神奈川文化援護協会(永田淳会長)の定期総会が、18日午前9時半(第1次招集、第2次招集は午前10時)から聖市ビラ・マリアーナ区の同会館(Rua Major Newton de Feliciano,75)で開催される。 当日の議題は、2011年度事業・会計報告、12年度事業計画案・予算案の採択、訴訟問題経過報告、二宮金次郎プロジェクト部設立の件、役員改選、その他。総会終了後に昼食親睦会が行われる。 同会では「会計の不祥事でばらばらになってしまった会員の皆様に戻ってきていただいて、どうしたらあの楽しかった県人会を取り戻せるか、役員一同頭を悩ませております」とし、会員の参加を呼びかけている。詳細は同協会(電話11・5082・3141)まで。 2012年3月7日付
Dia: 7 de março de 2012
県人を支えた連帯意識と「頼母子」 今年、沖縄の日本本土復帰 40周年の節目の年を迎え、母県沖縄のみならず国内外に幅広く「琉僑(りゅうきょう)」とも言えるネットワークを構築しているウチナーンチュ(沖縄県人及び県系人)たち。昨年10月に母県で開催された「第5回世界のウチナーンチュ大会」では各国の人々が一堂に会し、交流を深めたことは記憶に新しい。日本の関西地域には、大阪沖縄県人会連合会(大阪市大正区、嘉手川重義会長)があり、同地域の県人会員を統括している。同連合会を中心に、関西で活動する人々に焦点を当てる。(松本浩治記者) JR大阪環状線の大正駅を下車、「鶴町4丁目」方面の大阪市内バスに乗車して六つ目の停車場にある大正区役所。同区役所前交差点を隔てて反対側の道路を2ブロックほど南に歩くと、「大阪沖縄会館」と書かれた大阪沖縄県人会連合会の4階建てビルが見えてきた。 同会館2階の事務室で応対してくれた名幸祥夫(なこう・よしお)事務局長(70)は、大阪で生まれた「沖縄県人2世」。長年、大阪市地下鉄の運営管理の仕事に就いていた。現在、ボランティアで連合会事務局長を務めており、「2年前までは(連合会傘下の)都島地区沖縄県人会長もやってたんやけどね」と流ちょうな大阪弁を話しながら気さくに答えてくれた。 同連合会は戦後間もない1946年4月に創立され、昨年65周年記念イベントが大々的に開催されたという。傘下団体は大正区をはじめ、西成区、住之江区、港区、此花(このはな)区、北区、都島区、中央区、西淀川区、堺の10地区の県人会と「在阪支社懇話会」の11支部から構成されている。 また、同連合会以外に兵庫、京都、奈良県などの関西地域にも県人会組織があり、その数は「把握しきれていない」(名幸事務局長)ほどだ。 連合会が所持する資料によると、沖縄県人は明治時代からハワイやブラジルなど海外に移住しているが、大阪に初めて県人が来たのは大正初期(1910年代)だという。その頃、木材(製材業)、鉄工業、紡績業などの工員に従事する人や自由労働者も多かった。当時の港区(現・大正区)には製材工が数多く、特に現在の連合会館にほど近い北恩加島(きたおかじま)町には、その頃の全人口の5分の2を沖縄県人が占めていたそうだ。 大阪の工業、商業、経済界の中で各種業務に従事する人がいる一方、独立経営する人たちも増えていった。そうした中、沖縄の人たちを支えたのは各地区に住む県人の連帯感と、県人同士による「頼母子講(たのもしこう)」だった。 戦時色が濃くなり、大阪在住の県人の家長たちの多くが徴兵。その留守家族救済のため各地区の県人会が最大限の努力を行ってきた。しかし、45年3月と6月に大阪は大空襲に見舞われ、県人出身者たちは米軍による地上戦で焦土と化した故郷・沖縄に帰ることもできず、戦後各地区の県人会を中心に団結していく機運が高まった。 こうして翌 年、全国的に沖縄県人連盟結成の動きが広まり、同年4月には大阪市中之島中央公会堂に各地区県人会役員や会員約3000人が集結。協議した結果、「南西諸島連盟」を結成し、「沖縄人連盟関西本部」「沖縄人連盟大阪本部」と改称を経て、52年5月に現在の「大阪沖縄県人会連合会」となった。(つづく) 2012年3月7日付
ブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)は東日本大震災の復興を願い、 11日から同震災犠牲者追悼植樹事業として「日伯・絆の森」づくりを実施する。 同事業は、震災犠牲者一人一人に哀悼を示す意味で犠牲者数と同じ1万9131本(亜熱帯雨林自然木苗木)の植樹を聖市立カルモ自然公園内で行い、昨年8月から聖州政府及び聖市などと交渉して今年2月29日にようやく植樹許可が下りたという。 事業の総経費は39万7000レアル。約2万本の苗木、整地、植樹及び植樹後の管理費用と同地での記念碑建設費が含まれる。50%は同協会の自己資金で運営し、残る50%の約20万レアルを企業、各基金、団体や一般個人などから募る。 また植樹する苗木は、イペー、クワレズマ、マナカなど大西洋沿岸森林地帯(マタ・アトランチカ)に生息する自然林約150種類に及ぶ。案内に来社した小山会長、河村武夫理事、大矢進貞事務局長は「東日本大震災から1年がたつが、日系社会からは義援金を集めただけで後世に残る事業を行っていない。犠牲者の方々のことを忘れないようにするためにも、この植樹事業にぜひ協力していただきたい」と広く一般への協力を呼びかけている。詳細についての問い合わせは同協会事務局(電話11・3276・9450)。Eメーsengoijyu@ig.com.br 2012年3月7日付
ニッケイ新聞 2012年3月7日付け 『第38回移民のふるさと巡り』(9月29日~10月4日)の参加予約がすでに始まっている。ブラジリア、サンルイス、アナポリスを訪れ各日本人会・文化協会との交流のほか、砂丘で有名な自然文化遺産、レンソイス・マラニャンセスを観光する。予約等の問い合わせはグローバル旅行社(11・3572・8990)まで。
ニッケイ新聞 2012年3月7日付け 文協、県連、援協の日系3団体が5日、日本女子サッカーユースのブラジルでの親善試合のため来伯した「あしなが育英会」の玉井義臣会長に50万円を寄付した。東日本大震災で親を亡くした子供達の心のケアをする施設「東北レインボーハウス」の建設・運営費用に充てられる。玉井会長は「復興は思いのほか進んでいない。被災した子供達、親、その周辺の大人達が傷ついているときに、貴重な浄財を有り難うございます」と謝辞をのべた。県連の園田昭憲会長は「コロニアでも継続的支援が必要なことを感じている。今後もことあるごとに、ブラジル社会やコロニアに対し支援を呼びかけたい」と話した。
ニッケイ新聞 2012年3月7日付け 1期2年ぶりに香川県人会長に返り咲いた菅原パウロさん。今月1日にあった県連代表者会議での報告では「人前での挨拶は嫌い」と民謡『金毘羅船々』で自慢の喉を響かせた。明るい雰囲気につられて笑ったり「バカバカしい」とムスッとするなど様々な会長らの反応をよそにアッケラカン。そんな菅原会長、現在訪日中。明るい性格でこれからも会を盛り上げてほしい。
ニッケイ新聞 2012年3月7日付け 北海道枝幸に拠点を置くYOSAKOIソーラン組『夢想漣えさし』の石岡武美団長(61、北海道)が贈った大太鼓が昨年末にブラジルに到着、晴れの舞台を待っている。石岡氏から譲り受けたブラジルYOSAKOIソーラン協会の飯島秀昭顧問(61、埼玉)が郵送料を負担し、ブラジル太鼓協会へ届けた。同協会の島田オルランド会長は両氏への謝辞を述べ「機会を作って愛好者の前で披露したい」と喜んでいる。 日本でも最大級の大きさで直径1・8メートル、台も含めると重量400キロを超え、青年8人でやっと持ち上げられるほど。もちろんブラジル一の大太鼓だ。「大会毎に毎年衣装も、曲も全て変える。かつて必要だった大太鼓も使わなくなり、欲しい人を探していた」と石岡さんは話す。飯島さんと出会ったのは、『夢想漣えさし』がグランプリを獲得した『第19回YOSAKOIソーラン大会』(北海道札幌市、10年6月)の場。「年齢も同じ。目を見た時に、こいつとは気が合うなと思った」と石岡さん。貰ったブラジル大会のDVDで太鼓グループが熱心に叩くのを見て「必要としている人に渡してくれないか」と提案。飯島さんも二つ返事で快諾した。「以前から交流があった太鼓協会がすぐに浮かんだ。石岡さんの男気に応えないと」とブラジルへの輸送を決めた。北海道から貨物コンテナに乗せ、横浜を経て船で輸送。昨年12月24日にサンパウロへ無事到着。輸送費100万円は飯島さんが負担した。今年7月にサンパウロで開催される『第10回ブラジルYOSAKOIソーラン大会』の事前調査で2月末に来伯した石岡氏は「また7月にブラジルに来る。大会で演奏しているところを見たいね」と笑顔を見せた。
O governo estadual aceitou o pedido do deputado federal Junji Abe e autorizou a liberação de R$...
