06/03/2026

Ano: 2011

【8月】ブラジル沖縄県人会(与那嶺真次会長)の創立85周年記念式典が、聖市リベルダーデ区の同本部会館で開催。式典には母県から上原良幸副知事及び12の町村会(城間俊安会長)関係者ら慶祝団一行をはじめ、伯国内会員やボリビア、ペルー沖縄県人会代表など約500人が出席した。 【9月】聖州スザノ市のグァイオ親睦会(石橋包次会長)は、創立55周年を記念した式典をスザノ文化協会会館で開催した。野田佳彦新首相(民主党代表)が官房長官に藤村修氏(61、大阪7区)の起用を決めた。同氏は、元日本ブラジル青少年交流協会事務局長として30回以上にわたって日伯間を往復し、青年同士の交流を促進してきた。 中米ニカラグアでU―10(10歳以下)汎米野球大会が開催され、伯国代表は6勝2敗の4位で全日程を終えた。文協(木多喜八郎会長)主催の第40回国際民族舞踊祭が聖市リベルダーデ区の文協記念講堂で開催され、22か国・地域から35グループが出演。今年は特にウクライナ・コミュニティーが移民120周年の節目の年を迎えた。 援協(菊地義治会長)はサンミゲル・アルカンジョ市のSUS(統一医療保健システム)病院建設地で地鎮祭を行い、出席した関係者たちは新たな事業の幕開けを祝った。 【10月】プロ口笛奏者もくまさあきさん(69)の口笛コンサートが、聖市リベルダーデ区の宮城県人会館で行われ、会場が満杯となる約200人が詰めかけた。 福博村会(上野ジョルジ会長)主催のスザノ福博村入植80周年記念式典が、スザノ市ビラ・イペランジア区の同会館で開催され、地元をはじめ伯国内外からの関係者約400人が出席した。 高拓生アマゾン入植80周年記念式典が、パラー州ベレンを皮切りにアマゾナス州パリンチンスとマナウスでも開催された。アマゾナス州議会は、第2次世界大戦でブラジル人が高拓生を迫害したことに対して、戦後初めて公の場で謝罪。高拓生たちのアマゾンへの貢献を高く評価した。 ブラジル新潟県人会(南雲良治会長)創立55周年記念式典が聖市リベルダーデ区の宮城県人会館で開催。式典には、母県から北島智子副知事、村松二郎県議会議長をはじめとする慶祝団が来伯して出席し、聖市やパラナ州ロンドリーナ市からの会員など約300人が一堂に会した。 【11月】入植周80年を迎えたスザノ福博村(上野ジョルジ同村会会長)で同村在住の日本人1世である黒木穣(くろき・じょう)さん(61、宮崎)が、覆面をした強盗グループと拳銃で撃ち合いとなり、顔面に3発を被弾して死亡した。 日本の歌手・八代亜紀さんを特別ゲストにしたチャリティーショー『にほんのうた IN ブラジル』がロンドリーナとサンパウロで開催され、八代さんは28年ぶりの来伯を果たした。 沖縄県石垣島出身のアコースティックバンドBEGIN(ビギン)の初来伯公演が聖市アニェンビー大ホールで開催され、県人関係者や一般客ら約6千人が詰めかけた。 日本の有名落語家で上方落語協会会長などを歴任する桂三枝さん(68、大阪)が、日本のテレビ局の番組制作で初来伯。収録のため聖市リベルダーデ区の老人クラブ連合会(五十嵐司会長)などを訪問した。 伯国の47都道府県人会の中で唯一、県連(園田昭憲会長)に属していなかった富山県人会(市川利雄会長)が、約10年ぶりに県連に復帰することを決定した。 南米産業開発青年隊6期生の林省二(はやし・しょうじ)さん(72、福島)が聖州マイリンケ市ドナ・カタリーナ区の自宅でブラジル人のビルソン・サントス・コスタ容疑者(37)に刃渡り30センチにも及ぶ刃物で顔や胸など数か所を刺され、殺害された。 【12月】「自由で平和な大学」を基本理念に置く日本の国立大学である広島大学(浅原利正学長)は、海外でのネットワーク構築を目的に、聖市リベルダーデ区の広島文化センターで同大ブラジル校友会の設立総会を開催した。 日本の農林水産省は今年10月に「平成23年度食料供給安定化国際農業連携対策事業」の公募を行い、中央開発コーポレーション株式会社の企画書を採択、正式承認された。 文協(木多喜八郎会長)の第141回定期評議員会で原田清評議員長は、今年4月に文協の未納のIPTU(土地家屋税=固定資産税)が145万レアルにも上っていた件について文協は免税されることが決定、官報に掲載されたことを発表した。(おわり)...
 宮城県人会(中沢宏一会長)は、同県人会を通じた東日本大震災の義捐金が32万9228・75レアル集まったとし、今月19日までに3回に分けてすべて送金したことを発表した。  第1回目は、4月29日に29万267・99レアルを在聖総領事館を通じて送金。2回目は宮城県名取市海岸林(特に黒松)の再生基金として、3万レアルを今月12日に送っている。また同19日には、宮城子供育英基金に8960・76レアルを送金している。  同県人会では、「多くの個人、団体、企業から義捐金を預かり、すべて日本側へ送金することができました。義捐金のほかにも衣類や千羽鶴なども賜りました」とし、協力者への感謝を示している。 2011年12月27日付
ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  今年は3月に発生した東日本大震災の悲報にコロニアが包まれた1年だった。母国の復興を願い、各団体による震災支援活動が年間を通して行なわれた。一方、商用数次ビザの緩和、社保協定が結ばれるなど、日伯交流の明るい未来を感じさせるニュースもあった。アマゾンに理想郷建設の夢と共に入植した高拓生の80周年では、アマゾナス州政府が戦時中の日本人迫害を正式謝罪する歴史的一幕も。コロニア御三家の援協、県連に一世会長が返り咲き、世代を超えた団体経営の時代を感じさせた。日系人の政界への道を切り開いた田村幸重、上野アントニオ、安田ファビオ氏らが鬼籍に入っている。日夜、取材に駆け回った編集部が選ぶ「コロニア10大ニュース」をお届けする。  3月11日の東日本大震災直後から、聖市の各日系団体や県人会はもちろんアマゾン地域、北東伯、ノロエステ、パラナ、リオ、南麻、サンタカタリーナ州など、まさにコロニアを挙げた募金活動が展開された。 集まった全体の義捐金額は6月末時点の本紙の調査で、少なくとも約1160万レ(約5億9千万円)に上ったことがわかった。 調査に漏れた団体、寄付しても公表していない団体を含めると総額は6億円を超えるとみられ、日本に対するこれほどの義捐金がコロニアで集まったのは終戦直後のララ物資運動以来となった。 主要日系5団体(文協、県連、援協、商工会議所、日伯文化連盟)による募金キャンペーンでは約1億7930万円が集まり、東北3県のほか被災地でない県人会も浄財を送った。 県連日本祭りでは震災写真展が開かれ、聖州政府との連携プロジェクト「SOS Japan」も発足、支援イベントが実施された。 特筆すべきは連邦政府からの50万ドルを筆頭に一般の非日系人からも多くの支援が寄せられたことだ。既に募金は打ち切った団体が大半だが、複数の団体が引き続き別の形での支援を表明している。 一方、国際送金の手続きに手間取り、一般ブラジル社会に支援を呼びかけることができなかった文協の脆弱な体制が露呈された結果ともなった。
ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  3月に県連、4月には文協、援協の会長選挙があり、援協と県連では二世から一世が会長に返り咲くなど、世代を超えた団体経営の形がコロニアの関心を呼んだ。 文協は評議員の投票による理事会選挙で体制側「統合と進歩」(65票)が小川氏を会長とする「みんなの文協」(40票)引き離し、木多喜八郎会長が2期目の続投を決めた。 県連は、与儀昭雄氏が任期を1年残して沖縄県人会長を退任したことを受け、執行部で新会長を互選。園田昭憲副会長(鹿児島、63)が就任し、残りの任期を務めることとなった。 第1回目となる援協評議員会であった理事会選挙で、森口イナシオ会長、菊地義治第1副会長をそれぞれ代表者とするシャッパが提出された。投票の結果、4票の僅差で菊地氏が新会長に選ばれた。
ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  今年もコロニアに尽くしてきた多くの人が鬼籍に入った。編集部から追悼の意を表し、掲載した故人のみ、ここに掲載する(順不同、敬称略)。 ◎ 【1月】五十嵐二郎(ノロエステ連合元会長)【3月】小泉照男(元シネマ屋、聖市演劇研究会座長)、花城淑子(協和婦人会元会長)、木下利雄(北海道協会会長)、浦崎直秀(琉球国祭り太鼓ブラジル支部代表)、野村義人(ブラジル日系ゴルフ協会名誉会長)【4月】原田ミノル(モジ農業組合長)、木村巌(ABC文化協会元会長)、渡辺光(本紙歌壇選者)【5月】中川デシオ(精神科医)、野村次郎(援協評議員会長)、慶塚賢明(全拓連グァタパラ農場長)【6月】佐藤牛童子(俳詩「朝蔭」主宰者)、笹崎孝作(笹崎工業創立者)、小野寺七郎(音楽家)、大塚次郎(家具職人)、安田ファビオ(日系初の大臣)【7月】木村博(熊本県人会元副会長)、田村幸重(日系初の連邦議員)、中野秀敏(リ・ピーレス元市長)、池上忍(鹿児島県人会名誉会長)、竹村英郎(援協元事務局長)【8月】別役道昌(鐘紡ブラジル元社長)、花田正子(カンピーナス文協婦人会元副会長)、水本すみ子(エスペランサ婦人会元会長)、玉腰豊子(ADESC元会長)【9月】石崎矩之(日系ラジオ局アナウンサー)【10月】上野アントニオ(連邦下議)、市村之(パ州ウライ元市長)、黒木穣(福博村農業経営者)、天達市雄(鹿児島県人会相談役)、小針一(マリリア文協柔道部顧問)、北杜夫(作家、「輝ける蒼き空の下で」著者)【11月】葛山正一(兵庫県人会世話役)、水本みゑ(水本光任夫人)、原田ネルソン(コロニア歌手)【12月】和田弘美(レストラン「ごんべ」店主)
ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  祖先シンポの中で、ブラジル沖縄県人会の与那嶺真次会長も、当地独自の取り組みを熱く講演した。位牌をどうするかは子孫にとって重要な問題と考え、長男が受け継ぐ伝統が揺らいでいる現実をかんがみ、沖縄文化センターに集めて保存し、共同供養する計画が進められている件を発表した。 「位牌だけでなく、香炉の灰にも歴史がある」そう与那嶺さんは強調する。「おじいちゃんが沖縄から持ってきたのは位牌だけでない。香炉もそう。そこに積もっている線香の灰にはご先祖さま何代分もの想い、祈りがこもっている。この灰を専用のカプセルに入れて渡航者氏名、船名、渡伯年月日などを書いて、保存する。次の100年でどんな偉い人が出ても、移住して来た初代の歴史が文化センターに来れば残っているようにする。偉い人が出れば出るほど、初代の価値が出るような、そんな施設にしたい」。先祖崇拝を県人会が代行し、ルーツ意識を継承させるための拠点にする。これも一つの県人会のあり方かもしれない。 ☆   ☆  上原幸啓さんは文協会長(当時)である百周年の頃、「日系団体で最初に無くなるのは県人会」と公言していたが、実際に県人会によっては定期総会を開いても10人も集まらないところがある。47県人会が揃っている日がいつまで続くか、誰にも保証できない時代だ。 それぞれ県人会で子孫意識の活性化ができれば、会消滅を避けられる可能性がある。ならば沖縄の事例は、他の県人会でも参考になるはずだ。 どの県も、県民と海外子孫がお互いの存在を有益と思える「万国津梁」のような良いイメージを持てれば、関係は活性化する。郷土性を重視しつつ50年先、100年先を考えた一つのモデルだ。 ただし各県ごとに歴史は異なる。それぞれに県人性を深く掘り下げる作業が必要だ。県史の中に移住が果たした役割、移民による母県への貢献とは何だったのかを解釈しなおす必要がある。 その上で、その歴史を分かりやすいフレーズに置き換え、県民と県人子孫がそれを共有できるよう、繰り返し演劇、音楽、芸能などを通して周知徹底する必要がある。 その中で海外子孫にも継承させるべき県民性とは何かをふり返る考察が生まれ、母県でも広く知られるべき移民の物語、イメージが発掘される。 現代の日本において「国際的」であることが真剣に問われているのは外交という高等なレベルではない。むしろ、工場の中や隣のアパートという国民の日常生活そのものだ。  外国に住んでいる県人会の会員は〃外国の日常を良く知る県人の集まり〃であり、「国際化」の最先端にいる。 沖縄県が世界の県人会と組んで短期留学の仕組みを作ろうとしているが、どの県でも可能なことだ。互恵関係を発展させる上でも積極的に進めていい方向性だ。 農業高校生などが来伯する県もあるが、受け入れ先は農家だけでない。県人家庭で使う言葉の状況、日本語学校、各地文協の催しはもちろん、スーパー、薬局、病院、レストラン、高速道路など日常生活全てが異文化経験そのものだ。県人会員が日常考えている「文化、言葉、考え方の相違」は貴重な外国体験として、母県の若者に伝える価値がある。 その中で、日本がいかに得がたい生活環境を提供しているかが母県の若者に実感され、日本語だけで会話できることのありがたさ、日本での食生活の豊かさ、安全のありがたさ、外国人との意思の疎通の難しさの片鱗でも体験できれば成功だ。最終的には、彼らに「日本人であること」の自覚が深まれば、それに優る成果はない。 県庁も県政の一環として長期的な戦略のもとに取り組む必要があり、それに対応して地元企業、地元大学、国際交流団体などが一致団結して協力して行くからこそ、県民への影響力が生じる。 そのような取り組みの結果として、地域にしっかりと足場を固めつつも、多文化環境を理解する国際人が輩出されるに違いない。(深沢正雪記者、終わり) 写真=与那嶺真次会長 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html
 東京都友会(坂和三郎会長)は、来年1月21日正午から聖市リベルダーデ区のニッケイパラセホテル(ガルボン・ブエノ街425番)で恒例の新年会を開催する。  案内のため本紙を訪れた多羅間俊彦名誉会長と坂和会長は「毎年多くの人が親睦を深めます。東京出身以外の方でもいらしてください。毎年新年会は1月の最終土曜日に開催していますが、今年は違います。間違わないように気をつけて」と呼びかけた。  当日、会場では藤間芳之丞氏が祝賀の舞を披露するほか、カラオケなども準備される。 このほかにも、雑煮が振る舞われ日本の正月の雰囲気を味わうことができる。  参加希望者は1月18日までに東京都友会へ申し込みが必要。申し込み、問い合わせは同事務所まで(11・3254・3540)、携帯(11・8975・4635)。 2011年12月24日付
【3月】ブラジル日本都道府県人会連合会第45回定期総会が聖市ビラ・マリアーナ区の栃木県人会会館で開かれ、新会長に園田昭憲氏(鹿児島県人会)の就任が決定した。 パラナ州のタツリ農村文化協会(影山孝会長)が55年の歴史の幕を閉じた。青森県人会(玉城道子会長)は、母県から図書の寄贈を受け、県人会館内にある図書館「山本省一文庫」が充実したとし、お披露目式を聖市リベルダーデ区の同会館で行った。 【4月】東日本大震災とパラナ州大洪水の被災地支援を目的としたパラナ州主催のサッカー慈善試合がクリチーバで行われ、元ブラジル代表やJリーグなどで活躍した選手のプレーを一目見ようと約2万2千人の観客が詰めかけた。入場料収入は約37万レアルで、そのうち6割が日本、4割がパラナ州へと送られた。 神奈川文化援護協会(永田淳会長)が定期総会を開き、昨年、ニセ弁護士に公金約60万レアルを騙し取られた事件で刑事裁判の経過が報告。ニセ弁護士の浅川マルセロ被告が騙し取った60万レアルのうち、約30万レアルを十数人に分散して渡していたことが判明した。 援協の第1回評議員会が聖市リベルダーデ区の福祉センタービルで行われ、二つのシャッパが出されていた理事会選挙で菊地義治氏が新会長に就任した。 世界の食糧安全保障強化と農業開発貢献を目的とした、アフリカ・モザンビークの熱帯サバンナ地域への投資促進国際セミナー「モザンビークアグリビジネス~日伯連携協力と投資の機会~」が聖市のコンベンション・ホールで開催され、政界・経済界関係者ら約200人が出席した。 ブラジル日本文化福祉協会の会長選挙が同協会ビルの2階貴賓室で行われ、「体制派」の木多喜八郎候補が65票(約61%)を獲得し、2期目続投が決定した。 【5月】ブラジル講道館柔道有段者会(関根隆範会長)は、日本の講道館が認可した正式な段を推薦・取得することを目的とし、同有段者会内に昇段委員会を設置した。 宮下和夫&響ファミリー慈善公演「ふるさと再び」が聖市リベルダーデ区の文協記念講堂で開催され、東日本大震災被災地への思いを込めたピアノ演奏と躍動感あふれる舞台により、大きな笑いと感動を与えた。 【6月】2008年に聖市サンボドロモで開催されたブラジル日本移民100周年記念式典で踊った「海を渡って百周年音頭」で、同協会芸能委員会 コーディネーターの蛯原忠男氏が個人で日本から取り寄せた浴衣の反物と帯の代金の約半分に相当する161万円(3万2千レアル)余りが、約3年が経過した この時期まで未払いで焦げ付いていることが判明した。 移民103周年を記念した移民祭が各地で開催され、聖市では例年通り、文協記念講堂、、イビラプエラ公園内開拓先没者慰霊碑前、サンゴンサーロ教会でそれぞれ記念ミサ及び法要が執り行われた。 防犯対策を主要な事業の一つに掲げている汎アマゾニア日伯協会(生田勇治会長)は、パラー州政府保安局長を招いての治安問題に関するシンポジウムを開催。保安局長をはじめ軍警、民警関係者などトップクラスが一堂に会した。 【7月】県連(園田昭憲会長)主催の第14回日本祭りで東日本大震災復興を願った写真展「甦れ! 美しき日本」がイミグランテ展示センターの屋 内展示場で開催され、震災の悲惨さに涙する人も見られた。また、汎アマゾニア日伯協会(生田勇治会長)のブースでは、高拓生入植80周年を記念した写真展 も行われ、来場者はその歴史と現在の様子などに見入っていた。...
 島根県人会(足立操会長)は16日午後5時半から、聖市プラッサ・ダ・アルボレ区にある同会館で希望の家福祉協会(上村惠ジャイロ理事長)への寄贈品の贈呈式を行った。  同県人会が同施設へ寄贈したのは、11月6日に開催した「第7回慈善バザー」の売上金の一部で購入した安楽いす9脚。 贈呈式には同施設から大野孔三第1副理事長、池田光明理事、上利クリスティーナ広報担当が出席した。同県人会員らが見守る中、足立会長と大野副理事長が握手を交わし、いすが贈呈された。 同県人会の慈善バザーは毎年婦人部が主体となって催しており、今年は過去最多の550人が来場した。  当日は婦人部によるいなりずし、巻きずし、弁当、ごぼうとこんにゃくのきんぴらなどの手料理も好評で、昼前にほとんどが売り切れたという。 同バザーでは、毎回売り上げの15%を施設へ寄付している。これまで非日系の施設を対象に行ったが、今回初めて日系の団体を支援した。  寄贈先は毎回婦人部が決めている。寄付金額が確定し、売上金の15%にあたる3715レアル相当の物品を同施設へ問い合わせたところ、安楽いすの要望があったため今回の寄贈への運びとなった。  開催に尽力した婦人部の平方静枝バザー担当は「喜んでもらえて良かった」と、ほっとした表情で感想を述べた。 足立会長は「来年も困っている施設に喜んでもらえるよう活動できれば」と話し、部員にバザーの謝意を述べていた。 2011年12月24日付
ニッケイ新聞 2011年12月24日付け  西銘知事がアトランタの県人から歓迎され、一緒にカチャーシーを踊り、芸能という〃儀式〃を通して喜びを共有することから大会が始まったことを第17回で説明した。このように沖縄では芸能が日常生活に生きており、時代に合わせて姿を変えて生き残っている。 第1回大会以外すべて見てきた駒澤大学の白水繁彦教授は「大会の鍵は何といっても芸能」と強調し、「文化を超えた芸能だけがここで紹介される。毎回ショーアップが洗練されている」という。 各イベントでは手を変え品を変え、「ウチナーンチュのチムグクル(気持ち)を忘れない」と訴える。その確認手段として芸能がある。一緒に芸能を見て感動することで、海外子孫と沖縄県民がルーツ意識を確認する。 海外子孫は三、四世の世代であり、多くはすでに日本語が分からない。開会式で古謝美佐子が民謡調で英語詩の『アメイジング・グレイス』を歌ったのは象徴的だ。日本語の壁を超えて感動を共有し合える芸能のあり方が模索され、大会の舞台に上げられ、会場を興奮の坩堝にする。 閉会式で、喜納昌吉、ディアマンテス、ビギンらの前に『島歌』を熱唱した宮沢和史が「ウチナーンチュでない僕にも歌わせてくれてありがとう」と感謝した。それほど濃厚なエスニック空間が演出されていた。最後にはベテランの我如古(がねこ)より子がステージに上がり、客席の3万人と共に熱狂のカチャ―シーを繰り広げた。 沖縄の芸能は外国人たる海外子孫をも魅了するような工夫が加えられ、国際性の高いワールドミュージックを目指しているようだ。芸能を通して祖先供養を奉納する熱狂的な体験を共有することが主目的であり、大会自体が現代における〃先祖崇拝の儀式〃と化している。 米国サンディエゴ在住の富着保雄さんは「要はチャンプルー(混ぜる)なんです。沖縄には色々なものを混ぜる力がある。弱い、小さいゆえに回りの強者と仲良くする必要にせまられ、混ぜる知恵が生まれた」と芸能の持つ力を要約した。王朝時代には日清双方の使者を芸能でもてなした。外部の勢力均衡に、芸能が力を発揮することを歴史的に利用してきた。 現代沖縄において、同族意識を活性化させる芸能の役割は大きい。対立しがちな「ウチナー」同志の心を和らげてつなげ、世界に散らばる移民子孫という「内なる外部」をかき混ぜることにも威力を発揮している。 社会のひずみが集中した地域だからこそ多くの移民が島を出て、終戦直後には多大な援助が海外同胞から寄られ、頼りになる同族を確保しておくことの大切さを身にしみて分かっている。 言葉を超え、理屈を越えて情感に酔える芸能は、民族的な〃武器〃なのかもしれない。これは親密さを前面に出して、初訪沖する海外子孫に「お帰りなさい」という態度に通じている。 ☆   ☆  将来的には大会会場は世界持ち回りになり、沖縄県民自身が「世界のウチナーンチュ」の一員になる方向性が打ち出されている。県人子孫がいるところは全て「ウチナーの故郷」になるようだ。 すでに兆しはある。那覇では市民から「お帰りなさい」と言われて、海外子孫は「家に帰ってきたようだ」とルーツ意識を強めた。11月12日に聖市のアニェンビー国際展示場で行なわれた沖縄の人気バンドBIGINのコンサートで彼らは、最初に「ただいま!」と呼びかけた。沖縄県系二世、三世はそれに親近感を覚えてステージに熱狂していった。 沖縄県民や他国のウチナーを受けいれて「ただいま」といってもらえることを、海外子孫は今後目指す。「おかえり」と「ただいま」は対をなす家族的態度だ。県人と子孫が親密な態度を保つ秘訣の一つようだ。(敬称略、深沢正雪記者、つづく) 写真=世界のウチナーンチュの繁栄を祈り、沖縄魂を込めて、開会式で「童神」を熱唱する古謝美佐子   この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html
ニッケイ新聞 2011年12月24日付け  宮崎県が行っている『宮崎県農業青年ブラジル国研修』の平成23年度研修生として小西尊秀さん(26)が来伯、宮崎県人会の黒木慧名誉会長の案内で来社した。 延岡市にある小西さんの実家はぶどうやアスパラを作る専業農家。 「一日中重労働の両親を見て、日本とは違う効率的な農法を知りたいと思った」と応募した。 北パラナのマリアルバ市で同県人が運営する果樹栽培農家で1カ月間の研修を行うほか、聖市の近郊農業を見学、各地県人との交流を行う。 「実家で育てているぶどう栽培の研修が一番楽しみ。吸収し日本で試したい」と期待を寄せる。 来年2月29日まで約3カ月間滞在。2月中旬にはパ国のイグアス移住地を訪れる予定。 黒木名誉会長は「若い人との交流は県人会活動の目玉。受け入れ側も楽しみにしている」と朗らかに語った。 同行した県費留学生OBの塩月カルロスさん(30、三世)は「言葉の不安はあると思うが、いいところを沢山見てほしい」とエールを送った。
ニッケイ新聞 2011年12月23日付け  沖縄県人は「琉球ナショナリズム」という〃龍〃を心の中に抱えている。それが対日本政府であれ、対米国占領軍であれ、沖縄を支配する覇権に対して抵抗するときに、これが高まるようだ。 例えば、米軍基地反対運動が盛り上がったときに琉球ナショナリズムが高まって「琉球派」が台頭して「独立論」が頭をもたげ、先鋭化した活動家が旗印にする。平時には「日本ナショナリズム」が強くなり「沖縄派」が幅を利かせる。この「琉球派」と「沖縄派」の二つの〃顔〃が時代状況によって盛衰することで、歴史が作られてきたようにみえる。 ウィキペディアの「琉球ナショナリズム」項目によれば、琉球大学の林泉忠准教授が07年に行なった沖縄県民意識調査では、県民のうちで自分が「日本人ではなく沖縄人である」と回答した人はなんと41・6%にものぼる。今も強い同族意識を県民が持っている。 ただし、「沖縄が独立すべきだ」と回答したのは20・6%で、大半は独立に賛成していないことが分かる。「沖縄人」としての強いアイデンティティを持っているが独立まではしたくないという志向だ。 ☆   ☆  占領軍の政策のままに推移すれば、沖縄は独立国になっていた可能性があった。終戦直後の米軍の布告では日の丸の掲揚や君が代を歌ったものには罰金が科せられた。 1947年7月25日の「亜国日報」創刊号に、翁長助成元日本新聞社主(ブラジル移民)が次のような当時の辛い心境を寄せている。「広島や長崎は原子爆弾でやられても日本であることに変りはない。広島市民も長崎市民も依然として日本人である。しかるに我々の郷里沖縄は日本から切りはなされ米軍政の下にあり(中略)、我々沖縄県人は引き続き日本人であるか、あるいは沖縄人として外国の統治下に戦前の南洋委託統治領の島民同様の取り扱いを受けるか、今その分かれ道に置かれている」(『アルゼンチン日本移民史』戦後編、34頁)。 日本復帰運動が50年代に始まると、君が代、日の丸は米軍占領への抵抗運動のシンボルとなった。60年代には日の丸掲揚運動や標準語励行運動が展開され、日本人になるために懸命に努力を続ける中で、ウチナーグチなどの伝統文化が忘れ去られていった。そのような「沖縄派」の方向性が最大限に発揮された結果、72年に念願の本土復帰が実現された。 沖縄テレビの前原信一(まえはら・しんいち)さんは、「あの頃はみんな東京に心が向いていた」としみじみ思い出す。普通の県では生れたときから日本人だが、沖縄の戦後は日本人であることを「選んだ」世代だった。 ところが復帰後10年を経て、懸命に日本人になろうとしたストレスの反動がでたようだ。80年代には安心感が広まり、逆に「ウチナー」というアイデンティティを求める動きが出て、90年の第1回「世界のウチナーンチュ大会」に繋がった。その中で、古い方言が残っている海外子孫に〃明治の沖縄〃があり、そこに学ばねばという復古志向が生れたようだ。 「沖縄の心」という振り子が右に揺れれば「琉球派」となり、左に戻せば「沖縄派」となるわけだ。今はゆり戻しの時期だが独立志向ではなく、琉球独自の伝統を復古する志向が高い、いわば琉球ルネサンス(文芸復興運動)という形だ。 大会はこの流れにのり、「国際的なアイデンティティ見直し」「グローバルなエスニック意識」という要素を含んでいる。これは琉球派と沖縄派が共に手を合わせて取り組める寛容性を持っていることで大きく盛り上がってきており、さらなる独自展開が続くだろう。 グローバル時代に合わせた県民丸ごとの自己認識練り直しの座標軸に、海外子孫がいる。(深沢正雪記者、つづく) 写真=「ウチナーの心が見たかったら南米に行け」と語る沖縄テレビの前原信一さん   この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html
ニッケイ新聞 2011年12月23日付け  文協ビル5階の元援協事務所への県連本部移転が遅れている問題で、援協が用意する書類が未だ揃う見込みが立たないため、援協の申し出により、来月から共益費だけの支払いで移転することが決まった。 詳細な移転日は未定だが、新たに無期限の賃貸契約を結び、売買契約の完了まで無償で提供することになる。 今年始めの移転を目指し準備を進めてきたが、本来免税されるIPTU(固定資産税)を課せられたことで、援協と聖市との裁判があり契約が遅れた。 援協の菊地義治会長は「裁判は既に終え、7月から書類をずっと待っているが時間がかかっている。早くても1月15日以降にならないと動かないのでは」としており、正式に県連名義となる時期は分からないようだ。 園田昭憲県連会長は「全書類が揃うまでは、税金問題に問われた場合も援協が責任を負うことになる」と説明する。 新本部の広さは約200平米。会長室兼応接室、代表者会議室、日本祭り用倉庫、会館を持たない県人会へ貸し出す部屋を設け、機能を拡大する。 内装工事は売買契約後となるためこれも時期未定。県連のある役員は「移転するのが決まっているのに落ち着かない状態。早く解決してほしい」と苛立った様子で話した。
ニッケイ新聞 2011年12月23日付け  県連の12月度代表者会議が15日に栃木県人会館で開かれ、先月に県連復帰を決定した富山県人会の市川利雄会長が挨拶を行った。  園田昭憲県連会長は「富山県人会が正式に復帰した。これで47都道府県全てが県連に加入した」と話し、市川会長を紹介した。 01年に県連の運営や日本祭りに対する意見の相違から脱会したが、先月開かれた役員会で園田会長臨席のもと定款の内容を検討した結果、満場一致で賛成となり10年振りの復帰となった。 市川会長が「県連、県人会双方の発展のため、皆さんと協力しながら頑張っていきたい」と抱負を述べると、会場からは大きな拍手が送られた。
 鹿児島県人会イビウナ支部の「隼人会」が14日に開催した忘年会では「十分あるので安心して下さい」というざっくりとした会計報告がなされた。鹿児島県には「だいたい、適当な」といった意味の「てげてげ」という方言がある。加えて興味深いのは、日本最南の沖縄には「沖縄時間」と呼ばれ、時間を守らない風習がある。当地ブラジルも時間には寛容だ。温暖な気候は人を大らかにしてしまうのか。 ◎  また「てげてげ」は鹿児島県の隣県、宮崎県でも使われ、さらに宮崎独自で話される方言で「てげ」といったものもある。「てげ」は「とても、すごく」といった意味合いで、この二つを併用することにより「てげ、てげてげ」という暗号のような言葉が生まれる。そういえば、頻繁に耳にするポルトガル語「mais ou menos」は「だいたい」と同じく曖昧なニュアンスを含む。九州南部とブラジル、言語は違えど話す内容は同じなんですね。 2011年12月23日付
恒例の餅つき大会  ACAL(リベルダーデ文化福祉協会、池崎博文会長)と日系5団体は31日、年末恒例の「餅つき祭り」を共催で開催する。 毎年聖市のリベルダーデ広場で開催される同会は、今回で41回目を迎える。  当日は、午前8時からリベルダーデ広場で餅が振る舞われ、同10時から開会式と餅つきパフォーマンスが行われる予定。来賓として出席する大部一秋在聖総領事やジルベルト・カサビ聖市長らも餅つきを行う。  また、2個入りの紅白餅が2万袋、午前10時半から雑煮3千杯がそれぞれ無料で振る舞われる。 ACALの池崎会長と小林マウリシオ理事、宮本紀美子ブラジルラジオ体操連盟会計は本紙を訪れ「お餅はラジオ体操をやっている方々が前日から丸めてくれる。サンパウロの日系コロニアのお祭りとしてみんなに支えられている」と同祭に協力する関係者に感謝した。 2011年12月23日付
 1月のリオ州での水害に続き、3月に未曽有の大災害となった東日本大震災に対しブラジル各地からの義捐金支援活動を行うなど、天災に見舞われた1年となった2011年。日系社会では今年も、様々な出来事があった。 【1月】ジルマ新大統領の就任式に、日本国特派大使として出席した麻生太郎元首相をはじめ、河村建夫、中井洽、黄川田徹各氏の3衆議院議員を合わせた4人が来聖。日系社会関連では開拓先没者慰霊碑参拝、出身県人関係者との懇談会をそれぞれ行った。 リオ州で豪雨の影響により洪水や地すべりなどの災害が相次いで発生。ペトロポリス、ノーバ・フリブルゴで土地が浸水したほか、テレゾーポリスでは日系人3人の死亡が確認されるなど、大きな被害を受けた。 聖市リベルダーデ区ガルボン・ブエノ街のアパートに18にも及ぶ強盗グループが押し入り、拳銃などで脅して日本人や中国人宅など約10軒に侵入し、現金や貴金属類などを強奪する事件が発生した。 「日本の食糧供給パートナーとしての南米日系農業者」を全体テーマに第11回南米日系農協活性化セミナーが、聖市内ホテルで開催。その一環として日本を代表するジャーナリストの池上彰氏による基調講演も行われた。 平成22年度NHK全国俳句大会と同短歌大会の俳句部門で、聖州ミランドポリス管内第1アリアンサ在住の新津稚鴎氏(95、本名=英三、長野県出身)が特選の中でも大賞を受賞する快挙を果たした。 【2月】大相撲の八百長問題で日本相撲協会が3月の春場所中止を正式に決定したことが日系社会にも大きなショックを与え、NHKによる相撲観戦を楽しみにしているファンからは不満の声が上がった。 以前から中国系レストランなどから出される生ゴミが、清掃車が来ない昼間から放置され、文協ビルの角やバロン・デ・イグアペ街の一部などでゴミの腐臭が漂っていることが問題となった。 ブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野脩平氏たちが中心となり、日系社会で初めての『柔道史』編纂の準備が進められた。『柔道史』は、リオ五輪が開催される2016年をめどに完成が予定されており、「創生期」「復興期」「全盛期」の大きく三つの章に分け、500ページにおよぶ大作が期待されている。 「K.K.TOMODATY’S」(花村カルロス年夫代表)に託送した荷物が不着になっている事件が相次いだ。同社は前年に倒産し、荷物を処理しないまま経営者がブラジルに帰国したことが判明。同社が使用していた倉庫には、2千個ほどの荷物が放置されたままになっていた。 日本相撲協会が今年の初場所で十両勝ち越しを果たした魁聖(リカルド・スガノ=24、3世、友綱部屋)が事実上の新入幕扱いとなったことを発表。ブラジル出身力士として初の「幕内入り」という快挙を果たした。 【3月】柿収穫祈願祭と第5回4州果樹生産者技術交流会が聖州ピラール・ド・スールで行われ、サンパウロ、パラナ、ミナス、サンタカタリーナ各州から約100人が参加し、今年6月に帰国したJICA派遣シニアボランティアの浦田昌寛氏の実践的指導に聞き入った。 リオデジャネイロ市内で自分の荷物を盗まれたと地元観光警察(DEAT)に届け出た日本人観光客が、保険金目当ての詐欺事件だったとして地元警察に逮捕された。 日本の国難である東日本大震災発生により、日系社会にも大きな衝撃が走った。被災地県人会や日系3団体が中心となって日本への義捐金を受け付 け、ブラジル各地の日系団体及び非日系人からも義捐金が寄せられた。10月の海外日系人大会での発表では、伯国日系社会からだけで約6億円の義捐金が送ら れたことが報告された。(つづく) 2011年12月23日付
 在聖総領事館、文協、援協、県連、商工会議所、日文連共催の2012年新年祝賀会が、1月1日午前10時から聖市リベルダーデ区の文協記念講堂(サンジョアキン街381番)で開催される。  当日は、日伯両国歌斉唱、木多喜八郎文協会長、大部一秋総領事両人の祝辞に続き、万歳三唱。「一月一日」の歌合唱の後、講堂前サロンに場所を移して祝賀パーティーが行われる。 詳細は文協(電話11・3208・1755)まで。 2011年12月23日付
ニッケイ新聞 2011年12月22日付け  大会のあるシンポで北米子孫が、「私は〃沖縄〃というヤマト(本土)がつけた呼び名は好かない。伝統的なウチナーという呼称を使いたい」と発言したのを聞き考え込んだ。別の海外子孫は「最近の若者はウチナーグチもしゃべれないし、沖縄ソバの味も昔とは変わってしまった。もっと伝統文化を大切にして欲しい」と注文をつけた。 主催者側はその種の発言を重く受け止め、「今の沖縄はもっとこうあるべきという意見は他にないか」と発言を誘った。 普段なにげなく使っている「沖縄」という言葉には、地元の人間からすると少し違うニュアンスがあるようだ。いったいそれは何なのか。 ☆    ☆  家譜(家系図)の歴史で触れたように沖縄の歴史には常に二文化性が付きまとうことは説明したが、実は内部的にも二重構造があるようだ。 例えば、本土では戦時体制として県紙は各県一紙に統制された。ところが沖縄には創立1893年の「琉球新報」と、創立1948年の「沖縄タイムス」の2社が競い合っている。テレビ界も「琉球放送」(1954年設立)と「沖縄テレビ」(1959年設立)がある。 銀行では「琉球銀行」(1948年)と「沖縄銀行」(1956年)。学術分野でも「琉球大学」(1950年)と「沖縄大学」(1974年)などが生み出された。 それぞれが業界の中で競い合いながら全体を盛り上げるようなパターンにつながっているようだ。不思議なことにその多くが「琉球」「沖縄」という対のような名称になっており、古いほうが「琉球」を名乗る傾向がある。 方々の沖縄関連サイトの記述から考察すれば、基本的には「琉球」は中国との外交関係の中で使ってきた名称であり、「沖縄」は同様に日本に対して名乗ってきた名称であり、どちらも正しいのだという。しかし、米軍占領時代に沖縄人の「琉球ナショナリズム」が刺激されたこともあって、「琉球」こそが伝統的名称であるかのように理解されている雰囲気がある。 米国による分割統治のために作られた行政機構が「琉球政府」だし、その政府方針で設置されたのが「琉球銀行」であり、「琉球大学」だという。米国という〃官〃が積極的に「琉球」という呼称を復活させてきた。現代の文脈の中では、「琉球」という言葉のニュアンスには「失われた王朝」への憧憬を超えて、もっと強い方向性がある。 「琉球」「沖縄」を名乗る二つの組織はそれぞれが伝統、革新の肌合いを持って民衆の二文化性を反映し、時代に応じて活性化させる役割をしている。わずか150万県民しかいないにも関わらず、特に芸能界、観光において強い存在感を発揮しているのは、そのような独特の自立的な活性化の仕組み持っているせいかもしれない。 ☆    ☆  ブラジル沖縄県人も、「沖縄県人会」と「沖縄文化センター」の二派に分かれて、激しい論争を繰り広げてきたことは記憶に新しい。これは母県のDNA(遺伝子)がそうさせたのかもしれない。 まるで大会の盛り上がりと軌を一にするように、それが08年前後に統合に向い、現在は一体となって活動している。 もちろん、この二重構造が足の引っ張り合いという形に終始すれば、激しい消耗戦を演じるだけだ。一つの目標に向かって、良い意味での切磋琢磨するライバルとして機能してこそ活性化作用となり、お互いが持つ本来の能力を発揮できる。 米軍基地問題など日本からの〃外圧〃が強ければ強いほど、一つの方向に向かって力を合わせようとする集団心理が働くのかもしれない。「沖縄」でも「琉球」でもない「ウチナー」に向かって力を合わせる方向性をもった大会であるがゆえに、時流に推されるようにしてだんだんと拡大してきているようだ。(つづく、深沢正雪記者) 写真=県人会長・新ウチナー民間大使会議の結論を副知事に手渡す海外子孫代表   この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html