06/03/2026

Ano: 2009

ニッケイ新聞 2009年11月27日付け ブラジル福島県人会(小島友四郎会長)は2010年度県費留学生を募集している。定員は中南米から2人。福島県人の子弟で、年齢30歳くらいまでの人が対象となる。希望者は12月10日までに県人会事務所(R. da Gloria, 721、電話=11・3208・8499)へ申し込む。問い合わせは同事務所まで。
ニッケイ新聞 2009年11月27日付け 大阪なにわ会(下平尾哲男会長)は12月6日午前9時から同会館(Rua Domingos de Morais, 1581, Vila Mariana)で第64回慈善バザーを催す。午後5時頃まで。年に3回開かれる恒例の同バザーは、婦人部による寿司、なにわうどん、天ぷら、お汁粉、おはぎなどの料理が毎回好評。また、婦人部の手芸品ほか、バザリスタが各種商品を販売する。案内に来社した久保美恵子・婦人部部長、役員の松原信子さん、桑原妙子さんは、「少しでも県人会を支えたいという思いで頑張っています」と話し、多くの来場を呼びかけた。問合わせは同会(11・5549・7226)。
ブラジル北海道協会青年部ひぐま会(藤田エリオ会長)主催の『第18回北海道もち祭り』が、29日午前11時から午後3時まで、同協会会館(聖市ビラ・マリアーナ区ジョアキン・タボラ街605番)で行われる。 今年も毎年恒例となっている持ち帰り用の白餅を用意しているほか、会場では雑煮、汁粉など様々な味付けのもち料理も取り揃えている。白餅は500グラムで8レアルとなっている。 また、アトラクションでは、1980、90、2000年代のJポップなどを歌う『バンダ・デアイ』のショーや、よさこいソーラングループ『イッシン』のショーが披露される。 藤田会長は、「家族連れ、友だち同士、老若男女、誰もが楽しめるイベントです。カレンダーの 月 日にマークを付けることを忘れないでください」と来場を呼び掛けている。 問い合わせは、同協会事務局のウスイさん(電話11・5084・6422)まで。 写真:29日に開催される、もち祭りのポスター 2009年11月25日付
更なる日伯友好親善への貢献を 在伯長野県人会(北沢重喜会長)の創立50周年記念式典が、22日午前 時から聖市ビラ・マリアーナ区の北海道協会会館で開催され、サンパウロをはじめ、アルゼンチン、南マット・グロッソ、アリアンサ、リオ、アチバイア、レジストロなど遠方支部会員を含めた約400人が参加した。母県から村井仁県知事、望月雄内県議会議長ら11人の慶祝訪問団も来伯して出席し、半世紀の節目の年を祝った。 長野県人会は、1930年頃に前身の「信友会」から始まり、県人会として正式に発足したのは59年11月。文協会長などを歴任した宮坂国人氏が初代会長として就任した。 この日の記念式典では、先没者への黙祷、軍警軍楽隊による日伯両国歌斉唱、県歌「信濃の国」斉唱に続いて、北沢会長が挨拶。母県からの慶祝団の式典出席と先人の努力により現在の県人会活動が行えることに感謝の意を示し、近年の国際的な経済状況の悪化の中、「長野県人会は今までの母県のご恩義に報いるべく思いを同じくし、互いに無駄を省き、協力していきたい」と述べた。 村井県知事は祝辞の中で、日本移民が文化、風土の異なる地で苦労しながらも今日の発展を遂げたことに敬意を表した上で、伯国航空機メーカーのエンブラエルについて言及。日本航空が、今年2月から国内線として同社航空機を導入していることに触れ、近い将来、同機が信州の空を飛ぶことを期待するとともに、BRICsの一員としてのブラジルの経済発展を評価。「長野県人の誇りを胸に、ブラジルの発展、日伯の友好親善のために更なるご貢献をいただきたい」との願いを込めた。 引き続き、望月県議会議長、小坂樫男市長会会長(伊那市長)、藤原忠彦町村会会長(南佐久川上村長)、大部一秋在サンパウロ総領事、西本エリオ聖州議員、羽藤ジョージ聖市議、山下譲二文協副会長がそれぞれ祝辞を述べた。 祝電披露に続き、松村昌和氏(88)、菅沼久人氏(83)、上原久司氏(83)、北沢会長(79)、畑俊雄氏(77)、新井均氏(74)6人とアチバイア支部(寺田三千男支部長)に功労者表彰として賞状と記念品が授与。また、松村氏をはじめとする4人とアチバイア支部への県人会特別表彰と、高齢者179人への高齢者表彰(80歳以上)も行われ、畑氏(サンパウロ)、上原氏(グァタパラ)、松村氏(レジストロ)がそれぞれ謝辞を述べた。 また、聖市議会から県側と長野県人会に対して記念プレートが手渡され、97年度技術研修生の代田睦美さんが、母県に対する感謝の言葉を贈った。 創立40周年の際に、「長野県童謡唱歌を歌う会」から贈られた「ブラジルの大地に生きて」を合唱、矢崎逸郎副会長による万歳三唱により、式典は閉会した。 記念のケーキカット、石井賢治元会長による乾杯の音頭により祝賀会となり、午後からは記念アトラクションとして、日本舞踊や洋舞・ダンス、能楽のほか、県人会青年部による「松本ぼんぼん」も披露。飛び入り参加も続出し、踊りの輪が広がった。締めくくりはサンバショーが行われ、県人会員も一緒になって楽しんだ。 南マットグロッソ州ノーバ・アンドラジーナ在住の代田正二さん(84)は50年の節目の年について、「これからも県とのつながりを、さらに良くしていきたいです」と、意気込みを示していた。 工業移民として長らくサンベルナルド・ド・カンポに住み、定年退職後に聖市ビラ・マリアーナ区に転住したという熊井中治さん(69)は、邦子夫人(65)とともに出席。「25周年の時以来、式典には来ていませんでしたが、今回は会場が近くて良かった」と楽しんだ様子。 アルゼンチン長野県人会の会長代理としてブエノス・アイレスから出席した木田威彦(たけひこ)さん(66)は、グァタパラ移住地に住む親戚の上原久司さんと会えたことを喜ぶ。「私の母親と上原さんの亡くなった奥さんが従姉妹同士で、個人的に会いたいと思っていましたが、念願がかないました」と充実した表情を見せていた。 写真:創立50周年式典で挨拶する北沢会長 2009年11月24日付
研修生枠の増員を要請 長野県人会館で懇談会 21日 長野県人会(北沢重喜会長)創立50周年記念式典を前日に控えた21日午前10時から、聖市リベルダーデ区にある同県人会館で村井仁県知事、望月雄内県議会議長をはじめとする母県からの慶祝団一行との歓迎懇談会が行われ、県人会員ら約50人が出席した。 懇談会では、北沢会長、村井県知事らの挨拶に引き続き、母県への要望事項や今後の県人会のあり方など、率直な意見交換が行われた。 リオ支部長の鹿田明義氏は(1)県での研修生枠の増加(2)長野県名物「そば打ち」講習会のブラジルでの実施(3)サッカー研修など県からブラジルへの若い人材の派遣、の3点を要望した。 また、県人会員側から現在の会館が土曜日、日曜日が閉まって使用できない現状が説明され、「今後の会館づくりへの知恵を貸していただきたい」との意見も出された。 さらに、矢崎逸郎副会長は、県人会活性化を目的にした若い人々の交流と相互の情報交換の必要性を強調。「県側でのホームステイで結構ですので、県人子弟を積極的に受け入れてほしい」と陳情した。 引き続き、歴代県費留学生・技術研修生OBたちが自己紹介と、県で世話になったことへの謝辞をそれぞれが述べ、現在、年間1人だけにとどまっている技術研修生枠の増員を希望した。 これらの意見について村井県知事は、日本がデフレ宣言を行い、県として経済的に苦しい状況であることを説明。反対にブラジル経済が明るい兆しにあることを示した上で、県人会に対して自助努力の方向性を示唆した。 写真:長野県人会員との懇談会で挨拶する村井県知事(奥側中央) 2009年11月24日付
和歌山県・仁坂吉伸県知事主催の観光意見交換会が、7日午後7時から聖市内ホテルで開かれ、日系旅行社関係者ら約30人が出席した。同会は、和歌山県人会連合会(木原好規会長)創立 周年記念式典出席のため来伯した仁坂県知事が、和歌山の観光資源を広く知ってもらうことを目的に開催したもの。 意見交換会では、仁坂県知事が 分にわたって和歌山の魅力をプロジェクタを用いて視覚的に紹介。「京都、奈良にお越しの際に、ぜひ和歌山にも足を運んでいただきたい」と呼びかけた。 説明によると、和歌山県へのアクセスは大阪から電車で1時間、関西空港から車で約30分で行くことができる。 日本全国で空港から2番目に近い「白浜温泉」をはじめ、04年に世界遺産に登録された「高野山・熊野古道」など巡礼の旅も魅力で、現在各種シンポジウムや世界遺産をめぐる活動も実施されているという。 串本の珊瑚(さんご)礁、白浜アドベンチャー・ワールドのパンダなどにも人気があるほか、「ヒット商品」(仁坂県知事)である林業、ホエール(鯨)ウオッチングや藍染作業など300種以上ある体験ツアー「ほんまもん体験」には、これまでに約30万人が参加している。 また、「果物王国」として、みかん、柿、梅、八朔(はっさく)の生産量はすべて全国1位を誇る。さらに、アオマグロの水揚げやクエの養殖も行っているほか、梅干の漬け汁を利用した「梅鶏」や「梅たまご」、高菜で巻いた「めはり寿司」なども名物料理として扱っている。 仁坂県知事は締めくくりとして、「ブラジルの日系の方々が訪日される時に、ぜひ和歌山のことを勧めていただき、旅行プランに加えていただきたい」と述べ、日系旅行関係者にアピールしていた。 写真:和歌山の魅力をアピールした仁坂県知事 2009年11月20日付
男性優勝は77杯の森田さん 女性部門中村さんが2連覇 岩手県人会(千田曠曉会長)は15日午前11時から、同県人会会館で『第3回わんこそば食べ放題』を行った。雷雨などの悪天候で客足が心配される中、150人が来場。すっかり定着した岩手名物を味わっていた。 「いわてまつり」の幟(のぼり)が飾られた会場に足を踏み入れると、手馴れた手つきでそばを茹で上げる婦人部や、人気の餃子を忙しく焼いている会員らの姿が。ざるに盛られたわんこそば、餃子、薬味や漬物を添えたセットメニューが調理場から次から次へと運ばれていた。 司会の千田会長は、ホームビデオ片手に郷土料理の紹介。映像は、NHK盛岡支局放送の番組内で紹介されるとあって、マイクとカメラの二役に自然と力が入ってしまう様子だった。 食堂で目を引いたのが、非日系人客の多さ。家族や友人と連れ立って、そばという純日本食に見事な箸捌きで舌鼓を打ち、会話を楽しんでいた。同会館の太鼓グループに所属して6年になるリカイン・ハッサン・アランさん(22)は、「そば、おいしい」と、嬉しそうに箸を進めていた。 午後1時からは、ステージ上に設置された特設会場で、3分間で何杯食べられるかを競う、『わんこそば大会』も実施された。競技開始に先立ち千田会長が、岩手県盛岡市で開催されている「全日本わんこそば選手権」の歴代優勝記録を公表。 10分間で399杯を食べた 代女性の記録が紹介されると、場内からはどよめきが起こった。その様子を見た千田会長は、「ゆっくり食べてもいいんじゃないですか」と語り、参加者らを笑わせていた。 8人が参加した男性部門は、森田泰人さん(31、2世)が、用意された77杯を完食しての優勝。「つぎ手の人が積極的に麺を入れてくるので、息ができなかった」と、苦笑しながらも連携力での勝利について喜びを語っていた。 女性部門で苦戦を強いられたのは前回大会の覇者、中村瞳さん(29、鹿児島県出身)。 杯をたいらげ優勝したものの、手持ちの椀に溜まったつゆを切る動作にもたつき、僅か3杯差での連覇達成となった。 2分間で行われた子ども部門を制したのは、井上公裕さん(13、新潟県出身)。父親の仕事の都合で1月に帰国する公裕さんは、「良い思い出ができた」と、28杯の記録に満足の表情を見せていた。 千田会長は、「ブラジルで郷土の紹介をしている様子を見て、今後の交流促進につながれば」と、日本で放送されることについて期待を込めながらも、競技者が客から遠かったことや、つぎ手が前に立ち、顔が隠れてしまったこと等を反省点に挙げ、「次は改善して」と、早くも次回開催に目を向けていた。 写真:熱戦が繰り広げられた男性部門 2009年11月20日付
アリアンサ移住地創設80周年記念家族写真集「写真アリアンサ2008―サンパウロ州奥地のある日系移住地と日系家族の肖像」(アリアンサ日伯文化体育協会発行=山崎静明会長、143ページ、日ポ両語、40レアル)が、このほど完成した。 1924年に長野県の信濃海外協会が中心となって建設された第一アリアンサ移住地を始まりとし、26年に長野・鳥取県による第二アリアンサ移住地、1927年に長野・富山県による第三アリアンサ移住地、35年には第一アリアンサ内に弓場共同体が創設され、入植当時には全体で1千家族が住んでいたとされる。 同文協は創設80周年を記念して、編纂委員会を発足。日本語版とポルトガル語版、日系人家族写真集から成る記念史を企画し編集作業を進めている中で、別に同写真集が発刊されることとなった。 現地に住む150家族の写真と名前、出身地が記録されているほか、移住地の歴史、産業などがまとめられている。 「移ろいやすい人の世にあって、本写真集が将来、移住地の過去の姿を偲ぶよすがとなれば幸いである」と編集後記に記されている。 購入希望者は山崎会長(18・3708・1228)まで。
JICA中部と三重県は今年度から始まった「現職教員特別参加制度(青年海外協力隊及び日系社会青年ボランティア)」の事前調査と、同県が推し進める「多文化共生、帰国子女受け入れ」、さらに「同県への日本語教師の受け入れ」調査のため、関係者が昨月12日から20日まで滞伯した。 一行は現職教員が派遣されている学校や州立校などを見学し、聖州教育局と協議をした。 滞在期間中の17日、JICA中部・市民参加協力課の矢部優慈郎課長、JICAブラジル事務所サンパウロ支所の東万梨花ボランティア調査員、三重県生活・文化部国際室の楠木優室長、同県教育委員会事務局・小中学校教育室の黒川一秀指導主事、さらに聖州教育局の日野寛幸さんらが説明のため、本紙を訪れた。 同県には現在、約5万3千人の外国人が登録され、そのうち2万人以上がブラジル人。鈴鹿市や四日市市など7市町村では特に外国人登録者が多く、生徒の5割以上が外国人という小学校も多い。 黒川主事によれば「外国人がクラスに半分もいれば、授業は先生一人ではできない」と現状をこぼす。 「日本の状況は悲惨。親が工場で働いている家庭では、(将来子どもが工場で働くなら)勉強しなくていい」と考えているという。 黒川主事は「子ども達は、会話が出来るからといって学力がついたとは限らない。学力と会話の日本語は全く違う」と続け、将来の夢への実現に結び付けるには、学習言語の獲得が必要、と力を込める。 初期の日本語や生活習慣を教える国際教室や、プレ・スクールは各市町村が独自に取り組んでいる。 しかし、昨年からの経済不況で帰国した家族も含め、月謝の高いブラジル学校から公立校に転校してくる子ども達もおり、彼らの動きは把握されていないのが現状だ。 また、楠木室長によると同県ではポ語でホームページを立ち上げたり、雇用の情報やフォークリフトや起業の手続きなど実用的な内容をアドバイスしたり、新型インフルエンザの情報などを流したりしているという。 一方、同県と姉妹都市提携をしているサンパウロ州も日系子弟の問題には協力姿勢を見せる。 日野さんは「我々ブラジル人の子弟を預かってもらっている。是非力になりたい。日語しか話せない子どもなど、日伯双方で問題を解決するため、お互いにどのような学習をしているか、情報交換しながら作戦を考えていきたい」と意気込みを見せた。 楠木室長は「やらざるを得ない。国を待っていたら後手後手になってしまう」と語り、矢部課長は「この制度を利用すれば語学も学ぶことができ、是非ポ語を覚えて帰って欲しい。教員自らも学ぶ機会」と話した。
ニッケイ新聞 2009年11月25日付け ブラジル北海道協会青年部ひぐま会(藤田エリオ会長)主催の「第18回北海道もち祭り」が29日午前11時から午後3時まで、同協会会館(R. Joaquim Tavora, 605, Vila Mariana)で行われる。今年も毎年恒例となっている持ち帰り用の白餅を用意するほか、会場では雑煮、汁粉など様々なもち料理も取り揃えている。白餅は500グラムで8レアル。また、アトラクションでは、80~00年代のJポップなどを歌う「バンダ・デアイ」のショーやYOSAKOIソーラングループ「イッシン」のショーが披露される。藤田会長は、「家族連れ、友だち同士、老若男女、誰もが楽しめるイベントです」と来場を呼びかけている。問い合わせは、同協会事務局のウスイさん(電話11・5084・6422)まで。
ニッケイ新聞 2009年11月25日付け 兵庫県産海苔をブラジルに―。農林水産省は「平成21年度農林水産物等輸出ステップアップ推進委託事業」で、来年度から、兵庫県漁業協同組合連合会を通した県産海苔をブラジルに輸出する方針をほぼ固めた。加熱する寿司ブームに後押しされる形で、日本料理に使用する良質の海苔を提供する。 この事業の調査のため、「三菱総合研究所」の中野正也主席研究員、斎藤美穂子研究員、同連合会の高瀬博文・のり海藻事業本部長兼のり研究所長が市場調査のため、このほど来伯した。聖市、パラナ州クリチーバ市で日本食料品店、日本食レストラン、ブラジルのスーパーを視察、海苔の需要の程度などを調査した。「伯国市場で出回っているのは韓国産、中国産のものが多い」と話す中野、斉藤両研究員は、「日本の海苔は味も香りも違う。パリパリと歯ごたえがあり、良質で全く別物」とその違いに強調、「本家日本の海苔を輸出する価値は大きい」と話す。兵庫県は全国で1、2位を争う海苔の産地。神戸市から赤穂、家島群島、淡路島の一帯で生産され、約17億枚(全国生産量の17%)の生産力があるとされる。高瀬所長も、「兵庫の海苔は色とつやが良い」と自信を見せる。しかし、輸入の関税などから、日本での価格の2~3倍の価格設定になるという懸念もあり、今後検討が重ねられる予定だ。来年2月に行われる再調査では、試食会も企画される。来社した兵庫県人会の尾西貞夫会長は、「来年に県連主催のフェスティバル・ジャポンで海苔を使ったオニギリを売りたい」と笑顔を見せ、母県自慢の味のブラジル普及に期待を寄せていた。
SP日系社会を表敬訪問 國方公使が初来聖 9月4日に在ブラジル日本大使館に着任した國方(くにかた)俊男公使(57、広島県出身)が、初めての出張として15日夜から来聖。日系各団体への挨拶を行うとともに、17日本紙に来社した。 國方公使は、東京大学法学部法学科を卒業し、1976年に外務省入省。ドイツ語が専門で、これまでに北米ロサンゼルス、ドイツ・デュッセルドルフ、ハワイ・ホノルルなどを経て、今回ブラジルでの勤務は初めてとなる。 前任地のホノルルやロサンゼルスでも地元日系人との付き合いがあったことから國方公使は、「日系の方々が苦労されながら、それぞれの地で生活を立ち上げてきたことは北米でも南米でも一緒で、改めて敬意を感じている」との気持ちを表した。 現在、「ポルトガル語を勉強中」(國方公使)で、ブラジルについて「気候が素晴らしく、空が東京やハワイに比べて高くて広い」との印象を示した。また、「野菜と果物が新鮮で美味しく、幼少の頃に食べた野菜の味がする」とブラジルの魅力を話した。 今後の抱負については「与えられたポストでベストを尽くすことが私の信条。日伯関係のためになる良いことを積極的に見つけていき、何でもやっていきたい」と意欲を見せ、まずは全伯にある日本政府公館を回り、「現場を見ていく」という。 また、来年大統領選を控えたブラジルの政治について「民主主義に根付いていて、ダイナミズムを感じる」と述べた上で、日本からの出稼ぎ帰伯者問題については、日本経済の好転とともに再び戻るとの考えを示し、日本での残留者へは日本語教育など適応策の必要性を説いた。 写真:来社した國方公使 2009年11月19日付
旅順丸移民 来年六月で100周年 節目の年に向け日本庭園を整備 福岡県人子弟 矢野さんが集い呼びかけ 第2回移民船「旅順丸」が、1910年6月28日にサントス港に到着して、来年で100年の節目の年を迎える。聖市ビラ・レオポルジーナ区にある仕出しレストラン「ブッフェ・ヤノ」を営む矢野春子さん(72、3世)は、「旅順丸」移民として渡伯した祖父・矢野彦次郎さん(故人)への思いを胸に、6年ほど前から同区にほど近い公園内の清掃と、同園にある日本庭園の整備を行っている。来年6月には改築工事を完成させ、同船に縁のある人々に集まってもらっての開園式を行う考えだ。 歴史資料などによると「旅順丸」は、日本郵船が明治時代後期に輸入した貨客船で、第2回日本移民の送り出しは竹村殖民商館が実施した。移民906人と自由渡航者3人を合わせた909人が、1910年5月4日に神戸港を出港、同6月28日サントス港に到着している。 春子さんの祖父に当たる彦次郎さん(70年代初頭に86歳で死去)は、福岡県の良家の出で、13歳の時に実家で調教していた競馬用の馬に蹴られて片目を失い、その時からガラスの義眼をはめていたという。 矢野家は隆盛を誇ったが、諸事情で一時的に財産を失い、移民としてブラジルに渡ることになった。彦次郎さんは最初、聖州バウルーに入植し、プレジデンテ・プルデンテ、パラナ州ロンドリーナなどを経て、 年代頃にサンパウロに出てきている。 生前の彦次郎さんを知る春子さんは、「厳しい人でしたが、とてもきれい好きでね。家の中でも朝からネクタイを締めて、指にはダイヤやルビーの指輪をはめていたりと、派手な方でした」と振り返る。 春子さんは、来年2010年が「旅順丸」移民が渡伯して100年の節目の年になることに先立って、03年頃からアルト・ダ・ラッパ区にある市立クラブ「クルービ・ペレゾン」内の公園清掃作業に取り組んできた。その頃、戦後移住者協会関係者が同公園内で桜やイッペーの苗木など約600本を植樹しており、公園の美化運動に協力もしている。 当初は、春子さんが1人で清掃を行い、私費を投じて4人の労働者を雇うなどしてきたが、昨年 月からは同区役所が援助し、3人の労働者を清掃作業に当てているという。さらに、地元住民が個人で資金協力を行うなど、美化運動の輪は年々広がりつつある。 「掃除を始めた頃は、草が自分の頭の高さぐらいに、ぼうぼうに生えていました」と春子さん。家族の話では、春子さんが掃除を継続してからは、園内に居た浮浪者や麻薬中毒者なども姿を消し、今では春子さんが毎日、こつこつと植えてきた花々が咲き、地元住民が散歩をするなど憩いの場として利用されている。 園内には30年ほど前に建立された日本庭園があるが、管理していた地元の日本人たちが高齢化し、荒れ放題の状態になっていた。 見かねた春子さんは、公園全体の清掃とともに日本庭園の整備も考慮し、来年の6月までに完成させたい考えを示している。 春子さんは、「旅順丸の子孫もまだたくさん居ると思います。来年の100周年のお祝いを開くことによって、今後も(旅順丸関係者が)集まるきっかけになれば」と話し、来年6月に予定されている同公園内での記念の集いへの出席を呼びかけたい考えだ。 詳細に関する問い合わせは、春子さん(ブッフェ・ヤノ内、電話11・3833・9317)まで。 写真:整備が行われつつある日本庭園...
高知県人会(高橋一水会長)は、22日午前9時から、同県人会会館(聖市ピニェイロス区ミラニャス街196番)で「郷土料理講習会」、正午からは「土佐市出身者親睦会」を行う。 高知の郷土料理のほかにも一般メニュー3品ほどのレシピを伝授する。講習会、親睦会ともに、会員以外の一般参加可。「誘い合わせてどうぞ」と多数の参加を呼びかけている。会費は1人40レアル。詳細・申し込みは事務局(電話11・3031・6799)まで。 2009年11月19日付
9月21日に出発した第37回パラナ友好経済使節団23人全員が10月中頃に無事戻り、上野アントニオ義雄団長が報告書を書き上げ来社した。 加藤テルオ州議夫妻、パラナ州水道局のステニオ・ジャコブ局長、ロンドリーナ市のバルボーザ・ネット市長、パラナ日伯文化連合会の丹フランシスコ多喜男会長らそうそうたるメンバーが今回も参加した。 9月24日には東宮御所にて、皇太子殿下にご接見たまわった。上野団長は「一人一人に声をかけられ、親しく話をさせてもらい、団員一同深い感銘をうけました」と振り返る。「皇太子殿下はことのほかブラジルがお好きであられ、日系コロニアの躍進振りにお喜びになっておられる様子でした」とし、30分の予定が40分を過ぎたほどだったという。 翌25日はJICAの蔵元文吉中南米部長らと懇談し、ジャコブ水道局長とネット市長は同州の水源地保護プロジェクトへの協力を求めた。 京都、富士山見物のあと創価大学、29日には神戸に日伯協会の西村正理事長を訪ねた。30日には姫路市に石見利勝市長を、西宮市にも山田知(さとる)市長を表敬訪問した。 10月1日には加古川市に樽本庄一市長を表敬訪問し、神戸商工会議所にも訪れた。夜は兵庫県庁公館において、井戸敏三知事を表敬し、2010年には兵庫県パラナ州姉妹州県提携40周年を迎えるので、7月頃にブラジル兵庫県人会創立50周年、パラナ州同40周年式典に出席したいとの意向を示したという。 上野団長は、「大阪万博が開催された1970年、亡き金井元彦知事とパウロ・ピメンテル・パラナ知事代理として私が署名した。以来、緊密な関係が維持されてきた。あれから40年とは月日がたつのは本当に早い」と述懐した。 この使節団は第1回から上野氏が団長を務めており、今回を最後にし、後進に譲りたいとの希望を語った。
ニッケイ新聞 2009年11月20日付け ブラジル岩手県人会(千田曠曉会長)は、大会「第3回わんこそば食べ放題」を15日、同県人会館で開き、約150人が参加した。同大会は、男子の部2回、女子の部、子供の部の4回に分けて行われ、14人が出場。「はいドンドン」という威勢のいい掛け声に合わせ、勢いよくそばを啜った。今回の制限時間は、前回の2分から3分に。一回目の男子の部では、駐在員の松井一(43)さんが71杯で優勝。通りがかり出場したという松井さん、「まだ食べられます」と大会後も余裕の表情だ。女子の部は、63杯を食し優勝した鹿児島実習生の中村瞳さん(29)が念願の二連覇。中村さんのお椀にそばをついだ青年部の田中エレーナさんは、「いい食べっぷりですね。おいしそうに食べるのでつぎ甲斐があります」と語る。中村さんは、「日本で岩手に行く機会にまた挑戦したい」と喜びを噛み締めた。子供の部は2分間で行われ、前回優勝者の中北ケイイチくんを含め3人が出場。接戦の末、中北くんは25杯で2位に、初出場の井上公裕くん(13、新潟)が28杯で優勝した。「飲み込みずらかったけど、がんばった」と健闘した。男子の部2回目では、以前力士だったという森田康人さん(31、二世)が、77杯という記録を打ち出し優勝に。森田さんは「つぐ人が積極的だった」と笑い、「次は、100杯食べて優勝します」と力強くコメント。72杯で2位についたのは「おいしかった」と話す非日系のアラン・ハッサンさん(22)。器用な箸使いで会場を沸かせた。その様子を日本に伝えようとビデオカメラを回す千田会長も「若い人もがんばって、盛り上がっています」と満足そうな笑顔を見せていた。散歩の途中で立ち寄ったというアパレッシーダ・パウリーニ(55)さんも、「初めて食べたが、味が自然で気に入った」と話していた。
ニッケイ新聞 2009年11月20日付け ブラジル秋田県人会(小松雹玄会長)は21、22日午前10時から午後6時まで同県人会館(Av. Lins de Vasconcelos, 3390, Vila Mariana)で「第3回手工芸品バザー」を開催する。陶器、アクセサリー、刺繍、ハンドバッグ、和紙絵、折紙、切紙などを15のバザリスタが出品する。やきそば、パステル、ケーキなどの食べ物、飲み物も準備される。そのほかワラビの酢付けも販売。案内に訪れた小松会長、米谷ヨシ子婦人部長、和紙絵を教える大久保ルイザさんは、「太く、柔らかくておいしいです」と話し、「工芸品は全部手作り。お気に入りの品を探しに来て下さい」と来場を呼びかけた。問い合わせは、同県人会(電話=11・5573・4107)まで。
ニッケイ新聞 2009年11月18日付け ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)は8月8、9日に母県で開催された「第45回鳥取しゃんしゃん祭」に参加するため、鳥取しゃんしゃん傘踊りグループ11人からなる訪日団(本橋幹久団長)を派遣した。移民100周年の08年には県人会創立55周年も重なり、平井伸治県知事や竹内功鳥取市長ら慶祝団50人が来伯。今回は45回目の同祭を記念し、鳥取市が同県人会を招待したもの。一行は8月3日から13日の日程で祭りに参加したほか、市長や市議会、県知事などを表敬訪問したり、日本舞踊や茶道などの充実した日程をこなした。鳥取市から訪問団一行が母県を訪問した時の様子や、踊りの場面が撮影されたDVDが同県人会に届いたため、お披露目も兼ねて10月16日、聖市内の同会館で報告会が行われた。報告会には訪日した一行を含む傘踊りグループ32人のほか、ブラジルの地に傘踊りを根付かせた西谷博さん(90)・千津子さん(84)夫妻も参加し、モニターに映し出される、母県で舞われた踊りの様子や、参加者たちの嬉しそうな感想に耳を傾けていた。最初に本橋会長は挨拶の中で、現在伯国内では日系社会以外でもいろいろな所で披露され、活発に活動している旨を説明し、「傘があっても指導する人がいないとできない。西谷夫妻のお陰です」と謝意を表し、「お陰様で昨年は皇太子さまや県知事、市長の前で披露できました」と述べた。続いて京野マリ良枝副団長から、傘踊りを通して日伯友好に尽力した西谷夫妻に日本移民百周年記念協会からの感謝状が手渡された。続いて本橋会長の解説のもとDVD上映に移った。一行はしゃんしゃん祭で3800人が踊った一斉踊りに「ブラジル連」として参加。通常、傘の上に紙で作った白い飾りをつけるが、訪日団は特別に黄と緑を付けてブラジルを表現、熱気あふれる踊りを披露した。さらに県と県人会が毎年交互に2人ずつ派遣する、中堅リーダー交流会の制度を利用して来伯経験のある若者も「ブラジル連」に参加、共に舞った。参加者の一人は「日本人の祭りの醍醐味を感じた」という。その他一行は、鳥取市にある仁風閣に市長、市議会長を表敬訪問し、大変な歓待を受けた。参加者の美甘好重さん(63、二世)は傘踊りを始めて3年、「西谷さんのお陰で日本まで行けて夢のようだった。大変な歓迎を受け感激した」と感想をのべ、「(しゃんしゃん祭で)3時間も踊れるかなと思ったが、踊りだしたら『もう終わったの?』と思うほど。良い思い出になった」と笑顔で応えた。また1977年に県費留学生として鳥取大学に在学した塩見輝子さん(65、二世)は「鳥取は広く綺麗になっていた。変わっていないのは県人の優しさ。留学もさせてもらい、再び訪れる事ができ嬉しい」と感想を述べた。じっと報告を聞いていた西谷さんは「みなさんが傘踊りで交流し、鳥取県を好きになってくれたのが一番嬉しい」と喜びの笑顔を見せた。 ◎   ◎ 傘踊りはもともとは雨乞いの踊り。同県因幡地方の男性が踊り始めたのがきっかけで、この〝因幡の傘踊り〟を戦後、アレンジしたものが県内に普及した。ブラジルでは82年、鳥取県の農業研修生が来伯した時、初めてブラジルで傘踊りが舞われた。当時の県人会長、西谷さん夫妻が見よう見まねで傘を回し始めた。98年には日本移民90周年を記念して、母県から500本の傘が寄贈された。移民100周年では平井県知事や竹内功市長らも式典で踊りを披露した。現在では毎週金曜日に県人会館、他にサンミゲルやサントアンドレーなどでも練習をしている。
SP管内、世界最多の26人が受賞 日本政府が実施する二〇〇九年度百歳高齢者表彰状伝達式が、十二日午後三時より聖市モルンビー区にある在サンパウロ日本国総領事公邸で行なわれた。今年度の在サンパウロ総領事館管内の表彰対象者は二十六人で、そのうち八人が本人出席。さらに家族などの代理人八人も式場に足を運び、大部一秋総領事から祝状及び記念品が贈呈された。 全国16公館で65人が対象 今年度の在外公館の百歳表彰者は十六在外公館で合計六十五人。そのうち在サンパウロ管内が半数に近い二十六人を占めたほか、在クリチバ管内が七人、在リオ管内が二人、在ベレン管内、在マナウス管内、在レシフェ管内がそれぞれ一人だった。また、山下譲二文協副会長、森口忠義イナシオ援協会長、与儀昭雄県連会長、重岡康人老ク連会長らが来賓として列席した。 挨拶に立った大部総領事は、当日十二日が日本国内で天皇陛下即位二十周年式典が行なわれているめでたい日であることについて触れ、さらに「ブラジルに移住して言葉や習慣、文化など異なる環境のもとで並々ならぬ苦労と努力をされてきた皆さんが、この日を迎えられたことを本当に嬉しく思います」と祝辞を述べた。 続いて表彰者全員の名前が読み上げられ、出席した表彰者に対して大部総領事から祝状と記念品が手渡された。与儀県連会長が表彰者全員の長寿を祝して乾杯の音頭を取った後、表彰者及び家族と総領事夫妻、来賓各氏らによる記念撮影が行なわれた。会場を隣部屋に移しての懇談会では、用意された刺身や寿司などを食べながら表彰者同士がお互いのさらなる健康を誓い合う場面も見られた。 聖市在住の平井志づこさん(山梨県出身)は、一九三七年にブエノスアイレス丸に乗って三人の子供と夫、弟とともに来伯。パラグアス市、マリーリア市で綿や米を作っていたが、言葉が通じずに苦労したため、夜に家族が寝てからランプをつけてポルトガル語を学んだ経験を持つ。五四年に聖市に移り住み、バールと倉庫を経営。生活が落ち着いた現在は、友人に会うことが一番の楽しみとなっている。長年会っていなかった友人に会うと、嬉しさのあまり自然と涙が流れてくるという。 一九二六年に呼び寄せ移民としてサントスの地を踏んだ花城淑子さん(沖縄県出身)は九人の子供を抱える大家族で、日本語学校の教師を務める夫を支えながらバナナ園の経営を行なった。その後ホテル経営など多角的な分野で成功を収めた経緯を経て聖市に移住。趣味の沖縄民謡は今でも欠かさず続けていると語り、懇談会場でも見事な歌声を披露してくれた。豚肉、大根、ごぼう、昆布を煮込んで作るスープが好物で、昆布などの栄養が長寿の秘訣だと笑顔を見せながら教えてくれた。 同じく沖縄県出身の安里幸永さんは昨年のブラジル移民百周年の際に、自ら作詞を行なって『移民百年の歩み』という曲を完成させ、当時の様々な思いを歌に乗せた。期待を胸に神戸港からサントス丸に乗って出帆したこと、移住後は苦難の連続だったが耐え忍んで耕地開拓により移民村を築き上げたこと、ノロエステの上塚第二植民地でコーヒー豆生産を行なっていたときの収穫の喜びなどが、鮮やかな情景として浮かび上がってくる歌詞になっている。安里さんは移民百年への万感の意を込めて「ここに幸あり希望あり、楽土ブラジル平和郷――」と同曲の最後を締めくくっている。 写真:表彰者8人と総領事夫妻、来賓各氏による記念撮影
麻生太郎政権が交代したのは9月半ば。私が会長を務める伯日議員連盟が真っ先に懸念したのは、麻生前総理のもとで社会経済、文化の面で良好に維持され、強化されてきた日伯関係である。 麻生氏は日伯議員連盟の会長であり、また若い頃からこの国にとても友好的な人物として知られている。この退任で、私たちの心配は、「これからどうなる?」ということだった。 東京での第50回海外日系人大会の招待状を受け取ったのは、鳩山由紀夫政権が誕生したのと同じ頃。日本の権力者と会って、麻生氏によって始められた日伯プロジェクトが新政権によって中断されないことを確認するために、絶好の機会だった。 10月11日に公式使節として渡日し、4日間の過密スケジュールをこなした。始めの2日間は天皇皇后両陛下がご出席のもとで大会に参加し、日伯議員連盟との会合も行われた。 同連盟の事務局長を務める藤村修衆議院議員は、30回以上も渡伯経験があり、若者の文化交流の推進者であり、また日伯の政治関係の重要な掛け橋となる人物だ。この会合で、私は安心した。 藤村議員の情報によれば、鳩山総理はブラジルに対して興味と理解を示しているという。となると、前政権と同じレベルでの交流を期待できるだろう。新幹部になったが、見通しは明るい。 高速鉄道やモノレールの日本方式導入プロジェクトや、日本でのブラジルエタノール販売の計画は中断されることはないだろう。それどころか、2014年ワールドカップ、16年のオリンピック開催決定は、両国に新しいパートナーシップや投資が築かれる傾向にある。 もう一つの朗報は、鳩山首相が在日永住外国人への選挙権付与(地方公共団体の議会の議員、および長)の可能性をほのめかしているということだ。実現すれば、日本に根付いている何千ものブラジル人が、自分たちの願いのために闘ってくれる代弁者を選ぶチャンスが持てることになる。 だが、私たち伯日議員連盟が最も期待するプロジェクトは、2010年の第1四半期に行われる予定の、社会保障の分野での両国間協力協定の署名だ。数年におよぶ交渉の結果、伯国社会保障省の専門家がこのほど東京に行き、公式使節により期待以上の結果を得たことが発表された。 すでにこの起草案はできており、全て期待通りに進めば、在伯日本人9万人と在日ブラジル人27万人が、近い将来、恩恵を受けられることになる。この協定は、日伯議員連盟も望んでいることである。 今回の公式訪問によって、政治や政党を超えた二国間の友情の絆が示された。政権交代こそしたが、日伯の関係は継続し、また成長するものと信じている。 飯星ワルテル(いいほし・ワルテル) ブラジル連邦政府下院議員、民主党(DEM)。ゼツリオ・バルガス大学を卒業後、北米カリフォルニア大学院で貿易学を学ぶ。伯日国会議員連盟会長。連邦政府消費者保護委員会副委員長。