06/03/2026

Dia: 23 de dezembro de 2011

ニッケイ新聞 2011年12月23日付け  沖縄県人は「琉球ナショナリズム」という〃龍〃を心の中に抱えている。それが対日本政府であれ、対米国占領軍であれ、沖縄を支配する覇権に対して抵抗するときに、これが高まるようだ。 例えば、米軍基地反対運動が盛り上がったときに琉球ナショナリズムが高まって「琉球派」が台頭して「独立論」が頭をもたげ、先鋭化した活動家が旗印にする。平時には「日本ナショナリズム」が強くなり「沖縄派」が幅を利かせる。この「琉球派」と「沖縄派」の二つの〃顔〃が時代状況によって盛衰することで、歴史が作られてきたようにみえる。 ウィキペディアの「琉球ナショナリズム」項目によれば、琉球大学の林泉忠准教授が07年に行なった沖縄県民意識調査では、県民のうちで自分が「日本人ではなく沖縄人である」と回答した人はなんと41・6%にものぼる。今も強い同族意識を県民が持っている。 ただし、「沖縄が独立すべきだ」と回答したのは20・6%で、大半は独立に賛成していないことが分かる。「沖縄人」としての強いアイデンティティを持っているが独立まではしたくないという志向だ。 ☆   ☆  占領軍の政策のままに推移すれば、沖縄は独立国になっていた可能性があった。終戦直後の米軍の布告では日の丸の掲揚や君が代を歌ったものには罰金が科せられた。 1947年7月25日の「亜国日報」創刊号に、翁長助成元日本新聞社主(ブラジル移民)が次のような当時の辛い心境を寄せている。「広島や長崎は原子爆弾でやられても日本であることに変りはない。広島市民も長崎市民も依然として日本人である。しかるに我々の郷里沖縄は日本から切りはなされ米軍政の下にあり(中略)、我々沖縄県人は引き続き日本人であるか、あるいは沖縄人として外国の統治下に戦前の南洋委託統治領の島民同様の取り扱いを受けるか、今その分かれ道に置かれている」(『アルゼンチン日本移民史』戦後編、34頁)。 日本復帰運動が50年代に始まると、君が代、日の丸は米軍占領への抵抗運動のシンボルとなった。60年代には日の丸掲揚運動や標準語励行運動が展開され、日本人になるために懸命に努力を続ける中で、ウチナーグチなどの伝統文化が忘れ去られていった。そのような「沖縄派」の方向性が最大限に発揮された結果、72年に念願の本土復帰が実現された。 沖縄テレビの前原信一(まえはら・しんいち)さんは、「あの頃はみんな東京に心が向いていた」としみじみ思い出す。普通の県では生れたときから日本人だが、沖縄の戦後は日本人であることを「選んだ」世代だった。 ところが復帰後10年を経て、懸命に日本人になろうとしたストレスの反動がでたようだ。80年代には安心感が広まり、逆に「ウチナー」というアイデンティティを求める動きが出て、90年の第1回「世界のウチナーンチュ大会」に繋がった。その中で、古い方言が残っている海外子孫に〃明治の沖縄〃があり、そこに学ばねばという復古志向が生れたようだ。 「沖縄の心」という振り子が右に揺れれば「琉球派」となり、左に戻せば「沖縄派」となるわけだ。今はゆり戻しの時期だが独立志向ではなく、琉球独自の伝統を復古する志向が高い、いわば琉球ルネサンス(文芸復興運動)という形だ。 大会はこの流れにのり、「国際的なアイデンティティ見直し」「グローバルなエスニック意識」という要素を含んでいる。これは琉球派と沖縄派が共に手を合わせて取り組める寛容性を持っていることで大きく盛り上がってきており、さらなる独自展開が続くだろう。 グローバル時代に合わせた県民丸ごとの自己認識練り直しの座標軸に、海外子孫がいる。(深沢正雪記者、つづく) 写真=「ウチナーの心が見たかったら南米に行け」と語る沖縄テレビの前原信一さん   この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html
ニッケイ新聞 2011年12月23日付け  文協ビル5階の元援協事務所への県連本部移転が遅れている問題で、援協が用意する書類が未だ揃う見込みが立たないため、援協の申し出により、来月から共益費だけの支払いで移転することが決まった。 詳細な移転日は未定だが、新たに無期限の賃貸契約を結び、売買契約の完了まで無償で提供することになる。 今年始めの移転を目指し準備を進めてきたが、本来免税されるIPTU(固定資産税)を課せられたことで、援協と聖市との裁判があり契約が遅れた。 援協の菊地義治会長は「裁判は既に終え、7月から書類をずっと待っているが時間がかかっている。早くても1月15日以降にならないと動かないのでは」としており、正式に県連名義となる時期は分からないようだ。 園田昭憲県連会長は「全書類が揃うまでは、税金問題に問われた場合も援協が責任を負うことになる」と説明する。 新本部の広さは約200平米。会長室兼応接室、代表者会議室、日本祭り用倉庫、会館を持たない県人会へ貸し出す部屋を設け、機能を拡大する。 内装工事は売買契約後となるためこれも時期未定。県連のある役員は「移転するのが決まっているのに落ち着かない状態。早く解決してほしい」と苛立った様子で話した。
ニッケイ新聞 2011年12月23日付け  県連の12月度代表者会議が15日に栃木県人会館で開かれ、先月に県連復帰を決定した富山県人会の市川利雄会長が挨拶を行った。  園田昭憲県連会長は「富山県人会が正式に復帰した。これで47都道府県全てが県連に加入した」と話し、市川会長を紹介した。 01年に県連の運営や日本祭りに対する意見の相違から脱会したが、先月開かれた役員会で園田会長臨席のもと定款の内容を検討した結果、満場一致で賛成となり10年振りの復帰となった。 市川会長が「県連、県人会双方の発展のため、皆さんと協力しながら頑張っていきたい」と抱負を述べると、会場からは大きな拍手が送られた。
 鹿児島県人会イビウナ支部の「隼人会」が14日に開催した忘年会では「十分あるので安心して下さい」というざっくりとした会計報告がなされた。鹿児島県には「だいたい、適当な」といった意味の「てげてげ」という方言がある。加えて興味深いのは、日本最南の沖縄には「沖縄時間」と呼ばれ、時間を守らない風習がある。当地ブラジルも時間には寛容だ。温暖な気候は人を大らかにしてしまうのか。 ◎  また「てげてげ」は鹿児島県の隣県、宮崎県でも使われ、さらに宮崎独自で話される方言で「てげ」といったものもある。「てげ」は「とても、すごく」といった意味合いで、この二つを併用することにより「てげ、てげてげ」という暗号のような言葉が生まれる。そういえば、頻繁に耳にするポルトガル語「mais ou menos」は「だいたい」と同じく曖昧なニュアンスを含む。九州南部とブラジル、言語は違えど話す内容は同じなんですね。 2011年12月23日付
恒例の餅つき大会  ACAL(リベルダーデ文化福祉協会、池崎博文会長)と日系5団体は31日、年末恒例の「餅つき祭り」を共催で開催する。 毎年聖市のリベルダーデ広場で開催される同会は、今回で41回目を迎える。  当日は、午前8時からリベルダーデ広場で餅が振る舞われ、同10時から開会式と餅つきパフォーマンスが行われる予定。来賓として出席する大部一秋在聖総領事やジルベルト・カサビ聖市長らも餅つきを行う。  また、2個入りの紅白餅が2万袋、午前10時半から雑煮3千杯がそれぞれ無料で振る舞われる。 ACALの池崎会長と小林マウリシオ理事、宮本紀美子ブラジルラジオ体操連盟会計は本紙を訪れ「お餅はラジオ体操をやっている方々が前日から丸めてくれる。サンパウロの日系コロニアのお祭りとしてみんなに支えられている」と同祭に協力する関係者に感謝した。 2011年12月23日付
 1月のリオ州での水害に続き、3月に未曽有の大災害となった東日本大震災に対しブラジル各地からの義捐金支援活動を行うなど、天災に見舞われた1年となった2011年。日系社会では今年も、様々な出来事があった。 【1月】ジルマ新大統領の就任式に、日本国特派大使として出席した麻生太郎元首相をはじめ、河村建夫、中井洽、黄川田徹各氏の3衆議院議員を合わせた4人が来聖。日系社会関連では開拓先没者慰霊碑参拝、出身県人関係者との懇談会をそれぞれ行った。 リオ州で豪雨の影響により洪水や地すべりなどの災害が相次いで発生。ペトロポリス、ノーバ・フリブルゴで土地が浸水したほか、テレゾーポリスでは日系人3人の死亡が確認されるなど、大きな被害を受けた。 聖市リベルダーデ区ガルボン・ブエノ街のアパートに18にも及ぶ強盗グループが押し入り、拳銃などで脅して日本人や中国人宅など約10軒に侵入し、現金や貴金属類などを強奪する事件が発生した。 「日本の食糧供給パートナーとしての南米日系農業者」を全体テーマに第11回南米日系農協活性化セミナーが、聖市内ホテルで開催。その一環として日本を代表するジャーナリストの池上彰氏による基調講演も行われた。 平成22年度NHK全国俳句大会と同短歌大会の俳句部門で、聖州ミランドポリス管内第1アリアンサ在住の新津稚鴎氏(95、本名=英三、長野県出身)が特選の中でも大賞を受賞する快挙を果たした。 【2月】大相撲の八百長問題で日本相撲協会が3月の春場所中止を正式に決定したことが日系社会にも大きなショックを与え、NHKによる相撲観戦を楽しみにしているファンからは不満の声が上がった。 以前から中国系レストランなどから出される生ゴミが、清掃車が来ない昼間から放置され、文協ビルの角やバロン・デ・イグアペ街の一部などでゴミの腐臭が漂っていることが問題となった。 ブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野脩平氏たちが中心となり、日系社会で初めての『柔道史』編纂の準備が進められた。『柔道史』は、リオ五輪が開催される2016年をめどに完成が予定されており、「創生期」「復興期」「全盛期」の大きく三つの章に分け、500ページにおよぶ大作が期待されている。 「K.K.TOMODATY’S」(花村カルロス年夫代表)に託送した荷物が不着になっている事件が相次いだ。同社は前年に倒産し、荷物を処理しないまま経営者がブラジルに帰国したことが判明。同社が使用していた倉庫には、2千個ほどの荷物が放置されたままになっていた。 日本相撲協会が今年の初場所で十両勝ち越しを果たした魁聖(リカルド・スガノ=24、3世、友綱部屋)が事実上の新入幕扱いとなったことを発表。ブラジル出身力士として初の「幕内入り」という快挙を果たした。 【3月】柿収穫祈願祭と第5回4州果樹生産者技術交流会が聖州ピラール・ド・スールで行われ、サンパウロ、パラナ、ミナス、サンタカタリーナ各州から約100人が参加し、今年6月に帰国したJICA派遣シニアボランティアの浦田昌寛氏の実践的指導に聞き入った。 リオデジャネイロ市内で自分の荷物を盗まれたと地元観光警察(DEAT)に届け出た日本人観光客が、保険金目当ての詐欺事件だったとして地元警察に逮捕された。 日本の国難である東日本大震災発生により、日系社会にも大きな衝撃が走った。被災地県人会や日系3団体が中心となって日本への義捐金を受け付 け、ブラジル各地の日系団体及び非日系人からも義捐金が寄せられた。10月の海外日系人大会での発表では、伯国日系社会からだけで約6億円の義捐金が送ら れたことが報告された。(つづく) 2011年12月23日付
 在聖総領事館、文協、援協、県連、商工会議所、日文連共催の2012年新年祝賀会が、1月1日午前10時から聖市リベルダーデ区の文協記念講堂(サンジョアキン街381番)で開催される。  当日は、日伯両国歌斉唱、木多喜八郎文協会長、大部一秋総領事両人の祝辞に続き、万歳三唱。「一月一日」の歌合唱の後、講堂前サロンに場所を移して祝賀パーティーが行われる。 詳細は文協(電話11・3208・1755)まで。 2011年12月23日付