06/03/2026

Dia: 9 de março de 2012

WUB(ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス)関西支部の会長を務める仲里眞光さん(67)。2008年8月にジアデーマ市の沖縄文化センターで開催された「沖縄県人移民100周年記念式典」に関西の沖縄県人を代表して出席した経験を持つ。 現在、大阪市住吉区(JR阪和線杉本町駅近く)に自社の建設会社ビルを所有するほか、今年1月には沖縄県(本社)と福岡県(支社)に「(株)ゼロテクノ沖縄」という新会社も立ち上げた。 WUBは、沖縄移民の発祥の地と言われるハワイの仲宗根ロバート氏の発案により、世界各国に居住するウチナーンチュたちがネットワークを形成し、互いにビジネス展開を行うことを目的に1997年9月に創設。WUB関西支部は同ネットワーク10番目の拠点として、2000年に設立された。 仲里さんは設立当初から会長を務め、大阪府出身の紀美子夫人(70)の協力を得て、2年前まで自身の建設会社の事務所をWUBの事務所として兼用してきた。 現在、WUB関西支部には約20社が会員登録し、沖縄県産品の売買などビジネス交流を行っている。そのほか、毎月第3木曜に定例会を開いており、会員企業は沖縄系以外に地元大阪の企業も参加している。 さらに、「泡盛同好会」も並行して行い、年に2回約200人の会員が集まる。同好会には沖縄系の酒販関係者も参加し、新製品紹介など関西地域での広報活動を実践している。◎   ◎ 沖縄県南城市佐敷町で生まれた仲里さんは、生後すぐに沖縄戦の戦禍を逃れるため北部の名護市汀間(ていま)に移動し、家族と隠れていたところを米軍に保護されたという。 小中学校時代は宜野湾市で育ったが、中学を卒業後16歳で岡山県倉敷市の紡績会社が募集していたのを知り、同市へ。その後、大阪府にいた先輩のつてを頼って大阪市阿倍野区の電気屋で働いたが、家族から反対され沖縄に戻ることに。古里に戻ってみたものの仕事のあてもなく、米軍基地で米兵の衣服の洗濯や靴磨きなどを行う軍作業をしてしのいだ。 18歳の時、当時の琉球漁業が大洋漁業に買収されたことを受け、仲里さんは底引き網漁船に乗ることを夢見て、同社の研修生として長崎県に渡った。しかしその頃の日本は、東京オリンピック開催による高度経済成長の機運が盛り上がりつつあった時代。「漁師は気も荒いし、1カ月以上も沖に出なければならない。陸にいて人並みに仕事をしたいと思った」という仲里さんは、64年に単身大阪に出て左官工の見習いとなった。 20歳で紀美子夫人と結婚。23歳で独立し、現在の「仲里建設株式会社」を創設させた。72年の沖縄本土返還前後に沖縄から若い人々を呼び寄せ、「10年ごとに会社を大きくしていった」仲里さん。WUB関西支部の会長を続けてきたことについて「自分は(高等)学校を出ていないが、WUBのお陰で大手の会社や大阪府庁関係者など様々な人たちと会うことができた。若い時から『夢は世界へ』という思いがあり、まじめに生きてさえいれば夢が広がることが分かった」と語る。 今後、WUB関西支部会長などを後進に譲っていく考えだとしながら仲里さんは、「これまで沖縄への恩返しのつもりで何でもやってきたが、これからも世界の人々とのつながりは大切にしていきたい」とウチナーンチュとしての熱い思いをのぞかせた。(つづく、松本浩治記者) 2012年3月9日付
ニッケイ新聞 2012年3月9日付け 神奈川文化援護協会(永田淳会長)が『定期総会』を、18日午前10時(9時半受付)から、同会会館(Rua Major Newton de Feliciano, 75, Vila Mariana)で開く。今回の議題は昨年度事業・会計報告、今年度事業・予算計画案の採択、訴訟問題経過報告、二宮金次郎プロジェクト部設立について、役員改選。総会終了後は昼食懇談会がある。問い合わせは同会(11・5082・3141)まで。
ニッケイ新聞 2012年3月9日付け 安部順二連邦下院議員(PSD―SP)は県連主催の『日本祭り』に対し、10万レアルを寄付した。文協ビル会議室で1日にあった県連代表者会議で、受け取り署名式が行われた。今年7月にある「第15回日本祭り」への寄付はこれが初めて。サンパウロ州の文化庁では、文化やスポーツ活動支援のために議員が各イベントへと寄付できる予算枠を設けており、安部下議は同イベントへの利用申請を行った。先月29日に認可されたため今回受け渡しの運びとなった。安部下議は「10万レは祭りの規模に比べれば少ないとは思うが、今後の他団体からの支援の呼び水となれば嬉しい」と挨拶。県連の園田昭憲会長は「今後、様々な団体から支援を頂くうえで大変な意義がある。感謝したい」と謝辞を述べていた。
ニッケイ新聞 2012年3月9日付け 【群馬県太田市発=池田泰久通信員】「私の人生にとって、挑戦の日々だった。日本の教育現場が抱えるさまざまな問題に触れることができた」――。昨年7月から群馬県内の公立小中学校や外国人学校で、ブラジルにルーツを持つ児童・生徒や保護者らに心理カウンセリングをしてきたブラジル人心理学者カーラ・バホスさん(40、パラナ州パラナヴァイ市出身)は、そう充実感をにじませる。10日の帰伯前に、9カ月の研修成果を聞いた。 「日本の教育では、子どもの自律や環境への適応を重視する。一方、ブラジルでは親が子どもに干渉し、危険や困難から守るという考えが強い。そうした根本的な認識の違いから、教育現場ではさまざまな問題が起きている」と印象を語る。例えば、真冬日の体育の授業。日本の学校では、子どもたちは薄着の体操着で元気よく外に飛び出していく。しかし、一部のブラジル人の保護者にとっては、それが理解し難く感じる。そのため「うちの子だけは厚着をさせて」などと学校にクレームを言ったりして問題になることがある。カーラさんは、外国人児童の担当教諭らとともに、そうした親のとまどいなどにも耳を傾けながら、日本文化への適応や理解を促した。海外の地方自治体の職員らを日本の各自治体に派遣する総務省と財団法人自治体国際化協会の「協力交流研修員事業」の一環で昨年5月、来日した。日本語や日本文化について研修を受けてから、同県太田市の公立小5校とブラジル人学校2校で、児童・生徒、教員、保護者ら合わせて176人、計431件のカウンセリングに応じた。相談内容は、両親の離婚や別居などによる家族関係の悪化、家庭内暴力、学校への適応問題やいじめなど多岐にわたった。アルコール中毒の親から虐待を受け、自殺の危険性もあった女子中学生のカウンセリングも粘り強く続けた。同市のバイリンガル教員の日本人男性は「限られた期間に、外国籍の子どもたちの自尊心や勉強への意欲向上、学校と保護者間の関係改善などに力を尽くしてくれた。今後も長期滞在できるポルトガル語を母語にしたこうした専門家は不可欠で、学校側からの要望も強い」と話す。研修を通じて、日本のブラジル人の心理サポートにおける課題も分かったという。一つは、母国ブラジルで行われている心理療法や精神判定のノウハウの必要性だ。「例えば、日本語が分からないブラジル人の子どもや保護者に、日本式の心理、知能テストを用いても正確な診断はできないのではないか。すぐにでも再来日し、ポ語による診断方式の一式を持ち込みたい」と話す。同県の国際課では、「外国からの研修員が日本の各自治体の課題解決に参画するというのは、全国的にも先進的な事例。特にカウンセリング分野での受け入れはほかに例がなく、全国からも注目されている」としている。