ニッケイ新聞 2009年6月13日付け 昨年創立五十五周年を祝ったブラジル京都会では、多彩な文化活動を実施するにあたり各種講座を開講する。今年会長に就任した中野義雄さんが五月二十八日、本紙を訪れ説明を行った。講座は全て中野会長が考えたものであり、新体制になり心機一転の意味合いも兼ねたという。現在、アクリル水彩画、化粧箱作成、楽器演奏、吹き矢、英語と日本語などの講座を開講する予定で、いずれも中野会長が主催。準備が整い次第開始する考えだ。中野会長は「興味のある人は日系人でもブラジル人でも誰でも来てください」と参加を呼びかけた。いずれの講座も同会事務所(Rua Primeiro de Janeiro,53 Vila Clementino)で実施予定。問い合わせは同会事務局(FAX=11・2594・8571またはメール=nakanoyoshionp@gmail.com)まで。
Ano: 2009
7月17日~19日聖市農務局イミグランテ展示場 七月十七日から同十九日まで聖市内にある農務省のイミグランテ展示場で開かれる第十二回フェスティバル・ド・ジャポンの会場でアマゾン移民八十周年を盛り上げるため、ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ総領事館のブースでサンパウロ新聞社が五月に文協貴賓室で展示したアマゾン移民写真展「アマゾンを拓いた日本人、日系人―『緑の地獄』を楽園に変えた歴史を辿る―」の写真が展示されることがこのほど決まった。すでに、写真の選択も進められており、サンパウロでもアマゾン移民八十周年の機運が盛り上がりそうだ。 高まる熱気『80周年記念』 会場で熱帯ジュース、ピメンタ販売も 文協は昨年、同会場でブラジル移民百周年にちなみ写真展を開催し好評だったため、アマゾン移民八十周年に協力する方向でアマゾン移民の写真展を開催したいという意向を示していた。そこに、トメアスー文化農業振興協会の海谷英雄会長から協力依頼が舞い込んだ。すでに、トメアスーはフェスティバル・ド・ジャポン会場で熱帯ジュースやピメンタ・ド・レイノの販売を決めていることから、文協、サンパウロ新聞社に協力依頼してきたもので、文協が会場を提供し、本紙が写真を提供することで話がまとまった。トメアスー文協は、アマゾン移民が始まったのはトメアスーなのでトメアスーだけの写真を使ってほしいという意向から、本紙ではトメアスーの移民史料館から複写した写真及び今年、本紙記者が取材したトメアスーの近景が会場を飾る。 また、トメアスー文協では、写真とともにトメアスー移民史料館に展示している移民史料の出展も予定している。 文協の桂川富夫第三副会長は、「先日、海谷会長がサンパウロに来られたときに文協でお手伝いできることがあれば協力します、と申し出ていたこともあり、積極的に応援します」と準備に余念がない。桂川副会長から写真提供の依頼を受けた本紙では、約四十枚のトメアスーの写真の提供を決めており、どの写真を使うのか、トメアスー関係者と打ち合わせを行っている。 一方、同フェスティバルに毎年出展しているサンパウロ総領事館もアマゾン移民八十周年を盛り上げたいと本紙のアマゾン移民写真展に使用した写真の展示を打診してきた。同フェスティバルの今年のテーマは環境保護年にちなみ「環境保護」。サンパウロ総領事館はJICAと協力し、環境保護とアグロフォレストリーを取り上げたいとしており、アグロフォレストリーを提唱しているのがトメアスーなどの日系農業者が主体になっていることからアマゾンの日本人移民に焦点を当てることに決まったという。 同総領事館では、文協がトメアスーを紹介することからベレンやサンタレン、マナウス、ボアビスタなどアマゾン各地で活躍する日本人や日系人の近況及び移住当初の写真など約四十枚を展示する予定。同総領事館の武田幸子文化担当副領事は、「アグロフォレストリーだけではなく、アマゾン移住八十年がわかるような展示にしたい」と写真を選び終えた。 九月に移民八十年祭記念式典を開催するトメアスー、ベレン、マナウスでは準備に余念がないが、サンパウロでもこれまでになかったような協力体制を敷いており、アマゾン移民発十周年が周知されることになる。
百一年目の「移民の日」を迎えるにあたり、十八日、今年も聖市各所で慰霊法要とミサが行なわれる。 当日午前九時から、先駆者慰霊ミサがジョンメンデス広場のサンゴンサーロ教会で執り行われる。 午前十時半から、イビラプエラ公園内の開拓先没者慰霊碑前で、ブラジル日本都道府県人会連合会主催による仏式法要を実施。当日午前九時半に文協ビル前(サンジョアキン街381)からバスが出る。 その後、午後一時から文協大講堂で開拓先亡者追悼大法要が営まれる。文協、県連、ブラジル仏教連合会、釈尊讃仰会、仏教婦人連盟が共催する。 詳細は文協(11・3208・1755)または県連(11・3277・8569)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月11日付け 鳥取熟年大学は十七日午後一時からブラジル鳥取交流センター(ドナ・セザリア・ファグンデス街323)で六月の例会を開く。今回は老ク連のJICAシニアボランティア、貞弘昌理さんが講演する。参加費七レアル。一般の参加聴講を歓迎している。
ニッケイ新聞 2009年6月10日付け 一九六〇~七〇年代に土地取得などのためブラジルに帰化した移住者の日本国籍復活運動が、再び活発化しつつある。県連顧問の羽田宗義さんを代表とする運動推進委員会が〇六年に活動を始めた後、一時停滞していたが、昨年終わりごろから国政関係者に要望を行なうなど新たな展開を見せ始めている。 日本国籍復活運動は羽田代表と獣医の井料堅治さん、ブラスビア旅行社社長の石井久順さんらを発起人として〇六年から始まり、署名活動を展開。〇七年にはそれまでに集まった約二千の署名簿を在聖総領事館を通じ扇千景参議院議長(当時)へ送った。それ以後、目立った動きはなかったが、「まだ続いていることを知ってほしい」と石井さんは話す。同委員会では、石井さんが昨年十二月に訪日した際、同郷の町村信孝元官房長官に同件について要望。さらに井料さんの従兄弟である小泉純一郎元首相や、日伯国会議員連盟会長の麻生太郎首相にも要望を行なっていく考えだ。今年五月には石井さんから町村議員に文書で重ねて要請している。日本人移住者の帰化は、農地を購入する際にブラジル国籍が必要だったことから、当時の農協中央会などにより進められたもの。企業でも社員の三分の一がブラジル人でなければいけなかったことから、進出企業関係者で帰化した人もいるという。石井さんのところにはこれまでに約千八百人から連絡があり、中にはマット・グロッソやアマゾナスからもあるという。「『日本のパスポートで一度帰りたい』という声を聞く」と関係者の心情を代弁する。さらに国籍復活が実現すれば、「次の衆議院議員選挙で在外投票を行なうことが可能になる」とも話す。石井さんの推測によれば、日本人移住者の帰化人は「ブラジル全体で二万人はいるのではないか」という。「この機会により正確な調査ができたら」と話し、関係者の連絡を呼びかけている。詳細は石井さん(電話=11・5573・6262または9992・8474、メール=ishii.brazil@gmail.com)まで。
井戸知事ら日伯有志出席して披露式 【東京支社】移民の四割を送り出した神戸移住センターが再整備され、三日、「海外移住と文化の交流センター」(神戸市中央区)として生まれ変わり、そのお披露目が行われた。神戸市では、一九二八年に設置された神戸移住センターの建物を「国内に現存する唯一の移住関連施設」だとして、兵庫県、日伯協会、経済界とともに同建物の保存運動を行い、国土交通省の支援を受け整備工事を行っていた。このほど整備工事が終了し、お披露目の日を迎えた。 移住資料展示室も常設 寄付者氏名の刻字プレートも この日のお披露目では、最初に記念式典が行われ、式典に招待されたブラジル日本都道府県人会連合会(県連)、ブラジル日本文化福祉協会(文協)、ブラジル兵庫県人会など在ブラジル団体の関係者ら移住関係者百五十人が出席した。席上、井戸敏三兵庫県知事、植中進神戸市会議長とともにブラジル側を代表し園田昭憲県連副会長が「移民二百年のスタートの年に開館したことは大変意義深い」と祝辞を述べた。 県連はブラジル国内で同建物整備のために寄付金六万七千レアルを集め海外日系人会館協力委員会に贈っていたが、式典で海外日系人会館協力委員会、西村正委員長(日伯協会理事長)がブラジル側と日本側で集められた合計一千万円の寄付金目録を矢田立郎神戸市長に贈った。 「海外移住と文化の交流センター」に生まれ変わった旧神戸移住センターは、建物はそのままに内外がきれいに清掃整備され、出席者たちは一様に「きれいになった」と喜んでいた。一階の入り口奥には県連が贈った二百六十キロを超える大きな紫水晶が飾られ、日本からの出席者はその見事さに感嘆の声を上げていた。 館内の移住関係資料展示室では、昭和初期の神戸の街並みを、地図・写真・絵葉書で再現してあるほか、移住者が渡航時に持参した荷物や、移住先国で使用した道具類の実物展示、また移民たちが出発前に寝泊まりした室内も再現展示されており、懐かしそうに見入る人もいた。 二階には整備のために寄付した人の名前を刻んだプレートが貼られ、出席者たちは、プレートに刻まれた自分の名前を確認していた。会館には新しくエレベータが取り付けられ、昇降が楽になり、お年寄りでも楽に見学できるようになった。これから神戸移住センターは、移住資料の展示や国際交流の殿堂として活用され、第二の人生を過ごすことになる。 海外移住と文化交流センター歴史 昭和三年(一九二八年)国立移民収容所として開設(後の神戸移住センターの誕生) 昭和七年(一九三二年)神戸移住教養所と改称 昭和十六年(一九四一年)神戸移住教養所を戦時閉鎖 ※戦時中は短期高等海員養成所などとしても使用された。 昭和二十七年(一九五二年)神戸移住斡旋所と改称して再開 昭和三十九年(一九六四年)神戸移住センターと改称 昭和四十六年(一九七一年)神戸移住センター閉鎖、土地・建物を神戸市が買い取る。 昭和四十七年(一九七二年)神戸市立高等看護学院開校...
北海道祭り名物の焼きニシン。昨年売れ残った教訓からか、今年は百尾少ない四百尾を仕入れた。予想を超える人気ぶりで、前売り券を買いながら食べられなかった人もいたよう。海老、イカ、タコなどが入った北海チラシは、昨年より百個多い三百三十個を完売した。かつて、産卵のために北海道に押し寄せたニシンは別名、春告魚(はるつげうお)ともいうが、サンパウロの寒い冬はまだ続きそうだ。
【神戸新聞】「旧神戸移住センター」(神戸市中央区山本通3)を改築した「神戸市立海外移住と文化の交流センター」の開設記念式典があった三日、移住者らが駆け付け、ブラジルなど中南米に船出したころを懐かしんだ。 「当時のつらかったことを思い出す」 同区熊内町一の井上克さん(89)は涙を流しながら、センター玄関の円柱を触った。七十七年前、期待に胸をふくらませてやって来た時も、「立派な建物だなあ」と触った円柱だ。 岡山県出身で、一九三二(昭和七)年、姉の家族ら六人が移住することになり、「ブラジルに行ってみたい」と決意。十三歳だった。センターに約一週間滞在し、移民船で五十六日かけてブラジルに渡った。しかし、たどり着いたのは荒れ地。義兄は移住のための借金を抱えており、生活は困窮の極みだった。「毎日泣きながら、かまぼこを作って売り歩いた」と振り返る。 その後、綿の栽培で成功。一九四六年ごろからは雑貨店を営んでいたが、一九五六年、「母が元気なうちにもう一度会いたい」と帰国した。貿易の仕事をしようと神戸に移り住み、建築会社を営んだ。 懐かしそうにセンターを見学した井上さん。「一人でも多くの人が訪れ、移住者たちの流した涙や汗、苦労を知ってほしい」と話した。 また、サンパウロから駆け付けたブラジル兵庫県人会の尾西貞夫会長(66)は「センターが、日本にいるブラジル人の交流の場になればうれしい」と期待を寄せた。(河尻 悟)
熊本県人会(小山田祥雄会長)は十四日午前十時から、同県人会会館(聖市ビラ・マリアナ区ギマランエス・パッソス通り一四二番)で先亡者追悼供養を仏式で行なう。 参加者は、位牌を持参して出席のこと。 また、同県人会では八月二日午前九時から、熊本県人会芸能祭を行なう。 「日ごろの腕前を披露する機会」と、各支部からの出演を呼びかけている。 申込みは、同県人会事務局(電話11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月9日付け ブラジル北海道協会(木下利雄会長)主催の「第十四回北海道まつり」が、五月三十一日午前十一時から北海道交流センターで盛大に開催された。当日は一階大ホールに机と百八十席分の椅子が並べられ、来場者はニシンの他、焼きイカやハマナス会(婦人部)が作る北海ちらしなど北海道の味に舌鼓。その他、手巻き寿司やいちご大福、あんみつ、ヤクルト林檎、どら焼きなどが販売された。約六百人(主催者発表)が訪れ、家族連れも多く大変な賑わいをみせていた。祭りの名物は北海道から取り寄せた「焼きニシン」。炭火焼きの香ばしいにおいが会場に立ち込める。十一時の開始直後から長い列が出来、午後一時過ぎの完売の時点まで客足が途絶える事はなかった。四百尾のニシンは北海道協会の「おやじ会」(壮年部)と「ひぐま会」(青年部)の面々が煙に燻されながら、一尾三百グラムのニシンを炭火を使い、焦げ目がつくまで丁寧に焼く姿がみられた。ニシンを食べた有村ノリアキさん(45、三世)は「川魚とは違う味で、大きくて美味しかった」と感想を語った。マスクをしながら煙と奮戦していた北野春男さん(40、四世)は「卵も入っているし、中まで火を通すのが難しい」と話す。自らも会場の中を足早に動き回っていた木下会長は「焼きニシンは八~九年前から始めた。率先して若い人に焼かせているが、回を重ねる毎に焼き方も上手になっている」と語った。会場ではビンゴ大会やYOSAKOIソーランも披露され盛り上がりをみせた。祭りの進行を務めたひぐま会会長の藤田高史エリオさん(29、二世)は「北海道の文化を大きくし、残していきたい一心で準備してきました。思いは二世も三世も四世も一緒」と語った。木下会長は「今年も大勢の人が来てくれた。若い人が百人位手伝ってくれて成功できた。ありがたい」と語った。同会にとって今年は北海道人移住九十周年、協会創立七十周年、会館落成十周年の節目。八月三十日の記念式典に向け弾みのついた格好で祭りを締めくくった。
ニッケイ新聞 2009年6月5日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)が主催、七月十七日から開催される第十二回日本祭(フェスティバル・ド・ジャポン)。今年「環境」をテーマに開催されるのにあわせ、移民百周年を記念した植樹活動を進めるブラジル・ニッポン移住者協会と協力して「県連の森」作りに取組むことを決めた。「世界環境デー」を翌日に控えた四日、関係者に話を聞いた。来社したのは、県連の与儀昭雄会長、移住者協会の小山昭朗会長、松井英俊さん、河村武夫さんと、同協会と植樹活動を行なうオイスカ・ブラジルの花田ルイス副会長。百周年を記念して〇七年十月から始まった「21世紀の森」作り全伯植樹キャンペーン。全伯で多くの日系団体が参加しており、聖州立公園内に「日伯・友情の森」を設立。昨年六回の植樹事業など、今まで三万本ほどを植えたという。今回は、フェスティバル・ド・ジャポン開催を機に県連と同協会が協力して千本の植樹をする。「ブラジル県連の森」と名付けられ、「日伯・友情の森」内に作られる。植樹はフェスティバル終了後の予定。また、今年のフェスティバルでは移住者協会と県連、聖州・市政府、環境局、CESPが協力して環境に関する取り組みを紹介するテントを設置。環境に関するスライド上映や、パンフレット配布などの広報活動を行う。さらに、(社)国土緑化推進機構の協力を得て、二十万本の緑の羽根募金活動を同ブースで実施する。この活動では一本一レアルの募金を呼びかけている。今回のフェスティバルではゴミ処理にも力を入れており、県連ではJICAや姉妹都市提携で大阪市から技術を学んだ聖市の協力を得て、ゴミの仕分けを実施する計画だ。与儀会長は「フェスティバルを催すだけでも、二酸化炭素が発生し環境破壊に繋がる。県単位でゴミの整理やリサイクルをしていき、県連としても積極的に関わっていきたい」と語った。
ニッケイ新聞 2009年6月4日付け ブラジル熊本県文化交流協会(小山田祥雄会長)は十八日の「移民の日」に先立ち、十四日午前十時から同会館(ギマランエス・パッソス街142)で恒例の先亡者追悼法要を営む。同法要は二〇〇三年に始まり、現在まで続けられているもの。例年百人ほどが訪れるという。案内のため来社した小山田会長は、「先人の苦労を忘れないためにも、先祖の供養は続けていかないといけない」と話し、参加を呼びかけた。法要は仏式。同会では位牌を持参するよう呼びかけている。問い合わせは同会(11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月4日付け 【神戸新聞】国内で唯一残る移住事業の施設「旧神戸移住センター」(神戸市中央区山本通3)の改修工事が完了し三日、「神戸市立海外移住と文化の交流センター」として開館した。同日午後から一般公開される。午前中の記念式典では、ブラジル移民関係者ら約百五十人が施設の新たな船出を祝った。 旧神戸移住センターは一九二八(昭和三)年、国立神戸移民収容所として設立。七一年に閉鎖されるまで、移住者が出発前に宿泊、出国手続きや語学研修などをした。九四年に建物閉鎖後、ブラジルの日系人団体などから保存要望を受け、神戸市が二〇〇七年度から再整備に着手。名称を変更し、日本在住の外国人支援や国際芸術交流の場としても活用することにした。 式典で、ブラジル日本都道府県人会連合会の園田昭憲副会長(61)は「私も十四歳のときにここからパラグアイに渡っただけに感慨深い。移民にとってこれからの百年がスタートする年にオープンすることに大変意義がある」と祝辞を述べた。 式典参加者らは、移住者が寝泊まりした居室を再現したコーナーや、移住体験者のインタビュー映像などを紹介する「移住ミュージアム」を見て回った。 交流センターの入場は無料。開館は午前九時-午後十時(移住ミュージアムなど展示部門は午前十時-午後五時)。会議室などの貸し出しもある(有料)。同センターTEL078・272・2362(河尻 悟)
ニッケイ新聞 2009年6月3日付け 琉球民謡保存会ブラジル支部(仲村善正支部長)は七日午後一時から七時頃まで、「創立十五周年記念式典」(崎間達雄実行委員長)をリベルダーデのブラジル沖縄県人会館サロン(トマス・デ・リマ街72)で挙行する。当日は、沖縄の本部から久高友吉会長をはじめとする四人が祝賀のために来伯する。式典後は、約二百人いる会員が民謡、琉球舞踊、三線を舞台上で発表する。また、創立時から会を支え、四世や非日系人にも琉球民謡を広めるため貢献した故亀谷安雄さん、故照屋マリオさん、故安毛名信夫さんら六人に功労賞が贈られる。案内のために来社した仲村支部長、崎間実行委員長、山城パウロ理事は、「当日は、日本から来る先生方の独唱、合唱も聞ける滅多にないチャンス。こぞってご来場ください」と呼びかけた。
ニッケイ新聞 2009年6月3日付け 【中国新聞】ブラジルとの交流を続けている広島日伯協会の創立三十周年記念式典が五月二十九日、広島市中区のホテルであり、カストロ・ネーベス駐日大使や日系人、ブラジルからの留学生、会員たち約百人が節目を祝った。一九七九年の発足以来の歩みをスライドで振り返った後、筒井数三会長が「〇三年、ブラジル・サンパウロに完成した県人会館の建設費用を負担するなど親善と交流を深めてきた」と成果を紹介。サンパウロの邦字紙「ニッケイ新聞」の高木ラウル社主は「現地でも協会の活動は高い評価を受けている」とたたえた。ブラジルにある広島県人会の大西博巳(ひろむ)会長たち五人に感謝状も贈られた。これに先立ち、ネーベス大使は「日伯関係―今後のビジネスチャンス」と題して講演。「バイオ燃料や情報技術などについて、日本とさらに協力したい」と語った。
ニッケイ新聞 2009年6月3日付け 「おでんせ岩手へ―」。ブラジル岩手県人会(千田曠暁会長)は五月三十一日午前十一時から、リベルダーデの同会館で「第二回わんこそば食べ放題」を開催した。そばを目当てに約三百人が訪れ、大賑わいを見せた。午後から行われた「わんこそば早食い大会」には合計十九人が出場し、お椀に入った一口分のそばを二分間で何杯食べられるか競った。白熱した会場は老若男女の笑い声や声援で溢れた。女子の部は、二十代から五十代までの四人が出場。鹿児島県研修生の中村瞳さん(29)が四十二杯という記録を樹立し、ダントツで優勝した。二位を十四杯も引き離し、ガッツポーズの中村さん。会場を大いに盛り上げた。男子の部では、四人ずつ三回に分けて行われ、五十五杯の同記録だった長谷川嘉憲さん(30、横浜)と下向井稔史さん(21、兵庫)が決勝戦へ。予選を上回る七十五杯を飲み込むようにして平らげた長谷川さんが堂々の優勝。その食べっぷりに、「そばが間に合わない」と嬉しい悲鳴をあげるのは千田会長。長谷川さんは、地元横浜で行われたわんこそば大会で、三十分で二百十五杯を食べた記録を持つという。「勝負事は負けられないの一心でした。まだいけます」と余裕の表情だ。子供の部には三人が出場し、二十八杯を食べた中北ケイイチくん(11、三世)と辻・知念・セイキくん(14、三世)が決勝戦へ。必死に一分間で十八杯を口に詰め込み、最年少の中北くんが優勝した。昨年に続いて二連覇した中北くんは「嬉しい」と喜びを表し、トロフィーを受け取った。用意したそば五十キロ、おにぎり十五キロ、餃子六百個はほとんどなくなり、会場は午後三時過ぎまで賑わった。「皆さんに楽しんで頂けて良かった」とホッとした様子の千田会長。超満員の客への対応にてんてこ舞いだったスタッフも、「盛り上がって本当に楽しかった」と満面の笑みだった。
ニッケイ新聞 2009年6月3日付け 「第二十一回気仙沼海の俳句全国大会」開催にあたって宮城県の気仙沼地方俳句協会からサンパウロみちのく俳句会(栃沢千秋代表)へ参加の呼びかけがあったことを受け、中沢宏一宮城県人会長(65、宮城)と栃沢代表(94、岩手)が案内に来社した。今年で二回目の参加だが、きっかけは百周年式典のおり、中沢会長が気仙沼地方俳句会に対して、サンパウロ仙台七夕祭俳句大会への投句を依頼したことから。昨年の大会では日本から二人が第四位と六位に入賞した。応募は宮城県人会に二十六日までに送ると大会事務局に送付してくれる。投句要領は、当季雑詠三句一組で、誰でも応募できる。原稿用紙で応募すること。投句料は無料。送り先は、「ブラジル宮城県人会」(住所R.Fagundes,152 Liberdade Sao Paulo CEP01508-030)。問い合わせは同会(電話=11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年6月2日付け 九州八県の集まりである九州ブロックは、十七日午前九時から、ジアデマ市の沖縄文化センターの運動場で第七回目の親睦運動会を開催した。当日は天気にも恵まれ、リベルダーデから二台のバス、そして担当県である福岡県人会がスザノからバスを出すなど、のべ約八百人が来場した。まず、来年の担当県人会の小山田祥雄熊本県人会長が開会宣言。続いて国旗掲揚、先没者への一分間の黙祷、大会挨拶は福岡の南アゴスチーニョ会長、来賓には新しくサンパウロ文化福祉協会会長になった木多喜八郎氏、そして長くモジ・ダス・クルーゼス市長を務めた安部順二氏が挨拶した。ラジオ体操協会の指導員のもとにラジオ体操が行なわれ、日頃体を動かしていない人も、スピーカーから流れるラジオ体操に体を動かして楽しそうな様子。競技は七十歳以上の宝探しで始まり。すず割り、土産探し、おもしろいのは魚釣りで、昨年担当した佐賀県人会が普通のビン釣り競走では面白くないと、有明海に棲むムツゴロウをかたどって口に針金で輪を作ったものを、魚釣りの魚とした。昼休みには佐賀の健康体操、それとレキオス沖縄太鼓の演技、玉入れそして最後は綱引き、県人会対抗リレーで一日を楽しんだ。
ニッケイ新聞 2009年6月2日付け 在伯茨城県人会(小林操会長)は、五月三十一日午前十時から同県人会館で第二十三回敬老会を催した。約九十人が集まり、娘、息子や孫ら家族と訪れる人が多くみられた。黒澤儀人副会長の司会で始まり、小林会長は「集まってくださった方に感謝したい。杖をついてでも遠くから出席して下さった高齢者方の情熱に胸が熱くなる」と挨拶した。宮崎正弘モジ支部長、鈴木満枝婦人部長の挨拶が続き、七十五歳以上の出席者三十五人に祝儀を贈呈。小林会長から一人一人に祝いの言葉が送られた。男性最高齢の小橋健児さん(92、常陸大宮市)、女性最高齢の富田くにさん(93、常総市水海道)も元気に出席、会場で花束が贈呈され、小橋さんが謝辞を返した。その後は生田流の琴、尺八、三味線による演奏が行われ、「さくらさくら」、「故郷」、「七つの子」、茨城民謡「磯節」などが披露された。会場全体で合唱する場面も見受けられた。多くの人から、出身の茨城県を思い出し懐かしいという声が聞かれた。若松孝司さんの発声で乾杯後、昼食会へ。婦人部心づくしの寿司、刺身、煮物が出された。料理には茨城県名産のこんにゃくも使用。食事後は午後二時半ごろまでビンゴ大会で盛り上がった。健康の秘訣を聞くと、小橋さんは「西式健康法を五十年間続けていること」。富田さんは「毎日のんびりテレビを見、新聞を読むこと。若い頃はジョギングもしていた」という。「特に何もしていないけど」という武藤文子さん(83、常総市水海道)は、邦字紙を毎日楽しみにしているそう。中村千代子さん(91、旧上妻村)は「コーヒーにはちみつ、きなこを入れて飲むこと」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年6月2日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(与儀昭雄会長)は五月二十八日午後、文協ビル会議室で月例代表者会議を開催した。園田昭憲副会長の進行の下、木多喜八郎文化福祉協会新会長のあいさつがあり、先の会長選挙での礼を述べ、「日系社会のために尽くします。フェスティバル・ド・ジャポンの準備などで忙しいですが、頑張ってください」と語った。同じく会長選挙に出馬、惜敗した小川彰夫さんも会議を訪れ関係者へ謝意を表わした。また、今年は衆議院議員選挙が予定されていることから、在サンパウロ総領事館の飯浜輝雄相談員が在外選挙制度について案内。投票には在外選挙人登録が必要なため、飯浜相談員は登録促進への協力を呼びかけた。五月度事務局報告、四月度会計報告に続き定例の議題へ。本橋幹久副会長が十八日の移民の日法要・慰霊祭について説明した。イビラプエラ公園内開拓先没者慰霊碑での法要は、十八日午前十時半から同碑前で開催。当日は文協ビル前(入口を少し上った所)から午前九時~九時半に一般参加者向けのバスが二台出る。バスは先着順。同日午後一時半からは、文協大講堂で開拓先亡者追悼大法要が開催される。続いて園田副会長より二十一日開催の、県連主催マレットゴルフ大会の案内があった。「団体戦の五人に満たなくても、混成チームを作るためまずは応募を」と参加を呼びかけた。続いて、七月十七日から開催のフェスティバル・ド・ジャポンの予算について、大手銀行の協賛の返事を待っている段階と報告。合わせて各県人会に対し、参加費一千レアルの早めの納入を要望した。また、九、十日にセントロのCOVISA(R.Santa Isabel,181,10andar)でフェスティバルの衛生面について注意事項説明会が開かれることが連絡され、各県人会にいずれかの日程で参加するよう要請があった。また十八日午後二時からは、栃木県人会で規則の説明会も予定されている。その後各県人会から行事の案内などがあった。その際、園田副会長は「週末の行事は同じ日に重なる事が多く、参加したくてもできない場合が多い。予定はなるべく早く事務局に知らせて。今後、カレンダーを作っていきたい」と語った。次回の代表者会議は六月二十五日。このほか、六月三日に開館予定の「海外移住と文化の交流センター」(旧神戸移住センター、神戸市中央区)への寄付金で県連が受け付けた六万七千四十レアルが、本橋副会長から澁谷吉雄カワサキ・ド・ブラジル社長へ手渡された。
