06/03/2026

Dia: 14 de abril de 2012

ニッケイ新聞 2012年4月14日付け 現在の同地コロニアのもととなる「コロニア・サンタマリーナ」が近郊にできたのは戦後、1950年代のこと。全国の農村青年の教育や指導者育成を目的に戦前に設立された「日本青年協会」(文科省、農水省所管団体)から、同会の会員でブラジルに移住していた故吉岡省氏(京都)が日本の青年を移住させたいという同会の申し出を受け、当地政府と交渉。200ヘクタールの土地を購入し、会員らを呼び寄せたのが始まりだという。坂手さんによれば、コチア組合も近くに土地を購入して数家族を住まわせたという。「吉岡さんは桃栽培を成功させた人として有名ですがうまくいかず、他の果物に変わっていったようです」(坂手さん)。また、同地には台湾梅の栽培でコロニアに梅干をもたらした孫河福さん(台湾出身)も入植している。孫さんはこの日の交流会に姿を見せ、話を聞きたいと集まった参加者一行と歓談に花を咲かせていた。孫さんが呼び寄せた家族が持参した台湾梅の栽培が成功し、それまでブラジルになかった、小粒ながら日本のものと変わらない梅干の供給が実現。国内に広まり、ボツカツは伯国での梅栽培発祥の地としても知られている。会場でも会員手作りの梅酒が振舞われ、頬を赤く染めた参加者もちらほら。現在、数家族が梅干や梅酒などを作っている。会館の外で自家製のそれらを販売していた長田佳貫さん(78、鳥取)もそのひとりだ。長田さんは1957年から3年間、契約労働者として米国に滞在し、61年に来伯した。桃、ぶどう、すもも、アテモイア、ビワなどを栽培し、近年はユカリの苗も作っているという。海抜800メートルを超える同地では朝と夜で気温差があるため、「果実の糖度が高くなる」と長田さん。果物の栽培に適した気候のようだ。並べられていた小粒の梅干を試食してみると、かなり酸っぱい。思わず顔をしかめると長田さんの妻郁子さん(73、鳥取)は「細かく刻んでご飯にまぶしたり、おにぎりにするとおいしいですよ」と笑う。郁子さんによれば梅干作りには手間がかかる。台湾梅は苦味があるため、それを取ってから漬ける作業に入るという。「梅とピンガ、砂糖を混ぜて作るだけ。簡単ですよ」と言う梅酒には「94年製」というラベルが。「熟成させればさせるほど美味」。現在はボツカツに限らずピエダーデ、ピラール・ド・スールなどでも梅が作られているという。郁子さんは27歳だった隣町出身の佳貫さんと結婚後、22歳で渡伯した。以来ボツカツに住んで49年になる。「家族との別れが辛く来るときは泣きました。今でも何でこんなとこまで来たのかなって思ったりします」と笑う郁子さん。「気候がよくて、フルッタもおいしい。いい所ですよ」と、孫娘を隣に嬉しそう。「フェイラに売りに行きますけど、今百姓は難しいですね」という郁子さん。子供4人、孫3人に恵まれ、70歳以上のゲートボールチームに所属。州内外の大会に出場している。「元気が一番。皆と話すのが楽しみ」と笑みをこぼした。(田中詩穂記者、つづく) 写真=ボツカツ在住49年の長田さん夫妻 この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-tanaka4.html
ニッケイ新聞 2012年4月14日付け 「日系社会の皆様によろしくお伝えください」――。「第40回医療功労賞」(読売新聞社主催)の受賞式のため訪日したサンパウロ日伯援護協会の菊地義治会長が先月26日、天皇皇后両陛下と特別謁見した。2月に心臓パイパス手術を受けられたばかりにも関わらず、約1時間にわたりコロニアや現在のブラジル社会について尋ねられた。「あっという間に感じた」と話す菊地氏に対話の様子や、両陛下からのコロニアへのメッセージを聞いた。 都内のホテルで行われた式典後に、他の受賞者らと3月16日に皇居を訪問。「その際、陛下が直接お目にかかりたいと仰っているので後日連絡する、と侍従から言われた」10日後の26日午後2時半、指定された東京丸の内駅で待っていた菊地夫妻を迎えに来た車は皇居へと向かった。案内された広間はガラス張りで、黒松や寒桜、梅など四季折々の植物が植えられた庭に面していた。5分後、天皇皇后両陛下が部屋に入られ、目の前に座られた。菊地氏によれば、陛下は読売新聞に掲載された菊地氏の受賞に関する記事を事前に読まれており「ブラジルに行かれたときは苦労されたでしょうね」と切り出されたという。歓談は天皇陛下が摘まれたという野菜も入った春の七草、吸い物など7種類の食事をしながら和やかに進んだ。弓場農場の小原明子、芸術家の大竹富江、宮坂国人各氏の名前を挙げられ、「コチア青年と花嫁移民の方々はお元気ですか」と尋ねられたという。皇后陛下は二宮正人CIATE理事長の名前を挙げられ、「日本に来ているデカセギの子供達が日ポ両語を覚え、両国関係の親善に寄与する人材となって頂きたいです」と話されたという。天皇陛下はこれまで3回伯国を訪問。2回目の78年に訪問された北パラナのローランジャ、マリンガ、クリチーバなどを「懐かしいですね」と話され、06年に亡くなった最後の笠戸丸移民中川トミさんについても触れたという。菊地氏は老人ホームや病院の運営、自閉症児療育など援協の事業を紹介し「社会的に重要な位置を占めています」と説明。また、セラード開発の経験を活かしアフリカ大陸で実施する『プロサバンナ計画』などについても説明した。最後に天皇陛下から「日系社会の皆さんに宜しくお伝えください」とのお言葉があり、両陛下に見送られながら夫妻は退室した。菊地氏は「コロニアがブラジル社会と融合しながら、農、工、商業の各分野で貢献していることを喜んでおられるように見えた。二世から六世までいる日系人が立派にやっていることを十分認識されていると感じた。移住についてよくご存知で、大切に考えておられる」と印象を語りつつ「思いもよらないことで光栄。個人ではとても謁見はありえなかった。あくまで援護協会の代表として呼んで頂いたと思う」と話していた。