を掲げる婦人部の皆さん
ニッケイ新聞 2009年9月5日付け 日本人のブラジル移住に道を開き、『ブラジル移民の父』と呼ばれる高知県高岡郡佐川町出身の水野龍(1859~1951年)の三男、龍三郎さん(78)=パラナ州クリチーバ市在住=がこのほど高知県を訪れ、県庁に尾崎正直知事を表敬訪問した。龍三郎さんと龍三郎さんの娘、レジアネさん(31)=静岡県掛川市在住=らは同町で開かれる龍の生誕百五十年記念行事に招かれた。龍三郎さんは一九九七年から二年間、静岡県で働いたことがあるが、高知を訪れるのは初めて。「昨年の『ブラジル日本移民百周年』を機にたくさんの人と知り合い、皆さんのおかげで父の出身地に来られた。父も喜んでいると思う」と龍三郎さんが話すと、知事は昨年六月のブラジル訪問で龍の墓参りをした時のことを述懐。「苦労の後に地位を築いた日系人や県人を見た。(一歩を踏み出した)水野を知って高知の偉人の一人と気付かされた」と話した。(高知新聞提供)
ニッケイ新聞 2009年9月5日付け 大阪・サンパウロ姉妹都市提携四十周年記念代表団が三日午前に着聖、パカエンブーのサッカー資料館を見学した後、同所で聖市主催の歓迎式が開かれた。来伯したのは、岡田茂男大阪・サンパウロ姉妹都市協会副会長、木下吉信大阪市会議員ら公式代表団六人と市民交流団二十一人。聖市のアルフレッド・コタイチ・ネット国際局長ほか、飯星ワルテル、ウィリアン・ウー両下議ら約二十人が出席した。ネット局長は、二月に聖市代表団が大阪市を訪問した際に「温かい歓迎を受けた」と振り返り、「このような緊密な交流を続けていくことが大切」とあいさつ。大阪市の橋本寛樹・政策企画室都市外交担当部長は「当たり前のことをしただけ」と話し、「我々も温かく受け入れてもらい感激している。大阪市は北半球で一番歓迎の手厚い街、聖市は南半球で一番歓迎の手厚い街では」と述べ、会場を沸かせた。飯星ワルテル下議の乾杯の音頭で、賑やかに歓談が始まった。岡田副会長は、「大阪市と聖市は市民のラテン気質で結びついているのでは。伯国は遠くて近い国」と話し、「聖市の人にも成世昌平さん(音楽親善大使)の歌を聞き元気になってもらいたい」と期待を込めた。市民交流団として参加した米谷幸子さん(69、大阪府交野市)は初めての来伯。「イグアスの滝見学と(五日の)記念歌謡ショーを楽しみにして来ました」と話していた。
