ニッケイ新聞 2009年7月25日付け ブラジル福島県人会(小島友四郎会長)は、二〇〇七年十月の創立七十周年記念式典の際に、知事や県議会議長から慶祝訪問を受けた答礼として、十月に県庁訪問を計画。現在、参加者を募集している。小島会長、大竹輝和副会長が二十二日に来社して説明を行った。対象は、県人や県人子弟。毎年短期研修生十人、留学生二人を送っているほか、六十人いる青年部が活発な同県人会。次世代育成に力を入れているが、「やっぱり母県とのつながり、人と人とのつながりを続けていかないと何にもならない」と小島会長。昨年の移民百周年では先亡者慰霊祭を行い母県からメッセージを受けた。「今年は私たちがお礼をする番」と話し、「ちょうど福島の十月は紅葉の季節。みなさん予定を合わせて一緒に行きましょう」と呼びかけている。八月十五日まで募集。参加は実費で、現地での団体行動は一日程度。申込み、問い合わせは県人会(11・3208・8499/礎我部)まで。
Ano: 2009
大阪なにわ会(下平尾哲男会長)は八月二日午前九時から、同会会館(聖ビラ・マリアナ区ドミンゴ・デ・モライス街一五八一番)で第六十三回慈善バザーを行う。 婦人会(久保美恵子部長)会員の精魂込めた手芸品はじめ味の美味ななにわうどん、寿司、てんぷら、お汁粉、おはぎ、その他、多彩なメニューを用意して待っているそう。 また、協賛業社による内外の衣類、食料品、装飾品、日用日など豊富な商品が取り揃えている。 二十一日、久保部長、桑原妙子会計が案内に来社、「豊富な商品のあるバザーで知られています。ぜひ家族連れで来場して、楽しんで下さい。純益は福祉施設に毎年、車椅子を購入して寄贈しています。今年は早めに購入し、希望の家に二台寄贈しました」と語り、来場を呼びかけていた。
記念誌『赤い大地を拓く』 宮城県人会、県人の百年を刊行 宮城県人会(中沢宏一会長)が、宮城県国際交流協会や同県海外移住家族会と、一年半がかりで編集した記念誌『赤い大地を拓く―ブラジル移住・宮城県人の一〇〇年』が、このほど刊行された。 農業移民の苦闘やサンパウロ仙台七夕祭りの隆盛、記録が残る同県出身者の消息、移住者名簿なども掲載。六章から成る移民史は、森幸一USP教授が概観した。 記念誌はB五判、五百三十頁、二千円。問い合わせは同県人会事務局(電話11・3209
フェスチバル・ド・ジャポン恒例となったミス日系コンテストが十八日午後六時から、同フェスチバル会場の特設ステージで開催され、北はパラー州から南は南大河州まで、十州から集まった二十一人の日系女性たちが参加。法被、ビキニ、ドレスによる審査を経て、水平ロマーニ・ラリッサさん(一九)が見事、ミス日系ブラジル二〇〇九の栄冠に輝いた。 聖州ピラシカーバ出身の三世で現在は学生というラリッサさんは、本紙取材に対し「日本にはまだ行ったことはないが、祖父母が生まれ、自分のルーツでもある国なのでぜひ行ってみたい」と話し、日本語は話せないとしながらも最後は「ありがとう」と笑顔で答えた。 第一プリンセーザにはパラナ州クリチーバの山岸エフチング・ツアニさん(一八、三世)が、第二プリンセーザにはマット・グロッソ州クイアバの西谷レジーナさん(二〇、三世)が、そしてミス・シンパチアにはパラナ州ロンドリーナの岩井リダオン・ビビアン・アユミさん(一七)がそれぞれ選ばれた。
ニッケイ新聞 2009年7月23日付け 宮城県人会(中沢宏一会長)は二十四日午後六時から同会館(ファグンデス街152)で、十一、十二両日開催された第三十一回サンパウロ仙台七夕祭りの七夕飾り、文芸入賞者の授賞式を行う。 主な受賞者は次の通り。(敬称略) 【七夕飾り】▽一般の部。一位=モッカ日本人会婦人部、二位=GRACIELA HIDEMI SATO、三位=青葉婦人部。▽学校の部。一位=ESCOLA JAPONES DE PQ EDU CHAVES、二位=MOGI NICONICO GAKO、三位=BIRITIBA NIHONGO GAKO。 【俳句】特選=杉本絃一、菊田島椿(日本)、小島愛子。【短歌】一位=香山和栄、二位=栃沢千秋、三位=尾山峯雄。 問い合わせは同県人会(電話=11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年7月22日付け 第一回アマゾン移民の山田元さん(82、広島)の講演会『トメアスーに生きる』が、二十日夜、聖市リベルダーデ区の文協貴賓室であった。立ち見が出るほどの盛況ぶりを見せ、約二百人が貴重な初期アマゾンの開拓の証言に耳を傾けた。今年のアマゾン日本人入植八十周年を記念し、広島県人会(大西博巳会長)とニッケイ新聞社(高木ラウル社長)が共催した。ベレン総領事館、文協、援協、県連、サンパウロ人文科学研究所、ブラジル・ニッポン移住者協会、コチア青年連絡協議会、ブラジルを知る会の後援、レアル銀行の協賛。 山田さんは第一回南拓移民として、二歳のとき、両親の義一、スエノ、姉三江さん(7)の四人でトメアスー(旧アカラー)移住地に入植。第一回アマゾン移民として今でも現地に住みつづける、たった二人のうちの一人だ。講演前、山田一家が主人公として描かれた『アマゾンの歌~日本人の記録』(角田房子著)のドラマ映画の一部が上映され、来場者らは真剣な眼差しで見入った。続いて、高木社長、木多喜八郎文協会長が開会のあいさつ。清水オリジオ・レアル銀行取締役は、「私は移民の子。父は二三年、山田さんと同じ広島から来た。映画を見て苦労がひしひしと伝わって胸が熱くなった」と感極まった様子。「遠くから来てくれて、ありがとうと言いたい」と感謝の言葉を送った。大きな拍手を浴びて山田さんが壇上へ。「非常に光栄で身に余る思い」。深く頭を下げる姿に再度、拍手が沸き起こった。トメアスーの古い写真を見ながら堀江剛史・本紙記者が質問し、山田さんが答えるという形式で講演が始まった。渡伯前の家族写真を見て「こうして母に抱かれて来ました」とはにかみ、「とにかく働き詰めだった母の背中にくくりつけられて育ったから、母の体に沿って自然と足が曲がってしまった」。幼少の頃の記憶はないが、山田さんの体が開拓移民の苦労を物語る。「家族全員が罹り、生きているのが不思議」と移住地を襲ったマラリア禍にも触れた。当時の特効薬キニーネの多量摂取による〃赤ションベン〃(黒熱病)で、「三、四〇年代半ばは、バタバタ死んだ」との証言に会場は静まり返った。十三歳でジャングルに入り、精米のために建てた水車小屋で十年過ごした。当時、妻豊江さんが身ごもった長男、次男を取り上げたエピソードでは、「へその緒を処理して、トマ・バーニョさせて…まあ何とか格好つけました」と会場を笑わせた。七、八〇年代には、トメアスー農協理事長、市議も一期務めた。ピメンタブームに沸く移住地の様子も語った。その記憶力とその律儀で真面目な喋り口調に来場者は、小一時間じっくりと耳を傾けた。講演後、大西会長と高木社長から記念プラッカが贈られた。与儀昭雄県連会長の発声で、トメアスー農協提供のグラヴィオーラで作ったバチーダで乾杯、「ブラジルを知る会」(清水裕美代表)手作り料理のカクテルパーティーが開かれた。真剣な表情で聞いていた村本清美さん(51)は、「苦労されたのにそんな様子を全く見せない。本当に貴重な話を聞かせてもらえた」と感慨深げ。戦後移民の益田照夫さん(67)は、「金の苦労はしたけど、山田さんのような生死の苦労はしてない。そんなの苦労と言えないね」と苦笑い。ブラジル日本交流協会生で山田さん出身の広島で育った日系三世、古賀アンドレアさん(22)は、「移民だった祖母が山田さんと同じ広島出身。胸が熱くなった」と語った。講演を終えた山田さんは、来場者の笑顔の輪に包まれながら、「移民して八十年、感無量の一言に尽きます。父母が苦労した歴史は継承して欲しい」と穏やかな表情で語った。
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け ブラジルを代表する日系イベント「第十二回日本祭(フェスティバル・ド・ジャポン)」が十七日から十九日まで三日間、聖市のイミグランテス会場で開催された。ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長、加藤恵久実行委員長)が主催。各県人会自慢の郷土食をはじめ、舞台では郷土芸能や太鼓、ミス・フェスティバルなど多彩なプログラム、パビリオン内では期間中、企業ブースや日本文化ワークショップなどが来場者を楽しませた。天候にも恵まれ、主催者によるとのべ十七万人が来場。会場内はどこへ行っても人で溢れかえり、ブラジル社会に改めて〃ニッポン〃を披露する場となったようだ。 二日目正午に始まった開会式にはジルベルト・カサビ市長、大部一秋在聖総領事、飯星ワルテル連邦議員、西本エリオ聖州議、羽藤ジョージ聖市議ほか、日系団体代表など来賓二十人が列席した。与儀会長は挨拶の中で、「各県人会やスポンサー、ボランティアのおかげで開催できます。テーマは環境。個人個人が少しのことに注意すれば良い世界になると思う。シンボルとしてこの祭りが役立てば」と語り、開幕を宣言した。カサビ市長らの挨拶に続き、舞台上で鏡開きが行われ、千坂平通JICA聖支所長の音頭で乾杯した。メインステージでは歌手のジョー平田さんや、日本から来た中平マリコさんらのショー、各県の郷土芸能や太鼓などで盛り上がった。リベイロン・ピーレス健康体操グループによるYOSAKOIソーラン、皿踊りでは派手な衣装とリズム感ある音楽と踊りで観衆を圧倒し、健康体操では観客が一緒に参加する姿も見られた。パビリオン内の入口近くには、岩や緑の木々で作られた日本庭園。お茶会が開かれ、日本文化を体験する人や記念撮影を楽しむ人の姿もあった。コチア青年連絡協議会と農協婦人部連合会、弓場農場のブースが並ぶ一角は、お目当ての野菜や果物、手作りジャム、漬物等の加工品、花などを買い求める人たちで終日混雑した。中には三時間も同農場の場所を探しようやく辿り着いた人もいた。弓場農場はトラック一台で約四千点の食品を持参した。声を張り上げて販売していた同農場創設者弓場勇氏の孫、らおりさん(三世)は、「今日は弓場の卵油を飲んできました。これで元気に頑張れます」と笑顔。特設ステージでは期間中通じて太鼓や踊りなどが披露され、来場者の注目を集めていた。中でも日本からきた古武道「神刀流」の演舞では型の他、試し切りも行われ、多くの観衆が魅了された。神刀流四段の黒田雅彦(53、静岡)さんは「ブラジル人は日本人と違い、体全体で拍手を送ってくれて嬉しかった」と感想を語った。二日目には一時雨がぱらついたものの、その後天候が回復。最終日は急激に冷え込んだが、雨に降られることはなく、会場は終日超満員の来場者で賑わった。着任してから初めての日本祭りを訪れた大部総領事は、「想像もしていなかった」と盛況ぶりに驚いた様子。「日本文化、日系人がブラジル社会に溶け込み、受け入れられていることがよく分かった。日本人として嬉しく思う」と語った。開催期間中、忙しそうに会場内を動き回っていた加藤実行委員長は、「日系社会は今や三世、四世の時代。彼らは非日系人を連れてくるので、日本文化を伝える場になった。スタッフも優秀でスムーズに進みました」と話していた。 写真=日本祭の会場の様子
聖市と大阪市が姉妹都市友好提携を結んでことしで四十周年になるが、大阪サンパウロ姉妹都市協会(吉川謹司会長)は九月、慶祝使節団をサンパウロに送り、聖市の文協記念講堂で『歌でつむぐ心の旅』をテーマに日伯親睦交流を予定している。 平松邦夫大阪市長も力をいれており、大阪在住の歌手・成世昌平さんを親善大使に任命して協力、メッセージも託すという。 さらに作曲家・船村徹さんが、移民の苦難の歴史に思いを馳せて作曲した『みかえり富士』を披露する歌謡ショー、紅白歌合戦、交流の夕食会などのプログラムが組まれている。 このほか、大阪市からの記念品『澪の鐘』の聖市への贈呈、宮崎県民謡「ひえつき節」の作詞者・酒井繁一さんを顕彰する歌碑建立計画推進、マナブ・マベ近代美術館建設支援歌謡大会協力などが予定されている。 2009年7月21日付
2009年8月23日(日)9時半 先没者慰霊法要10時 60周年記念式典場所 北海道協会会館 在サンパウロ日本国総領事、宮崎県知事、県議会議長、慶祝団を迎えて行われます。
【福岡発・吉永拓哉福岡支局長】海外福岡県人会の後継者育成を目的として、県人会子弟を母県に招き、福岡の自然や文化、県民たちとのふれあいを体験させる『海外福岡県人会子弟招聘事業』(福岡県主催)が、今月十一日から実施されている。 昨年に続き、今年で二度目となった同事業では、ブラジル、ペルー、アメリカなど六か国の福岡県人会から子供たち二十人、引率者十人が来日。県内の吉武小、大島小で小学生同士の交流を行なったほか、福岡、北九州市内を見学した。 子供たちは十六日午前、麻生渡知事(海外日系人協会会長兼任)を表敬訪問するため、福岡県庁を訪れた。 特別会議室のテーブル席で行儀よく待機し、麻生知事が現れると起立、礼をした後、元気よく「おはようございます」と挨拶。知事の顔をほころばせた。 同招聘事業の発案者でもある麻生知事は、挨拶で「福岡県は皆さんの父祖の地です。皆さんのルーツを知って頂くとともに、日本の子供たちと仲良くなって帰ってもらいたい」と話した。 また、麻生知事は、同事業の世話役として子供たちと行動を共にしている南ビビアンさん(二四、九大法学部)ら県費留学生たちに対し、「ご苦労さまです」と感謝の意を述べた。 表敬訪問では、知事と子供たちとの対話の時間が設けられ、パラ・デ・ミナス市の柔道教室に通っている三田フェリッペ君(一一)が「知事は柔道が強いんですか?」と質問すると、麻生知事は「強いぞ。私は柔道四段で、得意技は内股だ」と、終始子供たちに目線を合わせながら楽しそうに話した。 最後に知事と子供たちとのプレゼント交換が行なわれ、ブラジル福岡県人会の子供たちは、移民百周年記念誌や記念DVDなどを手渡し、麻生知事は子供たち一人ひとりに和ごまを贈った。 ベレンから来た小野ベアトリアさん(一四)は、「とても優しい知事だった」と笑顔を見せた。 今後、子供たちは、太宰府天満宮や九州国立博物館などの見学や、ホームステイを体験する予定で、二十二日に帰国する。
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け 天気にも恵まれ、無事に終了した県連フェスティバル。今年三回目の参加となったコチア青年連絡協のブースでは、聖南西各地をはじめとする青年らによる花卉、農産物が早朝から次々と到着。南伯サンジョアキンから名産のリンゴも出品されるなど、青年たちの結束は健在だ。隣接する農協婦人部連合会の加工食品も相変わらずの人気。味見をする客と談笑するなど、忙しい中でも和気藹々とした雰囲気に包まれていた。 ◎ 血圧・コレステロール無料検査に、例年の一・五倍の千九百人が並んだ日本祭りの援協ブース。買い物の時に使うエコバックを配布するなどの工夫からか、はたまた健康志向の高まりからか、援協関係者もびっくり。お隣、サンタクルース病院の眼科無料検査も好評だったよう。今年のテーマ「環境保護」は存在感が薄かったが、来年のテーマは長寿国日本として「健康」にしてはいかが? ◎ 神奈川県文化協会は日本祭りの文化広場で二宮尊徳展を開催。神奈川県庁から送られた像を飾り、周りでは尊徳の物語が、折り紙で作った模型と共に紹介されていた。二宮精神がブラジル社会に根付くには時間がかかりそうだが、郷土食とは違った形で、心に残る日本の文化だ。
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け アマゾン・トメアスー日本移民八十周年記念の「サンパウロ前夜祭」(トメアスー文化農業振興協会主催、文協・県連後援)が十五日夜、聖市リベルダーデ区の客家会館で挙行された。大部一秋総領事、木多喜八郎文協会長、与儀昭雄県連会長、上原幸啓百周年協会理事長、千坂平通JICA聖支所長らが列席。飯星ワルテル、ウィリアン・ウー両下議も途中かけつけた。来伯中だった国本武春浪曲師やピアニスト宮下和夫氏が艶やかにディナーショーを飾り、九月の八十周年式典を前に盛大に祝った。約二百五十人が集まり和やかな雰囲気の中、司会を務める頃末アンドレさんと藤瀬圭子さんが登場。ディナーショーがはじまった。来賓紹介後、海谷英雄トメアスー農協会長は、四十二家族百八十九人で始まったトメアスー移住地の歴史に触れて、「今はサンパウロや海外にも加工品を出荷できるまで力がついたが、それまでの苦労は並大抵のものではなかった」と振り返り、「今日はまことにありがとう。サンパウロの方と手を結び仲良く交流していきたい」と感無量の表情であいさつ。大部総領事は、「昨年の百周年に引き続き、アマゾン八十周年が盛大に祝われることを願う」と言葉を贈った。木多文協会長のあいさつ後、斉藤準一空軍総司令官からの祝電が読み上げられた。宮下氏が登場し、「アマゾン組曲」七曲をピアノソロ。これは氏が約十年前のアマゾン滞在中に、ジャングルの上に昇る朝日、町の風景やリオ・ネグロに沈む夕日を曲にしたもの。「アマゾンらしい力強い曲。どんな苦境も乗り越えてきたアマゾン移民にぴったり」と海谷会長は頷きながら聞き入っていた。花柳流なでしこ会の二人が艶やかに舞台を飾り、国本浪曲師が、「着いたところはトメアスーで、八十周年おめでたい」と迫力ある声を節に乗せ、三味線での弾き語りを披露し盛り上げた。大きなケーキが運び込まれてケーキカット。ドレス姿のミス・トメアスーの久保田タチアーニさん(17)も壇上にあがり華を添えた。宮下氏のピアノ伴奏で「パラベンス」を歌って乾杯し、会場は和やかな雰囲気。久保田さんは、「こんな素晴らしいショーを開いてくれてありがとう」と片言の日本語でお礼を述べ、温かい拍手が沸き起こった。終盤には、国本、宮下両氏やコーディネーター兼司会の藤瀬さんに、同農協から感謝状が送られた。海谷会長は、「遠い田舎の私たちのためにサンパウロの人たちが協力してくれ励まされました。嬉しくて涙が出るくらい」と喜びを噛みしめていた。
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け 今年のフェスティバルのテーマ「環境」にあわせ、三日間を通し様々な催しや企画が行われた。中でもブラジル・ニッポン移住者協会とオイスカ・ブラジル総局などが中心となり、パビリオン内の一角で植樹や環境保護への取り組みを紹介した。緑の羽根募金活動も行われ、「緑の募金」と書かれた箱に募金した参加者に緑の羽根が配られ、早速衣服の胸に付けている人もあった。ボランティアの若者ら六人は、募金箱片手に植樹や環境保護への理解を求めて会場内を歩き回っていた。移住者協会の小山昭朗会長は「二世、三世にも説明すれば理解してもらえる。非日系人は、一人が買うとみんな羽根を買ってくれます」と、初めての取り組みに手応えを感じているようだった。会長によれば、祭の最終日夕方ごろまでに約千六百本の羽根が理解ある人に配られたという。募金は同会の植樹活動に充てられる。会場の各所にダンボールで作った簡易ゴミ箱が設置された。ボランティアたちがゴミを片付ける姿も見られ、郷土食のバンカの周辺も比較的清潔に保たれていた。また、期間中、何度もゴミ箱が交換され、会場の裏手にあるゴミ収集所で係りの人が袋を一つ一つ開けて分別していた。パビリオン内のJICAブースでは、熱帯林の持続的な森林利用として期待されているアマゾンでのアグリフォレストリーの様子を映した写真が展示され、来場者の関心を呼んでいた。
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け 日本祭二日目の十八日、午後六時から人気のミス・フェスティバルコンテストが会場内の舞台で行なわれ、大勢の観客が詰め掛けた。北はトメアスー、南はポルト・アレグレなど全伯各地から候補者二十一人が出場。出場者の応援団も座席の前方に陣取り、揃いのシャツと横断幕、笛などで熱の入った応援合戦を繰り広げた。山井ケンジさんが司会を務め、軽快な調子で進行。与儀会長や加藤実行委員長、〇八年度のミス日系、ミス・フェスティバルら十五人が審査員を務めた。二十一人の出場者が華麗な衣装で舞台に一斉に登場し、会場を盛り上げ。司会者により衣装やプロフィールが紹介された後、コンテストに移り、一人一人が漢字や竹など日本を思わせる柄の入った浴衣に赤い帯で登場。ステージの前方まで歩き、観客の前で浴衣を脱いで水着でアピールすると、会場からは大歓声が上がった。水着の次はドレスで登場、艶やかで華麗な衣装に身を包み日系美をアピールした。午後九時、二十一人全員のコンテストが終了した。夜遅くにも関わらず会場の熱は冷めず、司会者が呼びかけると応援団はさらに盛り上がりをみせ、移民百一周年のミス誕生を待ちわびていた。審査の結果、ミス・フェスティバルにはピラシカーバのラリッサ・ロマーニ・ミズヒラさん(19)が選ばれた。ニッケイ新聞の取材に対しミズヒラさんは「大学で演劇を学び、将来は女優になりたい」と夢を語った。プリメーラ・プリンセーザにはパラナ州クリチバのツアニ・エフィティン・ヤマグチさん(18)、セグンダ・プリンセーザにはマットグロッソ州クイアバのレジーナ・ニシタニさん(20)、ミス・シンパチアにはパラナ州ロンドリーナのヴィヴィアン・イワイさん(17)が選ばれた。 写真=(左から)ミスニッケイのミズヒラさん、ヤマグチさん、ニシタニさん、イワイさん
ニッケイ新聞 2009年7月21日付け いらっしゃい!――、売り子が声を張り上げる姿が会場のあちこちでみられた郷土食は、日本祭の目玉の一つ。今年は四十二県人会と福祉団体など六団体が趣向を凝らした様々な料理を提供した。「雨が降らず助かった」と杉本教雄会長が語る静岡県人会のバンカでは、タレの香りが香ばしい、炭火で焼き上げたうなぎの蒲焼が売られ、最終日の正午前後に五百食を完売した。また、茶処静岡ならではの、日本から直送された新茶葉を惜しげもなく使った緑茶も販売され、非日系人のグループが熱いお茶をすする姿も。北海道直送のニシンの塩焼きと、イカ焼きを販売していた北海道協会ではイカ千五百杯、ニシン一千尾を最終日の午後一時半には完売。木下利雄会長は疲れた顔を見せながらも、「みんなが手伝ってくれた」と満足気な様子。ひぐま会(青年部)会長の藤田高史エリオさん(29、二世)は、去年の反省を生かして、コンピューターで売るペースや売り子の配置を考えたという。「お客に見せながら作り、揚げたてが良かったのでは」と語るのは、エビがたっぷり入った天ぷらを出品した群馬県人会の内山住勝会長。三日間で二千五百枚を完売した。青年部長六年目の有賀マルセイロさん(三世)は「疲れるけど面白い」と語った。四、五日前から出汁をとるという、独特の風味と味わいのヤギ汁を提供したのは沖縄県人会。今年は初めて各支部の婦人会が交代で三日間の販売にあたり、県人会関係者などで屋台周辺はにぎわった。汁には山羊肉や皮、血のにこごりなどが入っており、ヨモギ、生姜などを入れて食べる。サンタマリア支部の玉城セイコ会長は「沖縄の一世はもちろん、ノルデステの人には羊を食べる習慣があり、好評でした」と語った。市内から訪れた仙台栄治さん(88、北海道)と屋嘉比康雄さん(85、沖縄)は、「ブラジル人に日本文化が浸透し、さらに百年先まで残ってほしい」と話した。
ブラジル日本文化福祉協会(木多喜八郎会長)は去る六月二十八日、文協記念大講堂で『白寿者表彰式』を行なった。今年の表彰者は三十人で、出席した五人と代理にはそれぞれ、表彰状と金一封が贈られた。 当日出席した五人は、車椅子や杖姿で、介添えを受けながらも、はつらつとした表情で舞台に立ち、会場からは温かい拍手が送られた。欠席の二十五人についても親族ら代理が出席し、慶祝モードに包まれた。 来賓として、在聖総領事館の鎌倉由明領事、飯星ワルテル、ウィリアム・ウーの両下議、羽藤ジョージ聖市議、千坂平通サンパウロ総領事館分室室長、内山直明・国際交流基金サンパウロ日本文化センター所長、清水オリジオ・レアル銀行専務、森口イナシオ援協会長、与儀昭雄県連会長らが列席。 木多会長は、「日本より遠く離れた伯国の発展に寄与され、子弟に注いだ心血が現在の日系社会の基盤をつくっている。益々お元気で」と祝いの言葉を述べた。 鎌倉領事は、「幾多の困難を乗り越えてきた」受賞者に敬意を表し、「皆さんの教育、育成があってこそ、今日の日系子弟の活躍がある。家族仲睦まじく、健康に過ごしてください」と、祝辞を寄せた。 表彰者を代表し、矢野若江さん(一〇〇、広島県出身)が、「早くに両親を亡くしたけれど、百年以上生きています。子ども達の成長も神様のおかげ、ありがとうございました」と、元気に挨拶していた。 表彰者は次のとおり。 ▽百一歳=藤井はな(千葉)、佐藤たけお(群馬)。▽百歳=河野アヤコ(愛媛)、小川トメノ(福岡)、矢野若江(広島)、田中マスエ(福岡)、大木みなえ(山形)、伊藤直久(北海道)、野田三蔵(熊本)、神谷清次(沖縄)、池田豊年(鹿児島)。▽九十九歳=中西チュウヤ(石川)、かみかわふさこ(広島)、右近いく子(兵庫)、松田いしえ(三重)、寺西伊登子(栃木)、藤マスミ(鹿児島)、松崎松蔵(福島)、小野リウ(石川)、平井静子(山梨)、西村俊治(京都)、簀戸進(愛媛)、中野タキノ(福岡)、池戸とみえ(岐阜)、井芹ツルコ(熊本)、花田頼子(広島)、加納要介(三重)、津野地精逸(山口)、杉森新(岡山)、半田長三郎(福島)。(敬省略)。
日本祭が十七日、開幕した。郷土食のバンカは準備中のところが大半。肝心のガスが通ったのは正午過ぎ。調理をしていた関係者に話を聞くと、「毎年のこと」とか。そのため、いち早く行列が出来ていたのは、手巻き寿司など火を使わない料理と、県人会自らでガスを用意していたところだったよう。
ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 十九日まで聖市イミグランテス展示場で開催される「第十二回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」で、サンパウロのセブラエ(小・零細企業サービス機関)が「ビジネスと機会の見本市」を実施する。会場は同展示場内の講堂(Auditorio)。期間中の講演(ポ語)は次の通り=ミルトン・フミオ・バンドウ「企業家主義~あなたにふさわしいビジネスへの道」(十八日午後三時)、ミルトン・フミオ・バンドウ「正しく始めよう~計画と分析」(十九日午後五時)、ジョアン・アブダラ・ネット「フランチャイズ~ビジネスの選択肢」(十八日午後五時、十九日午後三時)、「デカセギ起業プロジェクトの事例」(十八、十九日午後一時)。
ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 旧神戸移住センターを改修・再整備して六月三日に開館した「神戸市立海外移住と文化の交流センター」への伯国側の募金活動に感謝するため、海外日系人会館協力委員会・西村正委員長(財団法人日伯協会理事長)が来伯し、十日午後二時からブラジル日本文化福祉協会貴賓室で報告を行った。募金運動を仲介したブラジル川崎重工の澁谷吉雄代表取締役社長、沢里嘉男副社長ほか、協力団体から木多喜八郎文協会長、与儀昭雄県連会長、上原幸啓百周年協会理事長、松尾治同執行委員長、尾西貞夫兵庫県人会長、文協の地方理事など約三十人が出席。西村委員長から、文協、県連、百周年記念協会、兵庫県人会へ感謝状が手渡された。旧移住センター再整備への募金は、昨年一月に来伯した西村委員長らが二千万円を目標にコロニアへ呼びかけていたもの。六月の開館までに計約千七百六十人、百十九団体から寄せられ、ブラジルからの寄付総額は三十万七千レアルに上ったことが報告された。西村委員長は、「みなさんの協力で募金目標を達成し、無事に開館できました」と各日系団体に感謝を表し、「日系の方々の熱い思いがやっとつながった」と会場と喜びを共有した。その後、委員長が移住者からの手紙を読み上げ、同センターへの思いを伝えた。あわせて同センターを紹介するDVD、NHK神戸がセンター開設を取り上げたニュースなども上映された。当時の同センターを日本の最後の宿として過ごしたという上原理事長は、「新たに開館したセンターには、ひとしお愛着と思い入れが強い」と話し、七十年前の自身の思い出を語った。また、「同センターを文協の日本の活動拠点とすることも将来視野に入れるべきではないか」と述べ、「移民の入口・出口として、同センターと文協が協力していければ」と強調した。
ニッケイ新聞 2009年7月18日付け 盗難に遭って長らく行方不明になっていた、岸信介元首相が北伯野球連盟に寄贈した優勝旗が、数奇な運命を辿ってようやく元の場所に戻っていたことが、ニッケイ新聞の調べで分かった。この優勝旗が発見されたのは昨年の暮れ頃、なんと聖州沿岸部サンビセンテ市の骨董市のフェイラだった。見るに見かねた戦後移住者の手で買いとられ、岐阜県人会に委託され、ブラジル野球連盟を通して、この度、奇しくもアマゾン移住八十周年を祝っている北伯に返還された。 実は、いつ岸元首相がこの優勝旗を北伯野球連盟に寄贈し、いつ盗難に遭ったのかすら分かっていない。というのも、北伯球連では「盗まれた」という話が知られていなかったからだ。つまり優勝旗は二旗存在する。聖市から送られたものは、七月十日に届いたばかり。この優勝旗を預かっていた岐阜県人会の山田彦次会長は、「サンビセンテの骨董市で売られているのをたまたま見つけた戦後移民が、『どうしてこんな大事なものが』と見るに見かねて買いあげ、うちに善処を依頼してきたんですよ」と説明する。「ブラジル野球連盟の大塚ジョルジ会長の代理が二週間前に取りにきたので渡したはいいが、その後、礼状どころか、なんの音沙汰もなかったんで、我々もどう発見者に報告したものかと弱っていたところでした」という。現パラー野球・ソフトボール連盟会長(旧北伯野球連盟)の影山アントニーノ会長は、本紙の下小薗昭仁通信員の質問に答え、「一世の野球関係の先輩や巷のうわさ話でも、優勝旗が盗まれた話は聞いてなかったです。送られてきた優勝旗を現在あるものと比較しても、最初はその違いを判読して説いてくれる人もなくて困りましたが、今は戻ってきた優勝旗が本物であると分かるので、だんだん喜びが膨らんできました」という。現在、サンタイザベル文化協会に保管されている二旗を比較すると明らかに異なる。今まで使用されてきた優勝旗は「北伯青年野球、元内閣総理大臣贈岸信介」とだけ記されているが、発見されたものは「北伯青年野球選手権大会、元日本国内閣総理大臣贈岸信介」とある。違いは素人目にも歴然としており、今までのものは墨での手書きでありコピー、今回発見されたものは錦糸の刺繍が施されており、見るからに本物のようだ。地元関係者によれば「盗まれた時点で、当時の野球連盟の役員が慌ててコピーを作成したようだが、残念ながら、文献もなく当時の関係者もほとんど鬼籍に入られていて、真相はつかめません」という。今後どのように活用するかという問いに対し、景山会長は「理事会に諮って最終的には決めますが、私としては現役に復帰させ、今まで果たせなかった優勝チームの感激を味わわせたい。二~三世層の時代になったパラーの野球界に新たな力を与えてほしいと思っています」と語った。そして「数奇な運命を経て戻って来るようご手配くださった方々には心から感謝しています。また、長い年月をどういう風に過ごしたのか知りたくなりました」と感謝の言葉をのべた。すぐに感謝状を発見者と県人会に贈るという。ブラジル野球連盟の沢里オリビオ副会長によれば、きちんとした優勝旗は「日本でないと作れない。安く見積もっても七千ドルから一万ドルはする。まして、元総理の、となれば、幾らするか分からない」とする。「事実、球連にも総理大臣寄贈の優勝旗はない。大変貴重なもの」とその価値の高さを強調した。
