ニッケイ新聞 2009年12月3日付け 「みなさん、ありがとうございました」。汎アマゾニア日伯協会の生田勇治会長は堤剛太事務局長と共に11月16日に来社し、アマゾン入植80周年への聖市日系団体の協力を感謝した。9月の式典には、県連ふるさと巡り一行211人をはじめ、幾つかのツアーが組まれ、計250人近くが駆けつけた。「県連ふるさと巡りのみなさん、本当にありがとうございました。すごく力になってもらって嬉しい」と生田会長。9月18日のベレン式典はアマゾニア祭の一環として行われ、1万6千人の地元ブラジル人でにぎわった。「日本文化をアピールできた。日本から井上信治衆議院議員、首都から島内大使にも来ていただいて立派な式ができ、市や州にもはっきりと日系人の存在が認識された」と同会長は感謝する。堤剛太事務局長も「スピーチコンテストでも林達也マテウスさんが3位にはいり、町田リョートも良い成績を残している。80周年のいい締めくくりになりました」と笑顔を浮かべた。町田選手は総合格闘技「UFC98」のライトヘビー級で5月に世界王者になり、10月14日にはマウリシオ・ショーグン相手に見事タイトル防衛に成功し、プロ公式戦無敗記録を16に伸ばした。今年、パラー州議会が第1回移民がベレンに上陸した9月16日を「アマゾン日本移民の日」に制定した。堤事務局長は「日本人は政府関係者にはペコペコしがちですが、80周年では生田会長がブラジル人政府関係者と対等に交渉した。ここまで日系人は来たかと感慨深いものがありました」と語った。
Ano: 2009
岡山県人会(根岸健三会長)は、13日正午から聖市リベルダーデ区の同県人会館(グロリア街734番)で毎年恒例の忘年会を開催する。 一品持ち寄り。飲み物は県人会で負担。忘年会では、ビンゴも行われる。 2009年12月2日付
埼玉県人会(飯島秀昭会長)は6日午前11時から、アルジャー市内の別荘で忘年会を行う。 同県人会は、10月に埼玉県所沢、川越両市で催されたフェスティバルに県人会ブースを出店。会では、参加した飯島会長、尾崎副会長から同事業についての報告も行われる。 当日は、リベルダーデ区の三重県橋からの無料送迎バスを用意、午前9時半出発。同県人会では、「会員、県出身者はもちろん、県人会にゆかりのある人はぜひ参加を」と、呼びかけている。申し込みは、同県人会事務局(電話11・3253・8554)まで。 2009年12月2日付
県連(与儀昭雄会長)は、以前からの懸案事項だった定款改正を行うために、11月26日午後3時半(第2次招集)から聖市リベルダーデ区の文協ビル1階会議室で臨時総会を開いた。委任状を含めた参加代表者34人による投票の結果、賛成29人、反対2人、白票3人により、定款改正委員会(園田昭憲委員長)が進めてきた改正案が承認された。 今回の改正案の焦点は、(1)投票権は正会員のみが持つこと(2)県人会会長の委任状で補佐役の投票が可能になることを明記(3)執行部の人員が 人から 人に減らしたこと(4)代表者が執行部役員を離れた場合、自動的に役目を失うが、執行部の判断により、県連の定期総会月の最終日まで務めることができること、の大きく4点。 臨時総会では、園田委員長が与儀新体制発足翌月の09年4月の執行部会議で「定款改正委員会」を立ち上げたことを説明。その後、各勉強会などを経て、ブラジル語の定款を日本語に公証翻訳したことや、今年に入って数回、日ポ両語の定款改正案を代表者会議で配布し検討を促してきたことを発表した。その上で、11月11日に定款改正臨時総会を告示し、同月21日までに各県人会に意見・提案を求めていた。 これについて出席した代表者からは、定款改正案の記述に細かい間違いがあることが指摘されたほか、「改正内容が充分に検討されておらず、今日この場で決定するには時間が、なさ過ぎる」との意見も出された。 これに対して、定款改正委員会からは、記述の間違いについては「公証翻訳人が書いたもので、我々が手を付けることができず、改正案が承認されれば法律上問題が無いか、専門弁護士に早急にはかる」と説明。また、「充分な検討がされていない」とする意見には、定款改正前のオリジナルと改正後の定款案を事前に複数回、各代表者に配布しているとし、理解を求めた。 各代表者による無記名投票の結果、改正案が承認された。 園田委員長は「民主主義なので色んな意見はあるが、時代に沿った定款ができたと思う。これで肩の荷が下りた」と、ホッとした表情を浮かべていた。 写真:各代表に改めて配布された改正前後の定款 2009年12月1日付
2日間で500人が来場 ブラジル秋田県人会(小松雹玄会長)による『第3回手工芸品バザー』が11月21、22日の両日、聖市ビラ・マリアナ区の同県人会館で催され、2日間で約500人が詰めかける賑わいを見せた。 同バザーには和紙絵、手作りのアロマキャンドル、陶器、アクリル加工飾り物、ハンドバッグ、折り紙と切り紙、粘土細工、各種アクセサリー、手作りチョコレートなどバラエティーに富んだ手工芸品が出品され、出品数は合計約2500点に及んだ。 午前10時の開場後、訪れた来場者が多種多様の工芸品を前に「とても綺麗」と口々に声を上げ、各ブースをじっくり見ながら好みの手工芸品を買い上げていた。 2人の弟子とともに 点近くの和紙絵を出展した同会婦人部長の米谷ヨシ子さんは、「和紙絵制作は様々な種類の和紙を使って色をつける手間のかかる作業ですが、それだけに完成したときの喜びもひとしお」と語る。和紙絵は雪景色、桜の花びらや遠くから見た木々の葉や枝など、出したい色や質感によって用いる和紙を変え、大きい作品になると制作に1か月以上を要することもあるという。 溝口オルガさん(3世)、萩原イアラさん(2世)、タマキ・ロウールデスさん(3世)は陶器とアクリル加工飾り物を出品。溝口さんはピニェイロスのアリアンサ陶芸教室で陶器づくりを習得。粘土などの材料はすべてブラジルのものを用い、ろくろなど多種の手法を駆使して制作する。「思ったとおりの色を出すことが一番難しかった」と語っていたが、展示品の出来栄えに満足そうだった。 正午からは特製焼きそば、パステル、秋田名物のわらびの酢漬け、飲み物なども販売され、買い物を終えた来場者たちが用意されたテーブルでランチタイムを楽しむ姿も見られた。 同会館の近所に住むアメリカ・タヴァーレスさん(88)は、娘と孫の女性3人で来場。全長1センチ以下の小さな折り紙細工とワイングラス用の装飾品を購入した。「日本の工芸品は芸術的で繊細。日本人はブラジル人よりも手先が器用なのね」と笑顔を浮かべ、お気に入りの品物を購入できてご満悦といった表情を見せていた。 写真:多数の来場者で賑わいを見せた会場 2009年12月1日付
日伯友好協力に貢献 2009年(平成21年)度秋の叙勲者への勲章伝達式が、26日午後3時から聖市モルンビー区にある在サンパウロ日本国総領事公邸で行われ、旭日単光章受章の荻原孝行(おぎはら・たかゆき)さん(79)と瑞宝中綬章受章の坂手實(さかて・みのる)さん(72)に勲記・勲章が伝達された。 会場には家族や友人をはじめ約30人が集まり、木多喜八郎文協会長、森口忠義イナシオ援協会長、本橋幹久県連副会長、五十嵐司老ク連副会長ら日系団体関係者が見守る中、大部一秋総領事から勲章が伝達された。 荻原さんはペドラブランカ日伯文化協会の活性化に尽力。1973年に同協会会長に就任後、23年間にわたり会長職を務めた。世代間を超えた活動の充実を図る目的で婦人部、青年部を創設し、後継者育成に貢献した。また自家農園でゴヤバ栽培を営む傍ら、姉妹都市である岐阜市の少年サッカーチームやリオの日系果樹生産者の研修生を受け入れ、日伯交流と地域の発展に貢献してきた。 坂手さんはサンパウロ州立パウリスタ総合大学ボツカツ校にて教鞭を執る日系2世の教授たちとボツカツ日本文化協会を創立。初代会長として市の行事に全面的に協力するなど同協会の発展と、日系人の地位向上に大きな功績を残した。さらに大学教授として退官までの31年間、優れた指導者として人材育成に邁進。日伯間の文化学術に関する人事交流に取り組み、相互の指導者の資質向上に寄与してきた。 勲記・勲章の伝達に続き、大部総領事が挨拶。荻原、坂手両氏のように長い人生にわたり積み重ねた努力や、その誠実な姿こそが日系社会やブラジル社会の発展、そして日本とブラジルの友好協力関係に偉大な貢献を成し遂げてきたと称賛し、「豊かな体験と貴重な知恵を十分に生かし、これからの日伯両国の交流を深めるために引き続きご尽力いただければ誠にありがたい限り」と述べた。 荻原さんは挨拶の中で「本日このような受章ができたのも、私を支えてくれた友人や妻の力によるものが大きい」と感謝の意を示し、続いて坂手さんが「人生は一度しかないので、これからも社会のために貢献できるような仕事を続けていきたい」と今後の抱負を語った。 伝達式を終えた後に記念撮影が行われ、軽食や飲み物が用意されてパーティー形式の懇談会に移行。萩原悦子夫人(73)は夫の活動について「ペドラブランカ文協での活動以外では、同市で住民会を発足させて警察署を初めて設置したことで、強盗もいなくなり治安が良くなったんです」と更なる功績を教えてくれた。また坂手さんの娘の由美さんは「父が本当に一生懸命働いてきたのを知っているので、評価されたことに対して嬉しく思う」と、誇らしげな表情を浮かべていた。 写真:更なる活躍を祈願しての「乾杯」 2009年11月28日付
ニッケイ新聞 2009年12月2日付け 在ブラジル日本国大使館へ9月4日に着任した國方俊男公使(くにかた、57、広島)がサンパウロに初出張し、各日系団体を訪問するとともに、11月17日午後、ニッケイ新聞を訪れて着任のあいさつを行った。ドイツ語が専門で、これまでドイツで4回勤務したほか、海外駐在勤務経験は10カ所以上にのぼるが、中南米は今回が初めて。だが、ハワイ・ホノルル、北米ロサンゼルスに続き、日系社会が大きい地での勤務は3カ所目。「ブラジルでも日系人の偉大な遺産を感じている。ブラジルに『ウェルカム』と温かく受け入れてもらえるのを感じ、ありがたいなぁと思っています」と頷く。ホノルルの日本フェスティバルには7、8万人が訪れるというが、それ以上の日本祭りがサンパウロで開催されていることに驚き、目を輝かせる。日伯間の経済が、失われた10年を取り戻しつつある最中での着任。「日本の注目もブラジルへシフトし、前向きな話がいくつかある。二国間の経済交流がうまくいくよう力を入れたい」とし、「目下の課題は新幹線。入札が控えているので、後方、側面支援をしっかりやっていきたい」と抱負を述べた。
ニッケイ新聞 2009年12月2日付け 在伯埼玉県人会(飯島秀昭会長)は6日、アルジャ市の飯島会長の別荘で忘年会を開く。県内で反響を呼んだ所沢、川越市民交流フェステバル参加の報告を兼ね、来年への更なる展開をアピールする。同会では会員、県出身者はじめ、県人会にゆかりのある人への参加を呼びかけている。当日は午前9時半にニッケイ新聞社前(R.da Gloria,332)から無料のバスが出る。申し込み、詳細についての問い合わせは事務局の尾崎さん(電話=11・3253・8554)まで。
ニッケイ新聞 2009年12月2日付け 青葉健康生活協会(中沢宏一会長)は、5日、19日の午前7時から午後4時まで宮城県人会館(Rua Fagundes, 152, Liberdade)で恒例の青葉祭りを開催する。両日、農協婦人部連合会(ADESC)が有機野菜や手作り製品を販売、家紋の調査、制作、販売などを行う。また、19日は小児ゼンソクに背骨矯正治療や整体、指圧も行われる。さらに、ナタールも近いことからパッチワークや絵を描いた手作り手芸も販売される。同県人会婦人部による天ぷらうどん(5日)、はらこ飯、きな粉餅、ずんだ餅、さんま定食、イカポッポ焼き、ソースイカ入りやきそば(19日)などが販売される。食事は午後3時まで。案内に訪れた中沢会長、鈴木運蔵副会長、同連合会の玉越豊子副会長、栖原マリーナ指導員らは「おかげさまで青葉祭りは満3年。みなさん是非いらしてください」と呼びかけた。問い合わせは、同県人会(電話=11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2009年12月1日付け 宮城県から見た県人移住―。財団法人未来の東北博覧会記念国際交流基金(高橋俊一理事長)は先ごろ、宮城県人のブラジル移住100年の歴史を著した記念誌『赤い大地を拓く』を発行した。案内に本紙を訪れたブラジル宮城県人会の中沢宏一会長によると、日本移民・県人移住100周年に合わせて、同県民に対し移住の全容を明らかにし、各市町村や図書館に寄贈できるような記念誌をつくるべきと同県に要請した成果だという。調査は記念誌制作実行委員会(京極昭委員長)のメンバーが07年から08年中頃までに、計3回以上来伯し、パラナからアマゾンまで調査に行き資料収集、インタビューなどを行った。宮城県国際交流協会や宮城・ブラジル友好協会、河北新報の記者なども協力し、財団法人・宮城県国際交流協会(高橋俊一理事長)などの資金協力を得て完成した。同記念誌は序章「移住前史Ⅰ、Ⅱ」、第1章「ブラジル移住100年の歴史」、第2章「宮城県人100年の歩み」、第3章「海外移住を推進した機関・団体」、第4章「仙台七夕のブラジル移住」、第5章「日系人の出稼ぎ問題」、第6章「ブラジル親善訪問団の足取り」、資料編の530ページからなる。宮城県人100年の歩みや七夕祭りなどが記載され、巻末の資料編では移住者名簿などのほか、県費留学生や技術研修員の名簿なども記載されている。さらに、1803年、ロシア船にのって世界一周をしていた仙台藩石巻港の若宮丸船員、津太夫ら4人が日本人として初めてブラジルの地を踏んだ話や、初の日本進出企業で、日伯貿易のさきがけともなった藤崎商会についても記されている。中沢会長は「仙台藩からの移住の歴史が詰まっています。県の学校や市町村図書館にも保管して欲しい。日本語以外でも出版したい」との期待を述べた。同記念誌の問い合わせは同県人会(電話=11・3209・3265)まで。
矍鑠(かくしゃく)とした104歳翁 聖市サウーデ区在住の丹羽義雄さん 日散歩に出かける元気印 サンパウロ市サウーデ区在住の丹羽義雄さん(兵庫県垂水区出身)が今月で104歳(数え年、1906年11月9日生まれ)となり、その誕生日会が 日、聖市内の長男の家で行われ、子孫たちに囲まれて祝福されるなど充実した1日を過ごした。義雄さんは多少耳が遠いものの食事の好き嫌いもなく健康そのもので、毎日散歩に出かけたり、孫や曾孫ら家族と過ごしたりと有意義な日々を送っている。 サウーデ区で自動車部品販売店を経営する次男の丹羽清さん(68、2世)の話によると、義雄さんは1926年、父母、兄妹4人の計7人で渡伯。当時20歳で、働き盛りの若者だった。ミナス州のカフェザルに契約移民として入植し、カフェ生産に従事してきた。 その後、聖州アララクアラ線のサンタ・ベリアに転住し、同州マットン生まれの2世、キクエ夫人(86年に70歳で死去)と結婚した。30年代半ばにパラナ州ロンドリーナに新しいカフェ生産地を求めて家族で転住したが、義雄さんは「勝ち負け抗争」により、一時的に身柄を警察当局の拘束されたこともあったという。 ロンドリーナでは霜害にやられ、カフェ生産を断念し、サンパウロに出てきたのが戦後すぐの 年代半ば。現在のサウーデ区で洗染業を営み、家族総出で家計を助けた結果、70年代後半には30人近い従業員を使用できるほどに成長した。 しかし、長男の英雄さんが43歳の時に若くして病死。義雄さん、英雄さんとともに家計を支えてきた清さんは、信頼していた兄の突然の死に「やる気が無くなった」と洗染業を辞め、学生時代から勉強していた電気関連業に転換。現在の場所に自動車部品販売会社を経営して、すでに25年になるという。 15日、今は亡き英雄さんの自宅で開かれた義雄さんの104歳誕生祝賀会には、同居している清さん家族をはじめ、孫、曾孫など20人近い親戚や兵庫県人会の尾西貞夫会長も出席。義雄さんは、家族に囲まれながら記念ボーロのローソクを吹き消すなど、家族たちとの充実した1日を過ごした。 清さんによると、義雄さんは丹羽家が戦国武将・織田信長の家来だったことをよく話し、家族たちと一緒に過ごすのが一番の楽しみだという。 耳が多少遠いものの、食べ物に好き嫌いがなく、100歳を超えてなお心身ともに健康そのもので、「自宅から、お父さんがやっていた洗濯屋の店まで100メートルほどあるのですが、いつも1人で歩いていって、家族を驚かせるんですよ」と清さん。「自分のことはすべて自分でやってくれるので、本当に手のかからない父親です」と、更に長生きしてくれることを望んでいる。 写真:家族とともに104歳の誕生日を祝った丹羽義雄さん(前列中央) 写真:ボーロの火を吹き消す義雄さん 2009年11月27日付
兵庫県産の海苔を輸出 実現に向け関係者が来伯調査 兵庫県産の高級海苔(のり)をブラジルに輸出することを目的に、その事前調査として兵庫県漁業協同組合連合会のり海藻事業本部の高瀬博文本部長、(株)三菱総合研究所海外事業研究センター主席研究員の中野正也氏、同研究員の齋藤美穂子氏の3人が16日から来伯。サンパウロ、クリチーバなどの輸入業者、日本食レストラン・食料品店関係者などと会い、情報交換を行った。 23日、尾西貞夫兵庫県人会会長の案内で3人が来社、調査状況などについて説明した。 中野氏によると同調査は、日本の農林水産省からの委託により平成21年度農林水産物等輸出ステップ・アップ推進委託事業として実施。兵庫県漁協連が実際の輸出を行う予定だという。 高瀬本部長の説明では、日本の海苔の年間生産量は90億枚で、そのうちの10億枚を神戸、須磨、明石、淡路島など兵庫県内で生産している。兵庫県産は、「色が黒くて、艶があり、味が良いのが特徴」(高瀬本部長)で、毎年12月には皇室にも献上しているほどの逸品だそうだ。 今回、ブラジルを輸出先に選んだことについて高瀬本部長は、「世界最大の日系社会があり、海苔の消費量が多いこと。ブラジルでは、中国産、韓国産が多いと聞くが、元々海苔は日本から伝わったもので、ブラジルに住む方々に兵庫県の高品質の海苔の食べていただきたい」と、差別化を図りたい考えだ。 サンパウロやクリチーバの日本食関連業者に実際に試食してもらったところ、「味と香りが凄く良い」との評価をもらったという。しかし、その一方で価格面の問題があり、伯国で販売する場合、関税の影響などから日本国内の小売値段(10枚約600円)の3倍ほどの値段になる可能性が高い。 このことについて3人は、高級日本食レストランを対象にしたり、輸送方法などを考慮し、来年2月下旬に改めて来伯して調査を行う。 来年創立50周年を迎える兵庫県人会では、来年7月の日本祭りに、これら兵庫県産の海苔を使用した料理も出品するとし、郷土の海苔をアピールしていく考えだ。 写真:海苔の調査で来伯した高瀬本部長(右から2人目)ら 20009年11月27日付
大阪なにわ会(下平尾哲男会長)は、12月6日午前9時から、同会館(聖市ビラ・マリアナ区ドミンゴス・デ・モラエス街1581番)で、恒例の『第64回慈善バザー』を開催する。婦人部の手芸品をはじめ、協賛業者の出店が予定されている。また食堂部では、寿司、なにわうどん、天ぷら、お汁粉、おはぎなどが用意されている。 同バザーの売り上げは3団体に寄付され、毎年婦人部から「希望の家」に車椅子2台が贈呈されている。案内に来社した久保美恵子、松原信子、桑原妙子各氏は「皆さんお誘い合わせの上、ふるってご来場ください」と呼びかけている。問い合わせは(電話11・5549・7226)まで。 写真:松原、久保、桑原各氏(左から) 2009年11月27日付
ニッケイ新聞 2009年11月28日付け 東洋街の師走の風物詩、恒例の「東洋祭り」が5、6両日、リベルダーデ広場、ガルボン・ブエノ街などで開催される。今年で41回目。主催のACAL(リベルダーデ文化福祉協会)から池崎博文会長と舞踊教師の池芝緑苑さん、祭り実行委員長の浜崎マルセリーノさんが案内に訪れた。リベルダーデで行われる行事としては花祭りに次ぐ歴史を誇る東洋祭り。今年も広場で様々な芸能が披露され、色鮮やかなのぼりがはためくガルボン・ブエノ街の大阪橋には日本食など約30の屋台が出店する。5日は午後2時20分からラジオ体操、健康体操で幕開け。2時40分から鳥居前で神事を行う。その後はひまわり太鼓、ACAL舞踊部の踊り、阿波踊り、来賓あいさつ、花柳金龍会の踊り、民舞のYOSAKOIソーラン、鳥取の傘踊りなどが続き、4時半ごろから全員参加の盆踊りとマツリダンスが始まる。ACAL舞踊部では、約20年間指導に当たってきた篠崎いちさんが今年10月に死去。現在は、それまで舞台用の踊りを担当していた池芝さんが教えている。今回はリベルダーデ音頭とほのぼの音頭などを披露する予定。6日は正午開会。宮マウリシオ、平田ジョーさんなど日系歌手のショーや、ヨーヨー、ストリートダンスなどが披露され、午後6時50分に終了する予定。「祭りを通してバイロに感謝したい」と浜崎実行委員長。一行は「たくさんの方に来ていただきたい」と呼びかけた。
ニッケイ新聞 2009年11月28日付け 県連代表者会議の席上、来年創立の節目を迎える県人会が発表された。来年は13の県人会が節目の年を迎え、うち7県人会が現時点で記念式典を予定している。もっとも古いのは福岡県人会で、創立80周年。そのほか、兵庫、奈良、富山、秋田、富山の5県人会が50周年にあたる。群馬は65周年、佐賀、広島、香川は55周年、東京、神奈川、大阪は45周年となる。また来年は笠戸丸に続く第二回移民船「旅順丸」の着伯100年にあたり、同船により県人ブラジル移住が始まった佐賀、岡山、福岡、富山の4県人会は県人移住100周年を祝う予定だ。現時点で分かっている式典の開催日(予定)は次の通り。 【兵庫県人会】=7月25日、【佐賀県人会】=8月1日、【奈良県人会】=8月8日、【岡山県人会】=8月22日、【福岡県人会】=8月29日、【富山県人会】=10月10日、【秋田県人会】=10月24日。
ニッケイ新聞 2009年11月28日付け 2009年秋の叙勲伝達式が26日、サンパウロ総領事公邸で行われた。受勲者の家族や親戚、知人らも含め、約40人が祝賀に駆けつけた。同管内の邦人受勲者は荻原(おぎはら)孝行さん(79、広島、帰化人)=カンピーナス市在住=と、坂手實さん(73、二世)聖州ボツカツ市在住=で、この日、大部一秋総領事から勲章・勲記が手渡され、喜びの一日となった。同日夜、文協貴賓室で祝賀会が開かれ、21の日系団体の代表、家族・知人ら80人が集まり、受章した2人を祝福した。 旭日単光章を受章した荻原さんは1973年から23年間、ペドラブランカ日伯文化協会の会長として、婦人部、青年部を創設するなどして活性化、後継者育成に貢献。 また、カンピーナス市と岐阜市との姉妹都市交流事業に積極的に参画し、訪伯団の受け入れ及び訪日団送り出しに全面的に協力した。ペドラブランカ植民地では旧南伯産業共同組合を中心とし、果樹、特にグァバの生産地として栽培地を作りあげ果樹栽培農家の形成に力を注いだ。大部総領事から勲章・勲記を伝達された荻原さんは3歳で移住し、移住内での野菜作りなどの思い出を語り、「身に余る光栄。地元の人々や友人、そして妻の力が偉大です。ブラジルに渡ってきて苦労した両親やみなさんに感謝する」と謝辞を述べた。伝達式の後、荻原さんの隣で座って談笑していた娘の荻原ジェニさん(43、二世)は日頃の父の、元気な様子を語り「まだまだいろんなことをしたいみたい。そういう元気なところが誇りです」と語った。瑞宝中綬章を受けた坂手さんは、聖州立パウリスタ総合大学ボツカツ校にて教鞭をとる日系二世の教授とボツカツ日本文化協会の設立に尽力し、初代会長として日系人の地位向上、協会の発展に貢献。ブラジル青年協会では青少年講習会を定期的に開催して、日伯農村青少年指導者の育成をした。さらに、同大学で日本文化学術交流コーディネーターとして日伯間の文化学術交流にも貢献した。同総領事から勲章・勲記を伝達された坂手さんは、「我々の世代はみんな大変な努力が必要だった。その中で選ばれたのは光栄。人生一度しかない。これからも社会に役立つ仕事を続けたい」と謝辞を述べた。伝達式に同席した姪の林恵子さん(55、三世)は「いつも忙しくて働きすぎ」と坂手さんの様子を述べ、「シュラスコや誕生日などでしか会えないが、本当に頑張ったと思う」と語った。夜の祝賀会では、受勲した2氏が紹介され、主催団体の代表として木多喜八郎文協会長が挨拶に立ち、「移住者の開拓精神を発揮し、各々の分野で活躍したことを嬉しく思う。日系社会の模範であり続けるようお祈り申し上げる」と祝辞を述べた。在聖総領事館の小林雅彦首席領事があいさつ、荻原さん、坂手さんの謝辞が続き、参加団体の紹介があった。サンパウロ日伯援護協会の森口イナシオ会長の音頭で乾杯し、祝賀会に移行した。会には2人の家族や親戚を始め、日系団体の関係者ら約80人が祝福に駆けつけた。親戚同士記念撮影をしたり、思い出話をしたりと、あちらこちらで話に花が咲き、盛会のうちに終了した。
ニッケイ新聞 2009年11月28日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)の11月度代表者会議が26日午後、文協ビルで開かれ、来年の第13回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)のテーマを「伝統芸能の継承~Artes das Provincias」とすることが発表された。実行委員会では来週からスポンサーの訪問を本格化させる考えだ。また当日は会議に先立って定款改正の臨時総会が開かれ、賛成多数で新定款を承認した。第13回日本祭り(坂本アウグスト実行委員長)のテーマは、来年奈良県で平城遷都1300年を祝うことにちなんで決められたもの。各県の伝統芸能・文化の紹介に重点を置く考えだ。坂本実行委員長(栃木県人会長)はさらに、スポンサー訪問を例年より早め、来週から開始して今年中に終わらせる考えを示した。坂本委員長とともにスポンサー訪問を行う与儀昭雄会長も、「今年より立派なフェスティバルにしたい」と述べるとともに、これまで訪れていない企業も回りたいとして各県人会代表に協力を求めた。与儀会長は今年のフェスティバル収支にも触れ、一部未収金はあるものの、約34万レアルの黒字がほぼ確実であると発表した。会議ではこのほか、新潟県人会の柿嶋昭三会長が9月に母県で行われた「トキめき新潟国体」、10月に海外日系人大会に参加したことを報告。今月創立55周年式典を行った和歌山県人会の木原好規会長からは、各県人会の協力に感謝の意が述べられた。次回代表者会議は12月17日に栃木県人会館で開かれ、会議後忘年会が催される。 ▽ ▽ 代表者会議に先立ち、午後3時半(第二次召集)から定款改正の臨時総会が開かれた。県連の定款改正は08年の与儀執行部選出の以前から検討されていたもの。現執行部の選出後、4月に園田昭憲副会長(鹿児島県人会長)を委員長とする委員会を立ち上げた。同年5月に委員・オブザーバーが決定。7月から勉強会等を開催し、定款の改正案、邦訳の不備の修正などを検討してきた。委員会ではオリジナルと邦訳の新定款を今年9月度の代表者会議(10月1日)で会員に配布、意見等を今月21日まで受け付けていた。主な改正点としては、会の目的にスポーツを加え、親睦活動と明記。また、会員の規定を見直し、これまで顧問にも認められていた投票権は県人会等からなる正規会員が持つとした。そのほか、これまで14人だったシャッパ(候補者連記名簿)の人数を12人に変更。また、執行部役員の県人会長が任期中に交代した場合、県連の定期総会の月末まで役員を務めることができるとしている。総会では坂和三郎・東京都友会長が議長を務め、園田委員長が改正案作成にいたる経緯を説明した。出席者からは改正後の定款案を検討する時間がほしいとの意見が出たが、園田委員長から、当時配布した改正案と同じものを9月代表者会議で配布していること、21日まで意見を受け付けたことを説明。賛否の記入式で採決が行われ、結果、賛成29、反対2、白票3で改正定款が承認された。園田委員長によれば、新定款は今後弁護士のチェックを受け、あわせて邦訳の修正を行う予定という。議決後、同委員長は「多少なりとも時代に沿った内容になったのでは。ようやく肩の荷が下りた」と安堵した様子を見せた。
鹿児島県人会(園田昭憲会長)は2日、灯籠流しで有名なレジストロ市へ慰安旅行を行った。 遠くはサント・アンドレ支部等から集まった総勢33人は、午前6時半にリベルダーデ、午前7時に同県人会会館前からバスで出発。車内で園田会長は、「最後まで事故なく元気で楽しい旅にしましょう」と挨拶し、旅行の安全を祈願した。 一行が、まず目指したのは同市から更に55キロ離れた場所にあるヌークレオ・カベルナ・ド・ジアボ。120年前に奴隷が隠れていたとされる鍾乳洞で、50~60年前にドイツ人によって発見され、現在は観光名所になっている。 8キロに及ぶ鍾乳洞だが、立ち入れるのは入口から600メートル地点まで。年中18度の洞窟内は、照明も少なく冷ややか。初見学という上原美代子さん(62)は、「高所恐怖症なので暗がりの中での段差が少し怖かった」と、興奮した表情を見せていた。 午後4時前に灯籠流し開場に到着した一行は、奉納相撲を観戦し、マンジューバの刺身に舌鼓を打ちながら、リベイラ川の灯籠を鑑賞。多くの参加者が初めて目にしたという幽玄な灯りには、一同、「きれい」という感嘆の声を漏らしていた。 一行は、午後10時の花火と前後して行われた盆踊りにも率先して参加。来伯して5か月の30代学生は、「コロニアの活動で伝統ある行事に足を運べて有意義だった」と、感想を口にしていた。目一杯祭りを楽しんだ一行は、満足の表情を浮かべて翌午前0時、同地を後にした。 写真:親睦を深めた参加者の皆さん 2009年11月26日付
技術研修生制度、拡大の可能性 伯国野菜の導入にも意欲 長野県記者会見 22日に創立50周年記念式典を開催した長野県人会(北沢重喜会長)は、同日式典終了後の正午過ぎから会場内で記者会見 を行い、母県からの慶祝団として来伯している村井仁県知事らが質問に応じた。 現在、長野県で技術研修生制度のみの受入れとなっていることについて村井県知事は、医療分野を中心に県の調査機関が土壌・水質汚染など環境関連の研究所にも関心が高まっているとし、今後、同研修制度の枠組みを広げていく可能性もあると述べた。 また、村井県知事は県内で受け入れているブラジル日系人就労者の問題について、少子高齢化が進む日本国内で「労働力」としての必要性を感じ、「日系人環境を整える努力はしている」と説明。その上で、「日本社会そのものが、外国人労働者をどう受け入れて、どうお付き合いしていくのか、歴史が短くて慣れていないのが現状」とし、就労者の日本での定着、帰伯の動きが激しい中で、日本政府全体の問題として取り組む必要があると語った。 一方、資源が豊富で広い国土を有するブラジルにある世界最大の日系社会について、「ブラジルで高い評価を受けていることに感銘を受けた」と述べ、日本国内で外国からの移民を新たに受入れるべきかどうかの議論もあるとし、「日系ブラジル人との融和の問題が、明らかに今後のひとつの手がかりとなる」(村井県知事)との考えを示した。 そのほか、高原野菜の生産高が日本一だという南佐久川上村の藤原忠彦村長(長野県町村会長)は、伯国内で生産されている野菜類に少なからず興味を示しているという。具体的な品目については今後の検討課題だが、ブラジルの葉野菜を日本に導入し、技術面での相互交流を行っていきたいと話していた。 写真:記者会見に臨んだ村井県知事(左端)と長野県人会関係者たち 2009年11月26日付
沖縄県人会の青壮年会(新里哲雄会長)創立 周年記念式典が、29日午後3時から聖市リベルダーデ区の同会館大サロン(トマス・デ・リマ街72番)で開催される。 青壮年部初代会長を務めた与那嶺真次顧問によると、78年に青年部を創設した際、1世と2世ら次世代の間に年齢差と考え方の隔たりがあり、数年後に一時的に青年部が消滅したという。 その後、83年頃に再び青年部を立ち上げる動きが出た時に、青年と壮年を併せた「青壮年部」をつくることが提案された。 「年齢的には青年ではないが、思いやパワーがあり、単に青年や壮年、婦人たちを分けることができないため青年と壮年を併せたら、それまで県人会の活動に参加していなかった人たちが数多く加わりだした」と与那嶺顧問は青壮年部の創立当時を振り返る。 現在、月1回1品持ち寄りによる集まりがあり、講演会などの活動を実施。青壮年会メンバーの中には、沖縄県人会の各支部長などを歴任している人材も少なくないという。 当日の式典では、歴代会長の表彰をはじめ、青壮年会の歴史をビデオ上映するほか、カラオケ、琉球舞踊や芸能などが舞台上で披露。記念夕食会も開かれ、350人が招待される予定だ。 詳細に関する問い合わせは、沖縄県人会事務局(電話11・3106・8823)まで。 2009年11月26日付
