06/03/2026

Ano: 2009

ブラジル秋田県人会(小松雹玄会長)は二十一、二十二日の両日、午前十時から午後六時まで同県人会館(聖市ビラ・マリアナ区リンス・デ・バスコンセロス大通り三三九〇番)で『第三回手工芸品バザー』を開催する。 バザーには陶器、アクリル加工飾り物、刺繍(ししゅう)品、メモ用紙飾り、メタル加工品、ハンドバッグ、和紙絵、折り紙と切り紙、各種アクセサリーなど、色とりどりの作品が展示即売される。また会場では焼きそば、パステル、ボーロなどの食事も用意される。 案内に来社した小松会長、米谷ヨシ子婦人部長、アリアンサ(日伯文化連盟)の大久保ルイザ講師は「皆さんお誘い合わせの上、多くの人に来てもらいたいです」と来場を呼びかけた。入場無料。 問い合わせは同県人会(電話11・5573・4107)まで。 写真:小松会長、米谷、大久保各氏(左から)
ニッケイ新聞 2009年11月17日付け 料理に定評のあるブラジル鳥取県人会婦人部が、新しい試みを成功させた。聖市の同会館で15日に行われた北東伯の伝統料理ムケッカ・デ・ペイシの会で、300食を用意して見事に売り切った。本橋幹久会長は「ムケッカは初めて。他の県人会でもやったことない。いったいどの程度売れるのか心配でした」と胸中を明かす。1食20レアルと安くはないが、フタを開けたら満員御礼だった。 それもそのはず、高居ジャシー婦人部長は「5回も試食してレセイタを決めた。いろんな魚を試したがこれが一番だった」という自信の作だ。100キロのピンタード・ド・マルを購入。5日ほど前から仕込みを始め、当日は朝6時半から下準備をし、婦人部20人が総出であたった。来場者の一人、隣のサンタクルスに住む戦後移住者の60代女性は、「美味しかった。魚といえば普通は和風に調理するけど、こういうのも中々いけますね」と納得の表情を浮かべる。やはり市内在住の滝友梨香さん(69)は、「どこにいってもヤキソバばっかり。変った料理を食べたかったからちょうど良かった。ラーメンとか五目寿司とかでも普通のは食べあきたから、ここみたいに、こだわりの一工夫をして欲しい」と要望する。会場は、家族や非日系の友人を連れた会員でいっぱいとなり、なごやかな昼食風景が広がった。本橋会長は「県連日本祭りでは和牛の牛丼で400食を売り上げ、郷土料理の大仙おこわも例年通りだった」と報告。婦人部サマサマのようだ。高居婦人部長は「今日もたくさん来てもらって苦労した甲斐があった。ものすごく手間がかかるから、来年もやるかどうかは、評判しだいね」と微笑んだ。名前こそムケッカだが、どうやら〃結果〃は上々のよう。なお、22日には同会館を使って習い事をする人の発表会「鳥取ファミリー親睦会」があり、終日いろいろな芸事が披露されるという。
ニッケイ新聞 2009年11月17日付け 日本政府の2009年度100歳高齢者表彰状伝達式が、12日午後聖市モルンビー地区の在聖日本国総領事公邸で開かれ、26人が表彰された。表彰者8人、代理人8人、その家族のほか、山下譲二文協副会長、与儀昭雄県連会長、重岡康人老ク連会長など約50人が出席した。今年の表彰者は在聖総領事館の26人に続き、在ホノルル総領事館13人、在クリチバ総領事館7人、在アルゼンチン大使館3人、在リオ・デ・ジャネイロ大使館2人、在サンフランシスコ総領事館2人、在リマ大使館2人など16在外公館で計65人。在ブラジル大使館、在ベレン総領事館、在マナウス総領事館、在レシフェ総領事館での各1人の表彰者を含め、伯国では計39人が表彰を受けた。大部一秋在聖総領事は、「並々ならぬ御苦労の末に今日の晴れ舞台を迎えましたことは、本当に喜ばしいことです」と伝え、「立派な人生の模範を多くの後輩たちに示してくれたことに、深く感謝を申し上げます」と称えた。花城淑子さん(沖縄)、川村さたよさん(宮城)、中田政人さん(広島)、日野重雄さん(愛媛)、矢野若江さん(愛媛)、安里幸永さん(沖縄)、石神とみえさん(岐阜)、平井志づこさん(山梨)に大部総領事と栄子総領事夫人から、祝状と記念品が伝達された。「身に余るほどの喜びです」―。そう大きな声であいさつし会場を沸かせたのは、19歳で移住した花城さん。来場者に歌を披露するなど、お達者ぶりを見せつけた。「ありがとうしかありません。皆さんがよくして下さり、私は本当にめでたい生まれです」と感謝を示した。1928年に来伯、農業に従事した後バールを経営した中田さんは、「本当にありがたいことです」としみじみと語った。「全く嬉しいですね」と話す川村さんは、今でも自ら家事を行う。付き添った嫁の川村佐智江さんは、「すごくやる気があって、洗濯も一人でやってしまうんです」と笑顔を見せていた。その他の表彰者は以下の通り(在サンパウロ総領事館管内)。藤井はな(千葉)、河野アヤコ(愛媛)、神谷清次(沖縄)、池田豊年(鹿児島)、伊藤直久(北海道)、上サツキ(広島)、宗形ハツヨ(福島)、平田イツノ(福岡)、大木みなゑ(山形)、大塚絹子(福岡)、岸田勇(富山)、小川トメノ(福岡)、高尾清太(福岡)、野田三蔵(熊本)、上川フサ子(広島)、小野リウ(福島)、外間ウト(沖縄)、寺西伊登子(山口)。
ニッケイ新聞 2009年11月17日付け 今年で入植90周年を迎えたモジ最古の入植地コクエラで14、15両日、コクエラ日本人会(農業者協会、木本照親会長)が「第19回ふるさと祭り」(田島弘実行委員長)を開催した。最盛期の1970年代には、約400家族が会に参加していたというが、現在は120家族へと減少。都会に出てゆく若者が集まれる場所にしたいとの思いも詰まっている同祭に、今年も二日で3万人が訪れ、ふるさとを満喫した。 90年前の1919年、鈴木重利一家の第1回入植を皮切りに、モジ最古の入植地として現在も続く同地。日本人会は26年に発足し、翌年には子弟らの教育のために自治体に働きかけ、現在の会館の地に州立小学校を建設。さらに戦後66年に中学校、72年には高等学校と、当初から一貫して子弟教育に取り組んできた。14日午前10時過ぎから行われた開会式には、飯星ワルテル下議、マルコ・バエルタイオーリ市長、安部順二元市長、長尾オズワルド同市農務局長、織田順有副領事、中山喜代治モジ文協理事長ら多くの来賓が列席。真っ青な空の下、150人が参加した。先人に黙祷を捧げた後、田島実行委員長は、歴史を簡単に振り返ったうえで「今年で入植から90年を迎え、今まで農業を引き継ぎ、同祭を今年も開催でき嬉しい」とあいさつ。市長は、日本人の農業発展への貢献を称え、「モジの発展を支えたのは日本人移民のおかげ」と敬意を表した。飯星下議の提案で、5万レアルが観光省から同祭に贈られ、飯星下議、市長、木本会長、田島実行委員長によってサイン調印式が行われ、祭りが幕開けした。前身の「桃祭り」から数え約40年続き、モジ市の農業イベントの中でも最古を誇る同祭。目玉の農産物品評会には、60種にもおよぶ野菜・果実・鶏卵・花などが農家から出品され、市長も興味深そうに農産物を一つ一つ鑑賞していた。田島実行委員長は、「昔に比べて技術が進んでいるから、そりゃもう昔に比べて随分と発展したよ」と話していた。外の会場では、日本食やショーが一日中行われ、最終日の夜は、恒例の花火で締めくくられた。枇杷の部で一位と二位に選ばれた細谷武雄さん(62、二世)は、独立しコクエラで農業を始めて28年。約17ヘクタールの土地で柿、枇杷、アテモイア、レイシや蔬菜を栽培し、地元やセアザで、「細谷」マークのシールをつけて販売している。「僕は前に出るのは嫌い。農業は自分に合ってるね。誰も見てないところで一生懸命努力して、いいものだって認めてもらいたい」と話し、「今回評価されて嬉しい。一つの生きがいでしょうか」と静かに喜びを表した。木本会長(68、三世)は、「今、子供が外に出てる。今までは日本文化が続けてこられたけど、今後はもっと混ざっていくと思う。仕方ないよねぇ」と話しつつ、「やっぱり(会の活動を)息子らに続けてもらいたい」と同地生まれの坂田正雄さん(77)と塚原忠男さん(73)らと同祭への思いを漏らしていた。
ニッケイ新聞 2009年11月14日付け 建立50周年を迎えた曹洞宗南米別院佛心寺(采川道昭総監)は13日午前から、同寺で大鑑閣落慶式を開催した。日本から渕英徳曹洞宗宗務総長ら60人、欧州、ハワイなどから40人の慶祝団を迎え、檀家や一般客も駆けつけ、盛大に催された。同日、開山像開眼供養、慶祝転読大般若祈祷も行われ、厳粛な雰囲気の中、粛々と落慶が祝われた。来賓には大部一秋総領事夫妻、ウィリアン・ウー下議、羽藤ジョージ市議、与儀昭雄県連会長、菊地義治援協副会長、池崎博文ACAL会長らの姿も見られた。 午前10時、法堂において渕宗務総長による三ケイ三拝で幕を開けた。続いて大鑑閣前に移動した。日伯両国歌の演奏の後、宗務庁教化部長の宮下陽祐老師らによって額「大鑑閣」の除幕式が行われ、続いて渕総長や采川総監、玉田伯夫理事長、伊藤勉パウロ建設委員長らによりテープカットが行われた。続いて大鑑閣2階の開山堂にて「開山像開眼供養」が行われ、大鑑閣の完成を祝った。導師は千葉県新井寺住職の松井道孝老師が務めた。さらに法堂に場所を移し「慶祝転読大般若祈祷」が行われ、采川総監が導師を務めた。10人の禅師が大般若心経を次々と転読し、堂内にはお経が響き渡った。その後、参加者は順に焼香し、先人の労苦に祈りを捧げていた。その後、場所を大鑑閣1階サロンに移し、慶祝昼餐会が催され、会は盛会のうちに終了した。ニッケイ新聞の取材に采川総監は落慶した大鑑閣について、「座禅会はもちろん、サロンもある。檀家さん以外でも結婚式などのイベントにも使用して欲しい」と応えた。12日に着聖した渕宗務総長は「おおらかな印象を受けました」とブラジル人の印象を語り、「植えてみて 花の育たぬ 里はなし」と詠み、先人の苦労を称えた。さらに、「(采川総監が)苦労していたのは知っていたので、大鑑閣を見た時には涙が出ました。黙って実行する姿こそ、禅です」と労いの言葉をかけた。◎大鑑閣は日本の曹洞宗の各寺や檀家など多くの寄付によって建築され、地下1階、地上3階建て。1階にはサロンが設けられ、個々の家族に対応した納骨堂の設置も予定されている。2階には座禅堂を始め、佛心寺を開いた高階瓏仙禅師を奉った開山堂、歴代総監の位牌や、ブラジルの地方に布教へ赴いた物故者の位牌も並べられる。3階には茶室も備え付けられる。14日は午後1時から開山搭開眼供養、午後3時半から大権修理菩薩・達磨祖師像開眼供養などを予定している。15日は午前8時半から福山諦法曹洞宗管長代理の渕宗務総長の五ケイ三拝で始まり、9時から南米開教物故者諷経、10時から50周年慶讃法要などが行われる。
ニッケイ新聞 2009年11月13日付け ブラジル熊本県文化交流協会(小山田祥雄会長)は15日正午から、「第1回たけのこ祭り」を同協会会館(R. Guimaraes Passos, 142, Vila Mariana)で開催する。今まではバザーをやっていたが、開催する団体が多くなってきたため、変わったことをやろうということで始まった。聖市郊外の会員宅に生えているたけのこを利用する。季節の香り、味の良いたけのこを販売する。また、婦人部が腕をふるったたけのこご飯やたけのこ肉料理、塩漬けなどの保存食などたくさんのたけのこ料理が販売される。いずれも1食10レアル。県人会関係者は「いろいろな料理を味わいながら、楽しい時間を過ごしてください」と参加を呼びかけた。問い合わせは県人会(電話=11・5084・1338)まで。
ニッケイ新聞 2009年11月13日付け 桜やパウ・ブラジル、もみじなど新春の緑が目に鮮やかな聖市モルンビー区の聖州政庁バンデイランテス宮に「銀杏(いちょう)」を植える植樹式が6日行われ、西本エリオ州議や防災局聖州コーディネーターのキタ・ルイス軍警大佐の代理として聖州防災局軍務部武官のカサイ・トニー軍警大尉、広島文化センターの大西博己会長、リベルダーデ地区治安協議会(CONSEG)の小川彰夫会長なども出席した。さらに、イタケーラ区の州立ヒロシマ学校の生徒90人も参加し、平和の象徴である銀杏へ思いを託した。本企画はヒロシマ学校の生徒が同宮を見学する際、聖州教育局のプログラム「ビバ・ジャポン」コーディネーターを務めた日野寛幸さんと広島文化センターの平崎靖之理事が「平和を願う、意味のあることをしたい」という思いから始まった。植樹式をするにあたり、同宮の小講堂で広島学校の生徒に対し、平和に対する学習会が開かれた。平崎理事や大西会長から挨拶があった後、日野さんは生徒達に向かって「銀杏を知っていますか?」と問いかけると、顔を見合す生徒たち。原爆が投下された広島で、まっさきにすくすくと育った銀杏のたくましさを説明し、平和の尊さを訴えた。小川代表は今年訪れた広島、長崎の話に触れ、「原爆の影響で未だに苦しんでいる人がいる。戦争は二度と起こしてはいけない」と語気を強め、来年8月にレジストロで行われる灯ろう流しへの参加を呼びかけた。西本州議は市会議員を経た後、州議となった経緯を自身の半生と共に振り返り、「是非、夢や目的をもち、実現できるよう努力してください」と学生に励ましの言葉をかけた。一行は同宮敷地内の庭園に移動し植樹を行った。植えられた銀杏の苗木2本は日野さんから寄付されたもの。平崎理事は「協力して銀杏を植え、ブラジルに根付いて欲しい」と思いを語った。日野さんは「この銀杏は通りからも見えるので、大きく育つのが楽しみ。植樹する意味を生徒にも分かって欲しい」と述べた。また、同校、高校3年生のファブリシオ・リスボア・ソウザさん(17)は「今日、話を聞いて、植樹とヒロシマ学校との関係がわかった。育つのを見るたびに思い出すだろう。見守っていきたい」と感想を述べた。
鹿児島県人会(園田昭憲会長)は八日、同県人会会館で県人会創立九十六周年記念法要並びに敬老会を行なった。 午前十時半から、曹洞宗国際布教師の大畑天昇住職(九二、静岡県出身)によって厳修された先没者慰霊法要では、出席した五十人の会員らが焼香。 大畑住職は法話の中で、「これからも供養を続けていってほしい」と語り、「朝起きたらご先祖様に感謝の気持ちを三回は唱えること。そうすることで、次世代にも恩恵が続いていく」と、説いていた。 引き続き開かれた敬老会で園田会長は、「鹿児島県人は世の中の流れを変えるような血を引き継いでいる。今の自分たちがあるのはご先祖のおかげ」とし、七十五歳以上の高齢者に、「感謝の気持ちを込めて」と、県人会特製かばんや紅白餅、花等を記念品として手渡していた。 参加者代表で挨拶した小森広さん(八〇)は、「日本人の誇りを持ち続け、喜び、感謝をもって生きていくことが大事。会長が頑張っているから、もっと会を盛り上げていこうという気にならにゃいかん」と、集まった会員らを鼓舞。 池上忍名誉会長らによる祝辞の後は、昼食懇談会に移り、会員相互に親睦を深め合った。 出席者最高齢は、藺牟田栄蔵さん(九三、南さつま市出身)。一九三四年に単身呼び寄せで来伯し、ノロエステ線アラサツーバのグァタンビに入植して、食料品等を扱う商売で生計を立てた。最近は、自宅で飼っている小鳥に毎朝餌をやるのが日課になっていて、鳥の観察や庭で花を育てるのが楽しみだという。 毎年恒例の敬老会に、「こういう機会があるのはありがたい」としながらも、戦前移住の知り合いの姿が見られなくなってしまったことに、「話し相手がいないのは、寂しいですね」と、少し残念な様子だった。 下窪ハキさん(九〇、枕崎市出身)は、九月に同市市制六十周年祝賀慶祝団の一員として訪日。五歳年上の姉の様子を見に行ったそうで、「元気でしたわ」と、喜びの表情を浮かべていた。 久しぶりに見た田舎では、田畑の中にも家が建っていたことに驚き、「昔はキツネが出て騙されるというから一人じゃ歩けんかったのに」と語り、日本については、「もう行かん」と話すも、毎回そういいながら五年に一度来伯してしまうことを明かし、周囲を笑わせていた。 久しぶりに顔を揃えた会員らは、ビンゴゲーム等を催しながら午後二時過ぎまで懇談し、笑顔に溢れた和やかな一日を過ごしていた。 写真:厳修された先没者慰霊法要 2009年11月10日付
山形県人会(荒木克弥会長)主催の第六回民謡コンクールが、十五日午前九時から聖市リベルダーデ区の宮城県人会館(ファグンデス街一五二番)で開催される。後援は、ブラジル日本民謡協会、ブラジル郷土民謡協会、伯国日本民謡同志協会、江差追分会ブラジル支部、小路流民謡尺八道ブラジル支部、老人クラブ民謡部。 同大会は、山形県の魅力を広く知ってもらい、相互交流を活発にすることを目的に毎年開かれている。当日は、県人会員をはじめ、一般の民謡愛好者たちが「山形県の民謡」を唄って成績を競い合う。 詳細についての問い合わせは、同県人会事務局(電話11・3208・8781)まで。 2009年11月11日付
鳥取県人会(本橋幹久会長)は十五日正午から午後三時半まで、同県人会会館(聖市ミランドポリス区セザリア・ファグンデス街三二三番)でバイア料理「魚のモケカ」を提供する。 当日は、同県人会婦人部(高井ジャシー部長)が、魚のモケカに、ご飯、サラダ、ピラオンを添えて提供。調理される魚は海で獲れるピンタードで、セアザ卸売市場から新鮮なものを取り寄せる。味付けには個人の嗜好を考慮し、海老や薬味を除いたものも用意。価格は一食分二十レアル。 十日、本橋会長と婦人部の末永勇美子さんが案内のため来社。「美味しいのでぜひ食べに来て」と、多くの来場を呼びかけている。 食券の購入・問い合わせは同県人会事務局(電話11・2276・6032)まで。 写真:本橋会長、末永さん(右から) 2009年11月10日付
在伯和歌山県人会連合会(木原好規会長)の創立五十五周年記念式典が、八日午前十時から聖市リベルダーデ区の宮城県人会館で開催され、会場に事前準備された四百席の椅子に座りきれない超満員の約六百人が詰めかけた。式典には、母県から仁坂吉伸県知事、冨安民浩県議会議長をはじめ、民間を含めた慶祝団二十七人が来伯して出席。今後のさらなる交流の絆の大切さを確認し合った。 「松原移民」28人も出席 和歌山県人のブラジル移住は一九一七年に始まり、戦前・戦後を通じて千四百十六家族五千八百十九人が渡伯。現在、県人ゆかりの人々は二万人を超すと言われている。県人会の創立は一九五四年。初代会長には、『竹中商会』を設立した故・竹中儀助氏が就任した。 記念式典では、日伯両国歌斉唱、先没者への黙祷、来賓紹介に続き、木原会長が挨拶。県人のブラジル移住と、県民の移住振興を目的に設立された県人会の歴史を振り返り、近年の世界的な社会情勢が著しく変化する中で、さらなる相互依存と地域住民による交流の必要性を説明。県側の短期研修制度の新設と、昨年、中南米交流協会が民間主導で立ち上げられたことに感謝を表すとともに、二〇一四年のW杯、一六年のリオ五輪に向けた人的交流など日伯の橋渡し役として活動していく考えを示した。 引き続き、来賓祝辞を行なった仁坂県知事は、式典前日に移民史料館を訪問した感想として、移民たちが苦労の中で子弟教育に力を注ぎ、現在の伯国での地位を獲得したことを賞賛。和歌山県が明治の産業革命時期と戦後の六〇年代に二度経済発展したことに触れ、「苦しい時に頑張るのが和歌山県民」と位置づけた上で、「サンパウロに来て多くの同胞の方々と会うことができ、それぞれの地位で頑張っておられることを県に帰ってから伝えたい」と述べた。 松本貞次和歌山県議会日伯友好議員連盟副会長、大部一秋在サンパウロ総領事、樫畑直尚和歌山県国際交流協会理事長らの祝辞、祝電披露に続き、百五十五人の高齢者(八十歳以上)と三人(下本八郎、福島義久、中口千鶴の各氏)の功労者の表彰がそれぞれ実施。代表として岡田弘氏(八二)と下本元聖州議員の二人に賞状と記念品が手渡された。 高齢者代表の岡田氏は謝辞の中で、「昨年の今頃は両足を切断し、病床に臥せっておりましたが、今日はこのような賞状をいただき最高の喜びです」と述べ、感謝の意を示した。 聖市議会から仁坂県知事をはじめとする和歌山県側への賞状伝達の後、和歌山県から県人会に対して金一封と記念品、県人会から県および訪問団へ相互に記念品が贈呈。引き続き、二〇〇七年度に技術研修生として建築関連の勉強をした南恵美さんが研修生OBを代表して謝辞を述べた後、中村裕一県議会議員の発声により会場全員で『万歳三唱』を唱和。記念式典を閉会した。 記念のケーキカット、乾杯で始まった祝賀会に続き、午後からのアトラクションでは、日本舞踊、カラオケや青少年中心の「気炎太鼓隊」による和太鼓が披露。また、慶祝団の一員として来伯している大正琴演奏者・畑美琴峰氏が見守る中、『琴聖会』メンバーによる大正琴演奏も行なわれ、会場が一体となったサンバショーで締めくくられた。 南麻州ドウラードスから県人関係者二十七人を引き連れて出席、『松原移民』として同地に移住した谷口史郎さん(六九)は、「式典には五年ごとに出席させてもらっていますが、今回も木原会長に『マットグロッソから県人を連れてきてほしい』と頼まれました。今後、マットグロッソの日系子弟と和歌山県との交流を期待したいですね」と述べ、笑顔を見せていた。 写真:記念式典で挨拶する木原会長 2009年11月10日付
県連(与儀昭雄会長)の十月度代表者会議が、十月二十九日午後四時から聖市リベルダーデ区の福島県人会館で行なわれ、定款改正、第十三回日本祭りなどについて発表された。 会議に先立って、日本から来伯中の西脇祐平海外日系人協会調査役が挨拶。同協会は各都道府県からの分担金を財源としているが、経済不況や地方財政の悪化により厳しい状況にあると説明したうえで、各県人会に向けて賛助会員を募集した。 九月度会計を含めた各種報告の後、議題では先月に続いて定款改正についての議論が交わされた。県人会側から「新定款案には大きな変更点がなく、今すぐに定款を改める必要性がないのでは」などの意見が出されたが、定款改正委員会では提出された案を臨時総会で話し合い、今期中に定款改正を実行したい考えを示した。 第十三回日本祭りについては、坂本アウグスト実行委員長が今月から一週間に一回、各県人会の代表者を集めて会議を行ない、運営面で様々なアイデアを募集していく方針を発表。続いて第三回弁論大会、サントス港上陸記念碑移転祝賀式典、第五十回海外日系人大会についての各報告が行なわれた。 また各県人会の意見交換では、以前に話題になった各県人会館の居住者のマナー低下による諸問題への対応案が提案された。各県人会が居住者本人もしくは家族の出身県と、出身県の県人会に入会しているかどうかを調べるというもので、居住者の身元を明らかにすることで様々なトラブルを未然に防止していきたい考えだ。もしも県人会に入会していない場合は寮を安く利用できなくするなどの案が提案され、次回の代表者会議で再度話し合われることとなった。 2009年11月10日付
愛知、滋賀、大分の三県人会は十五日午前十時半から、愛知県人会会館(聖市リベルダーデ区サンタ・ルジア街七四番)で『第十一回屋台祭り』を行なう。 愛知は味噌串かつ、白もちの定番メニューと、この日のために特製の麺を準備中というやきラーメンを提供する。滋賀は手作りが人気を呼んでいるハンバーグカレー。大分は鳥メシ、牛たたきに、ブラジル初提供のとり天を販売。普通の唐揚げとは異なり、卵との相性の良さが旨味を引き立てる。 食事は、「多くの味を楽しんでもらいたい」との思いから、フェスティバル・ド・ジャポンよりも小ぶりに用意し、廉価で提供する。当日は、会場内のシネ愛知でDVD上映会をする他、午後二時半からは、ステージ上でカラオケも催される。 四日、案内に来社した会長らは、「家族連れ、団体での来場も大歓迎」と、多くの来場を呼びかけている。 写真:案内に来社した県人会会長ら 2009年11月10日付
ニッケイ新聞 2009年11月11日付け 愛知、大分、滋賀3県人会の共催による「第11回屋台まつり」が15日、午前10時半から愛知県人会館(Rua Santa Luzia, 74)で開かれる。愛知からは「やきラーメン」が初登場。手作り麺と野菜や肉などを炒め、醤油味のスープをかけたもの。それに味噌串カツ、白もちを出品。大分からは、日本祭でもお馴染み、鳥飯は豊後の味。他に牛たたきも。さらに名物「とり天」が初登場。下味をつけた鶏肉を天ぷら風に揚げたもの。からし酢醤油にレモンをかければ完成だ。滋賀からは手作りハンバーグカレーを用意する。日本祭で初出品。好評だったため、満を持しての登場。様々な味を楽しんでもらうため、いずれの食事も10レアル以下の低価格に設定されている。午後2時半からカラオケ大会も行われる。案内のため豊田瑠美愛知県人会長、山田康夫滋賀県人会長、大分県人会の伊東信比古さんが本紙を訪れ「お待たせしました。安くて、美味しくて、手作りの食事を食べに来て下さい」と呼びかけた。なお、当日は1974年度の元留学生・研修生30人が集まるという。愛知県へ県費留学生として滞日した、豊田会長の従姉妹が声をかけ実現した。豊田会長は「こういった場を利用して、元留学生が集まる機会を作っていきたい。他の年度の留学生もぜひ」と呼びかけた。問い合わせは愛知県人会(電話=11・3104・8392)まで。
ニッケイ新聞 2009年11月11日付け 「鳥取風味のムケッカいかが?」―。ブラジル鳥取県人会(本橋幹久会長)は15日正午から午後3時半まで、聖市内の会館(Rua Dona Cesaria Fagundes, 323 – Saude)でノルデステ名物の魚の煮込み料理「ムケッカ・デ・ペイシ」祭りを開催するにあたり、来場を呼びかけている。本橋会長、婦人部の末永勇美子さんが案内のために来社した。これまでにも、ラーメン、ヤキソバ、フェイジョアーダ祭りと様々な食祭りを催してきた同県人会だが、今回初めてムケッカを振舞う。数回試食を重ね、「びっくりするくらい美味しい。レストランの比じゃないですよ」と本橋会長。魚はピンタード・デ・マルを使う。「この日は他県人会イベントとも重なるけど、はしごしてでもどうぞ」。海老、コエントロー抜きのものも用意する。一食20レアル(ご飯、サラダ、ピロン、ポテト付、持ち帰りは2レアル増し)。問合わせは同会(11・2276・6032)。
ニッケイ新聞 2009年11月11日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長)の10月度代表者会議が先月29日午後、福島県人会館で行われた。与儀会長の挨拶に続き、矢野敬崇・汎米ブラジル日系人協会長から海外日系人協会賛助会員の募集案内があった。前回の代表者会議で配布された定款改正最終案に関して、「新旧比較しても重要なものはない。今、改正をする必要はあるのか」と言う意見に対し、執行部からは、「与儀体制になってから一番の課題。練りに練ったもの。臨時総会を開き、役員会で評決したい」という返答があった。第12回フェスティバル・ド・ジャポンの収支報告について、現在13万レアルの黒字で、残り3つのスポンサーから20万レの支払いがあれば、最終的に33万レの黒字となる見通し。来年の「第13回フェスティバル・ド・ジャポン」について、坂本アウグスト実行委員長は、「各県人会、ブロック毎に1人担当者を出してもらい、週に一度会議を開き、いろいろなアイデアを集めたい」と述べた。ASEBEXとの共催で先月18日に行われた弁論大会は、「好評だった。来年は全伯から参加者を募り開催したい」と報告があった。さらに、同日開催された、サントス港の日本移民上陸記念碑・移転祝賀式典では、記念碑前で桜の植樹が行われ、鳥取県人会による「シャンシャン傘踊り」や沖縄県人会の「琉球國祭り太鼓」も披露されたことが報告された。園田昭憲副会長から、10月14~16日に開催された、第50回日系人大会について報告があった。与儀会長は「ブラジルが日本にとって大きな存在であることを実感した。県人会を利用して、日伯の細いパイプを太くしたい。日系人に対する目が、今までよりも少し熱くなってきた」と感想を述べた。表敬訪問したJICAや外務省、国際交流基金の中南米担当官との面談の様子も報告、経済や今後の日系人の雇用状況、文化交流などについて語られたという。県連や文協関係者と共に訪日した飯星ワルテル下議らは、日伯議員連盟4人らと面談、日伯間の社会保障や教育、職業教育などについて話し合ったようだ。その他、22日に長野県人会創立50周年記念式典の案内があった。また、千葉県人会の原島義弘会長から、同県人会の寮が満室になったことが報告された。続けて、原島会長は、「現在、各県人会館には計300人ほどの日系子弟が入居しているが、両親や祖父母が県人会に入会していない人が多い。県人会に入会してから入居すれば、問題が起きた時にも対応できる。これが県人会離れの一つの方法になれば」との提案もあった。
ニッケイ新聞 2009年11月11日付け 紀州人の誇り大事に――。1954年に創立された在伯和歌山県人会連合会(木原好規会長)による「創立55周年記念式典」が8日、宮城県人会館で開催され、約6百人が歴史を振り返るとともに、県人会の繁栄を祝った。母県からは仁坂吉伸知事を始め、冨安民浩県議会議長、松本貞次県議会日伯友好議員連盟副会長、樫畑直尚県国際交流協会理事長ら公式訪問団11人、民間訪問団16人が駆けつけた。大部一秋在聖日本国総領事夫妻、羽藤ジョージ聖市議、与儀昭雄ブラジル日本都道府県人会連合会会長らが出席した。 和歌山県人のブラジル移住は1916年に始まり、戦前・戦後を通じ、1600家族、6千人とされる。1953年7月、第一陣松原移民22家族112人が南マット・グロッソ州ドウラードスに入植。これを受け、県人移住の受け皿として54年4月に県人会が創立された。初代会長は故竹中儀助氏。木原現会長は6代目となる。現在の会員数は、約2百家族。99年の創立45周年を記念し、会館の改修が行われ、活動の場となっている。県費留学生・研修生として、約130人が父祖の地で学んでいる。(ブラジル県連No5)舞台であいさつに立った木原会長は、「母県の支援や会員らの協力で、55年をかけて県人会は発展してきた」と感謝を示し、「紀州人としての誇りを持ち互恵の精神を深め、和歌山県の伝統と文化を継承する人材の育成に努めます」と感動した面持ちで話した。仁坂知事は、式典前日に訪問した移民史料館に触れ、「各家族が苦労を乗り越え、業績をあげた歴史がある。同胞の活躍を県に伝えたい」と話し、「皆さんに恥ずかしくない故郷をつくろうと思います」と述べ、会場を沸かせた。冨安議長は「両国の友好関係は皆さんのおかげ。このルーツを大切にしたい」と強調。樫畑直尚和歌山県国際交流協会理事長は、「民間レベルでの交流を活発に」と呼びかけた。80歳以上の高齢者155人が表彰を受け、代表の岡田弘さんが仁坂知事から表彰状を受け取り、「今日は最高の日」と謝辞で溌剌とした声を響かせた。功労者表彰では下本八郎さん、福島義久さん、中口千鶴さん3人に感謝状が送られ、その功績が称えられた。記念祝賀会では、ケーキカットが行われた後、谷洋一県議会議員により乾杯の音頭が取られた。午後は、舞踊や和太鼓演奏やカラオケなどが披露され、琴聖会による大正琴演奏「故郷」では会場も一緒に歌った。最後にサンバショーが行われ、来場者全員が参加する盛り上がりをみせていた。 節目に響く、喜びの声=松原移民28人も サンパウロ州ボツカツ市から訪れた同県人会員の笠間悦子さん(72、日高郡日高町出身)は、「県人会は私が来伯した年にできた。日本から多くの人が訪れ、一緒に祝ってくれ嬉しい」と満面の笑顔。民間訪問団の団長を務める和歌山県中南米交流協会代表・迫間脩さんは、「これからは民間レベルでの交流が中心になるのでは」と期待を込める。民間の訪問団は今回初で、14人が初来伯だという。和歌山市から参加した阪本美枝子さん(62)は、60年代に移民した県人会員から当時の話を聞き、「想像もしていなかった話を聞けました」。有田郡湯浅町の山下智左枝さん(53)は「涙ながらに語ってもらいました。生の話から実際の苦労を実感しました」と感慨深げ。第1回松原移民として田辺市から53年に移住した梅田幸治さん(85、聖市在住)は、「現地に行ったら何でもあるから『幸福移民』と言われ、ルイス号に乗ったけど、着いたら何もなかった」と破顔一笑、「母県からも多くが来てくれ、松原時代の懐かしい顔にも会えました」と嬉しそうに会場を見渡していた。
ニッケイ新聞 2009年11月10日付け 森下モニカさん(31)が、先月から岩手県人会館(R. Tomas Gonzaga, 95 – Liberdade)で針治療を始めた。大学で生物医科学、大学院で針治療を学んだ森下さんは、針治療は高血圧、不眠症、糖尿病、脊髄異常、五十肩、腫れ物などに効果があると説明する。森下さんの祖父も針治療を行っていたそう。「私も日系の人たちに健康になってもらいたいと思い、始めました」と話し、「針治療は副作用がないので、薬よりも体に良いと信じています。ぜひ試してみて下さい」と案内した。時間は、火曜の午前10時から午後4時、木曜の午前10時から午後5時まで。1人30レアル。問い合わせは、森下さん(電話=11・2639・0572、9236・3956)まで。
一層の絆深める努力を 【宮崎発・吉永拓哉福岡支局長】宮崎県、宮崎市、宮崎ブラジル親善協会の共催による『ブラジル宮崎県人会創立六十周年記念行事』が十月二十五日、宮崎市の宮崎観光ホテルで行なわれた。この行事は、今年八月二十三日にサンパウロ市で開かれた同県人会創立六十周年記念式典に出席した母県の慶祝団の帰国報告を兼ねたもので、八十人以上の関係者が集まった。また、ブラジルから黒木慧同県人会会長夫妻、吉加江ネルソン同六十周年記念祭典実行委員長夫妻、高橋久子同県人会婦人部長の五氏が来賓として招かれた。 「ポ語で語り合える県人会に」 この日は、東国原英夫宮崎県知事が公務のため欠席し、高山幹男同県県民政策部長が挨拶。 「ブラジルでは宮崎県人の温かさと熱い志を感じた」と報告し、「六十周年を契機として県人会との絆を一層深めるよう努力したい」と述べた。 続いて会場では、宮崎放送が九月に放映したドキュメンタリー番組『ブラジルの大地で~宮崎県人会60年の絆~』の上映会が行なわれた。 同番組は慶祝団に同行した宮崎放送が、ブラジルで暮らす宮崎県人たちの暮らしぶりを紹介したもの。八月二十三日の記念式典の模様も報じられ、県民たちに「移住六十年の歴史」を広くPRしたドキュメンタリーとなった。 最後に壇上では宮崎ブラジル親善協会の徳永哲也理事と黒木会長、吉加江委員長両氏との対談が行なわれた。 徳永理事の「県人会の今後は?」との問いに、両氏は「日系子弟たちの県人会離れが問題。これを解決するためにはポルトガル語で語り合える県人会に方向転換していく必要がある。次期県人会長には、思い切って若い人にバトンタッチをすることも考えている」と答えた。 記念行事終了後には、訪日した黒木会長ら五氏の歓迎昼食会が盛大に催された。 はじめに南米を語る会の早川烈代表が、五氏に対して「ゆっくりと宮崎の空気を吸っていただき、故郷の風景を楽しんでほしい」と長旅の労をねぎらった。 黒木会長は挨拶で、「東国原知事のざっくばらんな姿がブラジル日系社会にとても好印象を与えた」と、六十周年記念式典の思い出を振り返るとともに改めて母県へ感謝の意を表した。 中村幸一同県議会議長の乾杯音頭に続き、和太鼓グループ『天響』による迫力のある演奏を楽しんだ。 宮崎在住の日系二世・野崎ローザさん(四六)は、黒木会長らを歓迎するため、『天響』を会場に招いた。 「サンパウロの六十周年式典に出席できなかったのはとても残念。だから今日の和太鼓演奏は、私たちからのプレゼントです」と話した。 慶祝団に同行して同六十周年記念式典を取材した宮崎日日新聞社の奈須貴芳報道部記者(三二)は、「ブラジルに行ったのは初めてだった。宮崎県人が逞しく活躍されている姿に感動した。もう少し取材期間が長ければ、もっとよかったのですが」。 一方で会場の人たちに囲まれていた高橋婦人部長は、「このような立派な会を開いてもらい恐縮しています。故郷の温かさを感じます」と嬉しそうだった。...
(財)未来の東北博覧会記念国際交流基金(高橋俊一理事長)はこのほど、宮城県人ブラジル移住百周年記念誌『ブラジル移住・宮城県人の百年 赤い大地を拓く』を発刊した。 約一年かけて資料収集、執筆、編集活動を経て発刊された記念誌は、巻頭のグラビアをはじめ、序章「移住前史Ⅰ・Ⅱ」、第一章「ブラジル移住百年の歴史」、第二章「宮城県人百年の歩み」、第三章「海外移住を推進した機関・団体」、第四章「仙台七夕のブラジル移住」、第五章「日系人の出稼ぎ問題」、第六章「ブラジル親善訪問団の足取り」、資料編と大きく八項目に分かれ、五百三十ページにも及ぶ。 特に、移住前史では、一八〇三年に日本人として初めてブラジルの土を踏んだ石巻の漂流船「若宮丸」の船員四人と、一九〇六年に日伯貿易の先駆けとして聖市内に設立された『藤崎商会』についても触れている。 また、第二章では、県人移住者の動静として、第一回笠戸丸移民に八人の県人がいたことをはじめ、アマゾン移民や各地在住県人の現地ルポも記載されている。 (財)宮城県国際交流協会理事長も兼任する高橋理事長は発刊に際して、昨年がブラジル日本人移民百周年の節目の年で、移住者の歴史と偉業を讃えるためにさまざまな記念行事や交流事業が実施されたことについて言及。各方面の協力を得て宮城県人の足跡がまとめられたことに対して感謝の意を示し、「この史料が次世代の百年の日伯交流の礎となりますことを祈念します」と綴っている。 中沢宏一宮城県人会長は、「今後の日伯関係は文化交流だけでなく、高度な技術と経済力を持つ日本と資源大国ブラジルとの相互協力の進展も期待されます」とし、「この記念誌によってブラジル移民を理解していただき、一層交流が盛んになることをお祈り申し上げます」との挨拶文を贈っている。 記念誌に関する問い合わせは、宮城県人会事務局(電話11・3209・3265)まで。 写真:『赤い大地を拓く』の表紙 2009年11月7日付