ニッケイ新聞 2011年11月30日付け 全47都道府県人会が県連に――。唯一県連に加盟していなかった富山県人会(市川利雄会長)が27日、アクリマソン区の同会会館で開いた役員会で県連に再加盟することを決議、正式に復帰した。会に出席、定款の確認などを行った県連の園田昭憲会長は「欠けていた部分がようやく埋まった。積極的に活動に参加して欲しい」と明るく語り、県連の結束力向上に期待した。 市川会長は脱退の理由を次のように説明する。「当時、県連の定款には会計に関する説明がなかった。県連主催『日本祭り』には00年の第3回まで参加したが、同祭の赤字分を各県人会に負担させると決めたことへの不満が県人会役員内で高まった」。 当時の会長で現会長の兄、市川良一氏が県連に手紙を出し、01年に正式に脱退した。 「毎月の代表者会議で一方的な報告が多かったことも一因だったようです」(市川会長)。 その後、県人会内では何度も復帰の検討がされたが、県連の運営方法や定款に不安を唱える声もあり実現しなかった。 進展があったのは今年6月。県連の新定款について市川会長と園田昭憲県連会長で話し合い、会計面を含めた内容の改善を確認したことで復帰に向けて準備を開始した。今月、県連と同県人会との間で合意に達し、役員会での承認を待つのみとなっていた。 役員会には園田会長が出席し、新定款や県連基金などに関して説明。役員による採決が行われ、全会一致で復帰が決定した。同時に県連からも加入が自動承認され、12月度の代表者会議から出席する。市川会長は「以前の県連から大きく変わったと感じた。『第15回日本祭り』への参加は未定だが、他県人会への行事参加や若い世代の交流を期待したい」と話した。 ■ 富山県人会は1960年に創立、現在会員は300家族。昨年8月には県人移住百周年、県人会創立50周年を祝う式典を開催、記念誌「富山県からブラジルへ」(日ポ両語)を刊行。また県費留学・研修生の派遣を毎年行うなど活発に活動を行っている。
Mês: novembro 2011
ニッケイ新聞 2011年11月30日付け 第1回ハワイ移民団27人をのせて1899(明治32)年12月5日に那覇港を出港した薩摩丸は、1900年1月8日にホノルルに到着した。これを結成したのが〃沖縄移民の父〃當山久三(きゅうぞう)だ。 当時の奈良原繁(しげる)第4代知事(1892―1908年)は薩摩藩出身であり、強権を持って県政に望んだとウィキペディアにはある。明治政府は1879年に実施した「琉球処分」で琉球王国は消滅し、沖縄県が新たに設置された。この時に〃王国〃をなくした喪失感が代々に受け継がれ、沖縄県人の強い同族意識の原点を形作ってきたようだ。 移民送り出しに「時期尚早」と否定的な知事にとって、東京で自由民権運動の影響を受けた當山は政敵ともいえる存在だった。「移住する権利」を獲得することは県民への差別撤廃を意味し、當山の悲願だった。そんな強い向かい風の中、ハワイ移民を実現した。 『沖縄県史7・移民』(沖縄県教育委員会、1974年、以下『県史7』)によれば、初移民の後、3年間の中断期間を経て、出移民が全盛になったのは1903年以降、1904年には日本全体の移民総数の5・7%を占めるようになり、翌1905年以降10%以上の年が多くなる。 1885年に始まった本土からの移民事業に遅れること17年、堰を切ったように沖縄の移民は増加した。そんな1908年、米国政府はハワイ行き日本移民を禁止した。つまり、笠戸丸が出港した1908年は沖縄から見た出移民が助走を終えて最高速になった頃だ。米国での日本移民排斥が強まるに従い、ブラジル行きが急浮上した。笠戸丸移民の半分近くが沖縄県人だったのには、そのような背景があった。 1925年時点で、都道府県別に見た住民1万人当りの出移民数統計(『県史7』12頁)の堂々の1位は、沖縄県の429人だ。単純計算すれば25人に一人、一族に必ず一人は移民がいるという状態だった。2位は和歌山県110人、3位は広島県69人、4位は熊本県59人だった。 さらに時代が進むと沖縄の移民比率はもっと高まる。母県人口に占める海外在留者の人口比率統計(同13頁)によれば、1940年時点で海外在住者5万7283人に対し、沖縄県人口は57万人余だったので、人口の1割にも達していた。熊本県は4・8%、広島でも3・9%だから断然トップの比率といえる。 海外移民は母県の家族に必死で送金し、家計を支えた。沖縄県の場合、移民送金額を1929年の県歳入総額に比較すると、なんと66・4%に達していた。逆にいえば、それだけ母県の経済は疲弊しきっており、移民する以外に生活手段がなかった。移民事業はまさに母県経済の大黒柱であった。他県ではありえない依存度、移民との関係といえる。 1908年から1922年までの期間の最多送り先は1位がハワイ、2位がブラジル、3位がペルーで、この3つだけで全体の86%を占めた。1924年に米国が全土で排日移民法を実施するにいたり、行き場を失った移民はブラジルに集中するようになった。 1935(昭和10)年の調査で、沖縄県の市町村別にどれだけの人がハワイに渡ったかを調べた調査がある。トップは沖縄本島の中頭郡からの47・9%で、実に出移民の半分がハワイへ渡った。2番目が島尻郡の35%、3位は国頭郡の16%となっている。同じ地域出身者が固まって移住し、海外でも集団を維持した。沖縄県人会に多くの村人会という独特の存在があるのは、このような歴史に由来する。 世界のウチナーンチュ大会は移民大県だった歴史を逆手にとった発想だ。歴史をふり返り、そこから未来を発想する。ここに現在に至る県人の強いつながりの秘密があるのかもしれない。(深沢正雪記者、つづく) 写真=〃沖縄移民の父〃當山久三 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html
ニッケイ新聞 2011年11月30日付け 財団法人オイスカと宮城県が東日本大震災で壊滅した仙台市名取の松林再生運動を実施するとし、そのキャンペーンの一環として日本の歌手・岡史朗さんを招いて19日、宮城県人会でチャリティーコンサートが開かれ、約100人が訪れた。ニッケイ新聞が主催、海外友好協会および飯星ワルテル連邦下議が後援した。 1987年から始まった岡さんによるコンサートは今年で10回目。今回は19日の聖市公演を皮切りに、サントス、グアルーリョスなど全9市でコンサートを行なっている。 初めに全員で被災者に黙祷を捧げた後、岡さんが岩手県、宮城県それぞれの名曲「北国の春」、「青葉城恋歌」を歌って犠牲者を追悼した。 同県人会の中沢宏一会長が、「震災の被害は甚大で1年や2年ではどうにもならないが、一緒に根気よく運動していきたい。こうした特別な年に来てもらったことに感謝する」と挨拶をした。続いて10回目を記念し、岡さんおよび同協会の奥田敏子会長に表彰状を手渡した。 岡さんは「知ってる歌は大きな声で歌ってくださいね。長生きしますから」「皆さん今何歳?お若いね」などとユーモアを込めて観客とやり取りを交わしながら、「親メドレー」、師匠の曲を集めた「岡晴夫メドレー」、「川の流れのように」や「千の風になって」など、人気曲もふんだんに盛り込み約60曲を熱唱し観客を楽しませた。 昨年度も見に来たという金子多恵子さん(74、二世)=聖市=は、「師匠の晴夫さんの歌を若い頃から聞いていた。今日も好きな歌がたくさんあった」と喜んでいた。 三島せいさん(85、北海道)=聖市=は、「私たち移民のために、好意で来てくれたと思うと嬉しい。本当に心にしみて、一生に一度の思い出になった」と感激した様子で話した。 なお、集められた保存食はサントス厚生ホームへ寄付された。
ニッケイ新聞 2011年11月30日付け 富山県人会の県連復帰で、全都道府県人会が加盟したことになる。「そういえば岐阜は…」との声を聞き、山田彦次会長に確認したところ「08年に復帰している」とのこと。というのもリベルダーデでも飲食店を持つ岐阜県人が「日本祭り」で出店するため〃便宜〃を図ったよう。その証拠に県連会議には参加していない。11月の段階で19県人会が会費を未納となっているが「会費は会が払います」とのこと。色んな加盟の仕方があるものだ。
ニッケイ新聞 2011年11月30日付け ブラジル佐賀県文化協会(吉村幸之会長)は恒例の忘年会を来月18日午前11時から、同会会館(Rua Pandia Calogeras, 108, Aclimacao)で開く。参加費会員25レアル、非会員30レ。 ブッフェ式昼食の後、カラオケやビンゴなど余興も用意される。 問合せは同県人会(11・3208・7254)まで。
ニッケイ新聞 2011年11月30日付け 広島大学(東広島市)はこのたびブラジル校友会を設立するにあたり、同大出身者、元留学生に呼びかけ、来月3日午後7時から、広島文化センター(Rua Tamandare, 800, Liberdade)で「設立会合・懇親会」を行なう。同大の岡本哲治副学長らが出席する。 同大学国際センターは「ブラジル在住の卒業生、留学生の連絡先を把握しておらず、これを機会に連絡を密にしていきたい」と話している。 詳しくは広島県人会(11・3207・5476)まで。
ニッケイ新聞 2011年11月30日付け やはり年末は紅白歌合戦、そして被災地の子供たちに愛の手を―。ブラジル日本アマチュア歌謡連盟(NAK、北川好美会長)は『第17回ブラジル紅白歌合戦』を来月4日午前9時から、文協大講堂で盛大に開く。在聖日本国総領事館、汎米日系人協会の後援。入場無料。 1995年の日伯修好百周年を記念して始まった同イベント。今年で17回目を数える年末コロニアの風物詩ともなっている。 NAKバンドの伴奏で老若男女各30組が、03年にNHKからブラジル紅白歌合戦に贈られた優勝旗を競いあう。総合司会は井川ルシアさんと渡辺美枝さん、紅組は原房子さん、白組は小島一夫さんがキャプテンを務める。 なお、午後に予定される震災支援特別イベント「がんばれ援歌―東日本大震災を想う」では、ゲスト司会に藤瀬圭子さんを迎え、母県への支援活動を行なうブラジル宮城県人会の中沢宏一会長や、今年6月に訪日、日本アマチュア歌謡連盟・東北連合会(正木章会長)に約83万円の義捐金を手渡した北川朗久NAK名誉会長らが復興に対する思いを語る。 会場では千羽鶴も飾られ、募金した人には折鶴一羽が贈られる。今回寄せられた浄財全額が宮城県人会を通して、被災地の子供たちへ千羽鶴と共に届けられる。 作詞家もず唄平さんによる「がんばれ援歌」をポ語で歌う北川会長は「今年はどちらに軍配が上がるか予想もつきません。年末のひと時を楽しんで欲しい」と話しながらも「イベントを通じて被災地にコロニアの思いを伝えたい」と多くの来場を呼びかけている。 問い合わせは志田若代実行委員長(11・9655・6636)まで。
29日付本紙で「10月16日に開催された九州ブロック芸能祭に、県連(園田昭憲会長)設立の『県連・県人会活性化基金』が助成された」と掲載したが、園田会長によると「県連で余っていた水を提供したが、基金からの助成金は出ていない」という。 同基金は、日本祭りの収益金を県人会や地区ブロックのほか日系団体の活性化に向けて有効的に使おうと発足した。 現在は、運用に向けて詳細な助成基準を作成している段階。来月15日に予定されている12月度代表者会議までの間に3度開かれる執行部会で、ポルトガル語と日本語の助成基準が決定すれば、代表者会議で通知される。その後運営委員会を設立し、同委員会が基金を運用する。 委員会設立後は、すでに県連が持っている複数の口座のうち一つを基金用とし、積み立てを始める。積み立てる資金は用意できており、積み立ては、早ければ12月度代表者会議後に始まる計画だ。 園田会長は「現段階では、基金の積み立てを行っていないので助成金は調達できない上、どこの団体からも申請を受けていない」としている。 また、ある執行部の役員は「日本語は、ポルトガル語に付随するものなので『県連・県人会活性化基金』という日本語での表記自体、正式に決まってはいない」と指摘した。 ただ、同基金では申請の段階で使い道を記載する必要はなく、催しや事業の名称と、希望する助成金の金額のみ提出することになっている。そのため、「助成金で飲料水を購入しても構わない」と園田会長は話している。 園田会長はさらに、基金の助成額について「申請額の全額は適用されない。また、焼きそば祭りやカラオケ大会など、団体の運営費を捻出する催しに対しては助成しない」と強調した。 2011年11月30日付
Escrito por Célia Abe Oi Ter, 29 de Novembro de 2011 12:15 Representantes de três entidades nipo-brasileiras...
O CIATE realiza em parceria com o NIATRE, no dia 10 de dezembro de 2011, o evento...
27日の富山県人会の支部合同役員会に出席し、説明を行った園田県連会長によると、現在46県人会で構成される県連傘下団体のうち、半数近い22県人会の会長が2世。執行部14県人会の代表のうち、8~9人が2世会長と1世の数を上回っているとか。そのため、定款など書類のチェックはブラジルの法律に従って行うが、毎月の代表者会議は日本並みに時間通り実施していると強調していた。富山県人会の市川会長は流暢な日本語を話せる2世。県人会の形態もこの10年でかなり変わってきたと言えそう。 ◎ 富山県人会が大筋で県連復帰を決めたことで、47都道府県人会がそろう形での県連となりそうだが、今後次世代の会長がさらに増えると思われる中、各県人会は生き残りをかけてどのように活動していくのか。連合体であるならば、その辺の共通した議論(留学生問題、親睦としての団体のままで良いのかなど)をもっと行い、各県人会の存在意義を強めることも必要なのでは。「御三家」と呼ばれる聖市での日系団体の勢力図も変わりつつあり、県連としての今後の一挙一動が問われる。 2011年11月29日付
来年の日本祭り参加も視野に若い世代同士の情報交換や交流も 【既報関連】伯国の47都道府県人会の中で唯一、県連(園田昭憲会長)に属していない富山県人会(市川利雄会長)は、27日午前10時から行われた支部合同定例役員会の中で、約10年ぶりに県連に復帰することを大筋で決定した。役員会には園田県連会長も出席し、現在の連合会の立場を説明した上で、同県人会の復帰を熱望した。同県人会は早ければ今週中に正式決定し、今後は若い世代同士の情報交換に力を注ぎ、毎年7月に開催されている日本祭り参加も視野に入れている。 聖市アクリマソン区の同県人会館で開かれた役員会では、県人会顧問の根塚博氏が10年ほど前に県連から脱退した経緯について説明した。それによると、当時の県連が「計画もなしに行った行事(日本祭り)の赤字分を各県人会に負担させたこと」について同県人会では、「県連が県人会を食っている状態になる」として反発。「けんかをしたわけではなく、当時の県連執行部と考え方が違った。永久に辞めるのではなく、いつかは県連が新しい組織になってくれれば改めて戻る気持ちだった」という。 これに対して園田会長は、現在の県連が特に前任の与儀昭雄会長時代から「非常にオープンになった」とし、昨年度から発行している県連の事業報告書の中に富山県人会の項目を作って準備していることに言及。さらに、県連の定款上、「ブラジルに存在する県人会は、自動的に県連に入会できる」という内容を説明し、「定款の単項では(県連)執行部の判断により、代表者会議で協議しなくても(富山県人会の復帰を)許可することができる」と述べた。 また園田会長は、富山県人会が脱会した当時の県連が、日本祭りで出た赤字分を各県人会に負担させたことについて、「定款には『県連が背負った赤字については、会員である県人会に対して影響しない』とある」と述べ、県連の負担を県人会に押しつけることができないことを強調。「富山県人会に戻ってきていただくと、47都道府県人会がそろうことになり、県連として日本に対してさらに物事を言える会になると思う。来年の日本祭りにはぜひ、ブースを出していただきたい」と県連復帰を熱望した。 同県人会では役員会で検討したところ、大筋で復帰することを決定。早ければ今週中に正式決定し、県連との話し合いを行う考えだ。 市川会長と根塚顧問は県連への復帰について、「今は県連の定款も改正され、いつまでも脱会している理由もないと考えた」とし、「(富山県人会の)若い世代が、ほかの県人会の若い人たちと情報交換して交流し合い、今後は県連のイベントにも積極的に参加していきたい」と意気込みを見せた。 2011年11月29日付
現在、詳細な助成基準を作成している県連(園田昭憲会長)設立の「県連・県人会活性化基金」だが、執行部はすでに10月26日に開催された「第9回九州ブロック芸能祭」に対して基金を助成していることが分かった。 同基金は9月度県連代表者会議の席で、園田会長から設立報告があったが、各県人会長からは内容や助成基準が明確でないとの声が上がっていた。 執行部は、「執行部会で過半数以上の賛成があれば助成が認められ、返済の必要はない」としているが、助成基準作成中に運用を開始することはモラルが問われかねない。 同芸能祭で助成の対象となったのは芸能祭参加者の飲料水。通常、基金の助成対象となるのは、運用計画や効果予測などが緻密に計画されたプロジェクトであり、雑費には助成されない。この前例により県連は今後、すべての県人会の集まりで飲料水の費用を助成することになりかねない。 また、基金利用の条件としては「福祉、文化、スポーツ、親睦、出版、交流のいずれかに基づくもの」と定めているが、芸能祭参加者の飲料水が「県人会や県連を活性化させることを目的としており、さらなる日伯交流の拡大を目指すもの」だとは考えにくい。 さらに、県人会で基金を利用する者は「県連会費の滞納がない者」とされているが、ある県人会長は「約3分の1の県人会は県連会費を滞納している」と話している。同芸能祭に参加した県人会の県連会費納付状況の確認がきっちりと行われていたかも疑問が残る。 フェスティバル・ド・ジャポンの売り上げにより、大胆なかじ取りを行うことが可能になった県連執行部。来年度はさらなるスポンサーを獲得できる可能性もあり、経理の問題については細心の注意が必要になるだろう。 2011年11月29日付
サンパウロ総合大学(USP)と学生交流を行っている広島大学の国際センターから3人の教授たちが来伯し、12月1日午後2時から午後4時まで聖市リベルダーデ区の広島文化センター(タマンダレー街800番)で同大学新技術の説明会を開催する。来伯するのは、岡本哲治同大理事・副学長、下田脩二国際交流グループリーダー、平野祐次同グループ主査の3人。 説明会では、肥満治療薬開発、遺伝子組み換えニワトリ開発、歯周病治療法や豚凍結精子など11項目について同大の研究活動で生まれた成果発表を行うとし、企業関係者や広く一般の来場を呼びかけている。 説明会は日本語で行われるが、ポ語通訳も付く。入場無料。なお、12月3日午後7時からは同文化センターで広島大学に留学したOB会の発足式も行われるという。詳細については同センター(電話3207・5476)まで。 2011年11月29日付
毎月開催される県連代表者会議の席で、ほとんど毎会ラフな服装で参加するのは香川県人会の菅原パウロ農夫男副会長。今月17日に行われた会議では、日本で購入したというTシャツを着用して登場。背面には「団塊世代。定年退職、息子は独立、遊び相手は愛犬オンリー」と書かれており会場の笑いを誘い、場を和ませていた。 2011年11月29日付
ニッケイ新聞 2011年11月29日付け 「なぜ人は記念写真を撮るという〃儀式〃をするのでしょうか?」 10月15日朝、沖縄県立博物館で第1回国際ウチナーンチュ祖先シンポジウムの開会あいさつをしたハワイ州知事のニール・アバクロンビーさんは、展示されている移民の記念写真を差しながら、そんな質問を投げかけ、自答した。 「人間は何処へいっても、自分がどこからきた誰で、誰と一緒にいるかという過去を残そうとするからです。人間はいろいろな〃儀式〃で社会を組み立てている。儀式を自分が主催して、時に人の儀式に参加して、日々生きている実感をえる。儀式こそが私達の価値観の基盤である。儀式の繰り返しなくしてかつての自分、今の自分、今後の自分はありえない。それは過去、現在、未来を知ることが出来るのは人間だけだから。過去への考察を深めることは、全ての原点である」と長い前置きをし、「特に琉球人にとってはそうでしょう?」と問いかけた。 「北側の島々(九州以北)の人は国内しか動かなかったが、琉球人は星の案内で海を渡った尊い歴史を持っている。ハワイにはその家族がたくさん住んでいる。私は前夜祭のパレードにブラジルやザンビアのウチナーンチュと一緒に参加して、我々は同じ太平洋の〃島人(しまんちゅ)〃として共感しあえることがよく分かった」と結んだ。 沖縄に限らず、どんな県人会、日系団体にとっても式典などの〃儀式〃は最も重要な活動だ。母県や関係団体から来賓が来て、お互いの絆を確認する重要な場といえる。 式典という〝儀式〟は、ハワイ知事がいうように、節目である現在を大事な人々と共に過ごすことによって、過去を踏み固め、未来への橋渡しを確実にするものだ。その〝儀式〟ができなくなった時、つまり召集しても会員が集まらない、呼びかけても開催に必要な資金が集まらない時などは、その組織の存在意味が薄れた時なのだろう。立派な式典をして、記念写真を撮り、記念誌にまとめる。それら一連の〃儀式〃を続けること自体が会の存続理由といえる。 ハワイ大学マノア図書館所蔵の、沖縄の家系図「毛姓家譜(もうせいかふ)」中の人物が、同大学所蔵の別の絵図記録にも出ていることが確認された件についての発表も行なわれた。「合致するのは非常に珍しい、しかも両資料ともハワイに偶然あった」と同研究員から驚きの報告があった。 「家譜」とは、琉球王朝時代に士族階級の家系図として作成された。沖縄戦を潜り抜けて保存されたこの家譜は、1960年代にハワイの親戚のもとに送られ、散逸を恐れた子孫によって同図書館に寄贈されていた。移民が沖縄の歴史をハワイに運び、 母県でも珍しい貴重な成果を生んだ。 ☆ ☆ 同シンポの中で、沖縄国際大学の田名真之(たな・まさゆき)教授は家譜制度について説明した。琉球王朝時代の士族は「日本と付き合うための日本名に加え、たとえ中国に行かなくても付き合う必要性があることから中国名もつけ、それが系図に反映された」と家譜に現われる沖縄独特の二文化性を分析する。 家譜なら家系は300~400年も歴史をさかのぼれる。「ところが王朝が廃止されて沖縄県になってからは、同じレベルの詳細な記録は残っていない。遠い御先祖さまのことは分かっても、お爺ちゃんからこっちのことは分からないという奇妙なことになっている」と問題提起した。 さらに「どうして移民に行って、どのような生活をして来たのかを、みなさん、今からでもいいから記録して欲しい。それらは沖縄の歴史だけでなく、世界の近代史の中で貴重な資料になるはず」と会場に並ぶ海外子孫に呼びかけた。これはどの県人の家族史についても同じことがいえる。(深沢正雪記者、つづく) 写真=ハワイ州知事のニール・アバクロンビーさん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html
ニッケイ新聞 2011年11月29日付け 広島大学がライフサイエンス分野での研究成果を紹介する新技術説明会が来月1日午後2時から、広島文化センター(Rua Tamandare, 800, Liberdade)で開かれる。 肥満治療薬、歯周病の治療法など同大の研究成果を、実用化に関心のある企業を対象に説明する。同大の岡本哲治副学長、下田脩二、平野祐次氏らが主催する。ポ語への通訳あり。 詳しくは広島県人会(11・3207・5476)まで。
ニッケイ新聞 2011年11月29日付け サンパウロ州サントスに本拠地を置くサッカークラブ「サントスFC」が来月8日から日本で開催される『TOYOTA FIFAクラブワールドカップ2011』に南米代表として初出場するにあたり、在聖総領事公邸で歓送パーティーが行われた。 サントスFCからルイス・リベイロ会長やムリシ・ラマーリョ監督、ネイマール、ガンソら8人の選手ら顔ぶれが揃い、和太鼓や和食で歓待を受けた。会には日系企業や日系5団体が招かれた。 大部一秋総領事は、サントスFCに所属していたペレが今年10月、東日本大震災の被災地宮城を訪れたことを振り返り「日伯の交流はもっと盛んになる」とあいさつ。リベイロ会長は三浦和良がサントスでプレーしたことに触れ「日本とは関係の深いクラブ。訪日を楽しみにしている」と笑顔でこたえた。 その後大部総領事夫妻にそれぞれ名前入りのユニホームをプレゼントすると、会場からはうらやむ声が上がった。 伯国代表でもあるFWネイマールはニッケイ新聞の取材に答え「日本には闘う意志があり、震災の被害を乗り越えられる力があると信じている。サッカーを通じてパワーを与えたい」と話した。 トヨタ・ド・ブラジルの中西俊一社長は「サントスが勝ち進むことを信じている」とエールを送った。 同大会には今季のJリーグ覇者や欧州王者バルセロナを含め7チームが出場。サントスの初戦は14日。
Em cerimônia realizada no último dia 18, no Salão Nobre da Câmara Municipal de São Paulo, a...
非日系のタイスさん 9月にサンパウロ支局を開設した日本テレビのバラエティ番組「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」の番組リポーターにフロイズ・タイスさん(20)が決定した。今後は、日本のお茶の間に対してブラジルのまだ知られていない珍しい情報を届けていく。 同番組では支局開設後に、日本語の話せるブラジル人支局員を探していたが、タイスさんはブラジル日本都道府県人会連合会の園田昭憲会長の紹介で番組リポーターのテストを受けたという。 テストではタイスさんは日本語能力の高さと明るい性格で、一発合格。園田氏は「明るい性格なので絶対に日本で人気が出るはず」と太鼓判を押す。 タイスさんは聖市の大学FMUに通いながら心理学を学んでいる。非日系ながら4歳の頃から日本文化に興味を持ち始め、日本語学校で4年間日本語を学んだ。2008年のブラジル日本語センター主催のスピーチコンテストでは優勝するなど実力は折り紙付き。日本の好きなところを尋ねると「全部」と答えるほどの日本好き。会話だけではなく、物腰まで日本人そのものだ。 居酒屋でのインタビュー中、運ばれてきたしょうが焼き定食には「神様仏様」と手を合わせて食べ始めるユニークな性格。彼女のリポーターデビューが待ち遠しい。なお、番組の放映は日本テレビ系列で毎週水曜日午後7時56分から8時54分まで(日本時間)。 2011年11月26日付
