06/03/2026

Dia: 13 de março de 2012

東日本大震災一周忌追悼法要 「私たちは今後も継続して、被災地への支援を行っていく」―。東日本大震災から1年を迎えた11日午後2時から聖市リベルダーデ区の文協記念講堂で日系5団体、仏教連合会、岩手、宮城、福島などの被災県人会合同の犠牲者追悼法要と復興祈願が執り行われ、冒頭の言葉が強調された。また、前日の10日午前9時からは、同市セントロ区のサンゴンサーロ教会で日伯司牧教会の協力による追悼慰霊ミサも行われ、出席者たちは震災被害を受けた人々の一日も早い復興を願った。 11日の追悼法要には約600人が詰めかけた。法要委員長の木多喜八郎文化協会会長はあいさつで、約2万人の犠牲者を出した震災を振り返り、ブラジル及び日系社会からも義援金が送られるなど全面的な協力を行ったことに言及。「きょうは失われた命と救われた命を思ってお祈りしたい」とし、「私たちは今後も被災地への長い支援を行っていく」と述べた。 引き続きあいさつに立った在サンパウロ日本国総領事館の大部一秋総領事は、日本への義援金支援を行った日系社会への感謝を述べるとともに、震災について(1)決して忘れないこと(2)苦しみを皆で分かち合っていくこと(3)支え合い、希望を持って前に進むこと、の3点を強調した。 県連の園田昭憲会長による追悼の辞の後、各宗派僧衆代表及び一般参加者による焼香が行われた。さらに、日本の震災発生時刻に合わせた午後2時46分には会場全員で黙とうが行われ、合掌しながら犠牲者の冥福を祈る人の姿も見られた。 仏教連合会のコレイア教伯導師による法話の後、宮城、岩手、福島の被災3県知事のメッセージを各県人会会長が代読した。震災孤児を支援するプロジェクト「いのち」のメンバー7人による合唱に引き続き、国際交流基金提供の震災映像が約10分間放映。地震、津波や原発事故の悲惨な光景と各地での復興の様子に、会場からはすすり泣く声も漏れ聞こえた。 モジ・ダス・クルーゼス市イチペチから出席した芳賀七郎さん(78、宮城)は宮城県南三陸町での津波により長兄と次兄を亡くした。特に長兄は戦時中「暁(あかつき)部隊」に所属していたとし、戦後原爆投下後の広島市に後片付けのために入り、入市被爆している。芳賀さんは「私が24歳でブラジルに来る時、長兄に許しを得た。兄ではあるが親代わりのような存在だった。今日こうして皆さんに追悼してもらえることは、本当にありがたい限り」と無念な思いの中にも日系社会への感謝の気持ちを表した。 聖市ベルゲイロ区在住の阿部正司さん(66、岩手)は岩手県釜石市に伯父がおり、震災で行方が分からなくなったが、発生から1週間後に無事が確認されたという。「それまでは心配で本当に心を痛めました。今日は仕事がありましたが、上司に許可を得てここに来ました。昨年の(日系社会で行った)初七日法要にも参加しましたが、震災の思いを引き継ぐためにもう少し日系3世、4世の若い人たちにもたくさん出席してほしかった」と率直な思いを語った。 友人たちと一緒に出席した聖市サウーデ区に住む河上クリスチーナさん(35、3世)は、今年2月に日本を訪問した。「日本のことを誇りに思う。一日でも早く元の生活に戻れるようになってほしい」と河上さんは被災地への思いを込めた。 2012年3月13日付
「火葬できただけありがたい」 東日本大震災が発生して11日で1年を迎えた。日本国内の中でも特に被害が甚大だった岩手、宮城、福島の3県はいまだ復興のめどが立たずに苦しんでいる人々が数多い。また震災の影響で人生そのものが変わり心の傷が癒えない人々も少なくない中、その一方で時間がたつにつれ、当時の悲惨な出来事が徐々に忘れ去られつつあることも否めない。本紙では「忘れてはならない記録」として、震災被害を受けた日本の家族及び親戚を思いやる伯国在住の人たちと日本の人々との絆を2回連載で紹介する。(編集部) 「遺体が見つかって、火葬ができただけでもありがたいと考えなければ」―。聖州アチバイア市タンケ区に在住する及川君雄(74)・東子(とうこ、73)夫婦(岩手県一関市=旧東磐井郡大東町)は、口をそろえた。 2011年3月11日、東子さんの実兄で岩手県陸前高田市に住んでいた佐々木誠志(せいし)さん(享年82歳)は、好きな油絵の画材を購入するために大船渡市まで車を運転していたところ、その途中で津波にのみ込まれた。 誠志さんの息子が捜索願いを出していたこともあり、その1週間後に車内で遺体が見つかった。しかし、地元では震災被害により火葬場がないため、岩手県内に住む東子さんの妹が誠志さんの遺体を遠野市の火葬場まで運び、荼毘(だび)に付したという。 誠志さんの家は陸前高田市の比較的高台の場所にあり、実家そのものは津波の被害には遭わず、地震当初に自宅にいたならば被害には遭っていなかったかもしれない。 及川夫婦の話によると誠志さんは戦後、地元の小中学校の教師となり、図工を担当していたという。また、晩年は県内各地の学校で校長を歴任。同じ小学校の幼なじみだった及川夫婦は誠志さんから教えてもらったこともあり、「悪さをすると鞭(むち)打ちされたこともあり、教育熱心な兄でした」と東子さんは当時を振り返る。 学校退職後も教育関連の仕事に携わるなど多忙だった誠志さんの趣味は、油絵を描くこと。現役教師時代の夏休みには東京の美術大学に短期で通うなど、単なる趣味の領域を超えていたとも思われる。 1959年に渡伯し、聖市近郊のイタケーラ、インダイアツーバを経て68年から40年以上にわたって現在のアチバイアに住み続ける及川夫妻が渡伯後に何回か訪日した際、プレゼントされたのが誠志さんが描いた油絵の数々だった。 現在、貴重な遺品となった油絵の一つは及川夫婦の家の壁に掛けられている。郷里の山「氷上(ひかみ)山」を背景に、誠志さんが好きだった海岸沿いの松林の風景が描かれた作品だ。 昨年の正月に誠志さんと国際電話で連絡を取った東子さんは、誠志さんがぜんそく気味で「プロポリスがいいみたい」と言われたため伯国からプロポリスを送ったが、これが兄と直接話した最後の言葉となった。 誠志さんの不運な死について及川夫婦は「不幸なことには変わらないが、好きな絵を描くために画材を買いに行き、自分の希望の途中で亡くなった。まだ行方が分からない方も大勢いる中で、遺体が見つかって火葬ができただけでもありがたいと思わなければ」と誠志さんの死をしのんだ。 (つづく、松本浩治記者) 2012年3月13日付
宮城県人会(中沢宏一会長)は16日午後3時から、聖市リベルダーデ区の同県人会館1階ホール(Rua Fagundes, 152)で東北学院大学経済学部の上田良光教授を招き、講演会を開催する。講演のテーマは「東日本大震災の復興への提言」。参加費は無料。 同講演会の協賛は岩手、福島、青森、茨城、千葉の各県人会。後援は県連、ブラジル日本移住者協会など。また、講演後は提言集会が行われ、ブラジルに移住し開拓した経験を持つ参加者たちにその経験を復興に生かすよう提言を求め、集まった提言は日本の関係機関に送付する予定。 2012年3月13日付
ニッケイ新聞 2012年3月13日付け 宮城県人会(中沢宏一会長)は東日本大震災発生から1年を迎えるにあたり、「東日本大震災と日本経済」というテーマで講演会を、16日午後3時から同会1階ホールで開く。入場無料。岩手、福島、青森、茨城、千葉の各県人会が協賛する。講演者は、東北学院大学経営学部で宮司でもある上田良光教授。講演後は、復興への道を今後も歩み続ける日本への提言を発表しあう場が設けられる。案内のため来社した中沢会長は「異国で自らの人生を切り開いた我々移民も、その経験をもとに復興のためのアイデアがあるはず。様々な角度からの提案を期待したい」と参加を呼びかけた。問い合わせは同県人会(11・3208・5780)まで。
ニッケイ新聞 2012年3月13日付け 昨年3月11日に発生した東日本大震災からちょうど丸一年にあたる11日午後2時から、日系5団体とブラジル仏教連合会、被災した6県人会が合同で「東日本大震災犠牲者一周忌追悼法要並びに復興祈願」を文協大講堂で挙行した。日系団体代表はじめ被災関係者、一般来場者ら約700人が集まり、改めて犠牲者の冥福を祈った。被災地の復興を願い記念の餅も800個用意され、出席者に配られた。震災遺児を支援する団体「プロジェクトいのち」の子供達が舞台で合唱、被災地の様子を記録した映像が上映されると、沈痛な面持ちで目頭をおさえる来場者もみられた。 震災が発生した午後2時46分、黙祷が捧げられた。仏教婦人連盟によるコーラスの後、法要委員長として壇上に立った文協の木多喜八郎会長は「被災地の人々が安心して暮らせるまでにはまだ時間がかかる。これからも長い支援を続け、日本が明るく蘇ることを祈ります」と挨拶した。導師を務めたブラジル本門仏立宗のコレイア教伯さんは震災4カ月後に被災地の小学校を訪れた。「世界の諸相は人間の心。3・11以後の世界に生きる我々は一人ひとりが、自分が変われば世界が変わると信じなければならない」と強調した。読経と同時に来場者らは祭壇に向かって列を作り、犠牲者への追悼と一日も早い復興を祈って焼香。その後被災した3県の県人会会長が、それぞれの母県の知事からの弔電を代読した。最後に挨拶した援協の菊地義治会長は「移民も互いに助け合うことで今日の繁栄を築いた。母国を支援することがコロニアの蘇生、活性化に繋がる。震災を決して忘れてはいけない」と力を込めた。モジ市イタペチ区在住の芳賀七郎さん(78、宮城県南三陸町)は、長兄新平さんと次兄利兵衛さんを津波で亡くした。「足が弱っていたので逃げ遅れたようです。地震が多い地域だから普段から用心していたようだが、誰も責められない。仕方がないね」としみじみ語った。岩手県人会の千田曠曉会長は、「コロニアからの祈りが日本側に届いたと思う。両国の絆がさらに深まれば」と笑顔を見せ、宮城県人会の中沢宏一会長は「立派な一周忌だった。今後も母県と連絡し合い、我々がどういう形で支援を継続できるか検討したい」と話した。 サンゴンサーロ教会でミサ=280人が震災に共同祈願 聖市ジョアン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会でも10日朝9時から、日系5団体の共催で復興祈願の一周忌慰霊ミサが、日伯司牧協会の協力で厳かに執り行われ、日系団体代表をはじめ約280人が出席した。祭壇右側には日伯両国旗が掲げられ「連帯的行動を通して勇気と力を汲み取り、言語に言い尽くせない困苦と戦っている人々が復興に向かって歩み続けられるように祈りましょう」との共同祈願が、大部一秋・在聖総領事夫妻や日系各団体代表により捧げられた。神父は「永遠の命を願いましょう。勇気と喜びの中に行き続けることができますように」と語りかけ、パン、ぶどう、麦の穂などが祭壇に奉献され、聖体拝領が行われた。ヴィア・ソニアのコーラスグループによる聖歌が合唱された後、ミサは閉幕した。青森県人会の玉城道子会長は「一年経ち、青森は復興のめどがついた」と母県の状況を語り、「忘れてはいけないと思った。経済的な支援は難しいものの、気持ちだけでも応援していきたい」と話していた。