【既報関連】「強めよう日本との絆」をテーマに、10月26日から3日間、東京・永田町の憲政記念館、市ヶ谷のJICA研究所などで日本と海外日系社会の連携、強化について話し合う「第52回海外日系人大会」(海外日系人協会主催、外務省、全国知事会、JICA、経団連後援)が開催され、海外21か国1地域から170人、国内から160人が参加した。 ブラジルからは「日本の目をブラジルに向けさせよう」と、木多喜八郎(文協会長)、菊地義治(援協会長)、園田昭憲(県連会長)、二宮正人(CIATE理事長)各氏が出席。日伯両国間の査証免除協定の締結などについても関係機関に要望した。 帰国した日系3団体は、同大会の報告記者会見を11月26日午後4時から聖市リベルダーデ区の文協ビルで開催。「東日本大震災時には伯国日系社会がいち早く支援を行ったことなどを発表した」と報告した。 また、同大会以外にも藤村修官房長官や水上正史中南米局長などに食を含む文化と人的交流の促進などを求めた。 県連の園田会長は「観光ビザ免除協定などを要求できたのは、機を得たことだった」と、訪日の成果に満足し、「日系3団体が一つになり連携が図れた」と振り返った。 2011年11月19日付
Mês: novembro 2011
ニッケイ新聞 2011年11月19日付け 12日に伯国初のコンサートを行った沖縄県石垣島出身の人気バンド「BEGIN」の歓迎交流会が13日、聖市の沖縄県人会館ホールで盛大に開かれ、駆けつけた約400人の県系人がメンバーとの交流と演奏を楽しんだ。午後1時頃、BEGINが到着すると盛大な拍手で迎えられ、挨拶にたったボーカルの比嘉栄昇さんは「ブラジルのことをよく知らないまま来たがここで皆さんの顔を見て話ができて、日本とブラジルは、距離は遠くても心はこんなに近いんだと感じました」と感無量の様子でのべた。 グループ「ブラジル・コルコバード」がサンバショーを披露し、BEGINメンバーも太鼓を叩いたり踊ったりするなどのパフォーマンスを見せ、会場は一気に盛り上がった。 その後県人会の山城勇評議員会長が乾杯の音頭を取り、「ライブでもらったエネルギーを糧に、ブラジルのウチナー魂をより育みましょう!」と挨拶し、一同乾杯。振舞われた昼食に舌鼓を打った。 ライブのサポートメンバーとして初来伯したドラムの田代浩一さん(35、石垣市)は取材に対し、「中学時代からサッカーをやっていてブラジルは憧れだった」といい、「移民が多いとは聞いていたが、ブラジルの沖縄県系人がこんなに明るくて熱いとは。こんなに盛り上がるとは思っていなかった」と目を丸くした。 ライブと交流会の実行委員長を務めた知花ルイ氏(48、二世)は、「我々の夢を叶えてくれたBEGINに感謝の気持ちを示したかった」と趣旨を語り、「来場者数は予想以上だった。40日間しか準備期間がなかったが、成功して良かった」と安堵した様子。 「沖縄に初めて行ったときは郷里に帰ったような気がして涙が止まらなかった」と振り返り、「彼らの歌はオジイ、オバアを思い出させる。BEGINの歌は高齢者と若者をつなげると思う」と思いを語った。 今回のライブと交流会の開催にあたっては、先月沖縄で開かれた「第5回うちなんちゅー大会」で一千人以上の県系人が伯国から参加したため、残った若者メンバーを中心に約60人ボランティアが集められた。 グループの代表、加藤ロベルト孝幸さん(29、二世)は、琉球國祭り太鼓のブラジル副支部長、県人会カーザ・ベルデ支部青年会長を務め、舞台下でBEGINと共演を果たした。「おじいさんおばあさんが懐かしそうな顔をしていたのが一番嬉しかった。BEGINのうちなーぐちを聞いて、昔を思い出しているような目をしていた」。 インターネットで常に新曲をチェックするほど大ファンだといい、「ライブでは胸がどきどきして泣いてしまった。『三線の花』が一番好きです」と笑顔を見せた。 島袋ゆきさん(97、名護市)は「長寿の島OKINAWA」と折り紙で文字を切り貼りして作った和紙を3人に手渡し、BEGINからサイン色紙を受け取った。ゆきさんは「家に飾ると言ってくれました」と嬉しそうに話していた。 昼食の後、「島人ぬ宝」を当地のバンドと共演し大きな拍手が送られた後、写真撮影大会となり、来場者は長蛇の列を作った。 ピアノの上地等さんは、「1週間の滞在だったがこんなに多大な歓迎を受け、日本に帰るのが惜しい。必ずもう一度来たい」、ギターの島袋優さんは、「ブラジルでもらった熱い思いを胸に、これからも良い曲を書いていきたい」とそれぞれ挨拶した。 最後に比嘉さんが「ブラジルで見聞きしたことを子供たちや友達、コンサートのお客さんなど日本全国の皆さんに伝えたい。またブラジルに来るときは一緒に遊んでください!」と呼びかけ、最後はカチャーシーでお開きとなった。 BEGINが出口からバスに乗り込むところを大勢が名残惜しそうに見送っていた中、花城ファビオさん(32、三世)=ブラジリア在住=は、「ライブは本当に素晴らしかった。言葉が出ない」と感動した様子を見せ、加藤剛さん(25、二世)は「BEGINの歌を聴くと、自分にはウチナーの血が流れていることを思い出す」と話していた。
ニッケイ新聞 2011年11月19日付け 神奈川文化擁護協会(永田淳会長)は14日夜、ブラジル視察に訪れた横浜市市会議員10人の歓迎会をリベルダーデ区のニッケイパラセホテルで開いた。会員ら約40人が集まり、懇談に花を咲かせた。 一行はドイツのフランクフルト、南アフリカ共和国のヨハネスブルグなどを訪問し、12日に聖市入り。13日はサントスを訪れ同地在住の日本人と交流を行い、14日に在聖総領事館、移民史料館を訪れた。 永田会長は「今後いっそうの人材交流・親善を図りたい」と挨拶、大部一秋在聖総領事は「横浜市はJICAの海外移住資料館があり、在日ブラジル人も多い。将来性のある交流を」と期待した。 来伯は2度目の横山正人団長(47、自民党)は「今回の視察のなかでブラジルには一番関心があった。日系社会もある。今後は農業など様々な分野で交流を行えれば」とのべた。 サントス訪問のさい、同じ港町で多くの移民船が横浜港から出港した縁があるとして、同市の中井貞夫市議から姉妹都市提携の提案があったことも明かした。 横浜市では従来の海外の姉妹都市と違い、双方の都市にメリットのある特定の分野に絞って交流する「パートナー都市協定」を世界6都市と結んでいる。 斉藤達也議員(38、自民党)は「サントス、サンパウロ市とも何らかの交流を考えたい」と話した。 また一行は野村アウレリオ聖市議とも懇談し、斉藤議員は「環境モデル都市に指定されている横浜市は、高度成長中でインフラ整備やゴミ問題が課題のサンパウロ市に助言できることがあるのでは」と話していた。
ニッケイ新聞 2011年11月18日付け 大阪府費留学・研修生OBでつくる『なにわ会医療関係専門家グループ』は「健康座談会」を19日午後2時から、大阪なにわ会会館二階(Rua Domingos de Morais, 1581, Vila Mariana)で開く。入場無料。 4人の医療専門家が「食生活と循環器疾患」「脳の栄養」「食生活と癌」などのテーマで講演する。日本語のみ。 健康的な食の実演として、なにわ会婦人部による人工甘味料を使わないおしるこが振舞われる。そのほか血糖値測定、血圧測定などもある。 問い合わせは同会(11・5549・7226)。
Escrito por Aldo Shiguti Acontece nesta segunda-feira (21), a partir das 18h30, no Grande Auditório do Bunkyo...
17/11/11 (16:02) Kita, Kikuchi e Sonoda durante discurso no JapãoO presidente da Federação das Associações de Províncias...
大阪なにわ会(下平尾哲男会長)内の医療関係専門家グループ(秋山一誠代表)は、19日午後2時から同4時まで、同会館(聖市ビラ・マリアーナ区ドミンゴス・デ・モラエス街1581番)で健康座談会「健康的な食生活」を実施する。 同座談会は、府費で大阪で学んだ同グループ会員の講演が恒例となっているが、今回は開催10回目を記念して料理研究家の康本静子さんを講師に招き、「健康的な食生活をするにはどうしたら良いか」と題した講演も予定されている。 そのほか、希望者は血圧、血糖値の測定を無料で受けることができる。また、座談会の最後には同グループ会員の大町レジーナ小児科医と、なにわ会婦人部による健康的な食事が用意される。 山本剛介なにわ会副会長は「講演は主に日本語で行うが、ポルトガル語の質問も受け付ける。これまでは年配の来場者が多いが、どなたでもお越し下さい」と来場を呼びかけた。 入場無料。問い合わせは、なにわ会の岡崎事務員(11・5549・7226)まで。 2011年11月17日付
ニッケイ新聞 2011年11月17日付け 5日目、一行は午前7時半に出発し、アンデス山脈の山間と渓谷の間を、チリの国境間近を目指して進んだ。まずメンドーサから南西方向に約60キロのポトレリーリョス村(標高1354メートル)の湖を臨む場所にバスは止まる。雪が解け始めたばかりでまだ水は少なかったものの「多い時期で水深120メートルになる」と現地ガイドは説明した。 「プンタ・デ・ヴァカス」と呼ばれる村落(標高2325メートル)を通る頃には山に雪が残っているのが見え始め、プエンテ・デル・インカ(「インカの橋」の意、標高2720メートル)、ラス・クエバスと呼ばれる集落(標高3112メートル)までくると冷たい風が吹き付け、長時間外にいられないほど寒い。 ガイドの説明では、この集落には現在13家族のみが生活しているという。最高峰のアコンカグアの望める場所で一行は「寒い!」と叫びながらも写真を撮り、休憩所で民芸品を購入したり、わずかに残った雪に触れたりしながら楽しんだ。ホテルでの最後の夕食では、1961年のこの日(10月10日)、サントス港に到着した大分県出身の岐部悦治さん(73)、鈴子さん(74)夫妻、90歳の誕生日を11日に控えた小原あやさん(90、岩手)、8日に米寿を迎えた有馬寛さん(88、福岡)が祝福された。 ボツカツ在住の小原さんは56年に構成家族で来伯した。「旅行が大好き。各地を回ったがスコットランドが一番良かった」という。健康の秘訣を聞くと、「呑気だからかしら」と穏やかな笑顔を浮かべた。ボツカツ文協の図書館に、設立以降10年以上ボランティアで勤めるほか、フランス語も趣味で勉強中だという。 最後の夕食の席で、一行の浜口洋さん(67、三重)は「郷里の話に花を咲かせました」と在亜日系人連合会での交流会を振り返り、「08年の県人会65周年式典に来てくれた3人に再会できた。こういうのはふるさと巡りでないとありえない」と満足げに語った。 向田重子さん(76、群馬)、福元美代子さん(78、宮崎)は半世紀ぶりの再会を果たした。2人とも59年4月23日にサントス港に到着した「あめりか丸」に乗り、向田さんは結婚後、福元さんは花嫁移民として来伯した。 「席が前後でそれぞれお喋りしていたら偶然わかったの。いつ来たの?という話になって」と向田さんが言うと、「船の中で天皇皇后両陛下のご成婚を祝っておかしらつきの鯛が出た」と福元さんも懐かしそうだ。 最終日午前中にホテルを出発した一行は、メンドーサからブエノスへ、ブエノスからサンパウロへと飛行機での移動に追われながらも「今回は今までで最高だったわね」「次が楽しみ!」と口々に言いながら、旅の終わりを惜しんでいた。 夜無事にグアルーリョス空港に到着すると、「また会いましょうね!」と挨拶しながら、荷物を抱え家路へと向かった。(終わり、田中詩穂記者) 写真=10日夜、ホテルのレストランで祝福された4人(上)/アンデス山脈を臨む高地で。気持ちの良い晴天に恵まれた この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-tanaka4.html
Escrito por Aldo Shiguti Depois de conquistar o título da Copa Intercontinental, no último dia 11, Gustavo...
「初めてブラジルに来たのに、初めてという思いがしなかった」―。ブラジル沖縄県人会(与那次会長)創立85周年事業の一環として、同県石垣島出身のアコースティックバンドBEGIN(ビギン)の初来伯公演が、12日午後3時から聖市アニェンビー展示場で開催され、県人関係者や一般客ら約6千人が詰めかけた。笠戸丸移民だった故・宮城伊八氏の三線(さんしん)を借り、オリジナル曲を披露した同グループのボーカル・比嘉栄昇氏(43)は冒頭の言葉を述べ、海を渡ったウチナーンチュへたちの思いを新たにしていた。 BEGIN公演を前に午後4時からはブラジルでエイサー太鼓普及の活動を行うレキオス芸能同校会、琉球国祭り太鼓の若い世代のメンバーたちが太鼓を打ち鳴らしながら踊り、観客の目を引き付けていた。 主催者側あいさつとして、与那嶺真次沖縄県人会会長、知花ルイ同公演実行委員長らが登壇。与那嶺会長は、今年県人会が創立85周年を迎え、10月には沖縄県で開催された第5回世界のウチナーンチュ大会にブラジルから約1200人の県系人たちが参加したことに言及。「沖縄は大きな思いを与えてくれ、改めてウチナーンチュのチムグクル(真心)を味わうことができました。今回のBEGINの慰問公演が実現できたことに心からお礼申し上げます。きょうは踊ったり歌ったり楽しく過ごして祝ってください」と述べ、関係者への感謝を表した。 公演では約20曲が披露。BEGINのオリジナル曲だけでなく、故・藤島桓夫(たけお)氏の『さよなら港』や『憧れのハワイ航路』などの懐かしのメロディーも演奏され、会場も一体となった。 その中で、琉球民謡の哀調を帯びた『昔美(むかしかい)しゃ 今美(いまかい)しゃ』では、ボーカルの比嘉氏が笠戸丸移民の故・宮城伊八氏が103年前に沖縄から持参した三線を借りて演奏しながら歌い上げた。 比嘉氏は舞台上で「ブラジルは良いところで、こんなにも日本の方やウチナーンチュの方々がたくさんいることを自分の目で見て知った。初めて来たのに、初めてという思いがしなかった。ブラジルで会ったおじいやおばあたちは、自分の親戚に会ったような気持ちにさせてくれた」と語った。 舞台に登壇してBEGINの歌声に間近で聴き入った聖市モエマ区在住の宮城清進氏(72、2世)は、伊八氏の4男に当たる。本紙の取材に対して宮城氏は、BEGIN一行が7日に同氏の自宅を訪問したことを説明。「彼らは三線のことが本当に好きなようで、父が持ってきた三線に敬意を表してくれた。とても思いのある親切な人たちだった」と話していた。 琉球国祭り太鼓メンバーの踊りとともに同グループの有名曲『三線の花』が演奏された後、アンコールの『島人(しまんちゅ)ぬ宝」』で公演は締めくくられた。 会場を訪れた聖市ビラ・ソニア在住の60代の男性(2世)は、「やっぱりテレビで見るより実物で見るほうがいいね。きょうは楽しめました」と満足した様子だった。 2011年11月15日付
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け 4日目の10月9日早朝、一行は飛行機でアンデス山麓の都市メンドーサに到着した。空港を出るとアンデスの山々が遠くに広がっていた。バスで市内へ向かい、きれいに整ったブドウ畑を車外に眺めているとワイナリー「Bodega Los Tonelos」に到着した。亜国のワイン生産量は世界第5位で、メンドーサ州は国内生産の約7割を占めるワインの生産地だ。近年では高品質な高級ワインが生産されており、全世界に輸出されているという。まずは昼食、前評判通りの赤ワインとともにアサード(牛の丸焼き)やチーズ、モルタデーラ、サラダに舌鼓を打ち、一行はご満悦の様子だ。頬をほんのり赤く染めた参加者もちらほら。食事の後はワイン製造工程を見学した。夜の交流会では、同地在住30年の中塚幸一さん(73、神奈川)、28年に18歳で来亜した戦前移民で、長野県出身の竹村ジョウシチ氏の息子、マサル氏(故人)の妻、竹村サラさん(スペイン系、73)、娘のソニアさん(三世、44)、姪のエマさん(三世、23)4人の話をホテルで聞いた。親族の話によるとジョウシチ氏はブエノスアイレス港に到着した後、メンドーサへ移った。35年に日本人イトウ・サキさんと亜国で結婚し、3人の子供に恵まれた。孫にあたるソニアさんは群馬県太田市で数十年働いた経験があり、現在はメンドーサに住む。中塚さんによると同地にも一定数の日本人がおり、長野県出身者が多い。実数は不明だが、二~三世が中心だという。参加者一行の長野県出身者である春日洋呉さん(75)、和美さん(71)夫妻、宮原昭二さん(74)、小山徳さん(72)らが集まり、自己紹介をしながら歓談を楽しんでいた。中塚さんは58年、20歳で農業技術移住者として亜国へ渡った。同船者約一千人のうちベレンで数百人が降り、ブエノスアイレス港に降り立ったのは12人だった。その後単独青年を対象に67年、ブエノスアイレス州モレーノ地区に開設された「エスペランサ移住地」に入った。しかし当時30代だった中塚さんの中に、「若者が花作りなんかしている場合ではない」という思いが募り始め、意思を同じくした数人で会社を立ち上げた。が、わずか2年で閉鎖に至った。「在亜日本人会」会長を長年務めた宇野文平氏と知り合い、彼が経営する会社の一つに所属する形で4~5年働いたが、宇野氏とは結局決裂する形で終わった。その後、通算20年花卉栽培に従事し、74年までエスペランサ移住地で過ごした中塚さんは、商売に本腰を入れるべくメンドーサへ移った。子どもの頃から習っていた指圧で、近所の人をボランティアでマッサージをする傍ら、75年、伯国では当時生産されていなかったにんにくを亜国から輸出する会社を立ち上げ、83年まで経営した。従業員は200~300人。収穫期にあたる11~12月が繁忙期。農家と契約し、根と茎を切って洗い選別、箱に詰めるという作業に季節労働者を多数雇った。その大半を伯国へ輸出し、10キロ1箱を40~50ドルで、良いときは70ドルで取引した。「82年頃から中国産のにんにくがパラグアイ経由でブラジルに密輸されるようになって…。見切りをつけました。それまでは良かったんですがね」と中塚さんは目を細めた。(つづく、田中詩穂記者) 写真=中塚さん、竹村氏子孫の皆さん、長野県出身者の皆さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-tanaka4.html
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け 「初めてのブラジルだけど帰ってきた気分」―。沖縄県石垣島出身の人気バンド「BEGIN」のブラジル初のコンサートが12日午後、聖市のアニェンビー西展示場で開かれ、パラナ、ブラジリア、カンポグランデ、リオなど伯国各地から世代を超えた6千人以上のファンが駆けつけた。ブラジル沖縄県人会、ブラジル沖縄文化センターの共催。 ボーカルの比嘉栄昇さん(43)は「自分たちが作った歌を皆さんが生み、育ててくれた。歌を里帰りさせる気分で歌いたい」と話し、ブラジル国旗を掲げた舞台で「竹富島で逢いましょう」などの曲を歌い上げた。ステージ前に特別席が設けられ高齢者が多くいたことから「憧れのハワイ航路」などの懐メロも披露、手を振りながらともに歌う姿も見られた。笠戸丸移民の故・宮城伊八さんが携えた三線を息子のセイシンさん(76)が壇上に持って上がり、爪弾く比嘉さんの隣で耳を傾け「父の魂が戻ってきたと思う」と神妙な面持ちを見せた。移民をテーマに歌った「パナマ帽をかぶって」では、スクリーンに初期の移民の姿が映し出された。ブラジルの沖縄系イベントでも定番の「島人の宝」で会場の熱気は最高潮に達し大合唱、指笛が鳴り歓声が上がった。「オジイ自慢のオリオンビール」「かりゆしの花」に続き「ブラジルに来て本当に良かった。天国で聴いているオジイ、オバアに届くよう歌いたい」と「涙そうそう」をじっくりと聞かせた。アンコールでは若い世代でつくる『琉球國祭り太鼓』『レキオス芸能同好会エイサー太鼓』との共演による「三線の花」「笑顔のまんま」でカチャーシーの渦となった。「ムイト・オブリガード(ありがとう)! また帰ってきます!」と両手をかかげたメンバーらに会場は拍手と声援で応えていた。
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け BEGINがステージを去った後も感動で涙を流し、仲間と抱擁を交わしていた琉球國祭り太鼓ブラジル支部長の上里利彦さん(27、二世)は「共演できて本当に感動」と満面の笑顔を見せ、同副支部長の加藤孝幸さん(29、二世)は「リハーサルを含め夢のようだった。最高!」と額の汗をぬぐった。同メンバーの照屋すえこさん(22、三世)は感動で嗚咽を漏らしながら「家でも沖縄の話をずっと聞いてきた。自分もうちなー文化を守っていきたい」。ロンドリーナから駆けつけた同グループ支部長の佐久真ロドリーゴさん(24、五世)も「普段BEGINの曲で練習しているが、生演奏は全然違う。沖縄をとても近くに感じた」と嬉しそう。壇上で比嘉さんに花束を渡した喜屋武豊子さん(89、那覇市)は「とてもよかった。ただそれだけ」と笑顔を見せた。10月に沖縄であった「第5回ウチナーンチュ大会」にも参加したブラジル沖縄県人会の与那嶺真次会長(61、三世)は「ブラジルの日系人にとって最高のプレゼント。若い世代にも思い出に残るイベントになった。また来てほしい」と期待を寄せた。「島人の宝」をよく聴くという石原昌英さん(59、二世)は、妻のソーニャさん(56、二世)と訪れた。「家で三線を弾いていた祖父を思い出した」と和やかな表情を見せていた。
ニッケイ新聞 2011年11月12日付け 在サンパウロ日本国総領事館(大部一秋総領事)は、東日本大震災で被災した地域の復興支援・観光業支援の一環として、宮城、福島、岩手の3県を訪れる外国人を対象に、全ての査証(ヴィザ)の発給手数料を免除すると発表した。今月15日から2016年3月31日までに申請された査証に限る。必要書類として通常の査証申請に必要な書類のほか、長期滞在査証を申請する場合は、居住先、勤務先、留学先が対象地域に所在することを証明する書類が必要。短期滞在査証を申請する場合は滞在予定表、対象地域を訪問することを証明する書類(宿舎、航空券、乗船券、鉄道、対象地域で開催されるツアー、各種イベント、会議の予約票や入場券、招待状などのうち、いずれか一つ)が求められる。詳細は同館査証班(代表電話=11・3254・0100、月~金曜の午後2~4時の間)。
Escrito por Kenia Gomes Sex, 11 de Novembro de 2011 14:57 Três pessoas de diferentes estados brasileiros...
ニッケイ新聞 2011年11月11日付け 在亜日系団体連合会による一行の歓迎会で、「ニッケイ新聞の方ですか」と突然声をかけてきたのは、アルゼンチン拓殖協同組合(亜拓)監査役の渡辺謙さん(80、佐賀)だ。同団体は戦後移住者の受入れ態勢を整えることを目的に53年に設立された。亜国永住者、パラグアイ移住者の亜国通過、駐在員入国など日本人呼び寄せ手続きを行ってきた由緒ある組織だ。営農や販売指導、直営農場の経営、日本食品の販売など多角的な活動を展開している。80年には現事務所を開設し、現在に至っている。渡辺さんによると、現在はミシオネス州にパラナ松を植林する事業も行われているという。ブエノスで旅行会社を経営する文野和義さん(高知県)は、「例えば日本祭りでもブラジルだけがやっているけどアルゼンチンやパラグアイ、ウルグアイ、ペルーの日系団体も一緒になれば、新ビジネスが生まれるはず」と話していた。現在、亜国には約3万人の日系人がいる。花卉栽培など農業、洗濯屋など商売に従事する人や企業に勤める人、大学に進学する人も多いという。二世、三世を中心に、その約7割がブエノスアイレス市や近郊に住む。息子夫婦らと訪れ、九州地方出身者のテーブルで歓談していた永田マリオさん(76、二世)は、在亜佐賀県人会(会員60家族)の会長だ。亜国側から佐賀県系人は7人参加していた。親が佐賀県出身の飯田正子さん(78、二世)は楽しそうな様子で、「初対面だけど同郷関係者なら仲間。こんなにたくさんの人に会えて嬉しい!」と声を弾ませる。在亜日系人の3分の2を占める沖縄県系人は今回6人参加した。伯国からは名嘉正良さん(伊平屋島出身)=南麻州カンポ・グランデ在住=、与儀清徳さん(70、那覇市)=聖州サンカルロス在住=の2人だ。2人とも米須会長と話したといい、「(米須会長は1歳で来亜したが)日本語もうちなーぐちも上手だった」と嬉しそう。与儀さんはラ・プラタ日本人会との交流会で、ブエノスアイレスから訪れた『移民史』の日西両語コーディネーター、久田アレハンドロ氏など2人の県系人と話せたそうだ。2人は夜の交流会にも姿を見せ、与儀さんは「わざわざ来てくれてとても嬉しかった。会が終わったことも気づかないで、ずっと話をしていました」と喜ぶ。与儀昭雄元県連会長と又従兄弟にあたる与儀さんは、61年に家族で来伯した。ビラ・カロンに住み、昼はコチア産組で働き、夜はパステル作りに従事した。「毎日3時間くらいしか寝てなかったけど若かったから難儀とは思わなかったね」。最期に本橋団長は参加者に対し「ブラジルに来られたときはぜひご連絡ください!」と呼びかけ、全員で「ふるさと」を合唱し終了となった。司会を務めた高嶋満博さん(72、北海道)は17歳で57年にパラグアイに渡り、68年にブエノスに移って以来同地に住む。「ふるさと巡りは良いですね。こちらでも実施したいです」と話し、「ブラジルに行くこともあると思いますので、そのときはどうぞよろしく」と笑顔を見せていた。元老ク連事務局長の上原玲子さん(70、長野)は、08年に皇居勤労奉仕を行なうため訪日したさい、同じグループだった文野さん、一色田さんを含む亜国在住の4人全員に再会できた。「まさか会えると思っていなかった。嬉しかったです」と笑みを浮かべた。(つづく、田中詩穂記者) 写真=大サロンの舞台で記念撮影した一同 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-tanaka4.html
ニッケイ新聞 2011年11月11日付け 農業におけるリーダーの育成を目指し、兵庫県庁と兵庫みどり公社が実施する『若手地域農業リーダー育成研修制度』で、県内農業高校・大学校の学生13人と藤本善龍団長、赤沼幸一副団長が5日に来伯、17日まで滞伯する。今年で33回目。これまで467人が参加した。研修生らは聖州ミランドポリス市の弓場農場(兵庫県人の弓場勇らが創立)、北パラナでは駒込農場、バイオエタノール工場などを見学、アプラカーナ農業高校で交流を行うほか、リオやイグアスも訪れる。同県は70年にパラナ州と姉妹提携していることから、教育委員会が国際交流事業として始めた。個人が半額を負担し、県の助成金と同公社基金の利息が活動資金に充てられる。藤本団長は「近年は日本でも、米や大豆など大規模化が進む。ブラジルで学び、若い農業者の育成に役立てたい」と意気込み、「魅力ある農業経営をする人は、海外経験者が多い」と同制度の意義を強調した。到着日の夜、兵庫県人会がニッケイパレスホテル内のレストラン「誠」で歓迎会を実施した。尾西貞夫会長は「一世が減少する私たちの会では、研修生の受け入れが一大行事。待ちに待った皆さんと会えて嬉しい」と満足そうに語った。藤本団長は「温かい受け入れ感謝する。今年のスローガンは『縁~すべての出会いに感謝』。一つ一つの出会いに感謝し、研修を楽しんでもらいたい」と挨拶をした。続いて研修生らも自己紹介を行った。代表の衣笠優さん(県立農業大学校1年)は「将来は和牛の大規模飼育をしたい」と意欲を見せ、但馬牛を飼育する「太田畜産」が実家の太田舞さん(但馬農業高校2年)は「実家の畜産に活かせれば」と話した。「将来の夢のため技術や知恵を学びたい」「日本とブラジルの農業の違いを見たい」「視野を広げたい」などそれぞれの意気込みを語った。最後に平川黎さん(県立播磨農業高等学校1年生)が、写真等の資料を基に東日本大震災の状況を紹介。「兵庫県はもう災害の爪痕もなく、震災前より賑やかになった。福島も元気になる」と話し、真剣に写真を眺めていた役員たちから大きな拍手が送られた。最後に役員もそれぞれ挨拶をし、藤本団長からお礼として兵庫県ゆかりの品が贈呈された。
Escrito por Divulgação Qui, 10 de Novembro de 2011 10:21 Convites para o Concerto da Orquestra São...
10/11/11 (16:43) Kurimori e a esposa, Keiko, vice-prefeita de LinsO engenheiro Francisco Yutaka Kurimori foi eleito ontem...
福島県人会主催の「喜多方ラーメン祭り」では豪華な電化製品が当たるビンゴゲームが行われた。しかし、そのビンゴゲームは大騒動。まるで暴動のようだった。原因はゲームでカードが1人3枚同時に使用できると知らなかった参加者が景品欲しさに「説明がなかった」と怒り出したため。主催者の説明不足もあっただろうが、景品欲しさに騒ぎ立てる様子はあさましく見えた。最も熱くなっているのは、とうに60歳を過ぎた年配の男性たち。醜く、わざわざ自らの器の小さをさらしているように見えた。ラーメンを食べに来て、男は本気になる場所と時を間違えてはならないと考えさせられた。 ◎ 県人会活動が活発でない団体の中には、会員自体が県人会を必要だと感じていないところがある。そのような県人会を訪ねると記事掲載を断られることもある。内部のバランスがデリケートだから、掲載されるといろいろ問題が発生するというのが原因だ。モザイク子も紙面を通して県人会活動を応援したいが、それができないというジレンマに泣かされた。一方、某県人会では移住50年目にして初めて自らの出身県人会を訪ねて会員になった女性がいた。理由は「ようやく自由な時間が持て、新しい友達が作れると思ったから」。県人会は友達づくり以外にも、先日愛知県人会が開催した子育て交流など世代を超えたものが、それぞれの要望に応じた形で実践することができる。頑張れ小さな県人会。 2011年11月10日付
