「初めてブラジルに来たのに、初めてという思いがしなかった」―。ブラジル沖縄県人会(与那次会長)創立85周年事業の一環として、同県石垣島出身のアコースティックバンドBEGIN(ビギン)の初来伯公演が、12日午後3時から聖市アニェンビー展示場で開催され、県人関係者や一般客ら約6千人が詰めかけた。笠戸丸移民だった故・宮城伊八氏の三線(さんしん)を借り、オリジナル曲を披露した同グループのボーカル・比嘉栄昇氏(43)は冒頭の言葉を述べ、海を渡ったウチナーンチュへたちの思いを新たにしていた。 BEGIN公演を前に午後4時からはブラジルでエイサー太鼓普及の活動を行うレキオス芸能同校会、琉球国祭り太鼓の若い世代のメンバーたちが太鼓を打ち鳴らしながら踊り、観客の目を引き付けていた。 主催者側あいさつとして、与那嶺真次沖縄県人会会長、知花ルイ同公演実行委員長らが登壇。与那嶺会長は、今年県人会が創立85周年を迎え、10月には沖縄県で開催された第5回世界のウチナーンチュ大会にブラジルから約1200人の県系人たちが参加したことに言及。「沖縄は大きな思いを与えてくれ、改めてウチナーンチュのチムグクル(真心)を味わうことができました。今回のBEGINの慰問公演が実現できたことに心からお礼申し上げます。きょうは踊ったり歌ったり楽しく過ごして祝ってください」と述べ、関係者への感謝を表した。 公演では約20曲が披露。BEGINのオリジナル曲だけでなく、故・藤島桓夫(たけお)氏の『さよなら港』や『憧れのハワイ航路』などの懐かしのメロディーも演奏され、会場も一体となった。 その中で、琉球民謡の哀調を帯びた『昔美(むかしかい)しゃ 今美(いまかい)しゃ』では、ボーカルの比嘉氏が笠戸丸移民の故・宮城伊八氏が103年前に沖縄から持参した三線を借りて演奏しながら歌い上げた。 比嘉氏は舞台上で「ブラジルは良いところで、こんなにも日本の方やウチナーンチュの方々がたくさんいることを自分の目で見て知った。初めて来たのに、初めてという思いがしなかった。ブラジルで会ったおじいやおばあたちは、自分の親戚に会ったような気持ちにさせてくれた」と語った。 舞台に登壇してBEGINの歌声に間近で聴き入った聖市モエマ区在住の宮城清進氏(72、2世)は、伊八氏の4男に当たる。本紙の取材に対して宮城氏は、BEGIN一行が7日に同氏の自宅を訪問したことを説明。「彼らは三線のことが本当に好きなようで、父が持ってきた三線に敬意を表してくれた。とても思いのある親切な人たちだった」と話していた。 琉球国祭り太鼓メンバーの踊りとともに同グループの有名曲『三線の花』が演奏された後、アンコールの『島人(しまんちゅ)ぬ宝」』で公演は締めくくられた。 会場を訪れた聖市ビラ・ソニア在住の60代の男性(2世)は、「やっぱりテレビで見るより実物で見るほうがいいね。きょうは楽しめました」と満足した様子だった。 2011年11月15日付
Dia: 15 de novembro de 2011
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け 4日目の10月9日早朝、一行は飛行機でアンデス山麓の都市メンドーサに到着した。空港を出るとアンデスの山々が遠くに広がっていた。バスで市内へ向かい、きれいに整ったブドウ畑を車外に眺めているとワイナリー「Bodega Los Tonelos」に到着した。亜国のワイン生産量は世界第5位で、メンドーサ州は国内生産の約7割を占めるワインの生産地だ。近年では高品質な高級ワインが生産されており、全世界に輸出されているという。まずは昼食、前評判通りの赤ワインとともにアサード(牛の丸焼き)やチーズ、モルタデーラ、サラダに舌鼓を打ち、一行はご満悦の様子だ。頬をほんのり赤く染めた参加者もちらほら。食事の後はワイン製造工程を見学した。夜の交流会では、同地在住30年の中塚幸一さん(73、神奈川)、28年に18歳で来亜した戦前移民で、長野県出身の竹村ジョウシチ氏の息子、マサル氏(故人)の妻、竹村サラさん(スペイン系、73)、娘のソニアさん(三世、44)、姪のエマさん(三世、23)4人の話をホテルで聞いた。親族の話によるとジョウシチ氏はブエノスアイレス港に到着した後、メンドーサへ移った。35年に日本人イトウ・サキさんと亜国で結婚し、3人の子供に恵まれた。孫にあたるソニアさんは群馬県太田市で数十年働いた経験があり、現在はメンドーサに住む。中塚さんによると同地にも一定数の日本人がおり、長野県出身者が多い。実数は不明だが、二~三世が中心だという。参加者一行の長野県出身者である春日洋呉さん(75)、和美さん(71)夫妻、宮原昭二さん(74)、小山徳さん(72)らが集まり、自己紹介をしながら歓談を楽しんでいた。中塚さんは58年、20歳で農業技術移住者として亜国へ渡った。同船者約一千人のうちベレンで数百人が降り、ブエノスアイレス港に降り立ったのは12人だった。その後単独青年を対象に67年、ブエノスアイレス州モレーノ地区に開設された「エスペランサ移住地」に入った。しかし当時30代だった中塚さんの中に、「若者が花作りなんかしている場合ではない」という思いが募り始め、意思を同じくした数人で会社を立ち上げた。が、わずか2年で閉鎖に至った。「在亜日本人会」会長を長年務めた宇野文平氏と知り合い、彼が経営する会社の一つに所属する形で4~5年働いたが、宇野氏とは結局決裂する形で終わった。その後、通算20年花卉栽培に従事し、74年までエスペランサ移住地で過ごした中塚さんは、商売に本腰を入れるべくメンドーサへ移った。子どもの頃から習っていた指圧で、近所の人をボランティアでマッサージをする傍ら、75年、伯国では当時生産されていなかったにんにくを亜国から輸出する会社を立ち上げ、83年まで経営した。従業員は200~300人。収穫期にあたる11~12月が繁忙期。農家と契約し、根と茎を切って洗い選別、箱に詰めるという作業に季節労働者を多数雇った。その大半を伯国へ輸出し、10キロ1箱を40~50ドルで、良いときは70ドルで取引した。「82年頃から中国産のにんにくがパラグアイ経由でブラジルに密輸されるようになって…。見切りをつけました。それまでは良かったんですがね」と中塚さんは目を細めた。(つづく、田中詩穂記者) 写真=中塚さん、竹村氏子孫の皆さん、長野県出身者の皆さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-tanaka4.html
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け 「初めてのブラジルだけど帰ってきた気分」―。沖縄県石垣島出身の人気バンド「BEGIN」のブラジル初のコンサートが12日午後、聖市のアニェンビー西展示場で開かれ、パラナ、ブラジリア、カンポグランデ、リオなど伯国各地から世代を超えた6千人以上のファンが駆けつけた。ブラジル沖縄県人会、ブラジル沖縄文化センターの共催。 ボーカルの比嘉栄昇さん(43)は「自分たちが作った歌を皆さんが生み、育ててくれた。歌を里帰りさせる気分で歌いたい」と話し、ブラジル国旗を掲げた舞台で「竹富島で逢いましょう」などの曲を歌い上げた。ステージ前に特別席が設けられ高齢者が多くいたことから「憧れのハワイ航路」などの懐メロも披露、手を振りながらともに歌う姿も見られた。笠戸丸移民の故・宮城伊八さんが携えた三線を息子のセイシンさん(76)が壇上に持って上がり、爪弾く比嘉さんの隣で耳を傾け「父の魂が戻ってきたと思う」と神妙な面持ちを見せた。移民をテーマに歌った「パナマ帽をかぶって」では、スクリーンに初期の移民の姿が映し出された。ブラジルの沖縄系イベントでも定番の「島人の宝」で会場の熱気は最高潮に達し大合唱、指笛が鳴り歓声が上がった。「オジイ自慢のオリオンビール」「かりゆしの花」に続き「ブラジルに来て本当に良かった。天国で聴いているオジイ、オバアに届くよう歌いたい」と「涙そうそう」をじっくりと聞かせた。アンコールでは若い世代でつくる『琉球國祭り太鼓』『レキオス芸能同好会エイサー太鼓』との共演による「三線の花」「笑顔のまんま」でカチャーシーの渦となった。「ムイト・オブリガード(ありがとう)! また帰ってきます!」と両手をかかげたメンバーらに会場は拍手と声援で応えていた。
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け BEGINがステージを去った後も感動で涙を流し、仲間と抱擁を交わしていた琉球國祭り太鼓ブラジル支部長の上里利彦さん(27、二世)は「共演できて本当に感動」と満面の笑顔を見せ、同副支部長の加藤孝幸さん(29、二世)は「リハーサルを含め夢のようだった。最高!」と額の汗をぬぐった。同メンバーの照屋すえこさん(22、三世)は感動で嗚咽を漏らしながら「家でも沖縄の話をずっと聞いてきた。自分もうちなー文化を守っていきたい」。ロンドリーナから駆けつけた同グループ支部長の佐久真ロドリーゴさん(24、五世)も「普段BEGINの曲で練習しているが、生演奏は全然違う。沖縄をとても近くに感じた」と嬉しそう。壇上で比嘉さんに花束を渡した喜屋武豊子さん(89、那覇市)は「とてもよかった。ただそれだけ」と笑顔を見せた。10月に沖縄であった「第5回ウチナーンチュ大会」にも参加したブラジル沖縄県人会の与那嶺真次会長(61、三世)は「ブラジルの日系人にとって最高のプレゼント。若い世代にも思い出に残るイベントになった。また来てほしい」と期待を寄せた。「島人の宝」をよく聴くという石原昌英さん(59、二世)は、妻のソーニャさん(56、二世)と訪れた。「家で三線を弾いていた祖父を思い出した」と和やかな表情を見せていた。
