06/03/2026

Dia: 8 de dezembro de 2011

 日系5団体(文協、援協、県連、日文連、老ク連)共催の天皇誕生日祝賀会が、7日午前9時から聖市リベルダーデ区の文協ビル9階移民史料館で開かれ、天皇陛下のご健康と皇室の変わりのない弥栄(いやさか)が祈られた。今回から「世界に一つ」と言われる天皇皇后両陛下の肖像画が同階で常設展示されていることもあり、開催場所が例年の貴賓室から史料館に変更された。  祝賀会には、在サンパウロ総領事館日系社会担当の成田強領事部長、JICAサンパウロ支所調整班長の村上ビセンテ氏を来賓に迎え、山下譲二文協副会長、菊地義治援協会長、園田昭憲県連会長、中谷アンセルモ日文連会長、内海博老ク連副会長の共催団体代表をはじめ、約70人が出席した。  祝賀会では、共催団体代表紹介に続き、文協合唱団約20人のコーラスにより日伯両国歌が斉唱された。  5団体を代表して山下文協副会長が祝辞を述べ、「天皇皇后両陛下はブラジルには特にお心寄せいただき、再度にわたって来伯され日伯親善外交の大きな役割を果たされた」と尊敬の意を示した。また、1997年の来伯時に史料館9階増設の開所式に立ち会われたことや、78年の史料館開設(7、8階)時にも両陛下(当時は皇太子・妃殿下)がガイゼル大統領とともにオープニングに参加されたことにも触れ、「史料館は両陛下と日系社会にとって絆の深い場所」と強調した。  さらに山下副会長は、東日本大震災被災者に対して両陛下が自身の体調を顧みずに被災地を訪問されたことに「身の引き締まる思い」と述べ、天皇のご健康と皇室の変わりのない繁栄を祈った。  引き続き、成田領事部長が、2001年7月頃に両陛下がハンガリーを訪問された際にレセプション担当だった時のエピソードを披露。同国王夫妻が退席した後も両陛下は出席者と気軽に話し、在留邦人の労をねぎらわれたという。 園田県連会長による万歳三唱の後、菊地援協会長が乾杯の音頭を取り、祝賀パーティーへと移行した。 2011年12月8日付
 ブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)は11月20日、聖市パカエンブー区の同会会館で創立98周年記念式典と敬老慰安会を開催した。  当日は聖州内だけでなく、パラナ州やブラジリアといった遠方からも会員や関係者が集(つど)い、約70人が出席した。 敬老慰安会で小森広相談役は「2年後に100周年を迎える県人会として、先没した先輩が築いてくれた歴史を受け継ぎたい。日系社会の模範となるような団体の一つでありたい」とあいさつした。  同会では、来場した75歳以上の会員へ紅白餅が手渡された。同県人会には75歳以上の会員が89人所属している。 高齢者を代表して井料堅治参与(79)が謝辞を述べ「高齢になると、歳を重ねることを普通と感じるが『若いですね』と言われると気持ちが良い。これからも、一緒に元気に生きていきましょう」と晴れやかに語った。  餅を手にした杉尾コトさん(92、姶良市)と穂園佐武郎さん(78、曽於郡大崎町)は「毎年もらっているが、今年もうれしい」と笑顔で話した。 2011年12月8日付
来年の再会誓って  和歌山県人会(木原好規会長)主催の忘年会が、4日正午から聖市アクリマソン区にある同県人会館で開かれ、子どもから高齢者まで約60人が一堂に会した。  木原会長はあいさつで今年1年を振り返り、県人会員へ感謝の気持ちを表した。会では、青年部が焼くシュラスコに舌鼓を打ち、ビンゴゲームなどで盛り上がった。  また、和歌山県人会員で元サンタンデール銀行取締役の清水オリジオ夫妻、下本八郎元聖州議夫妻も姿を見せた。 最後に会員らは「また来年元気にお会いしましょう」と抱き合い、同県人会は今年の公式行事を納めた。 2011年12月8日付
ニッケイ新聞 2011年12月8日付け  「ぺルーの日系団体で一番大きいのは沖縄県人会、でも全体を統括しているのはペルー日系人協会です」。首都リマで旅行社を経営する玉城ルイスさん(76、二世)は、そう語り、全日系人口は8万~10万人でウチナーンチュはその7割を占めると補足した。 世界のウチナーンチュ大会の参加者数に関しては、第4回大会には400~500人参加していたので、今回はそれより若干少ないという。 「第4回大会までは一世が多かったが、今回は非常に少ないのが特徴。あと他府県人が20%ぐらい来ている。二、三世にも沖縄ブームが起きており、日本語は出来ないが一度は沖縄に見にきたいという人がこの機会に来ている。そして大会に来てみな感動している」 日系の国会議員は何人も出ているが、「2期務めたのは私だけだ」と胸を張って琉球新報10月9日付けに談話が掲載されているのは、松田サムエルさん(70、与那城町系二世)だ。96年12月に首都リマで起きたセンデロ・ルミノソによる日本大使公邸占拠事件の時、解決までの126日間、最後の人質3人の一人だった人物だ。フジモリ大統領の側近として知られ拘束され続けた。 同紙に「これまでの人生で一番困難で恐ろしい出来事だった。今でも時々思い出し、身震いすることがある」とコメントを寄せている。 それもそのはず、政治家になったのは92年に同大統領支持母体である「カンビオ90」から出馬して初当選している。00年にフジモリ政権が終わった際、国会議員を辞任した経緯がある。激動のペルー史のど真ん中を生きてきた人物といえそうだ。 ブラジルでも沖縄県系の政治家は数多いが、これはほかの国にも共通する傾向のようだ。 ☆    ☆  今回、新ウチナー民間大使に就任したボリビア沖縄県人会の宮城和男会長(62)によれば、ボリビア国内の日系人は約1万6千人で、沖縄県系人は同地全日系の6割を占めるという。日系社会全体を統括するのはボリビア日系協会連合会(FENABOJA)だ。 宮城会長は、同国の現状と課題を次のように話す。コロニア・オキナワ(約890人)などの「移住地なら日系社会は残るが、都市部に出た人は、どんどんボリビア社会に溶け込んでいく。そういう次世代をどう引き止めるかが、これからの課題です。町に出た世代は、よっぽど努力しないとウチナー気質は維持できない。ブラジルは県人会85周年をあれだけ盛大に祝った。ブラジルに見習うべきことは多い」と見ている。 最後に「文化継承にマニュアルはない。どんな偉い大学の先生にも分からない。次世代への対応は試行錯誤の連続です。強い次世代を育てるためには、各国それぞれの県人会が、子孫に強制するのではなく、自然にアイデンティティを受け継いでもらうような風にするしかない」と眉間にしわを寄せた。 ☆    ☆  世界には40万人もの沖縄県系子孫がおり、ブラジルにはその3分の1が住んでいる。そんなにいても、世界の日系250万人の6割、150万人がブラジルに集中しているため、当国の沖縄県系人の比率は1割に過ぎない。 ただし、南米全体でみれば亜国、ペルー、ボリビアのようにその比率は6~7割と高く、大半の国で過半数を占め、大きな存在感を示している。逆に言えば、ブラジルの日系社会は世界の中でも特殊な存在なのだ。 日本の人口においてはわずか1%を占めるに過ぎない沖縄県だが、世界においては比率が逆転し、県系人は各国日系社会の過半数、もしくは最大派閥となっている。この大会の目的は、そのような海外における最大派閥「世界のウチナーンチュ」との絆を強めことといえる。(深沢正雪記者、つづく) 写真=宮城和男ボリビア県人会長   この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html