大阪なにわ会(下平尾哲男会長)内の医療関係専門家グループ(秋山一誠代表)は、19日午後2時から同4時まで、同会館(聖市ビラ・マリアーナ区ドミンゴス・デ・モラエス街1581番)で健康座談会「健康的な食生活」を実施する。 同座談会は、府費で大阪で学んだ同グループ会員の講演が恒例となっているが、今回は開催10回目を記念して料理研究家の康本静子さんを講師に招き、「健康的な食生活をするにはどうしたら良いか」と題した講演も予定されている。 そのほか、希望者は血圧、血糖値の測定を無料で受けることができる。また、座談会の最後には同グループ会員の大町レジーナ小児科医と、なにわ会婦人部による健康的な食事が用意される。 山本剛介なにわ会副会長は「講演は主に日本語で行うが、ポルトガル語の質問も受け付ける。これまでは年配の来場者が多いが、どなたでもお越し下さい」と来場を呼びかけた。 入場無料。問い合わせは、なにわ会の岡崎事務員(11・5549・7226)まで。 2011年11月17日付
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ニッケイ新聞 2011年11月17日付け 5日目、一行は午前7時半に出発し、アンデス山脈の山間と渓谷の間を、チリの国境間近を目指して進んだ。まずメンドーサから南西方向に約60キロのポトレリーリョス村(標高1354メートル)の湖を臨む場所にバスは止まる。雪が解け始めたばかりでまだ水は少なかったものの「多い時期で水深120メートルになる」と現地ガイドは説明した。 「プンタ・デ・ヴァカス」と呼ばれる村落(標高2325メートル)を通る頃には山に雪が残っているのが見え始め、プエンテ・デル・インカ(「インカの橋」の意、標高2720メートル)、ラス・クエバスと呼ばれる集落(標高3112メートル)までくると冷たい風が吹き付け、長時間外にいられないほど寒い。 ガイドの説明では、この集落には現在13家族のみが生活しているという。最高峰のアコンカグアの望める場所で一行は「寒い!」と叫びながらも写真を撮り、休憩所で民芸品を購入したり、わずかに残った雪に触れたりしながら楽しんだ。ホテルでの最後の夕食では、1961年のこの日(10月10日)、サントス港に到着した大分県出身の岐部悦治さん(73)、鈴子さん(74)夫妻、90歳の誕生日を11日に控えた小原あやさん(90、岩手)、8日に米寿を迎えた有馬寛さん(88、福岡)が祝福された。 ボツカツ在住の小原さんは56年に構成家族で来伯した。「旅行が大好き。各地を回ったがスコットランドが一番良かった」という。健康の秘訣を聞くと、「呑気だからかしら」と穏やかな笑顔を浮かべた。ボツカツ文協の図書館に、設立以降10年以上ボランティアで勤めるほか、フランス語も趣味で勉強中だという。 最後の夕食の席で、一行の浜口洋さん(67、三重)は「郷里の話に花を咲かせました」と在亜日系人連合会での交流会を振り返り、「08年の県人会65周年式典に来てくれた3人に再会できた。こういうのはふるさと巡りでないとありえない」と満足げに語った。 向田重子さん(76、群馬)、福元美代子さん(78、宮崎)は半世紀ぶりの再会を果たした。2人とも59年4月23日にサントス港に到着した「あめりか丸」に乗り、向田さんは結婚後、福元さんは花嫁移民として来伯した。 「席が前後でそれぞれお喋りしていたら偶然わかったの。いつ来たの?という話になって」と向田さんが言うと、「船の中で天皇皇后両陛下のご成婚を祝っておかしらつきの鯛が出た」と福元さんも懐かしそうだ。 最終日午前中にホテルを出発した一行は、メンドーサからブエノスへ、ブエノスからサンパウロへと飛行機での移動に追われながらも「今回は今までで最高だったわね」「次が楽しみ!」と口々に言いながら、旅の終わりを惜しんでいた。 夜無事にグアルーリョス空港に到着すると、「また会いましょうね!」と挨拶しながら、荷物を抱え家路へと向かった。(終わり、田中詩穂記者) 写真=10日夜、ホテルのレストランで祝福された4人(上)/アンデス山脈を臨む高地で。気持ちの良い晴天に恵まれた この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-tanaka4.html
Escrito por Aldo Shiguti Depois de conquistar o título da Copa Intercontinental, no último dia 11, Gustavo...
「初めてブラジルに来たのに、初めてという思いがしなかった」―。ブラジル沖縄県人会(与那次会長)創立85周年事業の一環として、同県石垣島出身のアコースティックバンドBEGIN(ビギン)の初来伯公演が、12日午後3時から聖市アニェンビー展示場で開催され、県人関係者や一般客ら約6千人が詰めかけた。笠戸丸移民だった故・宮城伊八氏の三線(さんしん)を借り、オリジナル曲を披露した同グループのボーカル・比嘉栄昇氏(43)は冒頭の言葉を述べ、海を渡ったウチナーンチュへたちの思いを新たにしていた。 BEGIN公演を前に午後4時からはブラジルでエイサー太鼓普及の活動を行うレキオス芸能同校会、琉球国祭り太鼓の若い世代のメンバーたちが太鼓を打ち鳴らしながら踊り、観客の目を引き付けていた。 主催者側あいさつとして、与那嶺真次沖縄県人会会長、知花ルイ同公演実行委員長らが登壇。与那嶺会長は、今年県人会が創立85周年を迎え、10月には沖縄県で開催された第5回世界のウチナーンチュ大会にブラジルから約1200人の県系人たちが参加したことに言及。「沖縄は大きな思いを与えてくれ、改めてウチナーンチュのチムグクル(真心)を味わうことができました。今回のBEGINの慰問公演が実現できたことに心からお礼申し上げます。きょうは踊ったり歌ったり楽しく過ごして祝ってください」と述べ、関係者への感謝を表した。 公演では約20曲が披露。BEGINのオリジナル曲だけでなく、故・藤島桓夫(たけお)氏の『さよなら港』や『憧れのハワイ航路』などの懐かしのメロディーも演奏され、会場も一体となった。 その中で、琉球民謡の哀調を帯びた『昔美(むかしかい)しゃ 今美(いまかい)しゃ』では、ボーカルの比嘉氏が笠戸丸移民の故・宮城伊八氏が103年前に沖縄から持参した三線を借りて演奏しながら歌い上げた。 比嘉氏は舞台上で「ブラジルは良いところで、こんなにも日本の方やウチナーンチュの方々がたくさんいることを自分の目で見て知った。初めて来たのに、初めてという思いがしなかった。ブラジルで会ったおじいやおばあたちは、自分の親戚に会ったような気持ちにさせてくれた」と語った。 舞台に登壇してBEGINの歌声に間近で聴き入った聖市モエマ区在住の宮城清進氏(72、2世)は、伊八氏の4男に当たる。本紙の取材に対して宮城氏は、BEGIN一行が7日に同氏の自宅を訪問したことを説明。「彼らは三線のことが本当に好きなようで、父が持ってきた三線に敬意を表してくれた。とても思いのある親切な人たちだった」と話していた。 琉球国祭り太鼓メンバーの踊りとともに同グループの有名曲『三線の花』が演奏された後、アンコールの『島人(しまんちゅ)ぬ宝」』で公演は締めくくられた。 会場を訪れた聖市ビラ・ソニア在住の60代の男性(2世)は、「やっぱりテレビで見るより実物で見るほうがいいね。きょうは楽しめました」と満足した様子だった。 2011年11月15日付
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け 4日目の10月9日早朝、一行は飛行機でアンデス山麓の都市メンドーサに到着した。空港を出るとアンデスの山々が遠くに広がっていた。バスで市内へ向かい、きれいに整ったブドウ畑を車外に眺めているとワイナリー「Bodega Los Tonelos」に到着した。亜国のワイン生産量は世界第5位で、メンドーサ州は国内生産の約7割を占めるワインの生産地だ。近年では高品質な高級ワインが生産されており、全世界に輸出されているという。まずは昼食、前評判通りの赤ワインとともにアサード(牛の丸焼き)やチーズ、モルタデーラ、サラダに舌鼓を打ち、一行はご満悦の様子だ。頬をほんのり赤く染めた参加者もちらほら。食事の後はワイン製造工程を見学した。夜の交流会では、同地在住30年の中塚幸一さん(73、神奈川)、28年に18歳で来亜した戦前移民で、長野県出身の竹村ジョウシチ氏の息子、マサル氏(故人)の妻、竹村サラさん(スペイン系、73)、娘のソニアさん(三世、44)、姪のエマさん(三世、23)4人の話をホテルで聞いた。親族の話によるとジョウシチ氏はブエノスアイレス港に到着した後、メンドーサへ移った。35年に日本人イトウ・サキさんと亜国で結婚し、3人の子供に恵まれた。孫にあたるソニアさんは群馬県太田市で数十年働いた経験があり、現在はメンドーサに住む。中塚さんによると同地にも一定数の日本人がおり、長野県出身者が多い。実数は不明だが、二~三世が中心だという。参加者一行の長野県出身者である春日洋呉さん(75)、和美さん(71)夫妻、宮原昭二さん(74)、小山徳さん(72)らが集まり、自己紹介をしながら歓談を楽しんでいた。中塚さんは58年、20歳で農業技術移住者として亜国へ渡った。同船者約一千人のうちベレンで数百人が降り、ブエノスアイレス港に降り立ったのは12人だった。その後単独青年を対象に67年、ブエノスアイレス州モレーノ地区に開設された「エスペランサ移住地」に入った。しかし当時30代だった中塚さんの中に、「若者が花作りなんかしている場合ではない」という思いが募り始め、意思を同じくした数人で会社を立ち上げた。が、わずか2年で閉鎖に至った。「在亜日本人会」会長を長年務めた宇野文平氏と知り合い、彼が経営する会社の一つに所属する形で4~5年働いたが、宇野氏とは結局決裂する形で終わった。その後、通算20年花卉栽培に従事し、74年までエスペランサ移住地で過ごした中塚さんは、商売に本腰を入れるべくメンドーサへ移った。子どもの頃から習っていた指圧で、近所の人をボランティアでマッサージをする傍ら、75年、伯国では当時生産されていなかったにんにくを亜国から輸出する会社を立ち上げ、83年まで経営した。従業員は200~300人。収穫期にあたる11~12月が繁忙期。農家と契約し、根と茎を切って洗い選別、箱に詰めるという作業に季節労働者を多数雇った。その大半を伯国へ輸出し、10キロ1箱を40~50ドルで、良いときは70ドルで取引した。「82年頃から中国産のにんにくがパラグアイ経由でブラジルに密輸されるようになって…。見切りをつけました。それまでは良かったんですがね」と中塚さんは目を細めた。(つづく、田中詩穂記者) 写真=中塚さん、竹村氏子孫の皆さん、長野県出身者の皆さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-tanaka4.html
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け 「初めてのブラジルだけど帰ってきた気分」―。沖縄県石垣島出身の人気バンド「BEGIN」のブラジル初のコンサートが12日午後、聖市のアニェンビー西展示場で開かれ、パラナ、ブラジリア、カンポグランデ、リオなど伯国各地から世代を超えた6千人以上のファンが駆けつけた。ブラジル沖縄県人会、ブラジル沖縄文化センターの共催。 ボーカルの比嘉栄昇さん(43)は「自分たちが作った歌を皆さんが生み、育ててくれた。歌を里帰りさせる気分で歌いたい」と話し、ブラジル国旗を掲げた舞台で「竹富島で逢いましょう」などの曲を歌い上げた。ステージ前に特別席が設けられ高齢者が多くいたことから「憧れのハワイ航路」などの懐メロも披露、手を振りながらともに歌う姿も見られた。笠戸丸移民の故・宮城伊八さんが携えた三線を息子のセイシンさん(76)が壇上に持って上がり、爪弾く比嘉さんの隣で耳を傾け「父の魂が戻ってきたと思う」と神妙な面持ちを見せた。移民をテーマに歌った「パナマ帽をかぶって」では、スクリーンに初期の移民の姿が映し出された。ブラジルの沖縄系イベントでも定番の「島人の宝」で会場の熱気は最高潮に達し大合唱、指笛が鳴り歓声が上がった。「オジイ自慢のオリオンビール」「かりゆしの花」に続き「ブラジルに来て本当に良かった。天国で聴いているオジイ、オバアに届くよう歌いたい」と「涙そうそう」をじっくりと聞かせた。アンコールでは若い世代でつくる『琉球國祭り太鼓』『レキオス芸能同好会エイサー太鼓』との共演による「三線の花」「笑顔のまんま」でカチャーシーの渦となった。「ムイト・オブリガード(ありがとう)! また帰ってきます!」と両手をかかげたメンバーらに会場は拍手と声援で応えていた。
ニッケイ新聞 2011年11月15日付け BEGINがステージを去った後も感動で涙を流し、仲間と抱擁を交わしていた琉球國祭り太鼓ブラジル支部長の上里利彦さん(27、二世)は「共演できて本当に感動」と満面の笑顔を見せ、同副支部長の加藤孝幸さん(29、二世)は「リハーサルを含め夢のようだった。最高!」と額の汗をぬぐった。同メンバーの照屋すえこさん(22、三世)は感動で嗚咽を漏らしながら「家でも沖縄の話をずっと聞いてきた。自分もうちなー文化を守っていきたい」。ロンドリーナから駆けつけた同グループ支部長の佐久真ロドリーゴさん(24、五世)も「普段BEGINの曲で練習しているが、生演奏は全然違う。沖縄をとても近くに感じた」と嬉しそう。壇上で比嘉さんに花束を渡した喜屋武豊子さん(89、那覇市)は「とてもよかった。ただそれだけ」と笑顔を見せた。10月に沖縄であった「第5回ウチナーンチュ大会」にも参加したブラジル沖縄県人会の与那嶺真次会長(61、三世)は「ブラジルの日系人にとって最高のプレゼント。若い世代にも思い出に残るイベントになった。また来てほしい」と期待を寄せた。「島人の宝」をよく聴くという石原昌英さん(59、二世)は、妻のソーニャさん(56、二世)と訪れた。「家で三線を弾いていた祖父を思い出した」と和やかな表情を見せていた。
ニッケイ新聞 2011年11月12日付け 在サンパウロ日本国総領事館(大部一秋総領事)は、東日本大震災で被災した地域の復興支援・観光業支援の一環として、宮城、福島、岩手の3県を訪れる外国人を対象に、全ての査証(ヴィザ)の発給手数料を免除すると発表した。今月15日から2016年3月31日までに申請された査証に限る。必要書類として通常の査証申請に必要な書類のほか、長期滞在査証を申請する場合は、居住先、勤務先、留学先が対象地域に所在することを証明する書類が必要。短期滞在査証を申請する場合は滞在予定表、対象地域を訪問することを証明する書類(宿舎、航空券、乗船券、鉄道、対象地域で開催されるツアー、各種イベント、会議の予約票や入場券、招待状などのうち、いずれか一つ)が求められる。詳細は同館査証班(代表電話=11・3254・0100、月~金曜の午後2~4時の間)。
Escrito por Kenia Gomes Sex, 11 de Novembro de 2011 14:57 Três pessoas de diferentes estados brasileiros...
ニッケイ新聞 2011年11月11日付け 在亜日系団体連合会による一行の歓迎会で、「ニッケイ新聞の方ですか」と突然声をかけてきたのは、アルゼンチン拓殖協同組合(亜拓)監査役の渡辺謙さん(80、佐賀)だ。同団体は戦後移住者の受入れ態勢を整えることを目的に53年に設立された。亜国永住者、パラグアイ移住者の亜国通過、駐在員入国など日本人呼び寄せ手続きを行ってきた由緒ある組織だ。営農や販売指導、直営農場の経営、日本食品の販売など多角的な活動を展開している。80年には現事務所を開設し、現在に至っている。渡辺さんによると、現在はミシオネス州にパラナ松を植林する事業も行われているという。ブエノスで旅行会社を経営する文野和義さん(高知県)は、「例えば日本祭りでもブラジルだけがやっているけどアルゼンチンやパラグアイ、ウルグアイ、ペルーの日系団体も一緒になれば、新ビジネスが生まれるはず」と話していた。現在、亜国には約3万人の日系人がいる。花卉栽培など農業、洗濯屋など商売に従事する人や企業に勤める人、大学に進学する人も多いという。二世、三世を中心に、その約7割がブエノスアイレス市や近郊に住む。息子夫婦らと訪れ、九州地方出身者のテーブルで歓談していた永田マリオさん(76、二世)は、在亜佐賀県人会(会員60家族)の会長だ。亜国側から佐賀県系人は7人参加していた。親が佐賀県出身の飯田正子さん(78、二世)は楽しそうな様子で、「初対面だけど同郷関係者なら仲間。こんなにたくさんの人に会えて嬉しい!」と声を弾ませる。在亜日系人の3分の2を占める沖縄県系人は今回6人参加した。伯国からは名嘉正良さん(伊平屋島出身)=南麻州カンポ・グランデ在住=、与儀清徳さん(70、那覇市)=聖州サンカルロス在住=の2人だ。2人とも米須会長と話したといい、「(米須会長は1歳で来亜したが)日本語もうちなーぐちも上手だった」と嬉しそう。与儀さんはラ・プラタ日本人会との交流会で、ブエノスアイレスから訪れた『移民史』の日西両語コーディネーター、久田アレハンドロ氏など2人の県系人と話せたそうだ。2人は夜の交流会にも姿を見せ、与儀さんは「わざわざ来てくれてとても嬉しかった。会が終わったことも気づかないで、ずっと話をしていました」と喜ぶ。与儀昭雄元県連会長と又従兄弟にあたる与儀さんは、61年に家族で来伯した。ビラ・カロンに住み、昼はコチア産組で働き、夜はパステル作りに従事した。「毎日3時間くらいしか寝てなかったけど若かったから難儀とは思わなかったね」。最期に本橋団長は参加者に対し「ブラジルに来られたときはぜひご連絡ください!」と呼びかけ、全員で「ふるさと」を合唱し終了となった。司会を務めた高嶋満博さん(72、北海道)は17歳で57年にパラグアイに渡り、68年にブエノスに移って以来同地に住む。「ふるさと巡りは良いですね。こちらでも実施したいです」と話し、「ブラジルに行くこともあると思いますので、そのときはどうぞよろしく」と笑顔を見せていた。元老ク連事務局長の上原玲子さん(70、長野)は、08年に皇居勤労奉仕を行なうため訪日したさい、同じグループだった文野さん、一色田さんを含む亜国在住の4人全員に再会できた。「まさか会えると思っていなかった。嬉しかったです」と笑みを浮かべた。(つづく、田中詩穂記者) 写真=大サロンの舞台で記念撮影した一同 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-tanaka4.html
ニッケイ新聞 2011年11月11日付け 農業におけるリーダーの育成を目指し、兵庫県庁と兵庫みどり公社が実施する『若手地域農業リーダー育成研修制度』で、県内農業高校・大学校の学生13人と藤本善龍団長、赤沼幸一副団長が5日に来伯、17日まで滞伯する。今年で33回目。これまで467人が参加した。研修生らは聖州ミランドポリス市の弓場農場(兵庫県人の弓場勇らが創立)、北パラナでは駒込農場、バイオエタノール工場などを見学、アプラカーナ農業高校で交流を行うほか、リオやイグアスも訪れる。同県は70年にパラナ州と姉妹提携していることから、教育委員会が国際交流事業として始めた。個人が半額を負担し、県の助成金と同公社基金の利息が活動資金に充てられる。藤本団長は「近年は日本でも、米や大豆など大規模化が進む。ブラジルで学び、若い農業者の育成に役立てたい」と意気込み、「魅力ある農業経営をする人は、海外経験者が多い」と同制度の意義を強調した。到着日の夜、兵庫県人会がニッケイパレスホテル内のレストラン「誠」で歓迎会を実施した。尾西貞夫会長は「一世が減少する私たちの会では、研修生の受け入れが一大行事。待ちに待った皆さんと会えて嬉しい」と満足そうに語った。藤本団長は「温かい受け入れ感謝する。今年のスローガンは『縁~すべての出会いに感謝』。一つ一つの出会いに感謝し、研修を楽しんでもらいたい」と挨拶をした。続いて研修生らも自己紹介を行った。代表の衣笠優さん(県立農業大学校1年)は「将来は和牛の大規模飼育をしたい」と意欲を見せ、但馬牛を飼育する「太田畜産」が実家の太田舞さん(但馬農業高校2年)は「実家の畜産に活かせれば」と話した。「将来の夢のため技術や知恵を学びたい」「日本とブラジルの農業の違いを見たい」「視野を広げたい」などそれぞれの意気込みを語った。最後に平川黎さん(県立播磨農業高等学校1年生)が、写真等の資料を基に東日本大震災の状況を紹介。「兵庫県はもう災害の爪痕もなく、震災前より賑やかになった。福島も元気になる」と話し、真剣に写真を眺めていた役員たちから大きな拍手が送られた。最後に役員もそれぞれ挨拶をし、藤本団長からお礼として兵庫県ゆかりの品が贈呈された。
Escrito por Divulgação Qui, 10 de Novembro de 2011 10:21 Convites para o Concerto da Orquestra São...
10/11/11 (16:43) Kurimori e a esposa, Keiko, vice-prefeita de LinsO engenheiro Francisco Yutaka Kurimori foi eleito ontem...
福島県人会主催の「喜多方ラーメン祭り」では豪華な電化製品が当たるビンゴゲームが行われた。しかし、そのビンゴゲームは大騒動。まるで暴動のようだった。原因はゲームでカードが1人3枚同時に使用できると知らなかった参加者が景品欲しさに「説明がなかった」と怒り出したため。主催者の説明不足もあっただろうが、景品欲しさに騒ぎ立てる様子はあさましく見えた。最も熱くなっているのは、とうに60歳を過ぎた年配の男性たち。醜く、わざわざ自らの器の小さをさらしているように見えた。ラーメンを食べに来て、男は本気になる場所と時を間違えてはならないと考えさせられた。 ◎ 県人会活動が活発でない団体の中には、会員自体が県人会を必要だと感じていないところがある。そのような県人会を訪ねると記事掲載を断られることもある。内部のバランスがデリケートだから、掲載されるといろいろ問題が発生するというのが原因だ。モザイク子も紙面を通して県人会活動を応援したいが、それができないというジレンマに泣かされた。一方、某県人会では移住50年目にして初めて自らの出身県人会を訪ねて会員になった女性がいた。理由は「ようやく自由な時間が持て、新しい友達が作れると思ったから」。県人会は友達づくり以外にも、先日愛知県人会が開催した子育て交流など世代を超えたものが、それぞれの要望に応じた形で実践することができる。頑張れ小さな県人会。 2011年11月10日付
福島県人会(小島友四郎会長)は10月30日午前10時から同会館で「第2回喜多方ラーメン祭り」を開催した。当日は、同県人会の婦人部や若者らが研究した本場の味を腕を振るって再現。約300杯を販売した。会場を訪れた人は、「日本で食べた味を思い出した」「おいしい」と言いながら麺をすすっていた。 この催しは、同県人会事務局長の曽我部威氏の企画により昨年から始まったもので、今回は「喜多方ラーメンの専門家」である武藤啓一氏が全面的に協力している。武藤氏は今年からJICAシニアボランティアとして、カンピーナスで野球とソフトボールを指導しているが、昨年までは喜多方市産業部マーケティング部長として喜多方ラーメンを振興する仕事に従事。福島県人会との縁はボランティアに就任した際、県人会に表敬訪問をしたのが始まり。曽我部氏が昨年喜多方ラーメン祭りを企画したことを知り、意気投合した。 武藤氏は「喜多方ラーメンは麺が軟らかくて縮れている平打ちの太麺で、さっぱりした醤油味が特徴。今回のイベントの麺は太麺ではないが、かなり本物の味に近づけることができた。イベントでは売れるための『特別な味』がある。そのようなノウハウを経験を生かして伝えたい」と話した。 小島会長も「ラーメンはものすごい勢いで世界に広がっている。今回は4か月かけて味の研究や食材の準備などを行った。自分もずいぶん食べて回って研究したよ」と今回のイベントにかけた意気込みを語った。 同県人会は喜多方ラーメンを通じて母県の団体や自治体と結束を強固にしていき、来年以降も同祭を継続して開催する計画だ。 2011年11月10日付
在サンパウロ日本国総領事館は東日本大震災復興支援の一環として、宮城、福島、岩手県のいずれかの地域を訪問する外国人で、次の要件を満たす場合は査証手数料を免除するという。 (1)短期滞在査証以外の査証申請の場合=対象地域に居住、勤務または留学する人。(2)短期滞在査証申請の場合=対象地域(宮城、福島、岩手の3県)を訪問する人。 対象となる査証は、2011年11月15日~16年3月31日までに査証申請したもの。通常の査証申請書類のほか、次の書類提出が必要。 (1)短期滞在査証以外の査証申請の場合=居住先、勤務先または留学先が対象地域に所在することを証する書類。(2)短期滞在査証申請の場合=滞在予定表(日程表)、対象地域を訪問することを証する書類(宿舎予約票、航空券予約票、乗船券予約票、鉄道の予約票、対象地域のツアー予約票、対象地域で開催される各種イベントの入場券または予約票、対象地域で開催される会議への招待状などのうちいずれか一つ)。 詳細については、同館査証班(電話・11・3254・0100。問い合わせ時間=平日の午後2時~午後4時)まで。 2011年11月10日付
ニッケイ新聞 2011年11月10日付け ラ・プラタ在住の坪倉君枝さん(76、鳥取)は、「鉛筆で県庁宛てに手紙を書いたんです。そしたら米子市で見合いをすることになって」と振り返る。そこで夫の広加さんと出会い、鳥取県庁で何組かと合同結婚式を挙げた後、夫と亜国へ渡った。「百姓はしないでいいから日本にいてほしい」と引き止めた父親の反対を、むりやり押し切っての渡航だった。「私は四女だったので、わがままに育ったんです。変わり者だって言われていました」と笑う。祖父の兄弟が米国へ渡ったこともあり、海外に憧れがあったという。入植して2人で始めた花園。霜が下りることも多く、君枝さんも子供をおんぶしながら仕事に励んだ。「8年目に里帰りしたときには、大喜びで迎えられました」と満面の笑みを見せた。◎ ◎交流会の後ホテルへ戻り、一行は夜ブエノス市内へと出発した。バスは中心地のインデペンデンシア通りにある「在亜日本人会会館」という縦書きの看板が掲げられた会館前に止まった。同地の日系団体としては1912年に県人の枠を超えた最初の総合日本人団体「大正会」、16年には「在亜日本人会」の前身、「在亜日本人青年会」が発足した。現在、在亜日系社会の代表機関の役を担うのは「社団法人・在亜日系団体連合会」(FANA)だ。加盟団体の活動支援や公的機関との連絡窓口業務を行う。1995年に設立され、現在38団体が加盟している。会館は1960年に落成され、太鼓や民謡などの芸能、日本語教育の活動の場として利用されている。在亜日系人の7~8割は沖縄出身だ。今年で設立60周年を迎えた「在亜沖縄県人連合会」はFANA加盟団体で最大規模を誇り、個人会員数は一千人に上る。同会ホームページによると亜国には40近くの沖縄県系の組織が、ブエノスアイレスほかコルドバ州、サンタフェ州などにある。その他、61年に設立された「在亜教育連合会」は23校の日本語学校を統括する組織だ。FANAによって催された歓迎会で、一行は会館の大サロンで出迎えを受け、亜国側からの参加者とともに出身地域別にテーブルについた。挨拶に立った米須清文同連合会会長(62、沖縄県首里)は歓迎の意を表し、「各県人会行事、ゲートボールや太鼓、日本語教師研修会などを通して定期的に南米国間の交流が行なわれているのは喜ばしい」とのべ、「母国におんぶされる形でなく、今後は在南米日系コミュニティのグローバル化を目指して邁進していきましょう」と呼びかけた。本橋団長は「ほとんどの県人が来ている。懐かしい故郷の話もあると思うので、ぜひ交流を深めてください」と返した。同会国際交流担当理事の一色田眸さん(70、三重)が乾杯の音頭を取り、「県人会単位で交流は盛んだが、このような大規模な交流は初めて。今後も継続して交流が続けられたら」と期待を寄せた。近畿地方出身者のテーブルにいた荒木滋高さん(79、三重)=ブラジリア在住=は55年にコチア青年として来伯、今年で伯国在住56年目。 同郷の一色田さんや亜国唯一の邦字紙「らぷらた報知」の元編集長、高木一臣さん(86、三重)らと写真を撮りながら、歓談を楽しんでいた。高木さんは「アルゼンチンでも、日本語が読める人は少なくなってきている。話すことはできても読めないんです」と漏らした。(つづく、田中詩穂記者) 写真=交流を祝い乾杯する一同。サロンには伯国と亜国の国旗を表す飾りが この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2011/2011rensai-tanaka4.html
ニッケイ新聞 2011年11月10日付け ブラジル兵庫県人会(尾西貞夫会長)は、恒例のピクニックを9月25日に実施し、聖州アンパーロ市の自然農法を実践するドゥアス・カショエイラス環境教育センターを訪れた。尾西会長はじめ役員や留学生・研修生OB、会員ら48人が参加し、爽やかな自然の中で親睦を深めた。 バスは山あいに続く赤土の道を進むと門が見え、センター長のガラシ・ジニズさん(48)が出迎えた。一行は澄んだ空気の山を散策しながら、環境に負担をかけない持続可能な農業の説明を受け、「この植物は何ですか」と熱心に聞く参加者の姿が見られた。今では自然の果物が溢れているこの土地も、85年頃まではガラシさんの祖父の代から続けたコーヒー単作で土壌は荒れていた。参加者は当時の写真と風景を見比べ、驚きの声を上げた。「ここを流れる川はきれいな海岸に注ぐ。多量の農薬を使えば、広範囲の自然や人に影響を与えるんです」とのガラシさんの言葉に一行は頷いた。「目を閉じて耳を澄ませてみて」と促されると、皆で目をつむり、風の音や葉のすれる音、鳥のさえずりなど、自然の音に耳を傾けた。山崎輝之さん(62、二世)は、「大農業より手間はかかるでしょうが、自然の力を借りることでこういった風景も残るんですね」と清々しい表情をうかべた。昼食は薪で炊いたご飯と同地で取れた新鮮な無農薬野菜のおかず。山を散策してお腹をすかせた参加者は列を作り、食事をしながら久々の再会に話を弾ませていた。羊毛織物の見学や牧羊施設での動物との触れ合いなど都市では不可能な体験もでき、充実した一日となった。「今日はたくさん笑って気分転換しました。来年どこへ行くか今から楽しみです」と谷口勉さん(71、二世)は感想を語った。バスが市内に到着し、尾西会長が「今年もありがとうございました。次は新年会でお会いしましょう」と挨拶すると拍手が起こり、参加者は帰路についた。
ニッケイ新聞 2011年11月10日付け 宮城県人会(中沢宏一会長)は敬老祝賀会を13日午前10時から同会館(Rua Fagundes, 152, Liberdade)で開く。約100人が出席する。母県から70歳以上の高齢者へ渡されていた祝い金制度が08年に廃止となったため、県人会から88歳以上の会員へと祝い金が渡される。太鼓やカラオケなどの余興、くじびきもある。サンパウロ仙台七夕祭り(7月)のため気仙沼から送られた短歌、俳句作品も展示する。問い合わせは同会(11・3209・3265)まで。
平成23年度兵庫県若手地域農業リーダー海外派遣団(藤本喜龍団長)15人(引率2人を含む)が、5日から16日間の日程で滞伯している。5日午後7時から聖市リベルダーデ区のニッケイパレスホテルで兵庫県人会(尾西貞夫会長)役員との懇談会が行われた。 同事業は今年で33回目。これまでに兵庫県内の農業高校生や大学校生467人が派遣されており、今年度の13人を合わせると480人となる。 一行の日程は、聖州ミランドポリスの弓場農場での研修後、聖州アプカラーナ市で地元農業高校生と交流。兵庫県加古川市と姉妹都市提携を結ぶパラナ州マリンガで5泊6日のホームステイを行った後、クリチーバ市を経由してイグアス、リオなども視察する。 今年度の一行のスローガンは「縁 すべての出会いに感謝」とし、研修生全員で決めたという。藤本団長によると、兵庫県内では「大地の会」と呼ばれる若手農業生産者の会があり、県産のブランド品確立なども実践しているそうだ。 生徒団長で兵庫県立農業大学校畜産課程で和牛の研究育成を行っているという衣笠優(きぬがさ・ゆう)さん(19)は、「ブラジルの牛のことも含めて、日本では見ることのできない大規模農業を自分の目で見てみたい」と意気込みを示していた。 藤本団長は、「16日間という短い日程だが、ブラジルに移住された先人の偉大な足跡を一部でもたどり、開拓精神を学ぶことで今後の若い人の育成に役立てることができれば」と期待している。 懇談会では、尾西会長、藤本団長のあいさつに続き、酒井芳樹兵庫県人会副会長の音頭で乾杯。食事の後、それぞれ自己紹介が行われ、生徒たちは「日伯農業の違いを知りたい」「バイオエタノールについて興味がある」などの希望を語った。 2011年11月9日付
