06/03/2026

Dia: 6 de dezembro de 2011

 【ブエノスアイレス発・植木修平記者】11月27日に行われた第14回南米ゲートボール連合選手権大会に続き、「南米うちなんちゅゲートボール大会」が翌28日、アルゼンチンのブエノスアイレス市近郊の在亜沖縄県人会連合会「うるま園」で開催された。  大会には南米選手権と同様に亜国、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、ペルー、ボリビア6か国、約350人が参加して行われた。32チームが参加した高齢者の部(70歳以上)では「ブラジル2」が、同じく32チームで争われた壮年の部(69歳以下)では「ラパス(パラグアイ)」がそれぞれ優勝した。  同大会は数年前までは各国の沖縄県人会所属の選手しか出場できなかったが、近年は門戸を開放しており非日系以外の参加者も多い。  試合会場でひときわ目を引くピンクのユニホームで大会に出場したパラグアイチームは「パラグアイからは35人がバスで15時間かけてやって来た。ブエノスアイレスは暑いと聞いたがパラグアイのほうが暑い」とテレレを飲みながら話した。  ウルグアイからは選手30人が船と車を乗り継ぎ、4時間かけて大会に参加。選手らは「ウルグアイには日系人が少なく、ゲートボールをする人も少ない。だからいろんな人を誘って南米大会にもよく出かける」と笑う。  非日系のウルグアイ人で日本語を理解できないルイス・カロシアさん(68)はゲートボールを始めて3か月。「ゲートボールは楽しい」と初めての大会参加を喜んでいた。  現在、ゲートボールは4大陸40か国に普及しており、世界ゲートボール連合(小野清子会長)はオリンピック公式種目として認定される基準「5大陸80か国」を目指して積極的に各国で普及活動を行っている。近年では、南アフリカ共和国での普及を目指して活動している。同協会の理事らは「ゲートボールは世界中で地域形成、世代間交流、国際親善を担うスポーツだ」と今後の展望を語っていた。  大会成績は次の通り。【高齢者の部】1位=ブラジル2、2位=ペルー、3位=サルミエント(アルゼンチン)、ブラジル1 【壮年の部】1位=ラパス(アルゼンチン)、2位=コルドバ(アルゼンチン)、3位=ブラジル1、富士(アルゼンチン) 2011年12月6日付
ニッケイ新聞 2011年12月6日付け  国立広島大学(東広島市)が伯国校友会の設立会合、ならびにライフサイエンス分野の新技術説明会を開くにあたり、同大の岡本哲冶副学長(56、徳島)、国際センター国際交流グループリーダーの下田修二氏(52、広島)、平野裕次主査(40、長崎)が30日に来伯した。 同大では海外在住の卒業生や元留学生らとの連携を強化することで国際的なネットワークの構築を図っており、その一環として伯国にも校友会を設立する運びとなった。 一昨年、聖市の広島文化センター内に広島大学のサンパウロ事務所を開設し、サンパウロ総合大学(USP)と学術交流協定を締結している。 現在同大では海外127の大学と大学間で、130の大学と学部間等で学術協定を締結している。大学同士の提携としては南米ではUSPが初めて。 3人は今回の滞在中、在聖総領事館、東山農場、USP日本文化研究所などを訪問予定。岡本副学長は「実際に学生の往来が始まればずっと交流は幅広くなるはず。そのための下地を作れれば」と話していた。
ニッケイ新聞 2011年12月6日付け  世界のウチナーンチュ大会の開会式会場には不思議な集団が座っていた。沖縄県系人というよりは、普通の白人の一群だ。 「誰だろう」と疑問を感じて声をかけると、初参加のニューカレドニア(以下NC)沖縄日系人会の一団45人だった。オーストラリア大陸の北東部からさらに1200キロほど東の太平洋に浮かぶ島だ。 仏ル・ニッケル社からの労働者を求める要請を受けた外務大臣・榎本武揚が、1892年にニッケル採掘の露天掘り鉱夫を送り込んだことからNC日本移民は始まった。沖縄からは900人弱が渡った。もちろん永住ではなく、5年契約のデカセギだった。日本人全体では1892年から1919年までに6880人が渡り、ほとんどが男性であった。 しかし契約終了後もそのまま島に居残り、現地人女性と所帯を持って子供を作る人が多くいた。「移住」は常に気まぐれな一時滞在から始まり、気がついたら永住に切り替わっている。 「沖縄移民の100年」サイト(rca.open.ed.jp)にある石川友紀琉球大学教授の総論「沖縄の移民」によれば、大戦前には南北米の大陸ほかに、東南アジアのフィリピンに2万人、シンガポールに3千人、南洋群島に5万人、台湾に2万人、満州に3千人が在留していた。この南洋群島への移民というのも沖縄県系の特徴だ。 NC移民は送り出し側の人脈的にはブラジル移民とつながりがある。田崎慎治(長崎県出身)が関係していたからだ。 田崎は、長崎商業在学中からフランス政府のNCニッケル鉱採取夫送り出し事務所に勤務し、海外移住に強い関心を持っていた。その後、上京して東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、英国留学を経て、1908年4月、水野龍が切歯扼腕して実現した笠戸丸の神戸出港を目にして南米移民に強く心を奪われたという人物だ。 その後、神戸高等商業学校(現神戸大学)の教授となり、その教え子からはのちにアマゾン移民導入の立役者で高拓生送り出しを実現した上塚司、辻小太郎、南米銀行創立に関わる宮坂国人、その他、粟津金六、九十九利雄らがいた。その田崎が送り出したNC移民の末裔がここにいる。 ☆   ☆  子孫らと同席していた移民史研究家の津田睦美さん(49、奈良)に話を聞くと、「長かった空白をようやく埋めているところ。感動のルーツとの再会ですよ」と解説してくれた。敗戦により、1946年に日本人は全て島から強制送還された。しかし、現地人である母親と混血児は資産没収の上で残され、差別を受けて大変な苦労の中で生活し、日系人としての意識を完全に失っていた。同地の日系人総数は約8千人といわれる。 一方、日本移民である父と共に日本に強制送還された子供たちは「タツラキッズ」と呼ばれた。 津田は同県人会の誕生を記述する一文の中で「タツラキッズ」をこう説明する。「敗戦直後の日本に初めてやってきた彼らは、外国語なまりの日本語を話し、敵国にいたことなどを理由に学校でいじめられ」るという悲しい子供時代を〃祖国〃で過ごした。混血の二世、三世、四世ら世代が、ようやく正面から自分のルーツと対面し、子供時代の記憶を封じ込めていた呪縛から解き放たれたのが、この大会参加という瞬間であったと津田さんは強調する。 07年にようやく沖縄県人会を結成し、母県側に受け入れ団体「沖縄ニューカレドニア友好協会」も組織され、今大会が初参加になった。いわば約120年ぶりの〃祖国〃訪問だ。(深沢正雪記者、つづく) 写真=ニューカレドニア子孫の到着を報じる沖縄タイムス10月8日付け   この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html
ニッケイ新聞 2011年12月6日付け  海外日系人大会開催中の10月27日、有馬庄栄氏(有馬鐘江保険サービス)が呼びかけ、参議院会館で興石東民主党幹事長と日系団体代表者らの懇談会が開かれた。 県連の園田昭憲会長、ブラジル日本文化福祉協会の木多喜八郎会長、サンパウロ日伯援護協会の菊地義治会長、ビバビーダの野口重雄代表取締役、本紙の高木ラウル社長が出席した。 日系団体代表者らは、初めに東日本大震災と福島原発に対して哀悼の意を表し、ララ物資に継ぐ日系コロニア一丸となった義援金活動を実施していることを説明、国の復興を願う旨を伝えた。 続いて商用ビザに続く観光ビザ免除協定および、縮小しつつある県費留学・研修制度の活性化に向け、日本側の協力を依頼した。 「県費留学制度の研修者は毎年100人。5千人余りのOBの存在は、進出ラッシュの日本にとって貴重な存在」など現状を説明すると、輿石幹事長は「民主党からもバックアップしていく」との意向を示した。 ほかにも食、文化、人的交流の促進や、日本語教師の本邦研修生制度の継続、日系社会における高齢者や自閉症者に関する技術提携の協力要請、観光国としてのアピールなどを行なった。
ニッケイ新聞 2011年12月6日付け  熊本県人会ロンドリーナ支部(平川俊六会長、60家族)は同会創立60周年・婦人部発足40周年を祝う記念式典を13日、同市の東本願寺会館で開催した。サンパウロの同会本部(小山田祥男会長)より7年早く結成されている。同州セルタネージャ、マウアー・ダ・セーラなど近郊からも会員が参加したほか、本部からも小山田会長をはじめ23人が訪れ、約100人が出席して喜びを共に分かち合った。  同会は、1951年に熊本県出身の柔道家・木村政彦を団長とする使節団が来伯した際に催された歓迎会の席上で結成。吉田甫(はじめ)を会長に8人で発足。中川芳則現名誉会長の父で初代会計を務めた初若氏は、サンパウロの熊本県人会本部創立に関わっている。 創立20年を機に71年に婦人部を結成、90年代には近郊都市の出身者も同会に招き入れ、最大70家族まで増えた。 08年には熊本県出身で最後の笠戸丸移民・中川トミさんの記念公園造成への募金活動、東日本大震災にも本部を通じて6千レアルを寄付した。また、5年ごとに記念式典を開くほか、新年会や年1回の温泉旅行などの活動を行っている。 式典に先立ち、本堂で先没者追悼法要が営まれた。前日から降り続く雨で肌寒い中、参拝者は手を合わせた。 会場を会館に移して式典が開始した。平川会長は「60年を本部会員とともに祝えることを嬉しく思う」と挨拶。 中川名誉会長は、本部でも会計役を10年務めたことに対し「私たちは、本部と一番近い支部だと感じている。更に結びつきを深めたい」と話した。 本部と支部で記念品の交換が行われた後、小山田会長は九州新幹線開通を祝って10月に県人会で訪日したことに触れ「今度は一緒に帰省しましょう」と話すと、平川会長は「ぜひとも。本部主催の演芸会にもまた皆でお邪魔します」と笑顔で返した。 功労者表彰に続き、80歳以上の敬老者22人に表彰状が手渡された。101歳を迎えた中川政行さんには特別表彰として県知事からの記念品が贈られ、会場から拍手が上がった。 婦人部長を10年間務めている大塚節子さん(86、熊本)も表彰状を手に「皆の助けがあったお陰、気が付けば活動が続いていました」と笑顔を見せた。 サンパウロ本部の柳森優名誉会長による乾杯の音頭で昼食会が始まり、続けて行われた演芸会では本部と支部双方から出演、日本舞踊、琴の演奏、漫談など多彩な演目が披露され、参加者達は和気藹々と会話を楽しんだ。 功労者表彰を受けた平山ペードロさん(69、二世)は隣町のマウアー・ダ・セーラ市で暮しており、催しのたびに果物などを寄付している。「生まれはブラジルですが、なぜか皆と馬が合う。私達二世にとっても必要な団体なんです」と笑顔を見せる。 サンパウロから訪れた本部会員の高原恵美子さん(80、熊本)は56年、家族でロンドリーナに入植した。「私が入植した時は鉄道沿い全てがコーヒー園。日本の発展を耳にし、『こんな田舎にいられない』と焦って聖市に出たけれど、こんなに発展するとはね」としみじみ語った。 中川名誉会長が「会員の高齢化で5年後はどげんなるか分からん。ばってんまた今日みたいに皆で楽しく集まりたいと願っとります」と熊本弁で挨拶すると、参加者は拍手で応え、式典は終了した。