07/03/2026

Ano: 2009

県連、仏教連合会主導の移民百一年仏式慰霊法要が、十八日午前十時半から聖市イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑前で厳修され、肌寒さを感じながらも晴天に恵まれた気候の中、県連(与儀昭雄会長)をはじめとする各県人会、日系団体関係者ら約百十人が出席した。 曹洞宗佛心寺の采川道昭導師によって進行された法要では、追悼の辞として与儀会長が仏連をはじめとする関係者への感謝の言葉を述べた。さらに、一九〇八年の笠戸丸移民から始まった日本移民の歴史を振り返り、「現在の若い世代がブラジルの各分野で活躍しているのも、先人が苦労の末に築いてきた道のりがあったからこそ」とし、改めて先人への感謝の意を示した。 引き続き、大部一秋聖総領事は「このような厳粛な法要に参加できたことに感謝します。大先輩方が遺した御遺徳を謹んでお祈り申し上げ、『恩』の志を捧げたいと思います」と追悼の辞を述べた。 采川導師の読経が続く中、出席者全員が焼香を行なった。采川導師は読経後のあいさつで、「移民された先人がこの地で励み、根を下ろしたことで今の我々の繁栄がある。この感謝の気持ちを忘れず、子々孫々に伝えることで先人への恩に報いることができる」と諭した。 サンパウロから約三百キロ離れたグァタパラ移住地から参加した川上淳グァタパラ農事文化協会会長は、「移民の原点である移住地の長として、このような法要に参加することは義務だと思っている。今後も法要は続けていかなければならないが、参加者が年々減り、寂しくなるばかり」と、その重要性を強調しながらも、先細りを懸念する。 今回で二回目の参加で友人と一緒に来たという村瀬正子さん(八一、滋賀県出身)は、「うちは両親も兄も夫も亡くなり、今日は家族の分まで御参りしてきました。こういう法要は良いですね」と、しみじみ語っていた。 この日は、県連をはじめ、文協、援協、百周年協会関係者らも出席し、三十四の県人会が過去帳を持参していた。 写真:開拓先没者慰霊碑前で厳修された仏式法要
《喜びの先人の供養と楽しかった旅》 五月二十四日、朝日を浴びたホテルで食事後、午前八時十五分にコルコバードへと向かう。バスでは急増ガイドの多田団長が、一日の日程について説明。二十分程でコズメ・ベーリョ地区にある駅に到着した。 一行は、真っ赤な車体に白線の入った二両編成(一両三十九人乗り)の登山電車で、コルコバードの丘を目指す。キリスト像の足下へはエレベーターで昇る組と百二十六段ある階段を進む組に分かれた。 雲一つない澄み渡る青空にそびえ立つキリスト像。その眼下、南方向には、これから訪問するサン・ジョアン・バチスタ墓地が広がって見えた。 午前十一時、目的地のサン・ジョアン・バチスタ墓地に向かった。世界的にボサノヴァの創始者として知られるアントニオ・カルロス・ジョビン、サンバ歌手やハリウッド女優として活躍したカルメン・ミランダなど多くの有名人が眠る場所だ。 一九〇六年五月十九日、日本移民の導入に尽力しながらも、笠戸丸の入港を見ることなく、ブラジルの土となった杉村公使は、陸軍の礼砲とともに同地に葬られた。国賓級の扱いを受けた公使の死は、『日本の大臣』という見出しで地元紙にも大きく取り上げられた。 墓地の入り口から正面へ進むと、さまざまな形の墓郡が道に沿って建ち並んでいる。突き当りを右折し、さらに左へ歩を進めると、十メートルほどの所に黒御影石でできた杉村公使の墓、後壁を見ることができる。 墓石がきれいに磨かれたところで、多田団長がサンパウロから持参した線香立てと花立てを設置。「昨年の除幕式に間に合わなくてね」と感慨深げに菊の花を献花した。会員らは、千田会長の後に続き焼香。 千田会長は、「杉村公使の命日である五月十九日近くに、こうして県人会で参拝できたことに喜びを感じます」と挨拶。参加者らは、公使の顔写真が彫られた墓碑とともに記念撮影。先人の供養と旅行の全日程を終えた安堵感からか、自然と笑みがこぼれていた。 午後三時、昼食の席で千田会長は、「天候に恵まれて良い旅行だった」と振り返り、岩手山に象徴される県人の器の大きさと、ブラジル国土の広大さを重ね合わせて、「杉村公使の移民導入に対する思いが原点、日系社会のルーツ」と話していた。 一行は、午後七時すぎに帰聖。「楽しく旅行できたことを嬉しく思います」と、千田会長が今回のツアーを締めくくった。(おわり、中村瞳記者) 写真:焼香をする会員ら、一九〇六年五月二十二日付の『トリブナ・デ・ペトロポリス紙』(安見清さん提供)
ニッケイ新聞 2009年6月23日付け 福岡県と福岡県人会(南アゴスチンニョ俊男会長)が現在、一風変わった取り組みを実施している。県系の子弟が母県を訪れ、日本とその文化を肌で体験するものだ。主な条件は「福岡県人会員の子弟」「十一歳の子ども」であることで、日本語能力は問わない。二回目の今年は、十人の〃留学生〃たちが日本へ向け出発する。同事業は海外福岡県人会子弟招へい事業実行委員会(財団法人福岡国際交流センター内)が主催しているもので、ブラジルでは福岡県人会が窓口となっている。引率者三人を含む一行十三人は七月十一日にブラジルを出発。二週間の日本滞在中、母県でホームステイをしながら福岡市内観光、新幹線体験、太宰府見学、アジア太平洋子ども会議など、盛りだくさんの日程で日本文化や日本語を体験する。県費留学生がなかなか集まらない中、子どもを対象とし、日本語能力を問わないというのは珍しい取り組み。昨年参加した子ども達の作文には「両親と離れて色々なことをしてみたことで、自信がついた」や、「たくさん勉強して県費留学生になり日本にまた行きたい」といった感想もあるなど、評判は上々だ。図らずも、こういった制度の下では子ども達の将来の選択肢が広がり、日本や母県への愛着が生まれることも考えられる。自身が九州大学への留学経験をもつ南会長は、かねてから県費留学生が訪日前に「母県や県人会のために力を尽くす」と言っても、帰伯すると実際はなかなか期待通りにいかないことを憂いていた。そのような経緯から、敢えて子ども達にターゲットを絞ったという。会長は「日伯を繋げる人材に成長し、県人会を継続していく為にも大切」と、事業の意義を強調した。福岡県から海外に移住した人、およびその子孫等で組織する「海外福岡県人会」は世界九カ国に二十一団体設置されている。ブラジル国内ではサンパウロ、トメアスー、ベレン、マナウスの四カ所にある。
ニッケイ新聞 2009年6月23日付け 十九日に聖市内で行われたブラジル日本商工会議所(田中信会頭)の定例昼食会で、日伯友好百周年基金の最後の助成式が行われ、余剰金の約十万レアルがサンパウロ日伯援護協会が現在建設している福祉医療センター構想に渡された。この基金を運営してきたのは日系主五団体(文協、援協、県連、商議所、アリアンサ)から構成される日伯友好交流促進協会で、助成額総額は創立以来、計二百六十三万レアルとなり、本年末を基金解散期日として清算手続きに入ることが報告された。 日伯修好百周年は、一八九五年にパリで調印された日伯通商航海条約により両国の国交が樹立されたことを記念し、一九九五年に紀宮清子内親王をお迎えして盛大に祝われた。これらの諸行事の費用として、日系主要五団体が募金活動をした結果、余剰金が約八十五万レアル残った。これを基金に日伯友好交流協会が設立され、両国の友好促進に寄与するプロジェクトに支援してきた。〇二年までに二十三件、計八十五万レアルを運用益から支援。その後、昨年の百周年記念事業に十一件、百二十五万六千レアルの助成をしてきた。書類の不備などで振込みがまだ行われていない中期プロジェクト二件(移民史料館及び移民百年史)の計四十二万レアルも近く実行可能見込みとなり、清算関係費用等を差し引いて、基金の余剰額が今回、援協に助成されることになった。同促進協会の田中代表委員長は「大きい額ではありませんが、これが企業や個人からの協力の呼び水となることも期待しています」と覚書を授与すると、援協の森口イナシオ会長は「このような助成を頂き心から感謝します」と礼をのべた。同福祉医療センターが完成すれば、最新の医療機器を備え、人間ドックによる定期健康診断などを日本語で行えるようになり、コロニアだけでなく駐在員にとっても便利な信頼のおける医療サービスが受けられるようになると期待されている。 ◎   ◎ 昼食会の三分間スピーチでは、在聖総領事館から「近々行われる衆院総選挙に在外投票を」と呼びかけ、また救済会の相田祐弘第一副会長から会員増キャンペーンや物品の寄付などの協力が呼びかけられた。代表者交替では商船三井の廣瀬隆氏の代わりに寺元清隆氏が、タカタ・ペトリ社の長瀬周治氏の代わりに大竹茂氏(元在伯大使館公使)が着任し、それぞれあいさつをした。また、パイロットペン・ド・ブラジルには佐野典久氏が着任した。当日は伯日議連の飯星ワルテル会長(下議)、ウイリアン・ウー同副会長がそれぞれの議員活動の成果と現状を語った。中でも飯星会長は、十六日に下院講堂で行われた新幹線セミナーには七十人もの市長や市議が参加するなど、成功裏に終わったと報告した。その一方、ウー副会長は「高速鉄道に関し、韓国やフランスも強力なロビー活動を展開している」と注意を促した。
ニッケイ新聞 2009年6月20日付け グランデ・サンパウロマレットゴルフ協会(上村康次会長)は五月二十四日、イタペセリカ・ダ・セーラ市郊外の田畑農場内マレットゴルフ場で「第二回フェデラソン大会」を開催した。地元グランデ・サンパウロをはじめサンミゲール・アルカンジョ、ピエダーデ、コーペル・コチア、国士舘、イタペチニンガ、ニッポン・カントリー、イビウーナ、モジ・ダス・クルーゼスの九クラブから二百三十八人が出場。過去最高の出場者でクラブハウスは大いに賑わった。開会式は新留静相談役の進行で行なわれ、上村会長、橋詰アキオ・フェデラソン会長、来賓の小川彰夫氏、加藤恵次県連代表、ウィリアン・ウー連議代理があいさつ。谷川シンイチ技術担当が試合上の注意を行なった。その後、花火一発の合図で一斉にスタート。好天の下選手らは日頃の練習成果を存分に発揮し、前半終了後はクラブハウスの水でのどをうるおしながら、計三十六ホールの熱戦を繰広げた。当日の結果は次の通り。(順に一位から三位、敬称略)【カンペオナット・ブラジレイロ】林オルガ、渡辺ヒロミ、苫米地サダオ。【グランデ・サンパウロ大会】▼(A組)林オルガ、渡辺ヒロミ、渡辺クラウジオ。▼(B組)指宿タモツ、犬塚チヨコ、西嶋カズトシ。▼(C組)森田ヒロコ、西村ケサオ、田畑ミノル。▼(ロングドライブ)男子=タダシ・コザキ、女子=林オルガ、▼(ニヤピン)男子=藤井タクオ、女子=サナエ・オコシ、▼(ホールインワン)横井ロベルト。
ニッケイ新聞 2009年6月20日付け 在伯熊本県人会(小山田祥雄会長)は「移民の日」に先駆け、十四日午前十時から同会会館で「第七回在伯熊本県人先亡者追悼供養」を厳かに営んだ。約百人の会員らが集まり、先亡者を弔った。当日は羽藤ジョージ聖市議も出席。東本願寺の川上寛祐師は、故浦部玄・真宗大谷派南米開教監督を引継ぎ、今年で三度目の導師を務めた。式が始まると、川上師による読経が流れる中、会員らは中央に列を作り順に焼香。壇上の位牌に向かい、静かに手を合わせた。小山田会長は「このような式を開き、先輩である先亡者を共に思い出していく機会としよう」と日語、ポ語の両方であいさつを行った。川上師は法話で「御縁とは自らの力で引き付けているものではない」と話し、「全て自分ひとりで出来ると傲慢になってはいけない。全てのことに感謝しなければ」と説いた。今年は、前会長の福田康雄第八代会長が任期中に糖尿病で亡くなったことから、同氏を偲んで多くの会員らが集まった。福田氏は、二〇〇〇年三月から〇八年五月の間会長を務めた。「福田会長は移民百年祭の準備に尽力しながら、出席することができなかった。大変残念です」と会員らは話していた。法要後は昼食会が行われ、婦人らによる手作りのおにぎりや煮物、天ぷら、味噌汁などを囲み、出席者が懇談した。
ニッケイ新聞 2009年6月20日付け 愛知県人会(豊田瑠美会長)は四人のソプラノ歌手を迎え、恒例の「第十七回愛知県人会コンサート」を二十七日午後四時から同県人会館(サンタ・ルジア街74)で開催する。サンパウロ・フィルハーモニー(山川健一代表)が共催。愛知県人会の羽田宗義名誉会長、豊田瑠美会長、それに、指揮者の山川健一代表、歌手の祖父江厚子さん、松代博実さん、足立弘子さん、広川朋子さんらが、案内のため十五日に本紙を訪れ、「世界の歌を聴く機会です。ぜひ来場を」と呼びかけた。県人会の中で唯一所有しているグランドピアノやオーケストラ演奏に合わせ、ソプラノ歌手が日本の名曲やオペラを歌う。日本人に馴染みの曲も多く、山田耕作作曲の「からたちの花」や、滝廉太郎作曲の「荒城の月」なども披露される。広川さんらは「四人ともソプラノだが、それぞれの違いを聴いてください」と語った。入場無料。主催者では、来場者に一キロの保存可能な食料の持参を呼びかけている。集まった食料は後日、こどものそのに寄付される。問い合わせは愛知県人会(電話=11・3241・2682)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月19日付け  ブラジル熊本県文化交流協会(小山田祥雄会長)は八月二日に「熊本県人芸能祭」を開催するにあたり、各支部からの出演申込みを受付けている。 踊りや浪曲、コーラス、カラオケなど、毎年多彩な演目が披露される同芸能祭。同会では「日頃の腕前を披露する出演をお待ちしています」と呼びかけている。 芸能祭の会場は聖市の同県人会館(ギマランエス・パッソス街142)。問い合わせは同県人会(11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月19日付け 日本移民百一周年記念開拓先亡者追悼大法要が、各日系団体の共催により十八日午後一時半からブラジル日本文化福祉協会大講堂で開催され、約五百人が来場した。釈尊讃仰会会長の伊藤パウロ勉氏による開会の辞、エスペランサ婦人会、仏連コーラス、白樺コーラスによる「道の光」合唱に続き、茶道裏千家、生け花協会、和楽研究美和会による献茶、献花、献灯が行なわれた。その後、稚児・諸僧・導師が入堂し焼香。導師による三帰依、表白文読上げに続いて、追悼の歌「心静かに」が歌われた。続いて来賓が追悼の辞を読上げ焼香した。木多喜八郎文協会長は「困難に耐え、コロニアの発展に貢献した先亡者に敬意と感謝を示し、冥福を祈る。両国の友好と親善に尽力することをご霊前に誓う」と日本語で述べた。大部一秋・サンパウロ日本国総領事は日伯両国の架け橋となった先駆移民の功績を「伯国民が日本を理解する上での貴重な財産」と称え、「受け入れてくれたブラジルとブラジル人に感謝し、発展に寄与した先亡者に追悼の辞を送る」と述べた。千坂平通・国際協力機構(JICA)聖支所長は「開拓者としての使命を果たし、子弟教育に努めた先亡者に敬意を表す。今後さらに同社会が発展していくこと確信している」と述べた。与儀昭雄ブラジル日本都道府県人会連合会会長は「開拓先亡者の努力があり今日の我々の社会が存在すること、それを新しい世代にも伝えていかなければ」と話した。森口イナシオ・サンパウロ日伯援護協会会長は「多くの問題に対処し勝利を得てきた移住者の歴史・日本人の心を伝承していきたい。また、それを導いてくださいますように」と述べ、追悼の辞とした。読経が始まり、会場は静寂に包まれた。導師を務めた采川道昭ブラジル仏教連合会会長は、「今年も盛大に移民先亡者を弔うことができた。日系社会の発展は世界の発展、人類の発展にも繋がるはず」と挨拶した。浄土真宗本派本願寺開教総長・松峯慈晄師による法話の後、曹洞宗梅花流、真言宗金剛流、和楽研究美和会によるご詠歌が流れる中、来場者は一人一人焼香し、先人へ思いをはせた。ブラジル仏教婦人連盟会長・斉藤明子さんにより閉会の挨拶が行われ、今年の法要は終了した。
ニッケイ新聞 2009年6月19日付け ブラジル日系社会は六月十八日、日本移民百一周年となる「移民の日」を迎えた。今年も聖市内各所で恒例の慰霊行事が営まれ、出席者らは先人へ感謝の思いを捧げた。百周年を祝った一年が過ぎ、新たな世紀へと入ったコロニアの歴史。節目の一日の表情を伝える。 ■130人集い先駆者慰霊ミサ=過去と未来へ感謝と祈り 日本人ブラジル移民百一周年を迎え、六月十八日午前八時から「先駆者慰霊ミサ」(ブラジル日本文化福祉協会、日伯司牧協会共催)が、聖市ジョン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会で厳かに執り行われた。「移民の日」最初の記念行事には、教会が埋まる約百三十人が参列し「ブラジルを作りこの地に眠った先人へ、またこれからの日系社会のために」(司祭)神に祈りを捧げた。◎   ◎連日の寒さが和らぎ穏やかな日差しに恵まれ、ロウレンソ主任司祭らによってミサが執り行われた。聖歌や祈りを交えながら、朗らかな雰囲気で進められた。マタイによる福音書六章七節から十五節までが福音朗読され、続いてアレシオ司祭は日本語で説教を行い、日本人の祈り深い心を例にあげ、祈ることの大事さを説いた。「共同祈願」では、出席した木多喜八郎文協会長、森口イナシオ援協会長、松尾治百周年協会執行委員長、丸橋次郎在聖首席領事らが、日系社会、日伯社会、また困難な状況にあるデカセギ、すべての青少年の安泰を祈った。「感謝の典礼」で参列者たちは「平和のあいさつ」として握手や抱擁をかわし、聖体拝領を受けてミサが終わった。参加者の中には老人の姿も多く、同教会に通い半世紀という錦田やす子さん(92、二世)は、「日系社会がこれからも大切にされていくように願いました」と杖をついて参加していた。ミサ終了後は、聖母婦人会(畑中アリセ会長)らによって用意されたカフェと軽食を囲んだ。同婦人会会員の中矢キサさん(88、福島)は、五十年近く、毎年慰霊ミサに参加している。「この日を忘れちゃいけない。子弟に日本文化や日本語を伝えていくのは難しいけれど、これからも繁栄していって欲しい」。文協会長として移民百一周年を迎えた木多さんは、ニッケイ新聞の取材に対して「初期移民がいなければ私たちは存在していないし、ブラジルも違った国になっているだろう」と先人らに感謝し、「百周年は全伯で祝賀され、日系への認識がさらに上がった。新文協会長として、これからもっと日本文化を広め、より多くの日系人を活動に取り込んでいきたい」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年6月19日付け ブラジル日本都道府県人連合会(県連、与儀昭雄会長)は十八日午前十時半から、聖市イビラプエラ公園の開拓先没者慰霊碑前で、「ブラジル日本移民百一周年慰霊法要」を執り行った。県人会、日系団体代表ら約百人が列席した。法要はブラジル仏教連合会(采川道昭会長)が取り仕切った。はじめにあいさつした与儀会長は、「笠戸丸移民に始まり、幾多の苦労を経て、日系社会は今や六世の時代になりました」と先人へ報告し、「開拓者に感謝したい」と語った。着任後、移民の日行事に初めて出席した大部一秋在サンパウロ日本国総領事は、「百一年前に笠戸丸が到着し、サントスで歴史が開かれた。おかげさまで大先輩が築いた道の上を歩いています」と先人の功績を称えた。慰霊碑前には各県人会の先没者名を記した過去帳が並べられた。導師を務めた采川仏連会長は、「我々の命は先祖あってのもの。先亡開拓者への供養と感謝の気持ちを絶やさないことで恩に報いたい」と話した。読経が響く中、出席者が一人一人焼香をした。輝千代会会主で、在伯奈良県人会理事の池本輝千代さんは、百年祭で開拓者に捧げる盆踊りを指導したことを振り返り、「百年祭のことを思い出しました。五歳から九十二歳まで踊ってくれた。先祖やみなさんにありがとうと言いたい」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年6月18日付け ブラジル岐阜県人会(山田彦次会長)は二十一日午前十一時から午後三時まで、同会館(ブエノ・デ・アンドラーデ街446)で恒例のやきそば大会を開催する。値段は十レアルで、持ち帰りも可能。同会では「好評で常連が毎回増えています。ご家族、お友達をさそってぜひご来場ください」と呼びかけている。
ニッケイ新聞 2009年6月18日付け 琉球民謡保存会ブラジル支部(仲村善正支部長)の創立十五周年記念式典が七日午後一時から、聖市の沖縄県人会館で開かれた。日本の同保存会本部から久高友吉会長など四人が祝福のため来伯。式典後は同支部の愛好者たちによる発表会が行なわれ、五百人以上の人たちで終日にぎわいを見せた。一九九四年に安慶名信夫、亀谷安男、照屋マリオ氏らが中心となって始まった琉球民謡保存会ブラジル支部。六十人ほどだった会員は現在二百人に増え、師範十一人、教師二十五人を数える。先亡者への黙祷に続きあいさつに立った仲村支部長は、後援した県人会、沖縄芸能八団体、支部創設者への感謝とともに、三線と民謡が世代を超えて伝わっていることに触れ、「私たち関係者にとって大きな喜び。今後の普及への励みと力になっている」と述べた。同支部からは創立以来、沖縄RBC放送の新春民謡紅白歌合戦にブラジル代表を派遣しており、その数は三十人に上る。崎間達雄実行委員長は、訪日した代表たちが「世代は代わっても勇気と感動を持ち帰っている」と語り、文化の継承・普及の大切さを強調した。与儀昭雄県人会長、仲村渠清徳・琉球民謡協会会長らも祝辞を述べた。式典にあたり、日本の本部から久高会長、島袋整孝理事、新垣美奈子事務局長、安谷屋志乃会計の四人が慶祝のため来伯。昨年の移民百周年祭典でも来伯した久高会長は、「多くの教師の努力と会員達の苦労があったからこそ。感激しています」と祝意を表わし、「第二の故郷で沖縄の文化が二世、三世、四世に受け継がれていることに感謝と敬意を表したい」と述べた。草創期からの関係者、歴代支部長や久高会長ら本部関係者に功労賞・感謝状を贈呈。仲村支部長から本人、故人の代理など一人一人に賞状が手渡され、会場から温かい拍手が送られた。式典後の発表会には同支部の愛好者をはじめ、友情出演の舞踊団体、久高会長ら本部関係者などのべ二百人以上が出演。独唱や合唱、舞踊など六時間にわたり二十七の演目が披露された。二世、三世の子供たちも多数出演。演目の中には、安慶名氏への顕彰を込めて、同氏が作詞作曲した民謡「イッペーの花」を地元カーザ・ヴェルデの会員が合唱する場面も。一世から三世、非日系のブラジル人などが順に演奏して十五年の歩みを表現する演出もあり、ブラジルの地で郷土の心を伝えてきた先人への顕彰と感謝の思いを感じさせた。支部創設に関わり、昨年三月に九十四歳で亡くなった照屋マリオさんへの功労賞は、息子のオズワルドさん(61)が代理で受けた。「父は沖縄の文化を大切にしていました」と振り返り、「家族としてとても誇りに思う」と語った。ブラジル最初の民謡団体となった「マウア民謡協会」を始めた親川世松さん(88)も、この日功労者表彰を受けた。始めた当時は子供が十四、五人だったという。「大人もいたけど続かなかったですね」。発表会でにぎわう会場で親川さんは、「ここまでなるとは思いませんでしたよ」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年6月18日付け ブラジル岩手県人会(千田曠暁会長)の創立五十周年記念DVD「いわて人(びと)の絆堅く」がこのほど完成した。昨年六月に、日本から達増拓也知事をはじめとして県庁・県議会・賛助会慶祝団、岩手郷土芸能団、盛岡山車推進会、ニューヨーク、アルゼンチン、パラグアイ県人会代表を迎え、盛大に祝した同県人会創立五十周年事業。文協大講堂に四百人以上が集まり盛大に開催された記念式典を皮切りに、記念祝賀会、郷土芸能祭り、リオデジャネイロの杉村公使墓碑整備披露ならびに墓参、海外県人会サミットの様子が、日本語のナレーション付きでまとめられた。九日午後、できたばかりのDVDを手に来社した千田会長は、「記念事業や公使の墓碑披露の様子を映像として残せたことは貴重。みなさん喜んでくれるでしょう」と話す。現在、昨年の知事一行来伯の際に渡した県人会の紹介DVDと同「~絆堅く」のほかに、二枚のDVD(「民謡編」、「県人パイオニアをたずねて」)を制作中。近日中に完成予定。「映像だと誰でも気軽に見れて雰囲気も分かる。岩手県人会の活動を広く見て欲しい」と千田会長。日本、アルゼンチン、パラグアイ、中国、北米の県人会にも送り、「世界中に発信して少しでも横の繋がりを保てたら」と期待を表わした。同DVDは、第一章パラグアイ編(約一時間)、第二章ブラジル編(約二時間)の二枚組みで三百五十枚を制作した。希望者には実費で販売する。問い合わせは同会事務局(電話11・3207・2383)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月17日付け  今月二回目の青葉祭り(主催=青葉健康生活教会)が二十、二十一両日、宮城県人会館(ファグンデス街152)で開かれる。 食事処では定番のサンマ定食、イカポッポ焼き、イカ入りソースやきそばと、郷土料理百選選定委員会で宮城の郷土料理に選ばれた「はらこ飯」と「ずんだ餅」。 その他、ADESC(農協婦人部連合会)の手作り製品と産直の有機野菜販売。武道医術、家紋の展示販売、こけし販売なども通常通り行なわれる。 開催時間は両日とも午前七時から午後五時。食事処は午前十一時から午後三時。問い合わせは宮城県人会(11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月17日付け ブラジル福島県人会(小島友四郎会長)は短期研修生の募集を行っている。定員は六人。対象は十八歳から四十歳までの福島県人会員かその子弟で、日本に親戚がいることが条件。日本語は少々分れば良い。研修期間は来年一月末から二週間。希望者は七月三日までに同県人会事務所へ申込書を提出すること。面接は七月十一日午前十時から同会会館(Rua da Gloria,721)で行われる。問い合わせは同県人会(電話=11・3208・4899)まで。
《初の公使館跡も訪問》 『移民の原点、ブラジル日系社会のルーツを知る―』。岩手県人会(千田曠曉会長)は五月二十二日から三日間、ブラジルへの移民導入を唱えた杉村濬(すぎむら・ふかし)駐伯三代目日本公使の公使館跡見学と公使の墓碑参拝ツアーを行なった。【中村瞳記者】 《恒例の岩手県人会ツアー 旧公館建物は不動産屋が売出し中》 多田孝則マウロ副会長を団長とする県人会関係者と記者一行三十一人は、五月二十二日午後十時五十分、リオ・デ・ジャネイロ州に向けて聖市を出発。 バスの中で千田会長は、「楽しく、仲良く、お互い友達になりましょう。幅広い交流ができるようになれば」と親睦を深める旅行であることを強調した。その顔からは、墓碑改修事業や五十周年記念での慶祝団受け入れ等、緊張感の連続だった昨年の労をねぎらうような穏やかな表情が見て取れた。 途中で休憩を取り、五月二十三日午前五時五十分にリオ入り。アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港で、鹿田明義リオ州日伯文化体育連盟理事長の出迎えを受けた。 朝食を済ませた一行は、日本公使館跡のあるペトロポリス市へと向かう。途中、キタンジンニャに立ち寄り、百本の桜の木が植えられている湖の周りを散策。肌寒い感覚が高地に来ていることを示していた。 午前十時、ペトロポリスで一行を出迎えたのは、同市在住の安見清さん(六九、茨城県出身)。 『リオデジャネイロ州日本移民百年史』編纂の際、「移民の父」と評される杉村公使の足跡を掲載する声が上がり、郷土史を研究している安見さんに白羽の矢が立った。 「外務省も知らないと言う。本当に大変だった」と、当時を振り返り、杉村公使が日本に送ったとされる絵葉書と、市立図書館に保管されていた文書等を頼りに、二年の歳月を費やして公使館跡地を探し出した。 海抜八百四十メートルのペトロポリスは、帝政時代の保養地で多くの国が公使館を設置しており、日本も一九一八年のリオ移転まで同地に開いていた。 案内された公使館跡は、細長い塔を持つ白いルーテル教会の横に建っていた。杉村公使が絵葉書に記した『白ク細ク高キ建物ハ隣家の独逸寺院ナリ』と一致する場所だった。 黄と白を基調とした建物は、広い食堂に、台所、浴室、便所、寝室などの部屋数も豊富で、一行からは感嘆の声が上がる。中には木のぬくもりを感じさせる大きな机に、「ここで執務していたんだな」と、故人に改めて思いを寄せる人たちもいた。 不動産屋によると、「一年半前から売りに出されているが、買い手はついていない」という状況の公使館跡。「何とか文化財として残していけないだろうか」。安見さんの言葉に頷く一同。移民の原点を目の当たりにして、熱い思いが込み上げてきた一行だった。(つづく) 写真:杉村公使の絵葉書(安見さん提供)、公使館跡前で笑顔の一行
岐阜県人会(山田彦次会長)恒例のやきそば大会が、二十一日午前十一時から午後三時まで同県人会館(聖市アクリマソン区ブエノ・デ・アンドラーデ街四四六番)で開催される。 一食十レアル。持ち帰りも可。県人会では「好評で常連が毎回増えているやきそば大会です。ご家族、お友達を誘ってお越しください」と来場を呼びかけている。詳細については、同県人会事務局(電話11・3209・8073)まで。
岩手県人会(千田曠曉会長)は五月三十一日、同県人会会館で『第二回わんこそば食べ放題』を行なった。二百人以上が訪れ、岩手県名物のわんこそばに箸が進んでいた。 調理場前の箱に食券を入れ、着席して待っていると、わんこそば、おにぎり、餃子、薬味や漬物を添えたフルコースが運ばれてくる。椀が空けば巡回している担当者が「おかわり」のそばを入れてくれるサービスっぷり。 百席近い食堂は、正午には満席となり、急遽、二十席ほど増設して対応したが、調理場はてんてこ舞いの忙しさ。「そば間に合ってないよー。おにぎりまだ。餃子は焼けてる」などの声がさかんに飛び交っていた。 婦人部四人を中心としたおにぎり班は、前日に作業要領などを打ち合わせ。米を五キロ買い足し、三台の炊飯器で十五キロを炊き上げた。そばは五十キロ、餃子は九百六十個という椀飯振舞となった。 『食べ放題』ということもあり、来場者の中には前日の夕食や朝食を抜いてくる人も。初めて訪れた三十代女性は、「ずっと続けて欲しいイベント」と、大満足の様子だった。 午後二時過ぎには、二分間で何杯食べられるかを競う、『わんこそば大会』も行なわれた。昨年の話を聞きつけてか、参加者の半数以上は二十代男性。 男性部門は、来伯して八か月、柔術を学んでいる長谷川嘉憲さん(三〇、神奈川県出身)が、予選で五十五杯、決勝で七十五杯と計百三十杯を平らげて優勝。充実した笑みを浮かべながらも、「しばらくわんこそばはいいかな」と、話していた。 女性部門は、四十二杯を記録した『かごしま実習生』の中村瞳さん(二九、鹿児島県出身)が、二位以下に十杯以上の大差をつけて勝利した。子ども部門は、予選で二十八杯、決勝で十八杯を記録してアラン桂一君(一一、四世)が昨年に続き連覇を成し遂げた。 千田会長は、若者が多く来場したことを喜び、「楽しんでもらえて話題になるのでは。皆さんありがとう」と挨拶し、締めくくった。 写真:チャンピオンの食べっぷりに、てんやわんやの千田会長
ニッケイ新聞 2009年6月13日付け 第五代岩手県人会長を務めた故村松吉次郎氏の長男、村松弘一氏(63、二世、緑の党=PV)が五月二十二日、イビウナ市長代理に就任した。現職のダルシイ・ペレイラ・レイテ市長が二十日に心不全のために入院したことを受けて、副市長だった弘一氏が市議会に任命された。岩手県人会の活動にも協力的な弘一氏。市長代理就任の知らせを聞いた千田曠暁県人会長は、「県人の活躍はとても嬉しく、ありがたいこと」と感想を述べた。年明けに元旦のあいさつとともに、副市長当選の祝辞を述べたばかりの千田会長だが、「彼はとても温厚で、誰とでも親しめる人柄。人望がある」と今後の活躍に期待を示す。弘一氏の市長代理就任期間は、法令に則り九十日間、またはダルシイ市長の医療休暇が適用される間。そのまま市長が辞職する可能性もあるとみられており、地元紙の「ダルシイ市長が退任する場合、弘一氏も一緒に辞職するという話が出ているが」との取材に対して弘一氏は、「初めて聞いた。話したこともないし根拠もない。今、イビウナ市を良くするために有能な人材を集めている」とコメントしている。