青葉健康福祉協会(中沢宏一会長)主催の「青葉祭り」の12月の開催は、3日と17日。両日とも午前7時から午後3時まで、宮城県人会館(聖市リベルダーデ区ファグンデス街152番)で行われる。 会場では、ADESC農協婦人部連合会とカッポン・ボニート地方の有機野菜や、手作りの大豆製品などが販売される。 4階の食事処では、3日は天ぷらうどん、油麩(ふ)うどん、17日はずんだ餅やはらこ飯といった宮城の郷土料理や、きなこ餅、さんま焼き定食、冷やし中華などが用意される予定。 2011年12月1日付
Dia: 1 de dezembro de 2011
日系5団体(文協、援協、県連、老ク連、日文連)共催の天皇誕生日祝賀会が、7日午前9時から文協ビル9階の移民史料館(聖市リベルダーデ区サンジョアキン街381番)で開かれる。 文協では、「毎年天皇誕生祝賀会は2階の貴賓室で行われていましたが、今年は9階の移民史料館となりますので、お間違いのないようよろしくお願いします」と来場者への注意を促している。 詳細は文協事務局(電話11・3208・1755)まで。 2011年12月1日付
ニッケイ新聞 2011年12月1日付け ブラジルでは1970年代前半以降、ほぼ新来者は途絶えたが、ハワイではまだ続いている。 ハワイには1924年までに20万人もが渡ったが、戦後もアメリカ人との婚姻者に加え、戦前移民の呼び寄せが3親等(現在は1親等のみ)まで認められていたことから数万人が渡った。 『ハワイパシフィックブレス』紙の仲嶺和男社長身も、琉球新報で記者として5年ほど働いた後、40年前に親戚の呼び寄せでハワイに渡った戦後移民だ。 仲嶺さんは戦後の特徴として、「米軍人と結婚した日本人女性が7千人もいる」という。それに加え、「今でも日本人は毎年、300人ぐらい抽選で永住権をもらって米国に移住しています。その多くがまずはハワイで慣れてからと寄っていくので、実はけっこう新しい日本人が今でも増えている」と米国ならではの事情を説明した。 ☆ ☆ 米本土からの参加者の中にもアメリカ人の夫を持つ女性の比率が高く、やはり進駐軍と結婚した女性が移り住んでいる割合が高いことを反映しているようだ。米国日系人の特徴の一つだろう。 米国在住40年のサンフランシスコ沖縄県人会(約200人)のルズフォード千鶴さん(72、沖縄)は4回目の参加だ。「ただのウエルカム(いらっしゃい)ではなく、ここではウエルカム・ホーム(お帰り)といってもらえるのが嬉しい」としみじみ語る。 カリフォルニア州だけで沖縄県人会は4つもある。千鶴さんは近くのサクラメント県人会にも顔を出すという。「毎月集まるグループもあって、ウチナー同志食べて笑って楽しむ。20~30人集まる時もあるんですよ」と楽しそうに笑う。 ただし、「50州もあるから全米の県人会員がみんな集まるのは難しい」とも指摘した。世界のウチナーンチュ大会前夜祭の帰還パレードでも、人数の上では最多の米国勢は各地域ごとにバラバラにシャツを作っており、ハワイ以外の米国勢が圧倒的な存在感を見せることはなかった。 その点、伯国は聖市の沖縄県人会とジアデマの沖縄文化センターが全伯の本部機能を担い、南麻州カンポ・グランデのような遠距離でもものともせずに、統一行動をする点に特徴があるようだ。 千鶴さんは「息子はテキサスに住んでいて、年に一度会うだけ。進駐軍だった夫とは英語ですが、息子は幼い頃から日本語を話して聞かせたので会話はできる」と胸をはる。3回目の参加のオーバーホルサー敏子さん(71、今帰仁村)は在米30年、米国籍に帰化しているが、「毎年沖縄に帰ってくる。自分ではアメリカ人というよりウチナーンチュだと思っている。向こうの土に骨を埋めるつもりだが、元気なうちは毎年帰りたい」との気持ちを吐露する。 敏子さんは進駐軍だった夫と1970年に結婚、「夫が大の沖縄好きで、日本語も日常会話ならOKなので、家庭の中は日本語で通した。子供が日本語を話せるようにするというのは、彼の願いでもありました。普通の夫は英語にこだわるので、特別な環境だった」と微笑む。 「子供にも行こうと誘ったが今回は断られた。きっと次回は連れてくるつもり」とのこだわりを見せた。(深沢正雪記者、つづく) 写真=オーバーホルサー敏子さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html
ニッケイ新聞 2011年12月1日付け 青葉健康生活協会(中沢宏一会長)は「青葉祭り」を3、17日の午前7時から、宮城県人会館(Rua Fagundes, 152, Liberdade)で開く。 同県人会婦人部による天ぷらうどん、油麸うどん(3日)、はらこ飯、きな粉餅、ずんだ餅、さんま焼き定食、イカポッポ焼き、親子丼、冷やし中華(17日)などが販売される。 農協婦人部連合会(ADESC)が産地直送有機野菜や手作り製品を販売、小児ゼンソクを患う子供に背骨矯正治療、指圧や灸の施術、家紋やこけしの展示販売も。 問い合わせは同県人会(11・3209・3265)まで。
ニッケイ新聞 2011年12月1日付け ブラジル日本文化福祉協会(木多喜八郎会長)は『天皇誕生日祝賀会』を12月7日午前9時から、9階の移民史料館(Rua Sao Joaquim, 381, Liberdade, 9o. andar)で開く。参加自由、申込み不要。 サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、ブラジル日系老人クラブ連合会、日伯文化連盟の共催。 肖像画を掲げ、今年で78歳を迎えられる天皇陛下の誕生日を祝う。国歌斉唱、文協女子コーラス部によるコーラス、挨拶の後乾杯が行なわれる。 問合せは文協(11・3208・1755)まで。
ニッケイ新聞 2011年12月1日付け 聖州立カンピーナス大学(UNICAMP)の日本人留学生らが設立したボランティア団体『サンパウロFor Japan』が13日、ブラジル日本文化福祉協会大講堂で東日本大震災の復興支援コンサートを開催し、約260人の観客が訪れた。 同大学内で震災の状況を伝える講演会、募金や千羽鶴作りから始まった活動は、メンバーの柴田大介さんが指揮学を選考していたことから今回の企画へと繋がった。 文協、援協、在聖総領事館、宮城、福島両県人会やフジフィルムなど20団体が協力した。 同大およびサンパウロ大学、パウリスタ大学の音楽学生にプロの演奏家を加えた約30人のオーケストラを組織した。 リオ連邦大学副学長で音楽アカデミー会員でもあるマルコス・ノゲイラ氏が、宮沢賢治の詩を基に作曲した「Shizuka~雨にも負けず」は今回初公演、緊迫感ある演奏に合わせて学生が詩を熱唱した。モーツァルトの「ジュピター」では曲調が一転し、明るく爽やかな音で観客を和ませた。 ヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ第9番」のほか「からたちの花」など日本の曲も披露、学生らの堂々たる演奏や指揮に観客は立ち上がって拍手を送った。 来賓として訪れた山下譲二文協副会長は「音楽は国境がない。音楽を通じて大震災の復興支援に参加できたのは、私たちにとっても貴重な機会だった」と語った。 谷口康史さん(30、岐阜)=聖市=は、どの曲もすごくよかった。宮沢賢治の曲はチャレンジしている感じがよくでていた」と話した。 コンサートの収益金5176.46レアルはすでに同総領事館に送金されており、日本赤十字社を通して被災地に届けられる予定。
