鳥取県から『二〇〇八年度ブラジル中堅リーダー』の二人が六日着聖。十四日まで滞在し、鳥取県人会(本橋幹久会長)会員らの案内で聖市内や第二アリアンサ(ミランドポリス)、リオなどを訪問し、県人らとの親睦を深めている。 来伯したのは河本弘三さん(四四、会社員)と富村仁美さん(二九、ヨガ・インストラクター)。県人会の要請により発足した制度の六期生で、県とブラジルの相互交流を深めるため、鳥取県から派遣された。 二人は「鳥取村」とも呼ばれる第二アリアンサなどを訪問するほか、聖市内では県人会会館でヨガ体験教室を開いたりして、県人らとの親睦を深める。帰国後は、「県と県人会のつながりをさらに深められるよう尽力したい」と語っていた。
Ano: 2009
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け アルツハイマーや認知症などの予防医学に力を入れ、入園者に限らず、地域住民や日系コムニダーデ一般に福祉の輪を広げる――。昨年五十周年を迎えた日系老人ホーム「憩の園」が、そんな新しい方針を掲げた活動を開始した。運営団体である救済会の事務所で四日に記者会見を行い、大きな転換点であることを強調。昨年完成した宮腰千葉太講堂を有効に活用して、月々の活動費支援をしてくれる地域協力員組織を再編成するきっかけにしたいとの抱負が説明された。 昨年の伯国社会における六十歳以上の人口は八%のみだが、二〇五〇年には三〇%近くなるという統計グラフを見せながら、本田泉理事は「高齢化社会ではいくら施設を増設しても足りない。これからは施設に入らなくて済むような予防医学が重要になる。五十周年で建設した宮腰講堂は、そのための拠点として活用する」と説明した。続けて、「まずは日系企業や団体に、憩の園を気軽に見に来て欲しい」と呼びかけた。憩の園には約八十八人が入園しているが、うち約七十人が要介護。残りが自立者だ。特に要介護者向け施設は常に満員。吉安園子理事によれば「毎年四百人から五百人の入居希望者が相談にくるが、まったく応えられない状態」という。施設改築を繰り返すたびに特養施設を増設して職員も増やし、福祉施設の理想ともいえる園生一人に一職員の体制を築いてきた。園生の平均年齢は八十六歳。職員の一人は「他のブラジルの施設では一週間に一人、入寮者が亡くなるところもあるが、憩の園は長期入園者が多いので空きが少ない」と説明した。施設運営費の半額以上は寄付や慈善バザーなどのイベント収入でまかなっており、固定収入である入居者の寮費は三八%、協力員の会費は一五%に過ぎない。今後の安定運営を考えた時、固定収入である協力員の会費収入を増やすことが最大の悲願だ。この協力員は八六年頃が最も多く、八千二百四十四人を数えた。その後、協力員の高齢化、デカセギなどにより激減、九八年には二千三百四十一人、昨年には一千人を切る状態になっている。支援の目標額に関し、吉岡黎明会長は「月々最低給分の支援をしてくれる協力員二百六十三人の企業・個人を求めている」という。一最低給分を十五人で割れば月々三十一レアル、二十三人で割れば二十レアルとなり、そのような形に取りまとめてもらい、支援を受けることも可能。本田理事は「運営費を援助するという発想でなく、予防医学を実行するための投資として支援して欲しい」と強調する。吉安理事は「宮腰講堂を使って、昨年来られた日野原重明先生の『新老人の会』と連動した活動を展開していきたい」と語り、伝統ある福祉施設が始めた新しい考え方に理解を求めた。訪問希望者は憩の園事務所(11・3208・7248、3209・0215)まで連絡を。
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け ブラジル北海道協会(木下利雄会長)は十五日午前十時(第二次招集)から同会館(ジョアキン・タボラ街605)で二〇〇九年度定期総会を開く。主な議題は〇八年度事業・会計報告および〇九年度事業計画・予算案審議、役員改選など。総会終了後、親睦昼食会を催す。問合わせは同会(11・5084・6422)まで。
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け 沖縄県人会(与儀昭雄会長)は十五日午前十時半(第二次招集)から同会館(トマス・デ・リマ街72)で二〇〇九年度定期総会を開く。主な議題は〇八年度事業・収支報告および〇九年度事業計画・予算案審議、役員改選など。問合わせは同会(11・3106・8823)まで。
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け ブラジル広島文化センター(大西博巳会長)は十五日午前十時(第二次招集)から同会館(タマンダレー街800)で二〇〇九年度定期総会を開く。主な議題は〇八年度事業・会計報告および〇九年度事業計画・予算案審議、役員改選など。総会終了後、新年会を催す。問合わせは同会(11・3207・5476)まで。
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け 福島、茨城、福井、和歌山、島根、熊本の各県人会は〇九年度定期総会で役員改選を行い、新役員を選出した。各会新役員の氏名は次の通り。▼【福島】会長=小島友四郎、副会長=(第一)大竹輝和、(第二)遠藤勝久、(第三)秋元たかお、(第四)木村カチア▼【茨城】会長=小林操、副会長(第一)黒沢儀人、(第二)鈴木康夫▼【福井】会長=志田茂夫、副会長=石津黎子、西川修治、佐々木則一、会計=川崎省三、野中エリザ、書記=柴田イナシオ、西村純子▼【島根】会長=古田川英雄、副会長=浜野稔、福間エジソン、池田好史、会計監査=宮村径行、馬庭得夫、福島パウロ▼【和歌山】木原好規会長以下、全役員留任▼【熊本】小山田祥雄会長以下、全役員留任
ニッケイ新聞 2009年2月11日付け 二百年以上前に製作されたと思われる三線(沖縄三味線)がこのほど、沖縄県人会の調査により見つかった。初期の沖縄県人移民がブラジルに持参したもの。県人会資料の記述から琉球王朝時代の作と見られ、本物なら貴重な発見だ。現在は他の県人子孫が保管するこの三線。夜毎、ひとりでに音色を奏でたとも伝えられている。 きっかけは昨年十一月、「写真で見る県人移民百年史」編纂のため宮城あきら委員長、大城栄子委員たちが昔の資料をあたっていた時、県人会発行の会報「協和」五十四号(一九六六年五月)に一つの文章を発見したことに始まる。協和婦人会第三代会長を務めた故新城スエ子さんが、「霊魂は生き通し」と題した文章の中で自宅にある「不思議な三線」について書いた一文だ。そこには、県人移民の親川徳太郎氏(故人)の家に代々伝わり、同氏が渡伯時に持参したその三線が、琉球王国時代の名音楽家、知念績高(一七六一~一八二八年)の愛用したものであると記されていた。文章にはまた、移住後の生活の中で親川氏が三線を他人に譲ったところ、ある夜袋の中でひとりでに鳴り出し、再び親川氏のもとへ戻ったこと。別の友人に譲ると同じ事が起き、再び手元へ戻った逸話などがつづられている。スエ子さんの夫は、野村流古典音楽保存会ブラジル支部の初代会長を務めた故新城清助氏。三線は親川氏の死後、夫妻が夫人のマカトさんから譲り受けた。「今も三味線箱の中に静かに保管されてあります」という一文から、宮城さんらは調査を開始。親川氏が一九一八年に移住したことや、聖市在住の二男、秀夫さん(83)が保管していることが分かった。三線の棹は八重山クルチ(黒木)で、白い年輪の模様(ウジラミー)が入っている。知念績高が生きた時代から見て、二百~二百五十年ほど前のものと見られるという。宮城さんや県人会関係者、三線師範で製作も手がける知花眞勲さんらも秀夫さん宅を訪れ、存在を確認した。知花さんは、三線を取り出した際、箱の上に置いて両手を合わせたという。宮城さんは「漆を塗っていないように見え、クルチ自体の色彩に息を飲む思いがした」と振り返る。材質や光沢、加工などの点を見た結果、専門家の鑑定を受ける条件を備えていると判断したという。今月五日には、県人会館で古典音楽関係者向けの鑑賞会が開かれ、新城家からも四男パウロ氏のヨシコ夫人が出席した。底光りする棹に一人一人が感心した様子を見せ、その日演奏した関係者は皆、神妙な面持ちで音色を確かめていた。与儀昭雄県人会長は、「持参した家族や、これまで関わってきた人たちにとって重要な三線だったでしょう。それだけでも大切なものだと思う」と話した。県人会では三月一日に開く「三線の日」芸能祭で一般向けに披露するほか、今後はブラジル国内に残る歴史的な三線の所在確認を進めていく考えだ。百年から百五十年程度の三線は現時点で七、八丁あることがわかっているという。
2009年2月28日(土) 県人会館 一次召集 10時00分 二次召集 10時30分 議題 2008年度事業報告 2008年度決算報告 2009年度予算審議 2009年度事業計画審議 役員改選 そのほか 終了後新年会 会費r$10,00
2009年2月15日 難波会館 一次召集 13時30分 二次召集 14時00分 議題 2008年度事業及び会計報告 2009年度事業計画 他
2月鳥取熟年大学 鳥取県人会(本橋幹久会長)の鳥取熟年大学は十八日午後一時から同県人会会館(聖市ミランドポリス区ドナ・セザリア・ファグンデス街三二三番。 電話11・2276・6032)で今年の始業式引き続いて講演を行う。 講師は佐々木陽明南米浄土宗別院日伯寺開教総監(淑徳大学客員教授)。会費=七レアル。 一般の方の参加も歓迎。
重文に匹敵の三線を発掘 楽聖知念績高愛用の逸品 沖縄県人会聖市在住、新城秀夫さんが所蔵 沖縄県人会(与儀昭雄会長)は昨年十一月、母県にもほとんど残っていないという二百年以上前と見られる貴重な三線(サンシン)が、聖市内で埋もれていたことを発見した。 この三線は、琉球王朝時代に「御冠船の歌氏を勤めた楽聖」と言われる天才的音楽家・知念績高(一七六一年~一八二八年)が愛用したとされる名品。 五日午後三時から同県人会館で「お披露目」が行なわれ、役員や琉球古典音楽関係者など約三十人が集まり、丹念に見入ったほか、手に取って演奏を行なうなど歴史的な逸品への敬意を払っていた。
ニッケイ新聞 2009年2月10日付け 母県から贈られた二宮金次郎の石像除幕式が聖市内の神奈川文化援護協会会館で、県庁などからの来賓を迎えて八日午前十時から行われ、約九十人が出席した。まず、鴻谷正博知事室長が挨拶を述べ、今までの経緯を説明した。昨年百周年を記念して松沢知事が来伯した折り、同県人会から尊徳像がほしいとの要望があったのが発端となり、知事が石像寄贈について報徳博物館の草山昭館長に相談し、快く快諾されたという。昨年九月十一日に『二宮金次郎像、ブラジルに渡る』プロジェクト実行委員会が結成され、パンフレット配布、会社訪問、ホームページなどの募金活動が始まった。わずか三カ月で北海道から九州まで、百五十団体、三千二百個人から約八百八十万円の募金が集まったという。除幕式で大部一秋在聖総領事は、「戦前の日本移民は、ブラジル国民に勤勉、努力家、信頼できるという印象を定着させた。これは尊徳思想と一致している。その石像が海を渡って届いたことに感慨深いものを感じる」と感想をのべた。草山館長は「現在は物質的な面に目が向けられがち。もっと報徳思想を見直さなければならない」と道徳面の大切さを強調した。神奈川協会の村田洋会長は「報徳思想をブラジル社会へ少しずつでも浸透させていきます」と啓蒙していく意気込みを見せた。
「二十一世紀を生き抜く為に」をテーマにした二宮金次郎(尊徳)像寄贈記念セミナーが、七日午後一時から聖市リベルダーデ区にある文協小講堂で開催され、約八十人が出席した。 同セミナーは、神奈川県人会(村田洋会長)の依頼で、母県関係者の協力により昨年九月から開始された「二宮金次郎像、ブラジルに渡る」プロジェクトの一環として開催されたもの。翌八日は、同県人会館で石像の除幕式も行なわれた。 草山館長による記念セミナーでは、少年期に両親を亡くした尊徳が、伯父宅に預けられながら農作業に励む傍ら、独学で精進。小田原藩主・大久保忠真に認められ、藩の土地開墾や財政改革を実現させた「報徳思想」が説明された。 また、セミナーの合間には、第五回聖州ビデオコンクール受賞作品の上映や、山村敏明FENIVAR(リベイラ地方日系文化連合会)会長によるレジストロ日系社会の歴史説明、講演者によるパネルディスカッションなども行なわれた。
ニッケイ新聞 2009年2月10日付け 「金融危機の今こそ、二宮金次郎の思想を思いださねばなりません」。神奈川文化援護協会(村田博会長)や文協・援協・県連などが組織した二宮金次 郎(尊徳)像ブラジル受け入れプロジェクト実行委員会(高村純委員長)が実施したセミナー「二十一世紀を生き抜くために・二宮尊徳から学ぶ」が七日午後、 文協小講堂で行われ、来伯した報徳博物館の草山昭館長の、そのような言葉に来場者約百人は耳を傾けた。当日は玄孫の二宮精三氏も来伯し、二宮哲学の世界普 及への願いを語った。 四十三年間、尊徳思想を研究している草山館長は、ニッケイ新聞などの取材に応え、移民史料館を見た感想として「移民のみなさんは子弟教育に尽力されたと聞き、まさにその実践者だと感銘を受けた」とのべた。 さらに、現代におけるその意義を「世界で経済と道徳の一元論を説いたのは、二宮尊徳だけ。現在は金融資本中心になり、マネーゲームで儲けることが美徳と なり、金融危機が起きた。尊徳はコツコツと勤勉に働くことを説いた。いわば、実体経済を尊重する機運こそ立て直しに必要。日本は胸を張ってその思想を世界 に訴えるべき」と強調した。 セミナーの最初には、小田原市教育委員会が製作した、尊徳の生涯と哲学を要約したアニメ(ポ語字幕付き)が上映された。さらに、十一月二十八日に金次郎 の生家前で行われた石像出発式で松沢成文(しげふみ)県知事が「(昨年)六月にブラジル訪問した時、報徳思想を胸にジャングルを開拓されたとの話を聞き、 いたく感銘を受けた」とのあいさつを行った時の映像が流された。 同知事代理として県知事室長の鴻谷正博氏が挨拶し、それに続いて、玄孫である二宮精三氏はポ語の文面を読み上げて挨拶し、「ブラジルでも尊徳精神で子弟教育に邁進されていると聞き、子孫として感無量の思い」とのべ、感謝した。 ジャクピランガ市とパリケーラス市の日本移民百周年祭実行委員長を務め、両市に二宮像を建立した斉藤咲男さんも、「小さい頃、母親から二宮尊徳のように なれと繰り返し言われた。百周年を記念して作るならこれしかないと思った」とのべた。聖南西・リベイラ沿岸百周年実行委員会をしていた山村敏明会長も、同 地の入植の歴史を説明した。 草山館長は約二時間に渡って、尊徳の思想が生まれた経緯を分かりやすく説明、生涯に六百カ所もの財政再建を果たした生き様をじっくりと語り、来場者は感心したように聞き入っていた。...
昨年創立七十周年を迎えた岐阜県人会(山田彦次会長)の〇九年度定期総会が、一日午前十時半(第二次招集)から聖市アクリマソン区の同県人会会館で行なわれ、会員約三十人が出席した。 総会では、ここ数年来の懸案事項である新会館建設案も議題に挙げられた。母県側の赤字財政の影響などで、これまで続けられてきた日伯交流事業が中止されつつある中、新会館実現に向けた県人子弟のより積極的な参加が求められている。 子弟たちからは、「県人会を続けていくには大きな目的が必要」との意見が出され、スポーツ、太鼓・コーラスやカラオケなどを含めた音楽活動、そろばん教室などの文化活動を希望する声もあった。
ニッケイ新聞 2009年2月6日付け ブラジル東京都友会(坂和三郎会長)は一月三十一日正午、リベルダーデ区のホテルで毎年恒例の新年会を開催し、五十人余りが新年を共に祝おうと駆けつけた。 「一年の計は元旦にあり。どのように新しい百年に向かい、歩んでゆくのか、目標を持って頑張りましょう」。はつらつとした坂和会長のあいさつと大きな拍手で幕が開いた。 藤間流日本舞踊学校(藤間芳之丞校長)の名取りによって、新春らしい長唄「春の寿」の舞などが披露され場が和むと、多羅間俊彦名誉会長は「不景気だが、何も心配していない。戦争で焼け野原になり何も残らなかった東京は見事に復興した」と話し、威勢良く乾杯。 参加者らは笑顔で、日本酒を片手に新年のあいさつを交わし、互いの活躍を願い合った。 食事を囲んで団欒のときを過ごし、音楽が流れ出すと、舞台はカラオケステージへと早変わり。自慢の歌声を披露しながら、合間に抽選会が行われて、会場は和気藹々とした雰囲気。 さっそうとした姿で舞台に上がり、「―人生到るところに青山あり」と、力強く漢詩を吟じた坂和会長。一九五五年、大学卒業後すぐに渡伯した坂和会長は、 大学の送別会でこの詩を吟じた。「学若し成る無くんば復た還らず」と仲間に宣言した当時を思い出すように、目をつぶり迫力せまる声に、会場は静まりかえっ て聞き入った。 また新年会の中で、右近昭夫理事から、二〇〇八年事業報告と〇九年事業計画が報告された。七月の日本祭り出展や慰安旅行の検討が話された。坂和会長は、「金融危機で不況の中迎えた二〇〇九年だが、江戸っ子根性で立ち向かってゆきたい」と話していた。
サントス市の要請により、県連管理下にある【サントス移民上陸記念碑】の 移転が2009年1月の代表者会議で承認された 移転時期などの詳細はこれから市側と詳細を詰めることになるが 6月18日の移民の日までには移転の予定
1月度定例代表者会議で2009年度会費の据え置きを決定 3月26日43回定期総会にあわせ、事業計画に必要な会費の 据え置きを提案し、年会費R$1.200,00が代表者会議で承認されました
県神戸市にある旧移住センター再整備のために、県連(与儀昭雄会長)を通じて約一万レアルの寄付金がセンター関係者に渡されるなど、ここ数年なかった県連本来の仕事の遂行に日系社会からの評価も上がっている様子。 同じように百周年記念協会と文協が同センター整備への寄付金を受け付けているようだが、何故別々の口座を設けて行なうのか少々疑問に思うところ。寄付金が多いのは歓迎すべきだが、窓口を一本化しないと寄付する側の誤解を招く恐れもありそうだが。
ニッケイ新聞 2009年2月5日付け ブラジル宮崎県人会の第六十回定期総会が一日午前、聖市の県人会事務所で開かれ、約三十人が出席した。任期満了にともない長友契蔵会長が勇退。役員改選が行なわれ、第一副会長の黒木慧さん(74)が新会長に就任した。今年創立六十周年となる同会では、八月二十三日に東国原英夫知事などを迎えて記念式典を予定している。総会は午前十時半に開会。先亡者への黙祷に続きあいさつした長友会長は、県連副会長をつとめるなど「いろいろな経験ができた」と自身の任期を振り返る一方、公約だった「会館建設」と「会員倍増」の二つを実現できなかったことを残念がった。また、会館建設問題の担当理事で昨年二月に急逝した桑畑良平氏に哀悼の意を表した。昨年八月には母県を訪れ、今年の六十周年式典へ知事ら関係者の来伯を要望した長友氏。会の規定により二期四年の今期で勇退するにあたり、「会の活性化を考えないと県人会の将来は暗いと思う」と述べ、「今後も努力してほしい」と言葉を送った。同会では昨年、農業研修生受け入れなど恒例行事のほか、顧問の黒木政助さんが外務大臣賞を受賞。現在、六十周年にむけて県人移住者、県系人の実態調査や「宮崎県南米移住史」のポ語訳などを進めている。六十周年準備委員会の委員長は、吉加江ネルソン顧問。収入は約十四万四千レアル、支出約十一万レアルで差引き残高は約三万四千レ。婦人・青年部の報告とあわせ拍手で承認された。〇九年度予算は十万五千レ。役員改選では、選挙管理委員会から出席者に三十二人の理事候補氏名が掲載された用紙が配られ、得票の多い順に二十人の理事を選出。新理事の話し合いで黒木慧さんが新会長に選ばれた。サンロッケ在住の黒木さんは、一次一回のコチア青年。就任にあたり、長友前会長の功績に謝意を表すとともに、「自分に何ができるか心配なところはあるが、六十周年に向け準備委員会が頑張っており、私も褌を引き締めている状態」とあいさつ。「皆さんの協力がなければ県人会の活動はできません。よろしくお願いします」と決意を表した。総会後は新年会が開かれ、黒木顧問の発声で乾杯。食事を囲み一同懇談した。 他の役員は次の通り。(敬称略)【副会長】第一=竹下達也、第二=高橋久子、【会計】第一=大浦洋人、【書記】=山田仁、高橋久子。第二会計は次回役員会で決定する予定。改選にともない長友前会長は名誉会長となる。宮崎県人会の会員は現在約四百五十家族。スザノ、モジ、アチバイア、イビウナ、ピエダーデ、ベレン、ポルト・アレグレに支部がある。
