ニッケイ新聞 2009年10月29日付け ■訃報■大嶽一氏 アマゾニア日伯援護協会会長を務め、ベレン風みどり俳句会会長であった大嶽一(おおたけはじめ)さんが、23日午後7時、肺不全のためベレン市内のアマゾニア病院で死去した。享年97。近年は体調を崩し、入退院を繰り返していた。静岡県出身。1931年ベレンのY.YAMADA商会の創始者山田義雄氏と共に渡伯、アマゾン中流オウレンに入植、農業に従事した。柔道王(コンデ・コマ)に紹介された金物屋や日本総領事館の仕事を経て高拓生の母体であるアマゾニア産業へ入社。その後、山田スーパーマーケットの経営に参加。援協の会長、日伯協会の理事などを歴任。95歳までゴルフを楽しんでいた。ベレン俳句会の会長として文化面でも後輩の指導にあたった。葬儀は24日午前11時、市内カプシーニョ教会で行われ、当日埋葬された。
Ano: 2009
ニッケイ新聞 2009年10月29日付け ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長)主催の「移民のふるさと巡り」が9月15日から21日まで実施された。32回目となる今回の訪問地は、移住80周年を迎えたアマゾン。過去最多となる211人が参加し、日本移民が最初の一歩を踏み出したトメアスーからベレン、マナウスまで3カ所の祭典を訪れ、喜びを分かち合った。 一行がアマゾンを訪れるのは3回目。80周年慶祝を目的とした今回は、青森、栃木、滋賀、鳥取、島根、福岡、長崎、鹿児島、沖縄の県人会長が参加。滋賀県人会の山田康夫会長が旅行団長、与儀会長が慶祝団長という陣容だ。県人会長ら第一陣が15日早朝に空港から出発する光景を、さっそく映像担当の畑勝喜さんが収録。 午後1時、無事にベレンへ到着すると、同地祭典委員会の須藤忠志実行委員長(汎アマゾニア日伯協会副会長)、歓迎副委員長の恩地民雄さん、同文協前会長の小野重善さん、ベレン福岡県人会顧問の岩坂保さん(92)らが迎えに。福岡県から到着する予定の海老井悦子副知事ら慶祝団を迎えに来たという。 サンパウロからの250人をはじめ、計約300人がこのために来るという。「準備がたいへんですよ」と疲れた表情ながらも、須藤さんは「にぎやかになると思います。ゆっくり楽しんでください」と話した。 一行はトメアスーへ向かう前に空港内で昼食。レストランに入ると援協副会長の菊池義治さんが一人の男性と話している。福岡県から参加した山口博文さん(70)だった。二人は南米産業開発青年隊5期の同期。山口さんは今年4月まで9年間、福岡県海外移住福岡地区家族会の会長を務めていた。今回同期の渡伯50周年、80周年を機に来伯したそうだ。パラナ州ウムアラマの合宿所で過ごした青年時代。「道が悪くて、3カ月間食料が届かないこと」や「カボチャばかり食べていたら肌が黄色くなった」と笑う。 午後3時、昼食を終えた一行はバスに乗り込み、トメアスーへ向かう。ベレンから南へ約250キロ。早起きの疲れか、車内で一休みする一行。2時間ほど走り、ブジャルーからグァマ川を渡るバルサへと乗り込む。川風に吹かれ、暑さがやわらぐ。約20分で向こう岸に到着。そこから再びバスに揺られ、トメアスーに着いたのは午後7時過ぎだった。 ホテルで夕食のつもりだったが、聞けばトメアスー文協で前夜祭が開かれているという。記者は一行と分かれ、12キロ離れたクアトロ・ボッカス(十字路)の同文協へ。到着すると会場は満員のにぎわいだ。ちょうどパラグアイ・イグアスー移住地の太鼓グループ「鼓太郎」が演奏しているところだった。 昨年も同地を訪れた歌手の宮沢和史さんと、亜国生まれの大城クラウディアさんが出演。ヒット曲「風になりたい」のほか、沖縄系の大城さんとともに琉球民謡などを熱唱。大城さんは亜国日系社会を思い起こし、「初めて来た気がしない」と話していた。1929年9月22日に最初のアマゾン移民が到着したトメアスー。ここから北伯日系社会の歴史が始まり、多くの人材がブラジル社会へと羽ばたいていった「アマゾン移民のふるさと」だ。 節目の式典が行われる16日は、第1回移民が乗った「まにら丸」がベレンの港へ到着した日。15日の夕方には追悼法要が営まれ、これまでに同地で亡くなった834人の御霊を偲んだ。 入植80周年の祭典委員長を務める海谷英雄・同文協会長(山形、66)は、62年に移住して以来住み続ける。「若い人たちが、村を継ぐ人として真剣に取り組んでくれている。慰霊祭、前夜祭にもたくさんの人が来てくれ、トメアスーの団結力を感じます」と、翌日の式典に向け気持ちを新たにしていた。(つづく、松田正生記者) 写真=トメアスー文協の海谷会長/バルサでグァマ川を渡る県人会長ら この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2009rensai-matsuda1.html
ニッケイ新聞 2009年10月29日付け ブラジル北海道協会(木下利雄会長)は18日、聖市内の同会館で「第1回ひな祭り」と「第3回うな丼祭り」をあわせて開催した。会場ではうな丼を美味しそうに頬張る人たちで賑わいを見せた。童謡「うれしいひな祭り」の音楽が流れる中、道庁から贈られた7段飾りのひな檀が2セット飾られ、五月人形も展示、会館外には鯉のぼりが優雅に泳ぎ、ブラジルの子供の日(10月12日)を演出した。ヒグマ会(青年部)手作りの水羊羹が販売され、会場の外ではシュハスコやイカの丸焼きも用意された。また、日本文化に親しんでもらおうと、聖総領事館提供の半被や浴衣を着て、ひな壇の前で記念写真を撮る姿も見られ、家族連れなどが舌と目で楽しむ一日となったようだ。木下会長自ら厨房で腕をふるい、正午頃から来場者にうな丼が販売され、午後4時までに150食を販売した。4人で仲良く舌鼓を打っていたのは、山田健壽郎(88、愛知)さんとオルガ夫人(81、二世)、黒岩一実(85、二世)さんと美恵子夫人(79、愛知)だ。東京・銀座で鰻を食べたことがあるという一実さんは「木下会長の味は一番。あっさりしていて美味しかった」と満足した様子。オルガさんはひな壇の前で由来について同協会に質問するほど興味津々。「綺麗で可愛いですね」と言い、流れる音楽に耳を傾けていた。初めて開催したひな祭りについて木下会長は、「(着物を着て写真を撮ったりと)来た人が喜んでくれたようで良かった。来年は3月3日にやってみたい」と早くも第2回目への期待感を語っていた。
「黒ダイヤ」に興味津々の参加者 ぶらじる丸同船者再会も アサイー工場の次は、隣接する伊藤ジョージさんの農場を見学した。カカオ、ゴム、カスタンニャ・ド・パラー(ブラジルナッツ)などを自然林に近い形で植えるSAFという複合栽培農法を取っている。 林の中は涼しいが、四十日雨が降らず、乾燥しているという。直射日光が照りつける隣の胡椒畑は、高さ二メートルほどの木が等間隔に並んでいる。緑の実は、熟れて赤くなった後にしなび、「黒ダイヤ」とも呼ばれたピメンタ・ド・レイノとなる。 同地の胡椒は一九三三年、南米拓植株式会社(南拓)社員の臼井牧之助氏が、寄港地のシンガポールから持ち込んだ南洋種の成功に始まる。十五年近くの根気強い挿し木増殖の結果、黄金時代を迎えた。 胡椒の木を見るのは初めてという人も多く、興味津々の様子。赤く熟れた実をかじって、「コショウの味だ」と一人が言うと、「どれどれ」と次々試している。「これで料理してみよう」とポケットにしまう人も。 ゆっくりと見て回る暇もなく、バスに駆け込み、昼食のレストランへ。ここではまたしても、「皿がない」、「食べ物がない」事態に遭遇。店側の手際の悪さに、かなりの不満が出た。 昼食後はいよいよ、八十周年式典が行なわれているトメアスー文化農業振興協会(ACTA)に向かった。人数の都合上、式典には出席できなかったものの、後の祝賀会には小一時間ほど立ち寄ることができた。 ステージで歌や踊りなどのアトラクションが繰り広げれられる中、テーブルには婦人部お手製のありとあらゆる和食が並ぶ。エビをふんだんに使ったメニューなど、ここならではだ。 昼食を食べ損ねた人は、ビールまで失敬して宴会に加わり、顔を緩ませていた。忙しく立ち働く婦人部は、裏方の台所との間を行ったり来たり。覗いてみると、既にふるさと巡りの先客がいた。 江口マサエさん(六七、新潟県)は、一九六四年十二月着のぶらじる丸の同船者、南部和枝さん(六八、茨城県)に再会して感激の様子。 「きっと会えると思って来ました」。二人とも花嫁移民として海を渡り、ベレンで下りた南部さんは船上で挙式し「みんなの憧れだったのよね」(江口さん)。四十五年前に思いを馳せ、「また会いましょう」と約束して別れていた。 ACTAの広い敷地内には、「移民の森」と題した初期移民の家や植樹林、移住七十周年碑などがある。日本語学校と運動場に加えてこの日、「トメアスー日系学校」が、JICAの草の根無償資金協力を受けて竣工したところだ。 農協内の移民史料館には、日本人移住の歴史が写真で詳しく紹介されている。交通の便も悪く、「緑の地獄」と言われたこの地を切り開いた日本移民の苦闘は想像を絶するものだっただろう。 『トメアスや 古きを偲ぶ八十年―』 鶴我博文さん(七三、福岡県)が即興で詠んだ。「八十年の中にどんな人がいたのか知りたい」。ふるさと巡り常連の鶴我さんは、式典に参加出来なかったことが残念だという。 入植初期を彷彿とさせるようなトメアスーとの出会いを楽しみにしていた参加者も多いだけに、急ぎ足での訪問・見学は少し心残りのよう。後ろ髪引かれる思いで同地を後にした。(つづく・上岡弥生記者) 写真:ピメンタ・ド・レイノ...
【中国新聞】不況で職を失った日系ブラジル人たちを対象にした職業訓練コースが今月、広島市内で始まった。開講したのはIWAD環境福祉専門学校(南区)。厚生労働省の緊急人材育成支援事業の一環で、農業や福祉分野の実習で技能を身に付け再就職を目指す。 各労働局などによると、日系外国人を対象にした同事業の訓練コースは中国地方で初めて。広島県内のブラジル、ペルー出身の日系二世、三世14人が訓練を受けている。 自動車関連などの工場で派遣社員として働いていたが、昨年後半以降の減産で職を失った人が多い。20~60歳代と年齢は幅広い。 コースは半年間で、農業、福祉分野の実習、ビジネスマナー講習などがある。安芸区にある同校の農場で果樹栽培などの作業をしたり、ベッドを備えた実習室で介護の基本を学んだりする。 コース修了後、訓練生は同校に進路相談をした上で就職先を探す。平田冨美子校長は「修了後も就職は簡単ではないが、専門分野の勉強を続ければ採用の可能性は高まる」と話す。
ニッケイ新聞 2009年10月27日付け ■訃報■温井敏行氏 カンピーナス文協会長を務めた温井敏行さんが23日午前11時、心不全のためバリーニョス市内の病院で死去した。82歳。近年は体調を崩し、療養を続けていた。奈良県出身。1962年に渡伯、奥地で農業に従事した後70年にカンピーナスへ移転。同年カンピーナス日伯文化協会で日本語教室を始め、4年間教師を務めた。98年から2002年まで同文協会長。在任中の00年に新会館建設委員長として貢献した。また、80年にカンピーナス地方カラオケ愛好会創立に関わり、後に会長を務めたほか、聖北連盟本部および支部会長を歴任するなど文化活動に尽力した。同地では青果業を営んでいた。葬儀は24日午前11時に市内フランボヤン墓地で行われ、同日埋葬された。
ニッケイ新聞 2009年10月28日付け 在ブラジル青森県人会(玉城道子会長)は創立55周年を祝して、聖市の会館で記念祝賀式典を開催した。日本から蝦名武副知事、田中順造県議会議長、塩越隆雄・同県国際交流協会長ら訪問団11人や津軽弁川柳作家の渋谷伯龍さんがはるばる駆けつけ、約100人の県人らと共に盛大に祝い、県と県人会の絆をさらに深め合った。また、父親が平川市(旧平賀町大坊)出身の斉藤準一ブラジル空軍総司令官も家族と訪れ、先人に感謝と敬意を示した。 当初は、「55周年記念事業として会館改修を進め、内輪だけで静かに祝う予定だった」(玉城会長)が、会が進める会館改修工事に母県関係者が理解を示し、応援と移民の労苦を労うために訪問団を結成、式典へと参加することになった。戦後移住者の指導・援助と県人の親睦などを目的に39人の発起人で始まった同会。玉城会長は「県の方々の快い協力を得て改修をはじめることができた」と感謝し、「互いに支えあい迎えられた55周年。これからも皆様のために頑張っていきたい」と力を込め、拍手が沸き起こった。蝦名副知事は、県人移民を労い、「将来を担う人づくりに、ブラジルに大いに学ぶべきところある」と三村申吾知事の祝辞を代読した。斉藤大将は、「日本人移民の子孫がこうして活躍しているのは、教育の機会を与えてくれた両親はじめ先人たちのおかげ」と感謝を示し、55周年を迎え誇りに思うと言葉を送った。続いて創立会員の鳴海忠夫さん(85)と長内藤男さん(89)、在リオ青森県人会(15家族)の斉藤光幹事、最高齢会員の102歳の畑井健二さんに表彰状が手渡された。杖を持たず元気な姿を見せた畑井さん。30歳で妻と長男を連れ移住、大工として働きながら子供7人を育てた。笑顔を振りまきながら表彰状を受け取り、両手を空中に突き上げて喜びのポーズ。会場を和ませた。この日は、畑井さんのひ孫岩田トーマス寿くんが孫夫婦に連れられて参加。年齢差はちょうど100歳だ。畑井さんは、嬉しそうにトーマス君を見つめながら、「今じゃ来てよかったなぁって思うよ」と移民人生を振り返った。なお式典の中で、会館改修工事費として県から補助金500万円、県議会から30万円、交流協会が呼びかけて集まった720万円の目録が玉城会長らに手渡され、県人会からは感謝状と記念品が贈呈された。式典後は、乾杯とケーキカット。シュハスコと会員手製の食事を囲んで、賑やかに親睦の時を持った。▼ ▼祝賀会の後もプログラムが続き、NHK青森「お国ことばで川柳」で選者をつとめる方言川柳作家、渋谷伯龍さんの講演「楽しいふる里ことば」で、楽し懐かしい津軽弁の講義に、笑いの渦が巻き起こった。続いて蝦名副知事が立ち上がり、「めぐせえ(はずかしい)」と笑わせつつ、津軽民謡を披露。仁王立ちで力強い美声を響かせて拍手大喝采を浴びた。最後に全員で青森県民の歌を合唱して閉会した。初来伯した蝦名副知事は、「助け合いながら生きている姿に昔の良き日本を感じた。三世、四世と続いて欲しい」と述べ、研修制度に対し「大事なこと。これからも続け、様々な交流をしていきたい」と語った。
移民100周年写真展が開催中 邦字紙撮影提供の90点が展示 【東京支社】今年六月に旧「神戸移住センター」を改修した神戸市中央区にある「海外移住と文化の交流センター」は、二十日から特別写真展「ブラジルに根付くNIPPON」(日伯協会など主催)を開催し、話題を呼んでいる。 同展は、同センター開館記念として企画された特別写真展で、サンパウロ新聞などが昨年ブラジル日本移民百周年に撮影した約九十点の写真を展示。現地で受け継がれている盆踊りなど日本全国の祭りの様子、各地に建立されている大鳥居、スーパーで売られている日本食などが展示され、ブラジル各地で日本文化を守って生きてきた日本人移民や日系人の暮らしぶりを知ることができるように工夫されている。 開催に先立ち、十七日に行われた内覧会には、海外日系人大会に出席していたブラジル日本都道府県人会連合会の与儀昭雄会長一家や園田昭憲副会長、松尾治ブラジル日本移民百周年記念協会執行委員長、ペルー日系人協会の斉藤カルロス会長をはじめ日伯協会関係者など約五十人が出席した。 写真展の開幕は、予算上の問題でテープカットなど華やかな行事は行なわれなかったが、開幕と同時に二十人の団体が早々と見学に来たのをはじめ平日にもかかわらず、五十人の来場者で賑わい、幸先の良いスタートとなった。 また、連日報道関係が取材に訪れ各地で報道されたことから、日伯協会には電話の問合せが多く、同協会ではうれしい悲鳴を上げている。 同センター改修の募金運動に協力した県連の与儀会長は、「素晴らしい建物になり、開館記念にブラジルの日系コロニアを紹介していただき、感激しています。写真の中には我々の知らないところもあり、大変興味深い」と家族とともに会場の写真を展覧していた。 同展が人気を集めているのは、先ごろ、リオデジャネイロが二〇一六年の夏季五輪開催が決まったばかりで神戸の人たちにもブラジルへの関心が高まっているからだ。海外最大の日系人コロニアを抱えており、移民百周年記念協会の松尾治執行委員長は「南米初の五輪は我々にも大きな誇り。移民の歴史を知るきっかけにしてほしい」と話している。 同展は入場無料で、十二月二十日まで行なわれている。 写真:写真展を観覧する人々(写真は(財)日伯協会提供) 2009年10月24日付
車椅子の移民史研究家=イビウナの香山栄一さん=3千冊の移民関係蔵書 「コロニアの歴史は面白い」。そう繰り返し語る聖南西のイビウナ市在住の香山栄一さん(84、福岡)は、おそらく個人としてはコロニア一、3000冊以上の移民関係の蔵書を持つ。72年から病気のために車椅子生活になったにも関わらず、コンピューターを駆使して最新の情報収集に務め、コロニアの記念誌はもちろん、アルゼンチンやパラグアイなどの南米各国、北米、日本の出版物まで、手の届く限りの移民関係本を収集している。 「こんなのは見たことありますか?」。少々耳が遠くなった香山さんは、客の前にマイクを置き、ヘッドフォーンで聞いて会話する。部屋の壁面には本棚がならび、移民関係の蔵書がずらり。 コンピューターを置いた広い机のすぐ横には、自家製本するためのコピー機があり、自宅というよりは、事務所か研究所の風情だ。80代半ばの戦前移民としては珍しく、コンピューターを自在に駆使して次々に目新しい映像や音楽を見せる。 貴重な蔵書の中でも一番のお気に入りは、なんといっても鈴木貞次郎(南樹)の『日本移民の草分』(1967年)だ。「笠戸丸以前に、自ら実験台になってブラジルの農園に入り、日本移民の見本として苦労した。言葉もよく分からないなか、よい成績を残したのはエライと思う。使命を自覚して頑張った姿に感銘を受ける」とその理由を説明する。 1925年10月に福岡県で生まれ、4歳で大阪へ、1933年に7歳で親に連れられて渡伯してチエテ移住地(ペレイラ・バレット)へ入った。戦後、アリアンサ移住地との中間にある湿地帯に土地を買い、開墾して機械化した綿作りもした。 その後、聖市でブラスネンに入社し、71年にイビウナ市で農機具販売店アグロ・カヤマを創業し、現在は3代目、孫が経営にあたっている。 チエテ河にトレイス・イルモンイス発電所のダムが完成して90年にノーボ・オリエンテ橋が湖底に姿を消したことから、「移住地の存在も世代の交代とともに忘れられていくかもしれない」との想いから一念発起して、約40人の開拓体験者に呼びかけて、『拓魂のうた(思い出で綴るチエテ郷土史)』(97年)も編著し、自分史も著すなど執筆意欲も旺盛だ。 書籍を通して各国の日本移民を比較し、「どこの移民も初期はブラジルと似ている。一世は言葉の壁があるから〃肥料〃となって、日本人の特質を残した二世、三世が繁栄する」と分析する。 ブラジルに関しても、「日本語はよく分からないが、日本文化を尊重する気持ちは二世、三世にも伝わっている」と見ている。「後世に少しでも日本的なものを残して欲しい」と百周年後に期待をしている。
ニッケイ新聞 2009年10月24日付け ブラジル和歌山県人会連合会(木原好規会長)は11月8日午前10時から、ブラジル宮城県人会(Rua Fagundes, 152)で創立55周年式典を挙行する。母県から仁坂吉伸知事、冨安民浩県議会議長を始め、和歌山県国際交流協会(樫畑直尚理事長)など、公式に11人が来伯する。昨年発足した中南米交流協会(迫間脩代表)の関係者や、ブラジルで大正琴の普及に尽力した畑美琴峰さんなど16人が訪れる。式典では、舞踊などのアトラクションが行われ、大正琴・琴聖会の演奏も披露され、八十歳以上の高齢者155人への表彰が実施される。慶祝団一行は、十一月七日に着聖、イビラプエラ公園の開拓先没者慰霊の参拝や日本館、移民史料館を訪問。仁坂県知事による日系旅行社関係者らと県の観光事業に関する意見交換会が催される。また、民間の訪問団は式典後、リオやマナウスを観光後、同県人移民の多いマット・グロッソ・ド・スール州のドウラードス市も訪問する。問い合わせは同県人会(電話=11・3209・6771)まで。
ニッケイ新聞 2009年10月23日付け 沖縄県人会と沖縄文化センター共催の「第4回こども祭り」(呉屋春美実行委員長)が、「子供の日」の12日午前9時からジアデマ市の同センターで開催され、約1千人が来場した。子どもを対象とした日系イベントが数少ない中、縁日でなじみの輪投げや金魚すくい、射的や日本食、また舞台での演舞やワークショップなど、幼児から楽しめる盛りだくさんの内容に、子どもたちは時間を忘れて熱中した。初めて文化センターの広い敷地を会場に選んだ。県人会支部の100人以上の若者がボランティアとして祭りを支え、当日は抜群のチームワークを発揮した。希望者が後を絶たず大人気だったのは、書道やマンガ(似顔絵)のワークショップ。また、大人には沖縄系イベントならではの「ヤギ汁」「沖縄そば」が好評だったようだ。無事に同祭を終えた呉屋実行委員長は、「若いボランティアや皆さんの協力が素晴らしかった」と感謝。「子どもは県人会の将来を担う大切な存在。活躍してくれる子を育てたい」とさらなる県人会の発展に期待を込め、「成功ですね。ずっと続けていきたい」と笑顔で語った。
ニッケイ新聞 2009年10月23日付け コロニアからの浄財も呼びかけて100周年記念事業として改修、今年6月にオープンしたばかりの「神戸市立海外移住と文化の交流センター」(旧神戸移住センター)で20日から、開設を記念した特別写真展「ブラジルに根づく〃NIPPON〃」(神戸市、日伯協会主催)が始まった。ニッケイ新聞やサンパウロ新聞などが提供した約100点の写真が飾られ、現在のコロニアの人々や祭り、食文化などを伝える。12月20日まで。「ブラジルに根をおろし、あらゆる分野で活躍する日系のみなさん。この間にブラジルに伝え育てたものに日本文化があります。そこには、いまの私たちが忘れてしまったものがあります」―。ポスターではこのように紹介され、ズットラ街道の4車線を跨ぐようにしてそびえ立つモジ・ダス・クルーゼスの大鳥居の写真が印象的だ。写真展は祭り、食など四つのテーマからなる。七夕祭りや生け花、茶道、盆踊り、阿波踊り、太鼓など、非日系人も一緒になって楽しんでいる日系社会ではおなじみの風景が、写真を通して伝えられている。また、昨年同センターから海を渡ってブラジルに届けられた「友情の灯」の様子や、100周年でリオのカーニバルに登場した「笠戸丸」の写真も展示されている。同展開催にあたっては、ニッケイ新聞も今年4月に刊行した写真集「百年目の肖像」から多数提供するなどの協力をしている。21日付け神戸新聞によれば、神戸大文学部に通う23歳の日系ブラジル人三世の女性は、「小さいころから見てきた光景ばかり」と懐かしみ、「移民の歴史を知っている日本人は少なく、写真展をきっかけに知ってほしい」と話した。午前10時~午後5時。入場無料。月曜休館(祝日の場合は翌日)。住所は兵庫県神戸市中央区山本通3。
ニッケイ新聞 2009年10月23日付け ブラジル岩手県人会(千田曠暁会長)は、昨年6月に開催された「ブラジル県人会創立50周年記念式典」に出席した達増拓也岩手県知事、渡辺幸貫県議会議長を始めとする慶祝団への答礼訪問を9月4日から28日の日程で行った。訪問団は千田会長夫妻ら7人。一行は県知事や盛岡市長、関係市町や新聞社、地元テレビ局などを訪問し、ブラジルの現状の紹介や同県人会のアピールを行った。江刺市の文化財や宮沢賢治記念館などの名所旧跡なども視察。また、ブラジルに県特産品や文化を紹介するという今後の県人会活動を見据え、流通や物産関係者と打ち合わせを行った。創立50周年記念式典にも参加し、来伯4回を数える岩手県民謡協会主催の「歓迎の夕べ」では、100人が歓迎。千田会長自らマイクを握り、自慢の喉を披露。訪問団の一人、工藤五三郎さん(83)は、故郷滝沢村へも5年振りに訪問。村役場の全職員が講堂に集まり、里帰りを祝ったという。千田会長は、「各地での思わぬ歓迎会が嬉しかった」と古里の温かさに触れ、「これからも、普段から母県と繋がりを保っていきたい。来年はパラグアイピラポ県人移住50周年があるので、ブラジルにも寄ってもらいたい」とさらなる交流を期待した。
快晴の祝賀式典に200人が出席 一九九八年のブラジル日本移民九十年を記念してサントス市ボケロン海岸沿いに建てられた、『日本移民ブラジル上陸記念碑』の移転祝賀式典が十八日午前十一時四十五分から、同市のジョゼ・メニーノ海岸にあるエミサリオ・スブマリーノ公園で行なわれた。当日は、前日までの雷雨が何事もなかったかのように晴れ渡り、サンパウロからバス等利用して駆けつけた人や地元市民など二百人余りが詰め掛け、新設置の銅像披露に立ち会った。 景観の良い憩の場に 日本人会で文化祭りも 同記念碑の移転事業は、「専用道路を通る自転車の往来が激しく、見る場所も狭く立地条件が良くない」等の声を受けた同市から、県連に話が持ちかけられたことに始まる。 今年一月には、県連の与儀昭雄会長、移民百周年記念協会の松尾治執行委員長などが候補地を視察。同市や同日本人会と協議を重ね、連携協力して今回実現の運びとなった。 移転された同公園には、昨年六月にご来伯された皇太子殿下の記念碑や大竹富江氏が製作した移民百周年記念モニュメントがあり、大型バスを何台も停めることのできる駐車場も完備。休日には、スケートボード専用広場や子どもが遊べるプレイランド等に家族連れが集まり、憩いの場となっている。 式典には、ジョアン・パウロ・タバレス・パパ同市市長、中井貞夫同市市議、土井紀文サントス日本人会会長、上新(かみ・あらた)元同会会長、坂本アウグスト進県連副会長らが出席。 ジョアン市長は、移転に尽力し、列席した関係者らを一人一人紹介し、協力活動に対する謝辞を述べ、「日本移民の記念碑を景観の良いこの場所に設置できてとても良かった」と挨拶した。 続いて行なわれた桜の記念植樹に臨んだ上・元サントス日本人会会長は、「ありがとうございます」と、スコップを持った手を突き上げ、喜びを爆発させていた。 式後のアトラクションでは、鳥取県人会しゃんしゃん傘踊りの「きなんせ節」、沖縄県人会エイサー太鼓の「琉球國祭り太鼓」等にビーチからも見物人が集まり、誰からともなく自然と手拍子が起こる盛り上がりを見せていた。 訪れた人たちは、午後から、『第二回サントス日本文化祭り』の開かれているサントス日本人会に場所を移して、同会が出店する焼きそば、自慢の天ぷらや寿司等に舌鼓を打ちながら、歌謡、武道、日本舞踊といった日本芸能の舞台を観賞、祝福ムードに包まれた和やかな一日を過ごしていた。 写真:記念植樹に笑顔の上(かみ)元会長(中央) 写真:式典で謝辞を述べるジョアン市長 2009年10月23日付
バルサでグアマー川越え てんやわんやのトメアスー視察 午前四時半、ふるさと巡りの一行を乗せたバスは、ベレンから八十キロ走ったイニャンガピーで停止した。薄暗い中、グアマー川をバルサ(車両運搬用筏)で渡るため、一旦バスから下りる。 ベレン―トメアスー間は一九六〇年の道路工事まで、二百七十キロの水路を船で十五時間かけて往来していた。今はこの一か所だけ、バルサを使う。対岸のブジャルーまでは約半時間、随分便利になった。 ただ、乗船までがやたら時間を食う。バックで車両を乗せるのが面倒で、バスなどの大型車は、斜面差でボディをこすらないよう、整理係がタイヤに添え木して誘導しなければならない。 ふるさと巡りの面々は、「ここは時間がゆっくりだから」、「昔は桟橋も地道だったんだよ」とさして気にならない様子。隣のスタンドで、朝のカフェを一服している人もいる。 バルサがいっぱいになったところで出発。一般客は車両と車両の隙間に入り込み、一行も乗り込んだ。既に太陽が昇り、時計は六時を指している。七台の大型車と十台の普通車を乗せたバルサは、静かに岸を離れ、対岸へ。 少しずつ熱くなってきた。日中の平均気温は三十五~三十九度だという。ブジャルーに着くと、さっそくバスに乗り込み、トメアスーに向かう。もう一眠りの人もいれば、車窓の風景を楽しんでいる人もいる。 トメアスーのドゥ・ノルテ・ホテルで朝食をとる。出発以来、全員での食事は初めてだ。バス毎に時間差を設けているのだが、「二百人」という大変さは、今後も旅行中つきまとう。 席がない、皿がない、パンがないとあって、てんやわんや。「街に一つ」の民宿系ホテルで、そこにバス四台が押し寄せたわけだから、想像に難くない。長蛇の列となったトイレは、ホテル側が宿泊部屋を開放してくれて緩和されたが、どうやら客のいる部屋らしく、壁にはスーツがかかっていた。 腹ごしらえをすると、出発だ。トメアスーの八十周年式典日ではあるが、ふるさと巡りの一行は、全員が会場に入れないということで、同地の視察をした。 十五分でトメアスー農協(CAMTA)に着いた。日系の組合で、創立六十年。五〇年代は黒コショウがメインだったが、六〇年代後半から果物へ転向。現在は、十三種類の冷凍果物をジュース加工している。 主力のアサイーは、年間四万トン分を生産。主に国内市場用だが、二〇〇〇年に入ってからは、日本と米国にそれぞれ、三百トン、五百トンずつ輸出しているという。 時間の都合上、工場内を見学できなかったのだが、外で絞りたてのアサイージュースを頂く。サンパウロなどでは味わえない、濃いドロッとしたフレッシュな味だ。 鉄分が濃いため若干生臭く、喉越しもいいとは言えないため、初めて飲んだ人は、「ダメ」とギブアップ。または、なんとも言えない表情で砂糖をしこたま入れていた。 川縁に自然生育するアサイーは、果実は濃い紫色で直径二センチほど。種が大きく、ジュース一杯分に相当量を要する。「なんて贅沢」、二杯目をグイッと飲み干し、バスに駆け込む。 トメアスーの町は、主要道路から一本外れると未舗装も多い。子どもたちは自転車で、幼子を抱えた若い母親は、赤土の上をゆっくりと歩いている。日本移民が初めて来た八十年前も、こうして赤土を踏みしめたのだろう。 (つづく・上岡弥生記者)...
県連(与儀昭雄会長)とASEBEX(留学生・研修生OB会)共催の第三回弁論大会が、十八日午後一時から聖市リベルダーデ区の広島県人会館で開催され、会場には約百人が詰めかけた。 大会には二十四人の応募中、十五歳から二十七歳までの二十一人が参加し、「私のまわりの日本文化」をテーマに自分たちの意見をアピール。その結果、サンパウロ大学で日本語を教授する非日系のペドロ・マルケスさんが優勝を果たした。 大会でははじめに、県連元副会長で宮崎県人会名誉会長の長友契蔵氏が挨拶。開催について各方面の関係者への感謝の意を示した上で、自分の考えを人に伝えることの大切さを強調。「発表者の中からブラジルの大統領になるような人物が出ることを望む」と激励し、期待を込めた。 引き続き、JICA派遣シニアボランティアの幸脇一英氏が「継続と世界」の大切さを述べ、「関心を広げて違う文化の人々と出会ってほしい」との祝辞を贈った。 審査委員長である杉本俊和氏は採点基準として、(1)弁論内容(2)日本語表現力(3)音声表現力の三点を説明。その中でも内容を重視するとし、「点数だけでなく、審査員の合議で一番から五番までの入賞者を決める」と述べた。 発表は三部に分かれ、それぞれの間に剣舞、長唄などのアトラクションも実施。一番の大貫純さんを皮切りに二十一人の若者たちが、アニメ、和太鼓、よさこい・ソーランや祭りのほか、日本食などといった身近な日本文化への参加について自分たちの考えを披露した。 中には、音楽活動と自分のルーツを併せた内容や、尊敬語と謙譲語の違いなどについて触れる高度な発表もあり、来場した人々を感心させていた。 入賞者(上位五位)は次の通り(敬称略)。 優勝=ペドロ・マルケス。二位=小田崎アレサンドラ。三位=安楽あゆみ。四位=矢倉定一。五位=滝浪仁。審査員特別賞=生田康三。 写真:優勝したマルケスさん(左から3人目)と上位入賞者たち 2009年10月23日付
いざ行かん、傘寿迎えたアマゾンへ―。県連主催「第三十二回移民のふるさと巡り」は、日本人移住八十周年を迎えたベレン、トメアスー、マナウスを回る慶祝ツアーだった。そのため、八県人会長を含む二百十一人が参加、都市間の移動は飛行機だが、現地ではバス五台を連ねて移動という、「県連始まって以来」の大型ツアーとなった。(上岡弥生記者) <思い巡らせトメアスー目指す 過去最多の211人、6割は初参加> 九月十五日、一行はサンパウロからベレン国際空港に到着した。人数が多い分、飛行機も三便。午前中に到着した第一便は、その足でトメアスーに向かい、午後十一時着の第二便は二時間後に着く第三便を空港で待つ。 その間、参加者名簿を繰ってみる。聞いた名前もちらほらあるが、たいていは知らない。いつも常連が多いふるさと巡りだが、旅行会社のセルビッソ・グローバルによると、今回は六割が初参加だそう。 県連からは、青森、栃木、滋賀、鳥取、島根、福岡、長崎、鹿児島、沖縄の八県人会会長が同行。滋賀県の山田康夫会長が総団長、沖縄県の与儀昭雄県連会長が慶祝団の団長ということだった。 さて、二時間をどう過ごすか思慮していた所、ポルト・アレグレから初参加の和田好司・恵子さん夫妻に拾われた。夫妻は空港のレストランで、カルデラーダというマナウス伝統料理の魚スープを注文し、わざわざ呼びに来てくれたのだった。 一九六一年五月着のあるぜんちな丸同船者のホームページ、『私たちの四十年!』の管理人として広く知られる好司さん(六九、兵庫県)は、同船者の足跡めぐりがライフワーク。 当時、ベレンで下船し、モエマとトメアスーに入植した三十二人に思いを馳せ、その中にはトメアスー八十周年式典実行委員長の海谷英雄さんもいるといい、再会を楽しみにしている様子。 ビール片手に、ジャンブーという薬草の入った酸味があるスープをつついていると、同じくあるぜんちな丸同船者の麻生悌三さん(七一、静岡県)夫妻が合流した。 東京農大拓殖科二期生の麻生さんは一九六〇年、海外飛遊を夢見て渡伯。サンタレンでジュート麻の集買に従事したという。 コーヒー豆の麻袋に使うジュートは、下半身は水中、上半身は灼熱の太陽に焼かれるという刈り取り作業が重労働。足掛け三年アマゾン地方にいた麻生さんだが、「陸の孤島」と呼ばれたトメアスーを訪れるのは、実に四十八年ぶりだとか。 ベレンから約二百キロ、途中、川渡しを利用するものの陸路で五時間というトメアスーは、「滅多に行ける所じゃないから」と訪問を楽しみにしている人が多く、今回の旅のハイライトとなっているようだ。 アマゾン地方における日本移民最初の入植地であり、この所、苦闘続きの開拓初期を綴った連載が邦字紙に掲載されていることからも、「実際に自分の目で見てみたい」という人が多かった。 八十年前の翌日、十六日は、日本からの四十三家族と単身者九人の百八十九人を乗せた「まにら丸」が、ベレンに寄港した日。トメアスーの八十周年記念式典はその日に合わせ、ふるさと巡りの一行は、それに駆けつける算段だ。 百五十人を乗せた第三グループの航空便は、日付が変わった午前二時前、ベレンに到着。現地参加組とも無事合流し、バス四台に分乗して、いざトメアスーへ。 十分なリクライニングも、足置きもトイレもないバスでの「車中泊」だが、初日のせいか、みな元気。道路の舗装は「良い」とは言えず、寝ながらの移動は期待できそうにないが、ともかく出発だ。 (つづく) 写真:総勢200人が参加した80周年慶祝ふるさと巡り(写真はマナウス式典)...
岩手県人会(千田曠曉会長)では、二〇〇八年六月の創立五十周年記念式典の際に同県知事や県議会議長から慶祝訪問を受けた答礼として、同会会員七人が去る九月四日から同二十八日にかけて母県を訪問した。 一行は県庁や各市町村の関係機関を答礼訪問したほか、花巻市、山田町で開催された秋祭りにも参加。千田会長は「子供の頃に(秋祭りに)行ったきりだったので、五十数年ぶりに参加できた」と語った。 表敬先では、ブラジルの現状と同会の活動内容も紹介。岩手の文化、特産物、観光を南米に紹介する上で、県や市町村と協力しあいながら同会で可能な限り支援する旨を伝えた。 千田会長はまた、今年八月にパラグアイで研修を行なった盛岡農業高校の生徒七人がブラジルを訪れた際に、同会が歓迎会を開催したことにも触れ、「岩手県の関係者が南米を訪問することは、県人会との交流を深める良い機会です。今後も様々な形で県に貢献していきたい」と母県への愛情をのぞかせた。 写真:達増拓也県知事(右から2番目)ら関係各所を訪問 2009年10月22日付
ニッケイ新聞 2009年10月22日付け ブラジル石川県人会(小堀勇ジェラルド会長)は、17、18日両日、聖市の同会館で第10回目となる文化祭を開催した。石川県人会で行われている陶芸、絵手紙、川柳、水彩画、生花教室の作品が展示され、二日間で250人以上が来場。日本文化にどっぷりと浸かる週末となったようだ。初日午前10時過ぎ、小堀会長が「ごゆっくりお寛ぎください」とあいさつして開会。ブラジル宝生会による謡曲「玉葛」が披露され、豪雨も吹き飛ばすような迫力のある声で、日本文化の世界へと引き込んだ。会館裏にある二つの焼き窯で焼かれた個性豊かな大小の器や花瓶、置物は、展示と同時に販売もされ、毎年好評だ。陶芸教室は今年で12年目を迎えた。父親が会長を務めた古田敏子エレーナさんが指導をしている。「生徒さんもだんだん上手になってきている。いろんな思いを込めながら作る過程が良いんですよね」と笑み。午後からのワークショップでは希望者が集まり、ろくろを回しながらつぎつぎと作品を作り上げる佐藤正行講師の手にじっくりと見入った。終日賑やかに行われたのは、絵手紙教室のワークショップ。「へたがいい、へたでいい」を合言葉に、割箸や筆を手に多くの人が体験した。最高齢の東海林貢さん(92、満州生まれ)をはじめ、約30人が集まる同教室。展示作品はハガキ、草履型、甲骨文字など趣向豊かでプロ級の腕前だ。ブラジルで絵手紙を広めた神奈川県在住の洋画家・小林美恵さんから送られてきた絵手紙も飾られた。「旗振り役」で指導者の石井恵子さん(65、栃木)は、「決まりは書いたらポスト。心が伝わるでしょ。人と人を繋げる温かいものなんです」と魅力を語る。メンバーの西谷律子さんの大阪在住の親戚を通じて、日本の絵手紙教室との文通も頻繁に行われて、着々と日伯の友情が育まれているようだ。河村徳子池坊ブラジル支部長が12年前から指導している生花は、4人の作品が飾られ、来場者の関心を惹きつけた。また会場裏では婦人部青年部の餅搗き会が行われ、即売された。「こうやって年に数回、県人たちで集まるのが楽しみなんですよ」と話すのは古参会員の高桑敬さん(80)。現在は息子の住むベロ・オリゾンテとサンパウロ市を行ったり来たりする日々だ。じっくり鑑賞しながら再会を楽しんでいた。◎石川県人会では、俳句、謡曲、陶芸、生け花、水彩画、絵手紙の教室を開いている。問合わせは、会館(11・3884・8698)まで。
ニッケイ新聞 2009年10月22日付け 「日本語を勉強する道を選んで良かった」―。優勝が決まった直後、マルケス・ペドロさん(23、聖市)は感動した面持ちでそう語った。広島県人会で18日にあった「第3回県連ASEBEX弁論大会」(県連・ASEBEX共催)には、日本語を学ぶ21人(うち非日系人は5人)が出場、「私のまわりの日本文化」をテーマにふるった熱弁に約200人が耳を傾けた。 開会式では主催者を代表して宮崎県人会の長友契蔵名誉会長が「夢を実現するには人を説得するのが大切。日本語での弁論で人間としての〃窓〃をいくつも作り、自信をつけてください」と挨拶した。大会は3部に分かれ、15歳から27歳までの参加者が自らの体験や調べたことをもとに発表した。日語の幼稚園で働く安楽あゆみさん(三位)は、「現在の家庭では日本語を使わない子どもが多い。日本の歴史などに興味がなければ、『祭り』など、分かりやすいものから日本文化を伝えていけば良いのでは」と若者ならではの意見を語った。小田崎アレサンドラさん(二位)は、「日本の古典音楽は寂しい感じがしたが、当時の映画や本を読むうちに、とても美しいものと感じるようになった。文化とは一過性のものでなく、コツコツと積み上げるもの。音楽を通して日伯を融合させたい」との解釈を披露した。優勝したマルケスさんは「人間関係」も文化と捉えた。日本人独特の距離感の取り方を「興味津々」としたうえで、『謙遜』について、「ブラジル人にはあり得ない発想。日本人は自分の能力を矮小して語り、しかも念のため謝っておく。外の顔と内の顔がしっかり分けられている」と分析、「日本文化は金閣寺ではなく、銀閣寺のように繊細。私も周りに気を遣えるような人になりたい」と締め括り、見事日本行きのチケットを勝ち取った。サンパウロ大学総合哲学文学人間科学部日本語学科で学んだ。現在は同大学文学部で日本語を教えている。最後に審査員の多田邦治さん(「椰子樹」元編集長)は、「テーマである〃文化〃にとらわれ過ぎ。日本文化には目に見えないものが多く、それを取り上げて欲しかった」と講評。杉本俊和審査委員長は「我々はどうしたら日本文化を残そうか悩んでいるが、若者が日本文化を積極的に求めているのは嬉しい」と感想を語り、「上手下手ではなく、どれだけ文化を分かっているかが大切。審査員と演者との真剣勝負とすれば、楽しい勝負ができた」と締め括った。◎入賞者は次の通り(敬称略)。一位=マルケス・ペドロ(23)、二位=小田崎アレサンドラ(20)、三位=安楽あゆみ(18)、四位=矢倉定一(24)、五位=滝浪仁(15)。また、今年から審査員特別賞が設けられ、生田康三(17)が選ばれた。なお、一位から三位には神奈川文化援護協会(村田洋会長)から二宮賞として、二宮金次郎のブロンズ像が贈られた。
