赤間学院にあてた感謝の手紙
今年創立79年になる財団法人赤間学院(平井タツオ理事長)の創設者、赤間重次・みちへ夫妻(ともに故人)は宮城県出身。震災時、宮城県には赤間夫妻の親戚、智子さんが暮らしていた。
同校の日本語科で学ぶ生徒は震災後、千羽鶴を折ったり被災地へメッセージを送ったりして被災者に心を寄せてきた。
同科教育担当の栗田司教諭によると、生徒たちは学校だけでなく家へ持ち帰り家族とともに鶴を折り、千羽鶴を完成させたという。栗田教諭は「生徒たちは一羽一羽気持ちを込めて折り、かなりの量が集まった」と話し、出来上がった千羽鶴は昨年末まで同科に掲示したという。
また同科では昨年6月に生徒や教職員から寄せられた義援金でコーヒーやチョコレートなどを購入。千羽鶴の前で撮った写真と手紙を同封して智子さんへ届けた。
以下は、ブラジルからの支援に対して同8月に智子さんが同校へあてた手紙の全文(原文ママ)。被災直後の状況や仮住まいでの様子がつづられている。
赤間学院 生徒教職員の皆様
間もなく大地震から6ヶ月になろうとしております。3月11日起きました未曽有の地震大津波に際しまして、赤間学院の生徒さん、教職員の皆様に心のこもった励ましのお言葉をいただき、本当にありがとうございました。また、学院の生徒さん方から送っていただいた
心のこもった支援の物資を次男様(※編集部注)からいただき、チョコレート、ハーブティ、コーヒー等をいただく毎に、ブラジル赤間学院に学ぶ皆様方の暖かいお心ざし、うれしく感じております。いただいてすぐにお礼をと思っておりましたが、種々の理由で遅くなり申し訳ありません。
地震ではちょっと傷んだだけでだいじょうぶでしたが、天井近くまでの大津波で被災し、屋根と柱は残ったのですが、全壊し避難生活を余儀なくされ、6月からは現在のマンションに住んでおります。住む場所も道具も何もかもなくなり、着の身着のままで投げ出されるとは本当に考えつかなかったことでした。今まで大きな津波が来なかった地であり、油断していた人々も多かったため、多数の犠牲者が出ました。幸いにも家族全員で生き残れたことは本当に幸せなことでした。
現在住んでいる所は仙台市若林で、すぐ近くに広瀬川が流れており、向かい側は長町の街並が見渡せます。夜になると向かい側のマンションのネオンがとてもきれいです。時には広瀬川の土手を散歩したりしています。
今は仮の住まいですが、皆様方からいただいた暖かいお心をささえとして、一日も早く復興していかなければならないなと考えております。
赤間学院で学ばれている生徒さん方がこれからますます発展し、成長され、社会のために尽力する人材としてブラジルはもとより世界で活躍されることをお祈り致しております。
2011、8、30
赤間智子
※編集部注=次男(つぎお)さんは、赤間夫妻の息子で同校名誉会長のアントニオ晃平氏のいとこにあたる人物。
(おわり、鮫島由里穂記者)
2012年3月14日付
