06/03/2026

Dia: 27 de dezembro de 2011

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  今年は3月に発生した東日本大震災の悲報にコロニアが包まれた1年だった。母国の復興を願い、各団体による震災支援活動が年間を通して行なわれた。一方、商用数次ビザの緩和、社保協定が結ばれるなど、日伯交流の明るい未来を感じさせるニュースもあった。アマゾンに理想郷建設の夢と共に入植した高拓生の80周年では、アマゾナス州政府が戦時中の日本人迫害を正式謝罪する歴史的一幕も。コロニア御三家の援協、県連に一世会長が返り咲き、世代を超えた団体経営の時代を感じさせた。日系人の政界への道を切り開いた田村幸重、上野アントニオ、安田ファビオ氏らが鬼籍に入っている。日夜、取材に駆け回った編集部が選ぶ「コロニア10大ニュース」をお届けする。  3月11日の東日本大震災直後から、聖市の各日系団体や県人会はもちろんアマゾン地域、北東伯、ノロエステ、パラナ、リオ、南麻、サンタカタリーナ州など、まさにコロニアを挙げた募金活動が展開された。 集まった全体の義捐金額は6月末時点の本紙の調査で、少なくとも約1160万レ(約5億9千万円)に上ったことがわかった。 調査に漏れた団体、寄付しても公表していない団体を含めると総額は6億円を超えるとみられ、日本に対するこれほどの義捐金がコロニアで集まったのは終戦直後のララ物資運動以来となった。 主要日系5団体(文協、県連、援協、商工会議所、日伯文化連盟)による募金キャンペーンでは約1億7930万円が集まり、東北3県のほか被災地でない県人会も浄財を送った。 県連日本祭りでは震災写真展が開かれ、聖州政府との連携プロジェクト「SOS Japan」も発足、支援イベントが実施された。 特筆すべきは連邦政府からの50万ドルを筆頭に一般の非日系人からも多くの支援が寄せられたことだ。既に募金は打ち切った団体が大半だが、複数の団体が引き続き別の形での支援を表明している。 一方、国際送金の手続きに手間取り、一般ブラジル社会に支援を呼びかけることができなかった文協の脆弱な体制が露呈された結果ともなった。
ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  3月に県連、4月には文協、援協の会長選挙があり、援協と県連では二世から一世が会長に返り咲くなど、世代を超えた団体経営の形がコロニアの関心を呼んだ。 文協は評議員の投票による理事会選挙で体制側「統合と進歩」(65票)が小川氏を会長とする「みんなの文協」(40票)引き離し、木多喜八郎会長が2期目の続投を決めた。 県連は、与儀昭雄氏が任期を1年残して沖縄県人会長を退任したことを受け、執行部で新会長を互選。園田昭憲副会長(鹿児島、63)が就任し、残りの任期を務めることとなった。 第1回目となる援協評議員会であった理事会選挙で、森口イナシオ会長、菊地義治第1副会長をそれぞれ代表者とするシャッパが提出された。投票の結果、4票の僅差で菊地氏が新会長に選ばれた。
ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  今年もコロニアに尽くしてきた多くの人が鬼籍に入った。編集部から追悼の意を表し、掲載した故人のみ、ここに掲載する(順不同、敬称略)。 ◎ 【1月】五十嵐二郎(ノロエステ連合元会長)【3月】小泉照男(元シネマ屋、聖市演劇研究会座長)、花城淑子(協和婦人会元会長)、木下利雄(北海道協会会長)、浦崎直秀(琉球国祭り太鼓ブラジル支部代表)、野村義人(ブラジル日系ゴルフ協会名誉会長)【4月】原田ミノル(モジ農業組合長)、木村巌(ABC文化協会元会長)、渡辺光(本紙歌壇選者)【5月】中川デシオ(精神科医)、野村次郎(援協評議員会長)、慶塚賢明(全拓連グァタパラ農場長)【6月】佐藤牛童子(俳詩「朝蔭」主宰者)、笹崎孝作(笹崎工業創立者)、小野寺七郎(音楽家)、大塚次郎(家具職人)、安田ファビオ(日系初の大臣)【7月】木村博(熊本県人会元副会長)、田村幸重(日系初の連邦議員)、中野秀敏(リ・ピーレス元市長)、池上忍(鹿児島県人会名誉会長)、竹村英郎(援協元事務局長)【8月】別役道昌(鐘紡ブラジル元社長)、花田正子(カンピーナス文協婦人会元副会長)、水本すみ子(エスペランサ婦人会元会長)、玉腰豊子(ADESC元会長)【9月】石崎矩之(日系ラジオ局アナウンサー)【10月】上野アントニオ(連邦下議)、市村之(パ州ウライ元市長)、黒木穣(福博村農業経営者)、天達市雄(鹿児島県人会相談役)、小針一(マリリア文協柔道部顧問)、北杜夫(作家、「輝ける蒼き空の下で」著者)【11月】葛山正一(兵庫県人会世話役)、水本みゑ(水本光任夫人)、原田ネルソン(コロニア歌手)【12月】和田弘美(レストラン「ごんべ」店主)
ニッケイ新聞 2011年12月27日付け  祖先シンポの中で、ブラジル沖縄県人会の与那嶺真次会長も、当地独自の取り組みを熱く講演した。位牌をどうするかは子孫にとって重要な問題と考え、長男が受け継ぐ伝統が揺らいでいる現実をかんがみ、沖縄文化センターに集めて保存し、共同供養する計画が進められている件を発表した。 「位牌だけでなく、香炉の灰にも歴史がある」そう与那嶺さんは強調する。「おじいちゃんが沖縄から持ってきたのは位牌だけでない。香炉もそう。そこに積もっている線香の灰にはご先祖さま何代分もの想い、祈りがこもっている。この灰を専用のカプセルに入れて渡航者氏名、船名、渡伯年月日などを書いて、保存する。次の100年でどんな偉い人が出ても、移住して来た初代の歴史が文化センターに来れば残っているようにする。偉い人が出れば出るほど、初代の価値が出るような、そんな施設にしたい」。先祖崇拝を県人会が代行し、ルーツ意識を継承させるための拠点にする。これも一つの県人会のあり方かもしれない。 ☆   ☆  上原幸啓さんは文協会長(当時)である百周年の頃、「日系団体で最初に無くなるのは県人会」と公言していたが、実際に県人会によっては定期総会を開いても10人も集まらないところがある。47県人会が揃っている日がいつまで続くか、誰にも保証できない時代だ。 それぞれ県人会で子孫意識の活性化ができれば、会消滅を避けられる可能性がある。ならば沖縄の事例は、他の県人会でも参考になるはずだ。 どの県も、県民と海外子孫がお互いの存在を有益と思える「万国津梁」のような良いイメージを持てれば、関係は活性化する。郷土性を重視しつつ50年先、100年先を考えた一つのモデルだ。 ただし各県ごとに歴史は異なる。それぞれに県人性を深く掘り下げる作業が必要だ。県史の中に移住が果たした役割、移民による母県への貢献とは何だったのかを解釈しなおす必要がある。 その上で、その歴史を分かりやすいフレーズに置き換え、県民と県人子孫がそれを共有できるよう、繰り返し演劇、音楽、芸能などを通して周知徹底する必要がある。 その中で海外子孫にも継承させるべき県民性とは何かをふり返る考察が生まれ、母県でも広く知られるべき移民の物語、イメージが発掘される。 現代の日本において「国際的」であることが真剣に問われているのは外交という高等なレベルではない。むしろ、工場の中や隣のアパートという国民の日常生活そのものだ。  外国に住んでいる県人会の会員は〃外国の日常を良く知る県人の集まり〃であり、「国際化」の最先端にいる。 沖縄県が世界の県人会と組んで短期留学の仕組みを作ろうとしているが、どの県でも可能なことだ。互恵関係を発展させる上でも積極的に進めていい方向性だ。 農業高校生などが来伯する県もあるが、受け入れ先は農家だけでない。県人家庭で使う言葉の状況、日本語学校、各地文協の催しはもちろん、スーパー、薬局、病院、レストラン、高速道路など日常生活全てが異文化経験そのものだ。県人会員が日常考えている「文化、言葉、考え方の相違」は貴重な外国体験として、母県の若者に伝える価値がある。 その中で、日本がいかに得がたい生活環境を提供しているかが母県の若者に実感され、日本語だけで会話できることのありがたさ、日本での食生活の豊かさ、安全のありがたさ、外国人との意思の疎通の難しさの片鱗でも体験できれば成功だ。最終的には、彼らに「日本人であること」の自覚が深まれば、それに優る成果はない。 県庁も県政の一環として長期的な戦略のもとに取り組む必要があり、それに対応して地元企業、地元大学、国際交流団体などが一致団結して協力して行くからこそ、県民への影響力が生じる。 そのような取り組みの結果として、地域にしっかりと足場を固めつつも、多文化環境を理解する国際人が輩出されるに違いない。(深沢正雪記者、終わり) 写真=与那嶺真次会長 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-fukasawa8.html