06/03/2026

Mês: março 2012

ブラジル石川県人会(小堀勇ジェラルド会長)は2月26日、聖市パライゾ区の同会館で2012年度定期総会を開催し、会員約150人が出席した。 総会では、同会館で毎年10月に開催している文化祭を今年は6月16、17日の日程で行うことが発表された。これは総会に先駆けて行われた同10日の役員会で決まり、総会で会員の承認を得た。 また和田浩一副会長によると、同県人会は前年12月時点での最低賃金を基準にして年会費の額を決めている。今年度の会費は前年度から5レアル引き上げた107レアルとなった。 総会ではそのほか、11年度の決算が報告された。11年度は9万4386・77レアルの収入に対して支出が9万6667・49レアルだった。今年度の予算には9万6444レアルが計上、承認された。 2012年3月14日付
赤間学院にあてた感謝の手紙 今年創立79年になる財団法人赤間学院(平井タツオ理事長)の創設者、赤間重次・みちへ夫妻(ともに故人)は宮城県出身。震災時、宮城県には赤間夫妻の親戚、智子さんが暮らしていた。 同校の日本語科で学ぶ生徒は震災後、千羽鶴を折ったり被災地へメッセージを送ったりして被災者に心を寄せてきた。同科教育担当の栗田司教諭によると、生徒たちは学校だけでなく家へ持ち帰り家族とともに鶴を折り、千羽鶴を完成させたという。栗田教諭は「生徒たちは一羽一羽気持ちを込めて折り、かなりの量が集まった」と話し、出来上がった千羽鶴は昨年末まで同科に掲示したという。 また同科では昨年6月に生徒や教職員から寄せられた義援金でコーヒーやチョコレートなどを購入。千羽鶴の前で撮った写真と手紙を同封して智子さんへ届けた。 以下は、ブラジルからの支援に対して同8月に智子さんが同校へあてた手紙の全文(原文ママ)。被災直後の状況や仮住まいでの様子がつづられている。 赤間学院 生徒教職員の皆様間もなく大地震から6ヶ月になろうとしております。3月11日起きました未曽有の地震大津波に際しまして、赤間学院の生徒さん、教職員の皆様に心のこもった励ましのお言葉をいただき、本当にありがとうございました。また、学院の生徒さん方から送っていただいた 心のこもった支援の物資を次男様(※編集部注)からいただき、チョコレート、ハーブティ、コーヒー等をいただく毎に、ブラジル赤間学院に学ぶ皆様方の暖かいお心ざし、うれしく感じております。いただいてすぐにお礼をと思っておりましたが、種々の理由で遅くなり申し訳ありません。 地震ではちょっと傷んだだけでだいじょうぶでしたが、天井近くまでの大津波で被災し、屋根と柱は残ったのですが、全壊し避難生活を余儀なくされ、6月からは現在のマンションに住んでおります。住む場所も道具も何もかもなくなり、着の身着のままで投げ出されるとは本当に考えつかなかったことでした。今まで大きな津波が来なかった地であり、油断していた人々も多かったため、多数の犠牲者が出ました。幸いにも家族全員で生き残れたことは本当に幸せなことでした。 現在住んでいる所は仙台市若林で、すぐ近くに広瀬川が流れており、向かい側は長町の街並が見渡せます。夜になると向かい側のマンションのネオンがとてもきれいです。時には広瀬川の土手を散歩したりしています。 今は仮の住まいですが、皆様方からいただいた暖かいお心をささえとして、一日も早く復興していかなければならないなと考えております。 赤間学院で学ばれている生徒さん方がこれからますます発展し、成長され、社会のために尽力する人材としてブラジルはもとより世界で活躍されることをお祈り致しております。 2011、8、30 赤間智子※編集部注=次男(つぎお)さんは、赤間夫妻の息子で同校名誉会長のアントニオ晃平氏のいとこにあたる人物。(おわり、鮫島由里穂記者) 2012年3月14日付
ニッケイ新聞 2012年3月14日付け 「東日本大震災一周忌法要及び復興祈願」の開催に際しまして、一言御挨拶申し上げます。本日は、昨年3月の東日本大震災における犠牲者の供養並びに被災地の復興祈願のため、このような会を開催していただきまして、宮城県を代表し、心より感謝申し上げます。この会の開催にご尽力していただいた在サンパウロ日本国総領事館をはじめ、日伯文化協会、ブラジル都道府県人会連合会、日伯文化連盟、日伯援護協会、各都道府県人会の皆様に心より敬意を表します。また、本日御臨席の皆様、本当にありがとうございます。東日本大震災は、日本の東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。宮城県におきましても、9400人以上の方が亡くなり、今なお1700人以上の方が行方不明となっております。多くの県民が大切な家族や友人、財産を失い、心に大きな傷を負いました。震災直後は、復興への希望すら見出せない状況に陥ったこともございました。そのようなときに、皆様から頂いた御支援や励ましの言葉は、被災地で暮らす私たちに、生きる勇気と復興に立ち上がる力を与えてくれました。この場をお借りして、改めて御礼申し上げます。震災からの復興への道のりは、平坦なものではなく、長く厳しいものになります。しかし、私たちは、復興に向けて勇気を持って立ち上がりました。皆様が宮城県、そして日本の復興を願い、励まし続けてくださる限り、我々は、皆様との「絆」を糧に必ずや復興を成し遂げることを御約束申し上げます。皆様には、いつの日か、復興を遂げた宮城県の姿を見ていただきたいと思います。結びになりますが、本日、御臨席の皆様のますますの御活躍と御健勝をお祈り申し上げます。
ニッケイ新聞 2012年3月14日付け 本日、サンパウロの地において、「東日本大震災追悼法要並びに復興祈願」が開催されるにあたり、御挨拶を申し上げます。今からちょうど1年前の3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9・0の巨大地震が発生し、東日本の太平洋沿岸部の広い範囲に巨大な津波が襲いかかりました。この未曾有の大震災による死者・行方不明者は、全国で併せて1万9千人余、岩手県内でも約6千人にも上りました。この多くの尊い命とともに、長年に渡って築き上げてきた財産すべてが一瞬にして流され、その後出来得る限りの復旧に努めましたが、半年近くにも渡り多くの方々が不自由な避難所暮らしを余儀なくされました。このような状況の中、国内外からいただいた多くの支援や励ましのメッセージは、私たちを大いに勇気付けてくれました。中でも、ブラジルの日系人・日系団体の皆様が日本へお寄せくださった義援金は約6億円にも上ると伺っており、母国の復興を願う皆様のお気持に、改めて感謝申し上げる次第です。現在、住居を失った方々の多くは仮設住宅へと移られ、御自身の復興に向け取り組んでおります。皆様からいただいた義援金は、こうした被災された方々の生活再建のために活用させていただいており、被災地では、徐々にではありますが、日常生活を取り戻しつつあります。3・11を境に私たちの生活は一変しましたが、私たちは、あらゆる生命を尊び共に生きるという世界遺産平泉の理念を胸に、1日も早い復興に向け県民一丸となって取り組んでおりますので、皆様方におかれましては、故郷の復興に対し、引き続き御支援下さいますようお願いいたします。最後になりますが、本日この追悼と復興祈願の集いを開催して下さった関係者の皆様、また、御参集の皆様に、すべての岩手県民を代表して心から感謝申し上げますとともに、皆様方と御家族の今後益々の御発展をお祈り申し上げ、御挨拶とさせていただきます。
ニッケイ新聞 2012年3月14日付け 11日午後2時から聖市の文協ビル大講堂で行われた東日本大震災一周忌法要では、宮城、岩手、福島の3被災県知事からのメッセージが各県人会長によって代読された。なかでも佐藤雄平福島県知事の「あの日、あの時を迎えるまで、このふくしまの姿を誰が想像できたでしょうか」というメッセージを、小島友四郎ブラジル県人会長が途切れ途切れに読上げると、会場のそこかしこから嗚咽が漏れた。そして最後に、3知事のメッセージに対して、来場者全員から温かい拍手が送られた。ブラジルからの支援に感謝する被災県知事からメッセージをここに掲載する。 懸命な県民の姿こそ誇り=福島県知事 佐藤 雄平 (小島友四郎県人会長代読) 2011年3月11日午後2時46分。あの日、あの時を迎えるまで、このふくしまの姿を誰が想像できたでしょうか。大地震、大津波は、多くの尊い命と穏やかだった私たちの暮らしを、非情にも奪い去りました。原子力災害は、美しいふくしまを一変させました。さらに、風評被害は、地域の活力を奪い、私たちの心までも深く傷つけました。この1年、福島県は、深い悲しみや悔しさを抱えながら、ある人は、住み慣れた土地を追われ、ある人は、少しでも元の暮らしを取り戻そうと汗を流し、またある人は、家族離ればなれの生活を選びました。そして、見えない放射線への不安とも闘いながら、それぞれが必死に毎日を生き抜いてきました。これほど厳しい状況にあっても、取り乱すことなく、地域のきずなを大事にしながら、一生懸命頑張っている福島県民を、私は誇りに思っております。未曾有の大震災以降、ブラジルを始め、世界中の皆さんから、温かい励ましのメッセージやたくさんのご支援をいただきました。福島県は大いに助けられ、励まされ、勇気をいただきました。改めて、心より感謝を申し上げます。今年は、福島県の「復興元年」であります。日本国内はもとより、世界中の多くの方々に支えられながら、福島県民と力を合わせ、美しく、豊かな県土を取り戻し、子どもたちの笑顔あふれる「新生ふくしま」を創っていきたいと考えています。そして、これから復興に向かう福島県の真の姿を積極的に発信し、風評被害の解消と原発事故の風化防止に努めてまいります。遠くブラジルの地から応援してくださる皆さん方にも、引き続き福島の復興を見守っていただきますとともに、温かいご支援をいただきますようお願い申し上げます。結びに、ブラジルと福島県との友好交流が一層深まることを祈念いたしまして、メッセージといたします。
ニッケイ新聞 2012年3月14日付け 高知県人会(片山アルナルド会長)は18日午前10時から、「第2回やきそば祭り」を同会館(Rua dos Miranhas, 196, Pinheiros)で催す。焼きそば1皿15レ。前売り券も同額で販売している。メインのやきそばのほか、鰹のたたき定食、姿ずしなどの土佐料理、天ぷら、うどんなどが販売され、ビンゴもある。案内のため片山会長、文野雅甫副会長が来社し「昨年初めて開催し、好評を博したので今年もやります。土佐のおいしい料理をぜひ食べに来てほしい」と参加を呼びかけた。問い合わせは同会(11・3031・6799)まで。
東日本大震災一周忌追悼法要 「私たちは今後も継続して、被災地への支援を行っていく」―。東日本大震災から1年を迎えた11日午後2時から聖市リベルダーデ区の文協記念講堂で日系5団体、仏教連合会、岩手、宮城、福島などの被災県人会合同の犠牲者追悼法要と復興祈願が執り行われ、冒頭の言葉が強調された。また、前日の10日午前9時からは、同市セントロ区のサンゴンサーロ教会で日伯司牧教会の協力による追悼慰霊ミサも行われ、出席者たちは震災被害を受けた人々の一日も早い復興を願った。 11日の追悼法要には約600人が詰めかけた。法要委員長の木多喜八郎文化協会会長はあいさつで、約2万人の犠牲者を出した震災を振り返り、ブラジル及び日系社会からも義援金が送られるなど全面的な協力を行ったことに言及。「きょうは失われた命と救われた命を思ってお祈りしたい」とし、「私たちは今後も被災地への長い支援を行っていく」と述べた。 引き続きあいさつに立った在サンパウロ日本国総領事館の大部一秋総領事は、日本への義援金支援を行った日系社会への感謝を述べるとともに、震災について(1)決して忘れないこと(2)苦しみを皆で分かち合っていくこと(3)支え合い、希望を持って前に進むこと、の3点を強調した。 県連の園田昭憲会長による追悼の辞の後、各宗派僧衆代表及び一般参加者による焼香が行われた。さらに、日本の震災発生時刻に合わせた午後2時46分には会場全員で黙とうが行われ、合掌しながら犠牲者の冥福を祈る人の姿も見られた。 仏教連合会のコレイア教伯導師による法話の後、宮城、岩手、福島の被災3県知事のメッセージを各県人会会長が代読した。震災孤児を支援するプロジェクト「いのち」のメンバー7人による合唱に引き続き、国際交流基金提供の震災映像が約10分間放映。地震、津波や原発事故の悲惨な光景と各地での復興の様子に、会場からはすすり泣く声も漏れ聞こえた。 モジ・ダス・クルーゼス市イチペチから出席した芳賀七郎さん(78、宮城)は宮城県南三陸町での津波により長兄と次兄を亡くした。特に長兄は戦時中「暁(あかつき)部隊」に所属していたとし、戦後原爆投下後の広島市に後片付けのために入り、入市被爆している。芳賀さんは「私が24歳でブラジルに来る時、長兄に許しを得た。兄ではあるが親代わりのような存在だった。今日こうして皆さんに追悼してもらえることは、本当にありがたい限り」と無念な思いの中にも日系社会への感謝の気持ちを表した。 聖市ベルゲイロ区在住の阿部正司さん(66、岩手)は岩手県釜石市に伯父がおり、震災で行方が分からなくなったが、発生から1週間後に無事が確認されたという。「それまでは心配で本当に心を痛めました。今日は仕事がありましたが、上司に許可を得てここに来ました。昨年の(日系社会で行った)初七日法要にも参加しましたが、震災の思いを引き継ぐためにもう少し日系3世、4世の若い人たちにもたくさん出席してほしかった」と率直な思いを語った。 友人たちと一緒に出席した聖市サウーデ区に住む河上クリスチーナさん(35、3世)は、今年2月に日本を訪問した。「日本のことを誇りに思う。一日でも早く元の生活に戻れるようになってほしい」と河上さんは被災地への思いを込めた。 2012年3月13日付
「火葬できただけありがたい」 東日本大震災が発生して11日で1年を迎えた。日本国内の中でも特に被害が甚大だった岩手、宮城、福島の3県はいまだ復興のめどが立たずに苦しんでいる人々が数多い。また震災の影響で人生そのものが変わり心の傷が癒えない人々も少なくない中、その一方で時間がたつにつれ、当時の悲惨な出来事が徐々に忘れ去られつつあることも否めない。本紙では「忘れてはならない記録」として、震災被害を受けた日本の家族及び親戚を思いやる伯国在住の人たちと日本の人々との絆を2回連載で紹介する。(編集部) 「遺体が見つかって、火葬ができただけでもありがたいと考えなければ」―。聖州アチバイア市タンケ区に在住する及川君雄(74)・東子(とうこ、73)夫婦(岩手県一関市=旧東磐井郡大東町)は、口をそろえた。 2011年3月11日、東子さんの実兄で岩手県陸前高田市に住んでいた佐々木誠志(せいし)さん(享年82歳)は、好きな油絵の画材を購入するために大船渡市まで車を運転していたところ、その途中で津波にのみ込まれた。 誠志さんの息子が捜索願いを出していたこともあり、その1週間後に車内で遺体が見つかった。しかし、地元では震災被害により火葬場がないため、岩手県内に住む東子さんの妹が誠志さんの遺体を遠野市の火葬場まで運び、荼毘(だび)に付したという。 誠志さんの家は陸前高田市の比較的高台の場所にあり、実家そのものは津波の被害には遭わず、地震当初に自宅にいたならば被害には遭っていなかったかもしれない。 及川夫婦の話によると誠志さんは戦後、地元の小中学校の教師となり、図工を担当していたという。また、晩年は県内各地の学校で校長を歴任。同じ小学校の幼なじみだった及川夫婦は誠志さんから教えてもらったこともあり、「悪さをすると鞭(むち)打ちされたこともあり、教育熱心な兄でした」と東子さんは当時を振り返る。 学校退職後も教育関連の仕事に携わるなど多忙だった誠志さんの趣味は、油絵を描くこと。現役教師時代の夏休みには東京の美術大学に短期で通うなど、単なる趣味の領域を超えていたとも思われる。 1959年に渡伯し、聖市近郊のイタケーラ、インダイアツーバを経て68年から40年以上にわたって現在のアチバイアに住み続ける及川夫妻が渡伯後に何回か訪日した際、プレゼントされたのが誠志さんが描いた油絵の数々だった。 現在、貴重な遺品となった油絵の一つは及川夫婦の家の壁に掛けられている。郷里の山「氷上(ひかみ)山」を背景に、誠志さんが好きだった海岸沿いの松林の風景が描かれた作品だ。 昨年の正月に誠志さんと国際電話で連絡を取った東子さんは、誠志さんがぜんそく気味で「プロポリスがいいみたい」と言われたため伯国からプロポリスを送ったが、これが兄と直接話した最後の言葉となった。 誠志さんの不運な死について及川夫婦は「不幸なことには変わらないが、好きな絵を描くために画材を買いに行き、自分の希望の途中で亡くなった。まだ行方が分からない方も大勢いる中で、遺体が見つかって火葬ができただけでもありがたいと思わなければ」と誠志さんの死をしのんだ。 (つづく、松本浩治記者) 2012年3月13日付
宮城県人会(中沢宏一会長)は16日午後3時から、聖市リベルダーデ区の同県人会館1階ホール(Rua Fagundes, 152)で東北学院大学経済学部の上田良光教授を招き、講演会を開催する。講演のテーマは「東日本大震災の復興への提言」。参加費は無料。 同講演会の協賛は岩手、福島、青森、茨城、千葉の各県人会。後援は県連、ブラジル日本移住者協会など。また、講演後は提言集会が行われ、ブラジルに移住し開拓した経験を持つ参加者たちにその経験を復興に生かすよう提言を求め、集まった提言は日本の関係機関に送付する予定。 2012年3月13日付
ニッケイ新聞 2012年3月13日付け 宮城県人会(中沢宏一会長)は東日本大震災発生から1年を迎えるにあたり、「東日本大震災と日本経済」というテーマで講演会を、16日午後3時から同会1階ホールで開く。入場無料。岩手、福島、青森、茨城、千葉の各県人会が協賛する。講演者は、東北学院大学経営学部で宮司でもある上田良光教授。講演後は、復興への道を今後も歩み続ける日本への提言を発表しあう場が設けられる。案内のため来社した中沢会長は「異国で自らの人生を切り開いた我々移民も、その経験をもとに復興のためのアイデアがあるはず。様々な角度からの提案を期待したい」と参加を呼びかけた。問い合わせは同県人会(11・3208・5780)まで。
ニッケイ新聞 2012年3月13日付け 昨年3月11日に発生した東日本大震災からちょうど丸一年にあたる11日午後2時から、日系5団体とブラジル仏教連合会、被災した6県人会が合同で「東日本大震災犠牲者一周忌追悼法要並びに復興祈願」を文協大講堂で挙行した。日系団体代表はじめ被災関係者、一般来場者ら約700人が集まり、改めて犠牲者の冥福を祈った。被災地の復興を願い記念の餅も800個用意され、出席者に配られた。震災遺児を支援する団体「プロジェクトいのち」の子供達が舞台で合唱、被災地の様子を記録した映像が上映されると、沈痛な面持ちで目頭をおさえる来場者もみられた。 震災が発生した午後2時46分、黙祷が捧げられた。仏教婦人連盟によるコーラスの後、法要委員長として壇上に立った文協の木多喜八郎会長は「被災地の人々が安心して暮らせるまでにはまだ時間がかかる。これからも長い支援を続け、日本が明るく蘇ることを祈ります」と挨拶した。導師を務めたブラジル本門仏立宗のコレイア教伯さんは震災4カ月後に被災地の小学校を訪れた。「世界の諸相は人間の心。3・11以後の世界に生きる我々は一人ひとりが、自分が変われば世界が変わると信じなければならない」と強調した。読経と同時に来場者らは祭壇に向かって列を作り、犠牲者への追悼と一日も早い復興を祈って焼香。その後被災した3県の県人会会長が、それぞれの母県の知事からの弔電を代読した。最後に挨拶した援協の菊地義治会長は「移民も互いに助け合うことで今日の繁栄を築いた。母国を支援することがコロニアの蘇生、活性化に繋がる。震災を決して忘れてはいけない」と力を込めた。モジ市イタペチ区在住の芳賀七郎さん(78、宮城県南三陸町)は、長兄新平さんと次兄利兵衛さんを津波で亡くした。「足が弱っていたので逃げ遅れたようです。地震が多い地域だから普段から用心していたようだが、誰も責められない。仕方がないね」としみじみ語った。岩手県人会の千田曠曉会長は、「コロニアからの祈りが日本側に届いたと思う。両国の絆がさらに深まれば」と笑顔を見せ、宮城県人会の中沢宏一会長は「立派な一周忌だった。今後も母県と連絡し合い、我々がどういう形で支援を継続できるか検討したい」と話した。 サンゴンサーロ教会でミサ=280人が震災に共同祈願 聖市ジョアン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会でも10日朝9時から、日系5団体の共催で復興祈願の一周忌慰霊ミサが、日伯司牧協会の協力で厳かに執り行われ、日系団体代表をはじめ約280人が出席した。祭壇右側には日伯両国旗が掲げられ「連帯的行動を通して勇気と力を汲み取り、言語に言い尽くせない困苦と戦っている人々が復興に向かって歩み続けられるように祈りましょう」との共同祈願が、大部一秋・在聖総領事夫妻や日系各団体代表により捧げられた。神父は「永遠の命を願いましょう。勇気と喜びの中に行き続けることができますように」と語りかけ、パン、ぶどう、麦の穂などが祭壇に奉献され、聖体拝領が行われた。ヴィア・ソニアのコーラスグループによる聖歌が合唱された後、ミサは閉幕した。青森県人会の玉城道子会長は「一年経ち、青森は復興のめどがついた」と母県の状況を語り、「忘れてはいけないと思った。経済的な支援は難しいものの、気持ちだけでも応援していきたい」と話していた。
岐阜総会で山田会長が12期目続投 「これからの県人会の活動をどう進めていくのか」―。岐阜県人会の2012年度定期総会が4日午前10時半(第2次招集)から聖市アクリマソン区の同会館で開かれ、役員改選で12期目の長期続投が決まった山田彦次会長は、出席した約20人の会員に対して冒頭の言葉を投げかけた。老朽化のため昨年11月下旬に会館の売却を決定したが、新会館建設など今後の方向性は決まっていない。来年は岐阜県移民100周年・県人会創立75周年を迎える中、県人会員一人一人の意識が問われそうだ。 総会では先没者への黙とうの後、山田会長があいさつ。「この場所での総会は今年が最後。会館を修理をしても難しいとの判断から今の場所で会館を新築することは不可能になった」とし、昨年11月27日の臨時総会で会館売却について出席者全員一致で承認したことを改めて説明した。 岐阜県からも「仕方のないこと」と了承を得ているとし、山田会長は「今後の県人会の在り方を各人に考えてもらい、日本及びブラジル社会にどう向き合っていくのか、どうすれば若い人にバトンタッチできるのかなど具体的な話として提案していただきたい」と語気を強めた。 11年度事業報告は、毎月の会報でも各会員に配布報告されているとし、拍手で承認。11年度会計報告では、会計理事から会館購入者の身元調査として支出の「会館建設費用」の項目で4720・95レアルが計上されていることが説明。その上で前年度繰越金(1万831・48レアル)を含めた収入が15万9646・17レアル、支出9万2485・94レアアルで、6万7160・23レアルが次年度に繰り越されたことが発表、承認された。 監査意見発表と承認に引き続き、12年度事業案では今月18日の定例理事会で「岐阜県移民100周年、県人会設立75周年準備委員会」発足の検討が行われることや、9月22日から開催される「岐阜国体」ツアーなどについて触れられた。 また、昨年末から開設された県人会のウェブサイトについても会員への積極的協力が求められた。12年度予算案については、10万8500レアルが承認された。 役員改選では現執行部が引き継ぐ形で承認。山田会長は「ここ数年、会長はやりたくないと再三話してきたが、来年の岐阜県移民100周年を迎える大事な時期に(会長を)やりたくないと言うと混乱を招く恐れがある。ただ、会長というのは大変な負担となり、役員たちも100%自己負担している。現在の日系社会は『俺とは関係がない』との考え方が強く、責任を負うという部分が薄い。今後、我々の県人会は難しい物事を決めていかなければならない」と述べた上で、会員への積極的な協力を求めた。 なお、12年度県費留学生として、南大河州ポルト・アレグレ市在住のルマ・キヨコ・カルデイラ大野さん(24、3世)が紹介された。新役員は次の通り(敬称略)。会長=山田彦次。副会長=青山高夫。書記=浅野悟。会計=原田敏彦。監事=金子亨資、山名倶子、伊藤パウロ勉。補充監事=安田正子、吉村マルセロ。 2012年3月10日付
大阪滞在中に偶然、再会することになったのが、10年ほど前まで本紙通信員をしていた上江洲(うえず)清さん(73)だ。WUB関西支部会長の仲里眞光さん(67)を取材中、仲里さんが関西地域の沖縄県人会のメンバーとして上江洲さんに連絡を取ったことがきっかけだった。 現在、滋賀県湖南市に在住し、自ら体験した「沖縄戦」やブラジル日本移民の思いを「語り部」として伝える活動を行っている。南洋諸島の一つテニアン島で生まれた上江洲さんは、6歳の時に「沖縄戦」を体験。高校卒業後の1958年に家族と渡伯し、「カッペン移民」としてマット・グロッソ州に入植、過酷な労働を強いられてきた。その後、南北アメリカなどを転々とし、本紙通信員、琉球新報のブラジル通信員を務めた後、2002年に沖縄本土復帰30周年記念イベントのコーディネーター役として沖縄県を訪問した。 当初はすぐにブラジルに戻る予定だったが、日系就労者の多い群馬県大泉町に足を運び、「出稼ぎ」の状況を実体験した。上江洲さんは当時60代半ば。建設会社に面接に行ったが「仕事などない」と言われ、ある会社の寮に住む日系人たちの「金もなくて出るに出れない状況」を直視した。 上江洲さん自身も職を転々と変えざるを得ず、ポルトガル語ができたため千葉県では出稼ぎ者たちの通訳の仕事を任された。しかし、その内容は単なる通訳ではなく、長野県や福島県のスキー場に日系人を派遣するための営業活動だった。当初は日系人を雇うスキー場は少なく、やっと雇ってもらう許可を得た長野県のスキー場では、上江洲さん自ら出稼ぎ者たちを引率し、「零下20度の豪雪の中で、雪かきを行う毎日でした」と振り返る。 その後、シーズンオフにその会社を解雇され、知人のつてを頼って大阪にも出たが、紹介された会社が倒産。生きるために町の清掃車に乗せてもらい、スーパーの期限切れ食品を拾うなど「乞食同然の生活も経験した」(上江洲さん)という。 さらに、和歌山県で炭焼き作業を紹介されたが、職人気質の雇用主から収入もない上に少ない食料で働かされ、栄養失調になった。仕方なく沖縄県にいた姉に連絡し沖縄に帰ったが、体調が回復するのに3カ月もかかった。 改めて知人の紹介で04年1月に今度は滋賀県湖南市へ行くことになった上江洲さんは、オーナーが日本人で、日系就労者が居住するアパートの管理を任された。リーマンショックの影響で居住者の日系人が激減したため、そのアパートは11年11月に取り壊されたが、その間、上江洲さんは06年に伯国に住んでいた夫人(3世)も呼び寄せ、最盛時には50家族いたブラジル人たちの面倒をみた。 湖南市に住んでいる間、戦争の悲惨さと自身のブラジル日本移民としての体験を訴えるため、地域の小中学校や公民館などで講演を行うようになり、「語り部」としてこの7年間で40回にも及ぶ活動を実践している。 10年間にわたって日系就労者の状況を間近に見てきた上江洲さんは「日系就労者といってもひと昔前と違い、非日系人が多いのに驚く。世代が下がるに従い、日系人としての意識やブラジル人としての誇りも低くなっている。それに、仕事に就かなくても失業保険や生活保護が受けられることに甘んじて、ブラシルへ帰りたがらない『デカセギ』が増えているのも事実で、その中には高齢者が多いのも気がかりだ」と、これから先のことを気遣う。 各地での講演活動を続ける上江洲さんは「私は、いわば『よそ者』かもしれないが、関西地域に住む沖縄県人とのつながりを持ち続け、自分がたどってきた人生体験を日本で書き残していきたい」と抱負を語った。(おわり、松本浩治記者) 2012年3月10日付
千葉県人会(原島義弘会長)は今月30日から4月末までの約1カ月間、同県人会の道場から大峰レアンドロさん(28)を短期留学生として千葉県警へと送り出す。 今回の短期留学は同県人会長の原島会長と千葉県警とのつながりで実現したもので、原島会長によると「森田健作千葉県知事からもどんどんやってほしい」と快諾されたという。 同会長は「大峰君は7歳から剣道を始め、ブラジルの大会では何度も優勝している。今回の留学も自分からどうにかならないかと志願してきた。県警の練習はとても厳しいが彼なら耐えられる」と太鼓判を押す。 大峰さんは同会長がかつて通っていた松戸市の道場「松風館」に寝泊まりし、アルバイトなどをしながら剣道の練習を行うという。今回は母県からの経済的な支援はなく、留学費用はすべて大峰さんの自費。同留学制度について同会長は「今後もできれば継続していきたい。1カ月ならフェリアス(休暇)を利用して気軽に行けるのがいい」と話している。 2012年3月10日付
ニッケイ新聞 2012年3月10日付け 先ず去年3月11日の東日本大震災による犠牲者に対し、哀悼の意を表したいと思います。それと共に、全被災者の皆さんに対しては心からのお見舞いを申し上げます。さてこの度の大震災から1年を迎え、コロニア5団体による、東日本大震災の犠牲者に対する1周忌の追悼法要が行なわれる事になりました。被災県民の一人として本当にありがたく感じている次第です。去年3月の大地震はマグニチュード9と云う地震観測史上最大規模の地震で、特に岩手、宮城、福島など太平洋沿岸都市は未曾有の壊滅的被害を受け、多くの犠牲者を出しました。被災された方達は丸々裸となり、その上劣悪な環境のもと避難生活の毎日を送る事に成り、本当に悲しい限りです。それから1年経った今、ごく1部の人に限っては少しずつ復興のきざしが見られる様になりました。しかし、少しのきざしすら見えない状態にいる方達の方が多いのではないかと思われてなりません。この方達の1日も早い前進を願ってやまない次第です。また一方、福島県では地震の被害よりも原発事故による放射能の被害の方が大きく、原発から30キロ以内は避難が余儀なくされ、泣きながら生まれ育った家を後にして避難されたのではないかと思うと、本当に悲しい限りであります。そしてまた、震災から1年が過ぎた今でも、避難されている方達は、自分の家にもどる事さえ出来ない状態が続いています。この放射能の問題は本当に、想像以上の大きな被害をもたらし、今誰もがあらためて放射能の被害の大きさにおどろきを感じているのではないかと思います。これからの復興への道のりは困難を極め、長期に渡り続くものと覚悟しなければならないものと思います。しかしこの度の災害を通して、隣人愛というか、お互いの絆の強さも感じられた事と思います。本当に放射能の問題は難しいが、野田首相も常に云われている様に、福島の復興なくして日本の復興はありません。1日も早い安定へと、政府は全力をあげて原発の問題にあたっています。後は常に前向きに生きる県民一人一人の力強い努力によって、必ずもとの福島に、また以前以上の福島に復活する事を確信して居る次第であります。では最後になりましたが、全被災地の1日も早い復興を心から願っております。
ニッケイ新聞 2012年3月10日付け 東日本大震災から1年が過ぎました。犠牲者と被災者の皆様へ心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。私は宮城県本吉郡唐桑町(現気仙沼市)出身で北側は岩手県陸前高田市、同郡の南は南三陸町があります。三陸はリアス式海岸ですのでこの地方の旧市街地は少し歩くと避難できる山手があります。唐桑町は漁業の町で船主網元の家、神社、仏閣は高台にあり、この度の津波もそこまでは届きませんでした。「森は海の恋人」で有名な畠山重篤氏は中学の同級生で、彼の家も高台にあり松の大木と眼下に海が広がる素晴らしい景色の所です。しかし、今回の津波は海抜25メートルの家の近くまで来たし沢づたいに40メートル近く登ったそうです。さて、三陸には昭和35年(1960年)年のチリ地震津波、昭和8年(1933年)、明治29年(1896年)と約100年間に4度も襲われました。チリ地震津波の時は高校1年で船で通学しましたが、津波の速度がゆるやかな珍しい津波でしたので、三陸を震源とする津波は約80年ぶりでした。その間に戦後高度成長期には経済を優先し、津波がまともに来襲する平坦な土地に宅地、水産加工場を建設し、湾の入り口に燃料タンクを並べ、この度はそれが流れ引火し湾内が火の海となりました。今一周忌で犠牲者への追悼の儀式が行われようとしていますが、この度の災害は津波を忘れて危険地帯に進出した人災の率が高いでしょう。従ってこれからの復興は地震津波に強い地域の構築であります。第一に人命を守るための避難所と避難道の設定です。特に平坦地には1キロ毎にその地域住民の避難所となる築城を提案したいと思います。お城には4階以上に高齢者施設、行政、レクレーシヨンの施設と備蓄室等を置き、学校保育所を含めた総合的な施設で人命を守ります。そこから四方に大通りを作り、避難所をつなぎ、お城を拠点として地域作りをします。そして、今問題になっているまだ5%しか処理が進んでいない瓦礫は地盤沈下の埋め立て、道路、海岸林植林に使用します。何せ目の前の海は世界三大漁場で海産資源はそこにあるのですから、市場と加工施設を復旧させ経済の復興を全力を挙げて速やかに実行します。もう一つ提案があります。危険区域の人々は復興財源を確保のため個人と行政とで津波保険に加入し、平時はその財源を地域振興に使います。ところで昨年震災の年にリベルダーデ区に桜を街路樹として初めて植える許可を市役所からもらい、震災復興を願うシンボルとして植樹しております。お蔭様で順調に育っております。また、ブラジルニッポン移住者協会は同じ目的で植林計画を発表しました。日本では仙台空港のある名取市から、防風防砂防潮のための海岸林造成用の松の植林が始まります。先月世界5地域から選ばれるフオレストヒーローに選出された同級生の畠山氏からは、母堂を亡くし施設は壊滅的にやられたものの水源地の山に広葉樹の植林を継続する、という力強い便りをもらっております。両国で樹木を育てイベントを行い、この大震災が風化し忘れ去られないよう努力して行き、支援の継続を模索して行きたいと思います。在日日系人は震災直後よりボランティアとして現地で活躍しております。今後は復興事業へ参加することが期待されます。被災地が地震津波に強い理想的なモデル地域を建設し、海外から賞讃される形で復興されるよう衷心より願っております。
ニッケイ新聞 2012年3月10日付け あの愛する祖国日本がこんな姿に――。コロニアが、ブラジル社会が、世界が驚愕した東日本大震災から1年を迎える。早朝のテレビから流れてくる津波の映像、原発が次々に爆発する映像などはまさに想像を絶するものであり、「本当なのか」と誰もが一度は疑った。しかし、現実は冷酷であり、刻々と被災者数、死亡者数は積みあがっていった。宮城県人会、福島県人会、岩手県人会などからメッセージをもらった。これを機に1周年の想いを新たにし、我々はどんな継続した支援ができるのかを、コロニアとして一緒に考えたい。(編集部) 世界の人々も思いは一緒=提言 大防潮堤を兼ねた沿岸道路を=岩手県人会会長 千田曠曉 昨年3月11日に突如として東日本を襲った忌わしい大震災から1年を迎えるにあたり、改めて亡くなられた方々のご冥福を祈り、また被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。震災直後の特別番組で、見た事もない画面を見せつけられ、広範囲に及んだ大津波に人々は逃げ惑い、お構いなしに自然や建造物はじめ町や農地を舐めつくし、力つきた人々をも呑み込み津波の恐ろしい威力を感じました。続いて世界で稀に起こる原発事故――福島の原発が爆発し多量の放射能漏れで、広範囲な地域住民はほとんど着のみ着のまま、住居、家畜、農地を放置してまで強制避難させられた。元の居住地へ帰れる日は30年後とも云われている。本当に気の毒に思う。大震災の様々な出来事が映像の一コマ一コマの如く、未だ私の脳裏には克明に録画されている。私も起床直後から、安否確認をと親戚や知人、県に電話を掛け巡らせたが、どこも不通で益々不安がつのり、相当動揺していたような気がする。被災地全体を含め、2万人を超す人々が犠牲者になった。岩手5983人、宮城1万1266人、福島1820人と3県だけで1万9069人の犠牲者が出ている。阪神大震災の犠牲者は6千人位と聞くから、災害の大きさを物語っているような気がする。被害総額は16兆円から25兆円と見積もられている。でも亡くなった人々は永久に帰って来ないのが痛ましい。震災直後から義援金活動はじめ、支援物資搬送や瓦礫撤去など様々なボランテイア活動が甦り、素晴らしい国民だと思った。今後もその思いを後世に伝えて頂きたい。世界各国からも支援物資や義援金が寄せられ、現在も様々な支援活動が続いており、世界の人々も思いは一緒だと心強く感じました。さて、標題に「提言 大防潮堤を兼ねた沿岸道路を」と書きましたが、被災地の皆さんには二度と悲惨な災害にあわせたくない思いがあります。被災地一帯沿岸部に、最低20メートル以上の「大堤防兼沿岸道路」を100年の計で作ってはと考えます。海岸側には砕波ブロックを設け、波を砕き勢いを抑える。道路の数箇所には大きなロータリーを作り、低地から海岸へ抜ける生活道路、ロータリーの余地には景観を眺める施設などを作ればと思う。この思いを〃夢〃で終わらせたくありません。被災地の皆さんはそれぞれ自助努力や様々な支援を受けながら、一歩一歩と復興に向けて逞しく歩みだしています。国や県の復興予算が出そろい、本格的な復興の始まりと云え、被災地や県民一丸となり早く元の生活に戻って欲しいと、震災1年に寄せての思いです。「頑張れ被災地の皆さん!」
ニッケイ新聞 2012年3月10日付け ブラジル・ニッポン移住者協会(小山昭朗会長)が東日本大震災犠牲者追悼の意味を込め、11日から2年間、聖市立カルモ自然公園内で植樹事業『日伯・絆の森』を実施する。ブラジルオイスカが共催し、聖州政府、聖市も協力。被災した東北6県の県人会のほか、多数日系団体が後援予定。同会が日本人移民百周年事業として、10万本の植樹を目指し実施している『日・伯 友情の森』作りの一環。震災の犠牲者数と同じ1万9131本を植樹し、追悼記念碑を建立する。ロゴには漢字「絆」を使用する。すでに4万2千本を植樹したチエテ・エコロジー公園の敷地は、聖州によるチエテ川の氾濫を防ぐプロジェクトで使用不可となったため、市と掛け合い、2月末にカルモ公園の使用許可を得た。費用は39万7千レアルを見込む。半額は自己資金、残りは寄付金でまかなうとしている。小山会長は、「子供には環境教育や、震災の教訓を学ばせるという面もある。将来長く続いていく事業として、これからもプライドを持ってやっていく」と意気込みを語った。■『日伯・絆の森植樹式』が17日午前11時から、同公園(Av. Aricanduva, 9601)で開催される。参加自由。午前10時にニッケイ新聞前(Rua da Gloria, 332, Liberdade)からバスが出る。乗車希望者は同会(11・3276・9450)まで申込みを。